昨日は陶芸家のAちゃんが、御膳酒なる岡山の銘酒をぶらさげ、味噌樽と味噌甕と
いっしょにやってきた。陶芸家というのは、みな力持ちだ。
釜焚きの関係からか、いつも千秋楽あたりに味噌つくりをすることがならわしになった。
「たがをしめる」という言葉があるが、樽職人がしっかりたがをしめた樽は、空っぽでも
美しいし、味噌をつめると、また一段と美しい。昔から日本人の暮らしの中に寝ずいて
いる「道具」は、みな機能的であり美しい。道具とは、「道」を「具」えている、という言霊
を宿している。茶道具、華道具しかり、珈琲の道具もしかり。
天真庵で使っている久保さんの黄瀬戸のドリッパーを、いろいろな人が見にくる。
黄瀬戸というのは、非常に品よく作るのが難しく、「黄金の焼き物」と言われて
いるけど、黄金のように価値あるものが少ない。最近の若い陶芸家たちの作品は
「カフェスタイル」といわれていて、フォルムは美しいけど、道具とした場合、薄っぺらい
ものが多い。ある意味、カフェというのも、喫茶店から比べると、今風だけど、軽い
感じはする。なんとなくだけど。
今日は「英語で蕎麦会」
明日は「かっぽれ」