昨日は「卵かけごはん」だった。
早朝の蕎麦打ちも、無事終わり、卵かけごはんも完売。暑い
日で熱中症で倒れた人が多かったらしいけど、なんとかクーラーも
利いて、昼もそばが売り切れごめんになった。
夜は「福の会」だったけど、そばのかわりにガレットを焼いてみんなフーフーしながら食べた。
「幸せになるコツ」は「幸せになろう」なんて安っぽい目標を立てないことがコツらしい。
これまで、日本人の多くは「目標設定」したり、「より多くの収入」とか「楽な老後」とか、
誰でも気がつきそうな安易な目標に向かって、「こうすれば幸せになる」なんて思ってきたけど、
最近は「お金がいっぱいあると幸せ?」とか、「楽な毎日は幸せ?」とか思い始めた人が多くなったみたい。
お金を残しても、残ったものたちの争いのもと。西郷どんも、「偶感」でかく語りき。
「幾たびか 辛酸を 経て 志 始めて 堅し
丈夫(じょおふ) 玉砕 するも 甎全(せんぜん)を 恥ず
我が 家の 遺法(いほお) 人 知るや 否や
自孫(じぞん)の 為に 美田(びでん)を 買わず」
今日は「英語で蕎麦会」だ。7時に押上駅前に集合。「何買おうかなあ~ぼりぼり」
「何食べよっかな~ ボリボリ」やっている外人観光客に英語で「この辺に、変なそばや
があって、そこでこれから蕎麦喰いながら英語の勉強をするんだけど、いっしょにこない」と声を
かけ、人けのない十間橋通りまで連れてくる、という大胆な英会話。今日はどうなるのだろう。
最初は「どんびき感」があって、生徒が減ったけど、ポンぴきの魅力にまた新しい人たちが集まってきた。
「過去の成功体験」や「これまでの常識」で、ものを判断すると、いつまでも「過去」のものさしから離れなれないので、
ウキウキしたり、楽しいことが少ない。「仏」というのも、過去のしがらみから「ほどく」という言霊。
明日は「かっぽれ」 バカになりきる、というのも、これまでの自分のチープな価値観や人生観から「ほどく」
ことやと思う。時代が大きく振れていく時は、「なりきる」人たちが、横に広がっていった。
木曜日もお店はお休みだけど、「座敷で蕎麦遊び」の会をやる。
普茶料理。精進料理の原点みたいなものをやっていくと、「根本」が見えてくる。
最近は「コンテキスト」という言葉をよく耳にすることが多くなった。文脈、という意味
らしい。大きな流れ、自然に寄り添いながら、そこから聞こえてくる声なき声を感じながら
ゆっくりと流れていく。そんな優美な生き方をする人が、少しづつ横に繋がっていく・・・ 感謝。