10年くらい前に、知人がそんな小説を書いた。「東京駅太郎」とか「東京駅次郎」とかいうタイトルだった。
今朝の新聞に、戦災孤児の記事があった。横浜の大空襲で被災し、両親をなくし、
無賃乗車で東京にでてきたり、喰う為に、トマトを盗み、友達と走って逃げるときに、
相方が米兵のジープに轢かれれ即死、血とトマトがいっしょに道に広がり、それから
トマトが食べられない・・・・
昨年、同郷の先輩が熱中症で死んだ。80歳だった。
やはり小倉の大空襲で孤児になり、しばらく小倉駅で暮らしていたらしい。しばらくして、
大阪の「やし」が「にいちゃん、いっしょに大阪いかへんか」といわれ、そのまま大阪にいって「やし」
の修行をし、その後東京にきて建築関係の仕事をしていた話を、ときどき天真庵の珈琲を飲みながら
話してくれた。昨年の夏のある日、近くを散歩していて、気分が悪くなったらしく、救急車で運ばれ、
翌日召された。そんな戦災孤児が17万人くらいいたそうだ。
美和さんではないけど、アホな政治家が戦争をしたがっているけど、まず自分たちがヘルメット
をかぶり、鉄砲担いで戦場にいってこい、である。
平和という言葉がいらないくらい、日々是好日の日が続きますように。感謝。