長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

あゆをかぶりつく

2015-07-18 08:30:52 | Weblog

昨日は「タイムドメイン」だった。

友達が「あゆのたきこみごはん」を持ってきてくれた。

池袋時代は大塚の「なべ家」でこの季節はあゆをときどき食べた。

あゆといえば尾西の「金豊舘」のアユは日本一だと思う。

久保さんの志野のあゆ皿の上にのってくる郡上のあゆは、日本の宝だ。

なべ家は大塚三業地の中にあり、歌舞伎の坂東玉三郎さんの実家も近くにある。

玉三郎さんとのコンビで歌舞伎を大いにもりあげた仁左衛門さんが人間国宝

になった。人形浄瑠璃文楽太夫の豊竹嶋太夫さんも人間国宝になった。

あゆを料理してくれた友達の親友のお父様でもある。

今日の夜は「インヨガ」。

そばと珈琲の組み合わせは「妙」だといわれるけど、ヨガをやった後に蕎麦を手繰り、

珈琲で締めくくる。こんな絶妙な組み合わせはアーユルベーダも知らない曼荼羅世界。

明後日は「大石学さんのコンサート」

一年前から予約をした人も多いので、みんな覚えているか心配だけど、よろしく。

25日は墨田川花火大会ライブ。この会も8回目くらいになる。

8月もいろいろ。

1日(土) ボサノヴァ 夕涼みズ

演奏:山本ほかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥2,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

4日(火) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・大宅裕(ピアノ)・宮坂拡志(チェロ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)

 

29日(土) 沖縄 Song Night

演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)

17時開場 17時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

 

 

今日は持ち寄りパーティー

2015-07-17 08:16:13 | Weblog

昨日はお休みだったけど、二階で「座敷で蕎麦遊び」があったので、

朝から蕎麦を打ったり、豆腐屋や八百屋にいったりしながら、支度をした。

普茶料理というのは、豆腐とか野菜が中心になった精進料理。昨日は

ちょくちょく座敷遊びをしてくださる常連さんだったので、お酒の好みまで

わかっているので、比較的気持ちが楽だった。いつもは配達してくれるのだが、久しぶりにお酒を調達に

四つ木の「杉浦酒店」までいってみた。下町の酒屋とは思えないくらいいろいろな

種類の酒がそろっている。最近杉浦家では初孫が生まれておめでたいけど、山形の「初孫」

は置いていない。ネットで「杉浦酒店」で検索したら、店主が自ら足を運んで、吟味したお酒が

ずらりと並んである。ときどき「死神」が配達される。御主人に「死神Tシャツ」(背中に死神の筆字)をいただき、時々

着るけど、日本酒好きだと「あー」とわかってくれるけど、スーパーのレジで並んでいたりすると、ぼくの後ろに

人がいないことがある。バスや電車に乗っている時は、刺青をした人の気持ちがわかる。おまわりさん

とすれ違った時、「ショクシツ」されたこともある。「落語でシニガミいうの知らないの。もっと勉強してや」

と答えた。

今日は「タイムドメイン」の日。池袋時代から続く、「持ち寄りパーティー」の日。

聴かせたいCD、飲ませたいお酒、喰わせたい酒肴を持ち寄り、談論風発。天真庵の音楽やらオーディオ、

メニュー、生きたい場所・・・・いろいろ土台をつくってきた会。

明日は「インヨガ」 年とってきたら、体はちゃんとメンテしとかなあかん。

 

 

 


人生は居場所と出番

2015-07-16 09:16:06 | Weblog

昨日は「かっぽれ」だった。師匠がいつもより少しはやく浴衣を

着て、自転車でやってきた。もう見慣れた風景だけど、浴衣をきたまま

自転車にのるのは@わざ、だと思う。

「かっぽれの出番がきまったわよ」と興奮している。外人さんの前で

踊り、その後屋形船でいっしょに日本の夏を楽しむ会らしい。カッポレ女子

たちの目がらんらんと輝き、昨日はいつも以上に気合いの入った練習になった。

「これからは、居場所と出番」が大事で、それを演出する場をつくってあげるべきだ、

と、56歳で召されたワカが飲むと力説していた。

夕べは大雨が降って今朝は少し涼やかな風を感じる。日本の民主主義が危うくな

ってきたのを嘆く「涙雨」。アホになりきるのは大事だけど、アホが賢い顔して、かしこ

になりきるのは、ほんとうにバカげている。かしこばかくらいがちょうどいい。

今日は二階の座敷で「そば遊び」がある。

季節季節にあった「普茶料理」と蕎麦を楽しむ趣向。酒肴は基本的に精進料理。

懐石とはもともと懐に石をかかえて修行した雲水を象徴するような「ありあわせの簡素な料理」

のことをいう。最近は派手になり値段もべらぼうなものが多いけど。

普茶料理も「普(あまね)く大衆に茶を施す」という意味で、黄檗山の隠元和尚が中国

から伝えた簡素な精進料理。

 

 

 


外人さんと蕎麦会

2015-07-15 08:42:53 | Weblog

昨日は「英語でそば会」だった。円安で外人さんがいっぱい日本にきている。

近くに住むぼくたちは、ほとんどいかないし、最近は「あ・ひさしぶり」というくらい

スカイツリーの話もしなければ、わざわざ見上げたりもしないけど、毎日世界中から

人が集まってきているみたい。月に一度、そこに集まって、外人さんに声をかけ

「いっしょに、そば喰わへん?」てなことを英語でいい、一期一会の蕎麦会をやる。

これまで3回やってうまくいったけど、そう簡単に4匹目のドジョウがいるのだろうか?

とふと不安に思ったいわもと先生。だけど、いつもそうしてきたように、待ち合わせの前に

カウンターの一番端に座り、珈琲とチーズケーキをたいらげ、「よっしゃ!」と気合を入れて出陣。

30分後に少しヤンキーっぽい若いイギリス人の女子ふたりを同伴してもどってきた。

8月の「ぽん引き・英会話学校」が無事始まった。昨日やったことを今日やる。今日が明日まで

続くというのは安心していられるけど、あまりおもしろくない。「なにが好き」と自問して、鮨!

とかいっても、毎日が鮨だと辟易とするし、ずっと同じような日々だとあきてします。

今日と同じ明日はこない。今日英会話は、いったいどんな外人と邂逅できるのだろう?

とか、未来が未知なほうが、歩く道としてもおもしろい、と、ぼくは、そんな道を歩くのが好きだ。

今日は「かっぽれ」。昨日、といっても「ほぼ毎日」のようにたまちゃんが蕎麦を手繰りにくる。

天真庵のお客さまの4人が彼女に三味線や唄を習っている。今年からだけど、月3回やって

いる。なんともう五曲目に入ったらしい。来春は二階で「たまちゃん一門会」ができそうだ。

かっぽれも、屋形船で外人さんの前で踊る、というオファーがきそうだった。いつでもOK

のように、こんな暑い日も浴衣を着、襷をいきにまいて、♪あ、かっぽれ かっぽれ・・・

だれも息をしている間しか、生きていない。そんな短い人生、何か悔いなく生きたいもんやね。

明日は「座敷で蕎麦遊び」 昨日の外人さんたちも、卵焼き、おから、いたわさ、香のも、もろこしごはん、

そば・・・・みんな食べられた。そば焼酎の蕎麦湯割りもうまそうに飲んだ。言葉や文化は違っても、「根は繋がっている」

のかもなんばん。

 

 


英語でポン引き ドンピキかと思いきや

2015-07-14 08:40:36 | Weblog

昨日は「卵かけごはん」だった。

早朝の蕎麦打ちも、無事終わり、卵かけごはんも完売。暑い

日で熱中症で倒れた人が多かったらしいけど、なんとかクーラーも

利いて、昼もそばが売り切れごめんになった。

夜は「福の会」だったけど、そばのかわりにガレットを焼いてみんなフーフーしながら食べた。

「幸せになるコツ」は「幸せになろう」なんて安っぽい目標を立てないことがコツらしい。

これまで、日本人の多くは「目標設定」したり、「より多くの収入」とか「楽な老後」とか、

誰でも気がつきそうな安易な目標に向かって、「こうすれば幸せになる」なんて思ってきたけど、

最近は「お金がいっぱいあると幸せ?」とか、「楽な毎日は幸せ?」とか思い始めた人が多くなったみたい。

お金を残しても、残ったものたちの争いのもと。西郷どんも、「偶感」でかく語りき。


「幾たびか 辛酸を 経て 志 始めて 堅し

丈夫(じょおふ)  玉砕 するも 甎全(せんぜん)を 恥ず

我が 家の 遺法(いほお) 人 知るや 否や 

自孫(じぞん)の 為に 美田(びでん)を 買わず」

今日は「英語で蕎麦会」だ。7時に押上駅前に集合。「何買おうかなあ~ぼりぼり」

「何食べよっかな~ ボリボリ」やっている外人観光客に英語で「この辺に、変なそばや

があって、そこでこれから蕎麦喰いながら英語の勉強をするんだけど、いっしょにこない」と声を

かけ、人けのない十間橋通りまで連れてくる、という大胆な英会話。今日はどうなるのだろう。

最初は「どんびき感」があって、生徒が減ったけど、ポンぴきの魅力にまた新しい人たちが集まってきた。

「過去の成功体験」や「これまでの常識」で、ものを判断すると、いつまでも「過去」のものさしから離れなれないので、

ウキウキしたり、楽しいことが少ない。「仏」というのも、過去のしがらみから「ほどく」という言霊。

明日は「かっぽれ」  バカになりきる、というのも、これまでの自分のチープな価値観や人生観から「ほどく」

ことやと思う。時代が大きく振れていく時は、「なりきる」人たちが、横に広がっていった。

木曜日もお店はお休みだけど、「座敷で蕎麦遊び」の会をやる。

普茶料理。精進料理の原点みたいなものをやっていくと、「根本」が見えてくる。

最近は「コンテキスト」という言葉をよく耳にすることが多くなった。文脈、という意味

らしい。大きな流れ、自然に寄り添いながら、そこから聞こえてくる声なき声を感じながら

ゆっくりと流れていく。そんな優美な生き方をする人が、少しづつ横に繋がっていく・・・    感謝。

 

 


もろこしごはん

2015-07-13 05:20:16 | Weblog

昨日は「蕎麦打ち教室」やった。

こないだまで女子大生だったふたりが蕎麦打ちをした。

ひとりの子のおばあちゃんは、福島の相馬で「そばや」をひとりで切り盛り

している。さがにガバイばあちゃんがいたけど、福島もまけていない。

もうすぐ齢80を迎えるけど、家からお店まで4kをバスで通いながらそばやをやっている。バスの時間

しだいでは、歩いて帰ってくる。

10年前におじいちゃんが召された時に、お店を締めようと思ったけど、そこのそばを楽しみにしている

お客さんの笑顔を見ると、どうしても緞帳を下げる気にならなかったらしい。311の時には、おじいちゃん

と集めた笠間焼きのどんぶりとか蕎麦猪口などが割れて、潮時を考えたけど、ここでやめたら何の人生?

みたいな声なき声が聞こえて、そのまま毎日そばやを続けているおばあちゃん。そのDNAを受け継ぐ女子が

元気に蕎麦を打った。水まわしをして、それを菊練りをして・・・という段階で、おばあちゃんの仕事の大変さが

わかり、それで家族を養ってきた人生をふらたら、いっぱい汗と涙があふれてきた。

「粒々皆辛苦の人生」。

IT企業の社長で、6年前から農業法人をたちあげ、ねぎを作っている蕎麦のおでしさまから「とうもろこし」

がおくられてきた。それを蕎麦打ちの後にみんなで食べた。包丁で一粒一粒をこそげ落し、芯もふたつに切り、

お米と塩と酒で土鍋で炊く。蕎麦打ちをした後の空腹な体の五臓六腑にしみいる滋味だった。

また山梨で農業をやっているおでしさまも、無農薬で育てたズッキーニを土産にくれた。

えごま油と、かしわで炒めて酒のつまみにした。

「人生でウキウキすること」というのは、ハウツーやノウハウではない。本を読んでわかるものではない。

ひとりひとりが、自分の体の中に流れる先祖の記憶の川の中のゆらゆらとした声に耳傾け、

その流れに自然によりそうように生きていくことではなかろうか。

これから「卵かけごはん」今日は、こないだまで東京六大学の学生だったくんが

「早朝蕎麦打ち道場」にくる。布を扱う仕事をしているので、蕎麦粉が「絹」のように見える手つきで蕎麦を打つこ。

夜は「福の会」  人が幸福に生きることを、いろいろな角度から考える会。

明日は「英語で蕎麦会」

 


楽しいライブが目白押上げ

2015-07-12 08:22:12 | Weblog

夏がきた!という感じの土曜日だった。

やまね組の組長さんが、その親分みたいな人を連れて珈琲を飲みにきてくれた。

8月23日(日)に宇部で、やまねさんといっしょにクラリネットをやってくださる先輩。

それに、ピアノの藤田さんで、夏の宇部に素敵なコンサートの花火があがる。

うちの90歳になる父親からも電話があり「いくぞ」とのこと。そばのおでしさまも二人

いくのでのむら組も7人で、宇部にのりこむことになった。やくざの抗争みたいな話だけど

、もすすこし高尚な内容だ。やまね組のコンサートは、8月4日。

90になる親父の一つ上の兄弟が、終の棲家として、長年住み慣れた延岡から移りすんだ地

が下関だった。よしのぶ、という名前があったけど、ぼくらはみんな「下関のおじさん」といっていた。

植木屋をやっていて腕はいいんだけど、人の好ききらいがはっきりしすぎていて、好かれきらわれかた

も同じで、仕事も選んでいたので、閑な時間も多く、そんな時は、どこからか拾ってきたカラスや鳥や

犬や猫たちと、朝から晩酌をしていた。まわりからみると破天荒な生き方やったけど、自分に正直で、

何ものにもしばられず、自由に生きた人だと思う。酔っぱらうと、「ひとに迷惑をかけんかったら、どげな

ことをしてもよかぞ」とのたまう。

「奇人」といわれるような人は、普通の人のものさしで計ると「変人」にも見えるけど、自然の神様の

ものさしで見ると、「天真」ではなかろうか。人の知恵とか飾り物とかいったものは、無いに等しい。

7月は、20日(海の日)に「大石学ソロライブ」 25日(墨田川花火大会)の日が、「もにじんライブ」だ。

8月も、ウキウキするようなライブが、目白押しあげ。今日は日曜なので16時閉店。

それから「日曜蕎麦打ち女子大学」  今日はこないだまで女子大生だった人らの蕎麦打ち教室。

明日は「卵かけごはん」夜は「福の会」

火曜日は「英語で蕎麦会」 昼の二階は「押上でお仕覆」

水曜日が「かっぽれ」

1日(土) ボサノヴァ 夕涼みズ

演奏:山本ほかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥2,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

4日(火) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・大宅裕(ピアノ)・宮坂拡志(ヴィオラ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)

 

29日(土) 沖縄 Song Night

演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)

17時開場 17時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


子猫を捕獲作戦

2015-07-11 08:30:47 | Weblog

昨日は久しぶりに晴れた。

五匹生まれた猫ちゃんたちも、青年になり、元気に動き

まわっている。野生も失っていないので、下手に近づきすぎると、

親猫がするように、シャーとかいって、こちらを威嚇したりするのもいる。

人もそうだけど、親が教えてくれているようにしか育たないし、自分が親

になったら、親が教えてくれたようにしか子供を育てられない。

だから「共育」というのは、とても大事なことだと思う。親も子も先生

も生徒も「共に育つ」。

里親になりたい、という人がふたりきて、近くの駐車場などで捕獲しようとがんばったけど、

昨日は一匹もつかまらなかった。「こっちの水は甘いぞ」よろしく誘ってみても、あちらも人生

がかかっている。言葉が通じる人間かて、思いがうまく伝わらないのに、吾輩は猫ではない輩が

どんなにいいように思っても、通じないもんだな、と昨日はみんなで敗北感を味わった。

野良猫の平均寿命は3年といわれている。家猫になれば12年くらいは平気で生きる。

「このまま野良で生きたら、東京オリンピックは見れないよ」ということになる境界線でもある。

今朝蕎麦を打ちながら大石さのCDをかけていたら親子六匹で近づいてきた。ジャズとかボサノバ

が好きみたい。今日はこの作戦でいくか?


金賞受賞した珈琲豆

2015-07-10 08:28:17 | Weblog

日本酒の世界でもそんな冠をつけたものがあるけど、どれも

それを狙っているようで、にたりよったりのものが多い。

どの世界も「おすみつき」というのが、大事らしい。自分の五感を研ぎ澄まして

自分の座標軸の中で、「ものの価値」を評価できるようにしたいものだとつくづく思う。

水木二日間は、「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」だった。

もうすぐモカが入りにくくなりそうなので、その時のことを考えて、いりいろ新しい豆を試してみた。

昨日は「金賞受賞」みたいなことをラベルに印刷していたキリマンを焼いてもらった。

あまり期待していなかったけど、「これまでのキリマンは、さげまん?」というくらい、香りもコク

も、舌に残る丸い後味もいい塩梅で、梅雨のジメジメした空気を一掃するような味だった。

これなら「金賞」も値千金やと思う。

無茶しぃの会も、星野村の煎茶を楽しんだ。夏は井上春峰さんの京焼きの茶器が涼感を誘う。

軸も良寛。もとい、今は白隠の一行ものをかけている。横の掛け花に、桔梗の花を投げ入れてみた。

お茶受けは、島根の「栗たぬき」。山陰はとてもお茶が盛んなところ。いいお茶人がいる街には、いい

お菓子がある。旅をする自分のものさし。

今日は「ダメ中」。さきほど先生から中国語でメールがきた。チンプンカンプンだけど、

「おはようさん。今日は7時から天真庵で中国語の勉強会です。よろちく、シェーシェ」

みたいなことだ。

気はこころ、英語や中国語も、気はこころ。やさしさを広げていける人が活躍する時代。

 


梅雨に雪がふった。

2015-07-08 07:39:21 | Weblog

先週のお休みは、ベテランの蕎麦のおでしさまたちと、天真庵の蕎麦を

お願いしている千葉の蕎麦畑にいった。天真庵のHPに、写真をのせたら、梅雨に

雪が降ったような景色になり、天真庵がおそばやさんみたいになった。

5月で閉店した広島の達磨さんは「雪花山房」といった。知り合いの建築家・白井さん

が設計し、そのように命名した。

中国の大詩人・白居易の「村夜詩」にでてくる詩から由来したものだ。

(「独出前望野田、月明蕎麦花如雪」)月明かりに照らされて、雪のように白く見えたのは、一面に咲いた純白な蕎麦の花だった・・・みたいな意味。

この千葉の畑を知ったのは、熊本の知人で無類の蕎麦好きで、熊本に蕎麦屋とギャラリーをつくりたいといいだし、東京の名店を

巡っていた在る日、目白の米倉ボクシングジムのかえりに知り合いの骨董屋にたちよった時だった。

主人はSといい、その道では有名で店名もSという名前を冠している。そこの主人が、「最近近くにいい蕎麦屋ができた」

という話をしたのがきっかけ。すぐにそのお店にいき蕎麦を食べ、その次の日には千葉の畑にいた。そのころはITの会社を

やっていて、「天真庵」はそれに付随するギャラリーにすぎなかったけど、すぐに押上の今の建物に縁がつき、気がつけば

毎朝この蕎麦を打ち続けてはや9年になる。人の縁とはまったく妙なものだ。

今日明日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

焙煎がうまくできたり、おいしい珈琲をいれたりするのも大事だが、これからのお店は

「茶のこころ」を持った店がいいのではないか、と思う。といっても、「家に急須がある・茶櫃がある」

「今年の新茶を飲んだ」「毎日一煎はお茶を飲む」みたいなことを自問すると、寒い結果になること自明の理である。

昨日は七夕だった。一年に一度くらいこの季節に新茶を楽しみたいものだ。