発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

これは「呪い」ではない

2021年07月23日 | 日記
◆オリンピックの音楽           
 東京オリンピックの音楽って、政権に忖度しない立場をとる坂本龍一を採用すれば大したものだとはぼんやりと思っていた。いじめ暴力大魔王しかも大人になっても反省なし、広くバレてもギリギリまで辞めずに済むと思ってたなんて。急に例の人の分が使えなくなったところを何で埋めるのかしら。いっそ古関裕爾かしら。これなら自衛隊も警察もレパートリーだろうし。

◆ボタンの掛け違い
 そもそも「(事故原発は)アンダーコントロール」で「おもてなし」というボタンの掛け違いから始まった。それ、違ってない?と思った。
 正直考えたくもないが、考えないのはこの時代の大人しかも大人後半として無責任というものである。猛暑の今のこの瞬間も汚染水を発生させながらの危うい平衡状態が多くの人々の不断の努力により必死で保たれている状況のことを、よく「アンダーコントロール」と、軽い言葉で言い換えたものである。しかも諸般の事情により夏開催。
 それでも、決まったからには無事開催を祈ってた。世の中が元気で明るい方に向かうのならいいのかも知れない、と思った。観戦チケット懸賞ポスターの松岡修造の笑顔を見るにつけ。

◆そしてパレードが始まった
 新国立競技場の計画が白紙
 エンブレムの盗作疑惑    
 五輪担当相の辞任    
 マラソン競技の東京での開催断念
 コロナ禍を理由に2021年夏に開催延期
 森喜朗会長辞任
 開閉会式の演出統括者が、ブタ発言で辞任
 前代未聞の無観客決定
 小山田圭吾氏がいじめ問題発覚辞任
   ここまで書いたところで
 小林賢太郎ホロコーストホロコースト揶揄問題で開会式演出解任
 
  これほどの「それだけならまだいいが」の不祥事大行進は、偶然には起こらない。

◆呪いではなく祟り
 この際、新型コロナなど些少な問題だ。関係者の狭い範囲での利益誘導忖度出来レースが、ほとんどの共通項である。これは「呪い」ではなく、因果応報のニュアンスを持つ「祟り」である。ヘルメスだか、メルクリウスだか、韋駄天神だかが怒っているのかもしれない。税金の無駄遣いを伴っている。
 オリンピックは、特に就職してからこのかた、毎回「……いつの間にか終わってたのねぇ」といった印象のイベントだった。今回もまた、仕事をしているうちに終わってしまうのだろうが、どうかお願い、普通に終わってほしい。これ以上悪いことが起こりませんようにと思う。そして、起こった悪いことは、橋本聖子氏の言葉を借りるなら「私たち自身の社会の縮図」なのだと猛省しないといけない。

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夏の食べ物いくつか

2021年07月15日 | グルメ
◆ラタトゥイユ
 ズッキーニをいただいたので、ラタトゥイユにする。
 ニンニクをオリーブ油で炒め、切った玉ねぎ、ピーマンやパプリカ、ズッキーニ、トマト、ナスなどを投入し、水は入れず、トマトの水気が少なくなるまで煮詰める。私の作り方はまったく適当で、トマトの皮は湯剥きしたりせず、煮えたところで箸でつまんで取り出す。そのとき、ニンニクを見つけたら、軽くつぶす。
 多めに作って冷蔵庫に冷やしておけばいつでも食べられる。味付けは、粉末ブイヨン、醤油、ハーブソルトなどで。どれもごく少量で味が整うので、たぶん減塩食。
 そのまま食べる。そうめんや冷奴のトッピングにするなど。

◆鶏胸肉は蒸し鶏にする
 皮を除いて扱いやすい大きさに切り、ハーブソルトをまぶし、白ワインなり日本酒なりを少々回しかけ、ラップをかけてレンチン。分量にもよるが、3分くらいで一度、鶏肉の位置を変えている。生のところがあってはいけないが、熱を通しすぎたら固くなるので注意。
 冷蔵庫にあれば、サラダ、あえ物、棒棒鶏、冷やし中華などがすぐできる。たっぷり使って早めに使い切る。蒸し汁は上等のチキンスープ。この時期は酢や醤油を加え冷やし中華のタレに使うことが多い。


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ひどい副反応が誰にも出ないように祈ろう

2021年07月01日 | 日記
 緊急事態宣言から蔓延防止に変わって、それでも「命を守る行動を」という県のアナウンス活動は続いている。ともかく統計の数字をみて百分率の計算をしてみよう。
 510万福岡ケンミンの約0 .7%(1,000人に7人)しか陽性とカウントされたことがなく、約0.0086%(1,000,000人に86人)の人が今現在陽性とわかっている人、その半分が自宅療養か宿泊機関にいる無症状者か軽症者、残り約半分203人は入院中で、ICUレベルの重症患者は今現在14人。これまで亡くなった人は1万人に1人。これなら現在新型コロナで闘病中の私の知り合いがいないのは当然で、これまで新型コロナに罹った知り合いが1人しかいないのも、私の友達が極端に少ないせいではない。会社や学校に所属していなければそんなものだろう。

◆流行り病の実感がない
 これが、治験が終わっていない外国産ワクチンを広く打たなければならないほどの緊急事態で蔓延で危機なのかという疑問は消えない。世界的流行だが、日本においては爆発的流行状態というのとは違うように思う。実感がない。知り合いがほとんど罹ってないし、統計を見て割り算してみても、その実感が、統計とかけ離れた楽観とは思えないのだ。

◆国産ワクチンの治験のお知らせ
 国産新型コロナワクチンの治験ボランティア募集。国産ワクチンの治験(効果や安全性についての臨床試験)がはじまる。今接種が進んでいる外国産新型コロナワクチンも、治験の済んでいないワクチンなのだから、どうせなら国産ワクチンの治験に参加すればワクチン打った上に協力金(今回は協力金という名の報酬が数万円出るという)をゲットできる。ただ、現実は甘いものではないみたい。
 治験の済んでいないものの外国産を、大勢で接種しているというのが現状である。安全と言い切れるわけがない。通常なら、まだ発売できない段階のものだから。治験が終わっていない限り、安全性はGOⅮ KNOWSとしか言いようがない。しかも、ワクチンを打ったからと言って、その人が金輪際新型コロナに罹らない、人にうつさないというわけではなく、だから今まで通りマスクをして3密を避けてねと言われる。何それ~(号泣)。
 ワクチンは任意であるとご公儀からの案内に書かれているのはこういうわけである。職域接種のワクチン供給がストップになるのも、職域実施だと半強制となりやすく、「何か起きたとき」に「自己責任」と言いにくくなるからであると私は踏んでいる。
   ワクチンは任意である。打ちたくない人は打ってはいけない。
 今接種されている新型コロナワクチンは、治験をスキップして(これは薬の世界では、ものすごい例外なのだ)緊急避難的に認可されたものだが、そこまでの緊急避難的状況なのだろうか、と、百分率の計算をし、小数点の位置が正確かどうかを確かめながら思う。

◆陰謀説は信じない
 ところで、新型コロナワクチンが、世界人口を減らす陰謀だという風評が一部にあるらしいが、それは違うと思う。人を減らそうと思っているような悪人は、変わり者ばかり残る世界を望むわけないもんね。たぶん。
 ともかく誰にもひどい副反応が出ないように祈っていよう。


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ポーの一族展 久留米市美術館 「萩尾望都にハズレなし」

2021年06月09日 | 物見遊山
◆美術館の通りにエドガー(「ポーの一族」の主人公)がドドーン
 建物の前には登場人物の皆様がドドーン。                                                                                                                                           萩尾望都「ポーの一族」を中心とした原画の展示だった。
◆死なない、年を取らない子供の話
 といえば、「ポーの一族」か森博嗣「スカイクロラ」(←アニメ映画の予告貼ってます。ひんやりした青空と音楽が素敵)か。
 ………その中年紳士は、30年前に引っ越していった初恋相手にそっくりの少女を見つけて話しかける。
「あなたのお母さまは、メリーベルとおっしゃるのでしょう?」
 少女は、メリーベルは自分で、生みの母親のことは知らないと答える。娘に同じ名前をつけたのだろうと思っていたところに「100も年上のような」冷たい目をした兄エドガーと彼らの養父母が30年前の姿のままで現れ、馬車に乗って去っていく。
    この「ポーの一族」シリーズ第1作「すきとおった銀の髪」は、雑誌に初出したのをリアルタイムで読んだ。
 カラー原稿の美麗さと言ったら!ことに「ゴールデンライラック」の扉絵のきれいなことに瞠目。
 特にコミック本を追っかけて読んでるわけではないけど、紹介されてた半分くらいは読んでる。絵も魅力的だけど、どれも、お話がすごい。古くならない。
「11人いる!」は、コミックはもちろん、アニメのVHSも繰り返し見た。
 原作が別の人の、ブラッドベリのシリーズや、光瀬龍原作などは今回、紹介や展示がなかった。
 でも、「マリーン」(今里孝子=萩尾望都のマネージャー=原作)くらいはあってもよかったかなと。孤独な少年の成長を見守る謎の少女は何者? 最後の4ページくらいで全ての謎が解け、行き場のない悲しい純愛の話だとはじめてわかるの。
 言えることは「萩尾望都にハズレなし」。
◆バラのソフトクリーム
 美術館のある石橋文化センターは、バラ園が有名だけど、真っ盛りは少し過ぎていて、今回は、パッキリと咲いたアジサイがとても素敵だった。
 売店で期間限定のバラのソフトクリームを買った。確かにバラの香り。写真を撮るためにバラのところまで行く。途中で落としたり転んだら大笑いだと思いながら撮影成功。
 ポーの一族は、人のエナジーあるいは生き血とバラのスープやお茶で生きる。バラの庭の中の美術館での展覧会にぴったりなのだ。

 



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夏はジャワ更紗♪

2021年06月05日 | 日記
◆ジャワ更紗 
 ジャワ更紗のシャツを修繕する。細く蝋で模様を描いて染められた、手のかかった生地で、そのまま処分するには忍びないのだ。地味めのコットンアロハにしか見えないだろうけど、気に入って着ている。大量生産でないものは、それなりに敬意を払いたい。アイロンと補修布と近い色の糸と刺繍枠を用意してチクチクコテコテと作業する。
 手作業でつくられたものであるので、手作業を付け加えてもそれほど目立たない(……と思う)。さて、この夏も着よう。
◆ユニクロが既成シャツを変えた
 大量生産といえば、昔は、安い既成のシャツは、ポケットの柄合わせをしていないものがざらにあったし、脇縫いは、ロックミシンで始末したままを縫い合わせてあって、高いシャツだけが折り伏せ縫いにしてあった。今では当たり前の4つ穴ボタンの×字止めボタン付けも、結構少なかった。これらはユニクロから廉価品にも普及したように思う。でもユニクロは、首回りと袖丈の組み合わせではなく、SMLと大まかに分けることでコストを抑えている。標準体型以外の方にフィット感が欲しいなら、そういうのは従前のシャツメーカーにお任せ、ということなのね、きっと。
 宇部にユニクロの本社があったころ、私は出入り業者の下っ端営業として働いていた。オフィスは会議室のようにぐるりと机が配置され、議長席にあたるところで柳井氏が執務していた。紙伝票の時代だったが、ユニクロ様は、ともかく正確だった。あとで照会の電話が必要なことは一度もなかった。毀誉褒貶はあるが、昔からきちんとしていた、さぼらない社長(みんなに見られてたらさぼれないよね)は、成長企業の共通点ではないのか。
◆コート地買って縫ったもの。
 「サザエさん」では、よくフネさんが裁縫箱を傍らに置いて何か繕い物をしている。今の日本の家庭で裁縫箱の普及率と稼働率はどのくらいだろうか。やはり学齢のお子様次第なのだろうか。カツオのゼッケンとか。普通の繕いものは、廃れてるんだろうか。それにつけても刺繍枠って便利。
 あ、私、断じて手作り派ではない。器用ではないし。せいぜいパンツの裾を上げるときにダブルにしてみるくらい。あとはカシミヤ混ヘリンボーン織のコート地が安く売られていたので、切れ端を毛糸でザクザクと刺して毛布を作った程度。まさにブランケットステッチというわけで。それって裁縫なのかと言われると全く自信がない。

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梅雨の晴れ間の博物館

2021年06月01日 | 物見遊山
◆博多駅。どうです、このSF感!アニメ感!
◆九州国立博物館「よみがえる正倉院宝物」展太宰府の池には花菖蒲。毎度おなじみ九州国立博物館。
 福岡県の各美術館博物館は、緊急事態宣言下とはいえ、ほとんどの特別展は予定通りに開催されるようだ。良い事である。
 明治以降、現在に至るまでの正倉院宝物のレプリカと、それを作るプロセス、現代の匠たちの紹介などの展示。琵琶などの楽器や箱に施された螺鈿や象嵌は、いかにも伝統工芸な個人が登場する。文書のレプリカは、コロタイプ印刷を採用している。プロセスはビデオで紹介。つくるのは鳥獣戯画のレプリカを売っているところだ。
 正倉院の建物の構造についても、CGを使った実にわかりやすいビデオ解説があった。新しい再現作品は、すごく精緻で美しくて、エネルギーがあった。
    今回も、実質的には入場制限なし。入口のカメラで熱を計り、連絡先を紙に書いたら、年間パスを持ってそのまま特別展の入り口に行けばよかった。
 常設展示に行き、油滴天目さんにご挨拶。掌に宇宙、って、さわれないけど。ここに来ると、薄暗い天井の高いだだっ広い展示室で、自分が 大海の中のプランクトンになったような気がいつもするんだ。ことに今回のように、人が少ないと。
 博物館を出たら4時を回っていて、ササっと天神様に参拝し、ササっと梅が枝餅買って博多へ向かうバスに乗る。

 行きのバスは12%、帰りのバスは20%くらいの埋まり方である。
 太宰府参道も、日曜としては人が少ない。インバウンドと修学旅行がない。どこも人が多くない。全く密でない。
 「こんな時代だから」「おうち時間」「新しい日常」この3つを売り文句に使う商品は、私は断じて買わない。「自分と大切な人の命を守るため、責任ある行動を」? そんなのは、富士樹海とかビルの屋上の手すりの内側で宣伝されたし。ほとんどの人は死ぬ気などないし家族や友人に殺意などもたない。媒体費用を無駄遣いすべきではない。そう、私はゴキゲンな生活を送りながら怒っている。


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失敗しない、家庭で作るライスバーガー

2021年05月30日 | グルメ
◆たまに手作りハンバーガー
 ハンバーガーは自作した方がおいしいが、店で注文したらすぐ出てくるし安いので自作する人は多くないと思う。
 それでも、BLTサンドを素早く作るようになった私は、ハンバーガーもたまに作る。ハンバーグというか、パテと呼ばれている薄く焼かれた挽肉は、普通のハンバーグを作るときに、ついでに作っておくか、出来合いのハンバーグを薄く半分に切って使う。ビーフ100%などといって宣伝しているが、こだわる必要は全くない。牛肉が豚鶏より高いのは、ただ単に肥育コストの問題である。レタスやチーズも使い放題、スライストマトも使う。辛口にしたければ、タコス用のサルサソースをちょっとかければいい。ハンバーグさえあれば、大した手間はかからない。昔のソーセージマフィンのように、ボロニアソーセージといって売られているものを、ちょっとフライパンで温めて使うと、さらに手軽である。

◆菜摘サンドも作る
 モスバーガーに行くと、菜摘サンドといって、バンズを使わないで多めの菜っ葉に具を挟んだものが買える。おかずだけ食べるようなものだが、おいしいし、パン類を使うより糖質減となる。
 これを家庭で作ろうとすると、二辺が切れた四角い袋を用意することになる。家で食べるのならただ単に皿に盛れば済む話であるが、持ち歩きやすさはない。
 そこで、私は生春巻を使う。たっぷりの野菜とハンバーグとスライスチーズを霧吹きした生春巻で包むのだ。これなら食べていてもはみ出さない。多少糖質はあるが、バンズに比べれば微々たるものである。

◆ライスバーガーは生春巻使えば楽勝
 モスバーガーで結構昔からやってて、かなり後発のマクドナルドで最近終了したライスバーガー、ごはんバーガーといった、丸くて薄い焼きおにぎりに具を挟んだものは、家庭で作ろうとしても、収拾がつかないくらいバラバラになってしまうのは目に見えている。が、これも、生春巻で包めば問題解決だ。小さめに作った方が見栄えがする。グルテンフリーだし。
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それでも本を出した方がいい 多くの人に思いを伝えたいなら ただし注意深く

2021年05月26日 | 本について
順不同。
◆Facebookを見ていると、本をつくることに関する広告が多いのに驚く。
◆「ゼロ円で本ができる」という広告は本当か。
◆あなたの本を作りますという広告はどこまで信じたらいいのか。
◆版元としての原則を書く。出版とは、原稿を製品にする仕事である。
◆費用の高い安いは、全く同じ条件下での複数の業者を比較して、初めて判断できることである。
◆いろいろな広告が出ているが、安いと宣伝するところは、著者が自分でやらないといけない仕事が多い。つまりそれは特別に安いわけではない。
◆校正もリライトも必要ないきちんと編集された完璧な文字データを、ページ毎のレイアウト済みで持ち込めば、安いのは当然である。出版社の仕事のほとんどを本人がするからであるドゥーイットユアセルフ。「原稿の製品化」の部分について、お金の動きが発生しない、ということなのである。あなたの労力と時間を採算に入れなければの話だが、必要なときに必要なぶんだけ印刷製本するオンデマンド本の場合、ゼロ円となる。かかるのは一冊ごとの印刷製本代で、従来のように何百部何千部本をつくるよりは単価は高くなるが、在庫は抱えずに済む。
◆では、ゼロ円で本ができる広告主の業者は何で収益を得ているのか。オンデマンド本を印刷するときのマージンは知れている。発行部数がすごく少ないこともありうるだろう。
◆文章を読みやすく整え、目に優しいレイアウトをし、書店で手にとってレジに持って行ってもらいやすいデザインにする、ネット販売だと手に取るのは無理だが、面白さのほかに読みやすさに配慮していないとリピートは無理だろう。流通する商品たる製品のデータを作成するには技術が必要である。乱暴なたとえだが、学校技術家庭科と棚取り付け程度の日曜大工の経験者が材木と道具を与えられて、家具店で販売できるタンスを作るのに遠からずの作業となるかもしれない。
◆おそらくは、著者が、なんとか自分でやろうとしたものの、うまくデータがつくれない、美しくできないときに、業者に依頼するオプション作業に支払う金額で成り立っているのだと思う。
◆結果、従来の印刷出版業者に支払うくらいは製作費を負担することになるのではないか。
◆だから、自分でできることと、業者に頼みたいことをはっきりさせた上で、相見積もりするのが賢明である。
◆いろいろな業者のサービスの内容の表題だけ見るに、どこもそうべらぼうな経費を請求しているわけではなさそうだが、要するに、必要でないサービスは買わず、必要なサービスだけを買えばいいのである。
◆もちろん、同じ条件で比較して良心的な版元や業者とそうでない版元や業者は存在する。
◆あと得意不得意がある。よほど専門的な本を出したい場合、自分の出したい分野の本を出しているところを選ぶのが賢明である。
◆出版コンサルタントにお金を払ってその1割が商業出版にこぎつけているという広告を額面通りに読んでいいのなら、なかなかいい確率だと思う。途中で投げ出す人で儲けている商売かもしれないが、つまり、投げ出さなければいいのだ。
◆「今より収入を増やさなければならないあなたに」と出版を勧める広告!! 売れる原稿を増産できるようになるのは、投下した資本を回収できるのはいつか。とりあえず会社は辞めず、メルカリかヤフオクと並行してスタートされたし。もちろん書くべき(売るべき)何かがあればの話である。
◆まるで出版社がお金を出して刷る売れる本が簡単に書け収入になるととられかねない文面があれば、それは疑ってかかったほうがいい。
◆オンデマンド本にしてAmazonで売る。「出来栄えは遜色ありません」と書いてある。この本が書店に並んでたら、レジへ持っていこうと思うようなオンデマンド本を作ってくれる業者ならぜひお願いしたい。
◆著者の金銭的負担がまったくないのに紙の本ができる、いわゆる商業出版は、よほど中身が良い上に売れる見込みがないと実現しない。
◆どの出版社も、ベストセラー原稿を探している。それは決して多くはないから、コンクールをする。その告知広告のなかの「商業的な見地から全国出版に見合う作品を選出できない場合には本は出さない」の文言を見逃してはならない。そういうことだ。
◆本を書くのは、書きたい、伝えたいことがある人の特権である。
◆本を出すと決めて、準備にかかった人の多くは、私が会った限り、進化を始める。本にする、を実現する決意が、原稿をよりよいものにしていく。
◆自費であっても本は出したもの勝ちである。
◆小説家の販売努力を知っている。本を売って副業にする関門は狭い。
◆周囲の人が買いたいと思わない本は、売れない。身近な人は、あなたの本をお金を出して買いたいと思っているか。
◆販路(講演会、自分の授業)のあてがあれば、これはもう、本は自腹切ってでも、さっさと出した方がいい。レジュメを作る手間が減り、確実に売り上げが期待できる。
◆本を出すと、プロフィールに堂々と「絵本作家」「〇〇評論家」「小説家」「詩人」「〇〇研究家」「その他何かクリエイティブな職種の名など」+「著書に『〇〇〇〇』(〇〇出版)」などと書ける。自分の書いた本があれば「自称だよね」と揶揄されることはなくなる。
◆本は、伝えたいことがあれば、出したもの勝ちである。
◆本は読む人への真心からの長い手紙である。誰かがそれを読む。あなたの知らないところで。どこか遠くの町で。時が経っていても、端末がどんなバージョンアップをしようと、言語を解する人がいるかぎり、それを誰かが読むかもしれない。読む人は時を超えてあなたと会話する。不朽の魂を手に入れるに似たことが起きるのだ。
◆ああ長い。何て読みづらいんだ。また改訂したら、あちこちに貼ります。最後まで読んでくださりありがとうございました。
 気が向いたらまた。
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ネット広告玉石混淆というと石に失礼かもという説

2021年05月20日 | 日記
◆ネット広告はどのくらい信用できるのか。
 見ているサイトに入り込み、いやでも目に入る美容系、健康食品系広告の中には、いまどきこんなあからさまな誇大広告があるのかというものが散見される。ハリネズミのようにびっしりと黒い角栓のついた鼻の写真は、食欲がなくなるのでダイエットに効果があるかもしれない。「化粧やめる人続出」とか、「友人が驚くほど痩せてた、皺が消えてた、シミが消えてた、白髪が消えてた、簡単だよと言われて使ってみてビックリ……」ストーリーとか。真夜中のテレビ通販に十倍くらい輪をかけたような(個人の感想です)広告見てるとね、大丈夫かいな、と。

◆副業広告の読み方
 Facebook見てると、webライターで副業、中学高校で国語の教育受けてれば大丈夫、月10万とか30万得て自由になりましょう、好きな場所で働きましょう、という広告が何本か出てて、その下の方には「書く人が見つかる」という別の広告、20万人超のライターがいて1記事単価末端価格2000円からを払えば書いてもらえるという価格設定であるからして、月30万円の売り上げのためには、中間業者の取り分があるから150本をかなり超えた数の記事を書かないといけない計算になり、それは副業で可能かどうかは……答えは出ています。

◆ネットの世界は文明開化が終わったとこ
 まだ発展途上、大正時代なのかも、どんな有田ドラッグ?(昔の新聞広告には笑えるほどひどいものがあった)と、突っ込むところが多い。多分規制がない、あっても甘いか追いついてない、ということなのだと思っている。従来の媒体(紙とか電波)でこれをやってたら信じるか、が基準になると思う。

◆玉石混淆
 ニュースサイトに出てくるネット広告にも、全部とは言わないけど上記のようなお粗末な広告が出てくるので、ニュース自体の信憑性を疑っている。変な混ぜ物がないかと。だから私は新聞を読む。昨今新聞の悪口をいう人が多いが、自分の思想信条と一致する新聞などないものねだりである。だが少なくともネットニュースサイトよりは格段に無責任ではない。新聞の広告の審査は結構厳しい。値段がネット広告に比べて格段に高いから、新聞の品位を落とさないための審査ができるのである。
 ネット広告は安い。なにしろFacebookだと1日あたり100円前半コース(マジで!)から出稿できる。町の掲示板にポスターを貼ったり手書きチラシをコピーしてポスティングするよりも敷居が低い。
 審査があるというものの、この値段で売るのだから、せいぜいブラクラや犯罪サイトやエロサイトを踏むようなリンクが貼られてないかどうかのチエックくらいしかできないだろう。出稿者の良識に頼ったところがあるのではないか。
 Facebookが無料なのも、ニュースサイトアプリで無料でニュースを知ることができるのも、そういった広告収入あってのことなのですが。
 そういうわけで、ネット広告は割り引いて見ることが大事だと思います、きれいな図版や楽しいマンガでつくられていても、うまい話に課金しすぎないようにというお話でした。
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GWは、ヤボ用と仕事の合い間にランチと寄り道

2021年05月08日 | 日記
                        みんながマスクをしているから、映り込んでも大丈夫なの。

◆このサウンドはスピーカではない!と振り向けば高速サービスエリアでは、三角巾にエプロンの店舗スタッフが、少ない聴衆を前にピアノライヴ。思わぬところで生モーツァルト。

◆老舗ピッツァ
 山口市阿知須に行ったので、せっかくだからピッツァとパスタを食べに行く。ここはむかーし、宇部のビル地下にあって、オープンキッチンでヒラヒラと生地を広げるのを眺めてたころから行ってるいつものことながら繁盛している。隣のケーキ屋さんに寄ることも忘れない。

◆笠戸島名物は新幹線とヒラメ
 下松にも用があった。笠戸島でヒラメが食べられる唯一の店(昔は他にも店があった気がする)。海が見下ろせる席に案内してもらえてラッキー。ヒラメ定食を注文すると、透明感あるぷりぷりお刺身ヒラメ。期待してたカラ揚げヒラメはなく天ぷら(エビ天つき)があった。なぜかシャリアピンソースのかかったステーキもついていた。わかりやすいごちそうの盛り合わせに見えるが、軽く砕いたソラマメをメダル型に固めて天ぷらにしてあったり、付け合わせの人参がオレンジジュースで煮てあったり。デザートの抹茶ムースもきれいでおいしかったり。なんだかうれしいなあと思った。

◆牛味うどんスープ
 長門峡の道の駅でランチ。阿東和牛が売り物だが、前日のステーキで牛肉の限界効用がやや低下していたので、軽めに肉うどん定食にしてみた。普通のうどんにみりん醤油で煮た肉が載るよくある肉うどんと見た目は同じだけど、おつゆが脂を丁寧に除いた牛味スープだった。これも特筆に値する美味。
 脳内GPSを駆使して身内レンタカーを運転しまくった。

◆レトロの街
 帰りはJR。門司港に立ち寄った。
 電車を降りると、百年くらいは一気に時間が戻るレトロ地区だ。祝祭日気分満載である。めかりに向かうトロッコ列車は親子連れでほぼ満員。焼きカレーという名のカレードリア的な食べ物が名物らしいが、まだ食べたことはない。露天商もここでなら例年の売り上げが確保できるかもしれない。水先人の船が繋がっている。関門海峡は強制水先といって、総トン数と船種によっては必ず水先人が乗り込まなければならないのですと。

 で、福岡に帰れば机仕事机仕事机仕事
 ヤボ用と仕事にランチと寄り道の合いの手が入るのは、通常の連休と同じである。
 いつもの連休と違うのは、皆様がマスクしてることと、門司港以外で、まばら感がみられたことと、レストランの待ち時間がないこと、道の駅に駐車してある車に、遠方のナンバープレートがほとんどないことと、門司の出光美術館が臨時休館(これが目当てだったのに)していたことだ。
 
 あとは、販路がある限り仕事仕事仕事である。働かないと。

◆連休明けたら福岡県に緊急事態宣言って? 
 昨日の段階で、福岡県民約510万人のなかで、新型コロナ陽性か感染か発症したことのある人が2万5千人、約200人に1人といったところ。今現在入院と療養中の人は3646人、県民1400人に1人である。
 そう計算すると、これまで新型コロナに罹った知り合いは1人だけで、すでに退院して仕事に復帰している、あとは聞かないね、というのは、私の交際範囲が特別に狭いからというわけでもなさそうだ。
 緊急事態宣言といわれてもリアルで知り合いがほとんど罹っていない。ともかくマスクを通行手形に生活。

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