発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

戦後処理に備える

2022年01月29日 | 日記
 ポストコロナを想像するに震撼するしかない。
 去年から交通機関についてのさまざまな悲報が相次いでいる。高速バス運賃は上がり、バス路線は合理化という名の整理が進む。鉄道の割引企画などが次々に縮小や廃止となっている。
 去年は、距離100キロメートル台の出張が多かったが、この年末年始を除いて、特急電車も高速バスも、こりゃまずいと思えるくらい乗客がいなかった。天変地異以外で都市間交通が長期間やられるなど、想像したこともなかった。
 美術館博物館の入場料が上がっている。人が来ないといきなり存続の危機となる。
 オミクロン株は感染しやすいが重症化しにくいしくみを持ったウイルスで、これは僥倖である。今度こそ「間違いなく普通の風邪」で自宅7日間で復帰させるというのはそういうことだ。これでコロナ騒ぎはたぶん終わる。まあ、いつかは終わることだ。問題はそのあとだ。

 騒ぎが終わったら何もかもがいきなり元通りになるわけではあるまい。補償が止まった途端、生活がたちゆかなくなる人たちがいるのではないか。本当の恐怖はポストコロナから始まる。
 コロナ騒ぎで不可逆的かつ決定的なダメージを受けた人々は、真剣に検証をめるだろう。治験の済んでないワクチンを打った結果何が得られたのかも検証されるだろう。そこまでの緊急避難だったのか。情報操作は行われていなかったか。怯えていた人々も、あれは一体なんだったのかと考え始める。怒らなかった人々が怒りめる。いろいろな方向から検証も行われることだろう。訴訟もまるだろう。想像するに眩暈がする。
 本物の増税も容易に予想できる。ワクチンの費用は、病床確保の費用は、飲食店の休業補償は、そのほかの補償は、その莫大な費用をどうやってあとから埋め合わせするのか。誰もが影響を受けるから、よほどコロナ騒ぎで儲かった人以外は、検証に参加するだろう。
 それとともに、社会全体が貧しくなり、余裕がなくなる。
 それは仕方がなかったことなのか。それとも誰かが悪かったのか。
 怒るに値する問題は山ほどあり、それを見ようとしなかった人々も直面せざるを得なくなる。みものだと思っているのは、メディアがどんな「掌返し」をするのかということである。
 対策は? ひたすら働くだけだ。
 本当にひどいことはコロナが済んでからやってくる。ほんものの戦争よりはましだ、と思うしかない。
 戦争の教訓も、その他の事件の教訓も、ネット社会も、大して人間社会の進化の役に立たなかったという考えを段ボールに入れてラベルを貼って棚に置き、あとはひたすら働く。
 社会全体が貧しくなり、余裕がなくなるというのは、わが国に限られたことではない。ええっと、世界中が貧しくなると、何が起こっていましたっけ。頭を抱える暇などない。ひたすら働くのみ。
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仕事を進めなければ

2022年01月18日 | 日記
 今年も24分の1が済んだ。あっというまに終わる1年をあと何度繰り返し、どれだけのことができるのか。

 大したことはやってないのに「忙しい」と言うのは恥ずかしい。だが、さぼっているわけではないのに仕事の進捗が思うように行かないという意味で忙しい。だから怒っている暇などないのだけど怒っている。すごく怒っているのだが、ちょっと置いとかないといけない。仕事を進めなければ。

 古本屋で本を買う。前から欲しかった厚い本で、国会図書館のオンライン資料でも読めるものだが、入手する。古本といっても半端ない古さで、発刊から110年を超える明治の本である。話し言葉で書かれているので言語的には問題ない。しかも字が大きい。『耶馬渓紀行』復刻本発刊のときに、旧漢字には慣れているので無問題。すごく面白いのだが、ちょっと置いとかないといけない。仕事を進めなければ。

 ブログを書くのにもタイマーを使う。つまり10分以上連続して書かない。
 ごはんをおいしく食べ、よく眠り、健康を保つのも仕事を進めるためである。仕事を進めなければ、がすべてを整える。
 
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あけましておめでとうございます

2022年01月01日 | 日記
あけましておめでとうございます。画像は、とある道の駅にある「どこでもドア」。これを見てくださった以上、いつだってあなたに会える。

皆様にとって、よい1年になりますように。

もっとうまくなりたいと思うことが山ほどある。これまて生きてきた年数はとても生きられないくらいはわかる。ボーっとしてたら、あっというまに終わっちゃうね。さあ、まず、お雑煮を仕上げるとしますか。
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このイカれた世界の片隅で

2021年12月30日 | 日記
このイカレた世界の片隅で生きる
名もなく貧しくおまけに美しくもなく
正気を保つのにも決意が要るありさま

たまにひどく落ち込むが憂鬱にやられている暇もない

あのひとたちに私のかわりに
考えてもらうわけにはいかない
毎日それだけは確信する
持ち駒はあとどれだけ
どうする
こういうのも面白いじゃないか
肩をすくめるが
拳は握り締めている

怒らないで食い物にされる組には入らない
いつのまにか正気を失っている組にも入ってたまるか
問題は怒る暇がないことだ
だが考えるのを止めるな

このイカレた世界の片隅で生きる
今自分のいる場所をサンクチュアリとして
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『あれから七十六年』 近日発刊 難民は遠い国の見知らぬ人々のことではなく

2021年12月10日 | 本について
『あれから七十六年』ISBN978-4-901346-72-6 定価1650円(本体1500円+税)
◆難民は遠い国の見知らぬ人々のことではなく
 ネットを見ていると、難民にまつわるニュースや寄付を募るUNHCR国連難民高等弁務官事務所の広告が出てくる。気の毒にと思う人がほとんどだと思う。
 難民は、どこか遠い国の見知らぬ人々のことではない。76年前、戦争に負けて300万人をこえる日本人民間人が「引き揚げ者」と呼ばれる難民となった。住まいを失った上に、人々の多くはすぐには帰国できず、無法地帯と化した場所で、ほぼ自力で寒い冬を越さないといけなかった。満洲だけで100万人、赤ん坊から老人から、弱い人もお構いなしにである。
 ちばてつや氏の漫画などで紹介されているが、祖父とか曾祖父の年代では、日本人として、難民はそう珍しい話ではなかった。他人事ではない。  
「暴力と迫害から逃れて、険しい山道を越え、 ジャングルに隠れ、川を渡り、夜じゅう歩き続けて…。わたしたちは命がけで、 ひたすら安全な地へ急いだ。(ミャンマー/ロヒンギャ難民 )」
「現在、レバノンなどシリアの周辺国に避難しているシリア難民は約564万人※を超えています。これから訪れる冬の厳しい寒さは、着の身着のまま逃れてきた難民のすでに困窮している生活を容赦なく直撃し、特に幼い子どもたちや高齢者などは命の危険にさらされます。※2021年9月現在 」(いずれもUNHCRの広告記事より)
 過酷な状況に胸が痛むが、そっくりそのまま多くの日本人民間人が経験したというと、信じてもらえるだろうか。人々はどのように過ごし、どうやって港に向かい、船に乗り、帰国してどのようにして暮らしていったのか。今回は、二十二人の体験記を『あれから七十六年』として上梓する。



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鯛だしおでんを作ってみた

2021年12月02日 | グルメ
 寒くなってきました。そんなときはおでんですね。
 おでんについては、カレーライス、ハンバーグと同じくらい、各家庭千差万別の材料と作り方があるのだと思う。私とて作り方を決めているわけではない。だから単なる今回のおでんについて。
 なぜおでんを作ろうと思ったかというと、先日電車を降りたところにあった博多駅ホームの居酒屋(うどん屋ではない。期間限定らしい)のメニューに「鯛だしおでん」というのを見つけ、「あらおいしそうじゃないの」と思ったの。で、おととい、ハローデイ(主に福岡県で展開しているスーパー。30分ごとに4種類のオリジナルソングを放送する)で鯛のアラを買い(部位にもよるが、ここは、うろこが比較的きれいに取ってあり調理しやすい)酒と生姜とみりんと仕上げに醬油で炊いた、その鯛のスープを使っておでんを作るのはどうかしら、と。
 大根は切って面取りして電子レンジ、卵を茹でる鍋でこんにゃくも下茹で。
 野菜をたくさん食べたいので、今回はロールキャベツも入れる。芯を抜いたキャベツとお湯を入れた鍋を火にかけキャベツの葉を一枚一枚きれいに茹だった状態でむいていくのがこの調理で一番手のかかるところだけど、この場合ロールキャベツは主菜ではないので、使いかけのやや小さくなったキャベツでかまわない。
 中身は、通常のロールキャベツと同じく普通のハンバーグ種でもいいけど、和風に鶏つくね風の種で作ってみた。鶏ひき肉と玉ねぎと長ねぎと生姜のみじん切りと醤油少しをよく混ぜてお団子にして、キャベツで巻き巻き。
 で、鯛スープを漉して、それに白だしと酒とみりんと醤油を加えた濃いめのうどんつゆ的なものを作り、保温鍋に入れて温め、大根、こんにゃく、厚揚げ、ゆで卵、ロールキャベツを投入する。卵とロールキャベツは寝る前に引き上げ、残りはそのまま保温鍋で一晩置いとく。
 翌朝、大根とこんにゃくの半分とスープを少し引き上げ、冷蔵庫に(これは追加用。鍋のスペースを空けるのと、煮すぎグダグダ大根を防止するため)。鍋の空いたところにざっとお湯で洗った練り物とゆで卵とロールキャベツを入れて少し煮る。仕上げにがんもどきなどのすぐ煮える具を入れたらできあがり。
 鯛だしは、大正解でした。お試しください。


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フェス会場に、お帰りなさいませ

2021年10月13日 | 物見遊山
◆「皆さま、ライブ会場に、お帰りなさいませ」
 かりゆし58ボーカルの前川慎吾は、ステージに立ち開口一番こう聴衆に呼び掛けた。
 久留米百年公園の野外フェス。日なたは暑いけど、いい風が吹いてる。ロックシーンに詳しいわけではないが、FM局の案内メールに誘われて久留米まで車を走らせた。来てたアーチストのなかで、かりゆし58は、私でも名前と曲が一致する。2012年の映画「愛と誠(実写版)」(笑えるバイオレンス映画。昭和歌謡満載)のエンディングテーマを歌っていて知った。
 優先観覧席にはパイプ椅子が並んでいて、一つ置きに座る。しかも、ワンステージごと客の総入れ替えを行う。客が退場した後に座席を消毒する。入場の際はLINEの友達登録が必要で、マスクも必須。歓声禁止。何と不自由な集会の自由であることか。しかし、現時点では、これが精いっぱいで、この品行方正なロックフェスが成功したなら、次のイベントも開けるということなのであろう。
 歌はもちろんだが、毎日稽古しなければあのギターとドラムはとても無理だと素人にもわかる。去年から、何度もライブが中止になった。中止延期中止延期の繰り返しの中、ずっと練習してきたのだ。本当に今回開催されるのか? また突然の中止になるのではないか? 不安の中で今日を迎えたに違いないのだ。そして、すごく喜んでいるのだ。今のこの一瞬を。聴衆も同じだ。歓声は禁じられても、手拍子は自粛しない。無事開催。よかったね。
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専門家ということばについて

2021年09月08日 | 日記

😨 ◆専門家?
 近ごろのニュース。テレビはほとんど見ないのであるが、ラジオは車で聞くし、ホテルの朝のダイニングではテレビがあれば大概はニュースを映している。
 どの道も大して極めていない者としては、ある分野で生き字引的に秀でている人々に敬意をいだかざるを得ないのであるが、「専門家は、このように言っています」と、ニュースで当然のように言っていると、あれ?と違和感を覚える。
 よほどレアなものを除いた、ほとんどの専門分野において、それを専門とする人はひとかたまりいて、派閥などもあるだろう。彼らの意見がまったく同じということがあるだろうか。多分なかろうな。
 だから「専門家は」という主語の使い方には注意が必要だ。「専門家には、こういう意見もある」、少なくとも「専門家の○○さんは、こう言っている」、できれば、他の専門家の異論も紹介すべきであるし、少なくともその道の専門家の総意であると思わせかねない表現は避けるべきであろう。
 恣意的な世論誘導のニホヒを微かに感じる私は、ひねくれているが、これは、ひねくれ者の総意ではない、と書いとこう。
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2021年夏 敢えて動民

2021年09月03日 | 日記
 夏の仕事旅が終わった。9月になってた。仕事を自粛していたら商売ひいては生活が傾く。この夏は何回かに分けて遠出していた。バラバラにお泊り8回。その間に仕事として戦争について書いた。どうも「平和ボケ」という言葉は間違った用法で使われている気がする。ホテルに帰ると FMの音楽を聴きながら紅茶をいれ、仕事のまとめをしてオレンジかグレープフルーツを食べて、バタンキューである。ひとりでラジオを聴くと、よく聴くが題名は知らない曲の題名がわかる。あの曲はヘンデルではなく20世紀にモリコーネの作った映画音楽で「ガブリエルのオーボエ」だというのがわかったのは収穫であった。晩ご飯は、ホテルはおろかファミレスすら早じまいするのには参ったが、おかげで体重を増やさずに済んだ。朝はパキッと目が覚める。朝食は、例年の夏とは様変わりし、見るからに仕事の大人ばかりが急いで食べていて、若者や子連れ家族などはほとんどみられなかった。帰りの電車で読もうと本を買うと、それは「おすすめの本」なのでおまけがつきます、と、雑誌の付録のトートバッグをくれた。ポケット付きのエヴァンゲリオンバッグで、その後結構重宝している。夏前半は晴れた日が続き日焼け止めにも関わらず日に焼けた。腕時計の跡がハッキリクッキリである。後半は悪天候にたたられ、いつも目的地に時間通りに行けるか帰れるかを気にしていないといけなかった。かなり無理をしたが、病気もしなかった。オリンピックもいつのまにか終わっていた。パラリンピックはいつ始まったのか。仕事にかこつけて物見遊山と行きたいところだが、そうは問屋がおろさない。それでも、乗ったことのないバスや電車に乗り、どこか遠くの町や海や山や空を眺めていると気が晴れる。ただ乗り物はいつもこれはまずいと思うくらい空いていた。敢えて動民をしていたが、全く3密の1密もなかった。バスの窓から見える観光地も、夏休みがこれってどうよ?どこもかしこもよほどやり方が下手なわけでもなかろうに。少しずつ怒りがわいてくる。そんなばかな。怒らないのはこの場合美徳ではない。もちろん日々元気に暮らしている。寝る前喉に少し違和感があっても朝には治っている。仕事に追われながらも、にこやかに過ごしている。ゆうべのおかずもおいしくできた。博多駅では、SFじみた緊急事態宣言広告でいっぱい、ではなく、バカリズムが青いサルの着ぐるみで楽しく踊る転職サイトの広告が柱ごとに繰り返し展開されていた。これがマーケットの判断だ。緊急事態宣言は私たちを守るものではないということだ。そして、誰が何と言おうと働けと。
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ボイコットという言葉はこういうときのためにあるのかも

2021年08月11日 | 日記
◆まあその程度だと言えばその程度なのだが
 テレ朝社員がカラオケ屋で酒宴を行い、けが人が出たというニュース。
 ああそうですか。
 テレビ朝日の社員も、いつぞやの議員や、いつぞやの役人と同じように、コロナ大したことないと思っているのでしょうが、コロナ危機を一番喧伝していたのはテレ朝のモーニングショーだと聞いているのですが、そうですか。
 テレ朝の社員ってことは、安定した職種で、ノーフューチャーな無頼者の集団ではない。命が惜しい人々の集合であると思われる。
 つまり、やっぱり、新型コロナは、モーニングショーが危機を喧伝するほどには、大ごとではないのだ。恣意的な情報操作が行われている。これは、そろそろ決めつけていいのではないかと思っている。
 善良な人々よ、怒るときがきた。あなたからいろいろなものを奪ってきた疫病だが、奪っていたのは疫病だけでなく、テレビ局の視聴率稼ぎの煽り、情報操作の部分があるかもしれない。そう思ってテレビを見るか、いっそテレビを、映画再生装置にしたほうがいいかもしれない。スポンサー企業で、今回の疫病で利益を多かれ少なかれ奪われたところは、少なくとも、酒宴を行ったテレビ局の番組提供は、しない方が賢いだろう。ボイコットとはこういうときのためにある。
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