発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

新刊『月形洗蔵 薩長連合その先駆者の生涯 』

2021年02月07日 | 本について
月形洗蔵 薩長連合その先駆者の生涯 』
 元治元年十月、筑前藩主黒田長溥による長州周旋の続行が決まる。長溥は月形に対長州工作の指揮を命じ、それは後の薩摩長州連合の嚆矢となる。三条実美ら尊攘五卿、高杉晋作、西郷隆盛、木戸孝允、土方久元、中岡慎太郎、早川勇、渡辺昇、野村望東尼ら多くの人々との関わりにより全ての礎となるも、慶応元年の「乙丑の獄」により筑前勤皇党は壊滅、月形は謹慎、九月入牢、十月に斬首となる。「薩長連合」の正史を知る一冊。

 A5判 上製 304頁+巻頭カラー口絵
ISBN978-4-901346-68-9 定価 本体3,000円+消費税
令和3年2月より、順次配本開始。

 もう12年になるのか。小社「九州文化図録撰書(街道シリーズ)」の『筑前維新の道』を上梓したのは。当時から「幕末から明治維新の話に、なぜ長州や薩摩でなく福岡?」と言われることは少なくなかった。薩長連合のためにどんなに筑前の人々が尽力したかを知っておいて欲しい。その後、花乱社から、谷川佳枝子氏による『野村望東尼』を出版。また、太宰府天満宮宝物殿で太宰府幕末展が開催され、それにつれて、徐々に売れていった。
 京都の二度の政変で決定的になった長州薩摩の間の亀裂を修復しようと尽力したのは筑前藩主の命で行動した月形洗蔵を中心とする筑前勤皇党の藩士たちである。
 この本は福岡に軸足を置いて活動した月形洗蔵を中心に追った伝記である。膨大な一次資料を分析して執筆された力作である。巻末の年表で月形に関わる人々と動向を見ていただくだけで、並みではない努力を読み取っていただけると思う。また、巻頭のカラー口絵で、関連文書や絵画、現代の遺構の写真などを紹介しているので併せてご覧いただきたい。
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『月形洗蔵』本当に近日発刊。

2021年02月05日 | 本について
◆新刊ですよ
 印刷製本段階で紆余曲折が生じたものの、それは白鳥の湖の水面下のお話。さきほど印刷会社から納品日の連絡があり、脳内にはチャイコフスキー第5交響曲第4楽章が響き渡る。納品されれば白雪姫アニメの歌を「配本~配本~♪」と歌いながらしばらくは段ボールにまみれる生活となる。

 自分の能力を最大限に使い、薩長連合の礎石となったものの、栄光なきまま死罪とされてしまった筑前勤皇党の月形洗蔵の伝記である。

◆「幕末プロジェクトX」、あるいは「栄光なき天才たち筑前編」
 例えれば、こんな話(?)である。もっとまっとうな解説は後日。
 F社(筑前福岡藩)中間管理職T(月形)は、あるとき犬猿の仲であったS社(薩摩藩、もともと社長はここの経営者一族の出身である)とC社(長州藩、響灘を挟んだお隣の会社で仲が良かった)を仲直りさせろ、という無茶なプロジェクトを社長(筑前藩主黒田長溥)から仰せつかり、社長を尊敬していたので、使命感を背負って奮闘努力して成功を収めた。その間にはC社内にもあった激しい派閥争い(俗論派と正義派)や、S社のカリスマ敏腕部長(西郷隆盛)などの話も当然絡む。ところが困難なプロジェクトを完遂したものの、それがやっぱり親会社(江戸幕府)の逆鱗に触れるのではないかとビビった社長に自分の属している派閥ごと首を切られてしまう。
 これが武士の世界なので、本当の斬首となるのだ。
 そのプロジェクト大成功については、その後、年金や勲章をもらったり、あの渋沢栄一や土方久元に褒めてもらったりして、子孫や縁者は罪人の係累の不名誉を味あわずにすんだ。
 だが、解雇(斬首)されるときTが叫んだ通り、F社はその後グダグダとなる。
 後からやってきたベンチャー企業の社長の話がビジネス小説として売れたため、そちらの方が有名になってしまい、真のレジェンドたるTの功績を知る人は多くない。

◆歴史人物のヴィジュアルについて
 なんで司馬遼太郎が『竜馬が行く』を書いたかというと、名前とヴィジュアルにかなりインスパイアされて構想が広がったのだと思う。薩長のために歩きまくった中岡慎太郎、彼の評価は山口でもっと高くていいと思っているのだけど『慎太郎が行く』ではいまいちだったのかな。
 今回、ご子孫の監修で月形洗蔵のヴィジュアルを用意した。これにインスパイアされて歴史小説となってくれればいいなと思っている。

 これは古写真ではなく初公開なので、フリードメインではないから、お取り扱いには注意を要します。

 それにしても、月形洗蔵、往年の時代劇映画のヒーロー、月形半平太(の月形は、この月形洗蔵の月形、半平太は土佐の武市半平太からとったのだそう)よりも、さらにキリっとしてカッコいい名前だと思う。
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原稿書かずに、格安で、自分だけの本を1,000冊つくる方法?

2021年02月02日 | 本について
◆本をつくりたいなら
 近ごろ、Facebookを見てると、よく見る自費出版のご案内広告。大手版元も見かける。たぶん読書関連のグループメンバーに配信しているのだと思う。
 版元の仕事を6文字であらわすと「原稿の商品化」である。
 本を大手出版でつくるとこのくらい。これだと1000部刷っても1冊あたりの値段が、だいたい書店での実売価格くらいである。つまり「依頼者が自分の本全1000冊を本屋さんで自分で買った場合」のお値段が設定されている。
 それでも大手出版のクオリティーとブランドがついているのはよいことだと版元は思う。本は出したもの勝ちである。だがこのお値段は敷居が高い、自費出版でなかなか利益が出るものではないが、それにしても直売でさえ原価割れするというのはつらいと思われるなら、書店で品質の良い地元本の業者を探し、相見積もりを取れば、ずっと安くできる。

◆オリジナルブックカバーで、原稿書かずに自分の本が作れる?
 のぶ工房は、装丁大好きすぎる装丁家がいるので、カバーのみ作って欲しいというリクエストにもお答えできる。本屋さんで売られているのに遜色ない(だって売る本をつくってるから)オリジナルカバーが作れる。例えば、本なり手帳なり辞典なりアルバムなり、何かの記念品として、本の体裁を持つものを配るとき、オリジナルのカバーをつけることができる。

◆記念品に書店品質を
 〇〇会社〇〇周年とか、〇山〇夫古希記念とか、冠婚葬祭の記念品とか。好きな言葉をタイトルにすることもできるし、写真やイラストも入れられる。〇〇周年など、記念誌をつくるところもあるが、それほどのことはしないときも、記念品にオリジナルカバーがついていると楽しいのではないかと思う。ご相談どうぞ。これなら原稿書かずに、格安で、自分だけの本を1,000冊つくれる(………というのかな?)。

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新刊 『あれから七十五年』

2020年11月13日 | 本について

◆新刊

『あれから七十五年』1500円+税 順次配本中。


 引揚と援護、双方に関わった人々の手記。

 博多港に4人の子供とともに上陸した母親は「ああ、これで誰も死なせずに済む」 と思った。
 終戦とともに、「外地」に生活基盤を置いていた人々の環境は一変した。敗戦国民として日本に帰らないといけなくなったのだ。

 「『日本人は乗車させぬ』と切符を取り上げられ」

「兄の暖かだった体は次第に冷たくなり」

 「途中、小さな子がいなくなっていました。迷惑をかけるからとどうにかしたらしいです。とてもかわいそうでした」 

「母は奥様と呼ばれていたプライドを捨て、私たちを助けるために物乞いをする決心をしました」

「着物がわりのゴザを纏い」


 本書では、
 朝鮮は、元山、釜山、京城、恵山鎮、鎮海、清津、全州からの引き揚げ
 満洲は、奉天、新京、哈爾濱、暉春からの引き揚げを扱っています。

 援護は、検疫、送出、税関、日赤看護婦、地元学生有志、聖福寮(福岡友の会や福岡女学院有志)、医療援護(聖福病院…現在の浜の町病院、千早病院の前身)、そして二日市保養所と記念碑のことなどについて紹介しています。

 昔の中学の国語の教科書に、「ひと切れのパン」という、ユダヤ人が収容所に向かう列車から脱出して命からがら家へ向かう短編が載っていましたが、ほぼそれに近い危険を冒して帰還した人も少なくはありません。たまたま出会えた現地の友人の助けを借りて、死線から脱出する人の話、八路軍と国府軍の激しい市街戦。戦争とは何か、生きる力とはなにか、考えさせられます。
 難民というと、どこか遠い紛争国のことのような響きがありますが、日本人の民間人300万人の引き揚げは、まさに難民といえました。
 そして、引揚者援護をした人々。何もかも足りず混乱のさなかにある敗戦国の焼け跡で、愛と思いやりと行動力を発揮して、問題解決に奮闘した人々がいたことも、私たちは記憶にとどめておかなければいけないでしょう。
 そんな体験記の新刊です。

山本 高子 (著), 朝山 紀美 (著), 鹿野 純夫 (著), 波多江 興輔 (著), 中原 尚子 (著), 遠藤 美都子 (著), 永井 千夜子 (著), 村上 百合子 (著), 村松 雅江 (著), 泉 静子 (著), 上村 陽一郎 (著), 三宅 一美 (著), 大塚 政治 (著), 清水 精吾 (著), 納富 寛 (著), 山田 典子 (著), 糸山 泰夫 (著), 武末 種元 (著), 石賀 信子 (著), 山本 良健 (著), 秦 禎三 (著), 児島 敬三 (著), 堀田 広治 (著), 堀田広治 (監修), 博多港引揚げを考える会 (編集), 松崎直子 (イラスト)

 先の戦争が侵略だったのか進出だったのか、軍部の暴走がひきおこしたものか、欧米列強が自分のことは棚に上げて日本の海外進出を批判し日本を戦争に追い込んだのか、結果としてアジア諸国の独立をもたらしたのか、はた迷惑だったのか、そんな話は横に置いときましょう。この本では、あの戦争がもたらした民間人の辛い旅と、問題解決に動いた人々の話をご紹介しています。

 これらの本は、6冊目、のぶ工房が関わったのは4冊目ですが、この本の資金は「引揚げ港博多を考える集い」(多くは引揚げ者、今は老人たち)、のポケットマネーから出ています(あとは版元の労力手出しなので、売れてくれないと大赤字です、買ってね)。メンバーの思想信条はそれぞれです。共通しているのは、戦争はなかなか終わってはくれない(大陸にいた人々にとっては、むしろ八月からが戦争だった、しかも満洲や北朝鮮などで収入の手段が断たれたまま家を追われて冬を越さないといけなかった人々が多々あった)、自力で命がけで帰ってきた、という経験の記憶なのです。


 取り扱い書店は
◆福岡市
 紀伊國屋書店福岡本店
 丸善博多店
 ジュンク堂書店福岡店
◆宗像市
 うどう書店
◆飯塚市
 元野木書店
◆直方市
 いいの弘文堂
◆北九州市
 喜久屋書店小倉店
 ブックセンタークエスト小倉本店
 宗文堂書店
◆下関市
 梓書店 

 順次配本中。書店になければ注文すれば入ります。「地方小出版扱いの本」です。Amazonで購入する方はこちらのリンクを。

 直接お申し込みは

 お電話◆092-531-6353

 ファクシミリ◆092-624-1666

 メール◆fuyuharu3529@yahoo.co.jpへどうぞ。


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運命の人にまつわるエトセトラ

2020年11月05日 | 本について
◆オルフェウスの窓
 池田理代子のコミックのタイトル「オルフェウスの窓」は、お話に出てくるドイツの男子向け音楽学校の古い塔の窓のことで、オルフェウスとエウリディケの神話に習い、そこから最初に見た女性と運命的な恋に落ちるが悲恋に終わる伝説がある。
 男子2名が共通の女子1名(わけあって男装しその学校にいる)をそこから見てしまった。その3人の運命を縦軸に枝葉いっぱいでドラマが進行する。彼らは学園の伝説に刷り込まれて恋に落ちたのか、それとも本当に魔力のある窓だったのか。
 男子修道会の付属学校で、滅多に女子にはお目にかかれないから、女性が通りかかったら即運命の人というのも必然であるが、その学校の出入り業者に女性がいるなら、それは危険極まりない業務ではありますまいか。
◆君の運命の人
 運命の人? ベートーヴェンでしょう!
 それはさておき、「君の運命の人」という文字列を見れば、商業施設で去年からヘビロテの歌「プリテンダー」のメロディーが浮かぶ。綺麗な女の子と交際にこぎつけたが相手はあまり気乗りしないようで大好きだけどお別れしようといった歌詞だ。
 彼女はもっとドンピシャな相手との交際や恋愛を望んでいる、のなら、他の人とデートしてる場合なのだろうか。
 運命の人ってなんだ?
 人生のなかで会えるのか? 
◆海に降る雪
 「(今は)恋愛にとって苛酷な時代」と、40年以上前から言う人がいた。畑山博だったか。今好転したとは言い難い。彼の『海に降る雪』という小説は、都会で孤独に暮らしていた男女、身寄りのない男子と、郷里に毒親近所にセクハラ義兄ありの女子が出会ってボロボロになって別れるというお話だが、ハッピーな日々を暗転させるトリガーは、彼氏が押し入れの中の彼女の日記を読んでしまったところからだった。で、帰宅した彼女を思いっ切りなじるのだ。ダメねぇ。
 現在進行でないことに関しては知ってしまっても知らんぷりしないと不幸を招く、というご教訓が得られる。読書って大事ね。
◆めでたくない「結婚行進曲」
 と書いたところで思い出したのは、ワーグナーの「結婚行進曲」、すなわち歌劇「ローエングリン」の「婚礼の合唱」である。このオペラは全曲聞いたことはないが、そのなかの「エルザの大聖堂への行列」という有名な曲をコンサートで聞く機会があり、そもそもどんなお話なのか調べてみたら、新婦が新郎の秘密をしつこく聞き出したために、結末で新郎が逃げ出し、新婦は死んでしまうという、まったくめでたくない物語と知った。
 結婚にこぎつければそれは運命の人なのだが。
 なんでまた、こんな不吉きわまりない(笑)「婚礼の合唱」が華燭の典で演奏されるのかとずっと疑問に思っていたが、『海に降る雪』について書いていて思った。
 つまり、相手が教えたくないことを知ろうとすると簡単に壊れる関係なのだという警告をもってこの曲で祝福するということなのかしらと。いやそこまで深く考えて使われてはいないと思うが「ローエングリン」のお話を知っていて、彼または彼女の内緒の過去を知る出席者は、結婚行進曲に少し苦笑いするのかもしれない。
 
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もし、あなたが閉塞感にとらわれているのなら

2020年08月02日 | 本について

◆愛に地球は救えるかどうかは定かではないが、読書は人類を救う(……と版元だから言ってみる)

 もし、あなたが閉塞感にとらわれて苦しんでいるのなら、スマホを切りPCを閉じテレビを消して、可能なら、好きな飲み物と好きな音楽を用意して一番家で居心地のいい場所で紙の本を読もう。無理なら、どこか居心地のいい場所を探して、他人の目が気になるのなら、本に好みのカバーをかけて、本を読もう。見知らぬなんびとにも、あなたの思想、信条、感情、意識を覗き込むことを許さない。それが紙の本だ。読めるだけの明かりがあればいい。バージョンアップも電池切れも関係ない世界で、誰にも管理干渉されない考えを巡らす。どんなスーパーハッカーも、紙の本を読むあなたの頭には入って来れない。少なくとも、自分の考えの全てを有償無償でどこかの誰かに売り渡すことは拒否していられる。それが魂の自由だということを感じることができれば、自分を支配しているのは自分だと体感できれば、そのとき閉塞感は消えているだろう。

 だから今日もわたしは、この小さな工房で本をつくっている。誰かの精神の自由のために。

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FACTFULNESS

2020年01月09日 | 本について

◆世界を正しく見ることができるのか

 去年読んだ最後の本が『FACTFULNESS10の思い込みを乗り越え、データを基に、世界を正しく見る習慣」。書店にあった本のPOPには「あなたの常識は20年前で止まっている」と書いてあって、ギクっとする。なんとビル・ゲイツさん、オバマさんの推薦文もついている。ビル・ゲイツさんに至っては、この本が読みたいという学生全員にプレゼントしたらしい。なんだかすごいじゃないか。400ページもあるけど、君は読むか、僕は読むぞ、と読んでみた。頭の半分はスッキリした。中村哲さんは公衆衛生的に正しかった。でも頭の半分はスッキリするものではなかった。悪いのは本ではない。

◆なぜデータの隠蔽や、忖度の付加が悪いかということ。

 この本は、ある特定のことに関する考えを啓蒙しようするのではなく、考え方についての問題提起である。情報やデータを読み間違えないための知識である。スッキリしないのは、この本とは関係なく、何か良くないことが起きていると私が思ったせいだ。こういう本は、データや情報が意図的に操作されていないものである、という前提のもとでないと成り立たない。

「これはおそらく忖度された情報であるので、額面通りに解釈せず、割り引いて考えるべきだな」と思うことが増えた。行間から漂うご都合主義を読みとるのはひねくれ者の得意分野だが、ただ、どの程度忖度されているのか。それを各々が勝手に考えなければならないので、得られる判断は個人の見解要素からさらに、てんでバラバラになる。また、少ないデータは貧弱な見解をもたらす。混乱を招く。

 だからデータ隠蔽や情報操作についてはもっと怒るべきなのである。

 さらに悪いことには、その混乱した方向というのは、かならずしも忖度やデータ隠蔽をおこなったひとたちが誘導しようとする、つまり彼らが思っている「正しい」方向とは限らず、もっと思いがけない悪い結果をもたらすかもしれないと私は思うのだ。

 この本を読んで、私は、世界を正しく見ることの困難さを思い知らされたのであった。それでも、あのひとたちの気づかない分野で事実を読みとることはできるはずだ。われわれは試されている。

 で、私はつぶやく。「やっぱ、野生のカンだぜ、イェイっ!!」

 

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で、私の祖先は幕末維新の時期、一体何をしていたのだろう

2019年07月20日 | 本について
◆幕末から明治六年までの、筑前宗像郡のある百姓の目から見た世の中


 新刊『百姓組頭・井上勝次』発売中。写真は福間駅前の伊原書店。

 幕末は、時代小説や歴史小説や時代劇でよく取り上げられるテーマである。坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、桂小五郎、西郷隆盛、大久保利通、勝海舟、近藤勇、土方歳三……ちょっと思いつくだけでもたくさん名前が出てくる。いろいろなお話にヒーローとして何度も登場し、さまざまな方向から活躍に光が当てられている。そういうものを読んだり見たりしていて、ふと、こう思ったことはないだろうか。

 で、私の祖先は幕末維新の時期、一体何をしていたのだろう。

 江戸時代のご先祖は、両親あるいは祖父母あるいは曾祖父母の生家周辺で、主に一次産業に従事していた、という人が一番多いのではないか。この本では宗像郡の人々がどのように暮らしていたのかが丁寧に描かれているが普通に生計を立てることの困難さに目をみはる。天候によっては働き者であっても命を落とすのだが、ともかく勤勉でないと生きられない。厳しい時代の中を懸命に生きのびた人々の末裔であることは誇るに足ることである。     
 
 明治維新は、近郷一の知識人をして「これから何が起こるのかわからん」と言わしめる事態だった。歴史に翻弄される人々は、村の人々に限らない。戊辰戦争にかりだされる武士団が話に登場する。彼らとて、何が起こっているのかよくわかっていない。

◆人生の選択、世の中を選択
 江戸時代の人々の人生と、現代との一番の違いは、個人的選択の範囲である。彼らの生き方は、生まれたときから定められている。縛りが多い。主人公が農閑期の副業として宿場間の運送業(馬子)を開始するにあたっての手続きの煩雑さに驚く。所属の村庄屋を伴って、宿場担当の庄屋を訪問しないといけなかった。

 明治維新は、実は自分で生き方を選べる時代のはじまりだったのである。あのころ、四民平等とはそういうことだ、と、教えてくれる人はいなかったし、いたとして、200年以上続いた価値観の呪縛から解放されるのには時間がかかったはずだ。だから、悪いことばかり起きていると多くの人が思ったのは想像にかたくない。

 今は、一揆を起こさずとも、投票で世の中の方向性を決めることができる。すくなくともデモよりも投票の方がはるかに効力が大きい。なのに投票率は低い。ここに何度も書いてきたが、何度でも書く。昭和のはじめまで貧乏人には投票権はなかった。だから軽んじられていた。戦争が終わるまで女性には投票権はなかった。だから軽んじられていた。投票しない層は軽んじられる。それをよしとするのか?

 ところで、明治になる前に、普通選挙を提言していた人物が日本にいた。あまり知られていないが赤松小三郎。この先進性はどうだろう。暗殺されなければ、憲政も普通選挙ももっと早かったかも知れない。

 

                                        

 

 
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広告出稿

2019年06月05日 | 本について
6月5日西日本新聞朝刊一面全三段


◆新刊は『百姓組頭 井上勝次』
『笑顔の認知症』は、好評販売中。
 さて、来月の新刊の告知をしています。筑前の幕末維新時期、武士というか支配階級の人たちは、大混乱していました。財政難、金融政策の失敗、筑前勤王党の粛正、人材不足、贋札騒ぎなど「それだけならまだいいがッ」案件のオンパレード。
 そんななか、私たちの多くの祖先であるところの農村漁村の人たちは、どんな暮らしをしていたのか、なぜ明治六年に筑前国で10万人とも30万人とも言われる人が蜂起したのか。この小説では、宗像郡のある百姓を中心に、丁寧に追って行きます。
 助け合いながら骨惜しみすることなく働き、それでも年貢に持っていかれ、暮らし向きは楽にならない。不作で餓死者が出るなど想像できるだろうか。村の鎮守の祭りは、収穫への切実な祈りなのだ。
 明治になったらしいが、何が変わるのか。税は重い、徴兵だと?学制だと?働き手はどうなる? 四民平等、何がどうなる? 生活は苦しい。
 全国的に大混乱だったことは想像にかたくないが、上層部が特に混乱していたのが筑前だった。
 ある村人は言った。「明治ちゃあ飢饉のことばい」
 お上は自分たちのことは何も考えてはいない。長い間おとなしく忍従してきた人々の怒りが発火点に達した。
 そして悲劇が起こる。
 仲間や家族を守ろうとした男がいた。これは、誇るべきあなたの祖先の物話、かもしれない。

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どんな本でも出せるのですが

2019年05月07日 | 本について
◆どんな本でも出せるのですが
 さて、私は、連休中ほぼ働いていた。お受けしたお仕事は進めとかないとおおごとする。地道な作業はつづくよどこまでも。そんな仕事をしながら、ときどき思うのは、そういえば、出そうと思えば自分のどんな本も出せるんだよなあ、ということだ。
 高校時代、知人友人が、グループや個人でタイプ印刷の詩集冊子を出していた。当時一冊100円くらいの価格設定だったか。大学時代に出した友人もいる。今の少年少女に詩を書くひとたちはいるのだろうか。昔は結構多かった気がする。
 私は詩は書いていたが、文芸部には所属していなかった。文芸部は文学少女の集まりで、彼女ら比にしてしまうと、ろくすっぽ本を読んでない当時の私には敷居の高いところであった。たまに雑誌に投稿して図書券を貰っていた。知人の100円詩集についての詩が学年誌に掲載され選者田村隆一氏のお褒めの言葉とともに図書券を貰うという「わらしべ」体験もした。学年が違う人たちだったので、私が「感想文」を発表したことも伝わっていないのかもしれない。
 その後紆余九十九曲折を経て版元となり今日に至るわけだが、そういえば「自分の詩集を出したくて出版社をはじめた」という人々は少なからずいる。
 福岡でも文芸路線の出版社K社の代表者Tさんは詩集を何冊も出している。何年か前全国ネットで自費出版専門出版をしていたS社が急成長ののち倒産したが、そこの代表者も自分の個人詩集を出すためにその会社を立ち上げたと読んだことがある。
 版元の仕事というのは、10文字で表すと「原稿を商品化すること」である。知り合いや身内に配ればそれで終了の立派な装幀の本、というのもありなんだろうけど、売るつもりでつくらないと読んでもらえないというのも事実なのだ。お客様にもそう言う。商品となりうるコンテンツとしての詩というのを、どれだけ集められるのだろう。版元してるからには、自分の本を出す敷居はすごく低いのだけど、買ってくれるひとがいなさそうな詩集は、出しにくい。
 おっと、そんなことより、幕末ものの楽しい本を出すんじゃなかったの?それを出すためには、目の前の仕事をやってしまわないと。
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