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シャイリーン・ウッドリー、テオ・ジェームス、ジェイ・コートニー、
アシュレイ・ジャッド、マイルズ・テラー。
*
舞台は、およそ100年後のシカゴ。
文明は破壊され、人々は「高潔」「博学」「勇敢」「平和」「無欲」の
5つのグループ(派閥)に仕分けられて秩序を保っている。
主人公のビアトリス・プライアー(シャイリーン・ウッドリー)は、無欲の一家で、
母、ナタリー(アシュレイ・ジャッド)、父、アンドリュー(トニー・ゴールドウィン)、
弟、ケイレブ(アンセル・エルゴート)と暮らしている。
子供たちは16歳になると適性の判別を受けたのち、どの派閥に属するかを決める。
属性は親と同じになることが多いが、異なることもある。
また、大体は適性判断の通りの派閥を選ぶが、自由意思で違う派閥を選ぶこともできる。
ビアトリスとケイレブは適性判断に向かった。
ビアトリスは試験官のトリ(マギーQ)に首元に注射され催眠状態に入る。
そこで見た幻覚への対応で適性がわかるのだ。
幻覚から覚めると、トリは診断結果をなかなか言わない。
ビアトリスが聞くと結果ははっきりしないという。
「博学」「勇敢」にも適性があるが、手入力で「無欲」にしておいた。
はっきりしない(=異端、ダイバージェントである)ことは黙っておいた方が良いという。
翌日、派閥の選択の儀式が行われる。
「博学」のリーダー、ジーニン(=ジャニーヌ、ケイト・ウィンスレット)は、
適性は適性、選択は自由だと告げる。
各自が自分の手のひらを切ってその血を派閥のどれかの皿に注ぐことで行き先が決まる。
大抵は適性通りの属性を選ぶが、ケイレブは「博識」を選択し、
ビアトリスは「勇敢」を選んだ。
両親は子供たちが別派閥を選んだことでがっかりする。
ここからは、各派閥に別れての行動となる。
「勇敢」派閥選択者は、走る列車に飛び乗って移動し、
列車からビルの屋上に飛び降りる。
そして今度はビルの屋上から階下の穴に向かって飛び降りる勇気を試される。
ビアトリスが1番に飛び降り、ネットに助けられる。
指導役のリーダー、フォー(=4、セオ・ジェームス)に改名を
指示され、ビアトリスは「トリス」と名乗ることにした。
新入者らはこれから「勇敢」に適しているかの一連の試験を受け、
一定の水準に達しないものは脱落、元の派閥ではなく、
無派閥(落伍者、ホームレス)にされてしまうという。
ビアトリスは果たして試練を乗り越えて「勇敢」に入れるのだろうか。
はたまた、この社会が抱える矛盾と陰謀とは。
***
なんだかなぁ。
この種のティーン小説と言えば、「トワイライト」「ハンガーゲーム」
「パーシージャクソン」「メイズランナー」「シャドウハンター」と
映画化されたものも数多い。
本作は一応最後まで映画化される予定で、1作目の不人気ぶりで頓挫した物とは
一線を画すが、それにしてもなんか中途半端で甘っちょろい。
主人公は自分の能力に気づいておらず、元々はへなちょこだが、徐々に力を発揮、
やがて超越的な能力を持つようになるのだが、その凄さが感じられず、
また急激に能力を発揮するに至る「覚醒感」が全くない。
バディとなるフォーにも魅力がない。
人物とか演技とかではなく、使命感やトリスとの出会いの必然性を感じない。
まるでただの級友、あるいは同窓生。
実は「ハンガーゲーム」も1作目を見てその世界観にがっかりし、
2作目以降は見ていないが本作も劇場で見ていたら同じ感覚になったかも。
小説だったら面白かったかもしれないけどね。
細かい点でいろいろと矛盾も感じる。
一定の年齢で選別が行われるが、姉と弟同時なのはなぜ。
なぜ、派閥はこのタイミングで行動を起こしたのか。
過去からずっと同様のことが行われていたわけではなさそうだし、
タイミングよくというか悪くというか、必然性が感じられない。
そもそもあれは「勇敢」でも何でもなく、従順とか盲従の類。
先輩の上から目線も変だし、無派閥の位置づけもよくわからん。
各派閥の人数比率もよくわからないし、あれで社会システムが
機能しているとは思えない。
要するに世界観が雑。
アシュレイ・ジャッド、マイルズ・テラー。
*
舞台は、およそ100年後のシカゴ。
文明は破壊され、人々は「高潔」「博学」「勇敢」「平和」「無欲」の
5つのグループ(派閥)に仕分けられて秩序を保っている。
主人公のビアトリス・プライアー(シャイリーン・ウッドリー)は、無欲の一家で、
母、ナタリー(アシュレイ・ジャッド)、父、アンドリュー(トニー・ゴールドウィン)、
弟、ケイレブ(アンセル・エルゴート)と暮らしている。
子供たちは16歳になると適性の判別を受けたのち、どの派閥に属するかを決める。
属性は親と同じになることが多いが、異なることもある。
また、大体は適性判断の通りの派閥を選ぶが、自由意思で違う派閥を選ぶこともできる。
ビアトリスとケイレブは適性判断に向かった。
ビアトリスは試験官のトリ(マギーQ)に首元に注射され催眠状態に入る。
そこで見た幻覚への対応で適性がわかるのだ。
幻覚から覚めると、トリは診断結果をなかなか言わない。
ビアトリスが聞くと結果ははっきりしないという。
「博学」「勇敢」にも適性があるが、手入力で「無欲」にしておいた。
はっきりしない(=異端、ダイバージェントである)ことは黙っておいた方が良いという。
翌日、派閥の選択の儀式が行われる。
「博学」のリーダー、ジーニン(=ジャニーヌ、ケイト・ウィンスレット)は、
適性は適性、選択は自由だと告げる。
各自が自分の手のひらを切ってその血を派閥のどれかの皿に注ぐことで行き先が決まる。
大抵は適性通りの属性を選ぶが、ケイレブは「博識」を選択し、
ビアトリスは「勇敢」を選んだ。
両親は子供たちが別派閥を選んだことでがっかりする。
ここからは、各派閥に別れての行動となる。
「勇敢」派閥選択者は、走る列車に飛び乗って移動し、
列車からビルの屋上に飛び降りる。
そして今度はビルの屋上から階下の穴に向かって飛び降りる勇気を試される。
ビアトリスが1番に飛び降り、ネットに助けられる。
指導役のリーダー、フォー(=4、セオ・ジェームス)に改名を
指示され、ビアトリスは「トリス」と名乗ることにした。
新入者らはこれから「勇敢」に適しているかの一連の試験を受け、
一定の水準に達しないものは脱落、元の派閥ではなく、
無派閥(落伍者、ホームレス)にされてしまうという。
ビアトリスは果たして試練を乗り越えて「勇敢」に入れるのだろうか。
はたまた、この社会が抱える矛盾と陰謀とは。
***
なんだかなぁ。
この種のティーン小説と言えば、「トワイライト」「ハンガーゲーム」
「パーシージャクソン」「メイズランナー」「シャドウハンター」と
映画化されたものも数多い。
本作は一応最後まで映画化される予定で、1作目の不人気ぶりで頓挫した物とは
一線を画すが、それにしてもなんか中途半端で甘っちょろい。
主人公は自分の能力に気づいておらず、元々はへなちょこだが、徐々に力を発揮、
やがて超越的な能力を持つようになるのだが、その凄さが感じられず、
また急激に能力を発揮するに至る「覚醒感」が全くない。
バディとなるフォーにも魅力がない。
人物とか演技とかではなく、使命感やトリスとの出会いの必然性を感じない。
まるでただの級友、あるいは同窓生。
実は「ハンガーゲーム」も1作目を見てその世界観にがっかりし、
2作目以降は見ていないが本作も劇場で見ていたら同じ感覚になったかも。
小説だったら面白かったかもしれないけどね。
細かい点でいろいろと矛盾も感じる。
一定の年齢で選別が行われるが、姉と弟同時なのはなぜ。
なぜ、派閥はこのタイミングで行動を起こしたのか。
過去からずっと同様のことが行われていたわけではなさそうだし、
タイミングよくというか悪くというか、必然性が感じられない。
そもそもあれは「勇敢」でも何でもなく、従順とか盲従の類。
先輩の上から目線も変だし、無派閥の位置づけもよくわからん。
各派閥の人数比率もよくわからないし、あれで社会システムが
機能しているとは思えない。
要するに世界観が雑。
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