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2010/12/21、東銀座、東劇での開催。
冒頭、ソニーのライブスパイアのご担当が、軽く解説をされた。
*
藤原竜也、勝地涼、鈴木杏、六平直政、吉田鋼太郎。
**
故井上ひさし作、蜷川幸雄演出の舞台劇「ムサシ」のロンドン/NY講演バージョンの凱旋公演を
HD撮影し、劇場上映用に編集したもの。
芝居そのものは165分。
途中15分の休憩をはさんで、合計180分のはずだが、
上映スケジュールでは3時間10分。
また、上映時の料金は一般2500円と高い。
ソニーではライブスパイア(Livespire)と呼んでいるが、ソニー版のゲキ×シネ。
尚、ライブスパイアは芝居に限らず、コンサートやオペラ、バレエなどライブイベント全般が対象。
*
いわゆる巌流島の戦い、宮本武蔵(藤原竜也)と佐々木小次郎(勝地涼)の「船島の戦い」。
武蔵が一撃で小次郎を倒すが、小次郎はまだ息があり、
武蔵は手当てをしてくれと言い残して去る。
*
それから数年後の鎌倉、宝蓮寺の寺開き。
語る僧は平心(大石継太)、参加しているのは沢庵和尚(六平直政)柳生宗矩(吉田鋼太郎)
寺に多額の寄進をした大檀那の木屋まい(白石加代子)と筆屋乙女(鈴木杏)
それに寺の建設に尽力した宮本武蔵(藤原竜也)の5人。
平心はいろいろといきさつを語り、木屋まいや筆屋乙女が事情を述べる。
宗矩は舞を見せ、沢庵は説法をする。
そんな中、一人の浪人風の男が現れる。
2200日にわたって武蔵を探し続け、ようやくこの寺にたどり着いた
佐々木小次郎だった。
小次郎は、船島の戦いは不公平だったとし、あらためて果し合いを挑む。
今は寺開きの参籠禅の真っ最中なので、勝負は3日後とし、
小次郎も参籠禅に加わることとなった。
柳生宗矩は、武蔵と小次郎の仲裁をしようとするが、二人は言い争いを止めない。
翌日、筆屋乙女の下男、忠助(堀文明)が寺に駆け込んでくる。
筆屋の主人の死亡が、浅川甚兵衛(塚本幸男)の策略による殺害だったと
分かったと言うのだ。
筆屋乙女は、浅川に恨みを晴らすため、果たし状を送り付け、
武蔵と小次郎に剣の奥義伝授を頼む。
果たして、小次郎と武蔵のとった行動は。
寺に乗り込んできた浅川一味と筆屋との対決の行方は。
そして、事の成り行きを訝しげに見る武蔵の考えとは。
**
最初の藤原竜也の台詞「小次郎破れたり」を聞いた瞬間、
「蛮幽鬼」の上川隆也が頭に浮かんだ。
良い悪いではないし、どらが上でも下でもないが、
芝居は芝居、映画は映画だなぁ、が素直な感想。
蜷川幸雄の演出はもっと固いのかと思っていた。
全体としては、シリアスに展開していく物語であるが、
ところどころにコミカルな動きを入れて、
観客に肩の力を抜かせると言うかも緩急をつけると言うか、
それも芝居だなぁと思った次第。
あれだけの長い間、やり直しがきかず、言い間違いのできない舞台で、
汗だくになってタイミングを失せず、動き、喋り、絡む。
見る分には楽しいですが、大変さは想像に難くない。
芝居の場合は「字」の説明ができないので、材木屋の木屋、
筆職人の筆屋などはわかりやすくていいが、
さんろうぜんが参籠禅、おおだんなが大檀那などは知らないと分からない。
尚、檀那は旦那とも書き、本来の意味はお布施、またはお布施をする人で、
特定の寺に檀那する人を檀家(だんか)と言う。
参籠は寺などに籠って祈ったり修行したりすること。
どうせなら、剣客は「けんきゃく」でなく
「けんかく」と言わせてほしかったですね。
今となっては間違いとまでは言えませんが。
冒頭、ソニーのライブスパイアのご担当が、軽く解説をされた。
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藤原竜也、勝地涼、鈴木杏、六平直政、吉田鋼太郎。
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故井上ひさし作、蜷川幸雄演出の舞台劇「ムサシ」のロンドン/NY講演バージョンの凱旋公演を
HD撮影し、劇場上映用に編集したもの。
芝居そのものは165分。
途中15分の休憩をはさんで、合計180分のはずだが、
上映スケジュールでは3時間10分。
また、上映時の料金は一般2500円と高い。
ソニーではライブスパイア(Livespire)と呼んでいるが、ソニー版のゲキ×シネ。
尚、ライブスパイアは芝居に限らず、コンサートやオペラ、バレエなどライブイベント全般が対象。
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いわゆる巌流島の戦い、宮本武蔵(藤原竜也)と佐々木小次郎(勝地涼)の「船島の戦い」。
武蔵が一撃で小次郎を倒すが、小次郎はまだ息があり、
武蔵は手当てをしてくれと言い残して去る。
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それから数年後の鎌倉、宝蓮寺の寺開き。
語る僧は平心(大石継太)、参加しているのは沢庵和尚(六平直政)柳生宗矩(吉田鋼太郎)
寺に多額の寄進をした大檀那の木屋まい(白石加代子)と筆屋乙女(鈴木杏)
それに寺の建設に尽力した宮本武蔵(藤原竜也)の5人。
平心はいろいろといきさつを語り、木屋まいや筆屋乙女が事情を述べる。
宗矩は舞を見せ、沢庵は説法をする。
そんな中、一人の浪人風の男が現れる。
2200日にわたって武蔵を探し続け、ようやくこの寺にたどり着いた
佐々木小次郎だった。
小次郎は、船島の戦いは不公平だったとし、あらためて果し合いを挑む。
今は寺開きの参籠禅の真っ最中なので、勝負は3日後とし、
小次郎も参籠禅に加わることとなった。
柳生宗矩は、武蔵と小次郎の仲裁をしようとするが、二人は言い争いを止めない。
翌日、筆屋乙女の下男、忠助(堀文明)が寺に駆け込んでくる。
筆屋の主人の死亡が、浅川甚兵衛(塚本幸男)の策略による殺害だったと
分かったと言うのだ。
筆屋乙女は、浅川に恨みを晴らすため、果たし状を送り付け、
武蔵と小次郎に剣の奥義伝授を頼む。
果たして、小次郎と武蔵のとった行動は。
寺に乗り込んできた浅川一味と筆屋との対決の行方は。
そして、事の成り行きを訝しげに見る武蔵の考えとは。
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最初の藤原竜也の台詞「小次郎破れたり」を聞いた瞬間、
「蛮幽鬼」の上川隆也が頭に浮かんだ。
良い悪いではないし、どらが上でも下でもないが、
芝居は芝居、映画は映画だなぁ、が素直な感想。
蜷川幸雄の演出はもっと固いのかと思っていた。
全体としては、シリアスに展開していく物語であるが、
ところどころにコミカルな動きを入れて、
観客に肩の力を抜かせると言うかも緩急をつけると言うか、
それも芝居だなぁと思った次第。
あれだけの長い間、やり直しがきかず、言い間違いのできない舞台で、
汗だくになってタイミングを失せず、動き、喋り、絡む。
見る分には楽しいですが、大変さは想像に難くない。
芝居の場合は「字」の説明ができないので、材木屋の木屋、
筆職人の筆屋などはわかりやすくていいが、
さんろうぜんが参籠禅、おおだんなが大檀那などは知らないと分からない。
尚、檀那は旦那とも書き、本来の意味はお布施、またはお布施をする人で、
特定の寺に檀那する人を檀家(だんか)と言う。
参籠は寺などに籠って祈ったり修行したりすること。
どうせなら、剣客は「けんきゃく」でなく
「けんかく」と言わせてほしかったですね。
今となっては間違いとまでは言えませんが。
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