2008/2/21、新宿の明治安田生命ホールでの開催。
ここの会場は初めてだ。
会場そのものの感想は別に書く。
最初に司会登場、説明文を読んだあと、抽選会。
女子アナご当地クイズ(正式タイトルではない)なるDVD2枚と、
映画の画像を使ったしおり(本屋でただで配るようなレベルのもの)を
それぞれ20名に、、、ということで、開始が20分ほどずれ込む。
予告は「マイ・ブルーベリー・ナイツ」「西の魔女が死んだ」
***
藤田まこと、富司純子、蒼井優、田中好子、近衛はな。
目黒祐樹の娘が傍聴席の最前列にいるので、
目黒なんだっけ?と思って調べても見つからない。
それもそのはず「近衛はな」と改名していたのね。
***
第2次大戦で日本が受けた最大の被害を
広島/長崎への原爆投下だと思うことは間違いではないだろう。
しかし、それだけが甚大な被害であったと思うことは間違いである。
1945年、すなわち昭和20年、
米軍の爆撃は軍事目標から市街地に展開される。
3月10日には東京大空襲によって10万人が死亡したとされる。
続いて3月12日には名古屋、3月13日14日には大阪、
3月17日には神戸、そして3月19日には再び名古屋。
次々と都市市街地への空襲が行われた。
その後も、市街地への大規模な空襲が繰り返され、
日本の主要都市市街地はほぼ壊滅した。
さらには、8月の広島、長崎への原爆投下と続き、
日本がポツダム宣言を受諾した8月10日以降も空襲は続いた。
米軍による無差別攻撃は、原爆によってその頂点を迎えたわけであるが、
被害の程度こそ違え、市街地への無差別爆撃という点では
焼夷弾による各都市への爆撃も変わりがない。
物語はこのような名古屋における空襲で、
墜落したB-29から脱出した搭乗員を斬首刑にした罪で、
戦犯裁判にかけられた、東海軍方面司令官、
岡田資(おかだたすく)中将と19名の部下の物語である。
***
この映画では、岡田中将が戦犯として裁かれた
横浜の軍法会議の様子を中心に展開する。
岡田中将は、すべての責任は司令官である自分にあるとし、
また米軍の「無差別爆撃」を国際法違反の非人道的なものと糾弾し、
爆撃機搭乗員こそ戦犯であるとした。
結局、裁判では有罪判決を受けるが、一貫として信念を貫き、
ついには米軍に空襲が無差別爆撃であったことを認めさせた。
また、検事や判士(軍法会議の裁判官)にもその真摯な態度が伝わり、
後に減刑の嘆願、銃殺への変更嘆願が出たということだ。
(銃殺は軍人としては名誉な処刑法)
しかし、それらはGHQ司令官マッカーサーに認められることもなく、
絞首刑に処せられたのである。
***
ハッキリ言って、よくわからない映画でした。
映画の内容というよりも、なぜ「映画」という表現を選んだか。
自らの命を賭してアメリカ軍の無差別爆撃を非難し、
これを認めさせた軍人岡田資がいかに立派な職業軍人であったか、
そして人間的にも尊敬に値する人物であったかを描く、
ということだとは思いますが、
描きたいものはたぶんそうだろうと思えても
「映画」からは伝わりません。
岡田資と言う人物を広く知らしめたいという気持ちかも知れませんが、
「映画」という表現方法がそれにふさわしいかは疑問です。
***
終映後、隣のおばさん連が盛んに感心していましたが、
何に感心していたのかは不明です。
前列で2人、横の方でまた一人二人と、途中で帰る人がいました。
最後まで見る見ないは個人の勝手ですが、
試写会で途中で帰る人を間近に見たのは初めてでびっくりしました。
ここの会場は初めてだ。
会場そのものの感想は別に書く。
最初に司会登場、説明文を読んだあと、抽選会。
女子アナご当地クイズ(正式タイトルではない)なるDVD2枚と、
映画の画像を使ったしおり(本屋でただで配るようなレベルのもの)を
それぞれ20名に、、、ということで、開始が20分ほどずれ込む。
予告は「マイ・ブルーベリー・ナイツ」「西の魔女が死んだ」
***
藤田まこと、富司純子、蒼井優、田中好子、近衛はな。
目黒祐樹の娘が傍聴席の最前列にいるので、
目黒なんだっけ?と思って調べても見つからない。
それもそのはず「近衛はな」と改名していたのね。
***
第2次大戦で日本が受けた最大の被害を
広島/長崎への原爆投下だと思うことは間違いではないだろう。
しかし、それだけが甚大な被害であったと思うことは間違いである。
1945年、すなわち昭和20年、
米軍の爆撃は軍事目標から市街地に展開される。
3月10日には東京大空襲によって10万人が死亡したとされる。
続いて3月12日には名古屋、3月13日14日には大阪、
3月17日には神戸、そして3月19日には再び名古屋。
次々と都市市街地への空襲が行われた。
その後も、市街地への大規模な空襲が繰り返され、
日本の主要都市市街地はほぼ壊滅した。
さらには、8月の広島、長崎への原爆投下と続き、
日本がポツダム宣言を受諾した8月10日以降も空襲は続いた。
米軍による無差別攻撃は、原爆によってその頂点を迎えたわけであるが、
被害の程度こそ違え、市街地への無差別爆撃という点では
焼夷弾による各都市への爆撃も変わりがない。
物語はこのような名古屋における空襲で、
墜落したB-29から脱出した搭乗員を斬首刑にした罪で、
戦犯裁判にかけられた、東海軍方面司令官、
岡田資(おかだたすく)中将と19名の部下の物語である。
***
この映画では、岡田中将が戦犯として裁かれた
横浜の軍法会議の様子を中心に展開する。
岡田中将は、すべての責任は司令官である自分にあるとし、
また米軍の「無差別爆撃」を国際法違反の非人道的なものと糾弾し、
爆撃機搭乗員こそ戦犯であるとした。
結局、裁判では有罪判決を受けるが、一貫として信念を貫き、
ついには米軍に空襲が無差別爆撃であったことを認めさせた。
また、検事や判士(軍法会議の裁判官)にもその真摯な態度が伝わり、
後に減刑の嘆願、銃殺への変更嘆願が出たということだ。
(銃殺は軍人としては名誉な処刑法)
しかし、それらはGHQ司令官マッカーサーに認められることもなく、
絞首刑に処せられたのである。
***
ハッキリ言って、よくわからない映画でした。
映画の内容というよりも、なぜ「映画」という表現を選んだか。
自らの命を賭してアメリカ軍の無差別爆撃を非難し、
これを認めさせた軍人岡田資がいかに立派な職業軍人であったか、
そして人間的にも尊敬に値する人物であったかを描く、
ということだとは思いますが、
描きたいものはたぶんそうだろうと思えても
「映画」からは伝わりません。
岡田資と言う人物を広く知らしめたいという気持ちかも知れませんが、
「映画」という表現方法がそれにふさわしいかは疑問です。
***
終映後、隣のおばさん連が盛んに感心していましたが、
何に感心していたのかは不明です。
前列で2人、横の方でまた一人二人と、途中で帰る人がいました。
最後まで見る見ないは個人の勝手ですが、
試写会で途中で帰る人を間近に見たのは初めてでびっくりしました。
こんにちは
この映画はドキュメンタリーとして観るのかなって思いました。
※前半を睡魔に襲われて観ていない事で反省していますが。
岡田資の人となりを表現しようとしたんだろうとは思います。
それに「無差別爆撃」を行ったアメリカを非難し、自分の考えは曲げずに部下の命を救ったことで全てかもしれませんけど。
裁判官や検察の助け舟も拒否した信念はあの当時なら当たり前だったのかも知れませんが・・・(^_^ゞ
戦争映画を否定するつもりはないし、
最近では、硫黄島2部作もよく出来てると思いましたし、
日本軍全部が非道集団とは思いません。
ただ岡田資も結局は職業軍人です。
その枠の中で立派な人だった、
と言うことではないでしょうか。
私は近代史が嫌いで、ほとんど読み飛ばし状態で、受験に必要不可欠程度の勉強しかしないで大人になった人なので、岡田資という人物の名前さえ知りませんでした。「硫黄島~」の時の栗林中将もそうですが、映画を見ることがきっかけで興味を覚えて調べたりしましたが、あんな時代でも今の時代の若者が知らない尊敬すべき人物がもう一人いたということに単純に関心しました。日本が誇るべき武士道精神にも似た高潔な精神だなっ~っと。
あまりにもきれいに描かれすぎている感はありましたが、概ね良い作品だと感じました~
>というメッセージを遺して、
なるほど、それが感じ取れたということは、
rikocchinさんが真直ぐな性格だと言うことでしょう。
素直に感動できたrikocchinさんがうらやましいです。
この主題が映画形式にふさわしいかどうかは、見方が分かれますね。
舞台劇、あるいは朗読劇としても、成立するでしょうね。
私はドラマとしてより、
資料映像などもまじえて
ドキュメンタリーとして描いた方が
いいような気がしました。
感じても不思議ではなく、途中で帰るのも頷けます。
死を恐れることなく、部下を思い、信念を貫いた
岡田資の姿に、おばさんが感心してたのでは?
この映画の目的は、自虐的歴史観を植えつけられた
世代に対して、日本人にも立派な人物がいて
悪いのは日本だけじゃないと示す為だと思います。
>自虐的歴史観
>悪いのは日本だけじゃない
これはよくわかります。
今にして思うと、岡田資を通じて、
本土への米軍の攻撃は原爆と
東京大空襲だけではないことも
示したかったのではないかと言う気がします。