回収紙をナプキンに、ようじ再使用も…中国紙報道(読売新聞) - goo ニュース
いやあ、もちろん、ごくごく一部のことだと思いたいし、
悪徳業者は世界中どこにでもいるんだけど、
中国は母数が多いから、相対的に悪徳業者の数も多い、と考えたい。
でもね。
ダイエット食品の健康被害に始まって、
野菜の残留農薬あたりはまだかわいく思えちゃうくらいで、
自分じゃ絶対食わない、と生産者に言わしめる食品食材が蔓延。
人のペットが死のうが病気になろうがお構いなし。
餌に工業用染料や工業薬品を混ぜたりするのは序の口、
塩まで工業用の原材料を混ぜた偽ものが出回っているというから恐ろしい。
中国は国際的に見ればまだまだ労働力が安いわけだし、
「元」も過小評価といわれるくらい安いわけだから、
まじめに一生懸命やっても十分儲かるはず。
それを工業用品を使って、儲けを2倍3倍にしようとする人がわんさかいる。
いったいモラルと言うか安全意識と言うか、責任感はどうなっているの。
竹箸の漂白に日本じゃ使用禁止の薬品を使っているとか、
薬品の残留分が多いとか聞いたのはいったいいつごろでしたっけ。
それ以来、箸は原産国を見るようになった。
残留農薬も気になり、葱をはじめとして野菜全般に
国産かどうかを買う判断材料にすることが多くなった。
ところが、食べ物や食器類にとどまらず、
今度はレストランの紙ナプキンや爪楊枝までもが危険だというから、
中国に行っても、安心して外食も出来ない。
こういうのを見ていると、つくづく金の亡者と言う気がしますね。
もちろん全員がそうじゃないでしょうが、
人のことはどうでもいい、自分さえよければ、
と言う気持ちが強い人が目立つだけでしょうか。
ところで、「悪いことをしない」のはなぜか、と考えてみると、
悪いことをすると「人に後ろ指を指される」「悪く思われる」からでしょうか。
それならばれなきゃ良いのか、と言うとそうでもない。
他人にされたらいやなことはしない、ともいいますが、
じゃ、自分が使わないものはでたらめで良いかと言うとそうでもない。
まともな人なら「良心」があるわけですが、
それを支えているものはいったい何なんだろうと思うわけです。
人智を超えた存在が、人々の善悪を見ていて、勧善懲悪を行う。
昔流に言うと「お天道様が見ている」「お天道様が許さない」と言うことです。
日本では信仰心が薄いとか、無宗教の人が多いというけど、
それは西洋風の創造主、唯一無二の絶対神を信じていないだけで、
八百万の神、万物神は少なからず信じている。
宗教を信じていても争いはするし、いがみ合いだましあうじゃないか。
そのとおりです。
ここで、宗教論を語るつもりはありませんが、
宗教によって善悪の価値判断が違うことによる弊害と思ってます。
でも、森羅万象八百万の神だろうが、唯一絶対の創造主だろうが、
良し悪しの判断に「自分の属する社会全体の幸不幸」があると思う。
振り返って、中国の今の善悪の判断は、この「自分の属する社会」が、
われわれの考えるよりずっと狭い、自分、自分の家族、自分の親戚友人
といったあたりに限定されているんじゃないだろうか。
そう分析したところで、この種の問題(犯罪的行為、あるいは犯罪そのもの)が
解決できるとは思いませんが、根の深さを知ることは出来るかもしれない。
いやあ、もちろん、ごくごく一部のことだと思いたいし、
悪徳業者は世界中どこにでもいるんだけど、
中国は母数が多いから、相対的に悪徳業者の数も多い、と考えたい。
でもね。
ダイエット食品の健康被害に始まって、
野菜の残留農薬あたりはまだかわいく思えちゃうくらいで、
自分じゃ絶対食わない、と生産者に言わしめる食品食材が蔓延。
人のペットが死のうが病気になろうがお構いなし。
餌に工業用染料や工業薬品を混ぜたりするのは序の口、
塩まで工業用の原材料を混ぜた偽ものが出回っているというから恐ろしい。
中国は国際的に見ればまだまだ労働力が安いわけだし、
「元」も過小評価といわれるくらい安いわけだから、
まじめに一生懸命やっても十分儲かるはず。
それを工業用品を使って、儲けを2倍3倍にしようとする人がわんさかいる。
いったいモラルと言うか安全意識と言うか、責任感はどうなっているの。
竹箸の漂白に日本じゃ使用禁止の薬品を使っているとか、
薬品の残留分が多いとか聞いたのはいったいいつごろでしたっけ。
それ以来、箸は原産国を見るようになった。
残留農薬も気になり、葱をはじめとして野菜全般に
国産かどうかを買う判断材料にすることが多くなった。
ところが、食べ物や食器類にとどまらず、
今度はレストランの紙ナプキンや爪楊枝までもが危険だというから、
中国に行っても、安心して外食も出来ない。
こういうのを見ていると、つくづく金の亡者と言う気がしますね。
もちろん全員がそうじゃないでしょうが、
人のことはどうでもいい、自分さえよければ、
と言う気持ちが強い人が目立つだけでしょうか。
ところで、「悪いことをしない」のはなぜか、と考えてみると、
悪いことをすると「人に後ろ指を指される」「悪く思われる」からでしょうか。
それならばれなきゃ良いのか、と言うとそうでもない。
他人にされたらいやなことはしない、ともいいますが、
じゃ、自分が使わないものはでたらめで良いかと言うとそうでもない。
まともな人なら「良心」があるわけですが、
それを支えているものはいったい何なんだろうと思うわけです。
人智を超えた存在が、人々の善悪を見ていて、勧善懲悪を行う。
昔流に言うと「お天道様が見ている」「お天道様が許さない」と言うことです。
日本では信仰心が薄いとか、無宗教の人が多いというけど、
それは西洋風の創造主、唯一無二の絶対神を信じていないだけで、
八百万の神、万物神は少なからず信じている。
宗教を信じていても争いはするし、いがみ合いだましあうじゃないか。
そのとおりです。
ここで、宗教論を語るつもりはありませんが、
宗教によって善悪の価値判断が違うことによる弊害と思ってます。
でも、森羅万象八百万の神だろうが、唯一絶対の創造主だろうが、
良し悪しの判断に「自分の属する社会全体の幸不幸」があると思う。
振り返って、中国の今の善悪の判断は、この「自分の属する社会」が、
われわれの考えるよりずっと狭い、自分、自分の家族、自分の親戚友人
といったあたりに限定されているんじゃないだろうか。
そう分析したところで、この種の問題(犯罪的行為、あるいは犯罪そのもの)が
解決できるとは思いませんが、根の深さを知ることは出来るかもしれない。
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