車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

大津市内~あちこちウォッチ in 滋賀県大津市

2025年02月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市大谷町の国道1号線沿いにある「逢坂山関址」碑。その昔、逢坂越は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝でした。有名な百人一首の【これやこの行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関(蝉丸)】。この「逢坂山関址」を超えると、滋賀県大津市に入ったと実感します。

大津市観音寺、琵琶湖疎水が県道558号と交わる地点に「琵琶湖第一疏水揚水機場」。昭和28年に、琵琶湖疏水の取水量の不足分を揚水する為、三保ケ崎の取水場横に設置されました。

疎水脇の柵には、市の木「山桜」をあしらった第一隧道入口がデザインされています。

 

旧国道161号線で見かけた朱塗りの山王鳥居と桟橋。ここは琵琶湖舟運の拠点として、比叡山及び京都への荷揚げの中心港でもあり、また日吉大社の御祭神「三輪明神」が、大和から唐崎を経て坂本に向ったという伝承の地でもあります。毎年4月14日に行われる「日吉山王祭:船渡御」では、七基の神輿がここから湖上にでるそうです。

長等神社の楼門前にある「大津絵の店」。初代『高橋松山』が衰退する大津絵を憂いて店を構えたのが始まり。明治初年に三井寺参道から始まった大津絵。私たちが訪ねた当時は、四代目と五代目のお二人が制作をしておられました。

平野神社近く、一般家庭の屋根で見かけた「鍾馗様」

同じく平野神社近くで見かけた飾り瓦の「恵比須・大黒」

平野神社近くのお寺の山門で見かけた飾り瓦の阿吽の海亀。ひょうきんな顔が何とも面白可愛い(笑)

屋根の上には逆立ちの鯉。瓦止が鯉の口を塞ぐように掛けられているのが妙にツボ😅

大津市瀬田~唐橋町の瀬田川に架かる「瀬田の唐橋」。全長223.7メートルのこの橋は、京都の宇治橋、山崎橋(今は無い)とならんで「日本三大橋(日本三名橋・日本三古橋)」の1つとされています。

俵藤太が瀬田唐橋に現れた大蛇に頼まれ、三上山に住む百足を成敗したという「俵藤太のムカデ退治」。大蛇は瀬田川に住む龍王の化身とされ、橋の東詰には、この秀郷と龍王をまつる橋守神社があります。

「鳥居川水位観測所」は、明治7年(1874)2月4日にオランダ人技師:エッセルの指導によって瀬田の唐橋の近くに開設。 これによって基準水位(水位ゼロ)が定められ、琵琶湖の水位観測がスタートしました。

明治33年(1900)の設置から2003年までデータを記録しつづけた「自記水位計」

訪問日:2008年7月5日~2010年6月12日

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧琵琶湖ホテル・滋賀県庁・大津教会 in 滋賀県大津市

2025年02月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市柳が崎、琵琶湖沿いの一画に桃山様式の華麗な「びわ湖大津館」が見えてきます。

外国人観光客の誘致を目的に、昭和9年(1934)、県内初の国際観光ホテル「旧琵琶湖ホテル本館」として建築。

設計は、東京歌舞伎座や明治生命館等の設計で有名な「岡田建築事務所」。桃山様式と呼ばれる特徴的な和風の外観と洋風の内観は、琵琶湖の風景と古都大津の風土に見事に調和したデザインとなっています。

当寺は『湖国の迎賓館』として昭和天皇を始め多くの皇族の方々、ヘレン・ケラー、ジョン・ウエイン、川端康成など多分野の著名人をお迎えし、名実ともに県下唯一の格式を持ったホテルとして営業されていました。

建物内外の細部にまで入念に施された細工の数々は、まさしく迎賓館の名に相応しいもの。できればもう少し、ゆっくりとお茶など楽しむ余裕が欲しかったな・・と、今ならそうした筈😅

大津市京町、市街地の大通りは車が多く、バイクと言えども目的地に近づくのは一苦労😥 それでも排気ガスや幅寄せにもめげず此処まで来たのは、県庁の建物を見たかったから。

総工費200万円(約13億円)をかけ、昭和12年より改築に着手、同14年5月に竣工。設計は早稲田大学大隈講堂、群馬県庁等を設計したことで知られる『佐藤功一氏』。鉄筋コンクリートの4階建で中央には塔屋がそびえ、左右に事務室、そして正面玄関には大きく車寄せを配したその容姿は、ルネサンス様式らしい格調高い存在感を放っており、本県を代表する近代建築の一つとされています。

滋賀県庁舎本館 は、2014年12月19日、滋賀県登録有形文化財(建造物)として登録されました。

大津市末広町、ここには大津市内では数少ないヴォリーズ建築「日本基督教団・大津教会」があります。昭和3年(1928)の建築で、内部を見ることは出来ませんが、いかにもヴォリーズ!な建物。

訪問日:2010年6月12日

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三尾(みお)神社 in 滋賀県大津市園城寺町

2025年02月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市園城寺町に鎮座される「三尾神社」。御祭神は『伊弉諾尊』

歴史「昔、長等山の山頂に腰に赤・白・黒の三つの帯を付けた伊弉諾尊が降臨し長等山の鎮守神となり、祀られた。腰の三つの帯が尾に見えた為、三尾明神といわれるようになった。ある時、その帯が赤尾神・白尾神・黒尾神になり、さらに赤尾神が本神として卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方より長等山の琴尾谷(琴緒谷)に現れた。白尾神は大宝年間(701年 - 704年)に現・三尾神社の地に、黒尾神は神護景雲3年(769年)3月14日(第2の卯の日)に鹿関に出現した。三尾明神は貞観元年(859年)卯の年に園城寺初代長吏「円珍」によって、赤尾神が現れた園城寺の境内の西方・琴尾谷(琴緒谷)に鎮守として祀ることとし、社殿を建立。南院の鎮守は三尾社となった。また、白尾神と黒尾神が現れた地はそれぞれ三尾社の御旅所となっている。明治9年(1876)5月12日、神仏分離により三尾社は社地を白尾神ゆかりの御旅所である現在地に移し、本殿なども移築して新たに三尾神社として独立した。」Wikipediaより

創建時の逸話から「兎」は三尾明神の使いとされ、境内の様々な場所から参拝者を出迎えてくれます。手始めは手水舎の鉄のかごに閉じ込められた吐水兎😱!!

大切なものである事は理解できますが、鉄の檻と言うのが何ともシビアで😣・・もしや鉄の籠と言えば良かったのか・・

石段参道の両側で足元を照らしていた石灯籠。竿の根元には阿吽の狛兎。

神橋の石段参道を進み神門へ

神門の屋根の留蓋には、後ろ足で耳を掻く仕草が可愛い飾り瓦の兎さん。反対側の画像がないのは、多分撮れない事情があったのでしょう😥

三尾神社の由緒碑と、園城寺鎮守であった頃の「経の巻(きょうのまき)」。中央には御神紋「真向きの兎」があります。

拝殿前には比較的新しい奉納と思われる「めおと卯」

更に拝殿後方、透かし塀の外より神域を守護されるのは、文久2年(1862)11月建立の狛犬さん一対。大口の阿形さんと角を持つ無口っぽい吽形さん。絶妙に面白い組み合わせです。

透かし塀の内より神域を守護される狛犬さん一対・・・吽形さんの位置が見事に木々にさえぎられて、まるでだまし絵のように一体化😲

本殿の縁には木製の神殿狛犬さんもお出ででしたが、画像に残せたのは阿形さんのみ。傷みが気になりますがとてもよいお顔をされています。

社殿向かって右手に鎮座される「境内社:日御前神社」。御祭神『天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神』。「境内社:白鬚神社」。御祭神『猿田彦命』。「境内社:夷子神社」。御祭神『えびす神』。「境内社:天満宮」。御祭神『菅原道真』。「境内社:白山神社」。御祭神『菊理媛神』。「境内社:愛宕神社」。御祭神『伊弉冉尊』。

「阪下茂畑稲荷神社」。御祭神は『稲荷神』

社殿の前左右より神域を守護される鍵を咥え神狐さん。社殿の扉の脇にも木製の神狐さんが見えます。もちろん上下いずれも反対側に神狐さんがいたのですが、位置的に画像に残せませんでした

大津市園城寺町にある天台寺門宗総本山「長等山(ながらさん):園城寺(おんじょうじ)」。一般には三井寺(みいでら)の呼び名で知られます。ここ「三尾神社」は、明治の神仏分離まで園城寺の鎮守の社として置かれていました。

参拝日:2010年6月12日(園城寺のみ2004年5月8日)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長等(ながら)神社 in 滋賀県大津市三井寺町

2025年02月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市三井寺町に鎮座される「長等(ながら)神社」。御祭神は『建速須佐之男大神 ・大山咋神・市杵島姫神 ・三尾大神・ 八幡大神』

「天智天皇6年(667)に近江大津宮に遷都した際、長等山の岩座谷に『須佐之男命』を祭祀したことを起源とする。貞観2年(860)2月、園城寺初代長吏に就任した円珍が、園城寺の鎮守として当社に山王権現を合わせて祀り、園城寺の鎮守社とし、社名を新日吉社、またの名を新宮社とした。天喜2年(1054)4月、庶民も参詣できるようにと長等山上から現在地に遷座。建武3年(1336)に戦乱に巻き込まれて社殿が焼失するが、暦応3年(1340)に室町幕府将軍足利尊氏により再建。明治の神仏分離の中で園城寺から独立し、明治16年に名称を長等神社に改める。明治37年には楼門が建立され、明治43年県社となる。」Wikipediaより

楼門の左右、内陣より神域を守護される神像さん。一般的な矢大臣、右大臣と違って、まるで外国(とつくに)の軍人さんみたい😅

手水舎で参拝者を迎える吐水龍。手水鉢に巻き付いた尾の先までしっかり表現されています。

まるで玉をはめ込んだようなランランと光る目で・・ただ静かに、参拝者の一挙手一投足を見つめる龍。

参道を進んだ先に拝殿、後ろに拝所と御本殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、浪速タイプに近い狛犬さん一対。斜に構えて参拝者を見る姿に、つられてこちらも斜め目線😅

本殿透かし塀の前より神域を守護されるのは、護国タイプのブロンズ製狛犬さん一対。

驚いたことに、社殿の下は通路になっていて、特に制限も無く立ち入る事が出来るようです。こういう経験は初めてだったので、妙にワクワク😀

本殿の縁には木製の神殿狛犬もおいでになりますが、場所的にきちんと見られたのは阿形さんのみ。吽形さんも一応は写したのですが、目の部分が手すりで隠れて、まるで容疑者B😱・・・・😱

「摂社:栄稲荷神社」

神域を守護されるのは長い時代を経たと思われる神狐さん一対。阿は玉を吽形は巻物を咥えています。

長等神社の境内を出て、奥に見える急な石段を上っていくと、県指定有形文化財の「三井寺:観音堂」に行き着きます。西国三十三所観音霊場巡礼の第十四番目の礼所として有名ですが、むろんそこまで行く健脚も根性もありません😩

参拝日:2010年6月12日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天孫(てんそん)神社 in 滋賀県大津市京町

2025年02月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

大津市京町に鎮座される「天孫(てんそん)神社」。御祭神は『彦火火見(ひこほほでのみこと)・ 国常立(くにとこたちのみこと)・大名牟遅(おおむなちのみこと)・帯中津彦(たらしなかつひこのみこと)』

由緒「奈良時代(西暦782年 延暦年間)に創建され、平安時代(西暦806年 大同3年)10月には近江に行幸された平城天皇が、当社を仮の御所として禊祓いをされました。その後も(平安時代 西暦1190年 建久元年)近江の守護職で崇敬の厚い佐々木定綱により社殿造営され又神供田などを寄付されました。その後大津城が築城された折には、城下の守護神として町衆より崇敬されました。社号の由緒には数々ありますが、一つには近江の国には大変神徳の厚い社がありそれを昔の人々は一宮~四宮と称しました。一宮が建部大社、二宮が日吉大社、三宮が多賀大社そして四宮が天孫神社であります。」公式HPより

御神紋は「鷺(さぎ)丸」。鳩や鶴と同じく、鷺も神のみ使いとされていますが、あまり目にする機会は無いように思います。

境内入ってすぐにある手水舎の吐水龍、存在は珍しくありませんが、こちらの龍に関しては、多分、一度見たら二度と忘れられないインパクト・・口中を真っ赤に塗った龍と言うのは、迫力がありすぎて怖い😱

舞殿の左右より神域を守護されるのは明治20年代建立の狛犬さん一対。台座の文字が摩耗して読みとれず、詳細な建立年は不明。

何しろ「青葉茂れる・・」状態の境内、もっとアップでの画像が欲しかったのですが、これが精一杯😅

狛犬さんの撮影には邪魔いささか障りはありますが、涼やかな緑の葉陰に包まれる御社殿は、また格別の趣があり清々しい。

本殿透かし塀の内より神域を守護されるのは、京都市内でよく見かけるほっぺぷっくり顔の狛犬さん一対。いわゆる「えくぼ」が無い分、顔に迫力があります😅

境内の片隅に置かれていた明治30年2月建立の狛犬さん。かっては拝殿の左右で神域を守護されていたのでしょうが、相方を無くした所為か寂し気😥

でも大丈夫!近くには愉快な仲間もいるし、それなりに楽しく余生を過ごしています😀

参拝日:2010年6月12日

------------------------00----------------------

御神名一口メモ

『帯中津日子尊(たらしなかつひこのみこと)=第14代:仲哀天皇』。応神天皇の父。日本武尊の第2子で、神功皇后の夫。九州の熊襲親征のため筑紫の橿日宮(かしいのみや)に下向し、ここで崩御した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする