車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛知県旧八開村(愛西市)

2018年03月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡八開村(はちかいむら)は愛知県西部に、海部郡の北西部に位置し、養老山系を背にした木曽川のデルタ地帯の一角に位置した村です。町域の約半分が田畑で緑豊かな町です。村名は、合併した「八輪村」と「開治村」からそれぞれ一字を取って付けられました。「村の木:槇」「村の花:ハス」を制定。

旧庁舎の一画に建立されていた「村の木 村の花制定記念碑」

明治22年(1889)、町村制の施行により海西郡開治村・八輪村・六ツ和村が発足。

1906年、開治村・八輪村・六ツ和村大字塩田が合併、海西郡八開村が発足。

1913年、海西郡と海東郡が合併、海部郡八開村となる。

2005年、海部郡佐屋町、佐織町、立田村、八開村が合併、愛西市となりました。

マンホールは農集排、真空共に、村章のある規格蓋のみです。

昭和52年制定の村章は「「八、カ、イ」を左右一対の飛鳥にデザイン化し、雄飛を表し、全体で農作物の若い芽をも表現しており、豊かな農村づくりを意味しています。円形は融和、協調、団結、平和を、左右への伸びと上への伸びは、限りなき躍進を象徴。」旧HPより

旧庁舎近く、玉垣の中の「砲弾」はおそらく、旧陸海軍に対して廃兵器の下付を申し出た時のものと思われます。 この存在を今の価値観でとやかく言うべきではないと・・私は思います。

旧八開村のあちこちには、泥を掘り起こした沢山のレンコン畑が広がっています。

愛西市の旧自治体マンホールはこの旧八開村で最後。八開支所内でお目にかかった『あいさいさん』。 

撮影日:2017年3月29日

 
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ご当地マンホール in 愛知県旧立田村(愛西市)

2018年03月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡立田村(たつたむら)は愛知県の西部に位置した村です。村域の西側を木曽川・長良川が流れ、川を境に三重県・岐阜県と接していました。「村の木:黒松」「村の花:アカハス」を制定。

全国有数のレンコン産地で「備中」「ロータスホワイト」「金澄」の3種が、露地栽培・ハウス栽培等で1年中を通し出荷されています。また花ハスの栽培も盛んで、開花時の初夏には「森川花はす田」で蓮園が開催されます。

明治22年(1889)、町村制の施行により海西郡早尾村・五会村・立和村・川治村・六ツ和村が発足。

1906年、海西郡早尾村、五会村、立和村、川治村、六ツ和村二老・葛木・戸倉地区が合併、海西郡立田村が発足。

1913年、海西郡と海東郡が合併、海部郡となる。

2005年、海部郡佐織町・佐屋町・八開村と合併、愛西市となりました。

農業集落排水マンホールには、「Tatsuta Village」の文字と「村の花:赤ハス」がデザインされています。

農集排点検口マンホール

農集排真空弁マンホール

森川花はす田のアカハス

昭和52年年2月1日制定の村章は「「立田村の「立」を鳥の羽ばたく姿に図案化し、円は内に平和と団結、外に雄飛発展することを表したもの」旧HPより

「海部南部水道企業団(給水区域:旧佐屋町・旧立田村・弥富市・飛島村・蟹江の一部)」空気弁。

真空下水区間弁:規格蓋

愛西市役所で頂いた下水処理施設のパンフレットより転載

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧佐織町(愛西市)

2018年03月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡佐織町(さおりちょう)は愛知県西部に位置し、町内の勝幡町(しょばたちょう)は、隣接する稲沢市とに跨る「勝幡城跡」の所在地として知られています。昭和54年には、櫓台とされる位置の3m地下から基石が発見されており、現:愛西市佐織支所に保管されています。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により海東郡勝幡村、藤浪村、川淵村、草場村、諸古村が発足。

1906年、海東郡勝幡村、藤浪村、川淵村、草場村、諸古村が合併、海東郡佐織村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となる。

1939年、佐織村が町制を施行、海部郡佐織町となる。

2005年、海部郡佐屋町、立田村、八開村と合併し、愛西市となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の木:松」「町の花:菊」、「コミプラ(コミュニティ・プラント( 市町村による小規模な汚水処理施設)の略)」の文字がデザインされています。

昭和54年制定の町章は「四個の舟形は、織物(佐織縞)発祥地にちなみ、織機の「杼」を図案化。四学区の団結と融和並びに協調を外円で、また中のダイヤ形と佐の字は、佐織町の発展(横)と飛躍(縦)をそれぞれ象徴。」旧HPより

仕切弁

消火栓

量水器

空気弁「農水」

水準点(水準測量の際に標高の基準となる測量標の一つで永久標識)

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日
 
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ご当地マンホール in 愛知県旧佐屋町(愛西市)

2018年03月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡佐屋町(さやちょう)は愛知県の西南部に位置し、津島市・蟹江町・弥富町に隣接した町です。濃尾平野の一角にあり、広々とした沖積層からなるこの土地には善太川が流れ、また町内各地域には農業用水が多く見られます。合併後は愛西市の中心地として、庁舎が置かれています。旧庁舎は愛西市役所になった為、隣接する市立佐屋小学校校門前のモニュメント「愛に生きる」を。「町の木:アスナロ」「町の花:桔梗」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により海東郡佐依木村・八幡村・千秋村・大井村・神島田村、海西郡東市江村・市腋村・十四山村が発足。

1906年、海東郡佐依木村と八幡村が合併、海東郡佐屋村が発足。海東郡千秋村・神島田村・大井村が合併、永和村が発足。海西郡東市江村・市腋村の一部、十四山村の一部が合併、市江村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となる。

1955年、海部郡佐屋村と市江村西保・東保・西条・東条・本部田地区が合併、町制を施行し海部郡佐屋町となる。

1956年、海部郡佐屋町が、永和村大井・鰯江・大野・善太新田の一部を編入。

2005年、海部郡佐織町、立田村、八開村と合併、愛西市となりました。

マンホールには「人魚が住めるような水を目指して」をコンセプトとして左右に「人魚」。「町の花:桔梗」がデザインされています。

集落排水マンホール

真空下水道マンホール

昭和30年制定の町章は「毛利元就の教訓にある「三矢」を「佐屋」にたとえたものです。旧3村が三位一体となって佐屋町発展に一致協力するとともに、堅実安定、均等整備を意味し、人間性教育の指標として「知育」「徳育」「体育」の3大目標も表している。」旧HPより

防火貯水槽

愛西市役所で頂いた下水処理施設のパンフレットより転載

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日

 
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ご当地マンホール in 愛知県愛西市

2018年03月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

愛西市(あいさいし)は愛知県西端に位置し、木曽川を挟んで岐阜県・三重県と隣接しています。隣接する津島市を北西からカタカナの「ヒ」の字の地形で囲み、それを境として市南部の大半は海抜ゼロメートル地帯となっています。2005年4月1日に、海部郡佐屋町・立田村・八開村・佐織町が合併し、県下32番目の市として誕生しました。「市の木:槇」「市の花:ハス」を制定。

市名は「愛」知県の「西」部に位置することから名付けられました。2014年には、神奈川県愛甲郡愛川町の呼びかけにより、全国の「愛」の付く自治体で構成される「市町村サミット:愛のまち交流」に参加。

キャッチフレーズは 「人々が和み、心豊かに暮らすまち」

訪問当寺、愛西市独自のデザインマンホールは無く、旧町村のデザインを用いており、市名、市章が変更されています。旧佐屋町のデザインで「人魚」と「町の花:桔梗」で3サイズ。

同じく旧佐織町デザインで、「町の花:菊」「町の木:松」。中央に愛西市章。3サイズ揃っています。

旧立田村農業集落排水用で「ハス」がデザインされた真空弁マンホール。

2005年2月10日制定の市章は「愛西市の頭文字である「あ」のローマ字「a」をモチーフに、濃尾平野の豊かな緑とすがすがしい空気、木曽川、長良川の恵まれた自然を表現。 人々が連帯し飛躍する市民の姿を思い、赤の太陽で地域の飛躍を表現。」公式HPより

仕切弁

真空下水点検口:汚水小型ハンドホール

愛西市PR大使『あいさいさん』は、愛西市の自然が生んだ「謎の生物」。おおらかでのんびりな反面、何事にもチャレンジ精神旺盛。野菜が大好きで、常に野菜の友達をポケットに入れています。

撮影日:2011年4月25日&2017年3月27~29日

愛西市役所で展示マンホールの有無に関してお伺いした折、下水道担当の方とマンホールに関して色々とお話をさせていただきました。 現時点で旧自治体の展示マンホールは、少なくとも佐屋町・立田村に存在している事を下水道パンフレットの写真から確認して頂きました。話の中で、他の自治体の展示マンホールの扱いに対し、とても興味を持って聞いて下さり、貴重な時間を過ごさせて頂きました。頂いたパンフレットを手に、いつか展示マンホールがどの支所にも展示される事をお願いして庁舎を後にしました。担当者の方・・その節には本当に有難うございました。
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ご当地マンホール in 愛知県旧西枇杷島町・旧新川町・旧春日町(清須市)

2016年12月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧西春日井郡西枇杷島町(にしびわじまちょう)は愛知県名古屋市の北西に位置した町です。江戸時代、名古屋城と清洲城を結ぶ街道には、江戸の神田・大阪の天満と並び日本三大市場と呼ばれた「下小田井の市」があり、近世に至るまで問屋街として栄えてきました。江戸末期に編纂された「尾張名所図会」から起こされた「下小田井の市」をモチーフにした「にしび夢だいこん」に往時の賑わいが偲ばれます。「町の木:クスノキ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により西春日井郡西枇杷島町が発足。

2005年、西春日井郡清洲町・新川町との新設合併により、清須市が発足。清須市西枇杷島町となりました。

マンホールは、当時の町章を中央に配した規格蓋が一枚のみ・・と、かなり不本意な結果(-"-)

昭和44年(1969)10月1日制定の町章は「頭文字である「に」を、大空に飛び交う翼に表した。」

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旧西春日井郡新川町(しんかわちょう)は愛知県西部に位置し、東海地方最大の弥生集落「朝日遺跡」や、「尾張名所図会」にも登場する「尾張星の宮」などで知られた町です。「町の木:月桂樹」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、西春日井郡須ヶ口村・西堀江村・寺野村・阿原村・新川村が発足。

1890年、新川村が町制を施行、西春日井郡新川町となる。

1900年、須ヶ口村・西堀江村が合併、西春日井郡桃栄町が発足。

1906年、西春日井郡新川町・桃栄町・寺野村・阿原村が新設合併し、改めて新川町が発足。

2005年、西春日井郡西枇杷島町・清洲町と合併、清須市となりました。

マンホールには周囲に「町の木:月桂樹」、「町の花:サツキ」。町章と新川の流れ、二羽の「カワセミ」がデザインされています。

昭和39年(1964)10月1日制定の町章は「「しん」を、新川町の地形に図案化した。」

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旧西春日井郡春日町(はるひちょう)は愛知県西部、尾張地方の北部に位置した町です。濃尾平野の中部にあり、日本で一番小さい面積の町、また愛知県一面積が小さい自治体として知られていました。尾張大根を代表する「宮重大根」の発祥地として、落合宮重地区には「宮重大根発祥之地碑」が建立されています。「町の木:黒松」「町の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により西春日井郡下之郷村・落合村が発足。

1906年、下之郷村、落合村が合併し、西春日井郡春日村となる。

1990年、春日村が町制を施行。 西春日井郡春日町となる。

2009年、隣接する清須市に編入される。

マンホールには「五条川の桜並木」、宮重地区が発祥とされる「宮重大根」、マスコットの「宮重ダイちゃん」がデザインされています。

昭和48年(1973)1月1日制定の町章は「「はるひ」の頭文字「は」を図案化した。」

撮影日:2011年4月24日

 

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ご当地マンホール in 愛知県清須市・旧清洲町

2016年12月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

清須市(きよすし)は愛知県西部、尾張平野のほぼ中央に位置し、南東部は名古屋市、北部は北名古屋市・一宮市・稲沢市に、西部はあま市に接しています。市域には尾張平野最大の「朝日貝塚」を擁し、室町時代のはじめ守護所下津城の別郭として築かれた清洲城など数多くの歴史資源が残されています。弘治元年(1555)に織田信長が清洲城へ入城し、慶長年間には城下町一帯が「関東の巨鎮」と称され、文化の中心地として、また尾張の要所として栄えてきました。「市の木:花水木」「市の花:桜・チュ-リップ」を制定。

キャッチフレーズは「水と歴史に織りなされた安心・快適な環境都市 清須市」

2005年、西春日井郡清洲町、西枇杷島町、新川町が合併して発足。

2009年、西春日井郡春日町を編入、現在に至っています。

マンホールは市章を中心に置いた規格蓋ですが、この当時に見つける事が出来た貴重な一枚です。

2005年7月7日制定の市章は「2色のブルーの輪は、“水”と“未来”を象徴し、河川の流れと調和のとれた発展を表しています。また、水紋が重なり響き合うイメージは、安心・快適・創造のまちづくりが実現される姿を示しています。 清須市が、豊かな歴史環境や水辺環境を生かした魅力ある環境都市として飛躍する姿を表しています。」公式HPより

清須市イメージキャラクター『きよ丸』、清須市の花「桜とチューリップ」をあしらった着物と清須市章の旗印がお気に入りの清須男児。『うるるん』は清須のまちに流れる3つの川を見守る「川の妖精」。右手に持っているのは魔法の杖なのです。

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旧西春日井郡清洲町(きよすちょう)は愛知県名古屋市の北西に位置した町です。古くは尾張国の中心部に位置し、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し中山道にも連絡する交通の要所として栄えてきました。清州町を代表する鉄筋コンクリート造りの模擬天守は、町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設されたものです。「町の木:金木犀」「町の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、西春日井郡清洲村・朝田村・一場村が発足。

1906年、西春日井郡清洲村と朝田村、一場村が合併、調整を施行し西春日井郡清洲町が発足。

1909年、中島郡大里村西市場地区を編入。

1910年、海部郡甚目寺村廻間地区を編入。

1943年、海部郡甚目寺町土田・上条地区を編入。

2005年、西春日井郡西枇杷島町、新川町と新設合併、清須市となりました。

清州町のマンホールは、町章を中心に置いた名古屋型と呼ばれる規格蓋のみです。

昭和47年9月18日制定の町章は「頭文字の「き」を図案化し、全体の形で清州城を想像したものです。」合併協議会資料より

仕切弁

消火栓

撮影日:2011年4月24日

 

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ご当地マンホール in 愛知県大治町

2016年12月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

海部郡大治町(おおはるちょう)は愛知県の西部、濃尾平野の南西部に位置する町です。南北に流れる一級河川の庄内川、新川と二級河川の福田川の間にあり、東西2.4キロメートル南北3キロメートルのほぼ正方形で、面積は6.59平方キロメートル。名古屋市、あま市と隣接しています。面積は県内で豊山町に次いで2番目に小さいものの、人口密度は東海地方で名古屋市に次いで第2位。全国の町村では第3位 となっています。

キャッチフレーズは「笑顔あふれ みんなで育む 元気なまち おおはる

明治22年(1889)、町村制の施行により、海東郡大治村が発足。

1913年、海東郡・海西郡が海部郡となり、海部郡大治村となる。

1975年、大治村が町制を施行、海部郡大治町となる。

2021年にデザインマンホールが設置されたようですが、私の手元に在るのは中央にイメージアップマークがある規格蓋のみ。

制定年月日不明、イメージアップマーク「は大治町を流れる庄内川、新川、福田川と大治町のイニシャル「O」。オーと感じられるようにOを二つ重ねて「発信と交流」をイメージしたもの。全体の形は、未来に向かって「大きく飛翔する大治町民の姿」を表現している。」公式HPより

制定年月日不明、町章は「「大」を丸く図案化し、中央に「治」を配置して、円満な町政を表現している。」公式HPより

大治町マスコットキャラクター『はるちゃん』。大治町特産の赤しその妖精。チャームポイントは大きな目と赤しそのしっぽだそうです。・・・そうか、しっぽが有るのか(-"-)

撮影日:2011年4月24日&2017年3月28日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧七宝町(あま市)

2016年12月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡七宝町(しっぽうちょう)は愛知県中西部、2010年に合併した甚目寺町、美和町の他に、名古屋市、津島市、大治町、蟹江町と境を接していました。町名は、江戸末期より七宝焼きによる工芸品の製造が盛んであったことにちなんでつけられ、また加賀藩主:前田利家の正室「まつ」の生誕地としても知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、海東郡安松村、遠島村、沖之島村、秋竹村、桂村、川部村、下田村、伊福村、徳実村、下之森村、鯰橋村、鷹居村が発足。

1890年、安松村・遠島村・沖之島村が合併し、海東郡宝村が発足。秋竹村・桂村・川部村・下田村が合併し、井和村が発足。伊福村・徳実村・下之森村・鯰橋村・鷹居村が合併し、改めて伊福村が発足。

1906年、海東郡宝村、井和村、伊福村が合併、海東郡七宝村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となる。

1966年、海部郡七宝村が町制を施行、海部郡七宝町となる。

2010年、海部郡美和町、甚目寺町と合併、あま市七宝町となりました。

マンホールには「七宝焼の壺」を中心に、「町の木:松」、「町の花:水仙」が描かれています。

七宝焼きふれあい伝承館に展示されていた「七宝焼の壷」

街灯にデザインされた水仙柄の「七宝焼の壺」

町章を中心に「町の花:水仙」がデザインされた側溝蓋

昭和48年11月3日制定の町章は、七宝の「七」を図案化したもので、色は青色が使われています。

「仕切弁」

「排泥弁」

「消火栓」

「側溝蓋」

「〇に水」が図案化された汎用タイプの知章仕切弁

「町の花:水仙」と町章がくりぬかれたレリーフの街灯

撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日

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弥富市上野町にある「日光川下流浄化センター」には上記デザインマンホールのカラー蓋が展示されているそうです。

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧甚目寺町(あま市)

2016年12月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡甚目寺町(じもくじちょう)は愛知県中西部、名古屋市の西側に隣接しており、名古屋市のベッドタウンとして発展してきました。尾張四観音の一つである甚目寺観音が名称の由来であり、地名になったのは鎌倉時代からと伝えられています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、海東郡甚目寺村、萱津村、春富村、白鷹村、森村、新居屋村、東今宿村が発足。

1906年、甚目寺村、萱津村、春富村、白鷹村、森村、新居屋村、東今宿村が合併、改めて海東郡甚目寺村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となり、海部郡甚目寺村となる。

1933年、甚目寺村が町制を施行、海部郡甚目寺町となる。

2010年、海部郡美和町、七宝町と合併しあま市となりました。

マンホールには、町名の由来となった「甚目寺の南大門」や境内の伽藍が描かれています。

「甚目寺の南大門」

昭和45年(1970)1月1日制定の町章は「重要文化財の甚目寺:三重塔を象ったものです。」

<

「側溝蓋」

「町の木:クスノキ」がキャラクター化された側溝蓋。調べてみましたが、特にキャラとしての名前などはありません。

近くの柵にもいます。名前が無いのが勿体ないくらいよく出来ていると思うのですが・・・

甚目寺町では昔から「小松菜」が栽培されており、今も特産品として知られています。特産品の小松菜を高々とかかげる女性・・名前は無いみたい(笑)

こちらの女性が美味しそうに食べているのは甚目寺名物「こまっちゃんおやき」。観光協会、 町民、 町の和菓子店が一. 体となって開発した、特産のこまつなを入れた 「おやき」だそうです。おやき大好きなご亭主殿の「食べてみたい」というリクエストに「後でね」と言って、それっきり忘れてしまった気の毒な思い出が・・(^^;)

綺麗に彩色された女性が食べているのは、こまつな入りのどら焼き「こまっちゃんどら」。小松菜の煮びたしは好きだけど・・どら焼きは微妙(笑)

「方領大根」は江戸時代に甚目寺町方領地内で栽培された品種。「あいちの伝統野菜」に認定されています。

甚目寺地区の地場産業として知られる「刷毛(はけ)・ブラシ」「甚目寺の刷毛は、名だたる漆職人から銀座寿司店の職人、某国立大付属病院の名医まで、多くの愛好者によって支えられ、また陰のブランドとして、今も日本の名工たちの仕事を支えている」・・と、HPに掲載されていました。

ラストは甚目寺の纏いを持つ消防士さんで「火の用心」。愛知県警から応援に駆け付けたマスコットキャラクター『コノハけいぶ』「交通安全」。思いがけず楽しませて頂きました(〃∇〃)

撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日

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弥富市上野町にある「日光川下流浄化センター」には上記デザインマンホールのカラー蓋が展示されているそうです。

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