車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛知県旧美和町(あま市)

2016年12月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡美和町(みわちょう)は名古屋市の西12km、海部郡の北端に位置した町です。2010年に合併した甚目寺町、七宝町の他に、津島市、愛西市、稲沢市とも境を接していました。

歴史上に名高い『蜂須賀正勝、福島正則、豊臣秀次、溝口秀勝』らを輩出した町としても知られ、二ツ寺屋敷には賎ヶ岳の七本槍で知られた「 福島正則公生誕地碑」が残されています。

旧キャッチフレーズは「花とみどりと戦国武将のふるさと」

1889年(明治22年)、町村制の施行により、海東郡正則村、金賀木村、篠田村が発足。

1890年、海東郡金賀木村が蜂須賀村に改称。

1906年、海東郡正則村、蜂須賀村、篠田村が合併、海東郡美和村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡が発足。

1958年、海部郡美和村が町制を施行、海部郡美和町がとなる。

2010年、海部郡甚目寺町、七宝町と合併、あま市となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:スミレ」。周囲に「町の木:カシ」がデザインされています。

昭和43年(1968)4月1日制定の町章は、合併した三つ村を表しています。

「仕切弁」

「制水弁」

「空気弁」

「消火栓」

「町の花:スミレ」がデザインされた街灯。

【  山路きて  なにやらゆかし 菫(すみれ)草  】 松尾芭蕉

足元に咲いていた菫に、ふと口をついた芭蕉さんの一句

撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日

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弥富市上野町にある「日光川下流浄化センター」には上記デザインマンホールのカラー蓋が展示されているそうです。

 

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ご当地マンホール in 愛知県あま市

2016年12月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

あま市は愛知県の西部に位置し、ほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯の町です。名古屋市、清須市、稲沢市、愛西市、津島市、大治町、蟹江町に接し、広大な濃尾平野とそこを流れる河川の恩恵を受けて、近郊農業を中心に発展してきました。2010年3月22日、海部郡甚目寺町・美和町・七宝町が合併して誕生。市名は、難読の郡名である「海部」をひらがなに直して「あま市」としました。あま市役所 本庁舎 は、旧美和町役場に置かれています。「市の木:ハナミズキ」「市の花:百合」を制定。

キャッチフレーズは 「人・歴史・自然が綾なすセーフティ共創都市”あま”」

マンホールは旧甚目寺町のデザインで、自治体名が「あまし」に変更されています。

旧美和町のデザインマンホール。中央町章部分が消され、自治体名があましに変更されています。

2010年9月23日制定の市章は「ひらがなの「あま」から受ける印象と、AMA(エー、エム、エー)という対称的な文字の組み合わせによって、あま市の将来像を表しています。」公式HPより

「仕切弁」

「排泥弁」

「空気弁」

「量水器」

あま市公認キャラクターの『あまえん坊』は、「あま市生まれのアマガエル。子供たちが大好きな、カエルのお坊さんなんだケロよ。人と人との出会いを大切に、仲良く手をつないで円(縁)になるんだケロ。いつか、あま市に大きな輪を広げるのが夢だケロ!」公式HPより

撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日

 
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ご当地マンホールとマンホールカード in 愛知県小牧市

2016年11月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

小牧市(こまきし)は愛知県の北西部、濃尾平野の北東部で名古屋市の北側に位置しています。複数の高速道路が交わることから、陸上交通の要衝ともなっており、市の中部には、織田信長が初めて築城し、豊臣秀吉と徳川家康の天下分け目の合戦の1つである「小牧・長久手の戦い」の舞台ともなった小牧山が、南部には県営名古屋空港(通称・小牧空港)の一部や航空自衛隊小牧基地があります。「市の花:ツツジ」「市の木:タブノキ」を制定。

キャッチフレーズは「キミと一緒に 育っていきたい」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東春日井郡小牧町・外山村・境村・和多里村・岩崎村・味岡村・久保一色村・大草村・大野村・池林村・陶村が発足。

1894年、東春日井郡境村間々村、間々原新田が分立し、真々村が発足。

1906年、東春日井郡味岡村、岩崎村、久保一色村が合併、味岡村が発足。大野村・池林村・陶村が合併、篠岡村が発足。

1906年、東春日井郡小牧町、外山村、真々村、境村、和多里村が合併し二代目小牧町が発足。

1955年、東春日井郡小牧町、篠岡村、味岡村と合併、小牧市が発足。

1963年、西春日井郡北里村(薬師寺以外)を編入。現在に至ります。

マンホールには周囲に「市の花:ツツジ」、内側に「小牧城と市の木:タブノキ」が描かれています。

「鳥をイメージしたKOMAKI」の文字を中心に「小牧城」「飛行機」「魚」「桃」などがデザインされています。(モートショッピングセンター付近に設置)

メタウォーター下水道科学館あいち:展示マンホール

昭和30年4月1日制定の市章は「左よりかたかなで「コマキ」を表し、市章全体は空港都市小牧の象徴である航空機の機関部正面を表し、将来への飛躍を物語っているものである。」公式HPより

お茶目なシティーボーイ風の消防官が描かれた「消火栓」。

七夕用の角蓋

「市の花:ツツジ」の路上タイル

小牧市制50周年記念事業で誕生した小牧市マスコットキャラクター『こまっきー』。小牧市の花「ツツジ」をモチーフにした、元気で親しみやすい男の子です。

撮影日:2011年6月4日&2018年3月23日

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マンホールカード 頂きました。

2020年12月17日、第13弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が開始されました。「小牧市A」のマンホールカードは、「小牧駅前観光案内所」でいただけます。

1990年に設置開始されたマンホールには「市の花:ツツジ」と「小牧城」「飛行機」、「桃・魚」がデザインされています。

「小牧市は、空港や高速道路の結節点という地理的特性を生かし内陸工業都市として発展してきました。 歴史的には織田信長が築城し、後に「小牧・長久手の戦い」で徳川方が陣を構えた小牧山(国指定史跡)が有名です。 現在は本市のランドマークとなっており、山頂には小牧市歴史館、麓には「れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)」があります。 また、篠岡地区は「しのおかの桃」の産地として知られています。 市制35周年を記念し市民公募で1990年に制作され、鳥をイメージした「KOMAKI」の文字を中心に、魚で3つに分けた区域にそれぞれ飛行機、歴史館、桃を描いています」

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 愛知県安城市

2016年11月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

安城市(あんじょうし)は愛知県のほぼ中央に位置し、愛知県下では8番目の人口を有する市です。豊田市、岡崎市、西尾市、刈谷市、碧南市、知立市、高浜市に隣接。明治13年に開発された明治用水の開通により大規模な開墾が行われ、農業の先進的な取り組みが行われたことから、1920年代から1930年代にかけて、農業先進国のデンマークになぞらえ「日本デンマーク」と呼ばれました。名古屋市や豊田市の衛星都市であり、自動車工業を中心とする機械工業が盛ん。赤松町にある「安城産業文化公園デンパーク」は道の駅を併設した農業公園として人気です。「市の木:黒松」「市の花:サルビア」を制定。

かって交通の拠点となった東海道、安城市浜屋町屋敷山付近に残る東海道の松並木は今も往時の面影を偲ばせており、昭和45年3月6日に市指定天然記念物に指定されました。

キャッチフレーズは「受け継ぐ想いを未来に届ける 望遠郷 市民とともに育む環境首都・安城」

明治22年(1889)、町村制の施行により、碧海(へきかい)郡安城村・里村・箕輪村・福釜村・赤松村・今村・古井村・平貴村・長崎村・藤野村・桜井村・小川村・三ツ川村・米津村・西端村・東端村・根崎村・城ヶ入村・和泉村・榎前村・高棚村・小垣江村・野田村・半高村・長崎村が発足。

1906年、碧海郡安城村・里村・箕輪村・福釜村・赤松村・今村・古井村・平貴村、長崎村篠目が合併、碧海郡安城町が発足。

碧海郡藤野村・桜井村・小川村・三ツ川村が合併、碧海郡桜井村が発足。

碧海郡米津村、西端村、東端村、根崎村、城ヶ入村、和泉村、榎前村が合併、碧海郡明治村が発足。

碧海郡高棚村、小垣江村、野田村、半高村、長崎村が合併、碧海郡依佐美村が発足。

1952年、碧海郡安城町が市制を施行、安城市となる。

1955年、碧海郡明治村大字東端、根崎、榎前、和泉、城ケ入、石井の区域、および依佐美村大字井杭山、二本木、高棚の区域を編入。

1956年、碧海郡 桜井村が町制を施行、桜井町となる。

1960年、岡崎市宇頭西地区、河野町を編入。

1967年、碧海郡桜井町を編入。

マンホールには、童話作家:新美南吉の作品「花のき村と盗人たち」の一場面が描かれています。

安城市の市章を中心に、仙台、平塚と並ぶ日本三大七夕祭りの一つ「安城七夕まつり」の竹飾りが描かれています。

雨水用マンホール

中央に市章の無いタイプ

中央が市章ではなく「平成元年」と書かれているマンホール

「メタウォーター下水道科学館なごや」展示マンホール

「メタウォーター下水道科学館あいち」展示拓本

「安城七夕まつり」の路上タイル

国指定重要無形民俗文化財の安城三河万歳で使われる「才蔵の鼓」と「太夫の扇」が描かれています。

「メタウォーター下水道科学館あいち」展示拓本

安城市衣浦東部処理区で使用されている「鴨のつがいと桃の花」がデザインされたマンホール。

日本有数のイチジク産地:安城市の集落排水マンホールは「イチジク」のデザイン。

「安城産業文化公園・デンパーク」内に設置。たがやすよろこび、つくる感動をデザインした 天の恵みを象徴する「天体」、農の営みを象徴する「鶏」、世界に共通する美しい「田園風景」、安城市民の「フロンティア・スピリット」を 要素としているデンパークのシンボルマークがデザインされています。

安城デンパーク

昭和35年(1960)5月5日制定の市章は、昭和27年5月から非公式に使用されていたもので、「安城市の「安」を図案化。発展を 象徴する末広がりが特徴となっ ています。」公式HPより

無印ですがちょっと洒落ていたので

消火栓

仕切弁

支菅弁

安城市の花「サルビア」の路上タイル

安城市の木「くろ松」の路上タイル

安城市制施行50周年を記念して生まれたマスコットキャラクター『サルビー』。市の花・サルビアのつぼみの形をした帽子をかぶっている花の精です。

安城七夕公式キャラクター『願いごとの精 きーぼー』。みんなの願いごとを星にかえて天の川までとどけてくれます。

撮影日:2011年9月23日&2017年3月30日

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2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「安城市A」のマンホールカードは、「安城市図書情報館」でいただけます。

2014年に設置開始されたマンホールには、童話作家:新美南吉の作品「花のき村と盗人たち」の一コマがデザインされています。

「童話「ごんぎつね」などで知られる作家、新美南吉は昭和13年から5年間、安城で教師として働くかたわら創作活動に励みました。 本マンホール蓋は、南吉が安城時代にのこした童話花のき村と盗人たち」の一場面を描いたものです。物語の内容は、花のき村を訪れた盗人たちが、 少年から信用された嬉しさに涙を流し、正しい心を取り戻しますが、実はその少年はお地蔵様であったというもの。物語の舞台とされる安城市 花ノ木町周辺は現在、図書情報館などの複合施設「アンフォーレ」(平成29年6月オープン)を拠点としたまちづくりが進行中で、本マンホール蓋は その周辺に設置されています。」

訪問日:2017年3月30日

 

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ご当地マンホール in 愛知県飛鳥村

2016年11月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

海部郡飛島村(とびしまむら)は愛知県の西南部、海部郡の南東端に位置し、東は日光川の中央を境とし、蟹江町・名古屋市港区に、西は筏川の中央を境とし、北は弥富市に隣接し、南は伊勢湾の最北部に面し、県内で2つしかない村の一つです。村域のほとんどが開墾された土地で、1693年に大宝新田、1801年に飛島新田、1879年に政成新田が開拓され今日に至っています。「村の木:桜」「村の花:菊」を制定。

飛島村大宝二丁目にある「大宝(おおだから)六角れんが蔵」。貴族院議員であった大宝家10代当主:大宝陣が、明治41年(1908)頃に自身が経営する大宝農林部の書類倉庫として建てたもので、1994年に飛島村の有形文化財に指定されました。

いずれの方向から見ても建屋の角が見える六角柱形状(クロイスターヴォルト様式)で、イギリス積みで組み上げられた煉瓦壁の上に煉瓦造りのドームを載せ、その上に日本式の瓦葺き屋根を施工しています。

キャッチフレーズは「小さくてもキラリと光る村 とびしま」

1889年(明治22年)、町村制の施行により 海西郡飛島村が発足。

1906年、海西郡宝地村大宝、八島、重宝地区を編入。

1913年、 海西郡が海部郡と改称され、海部郡飛島村に改称。

1971年、名古屋港西部臨海地帯の西2区・4区を編入。

マンホールは村章のある規格蓋のみ。ASD仕様(スリップ防止)のマンホール。

村章の下に「農水」の文字。飛島土地改良区管理の農業用下水管マンホール蓋。

昭和55年(1980)3月25日制定の村章は「ひらがなの「と」の字を図案化したもので、上部のV字形に開いているところは、未来への限りない村の発展を、下部が丸くなっているところは、この村がいつまでも平和で、人々が円満に暮らせるようにとの願いをシンボライズしたものです。」公式HPより

自治体章の無い「農水」「空気弁」

同じく「農水」「制水弁」

海部南部(海部南部水道企業団)の水道消火栓。給水区域は「愛西市旧佐屋町と旧立田村・弥富市・飛島村・蟹江町の一部。」

上部に海部南部水道企業団章のある仕切弁。

中央に「海」の文字、おそらく海部南部水道企業団の空気弁。

「真空下水点検口」。管路内を真空にし大気圧との差圧を利用して汚水を収集するシステムの為の点検用ハンドホール。

飛島村役場内に展示されていた「五万年前の古代杉・愛知万博 飛島村の日」と記されています。

撮影日:2011年4月24日&2017年3月27日

 
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ご当地マンホール in 愛知県豊明市

2016年11月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

豊明市(とよあけし)は愛知県の中部、尾張地方の南東端に位置する市です。名古屋市、大府市、刈谷市、愛知郡東郷町に隣接。市域の栄町南館には桶狭間の戦いの主戦場となった「桶狭間古戦場伝説地」があり、この戦いで織田信長が今川義元の大軍を破ったことにちなみ、「大金星のまち とよあけ」と称して各種観光PRが行なわれています。「市の木:ケヤキ」「市の花:ヒマワリ」を制定。

キャッチフレーズは「みんなでつなぐ しあわせのまち とよあけ」

明治22年(1889)、 町村制の施行により愛知郡豊明村・沓掛村が成立。

1906年、沓掛村と新設合併、改めて豊明村が発足。

1957年、豊明村が町制を施行、愛知郡豊明町となる。

1972年、愛知郡豊明町が市制を施行、豊明市が発足。

マンホールには、槍を持ち騎馬で戦う武将たちの桶狭間の戦いが描かれています。

もう一種には市章を中心に「市の花:ヒマワリ」と「市の木:ケヤキ」がデザインされています。

昭和41年10月1日制定の市章は「豊明の「トヨ」の文字を図案化して両翼に輪舞する人型をとって市民の協力と飛躍を表わしたものです。」公式HPより

防火水槽

市制施行前の「豊明町」時代の消火栓。町章があればもっと良かったのですが贅沢は言えません。

愛知中部水道企業団「愛中水」の「空気弁」と「泥吐弁」。供給エリアは、長久手市・日進市・みよし市・豊明市・東郷町。

「空気弁」と「止水栓」。〇の中に水の文字は全国統一の規格ものと思われます。

公共測量基準点

豊明市PR武将『のぶながくん』と『よしもとくん』。楽しいことが大好きで、面白い事がないかといつも探している。咄嗟の閃きで、いざという時に頼りになる男の子『のぶながくん』。ゆったりまったりしているように見えるけど、 実は天下を取るために日々鍛えている『よしもとくん』。 大好きな豊明を盛り上げるため、この桶狭間の地から二人一緒にどこへでも奔走します!

撮影日:2011年9月23日&2018年3月21日

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2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(累計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「豊明市」のマンホールカードは、「豊明市役所 下水道課」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「桶狭間の戦いの一場面」がデザインされています。

「「桶狭間古戦場を」イメージし、市の下水道元年(昭和63年)に制作されたマンホール蓋です。 「桶狭間の戦い」は、織田信長が数的不利をはねのけ、今川義元を打ち破った一戦として知られています。 まさに日本史上まれにみる大金星であり、その舞台となったまちが、ここ豊明です。 市内には、国指定史跡の「桶狭間古戦場伝説地」をはじめ、信長と義元にゆかりのある史跡が数多く遺されています。 それらをめぐることによって、天下人へ駆け上がった信長の勝負運にあやかることができるかもしれません。 なお、本カードに使われている蓋は、市の玄関口である前後駅前に設置されています。」

訪問日:2018年3月21日

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ご当地マンホール in 愛知県幸田町

2016年11月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

額田郡幸田町(こうたちょう)は愛知県の中南部に位置し、西三河地方唯一の額田郡を構成する自治体です。町域には 中部工業団地をはじめとした多くの工業団地があり、特に自動車関連産業を中心とした製造業が盛んです。また1本の木から甘柿と渋柿が成る不完全甘柿「筆柿」が有名で、全国の生産量の95%を幸田町が占めています。

キャッチフレーズは「夢のある 心かよう 活力ある町」

明治22年(1889)、町村制の施行により額田郡坂崎村・相見村・深溝村が発足。幡豆郡松坂村・豊国村が発足。

1906年、額田郡坂崎村、相見村、深溝村が合併、額田郡広田村が発足。幡豆郡松坂村、豊国村が合併、幡豆郡豊坂村が発足。

1908年、東海道本線幸田駅に合わせ、広田村を幸田村(こうだむら)に改称。

1952年、幸田村が町制を施行、額田郡幸田町となる。

1954年、幡豆郡豊坂村と合併、額田郡幸田町(こうちょう)となりました。

マンホールには、町章を中心に「町の花:ツバキ」が描かれています。

昭和34年7月14日制定の町章は「幸田町の頭文字「Kota」をイメージしたもので、 町の人々の円満融合と団結を表しています。」公式HPより

幸田町:旅の御意見帳キャラクター『大久保彦左衛門』。実はここ幸田町は三河の戦国武将で、家康・秀忠・家光の三代に仕えた天下の御意見番「大久保彦左衛門」ゆかりの地なのです。

撮影日:2011年9月22日

 

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ご当地マンホール in 愛知県蒲郡市

2016年11月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

蒲郡市(がまごおりし)は愛知県の東三河地方、渥美半島と知多半島に囲まれ、三河湾に面する南部の沿岸一帯が三河湾国定公園に指定された観光都市です。地名は1878年に蒲形村と西之郡村が合併したさい、「蒲」と「郡」を一字ずつ取って命名されました。近代から名古屋市近郊の保養都市として開発された歴史を持ち、西浦温泉、三谷温泉、形原温泉、蒲郡温泉の4つの温泉街や、温室みかんで知られる蒲郡みかんの産地としても知られています。

1889年(明治22年)、 町村制の施行により宝飯郡蒲郡村・豊岡村・静里村・神之郷村・三谷村・塩津村・大塚村・形原村が発足。

1891年、蒲郡村が町制を施行し、宝飯郡蒲郡町となる。

1894年、 三谷村が町制を施行し、宝飯郡三谷町となる。

1906年、宝飯郡豊岡村、静里村、神之郷村を編入。

1924年、形原村が町制を施行し、宝飯郡形原町となる。

1944年、西浦村が町制を施行し、宝飯郡西浦町となる。

1954年、宝飯郡蒲郡町、三谷町、塩津村が合併し、愛知県15番目の市・蒲郡市となる。

1955、宝飯郡大塚村:大字大塚、大字相楽を分村合併により編入。

1962年、宝飯郡形原町を編入。

1963年、宝飯郡西浦町を編入、現在に至ります。

マンホールには、「三河湾」を背景に「カモメ」、島全体が天然記念物である「竹島」と「竹島橋」が美しくデザインされています。

愛知県下水道科学館:展示マンホール

「竹島」と「竹島橋」

もう一種のマンホールには上下に「マリンメディアポリス」「海も川も美しく」の文字と、「三河湾」を背景に「カモメ」「市章マーク付きのヨット」「市の花:ツツジ」がデザインされています。

1955年(昭和30年) 7月20日制定の市章は「徳川の親系、蒲形松平家の家紋である「丸に一の字」を図案化したものである。」公式HPより

親子タイプ仕切弁

消火栓

空気弁

制水弁

竹島園地に出没した謎のキャラクター。謎なので名前は不明(笑)

撮影日:2011年9月22日&2018年3月19日

 

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ご当地マンホール in 旧幡豆町(西尾市)

2016年10月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧幡豆郡幡豆町(はずちょう)は南は三河湾に面し、北側は山地で、町の東部には三河湾国定公園を構成する幡豆山塊の最高峰である「三ヶ根山」があります。

1889年(明治22年)、町村制の施行により幡豆郡幡豆村・東幡豆村が発足。

1906年、幡豆村と東幡豆村が統合し、幡豆村が発足。

1928年、幡豆村が町制を施行し幡豆郡幡豆町が発足。

2011年、吉良町・一色町とともに西尾市に編入合併され、西尾市となりました。

マンホールには前島(うさぎ島)、沖島(猿が島)、「町の花:山ツツジ」、「町の木:山桃」がデザインされています。

昭和42年9月18日制定の町章は「「幡豆」の「ハ」を表現。単純であるが斬新であること、町旗にした場合に「日の丸」との調和が非常に良いことなどを理由に制定された。」旧資料より

寺部城址近くで偶然見かけた巨大な一枚岩は「寺部の立岩」。岩は太山寺の薬師如来のご威光がかかるとされ、仏神三宝詣の身を清める場ともいわれていました。

幡豆町東部の三ヶ根山には、大東亜戦争で敗戦国となった国の責任を一身にうけ、刑場の露となられた殉国者が祀られる「殉国七士廟」があります。叶うならどうしても立ち寄って手を合わせて来たかったのですが、地理的に負担がかかるコースであり、結局、その願いが叶う事はありませんでした。何年たってもその心残りは消えてくれません

撮影日:2011年9月22日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧吉良町(西尾市)

2016年10月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧幡豆郡吉良町(きらちょう)は三河湾に面した町です。海上には無人島の梶島があり、西尾市、一色町、幡豆町、幸田町に隣接。また江戸時代初期の著名な領主に高家旗本吉良義央がいた事でもしられています。町名は青鳥山周辺の地質にみられる斑れい岩を貫くペグマタイトの中に白雲母(キララ)があり採取が行われていたことに由来。「町の木:桐」「町の花:ツツジ」を制定。

1889年(明治22年)、町村制の施行により、幡豆郡横須賀村・荻原村・富田村・瀬門村・厨村・宮崎村・吉田村、保定村が発足。

1892年、横須賀村が町制を施行し幡豆郡横須賀町となる。

1906年、横須賀町・荻原村・富田村・瀬門村・厨村が合併して改めて幡豆郡横須賀村が発足。吉田村・宮崎村・保定村が合併して改めて幡豆郡吉田村が発足。

1924年、吉田村が町制を施行し幡豆郡吉田町が発足。

1955年、幡豆郡横須賀村と吉田町が合併、幡豆郡吉良町が発足。

2011年、西尾市に編入合併され、西尾市吉良町となる。

マンホールには町章を中心に、「町の花:つつじ」と「町の木:桐」がデザインされています。

昭和32年8月10日制定の町章は「キラ」の2文字を図案化し意匠化したものです。

「西三河南部水道企業団」事業章入り仕切弁

撮影日:2011年9月22日

 

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