米沢市丸の内、米沢城本丸跡に鎮座される「上杉神社」。御祭神は『上杉謙信公』。
由緒「天正6年(1578)、上杉謙信公は越後の春日山城にて49歳で急逝。その遺骸は城中不識庵に仏式を以て鎮祭された。景勝公が会津を経て米沢に移封されるに当たり、御堂を米沢城内に移し仏祭を厳修。明治に、御堂のまま神祭に改め、中興の鷹山公を合祀して上杉神社と称す。明治9年(1876)に新たに神殿が成り、遷座祭を挙行。」公式HPより
「祠堂遺跡」明治9年(1876)に上杉謙信公の霊柩を御廟所中央に奉遷するまで安置した場所。明治24年(1896)、祠堂跡に遺跡碑が建立されました。
場違いな感じが否めない「招魂碑」ですが、この地は上杉謙信公の遺骸を安置した御堂が建っていた所。明治になり米沢城跡は公園となり、謙信公の遺骸も御廟所に移されました。明治11年4月、戊辰戦争および西南戦争で戦死した郷土の人を慰霊する為に招魂碑を建立。その後、諸戦争で戦死した将兵の霊も合祀されました。
参道正面に建立された『上杉謙信公』像。
「上杉謙信公家訓十六ヶ条」
大正8年(1919)の大火で境内は本殿以下全焼。『伊東忠太氏』の設計により翌9年から再建が開始され、同12年4月に現在に残る社殿が完成しました。
拝殿
楼門
楼門左右より神域を守護されるのは、社殿を設計された『伊東忠太』の手になる大正12年4月建立の狛犬さん一対・・護国型でも無く招魂社型でも無い、でもどちらの特徴も併せ持った・・しいて言うなら「伊東忠太型」と名付けたい独自の形状です。
上杉神社本殿の右に並ぶ「稽照殿」。館内には上杉謙信の遺品を主として、刀や甲冑、絵画など約300点が収蔵展示されています。
参道にある舞鶴橋には「毘」と「龍」の軍旗。「毘」は上杉謙信が毘沙門天を厚く信仰していたことに由来。「龍」は不動明王を表し、全軍総攻撃をする際に突撃の合図として掲げられた旗と言われています。
参拝日:2015年6月21日