松本市里山辺に建つ真言宗智山派寺院「恵日高照山:兎川寺(とせんじ)」。『千手観世音菩薩』を本尊とします。「松本三十三番観音霊場第33番札所」。「筑摩三十三番観音札所第2番札所」。「信州七福神:寿老人」。
「当山は聖徳太子の創建と伝えられ、飛鳥文化はなやかな千数百年前に開山された。中世には真言・天台両宗合わせて二十四房からなる大伽藍であり、広く信仰を集めていた。長い歴史の中で、南北朝時代の天台宗院の衰えや戦国時代の戦禍を受けながらも、歴代松本城主の帰依・領民の信奉によって、長く法灯を伝えて来た。明治四年の廃仏毀釈令により廃寺と成り、一時山辺学校の教堂として使われたものの、檀信徒諸宗の篤い信仰の力によって現在の姿が残されている。」境内案内より
境内入ってすぐ 参道左右より寺内を守護されるのは松本型狛犬の一対。まさかお寺で対面できるとは・・😊 これも観音様のお導き🙏。
台座に刻まれた刻は「建立年:昭和10年11月24日 刻 者:田近正一」。これまでの狛犬さんよりも若干顔つきが厳しく見えるのは、ここが「お寺」だからでしょうか?
現在の本堂は文政三年、『大隈流上社宮大工・原五左衛門』の弟子であり、同時代に独自の建築を展開した『藤森広八』の手によるもの。近年になって、諏訪大社上社本宮の東端の布橋、四脚門などが、彼の建築と判明しているそうです。
褄下で、勢いよく跳ねる「波兎」
向拝の龍
貫より参拝者を見守る獅子と象
本堂屋根の寺紋は「三階菱に真向い兎」
本堂前に座す如来像
当時の城主であった小笠原長時が信玄に敗れて松本城を退去する際、兎川寺の住職に預けたと伝えられる「小笠原牡丹」
境内には文化財に指定されている、信濃松本藩の初代藩主『石川数正夫婦供養塔』があります。
江戸時代後期の建立とされ、同じく文化財指定の「百体観音」
地蔵堂に祀られる端正なお顔の「六地蔵」
屋根には「波間に繭玉」を象った瓦
小さな赤子を抱くお地蔵様、左手に玉を持つお地蔵様。どのお地蔵さまもそれぞれ仏具らしきも物を手にされているのですが、生憎と不勉強で・・
地蔵堂の中に座すお地蔵様。柔和なお顔は、その姿に手を合わせる人が一番逢いたいと願うお顔になるんだろうな・・と、そんな事を思わせる・・
御詠歌【 円満に 如来の光 輝きて 参るその身は うかむ嬉しき 】
参拝日:2010年10月17日
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