みやしたの気まぐれblog

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冬の田切駅掃除に伴う旅行 前編

2015-01-25 10:20:07 | 乗り鉄
1/4の朝に実施された田切駅掃除のため、1/3-4で出かけてきました。

田切ネットワークの他のメンバーは、1/2の「ムーンライトながら」の切符が取れたのでそちらで移動していましたが、1/2の午前中に福岡出張から戻った私は、午後には親戚の集まりに顔を出して疲れ切ってましたので、さすがに夜行移動は無理。1/3の朝に新幹線で豊橋へ向かいました。

豊橋からは飯田線で宿泊地の伊那北まで向かうわけですが、それは夜に着けば良いので、豊橋鉄道の渥美線と市内線に乗ってきました。渥美線は久しぶりに乗車したんですけど、元東急7200系の1800形電車が前に乗車したときとはラッピングが変わってました。また、終点の三河田原駅はすっかり建て替えられて別の駅になってましたね。





新豊橋駅にて。元東急7200系の全面ラッピングが独特ですねえ。豊橋鉄道は名鉄の連結子会社なんですが、渥美線も以前は名鉄の古い車両を利用していたんですけど、2000年に東急の旧型車に置き換わりました。子会社が親会社の旧型車を使用せず、東急の旧型車を使用するのは伊賀鉄道(親会社は近鉄)の例もありますね

三河田原駅に到着。着いた途端に、なんかきれいになった感じというイメージ


駅舎はすっかり建て替えられ、現代的デザインになってました

参考までに11年前に訪問した際に撮影した当時の駅舎

豊橋駅に戻ると、隣に373系がいました。線路がJRのすぐ横なのでこんな形になります。これも新豊橋駅移転後からの姿ですけどね

豊橋に戻ったら、市内線に乗り換えます。市電とも言われてますが、豊橋鉄道の私鉄路線で、豊橋市の公営路線ではありません。
市内線も昔から名鉄のお古を使ってきましたけど、10年ほど前に名鉄の岐阜軌道線が全廃された際に、多数の車両が移ってきました。それでも、全部は置きかえにならなかったのですが(連接車は入らなかったので)。現在は名鉄と都電のお古が動いてますが、独自の新車T100形も導入されています。


豊橋駅前にて、元名鉄のモ780形。豊橋鉄道でも同形式。ラッピングされる豊鉄では、名鉄時代とは違う雰囲気ですが


車内の様子。液晶モニタは近年設置された物ですね

運転台。90年代後半の製造だけに、路面電車としては現代的なマスコンです

終点の赤岩口で下車


車庫に泊まっている車両を撮影しました

同じ電車では戻らず、1本お見送り

次の電車は、また違うラッピングのモ780形でした

豊橋に戻ったら、飯田線で豊川へ。豊川稲荷へお参りに行きます。
正月の三が日ですから、混雑は予想していたんですが、やはりかなり混んでいました。お参りを何とか済ませたら、時間があったので名鉄経由で豊橋へ戻りました。



お寺(神社では無い)に入ってから、お参りだけで30分くらいかかったような

お稲荷さんなので、狛犬では無くキツネです

豊川稲荷駅より名鉄に乗ります


国府駅にて

豊橋へ戻ります

豊橋からは飯田線をひたすら北上しました。一応、元善光寺駅で降りて、元善光寺もお参りしたんですけど、18時を過ぎていたら真っ暗でして、まったく人気も無く、お堂も閉まっていてお参りできませんでした。

213系5000番台に乗車。この電車は天竜峡行き

大嵐駅にて列車交換のための停車

小和田駅ホームには雪がありました。こんな状態なのに、この駅から乗ってくる人が居たり・・・明らかに鉄道ファンですね(住人2人の駅ですから。お引っ越しされていなければ)

平岡駅で「伊那路」との行き違い停車

373系「伊那路」です

天竜峡駅で313系3000番台に乗り換えまして、これは伊那大島だったかな

伊那北到着後は、駅近くのホテルで宿泊しました。正月三が日で、いつも泊まる伊那市のホテルがお休みだったので。
田切の他のメンバーは別の場所に泊まったんですけど、そちらは予約が一杯になっちゃってたんですよね。
次回は田切掃除と、帰りの寄り道です。
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