田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

田切掃除冬3

2005-11-25 19:43:58 | 飯田線の旅
 MLながらに乗るにはまず、座席指定券の手配が肝要なのだ。しかも、座席数の多い東京~小田原間ではなく、東京~名古屋間の指定券が是非ほしい。
 ところで、僕はかねがね疑問に思っているのだが、東京~小田原間の座席指定券だと、小田原で何と言うか「座席指定の効力」が無くなるらしく、小田原から大量の人が乗り込んできて、空いている座席だけならまだしも、デッキにも通路にも座り込む。これはいったい何なのだろう???
 したがって東京~名古屋間の座席指定車両は、座席指定の効力が名古屋まで失効しないので通路に人があふれない。これはいかなるJRの運行規定による現象なのだろう??詳しい人に是非解説してほしい。
 だいたい、夜行のながらを小田原で降りる客がいったい何人居るだろう??なのに小田原までの座席指定券が大半とは、JRはふざけるのも大概にしてほしい。
 そんなわけで、快適な夜行列車缶ビールライフの為に、是非とも名古屋までの指定券を入手せねばならない。これはツアコンの宇宙局長に科せられた重責なのだが、発券当日早朝に最寄りのでかいJR駅に行けばいいだけではないだろうか????是非ともがんばって頂きたい。その分、ながらでの缶ビールは僕が準備する。
 名古屋での時間が無いのは致し方ない事だ。6時台の到着ではホームのそば屋も開いていないので、さほど影響はない。朝食は豊橋の長時間停車中に駅前のローソンで買い出せばよいのだ。
 名古屋からは、いわゆる中央本線(中央西線)で北上する。実はまだ松本までの区間を完走した事がない。今回はそれも楽しみの一つだ。途中には観光地として大変有名な木曽福島や馬籠宿などがあるが、それらは今回全く立ち寄らない。時間がないのだ。南信州の旅と言えばどちらかというと(圧倒的に)木曽路がメジャーな観光地だ。伊那路はむしろマイナーで玄人好みと言えば聞こえはいいが、あまり見向きはされていない。僕は未だ木曽路に足を踏み入れた事がない。ひねくれ者なのだ。

田切掃除冬2

2005-11-24 20:24:07 | 飯田線の旅
 JRは民営化されて、株式会社となったはずだが、果たして当人たちはそれが分かっているのだろうか?旅客会社は客にサービスを売って収入を得るものだとばかり思っていたのだが、JRに関してはそうではないようだ。たとえば同じような大量高速輸送として、航空機は特殊だとしても、高速バスが座席数以上に客を乗せて高速道路を突っ走っているだろうか?高速バスの運行速度はせいぜい80キロ程度だ。それを遙かに超えて300キロとかで爆走している新幹線が、時として(往々にして)座席数以上の客を通路やデッキに立たせて突っ走っているのは何故なのだろう??「新幹線には事故はあり得ない」などと言う戯れ言に貸す耳はない。物理的に質量のある物が高速移動している以上、そこに何の危険も存在しないなどという事はありえないのだ。なのに鉄道だけは、席にベルトもなければ通路にただ立っているだけの客を平気で乗せる。それを不思議に思わないJRにも国当局にも、安全に対する意識は全く欠如しているようだ。
 さて、なんで憤っているかというと、長時間乗る事になる夜行列車に、通路までいっぱいになるほど人を乗せるのが気に入らないのだ。
そこまで輸送力が足らないなら、車両を増結するなり、別にもう何本か走らせるなりして、ちゃんと乗車希望客数の座席を提供するべきだ。そうでなければ一度席に着いたが最後、トイレに立つ事も出来ない。それではのんびりビールを飲む事が出来ないのだ!(つまりここがこの話の核心)ビールのない列車旅など、楽しみが半減どころか9割減であろう。
 もちろん、それが夜行列車の醍醐味なのだ!とか、そうなるのが分かっているなら最初から乗るな!!と言った意見もあろう。それはそれで正しいと思う。が、そう言った意見の人はなんで、JRのそんな客を客とも思わないような仕打ちに、何も疑問を感じないのだろうか??
 僕は最近MLながらに乗っていい気分だった事がない。だから可能な限りながらには乗りたくないのだ。でも、今回の旅行行程を考えると乗らないわけにはいきそうもない。さあ、覚悟を決めるしかあるまい。

田切掃除冬1

2005-11-23 20:36:03 | 飯田線の旅
 再び飯田線の旅シリーズ再開。この冬も田切駅の大掃除に行くわけだが、日取りは年が明けて1月の14~15日の土日になる。従って動き出しは前日の金曜の夜の東海道本線夜行快速「MLながら」になる。これは青春18切符をフルに使って有効に(安く)旅行する為だ。そろそろ指定券の手配と旅行プランを立てなければならない。と言うか、思うのだが旅はこのプランを地図と時刻表を見ながら、あれこれ立てるのが楽しい。実際旅が始まってしまうと、旅そのものはもちろん楽しいのだが、後は終わるだけなので、心のどこかに寂しさがつきまとう。
 そこで、楽しい計画立案作業に入るのだ。今回考慮する事項は
1.土曜の夜は伊那市宿泊。
2.最近話題の木崎湖を見学する。
 の2点。それにMLながらの使用が大前提となる。最近大掃除旅行のツアコンを買って出ている宇宙局長曰く
 名古屋0605着/中央線同駅0618発-中津川0733着/乗り換え0739発-
 松本1013着/大糸線乗り換え1107発-海ノ口1217着で、
 海ノ口1547発-辰野1738着/飯田線乗り換え1805発-伊那市1838着
とある。名古屋での乗り換え時間が短いのがちと気にかかる。なぜなら名古屋では朝食に是非きしめんを食べたいからだ。時間的に松本まで余裕がないと何らかの食事の手配が必要だ。

 しかし、その前に大前提のMLながらが大問題なのだった・・・それは何か?
 

コミックの風景6

2005-11-21 22:05:19 | あ~るコミック
 昨日に引き続き、コミック4巻35ページから、今日はカメラの話。
部長強化合宿中に池の中にカメラを自作カメラを落としてしまったあ~る。池から現れた成原博士に向かい「それじゃーT50」と言う。
T-50はキャノンのTシリーズの最下級機種。当時まだオートフォーカスはまだ主流ではなく、キャノンの一眼レフカメラのラインナップは、最上級機のFシリーズ(シリーズと言ってもF-1しかないんだけど・・)その下級に位置するAシリーズ(A-1やAE-1など)と、新シリーズのTシリーズの3本立てだった。特にTシリーズは新しい世代の1眼レフとしてT-50&T-70の2機種でスタートした。当時一眼レフなどの高級カメラは、金属と皮で出来ているものだったが、Tシリーズは大胆に工業プラスチック(エンプラ)で出来ていた。金属のカメラの色は黒か、金属の地肌の銀色が当たり前だったが、エンプラ故か少しねずみ色ぽい、いわゆるガンメタ色で、それもまた新鮮だった。今ではカメラのボディにプラスチックを使うのは当たり前の事だが、当時としてはかなり衝撃的だったのだ。
 また一眼レフとしては小型のボディに、ワインダーが内蔵されていた。ワインダーとはフィルムをモーターで自動に巻き上げる装置。これも今ではどんなコンパクトカメラにも入っているが、当時はオプションとして本体下部に取り付ける大きな装置だった。(鰯水のF-1の下部に着いている)それがコンパクトな本体に内蔵。実に画期的だった。上位機種のT-70は「オートマン」というニックネームが付けられていた。これが後のコンパクトカメラのヒット作「オートボーイ」の元になっているのは言うまでもない事なのだ。Tシリーズはこの後オートフォーカス機のT-80を出したが、これは売れなかった。AF精度がいまいちだったし、現在の超音波モータなどの円弧型モータがまだ開発されていなかったので、レンズにフォーカス駆動用のモーターの大きな張り出しがあり不格好だったのだ。そして、最後に最高級機T-90を出した。これは「超性能タンク」と言うニックネームで呼ばれた。「超性能」の名に恥じぬマニュアルフォーカス機の電子化の集大成として人気があった。デザインも今まででのカメラ概念を打ち破る流体フォルムで格好良かった。
 その後キャノンの一眼レフカメラはオートフォーカスの「EOS」シリーズに一本化されていく。

コミックの風景5

2005-11-20 20:14:29 | あ~るコミック
 銃の話は一段落し、第4巻の頭でふがいない部長を強化するために行われた春合宿の話。光画部御一行が西武線電車で移動したさきは「都立町中之公園」だった。公園の真ん中に周囲約1キロ強の猿渡池がある。コマの中の地図によると池の中央付近にひょうたん型の何かがある。これは27ページの中程のコマに書かれている島をつなぐ眼鏡橋だ。これらの事を検討し場所を特定する。
 実はこのコマを見るなり思い当たる場所があり、検証するまでもなくどこだかすぐに分かってしまった。東京練馬近辺に土地勘がある人なら、いちいち説明の必要はないだろう。これは「石神井公園」の石神井池である。
 で。一応、確認の為、見に行った。ただし、もう10年も前の話になるので、今は少し変わっているかも知れない。
 最寄り駅はそのものズバリ「石神井公園」、池の形はコマの中の地図とだいぶ違うのだが、池の風景の描写、特に橋の辺りはよく書き込まれている。
 光画部は池の畔の芝生にテントを張ってキャンプしていたが、テント張りやたき火など、すなわちキャンプ行為は禁止されている。
 近くの人は、池は最近どうなっているか?見に行って報告してほしい。