昨日に引き続き、コミック4巻35ページから、今日はカメラの話。
部長強化合宿中に池の中にカメラを自作カメラを落としてしまったあ~る。池から現れた成原博士に向かい「それじゃーT50」と言う。
T-50はキャノンのTシリーズの最下級機種。当時まだオートフォーカスはまだ主流ではなく、キャノンの一眼レフカメラのラインナップは、最上級機のFシリーズ(シリーズと言ってもF-1しかないんだけど・・)その下級に位置するAシリーズ(A-1やAE-1など)と、新シリーズのTシリーズの3本立てだった。特にTシリーズは新しい世代の1眼レフとしてT-50&T-70の2機種でスタートした。当時一眼レフなどの高級カメラは、金属と皮で出来ているものだったが、Tシリーズは大胆に工業プラスチック(エンプラ)で出来ていた。金属のカメラの色は黒か、金属の地肌の銀色が当たり前だったが、エンプラ故か少しねずみ色ぽい、いわゆるガンメタ色で、それもまた新鮮だった。今ではカメラのボディにプラスチックを使うのは当たり前の事だが、当時としてはかなり衝撃的だったのだ。
また一眼レフとしては小型のボディに、ワインダーが内蔵されていた。ワインダーとはフィルムをモーターで自動に巻き上げる装置。これも今ではどんなコンパクトカメラにも入っているが、当時はオプションとして本体下部に取り付ける大きな装置だった。(鰯水のF-1の下部に着いている)それがコンパクトな本体に内蔵。実に画期的だった。上位機種のT-70は「オートマン」というニックネームが付けられていた。これが後のコンパクトカメラのヒット作「オートボーイ」の元になっているのは言うまでもない事なのだ。Tシリーズはこの後オートフォーカス機のT-80を出したが、これは売れなかった。AF精度がいまいちだったし、現在の超音波モータなどの円弧型モータがまだ開発されていなかったので、レンズにフォーカス駆動用のモーターの大きな張り出しがあり不格好だったのだ。そして、最後に最高級機T-90を出した。これは「超性能タンク」と言うニックネームで呼ばれた。「超性能」の名に恥じぬマニュアルフォーカス機の電子化の集大成として人気があった。デザインも今まででのカメラ概念を打ち破る流体フォルムで格好良かった。
その後キャノンの一眼レフカメラはオートフォーカスの「EOS」シリーズに一本化されていく。
部長強化合宿中に池の中にカメラを自作カメラを落としてしまったあ~る。池から現れた成原博士に向かい「それじゃーT50」と言う。
T-50はキャノンのTシリーズの最下級機種。当時まだオートフォーカスはまだ主流ではなく、キャノンの一眼レフカメラのラインナップは、最上級機のFシリーズ(シリーズと言ってもF-1しかないんだけど・・)その下級に位置するAシリーズ(A-1やAE-1など)と、新シリーズのTシリーズの3本立てだった。特にTシリーズは新しい世代の1眼レフとしてT-50&T-70の2機種でスタートした。当時一眼レフなどの高級カメラは、金属と皮で出来ているものだったが、Tシリーズは大胆に工業プラスチック(エンプラ)で出来ていた。金属のカメラの色は黒か、金属の地肌の銀色が当たり前だったが、エンプラ故か少しねずみ色ぽい、いわゆるガンメタ色で、それもまた新鮮だった。今ではカメラのボディにプラスチックを使うのは当たり前の事だが、当時としてはかなり衝撃的だったのだ。
また一眼レフとしては小型のボディに、ワインダーが内蔵されていた。ワインダーとはフィルムをモーターで自動に巻き上げる装置。これも今ではどんなコンパクトカメラにも入っているが、当時はオプションとして本体下部に取り付ける大きな装置だった。(鰯水のF-1の下部に着いている)それがコンパクトな本体に内蔵。実に画期的だった。上位機種のT-70は「オートマン」というニックネームが付けられていた。これが後のコンパクトカメラのヒット作「オートボーイ」の元になっているのは言うまでもない事なのだ。Tシリーズはこの後オートフォーカス機のT-80を出したが、これは売れなかった。AF精度がいまいちだったし、現在の超音波モータなどの円弧型モータがまだ開発されていなかったので、レンズにフォーカス駆動用のモーターの大きな張り出しがあり不格好だったのだ。そして、最後に最高級機T-90を出した。これは「超性能タンク」と言うニックネームで呼ばれた。「超性能」の名に恥じぬマニュアルフォーカス機の電子化の集大成として人気があった。デザインも今まででのカメラ概念を打ち破る流体フォルムで格好良かった。
その後キャノンの一眼レフカメラはオートフォーカスの「EOS」シリーズに一本化されていく。