TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

ピロスマニと『百万本のバラ』

2009-02-02 22:20:00 | 徒然なるままに
1月25日(日)

きょうのNHK日曜美術館で面白い作家に出会った。

グルジアの国民的画家、ニコ・ピロスマニ(1862~1918)
居酒屋の壁に掛ける絵や看板を描いては、その日暮らしの金を稼いで放浪の人生を送ったピロスマニ。一度はモスクワの画壇に注目されながらも、彼の絵は世の中から冷遇されてしまう。商売や結婚といった人並みの生活に落ち着くこともできず、絵の依頼でも不本意な注文は拒否してしまう。彼の夢は「木の家に住みたい」というささやかなもので、グルジアの自然や庶民の生活、動物たちを描いた。
 その中に、フランスからやってきた女優マルガリータに一目ぼれし、彼女に猛烈にアタックしたがその恋は成就せず、彼女が去った後に描いたと言う肖像画があった。この悲恋はグルジアの国民なら誰でも知っている話しらしく、歌にもなっている。
『100万本のバラ』だ。
 私はこの歌を、以前加藤登紀子のコンサートで彼女のナレーション入りで聴き、とても心打たれ、印象に残った歌だった。
 その歌とピロスマニと、その絵がようやく繋がって、すごく感動した。
 彼がどれほど彼女にあこがれ、恋焦がれたことか…。彼は私財をなげうって、町中のバラを買い集め、彼女の泊まるホテルの中庭に真っ赤なバラで埋め尽くしたと言う。
 その恋物語が歌い継がれ、彼の純粋さと素朴な絵が国民的に愛され、彼自身の肖像画がお札に印刷されるまでになる。
 こんな画家が世界にいるだろうか。

 番組では、「かつてピカソは『私の絵をグルジアに飾ることはしなくていい。なぜならグルジアにはピロスマニがいるからだ』と語ったそうです」と言っていた。

 ゴッホもそうだったが、たとえ売れなくても最後まで自分の描きたい絵を描き続ける、その情熱は、時には狂気と見られかねない。でもその情熱とポリシーを貫き通したからこそ、後々の世まで愛される画家、作品となるのだろう。

 ピロスマニの名前は聞いたことがあり、絵も見たことはあるが、その生涯を知ってもっと興味がわき、作品1枚1枚に込められたメッセージが聞こえてきた。
 マルガリータの絵をぜひ見てみたい。
『百万本のバラ』ももう一度聴いてみよう。

ピロスマニの絵が見られるサイトhttp://www.pirosmani.org/marias/

埼玉県立美術館企画展「青春のロシア・アヴァンギャルド」2009年2月7日(土)~2009年3月22日(日)http://www.momas.jp/3.htm

『百万本のバラ』歌詞http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND40882/index.html
画像http://jp.youtube.com/watch?v=4D6qhcYHabk&feature=related

雪舟と宮本武蔵の水墨画展

2009-02-02 00:02:00 | 徒然なるままに
1月24日(土)

夕方、明日まで開催と言う雪舟の水墨画展を千葉市立美術館に見に行った。

雪舟だけでなく他にもたくさんの水墨画があり、その白と黒の世界なのに、奥の深い表現、筆遣いの潔さ、緻密さを堪能した。

宮本武蔵の直筆の作品もあり、『バガボンド』を読んですっかり武蔵ファンになった私にとっては、雪舟の作品より心惹かれるものがあった。(ミーハーだなあ・・・)

先日、「もし無人島(衣食住の心配はない)に何かひとつ持っていくとしたら、何を持っていく?」
と言う質問をされた。
いろいろ考えて、『水墨画セット』(墨と硯と筆)と答えた。
セットじゃ『ひとつ』じゃないかもしれないけれど、これさえあれば、いつでも、何にでも絵が描けると思う。

昔、『何もない、天井も床も全部真っ白な部屋に入れられると、人は狂ってしまうらしい』と言うことを聞いたときも、鉛筆1本(芯をくるくる撒いてあって、最後まで削らずに使える黒い色鉛筆)あれば、私は狂わないだろうと思った。
もし、それもなかったとしても、10本の指の腹を食いちぎって血を出して手でも白い壁に描き続けるだろう。と思った。

でも、『水墨画セット』と水があれば、もっといろんな表現の絵が描けるだろうなあ・・・。
よく、時代劇の旅先の場面で、墨筒と筆が一体化したものでさらさらと書状を書き付けるシーンを見かける。あれがほしい!!

私は書道はあまり得意ではないが、墨絵は好きだ。
この春上海に旅行に行くことになった。ぜひ、水墨画の本場中国で、水墨画や、その舞台となる中国の山水をじっくり堪能してこようと思う。