TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

『ファンタジア』の鑑賞授業

2009-02-21 22:34:00 | 徒然なるままに
2月21日(土)

いよいよ花粉症シーズン到来。
今日は昨日の午後から雨も上がって、全国的に青空がまぶしい週末となった。*(晴れ)*
いつもなら朝から盛大に布団干し&大洗濯大会&庭の草取りと行きたいところだが、今の時期にそんなことをしたら、まさに『自殺行為』につながる。
今朝、ゴミ出しに外に出ただけで、今日はどこにも行けない、行かないと思った。
大人しく家にいて、溜まった家事と持ち帰ってきた仕事をやることにしよう。

というわけで、久々のHP更新。
カレンダーを見れば2月もあと一週間。
3年生は最後の授業だ。
範囲が終っているクラスも、終っていないクラスもある。(成績をつける範囲はどのクラスも終っているが、出願や受験、発表の日と重なり、全員が鑑賞できなかった授業がある)
今、全学年で『ファンタジア』http://wdshe.jp/disney/product/index.jsp?cid=23#aboutを鑑賞している。メインはアニメーションを勉強している2年生が対象だったのだが、せっかくデザイン手法を習った1年生にも、『ピカソとゲルニカ』で第二次世界大戦について習った3年生にも見せようということで、つまりは『オプション』授業なのだが・・・。
私が授業で取り上げる以上、ただの『アニメ鑑賞』ではない。
1940年公開の『ファンタジア』が、どんな世界情勢の中、どういう目的やテーマで取り組まれ、世界中に向けて公開された『1940年』という年号が何を意味するのか。1つ1つの作品に込められたメッセージを読み取り、1秒間に24コマの画像を制作する技術と大変さもさることながら、すでにあるクラッシック曲に、まるで後から曲をつけたのかと見まごうような完璧な動きをつけるという至難の技。
何の予備知識も、アニメ制作の大変さも知らなくても充分楽しむことはできるが、知っていたり、体験した後に見たほうが、もっとさまざまな視点から楽しむことができたり、感動できると思う。
そして、1940年から60年後、ウォルトの遺志を引き継いだ甥のロイが、CGを駆使し2Dと3Dを融合させ『ファンタジア2000』http://wdshe.jp/disney/product/index.jsp?cid=92#aboutを制作し、発表した。
授業ではこの2本の作品を鑑賞し、感想を書かせている。
鑑賞時には原曲の説明や作曲者についての解説のほか、地球の誕生から恐竜絶滅の解説、ギリシャ神話や日本神話、旧約聖書や新約聖書の解説、第2次世界大戦から地球温暖化についての歴史や科学・地質天文学についての解説、アンデルセン童話やグリム童話についてや、手塚治虫とディズニー、ジブリ作品についてそして、アニメーション技術の歴史と実践、最新情報や業界用語について、などなど、かなりマニアックで濃い内容の授業を展開している。
生徒たちは回を重ねるごとに鑑賞能力が高まって来ている。授業後、次回までの宿題として、今日見た作品の感想を書いてきてもらっているのだが、中には興味を持ったことを図書館やインターネットで自分で調べたことまで書き込んできている生徒もいる。もう1度見たいとビデオをレンタルして見ている生徒もいる。
びっしり書かれた毎回の感想を読むほうも大変だが、それ以上に手ごたえを感じ、時に涙するほどの感想に出会うと本当にやって良かったな、この子達にもっといろいろなことを教えたり、見せたり、作らせてあげたいなぁと思う。
でも現実には無理な話で、3年生だけでなく、1,2年生にもタイムリミットが迫ってきている。
なぜなら、私は1年間契約の講師だから。

そう、この中学校にいられるのも後1ヶ月ちょっとになってしまった。
前任校の生徒たちと泣きの涙で別れてから、もう1年が過ぎようとしているのだ。本当に月日のたつのは早いものだ。

別れがあって、また新しい出会いが始まる。次の着任校はまだ決まってはいないが、まずは残り少なくなった今の生徒たちとの時間を大切に過ごし、少しでも記憶に残るような、美術の楽しさが分かるような授業を、心を込めて精一杯頑張ろう。
そのためにも、ゴール寸前で失速しないよう、健康と事故には気をつけなくっちゃ。

ああ、それにしても花粉症はつらい*(眠い)*


インフルエンザ襲来

2009-02-21 21:25:00 | 徒然なるままに
2月20日(金)

今日も朝から風邪やインフルエンザで欠席や早退が相次いだ。
今日は1,2年の定期テストの最終日。
熱を押して登校し、保健室で試験を受けている生徒が4人もいた。
3年生で、弟や妹がインフルエンザで欠席している生徒もいる。来週の26,27日は公立高校一般入試だ。その日にインフルエンザになっていたら、受験できないのだ。入試だから『追試』はないのだ。

4時間目が終わり、緊急職員会議が持たれた。
1年生のインフルエンザが10名をこえた。3クラスで100名に満たない学年の1割以上がインフルエンザだ。今年に入ってからインフルエンザにかかった生徒は今日現在で28名。潜伏期間中の生徒を入れたら・・・。
会議というよりは通達事項だった。
『午後の授業はカット。給食終了後、全員完全下校。午後の部活動、土日の部活動や練習試合、月曜日の朝練は中止』とのことだった。
今現在、体調の悪い生徒は家で安静にしているか、病院で診察を受けること。元気な生徒も、極力外出を控え、人ごみに出て行かないようにすることなどを帰りの学活で指導し、下校指導に当たった。

2,3時間たった頃から電話がひっきりなしにかかってきた。『病院に行ったらインフルエンザだと診断された』という内容だった。
学年末テストで無理をして登校し、試験を受けていた生徒がたくさんいたのだろう。
いや、その前から、テスト前だから具合が悪くても授業を受けていた生徒もいたのだろう。
テスト監督に当たっていた先生方も、次々に入って来る連絡を聞いているうちに、自分まで熱が出てきそうだと、早々に退勤して行った先生もいた。

先生方だって、これから採点や成績付けで忙しくなるときだというのに・・・
私も今日は、学年便りを書き上げて、休み中に家でもできる仕事を持って早めに帰宅することにした。
月曜日には皆元気で登校でき、3年生にインフルエンザが蔓延していませんようにと祈る気持ちだ。*(病院)*

生まれてきてくれて、ありがとう!

2009-02-21 19:47:00 | 徒然なるままに
2月19日(木)

今日は長女の18歳の誕生日。
不覚にも私は夜の8時に学校を出るまで、そのことはすっかり頭の中になかった。

長女は前日から友達の家に泊まりに行き、妹の話だと帰りは遅くなるらしかったので、携帯でメッセージを送った。

そうしたら、「もうすぐ家に着くところまで帰ってきている」と言う。「どこかに食事に行く?」と聞くと、「今日は疲れていて、明日も早いから、食事は明日にしよう」ということで、「今日はアイスケーキでお祝いしよう」ということになり、『31』でアイスケーキを奮発して買ってきた。

今の仕事に就く前は、季節の行事や家族のアニバーサリーはすべて手料理でお祝いしていたのに、年々外食になり、『手抜きしているな~』と心苦しくもあったところへ、『忘れていた』とは親として本当に情けない。これでは仮に『ネグレクト』といわれても反論もできない。

ケーキのほかに、鯛や鮪のお刺身やお寿司も買ってきて、ささやかなお誕生日パーティーでお祝いした。

18年前、夜中の2時半に突然陣痛が来て、6時に出産。予定日より5日も遅れての出産だった。
一重の私に似ず、目はパッチリした二重でと、指はグーではなく、長い指を開いたり閉じたりそのきれいな指を見て、この子はピアニストになるかもなんて勝手な期待をしたことを思い出す。
朝焼けの美しい朝だった。
暦の上では春。よく見れば、木々には固い蕾や、庭にはチューリップの芽が出ている頃。
私は『萌』(めぐみ)という名前をつけたかったのだが、なぜか母や夫の反対に逢い、名前が付くまでの一週間、家族がそれぞれ勝手に付けた名前を呼んでいたのを思い出す。結局、夫が万葉集から選んだ名前に落ち着き、以来18年。

いろんなことがあって、彼女のおかげで楽しかったことも、嬉しかったことも、辛かったことも、情けなかったことも、それぞれたくさんあった。
家では勝手気ままにしていても、内心はとても家族思いで、見た目に反してとても生真面目で正義感が強く、ロマンチストなくせに現実的で自立心が強く、強がりなくせに寂しがり屋で、反抗ばかりして口が悪いくせに『ママが大好き』なことは分かっている。
去年ダンプにぶつかって、あわや即死!という事故にあったとき、頭に浮かんだのは長女のことだった。
あの頃毎日ぶつかってばかりいて、その日の前の晩も大バトルだった。朝、顔も見ず、声もかけずに家を出て、でも頭の中は夕べの喧嘩のことを思い出していて、本当はバスに乗るはずが、気がついたら車に乗っていたので、そのまま運転して行った矢先のことだった。

事故から生還して、帰宅し、長女を見たとたん、いきなり抱きしめてこう言った。
「あのまま逝けなかった。あんたをもう一度抱きしめてからでないと逝けなかった。」
あのまま逝ってしまったら、長女は私の遺体の前で怒るだろう。『何で仲直りしないまま行ってしまったの?!』と・・・。そして、ずっと自分を責め続け、兄や妹に責められ続けるのだろう・・・。
そう思ったら、死ねなかった。死んでいる場合ではなかった。まだ死ねないと思った。

車はフロントガラスより前の部分が大破。エア・クッションとシートベルトのおかげで奇跡的に無傷だった私は、入院することもなく帰宅。
皆から口々に『守られたんだよ』と言われた。

私にはまだ、生きてなすべきことがあるのだ。
まずは、中2のときに私に「何で私なんか生んだんだ!」と掴み掛かってきた長女が、「生まれてきてよかった」と心から言えるような幸せを掴むまで見守り、見届けること。
長男の自立を見届けること。
次女の夢の実現を応援すること。
両親をしっかり見送ること。

まだまだ、母親としても半人前の私。
こんな私を『選んで』生まれてきてくれた子どもたち。
こんな私をこの世に送り出し、育み、心配し、いつも応援してくれる両親。
その人たちを残してはまだまだ逝けない。

そして、私が私になること。
私自身を生ききること!

私にとって、両親が元気でいてくれることが、子どもたちが元気でいることが何よりも嬉しいこと。
長女にとっても、私が生きていること、元気で、自立して働いていることが一番なのだろう。

長女はこの3月に高校を卒業する。
その後の進路に、これからの未来に、希望の光があふれ、幸せなことがたくさんありますように。辛いことがあっても自分を信じて乗り越え、成長していけますように・・・。

お誕生日おめでとう。