7月20日(月)海の日*(日本)*
今日は、佐倉市立美術館で今日から開催されている『印旛郡市美術部展』を見てきた。http://www16.ocn.ne.jp/~buten/
運動部には総合体育大会があり、吹奏楽部には音楽コンクールがあるなら、美術部にも『総体』のような合同展覧会を開こうと言う趣旨で立ち上がった『部展』も、13回目を迎える。
私は今年は美術部のない中学校に赴任したため、今回は観客として見に行った。
昨年以上の出品数から選りすぐられた作品たちはどれも力作で、見ているだけで、こちらが元気をもらったり、触発される作品があった。
昨年の教え子たちの作品もあり、去年のことを思い出しながら、その成長振りが嬉しかった。彼女たちの最後の部展に関わってあげられなかったことが今更ながら残念でならない。
今年から選択美術はなくなり、必修の美術の時間も少なくなって、教師も雑務に追われ、なかなか美術の基礎基本を指導できない状況下で、結構、生徒も顧問も頑張っていたと思う。
デッサン重視、油絵中心の『絵画』表現、コラージュや抽象表現が多い学校、漫画チックなイラスト表現、素材を生かし、インパクトや光を意識した立体表現など、おそらく、顧問の得意分野や趣向が影響していると思われる傾向が強い。それはイコール学校のカラーとなっている場合が多い。
中学生ぐらいになると、物の見方ができてきて、立体感や空間を感じさせる静物画、遠近法を使った風景画、内面やイメージの世界を描く心象風景を描ける様になってくる。
しかし、人物画はなかなか描けない。
描けても棒人間か、漫画チックなデフォルメされたような人物で、それも上半身だけという場合が多い。
今回は、棒人間こそなかったが、リアルな人物表現の作品がなかった。
風景にしても点景としての人物がなく、生活観が感じられない寂しい絵に感じられた。
以前、ユネスコの『私の町のたからもの展』の審査をした時もそれは感じた。
校舎を描いても、町並みを描いても、公園を描いても人っ子一人いないのだ。
人物ではなくても、さっきまで部活動をしていたようなことを感じさせる道具が置いてあるとか、生活感がある町並みや、子どもからお年寄りまでみんなが集い、小さい頃の思い出が詰まったような公園の描き方があるだろう。
昨年、北斎や広重の浮世絵の鑑賞授業をしたとき、彼らの絵には人物が配置してある場合が多かった。それによって、生活感やスケールの大きさ、構図の面白さが引き立つのだ。
3年生の授業で、頭身の描き方、男女の骨格・肉付きの違い、年齢や体型の特徴の表現の仕方、表情の描きかた、カメラアングル(あおり、ふかん、よこいち)の捕らえ方、顔の向き、動きのあるポーズの描き方などを教えた。
本当は時間があったら、クロッキーや自画像、友達の横顔のデッサンを描かせたいのだが、そんな時間はほとんど取れないか、それだけでその学年の授業は終わってしまう。
だから、描き方の『コツ』しか教えられないのだが、それなりに応用して、『脱・棒人間』的な人物をかけるようになる。
夏休み明けには、1,2年生にも同じ授業をやる。
1年生は読書感想画、2年生はアニメーションをやる上で人物表現は不可欠だから。
何より、生徒が美術の授業で一番苦手で、反面一番望んでいるのは、『人が描けるようになりたい』だから。
美術部展を見て、ちょっと残念だったのは、『部活動』という保障された制作時間があるのに、クロッキーやデッサンにあまり時間がかけられていないように感じたことだ。
漫画やアニメ画っぽいイラストも結構だけれど、来年はぜひ、人物画の力作も見てみたい。
もし、来年、美術部のある中学校に赴任できたら、ぜひ、挑戦してみたい。
何にしても、絵が好きな中学生が一生懸命自分の作品作りに努力して、たくさんの参加校が集まってお互いの絵を発表しあう場があるというのは素晴らしいことだと思う。
この展覧会がますます発展し、充実していくように、応援していきたいと思う。
今日は、佐倉市立美術館で今日から開催されている『印旛郡市美術部展』を見てきた。http://www16.ocn.ne.jp/~buten/
運動部には総合体育大会があり、吹奏楽部には音楽コンクールがあるなら、美術部にも『総体』のような合同展覧会を開こうと言う趣旨で立ち上がった『部展』も、13回目を迎える。
私は今年は美術部のない中学校に赴任したため、今回は観客として見に行った。
昨年以上の出品数から選りすぐられた作品たちはどれも力作で、見ているだけで、こちらが元気をもらったり、触発される作品があった。
昨年の教え子たちの作品もあり、去年のことを思い出しながら、その成長振りが嬉しかった。彼女たちの最後の部展に関わってあげられなかったことが今更ながら残念でならない。
今年から選択美術はなくなり、必修の美術の時間も少なくなって、教師も雑務に追われ、なかなか美術の基礎基本を指導できない状況下で、結構、生徒も顧問も頑張っていたと思う。
デッサン重視、油絵中心の『絵画』表現、コラージュや抽象表現が多い学校、漫画チックなイラスト表現、素材を生かし、インパクトや光を意識した立体表現など、おそらく、顧問の得意分野や趣向が影響していると思われる傾向が強い。それはイコール学校のカラーとなっている場合が多い。
中学生ぐらいになると、物の見方ができてきて、立体感や空間を感じさせる静物画、遠近法を使った風景画、内面やイメージの世界を描く心象風景を描ける様になってくる。
しかし、人物画はなかなか描けない。
描けても棒人間か、漫画チックなデフォルメされたような人物で、それも上半身だけという場合が多い。
今回は、棒人間こそなかったが、リアルな人物表現の作品がなかった。
風景にしても点景としての人物がなく、生活観が感じられない寂しい絵に感じられた。
以前、ユネスコの『私の町のたからもの展』の審査をした時もそれは感じた。
校舎を描いても、町並みを描いても、公園を描いても人っ子一人いないのだ。
人物ではなくても、さっきまで部活動をしていたようなことを感じさせる道具が置いてあるとか、生活感がある町並みや、子どもからお年寄りまでみんなが集い、小さい頃の思い出が詰まったような公園の描き方があるだろう。
昨年、北斎や広重の浮世絵の鑑賞授業をしたとき、彼らの絵には人物が配置してある場合が多かった。それによって、生活感やスケールの大きさ、構図の面白さが引き立つのだ。
3年生の授業で、頭身の描き方、男女の骨格・肉付きの違い、年齢や体型の特徴の表現の仕方、表情の描きかた、カメラアングル(あおり、ふかん、よこいち)の捕らえ方、顔の向き、動きのあるポーズの描き方などを教えた。
本当は時間があったら、クロッキーや自画像、友達の横顔のデッサンを描かせたいのだが、そんな時間はほとんど取れないか、それだけでその学年の授業は終わってしまう。
だから、描き方の『コツ』しか教えられないのだが、それなりに応用して、『脱・棒人間』的な人物をかけるようになる。
夏休み明けには、1,2年生にも同じ授業をやる。
1年生は読書感想画、2年生はアニメーションをやる上で人物表現は不可欠だから。
何より、生徒が美術の授業で一番苦手で、反面一番望んでいるのは、『人が描けるようになりたい』だから。
美術部展を見て、ちょっと残念だったのは、『部活動』という保障された制作時間があるのに、クロッキーやデッサンにあまり時間がかけられていないように感じたことだ。
漫画やアニメ画っぽいイラストも結構だけれど、来年はぜひ、人物画の力作も見てみたい。
もし、来年、美術部のある中学校に赴任できたら、ぜひ、挑戦してみたい。
何にしても、絵が好きな中学生が一生懸命自分の作品作りに努力して、たくさんの参加校が集まってお互いの絵を発表しあう場があるというのは素晴らしいことだと思う。
この展覧会がますます発展し、充実していくように、応援していきたいと思う。
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