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交流

にわか似顔絵描き屋

2009-12-11 23:26:00 | 徒然なるままに
12月9日(水)

今日、3年生の先生が、受験のお守りに先生方からのメッセージやクラスメイトたちからの応援の言葉の寄せ書き用の用紙を作成しているのだが、レイアウトはどうしたら良いかと言う相談を受けた。

私は、
「文章だけになるより、先生方の似顔があって、メッセージは吹き出しに書いてみるとか・・・」
と自分で言った手前、私が先生方の似顔絵を描く羽目になってしまった。

似ているかどうかは別として、去年の卒業アルバムなどを参考に、久しぶりに人の顔をデッサンし、それをキャラクター化して、楽しかった。
とりあえずは、それぞれの先生方の特徴は捉えられたかな?
依頼してくださった先生は大満足してくださっていたが、明日、それぞれの先生達がどう受け止めてくださるか、生徒達がどういう反応をするのか、ちょっぴり不安で、楽しみかも・・・*(ニヤ)*

私は基本的にどんな絵を描いていても楽しいのだが、やっぱり人の顔を描くのが好きなのかなあ・・・。
そういえば、最近、クロッキーをやっていなかったなあ・・・。
思い立ったが吉日。
ちょっとなまった腕を磨きなおさなくっちゃ!

12月8日は何の日?

2009-12-09 04:24:00 | 徒然なるままに
12月8日(火)

私    「今日は何の日?」
末娘(中2)「ジョン・レノンの命日!」
息子(大3)「リメンバー パール・ハーバー!」

今日、私の頭の中は1日中「Happy Xmas (War Is Over)/John Lennon 」が流れていた。
給食準備の時間や清掃の時間も、つい口ずさんでいたようで、生徒が興味を持って聞いてきた。
授業の終わりにも、
「今日は何の日?」
と聞いて、二つの日のことを簡単に説明した。

ジョンが亡くなったニュースを聞いた日はショックで、アパートの友人とジョンの「Double Fantasy」のアルバムを朝まで何回も聞いて泣いた。


「リメンバー パール・ハーバー!」
私はこの言葉をずいぶん大人になってから聞いた。
中学3年の時、地元の映画館で*(映画)*『トラ!トラ!トラ!』を見た。
「ワレ奇襲ニ成功セリ」その映像が映し出された瞬間の映画館内の熱狂を私は忘れない。
それと同じ状況を、2001年の9月11日のTVの映像で見ることになる。
アメリカのシンボルであるツィン・タワー・ビルに突っ込んでいったテロリストの故郷の映像だった。
そこでは崩れ落ちていくビルを見ながら、人々は爆竹を鳴らし、狂喜していた。
テロリストの母親は、周囲の人たちから、
「あなたの息子は英雄だ!憎きアメリカのシンボルを破壊してくれた!」
と賞賛されていた。
母親は息子を亡くしながら、人々の賞賛の言葉に泣きながら感謝していた。

愕然とした。

これが息子の「ファースト・インパクト」となり、『国際法』を学ぶことを志すきっかけとなるのだが・・・。

「リメンバー パール・ハーバー!」はその時のニュースで、「リメンバー・911」と同時に聞いた言葉だった。
その言葉の重みを思い知らされたのは、筑紫哲也さんがニュースキャスターをしていた『NEWS23』で、終戦60周年記念スペシャルを見たときだった。
アメリカ人で日本に原爆を落としその炸裂した映像を撮ったという人が出演していた。
原爆資料館を見学し、被爆者にも会った上で、その人は
「日本人が『ノー・モア・ヒロシマ!』を掲げるなら、私たちは『リメンバーパールハーバー』と応えるだろう。私は広島に原爆を落としたことを後悔しないし、被爆者達にも謝らない」
と言っていた。
見ていて、その残念さに打ちのめされながら、同時に、その人にとっての「リメンバー パール・ハーバー!」は、それほどの意味があるのだと思い知らされた。

暴力に暴力で応えることの無意味さ。
復讐は新たな復讐を呼ぶことの恐ろしさ・・・。


今一度、ジョンレノンのご冥福と、世界の平和を願って「Happy Xmas (War Is Over)/John Lennon 」を聴こう。
http://www.youtube.com/watch?v=fvVqtrtfUAg

遅ればせながら、12月の掲示板の画像*(ツリー)*をトップにアップした。(もう少しちゃんと撮影した画像を貼り付けたかったのだが、その画像が入っているメモリーカードが不具合になってしまったので、掲示ケースに貼ってしまった物を再度撮影した。)
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

『ロートレック展』

2009-12-09 04:22:00 | 徒然なるままに
12月6日(日)

妹と渋谷BUNNKA MURAで開催中の『ロートレック展』を見てきた。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/09_lautrec/index.html

ロートレックは学生時代から好きな画家だった。
今回の展覧会は、その彼がどういういきさつで画家を目指し、どんな若き画家達とどういう交流があったのかを辿るいい展覧会だった。
特に、ゴッホとは深い友情で結ばれており、ゴッホが運命の地アルルに行くことを勧めたのがロートレックだったと言うことを知り、驚いた。
彼もまた、あの『黄色い家』でゴッホやゴーギャンたちと暮らしていたら、どうなっていたのだろう・・・。
でも、ロートレックは、ゴーギャンとは同じ絵の仲間でありながら、一歩距離を置いていたようだから、また難しい問題が起こっていたかもしれない。

彼がゴッホにはアルル行きを勧めておきながら、自分はモンマルトルに残って制作を続けたのは、彼を受け入れ、彼の創作意欲を刺激し、彼が生きられる場所はそこしかなかったからなのだろう。

私は,当初は、彼の大胆な構図とインパクトのあるおなじみの有名なポスターが好きだった。
でも、彼の生涯を知り、彼の作品の変遷を辿るうち、彼の『彼女たち』と言うデッサンが好きになった。

『彼女たち』と言うのは、ロートレックのモデルだったキャバレー『ムーラン・ルージュ』の踊り子兼娼婦達だ。

貴族の家に生まれながら、2度の事故で両足を骨折し、足の発育が止まって、身長が低いまま成人したロートレック。
順調に成長していったら、そのまま上流階級で花開いていたであろう彼は、パリのモンマルトルで若い画家達と交流しながら、独自の芸術を開拓していく。

そこには、彼の容姿とは関係なく、情熱的な恋愛をし、心から刺激し合い、認め合える仲間がいた。

また、愛すべき彼の性格とその容姿ゆえか、彼のモデルたちは,一緒に生活をともにする彼の前では、気取らない、ありのままの姿を見せていた。
客の前では『営業用』のメイクや立ち居振る舞いをしている彼女たち。でも、その素顔はごく普通の純朴な女性たち。
そのプライドをかけた、舞台や酒場でライトアップされた彼女たちの一瞬一瞬を描きながらも、素に戻った彼女たちのさりげない仕草やあどけない表情を温かな視線で描き取っている。
ロートレックは
「『モデル』と言うのは、動かない剥製のようなものだが、彼女たちは生きている!」
と言っている。
彼女たちがロートレックにあれほど無防備な態を晒せるのは、彼になら気を許せると言うか、信頼していたからだろう。

その『彼女たち』と言うデッサン集は、一部では高い評価を受けたが、何か別のことを期待していた購買層たちからは不評で、さっぱり売れなかったらしい。

私は、あのデッサン集を見てから、彼が書いた大判のポスターを見ると、感動は更に深くなる。

ロートレックは友人に恵まれていたなあと思うエピソードがある。
彼は、当時の人気歌手、アンバサドールのアリスティ・ド・プリュアン のポスターを描いた。
そのあまりの斬新さに、会場の店主がそのポスターを採用せず、他の人にポスターを依頼しようとしたのを知った、ブリュアンは
「ロートレックのポスターを採用しないなら、2度とこの店では歌わない」
と出演を拒否したのだそうだ。
店主はしぶしぶ承知したが、これがかえって評判となり、ロートレックはますますチャンスに恵まれていくことになる。

彼のポスターはいまや世界中で愛され、また、彼に続くアールヌーボーの画家達や現代の若きグラフィックデザイナーたちに、多大な影響と刺激を与え続けている。

36歳で脳出血で亡くなったロートレック。
もっともっと描きかかったことだろう・・・。
コンプレックスと戦いながら、自分の生きるべき道と自分らしくいられる居場所で、精一杯生き抜いたロートレックを深く尊敬する。

寒~い冬*(結晶)*に暖かいところ見~っけ*(ハート6つ)*

2009-12-06 06:53:00 | 徒然なるままに
12月5日(土)*(曇)**(雨)*

今日は妹と、八千代市にあるアース・メイトという『陶板浴』に行って来た。
http://www.earth-mate.jp/index.html
『陶板浴』と言っても、*(温泉)*やサウナではない。
着衣のまま、床に敷かれた抗酸化溶液で出来ている陶板の上に厚手のタオルを強いて寝るだけ。
陶板浴の室内は、床には抗酸化溶液で出来ている陶板を敷き、壁・天井は抗酸化溶液を含んだ珪藻土で出来ているのだそうだ。
効能は、
『身体を温める事で免疫力を30%UP出来ます。抗酸化溶液で出来た陶板で体を温めることにより、生活習慣病(高血圧、糖尿病、心臓疾患、癌等)の予防・改善、腰痛、肩こり、関節痛の軽減、化学物質過敏症、シックハウス症候群の改善、アトピー、アレルギー、冷え性、美肌効果、そのほかにも様々な効果が期待できます。』
と言うことだそうだ。

いや~、温まった、温まった。
私は40分間寝ていたのだが、そのうち20分間は熟睡していたと思う。
体の芯からあったまった上、肩、背中、腰の痛みやだるさがすっかりなくなっている。
後半はどんどん汗が出てきて、浴室内に持ち込んだ抗酸化水(これがまろやかで美味しい!サービスで飲み放題!)で水分を補給しながら、思いっきり汗をかいた。

シャワーでその汗を流した後も、ずーっとポカポカしていて湯冷めしない。
忘年会に行くという妹を津田沼まで送り、帰宅してからも、ずっとポカポカで暖房がいらないくらいだ。

今の職場から、帰り道をちょっと遠回りするくらいで寄れる所にあるから、これから冬本番、時々寄って行こうかなあ・・・。
PCの使いすぎで肩や首が凝っていたり、低気圧や雨の日には、以前踏み台から落ちて打ったところが痛かったりしたら、ここに来るのが効果的かも。
免疫力を高める効果もあるらしいから、寝不足が続いた時には、でインフルエンザに負けないように、免疫力を高めに来よう。
なんと言っても、あれだけ汗をかくなら、ダイエットにもいいかも?

なんてことで、寒~い冬に見つけた暖かいところでした*(ハート)*。

千葉県にお住まいで国道16号線をお使いの方はぜひ一度、いらしてみては?お奨めです*(ウインク)*。

『種まく人』2

2009-12-01 22:29:00 | 徒然なるままに
12月2日(火)

今日、3年生のBOX ARTの鑑賞授業の時の欠席者を呼んで、放課後、鑑賞をしてもらった。
一通り他の生徒の作品を鑑賞し、5人選んで感想を書いた後、自分の作品についての自己PRや反省点、取り組んでみての感想を書いてもらった。

その時、一人の生徒が、
「締め切りに間に合いそうもなくて、最後は雑になってしまったけど、せっかく教えてもらった手法をもっと使いたかったなあ・・・。みんなの作品見て、こんなやり方あるんだとか、真似してみたいとかすごい参考になったから、もう一回やってみたい」
と言った。
「そうそう。『この失敗を次に生かして次はもっといいものを作りたい』って書きたいけど、今度やるのは『篆刻』だし、もう絵の具は使わないんでしょ。私たちもう卒業だし・・・。」
「高校に行ったら、美術を選択して、教わった手法を使っていい絵を描けば良いじゃん」
「そっか~、高校でも美術はあるんだ。」
「美術じゃなくても文化祭のポスター作りとか、イベントの時のクラスTシャツを作る時とか、けっこう使えそうじゃん?」
「いいね、いいね、それ!」

そうやって盛り上がった後、生徒達が書いてくれた感想を読んで、私は泣けてしまった。
『先生、いろんな手法を教えてくださってありがとう。今回の作品には上手に生かせなかったけれど、高校で美術を選択して作品作りに生かしたいと思います。』
『先生、せっかく教えてくれたのに、あんまり工夫出来なくてごめんなさい。でも、初めて美術の作品を最後まで仕上げることが出来てうれしいです。』
『最後までしっかり仕上げるまで諦めなかったから、出来上がった時すごく充実した。みんなの作品を見て、いい作品にはその人の本気が伝わってきた。応援したくなる作品もあった』

「先生、上手な人の作品の感想だけじゃなく、ここ、もっとこうすればいい作品になったのに・・・と言うようなことを書いてもいいの?」
「うん、ぜひそういうことも書いて!私が気がつかないことや、あなた達だからこそわかる視点もあると思うから。私にも勉強になるしね」
その生徒が書いた感想は、とても温かな視点で書いてあった。
上手な作品や好きな作品のいいところだけでなく、『ここをこうしたら、もっといい作品になったのに』というような視点で書く生徒はなかなかいない。

今回は、簡単な手法や遠近法など、ほんの基本的なことを教えただけで本番に入ってしまったので、その手法の応用の仕方を十分理解し練習する時間が足りなかった。
だからこそ、それぞれが苦心して作り上げた作品は本当に参考になり、思うように出来なかった生徒ほど、リベンジしたくなるのだろう。

だから、今やっている『篆刻』に賭けるみんなの意気込みはすごい。
卒業までの限られた期間で、受験勉強と両立させながら、効率よく完成させなければならないのだ。
今までの様に説明を聞き流したり、聞き落としていては、やり直しになり、また時間が足りなくなって、不満足な作品にしか仕上がらないなんて嫌だ。今度こそ、『一生もの』のはんこを作るぞ!
と言う意気込みがビンビンと伝わってくる。

赴任当初の頃の生徒達は、人の話は聞かないし、当たり前のように忘れ物はするし、プリントは失くすし、提出物は出さないし、
「締め切りって何?」
「締め切りすぎたら出さなくても良いんじゃね?」
「今度の先生、ウザくね?」
中には
「死ねばいいのに~♪」
なんて言う生徒もいた。
夏休み前は、この先どうなるのか、私にけんか売っているのかと悩みもしたものだった。
でも、
「1年後、見てろよ~!美術は役に立つ。美術は面白い。美術にハマった!って言わせて見せるぞ~!」
と心に誓い、めげずに頑張ってきた。
それが、1年と経たないうちにやる気満々の生徒達が増えて、うれしい限りだ。
私も、3年生もあと4ヶ月を切った。正味後10回もない美術の授業を、1時間1時間充実させて過ごして生きたいと思う。

私は『種まく人』
みんなの心に蒔いたどの種が、いつ芽を出すのか、どんな花を付け、どんな実を結ぶのかは誰も知らない。
何年か経って、私の名前は忘れても、美術の時間に作った作品との思い出は、時々は思い出してくれたらうれしいな。
そして、自分の作った作品にも愛着を持って、大事にしていってほしい。

3月31日の離任式の日には、達成感を持ってこの学校を『卒業』していけるように、これからの1回1回の授業や、みんなと過ごす1日1日を大切に過ごして行こうと思う。