明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(240)大槌でのたくさんの出会いに感謝し、陸前高田・気仙沼に

2011年08月22日 07時00分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110822 6:30)

20日に続いて、昨日も仮設住宅に自転車を届けてきました。この日の台数
は40台ですが、すでに京都からきた大型トラックは帰っているため、私たち
が借りてきた2トンロングで3回にわたってストック地から運び込み。少し小
雨模様でしたが、1回めに自転車を運び込むやゾロゾロト人が集まってきま
す。「抽選が楽しみだ」と年配の女性たちが笑っています。

その人の合間を縫うようにしてトラックを出し、再び自転車を運び込み、さ
らにトラックを出して、また運び込み、時刻は10時半を回りました。
再びチーターさんが司会をし、森さんが挨拶をして抽選会の開始。抽選と名
前の呼びあげを、パレスチナ子どものキャンペーンの方たちが担当してくれ
ました。

この日も自転車台数が応募に足りていたため、空くじようにと用意した、聖
護院の八ツ橋も一緒にプレゼント。再び名前が呼びあげられるたびに、嬉し
そうに腕を上げて当選者が出てきて、自転車を選び始めます。拍手や笑い声
が会場を包み、何人かで一緒に自転車選びを始める方も。中には何度も試乗
して自転車を比べる人も出てきました。

それぞれの方が印象的な笑いをみせてくれましたが、この日、忘れられな
かったのは、青くてかわいい子ども用の自転車に目を付けた小学校低学年の
女の子。自分の欲しい自転車にのって、じっとくじを待っています。そばに
お父さんがついて、「お祈りすればきっと当たるよ」と笑ってささやいてい
る。その横に幼稚園児の妹ちゃんが立って、お姉ちゃんの当選を願っている。

しかしなかなか彼女の名前がでてきません。「ああ、とられちゃうよう」と
悲しそうにお父さんにつぶやくと「大丈夫さ。祈っていたらいいよ」とお父
さん。だんだんこっちが祈りたくなってきます。小学生の女の子と、その妹
ちゃんと、お父さん、そして僕らが祈りながら、ハラハラどきどきしてその
自転車をみつめている。

暫くして、やっと彼女の名前が読み上げられました。もう泣きそうになって
いた顔に瞬時に笑いがはじける。お父さんと一緒に自転車にかけよる女の子、
さっそく自転車にまたがってみます。ちょっと高いのでサドルを下げてあげ
ます。もう女の子の顔は嬉しさでくしゃくしゃ。お父さんが優しく頭をなで
あげています。

・・・ところが、妹ちゃんの顔をみると、くしゃっと泣き顔になっている。
さっきまであんなに一生懸命に当選を願っていたのに、お母さんがそばに
よると、エーンと泣きだした。お姉ちゃんが当たったら、そこで初めて自分
の自転車がないことに気がついたのです!「しょうがないでしょ。あんたが
乗れる大きさのはないんだよ」と抱き上げながらお母さん。

そのときチーターさんがマイクで一声。「そこのお嬢ちゃんの涙に負けました。
一番小さな自転車をもう一つ差し上げます」。これは大ヒットだった。幸い
お姉ちゃんのものよりも一回り小さな自転車があったのです。それを持って
いくと、妹ちゃん、涙をいっぱいためた顔で自転車にまたがる。・・・足が
届きません。「でもすぐに乗れるようになるよね」とプレゼントすることに。

お父さん、お母さんが、「いいんですか。どうもすみません」と深々とお礼を
して下さいました。そのお母さんが妹ちゃんをおろして、お父さんがだっこ
していた赤ちゃんを抱きました。「いつお生まれですか?」と聞くと、にこっ
と「3月22日です」と教えて下さいました。あの大震災から10日たって生まれ
た命です。「僕も大きくなったら自転車に乗ってね」と手を振りました。

その後、ご要望に応じて自転車のメンテナンス。まるで自転車屋さんのように
詳しくなってしまった大槻さんが絶大な力を発揮します。タイヤがうすいと
いう要望にこたえて、すぐさま後輪を解体。タイヤをはずして交換をはじめる。
小雨降る中で作業が続いていきます。森さんも他の自転車と格闘。使えない
のは僕ばかり・・・。

パレスチナ子どものキャンペーンの方たちも、実によく動いてくれて全過程を
手伝ってくださいました。やがて仮設住宅を後にして、パレスチナ子どもの
キャンペーンの倉庫に戻りましたが、そこでの運び込みなども手際よく手伝っ
てくれます。また協議して今日は自転車の台数を少し押さえて、今後、この方
たちに近くの仮設住宅に配ってもらうことに。

いっぺんにたくさんの台数を持ち込むほどのニーズはないものの、それぞれの
仮設で数台の需要があるし、そういう人ほど、本当に必要だ。残していって
もらえると助かるとのことでした。僕らもそうやって配ってくれるならとても
ありがたい。結局、18台ぐらいを倉庫に残し、大槌を後にすることにしました。
最後に津波から奇跡的に残った小鎚神社にお参りして釜石に向かいました。

この日も他にもたくさんの感動的な出会いがあったのですが、すべてを書きき
れません。続きは今日の夜にして、そろそろ出発の準備にかかりたいと思いま
す。今日はこれから釜石港を見つつ、海岸線を南下。三陸町、大船渡市を経て、
陸前高田に行きます。持って行く自転車は18台。そこでアビスさんと合流し、
気仙沼へ。森さんの家にショートステイした女の子にも自転車を届けます。

今日が京都OHANAプロジェクトとしては最後の旅です。再びいい一日を過ごした
いものです・・・。

以下、森さんの通信を貼り付けますが、今日はトピックがかぶってしまい
ました!!

****************************

OHANA通信Vol12 8月21日(日) 大槌町での活動二日目

こんばんは。京都OHANAプロジェクト森拓哉です。

今宵、釜石から配信する最後のOHANA通信です。
今日は仮設住宅で40台の自転車をお渡ししました。
あれ?昨日の時点では、60台では?
お気づき頂いた方はありがとうございます。よく読んでくださっていますね。

少し仮設の状況を説明しますね。
僕たちが活動している大槌町では、ちょうど 8月11日
に避難所が全て閉鎖されて、仮設住宅への引越しが完了しました。

津波で市街地が流されて、ただでさえ少ない平坦地、どうしても仮設住宅は
点在します。その数、約50箇所。

少ないところで20戸程度、多いところで200戸程度といったところでしょうか?
支援の手は、多いところに届きがちです。

この点は震災直後の避難所と似た状況です。多いところに、物資が集まる。

それで、パレスチナ子どものキャンペーン(以下、CCP)のメンバーさんから
リクエストを頂きました。
「戸数の少ない仮設住宅にも決め細やかに配れないか?」

今回、お届けさせていただいた避難所は比較的、大きな規模(100戸と170戸
くらい)のものです。140台という自転車に対して、僕たちの活動期間は、2日間。
僕たちの滞在期間が短いという、こちらの都合に合わせていただくための対応です。

そこを機転を利かした提案を頂きました。
必要性が高い人は、小さな戸数の仮設にいらっしゃる可能性が十分にある。
そこで、今日の配布は40台に控え、
CCPさんに20台ほどの自転車を預けて、臨機応変に対応いただくことにしました。

さて、では40台の配布の結果は、、、

5人家族で仮設住宅に入られているAさん一家。
長女のおそらく小学生Bちゃんは、ほしい自転車に狙いを定めて、
ずっと前のほうで、ほしい自転車の前で待っていました。
なんともいえない表情で。

「当たるかな?当たるかな?どきどき」

ものすごく分かり易い表情をしているので、僕らも一緒にドキドキ。
3-4歳の妹さん、Cちゃんも一緒におねえちゃんを応援。

そして、ついにそのときはやってきます。
「Aさん!」
名前が告げられた瞬間、家族で「やったあ!」の歓声。
そして、喜んだ次の瞬間、Cちゃんの顔がぐしゃぐしゃに。

Cちゃんは気づいたんです。
「お姉ちゃんには自転車が当たったけど、私には何もない・・・」

それに気づいた、われらがチーターさん、「Cちゃんにはこの自転車はどう?」
もう一台プレゼントさせて頂きました。Cちゃんの喜んだ顔。
まだ、少し大きな自転車なので、乗れるまでに時間はかかるけど、
大事にしてくれることでしょう。

平等に配ろうとチャレンジすることは大事なことですが、結果が平等である必要は
ないんですよね。

・・・そんなストーリーを昨晩配信しようと、パソコンパチパチしていたら、
僕はいつの間にか、自動的にスイッチオフ、寝てしまったようです。
いつ寝たのか、全く記憶にありません。

140台の自転車のうち、今はトラックに積んである、
22台だけとなりました。少し安心したのかな?

さて、今日は今から、陸前高田→気仙沼 を順に周り、わずかながらですが、
自転車をお届けします。
おじさん3人の、珍道中、OHANAの旅もいよいよフィナーレへ。

今日もできることを精一杯。
今日もありがとうございます。今日も素敵な一日でありますように。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉

8月22日 陸前高田市、気仙沼へ。自転車何台かずつお届けの予定。

ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。

みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
http://www.success-running.com/news/2011/07/senba.pdf
クレジットカード決済に対応しました♪ ⇒ http://p.tl/N0-j

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活動資金にご協力できる方は下記にお願いします。

京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子

(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際に
名前の前に、311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」という
具合です。整理のためです)







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明日に向けて(239)釜石の熱い夜

2011年08月21日 23時30分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110821 23:30)

20日夜のことですが、すべての行動を終えた私たち3人は、夜の町に食事に出ました。
夜の町といっても、釜石市は信号すらまだ灯っていないところがあり、店がほとん
ど営業していない。何せ多くの建物が1階も2階も激しいダメージを受けたままなのです。
それでも、できればおいしく楽しい店でご飯を食べたいと思うのが人情。それで
町を歩いていると、森さんが遠くに煌々と光っている赤ちょうちんを発見しました。

これがウルトラ大ヒットだった!

料理がおいしいのはもちろんながら、何よりも津波をぎりぎりのところで逃れ、10
日前に店を再開したお母さん、お父さんとの出会いが素晴らしかった。むちゃくちゃ
に濃い出会いでした。
これについては森さんが詳しい紹介を発信してくださったので、今宵はそれを
コピーさせていただいて、報告に変えます。

***************************

OHANA通信 Vol10 8月20日(土) 釜石市よさくというお店

京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

先ほどまで、釜石市大町1-9-6の「よさく」というお店で
食事?でした。

この「よさく」 津波で全てをかっさわれたお店です。
周りは建物はあれど、人気はなし。
信号も点灯していません。

天井の電球、座敷、トイレは、
東から西に来た
波が全てを奪っていきました。
唯一残ったのがカウンターのみです。
3月11日のことです。

お店の斉藤さんご夫妻、もう諦めかけたそうです。
色々なストーリーを経て、8月11日に再建、復興を遂げられました。
僕らが来る10日前です。復興までの間、栃木のボランティアの方が、せっせ
と店の掃除をされていたそうで、そのおかげで再建できたとのこと。

広い市街地、唯一の赤提灯でした。

明日は栃木のボランティアにお礼に行かれるそうで、
今日たまたま「よさく」に入れたのは幸運でした。

京都から自転車を持ってきたと言ったら、お店のだんなもお上も喜んで
一緒に飲んでくれました(あ!? 食事でないってばれた?)。
明日、自転車を二台届けることになっています。


今は仮設住宅からお店まで徒歩15分、
それが5分になります。
10分の短縮に京都の自転車が貢献です!

津波の話もたくさん聞かせてくれました。助かったストーリー、
助からなかったストーリー、助かった自分がどうしてきたか、、、
それはそれは、壮絶な話です。

明日では聞けなかった話です。今日しか聞けなかった話です。
今日この日に釜石市に居れたことを、感謝します。

皆様、送り出していただき、ありがとうございます。

今日は「よさく」に、「森、守田、大槻のボトル(モリ モリタ オオツキ
 ノ ボトル)」を置いておきました。誰でも飲みやすいように「イイチコ」
です。

正確にちゃんと言えた方には、このボトル出してくださいねと言っています。
「モリ モリタ オオツキ ノ ボトル」です。是非、「よさく」に行って、
一杯どうぞです。

また必ず来ますと伝えて、店を後にしました。
皆様ありがとうございます。

今日も素敵な一日でした。
明日もよい日でありますように。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉

*****

OHANA通信 Vol11 8月21日(日) 昨日の追加

おはようございます。OHANAプロジェクト森拓哉です。

今日は大槌町での活動二日目、自転車60台を170戸の仮設に
お配りしてきます。さきほどほんの少しの地震があって、目が覚めました。
たぶん、こんなの地震に入らないよ程度のものです(震度1~2?)

起きだして、昨晩のOHANA通信を読んだら、
あまりに言葉足らずメールなので、もう少し書いておきたくなりました。
言葉足らずで、いつも愛する奥様には怒られています。とほほ。

釜石市のことです。

釜石は、釜石駅の周辺は、一見すると何事もなかったかのように見えます。
ショッピングセンター、電気屋さん、ホームセンター、普通の暮らしとなんら
変わりありません。

それが、市街地へ入る、交差点を曲がり、電車の高架をくぐったところから、
様子が一変します。一階部分がぐしゃぐしゃに潰れた家、建物が立ち並び、
信号も消えています。

「あー、津波が来たんだ」と再認識させられます。

そんな町の少し路地に入った多田旅館に僕たちは宿泊していて、
こちらも一階部分は津波が押し寄せて、作り直されています。

昨日、ご紹介した「よさく」もそうですが釜石は地盤がしっかりしているため、
地震による倒壊はほとんどありません。
目に付く被害は、ほぼ全て津波で流されたことによるものです。

昨晩、食事のために、町のメインストリートに出たところ、やってそうなお店は
ほとんどありません。旅館近くの養老の瀧、ローソン、ビルの3階で営業している
スナック、ホテルの二階で営業している食堂といったところでしょうか?
(昨晩の「人気なし」というのは、ちょっと言いすぎで、「人気がまばら」という
ところでしょうか)

警察が巡回している姿も目に入ります。

信号がついていないので、気をつけて道を渡ります。
もうちょっと探してみようと、路地に入ったところ、煌々と光る赤提灯が目に
入ってきました。

「よさく」です。

この赤提灯、震災前は40Wで営業されていたんだそうです。
それを街に灯りがないから、少しでも明るくと、100Wに変えています。
僕たちはその明かりに招かれました。

お店に入って、注文をして、ビールを飲んだ後、チーターさんも
合流してくれました。

大槌町の「ゆるきゃら」 おおちゃんの人形を作り
仮設にお住まいの方々が収入源とするべく、
チーターさんも参加されているNPO「ぐるっとおおつち」が
活動されている事を伺いました。
http://mainichi.jp/select/today/news/m20110821k0000m040049000c.html

かわいいキャラ、住民の皆さんの奮闘している姿が浮かんできます。
すると、お店の旦那とお上も、「なになに?」と合流してくれました。
地震のあった時間、旦那もお上も自宅にいたんだそうです。
地震直後、出された津波警報は「高さ3m」というもの。
「どうせ大丈夫」と、なめた空気が漂っていたそうです。

旦那は家の二階から、海を眺めたところ、潮がさーっと引いていく海を見ました。
確認するため堤防まで出たところ、見たこともないほど潮が引いていたそうです。
旦那は「これは相当でっかいのが来る!」と予想して、
隣り近所にも言って回った。でも、変わらずのんびりされて、
そんな方が随分と亡くなられたそうです。

お上は、背中すぐ後ろに、津波が迫りながら走って逃げたそうです。
津波と追いかけっこ。

高台にすでに避難している人が、
「もっと走れ、もっと上だ!」と言うから、「どこまで行けばいいんだ」
と思いながら、後ろも振り向かず、走り続けてまさに九死に一生。

津波で店の一階部分は全部さらわれて、当初はもうここで店は無理だ!
と諦めかけたそうです。仮設店舗が釜石駅の近くで当選して、そちらも検討した
そうですが、契約期間が二年、中の設備は自分で用意しないといけないため、
「そんな条件で店をやっても、、、、」とすごしている間、お店の一階部分を
栃木のボランティアグループがずっと掃除していてくれたそうです。

そして、建物の使用許可が出たので、「よし、ここでやろう!」と決断されたそう
です。

営業再開したのは、8月10日のこと。

「私たちは復興した。元気にやってる!」と仮設住宅に住みながら、語るお上の
姿が印象的でした。自転車をどうぞというと、喜んでくれたこと、喜んでくれた
こと。

僕が聞いて記憶しているほんの一部のストーリーです。
とても、書ききれません。

昨日、僕たちは、津波で家もお店も流されたけど、
美しく立ち上がる人の姿を目撃しました。

もちろん、これからもさまざまな苦難があるのでしょうが、
希望というものがどういうものなのか、
言葉ではなく、肌で感じることができました。
希望という言葉の尊さを感じることができました。

ささやかな応援の気持ちで、焼酎ボトルを入れています。
いつの日になるかは、分かりませんが、また行きたいと思います。
皆さんも行く機会があれば、どうぞ使ってくださいね。


さて、今日は朝から雨が降っています。
どんな活動になるでしょうか?
とにもかくにも、できることを一歩一歩、集中してやっていきます。
気持ちは一緒に、見守ってやってください。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉

今後のスケジュール:

8月21日 大槌町で自転車の配布
8月22日 陸前高田市、気仙沼へ。自転車何台かずつお届けの予定。

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京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子

(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際に名前の前に、
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明日に向けて(238)自転車を手にして笑顔が満開!

2011年08月21日 07時00分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110821 7:00)

21日は朝7時半に釜石のホテルを出発。大槌町を目指しました。大槌町
までは30分余りの距離。海岸線を北上しやがて市内に入りました。僕も
森さんも大槻さんも、大槌町には初めて訪問ですが、町に入ると津波の
猛威を感じました。海に近い地区は全壊した建物がポツン、ポツンと
点在していて、基礎部分だけが残っているところが多い。

川沿いにある旧大槌町立病院も激しく損壊していました。また幾つかの
残ったビルが黒こげになっていて、火災が凄かったことも実感しました。
もちろんこのあたりに住み続けることができる家は一軒もない。後で町
の6割近くが流されてしまったと聞きました。大変な被害がこの町を
襲ったのです。

この損壊した旧病院前で、前夜から現地入りしたチーター(千田悦子)
さんと合流。チーターさんは、大槌町のNPOである「ぐるっとおおつち」
のメンバーである倉本さんと一緒でした。倉本さんは「ロータス倉本」
という自動車屋さんを経営する一方で、街おこしの活動を行ってこられ、
震災以降は、町の復興のために活躍しておられます。

「ぐるっとおおつち」は、理事9人のうち、3人の方が津波で命を落とさ
れてしまいました。倉本さんも、お父様を亡くされたそうです。幾つか
経営している会社も流され、1200台の車を波にさらわれたとおっしゃっ
ていました。しかし人を助けよう、町を立て直そうと奮闘され、今回も
自転車の先々のメンテナンスを引き受けるなどしてくださります。

チーターさんの先導で、自転車の配送地である大槌中学校に向かいまし
た。すぐそばに京都から自転車を運んできてくれた10トントラックが
すでについて待機していました。このトラック、後ろのハッチに、艶や
かな女性の絵が書いてあるのをはじめ、なんとも派手な絵が描かれて
います。

大槌中学校のグラウンドには、国連食糧機構の巨大ドームテントがたっ
ています。5メートル×50メートルぐらいでしょうか。国連は被災地の
多くに支援として物資配布の集積地としてこのテントを配付してくれ
たのだそうです。ここをパレスチナこどもキャンペーンなどが使って
おり、私たちもこれをお借りすることに。

さっそく自転車を下ろし始めました。この日、仮設住宅に配る60台を
残し、あとはテントの中に収容して行きますが、この段階でパレスチナ
こどもキャンペーンの面々も集合してきてくれて、作業を手伝って
下さいました。およそ80台弱と、メンテナンス部品をテントの中に
運び込み、続いて仮設住宅に出発です。

目的地は大槌中学校から車で10分ほどの距離にありました。仮設の中に
10トントラックを中心に私たちが入り、自転車を降りし始めると、今日
のことを聞いていた方たちがさっそくぞろぞろと集まりだします。その
中にどんどんと自転車が並べられていく。チーターさんがハンドマイク
をもって住宅内に広報を行い、人がさらに増えていきます。

自転車を並べ終えると、チーターさんが説明を開始。私たちのことも
紹介して下さいました。その後にあらかじめ住民の方々に配っていた申
し込み用紙を箱の中に入れて、抽選会のはじまり、はじまり。私たちが
手を突っ込んで紙を取り出し、チーターさんが読みあげて行きます。
いの一番のくじに当選したのは、漁師の木村辰喜さん!

辰喜さんは、やったーと叫ぶと、まっしぐらに一番格好のいいマウンテン
バイクを手に取り、すぐにまたがって周囲をグルグル走り出しました。
周りから拍手と笑い声が起こります。続いて2番、3番と名前が読み上げ
られていく。そのたびに嬉しそうな顔をして当選された方が手を上げ、
自分の欲しい自転車を探して持ち出していく。

拍手、笑い、どよめき・・・そんなことが続きながら、自転車が1台、
また1台とみなさんの手に渡って行きます。しかし僕のすぐ
近くに並んでいたおばあさんたちになかなかくじが当たらない。半分ぐ
らいたっても当たらずに落胆の顔がみえてきてだんだんハラハラして
きましたが、やがて一人づつ名前をお呼びすることができました。

この日、こうして配れた自転車は50台。申し込みをされた全ての方に
自転車をおわけすることができました。さらに、「サドルが高い」
「チェーンがガラガラ音がする」「ブレーキの効きがよくない」などの
要望を聞いてその場で追加のメンテナンス。自転車屋さんのテクニック
を伝授してきた大槻さんが大活躍してくれました。

その後、いろいろな方にお話を伺いましたが、ここでご紹介したいのが
一番くじを引かれた辰喜さんのことです。辰喜さんはさんま漁の達人。
大槌で水揚げされるさんまの大半を扱っていたとか。その辰喜さんは
地震がおこったとき、港におられました。「津波があったら沖に逃げろ」
漁師の言い伝えを守った辰喜さんはすぐに出港。

しかしすぐに津波が押し寄せてきました。それを操舵して乗り越えると
周りには転覆した船が流れています。それらも避けて沖を目指すと再び
大きな津波が。それも乗り越え、漂流物をかわし、さらに押し寄せる津
波を乗り越えということが何と7回も繰り返されました。ようやく沖に
出てほっとできるまで3時間近くかかったそうでした。

このようにして船と自らを守った辰喜さんでしたが、海沿いにあった
倉庫が全滅、1億円を上回る損害がでました。配送のためのトラックも
すべて流されてしまい、もう一度海へと奮闘したものの、廃業を決意。
生きのびた船も手放されたのだそうです。それでも7回の津波を乗り
越えたを取材した新聞を誇らしげに見せて下さいました。

機械いじりも好きな辰喜さん。自転車に乗るのも趣味なのだそうです。
パンク修理ぐらいはお手の物。それでこの被災者住宅のメンテナンスを
お頼みすることにして、空気入れをお渡ししました。あとで簡単な
メンテナンスキットを手に入れてお渡しする予定です。辰喜さんの手で
自転車が守られていくとよいです・・・。

この他にもたくさんのドラマがありましたが、今日の報告はこれぐらい
にしておきます。森さんの報告に動画も乗っているのでぜひご覧くださ
い。なおこの日の夜は、ホテルのある釜石市でも、とても素敵な出会い
にめぐまれたのですが、この報告は森さんのものにお任せしてしまい
ます。

さて今日、21日は朝から雨です。雨の中だと抽選会などがしにくい。
一体どうなることやら・・・。でもたくさんの笑顔に出会えることを
期待して、そろそろ出発します!

****************

OHANA通信 Vol9 8月20日(土) 自転車を51台お届けしました!

こんにちは。京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

今日の午前は、大槌町の仮設住宅にお邪魔して、抽選会です。
京都からのかっこいいトラックも予定通りに到着して、順調です。
107戸ほどの戸数に対して、50台の配布です。

<かっこいいデコトラ到着>
http://www.youtube.com/watch?v=Y3Kvh2I1Jnw

<チーターさん抽選のアナウンス>
http://www.youtube.com/watch?v=kxBUKoNobuk

<一番くじの木村辰喜さん> 漁師さんで7つの津波を40トンの舟で乗り越えて
いったそうです。JEEPのマウンテンバイクを選べれました。
http://www.youtube.com/watch?v=lN_lHZvGwFU

・・・・結果は、51台の応募だったため、全員に無事に届けることができました。

「こんな自転車はないの?」「あんなふうにできないの?」
自転車が選ばれるごとに選択肢が減っていき、色々な声が飛び出します。
「遠いところ、ありがとうね」「ほんと助かるわ」

ねぎらいの言葉も頂きます。
「やったあ!」「これだと、私は高齢だから、、、もっと小さいのないかな、、、」
・・・

今日の僕には、今日の出来事をどう解釈したらよいのか言葉にする力がありま
せん。うれしいのか、うれしくないのか?いいのか、悪いのか?正しいのか、
正しくないのか?

ただ、できることはやりきった!それだけです。

守田さん談: 自転車を手にして喜んでいる皆さんの笑顔が印象的でした。
明日もたくさんの笑顔に出会えるといいな。

大槻さん: (お風呂に入っているのでまた明日で、、、自転車の整備、気配りと
大活躍されていました!)

明日は、もうひとつの仮設住宅170戸に対して、60台の自転車です。
今日は今から釜石の町で晩御飯食べてきます。

今日も一日ありがとうございました。
また、明日もよい一日でありますように。


京都OHANAプロジェクト
森拓哉

8月21日(日) 大槌町の仮設住宅で自転車の配布
8月22日(月)       気仙沼訪問の後 京都へ

ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。

みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
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*************************

なお繰り返して恐縮ですが、すでにたくさんの方にご協力いただいているのですが、
残念ながらまだ活動資金が足りていないようです。可能な方はお力をお貸しください。
よろしくお願いします。

京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子

(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際に名前の前に、
311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」という具合です。整理のためです)



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明日に向けて(237)停電を越えて、岩手県釜石へ

2011年08月20日 07時00分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110820 07:00)

続いて昨日、19日のことをご報告します。

この日は朝10時半にホテルを出て、友部駅から水戸線に乗って栃木県の
小山へ。そこから新幹線に乗り、宇都宮で列車を乗り変え、大阪・京都
からやってきた森拓哉さん、大槻隆雄さんと車内で合流しました。さあ
みんなで岩手に行くぞと勢い込んでいるときに突然、車内の灯りが消え
てしまった。「あれ、どうしたかな?」と思っていると列車が停止。

車内放送がありました。東北地方で地震が発生し、停電したたため、列
車が止まったというのです!「えーっ」と動揺が広がる車内。これから
福島県を通過することになるので、放射線値を計測しようと、窓際にガ
イガーカウンタ―を置いたばかりだったのですが、列車は宇都宮と那須
塩原の間で止まったまま。空調も止まり、息苦しくなっていきます。

被害は出てないのだろうか。原発は大丈夫なのだろうか・・・と思いつ
つ、でも東北ではこんな感じがしょっちゅうなのだよなとも思いました。
そういえば友部の夜でも、一度、ズシンという大きな揺れがありました。
これも311大地震の余震なのでしょう。気仙沼のアビスさんの家で「大き
な」揺れに、「こんなの大きくない」と笑われたことを思い出しました。

やがて電気が回復。空調も働きだしてほっとしましたが、列車はなかな
か動かない。結局1時間たって動き出しましたが、かなりの減速運転で
走って行きます。那須塩原を通過し、郡山駅につきましたが、そこで再
び長い停車。前の列車が郡山から仙台の先の古川まで、徐行をしている
のだそうです。結局数十分たって、郡山駅を出発。

ちなみに放射線値ですが、那須塩原駅直前で毎時0.37マイクロシーベルト
を計測。郡山駅では0.2マイクロシーベルトでした。7月に仕事で古川ま
できたときには、郡山―福島間の二本松付近で0.5マイクロシーベルトま
であがったのですが、この日はこの区間でほとんど値の上昇はありません
でした。福島駅は0.2、直後に0.37になりましたがすぐに0.2に落ちました。

以降、放射線値が高くなることもなく、列車がゆっくりと進行。車内で
あれやこれやと話しながら、結局、目的地の岩手県北上駅についたのは
午後7時10分。2時間30分遅れでした。駅で交渉すると特急料金が払い戻
しになった。経費節約になりましたが、しかし2時間30分の遅延は疲れ
ました。・・・そのぐらいどうということもないかもしれませんが。

その後、レンタカーを借り出しました。自転車を現場で運ぶための2トン
トラックロングボティーです。平ボティー車といって、箱のついていない
もの。これに3人で乗って、今宵の宿である釜石に向けて出発。運転は
僕です。実は昔、トラック運転手をしていたことがあって、4トンロング
に毎日乗っていたのです。2トンなんて軽い軽い!

北上山地を越えて走ることになりますが、まずは遠野市に到着。ここに
お世話になるパレスチナ子どもキャンペーンの現地本部があります。挨
拶と大槌町のある建物のカギを借りるために二人のスタッフの方に近く
まで来てもらいました。若くて爽やかな二人の男性がやってきてくれま
した。カギを受け取ってさらに一路釜石市へ。

結局、釜石に入ったのは午後10時過ぎでした。それまで山間を走っていて
釜石市に入ると、暗くてみえにくいものの、市内のいたるところにまだ
まだ津波の爪痕が残っていることが分かりました。多くの信号が消えた
ままついていない。また信号ぐらいの高さにある看板が損傷している。
波がそこまで来たのでしょう・・・。

そんな姿をみながら宿を探し、結局、到着したのは10時半過ぎでした。
宿はインターネットができるところということで選んだのですが、つい
てみると無線ランしか使えない。ケーブル施設は波でやられてしまった
ので、無線ランしかいれてないと言われました。幸い、森さんのパソコ
ンが無線ラン対応なので、さっそく森さんがOHANA通信を執筆。僕は
自分のパソコンで文章を打って、USBメモリーで森さんのパソコンに
コピーし、そこから送信することにしました。

・・・ということで今朝は二つの通信を発信します。いよいよこれから
大槌の町に向かい、京都から運送会社の大型トラックでやってくる自転車
とドッキングして、仮設住宅へと向かいます。どんな出会いがあるので
しょうか。今回はカメラ、ビデオも持ってきたので、ばっちり取材し、
映像も配信しようと思います。次の配信は今日の夜の予定です!

以下、森さんの昨夜発信の通信をお届けします。

******************************

OHANA通信 Vol8 8月19日 釜石市に到着しました。

こんばんは。京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

今日は、いよいよ自転車の出発、朝9時半に10tトラックへの詰め込みを開始です。
かっこいいトラックが来てくれました!

私と大槻さんはトラックへの詰め込みを確認する前に、朝10時の新幹線で京都駅へ。
片道約6時間の予定でしたが、大雨と地震の影響で、新幹線が何度も止まり、10時間
近く電車にのり、途中守田さんと合流して、北上駅からレンタカー、先ほど夜10時半
ごろ、無事に旅館に到着しました。

新幹線の駅から、釜石市の近辺まで震災の傷跡はほとんど感じられなかったのですが、
町に入ったとたん、様子が一変しています。なんとコメントしていいのか言葉に困り
ますが、とにもかくにも、明日からしっかり自転車を配ってきますね!

<一言コメント>
守田さん 初めて釜石市に入りました。入ったとたんに津波の跡を感じました。明日は、
自転車を一生懸命に配りたいと思います。

大槻さん 夜の風景しか見てないですが、同じ日本だとは思えない光景が広がってい
ます。明日の朝見る風景が少し不安です。ただ、皆の想いを背負っているので、みんな
の分もがんばります!

8月20日(土)~21日(日) 大槌町の仮設住宅で自転車の配布
8月22日(月)       気仙沼訪問の後 京都へ

ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。

みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
http://www.success-running.com/news/2011/07/senba.pdf
クレジットカード決済に対応しました♪ ⇒ http://p.tl/N0-j

フェイスブック : http://www.facebook.com/kyotoohana
★タイムリーに情報をお届けしていきます。ユーザの方は、「いいね!」
お願いします。

*************************

なお繰り返して恐縮ですが、すでにたくさんの方にご協力いただいているのですが、
残念ながらまだ活動資金が足りていないようです。可能な方はお力をお貸しください。
よろしくお願いします。

京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)

普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子

(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際に名前の前に、
311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」という具合です。整理のためです)



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明日に向けて(236)茨城県笠間市を訪れて

2011年08月20日 06時30分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110820 06:30)

岩手県釜石市のホテルからの送信です。

一昨日、訪問した茨城県笠間市友部のことについて書きたいと思います。
僕がこの日、友部駅についたのは、午前11時36分。上野から特急フレッシュ
日立で1時間の距離でした。会場に行く前に、少し放射線測定をしようという
ことで、二人のお母さんたちが待っていてくださり、一緒に北川根小学校に
向かいました。

この小学校はすぐ隣に北川根ふれあい公園があります。その駐車場に車を
止めて、公園の中を歩きだしました。ママさんの一人が買ったばかりの
ガイガーカウンターを取り出します。僕も持参のもの(京都ママパパの会の
方にお借りしているものです)を取りだし、さっそく計測開始。すると公園
の中にある植え込みの周りのベンチの上で、ママさんの計測値が毎時0.26
マイクロシーベルトを計測。しかし僕の方は数値があがらず、0.10から0.14
マイクロシーベルトあたりしかしめさない。

暫く周辺をいろいろと測ってみました。概ね0.2台の数値が出ていましたが、
学校の校門付近ではママさんのものが0.37を記録。しかしそれでも僕のもの
はそれほど数値が上がらない。「あれ、壊れたのかなあ。調子が悪いのかな
な」といぶかっていました。

さらに学校のフェンス沿いにある桜の木の下の落ち葉を計測。ここで同じく
0.30前後の値が出ています。「落ち葉を取り払った方がいいですよねえ」と
ママさん。「そうですね。でも焼いたらダメですね。」と僕。「ではどうし
たら」「とりあえずは密閉して近くに置くしかないですね。東電に連絡して
持って行ってくれと言った方がいいですね」と僕。

再度、公園の中に戻りました。そのときになって目についたのが、小さな
噴水とそこから流れて来る水路。タイルのような石がはってあって、いか
にも子どもたちが喜びそうな場所です。今は水が流れていない。でも雨が
降るとここを水が流れているといいます。その一番端に行くと、水が入っ
ていくアクリルのパイプが顔を見せていて、その前に泥が溜まっている。

「こういうところは高そうですね」と、カウンターをあてるとどんどん数値
があがっていく。このときは僕のカウンターも数値がどんどん上がりだしま
した。結局、二つとも2.0マイクロシーベルトを計測、その辺で数値が安定
しました。やはり泥に放射性物質が溜まっていたのです。「ここは子どもさ
んを遊ばしてはならないと通告して、はやく泥を除いてもらうといいです。
今日の記録、計測器の種類、測った人の名前、可能なら公園の見取り図を
添えて、行政に提出して下さい」と僕。ママさんたちもうなずいていました。

続けて会場の友部公民館に向かいました。公民館では大きな和室の部屋、二
つをおさえておいて下さいました。そこに早くから人が集まりだします。50人
の部屋ということで、それより少ないぐらいの人数を予想していたのですが、
どんどん人が増えていって、最終的には子どもさんを合わせて100人ぐらいに
なりました。朝日新聞からも取材の記者さんが参加。いよいよ講演の始まり
です。

「友部は田舎で問題意識を持っている人が多くはない」と聞いていたのです
が少なくとも会場の雰囲気はそうではない。前の方には首からガイガーカウ
ンターをぶら下げた女性もいます。何人かの方が先にあいさつをして下さい
ました。京都に避難しているお母さんのお連れ合いが司会をしてくれ、僕を
迎えてくださったママさんが挨拶をして僕の話になりました。

僕が話したのは、福島原発事故要因が津波ではなく地震であること、外部
被曝と内部被曝の違いと内部被曝の危険性、被爆した場合には、腹を決めて
開き直って、覚悟を決めて立ち向かうべきこと、免疫力を精一杯上げて放射線
の害と立ち向かっていくことが大切なこと。そして正常性バイアスの問題と
放射性廃棄物から考えた原発の問題などなどでした・・・。

僕から見ている限り、参加者の中のけっこうたくさんの人が相槌を打ちながら
聞いてくれました。さらにその後の質疑応答でも結構、いろいろな質問がでて
きた。中には演説をする人も。それで概ね2時間ほどで終わったのですが、その
後も次々と質問に来てくれる人がいて、全部で20人近くの人とお話しをし、さら
にそのまま居残った人とその場で2時間ぐらい話を続けました。


・・・こう書くと、とにかく盛り上がったということになるのですが、後で
主催者の方たちに聞くと、「原発事故を忘れかけている地元のママさんたちが
どう感じたか分からなくて不安だ。受け入れにくかったのではないか」とのこと
でした。「そうかあ。それは申し訳ないことをしたかもしれない」と僕は思いま
した。

今からとらえ返すと、今回の講演会のことは、主催者の方の思いも越えて、
周辺地域の方たちにも広がっていたように思えます。例えば東海村の近くにいて、
原発の問題を深く考えている女性が二人きていて、最後まで残っていろいろと意見
交換をして帰られた。実はJCO事故以降、小学生や中学生の葬式が幾つかあって、
地元の医師やお坊さんが、もう耐えられないと言っていることなどが話されてい
ました。

とくに一人の方は化学者でもあり、かなり深い知識を持たれていました。
この方が首からガイガーカウンターをぶら下げておられたのですが、例えば玉子の
調理をするために割った途端に数値が高くなり、あわてて調理したものを捨てた
経験などもお持ちで、一つ一つの話に放射線の強い地域ならではのリアリティ
がありました。なおこのお二人は別々にこられて、その場で深く交流されて帰って
いきましたが、この化学者が強い危機感で書かれた日記の中の記載を送って下さっ
たので、いずれこの場で紹介しようと思っています。

また他にも、「私の周りには相談できる人がいません。周りは誰も心配しない。
でも私はこのままではいけないと思うのです」という女性が、それぞれ別々に
数人こられていました。僕はぜひ、主催者の方たちとつながって下さいと提案し
ました。他には有機農業をされていて、悩んだ末に、営農を諦めたという方も
いました。その意味では、かなり問題意識を持っておられるからがたくさん
会場に来られていた。

印象的だった話がたくさんありましたが、例えばある女性は、現代社会の汚染
や食料問題を考えあぐねた末に、自分で大きな家庭菜園を築き、農薬や化学物質
を一切排除した野菜を作って、家族に食べてもらっていたそうです。お母さんの
作る野菜は、ムシが食べてもいるけれども、本当に安全でおいしい野菜だと、
誇りを持って家族にだしてきたとか。

ところがそこに毒が撒かれてしまった。悲しくて悲しくてならない。畑も見る気
になれない。そのうちに草がはびこってしまった。私は一体、どうすればいいの
でしょうと、涙をいっぱいためて語られるのです。僕はまずは土地の汚染度を
測ってみてはといいましたが、悲しそうに首を振られる。商売をしているのでない
ので余裕はないし、そもそも度合いよりも汚染されたことそのものが悲しいのです。

僕は悩んだ末に、「今は休まれたらどうでしょうか。毒を撒かれて心がとても
傷つかれていると思います。まずはそれを癒していただきたいです。草を取る
必要はあるかもしれませんが、とりあえず今期は野菜を諦めて、少し休まれると
良いのではないでしょうか。そしてこれまでしてきたこと自身はとても素晴らし
いことだったことを考えて、それでまたできるときがきたら始められたらどうで
しょうか。」と語りました。

横で営農を諦めた有機農家の方が聞いて下さって、「その気持ちはとてもよく
分かる。毒を撒かれたことが本当に悲しい。でも今は毒はなくならない。だから
僕も休んで心をいやされるといいと思いますよ」と言ってくださり、僕もちょっと
ほっとする思いがありました。ともあれそんな相談や話が講演会後に次々と
重ねられました。


しかし一方で、会場には、主催した笠間市友部のお母さんたちが一生懸命に誘って
下さったママさんたちもたくさん来て下さっていたのでした。中には放射線の問題
はもう終わったように感じているけれども、強く説得してくれるのできたママさん
たちもいた。でもそういうママさんたちには、僕の話の内容も、質疑応答も、
ちょっとピンとこない面があったようです。その意味で僕の話は丁寧さを欠いていた
面があった。もっとワイドレンジで、つまり問題意識を強く持っている人にも、
そうではない人にも共有できる話をしなくてはいけなかったと反省しています。

ただ同時に、僕はこれは笠間のことだけではなく、日本社会のいたるところの縮図で
あるようにも感じました。結構、たくさんの方たちが、被曝の問題に危機意識を持ち、
繰り返し情報収集を行い、勉強を重ねてかなりの知識も蓄積している。でもそうした
多くの方たちが、身近に仲間を見いだせなくて、なんとも言えない孤立感を持っている。

他方、より多数の人々は、放射能は怖いなと思いながらも、周りは普通に暮らして
いるし、行政も大丈夫だと言っているし、それほど考えなくてもいいのかなとも
思っている。だから自分から情報収集をすることはあまりないし、しようにも話が
どんどん進んで、何をみてどう考えてたらいいか良く分からない。・・・そのため、
考えている人と、それほど考えてない人の距離が結構、大きくなってしまっている。

この間をどう埋めたらいいのでしょうか。ある意味で僕はそれを埋めるために
呼ばれてきたのですが、残念ながら一回で埋めることはできませんでした。
先にも述べたように僕の配慮が足りなかったことがいけなかったし、僕自身は
もっとワイドレンジで話ができるようにならなければいけないと強く思っています。

しかし、大きな構造の中では、アクションが必要なのだと思えました。例えば
放射線計測会を行う。放射線の出ている現実の前に、みんなで一緒にいって、計測を
共にして、それからその除染を行政に要望することにできるだけたくさんの人に
関わってもらう。そういうことが必要なのではないか。

その点で、僕は次に笠間に行くときには、できるだけ多くの方と一緒に、放射線
計測をしてみてはどうかと思っています。同時に京都精華大学の細川弘明さんなどが
開発している除染方法をここに持ち込み、それを一緒に行っていきたいと思ってい
ます。その上で、もっと放射線の問題についてはじめて知る方の立場に立ち切った
学習会や講演などを行えたらと思うのです。

同時にここに、もう一度、強い問題意識を持って、笠間市の周辺から集まって来られた
方たちにも来ていただいて、何かを一緒にすることで、けして自分たちは孤立している
わけでもないこと、憂いを共にし、その中での展望を求めている仲間が確かにいること
を感じて欲しい。そしてそこから、これらの方たちに、今の時点で放射能は怖いとは
思っても、何から学び始めればいいか分からないし、何を見ればよいか分からないと
思っている方たちのガイドになっていただければと思います。うまくは言えませんが、
そのためのある種のノウハウのようなものを提供するといいのかななどと思いました。


それやこれやを含めて、あらためて振り返ってみて思うことは、僕の講演内容につい
ては反省することが多いけれども、それでも何よりも、笠間市友部での講演会に
100人もの方が来たこと、また非常に強い問題意識を持っている方が、周辺から
たくさん来ていたこと。一方で地域のママさんたちもたくさん来ていたことの中に
大きな可能性や展望があるのではないかということです。

笠間のママさんたちの活動は、思ったよりもより多くの方に注目されていたのだと
思います。そうでなければ僕の講演会で、地方の一地域の講演会に100人が来る
ことはない。ママさんたちが本当に手探りでやってきたことが、多くの人々を揺り
動かしつつあるのではないでしょうか。これはとても大事なことだと思います。

僕は今後も、ぜひこの活動に参加させていただき、協力させていただきたいと思って
います。必ずまた来て、みなさんと一緒に子どもたちを守る輪を広げていきたいです。
それを取りあえずの、報告に変えたいと思います。






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明日に向けて(235)自転車140台、聖護院八ツ橋120人分、想いをしたためた手紙が被災地へ!!

2011年08月19日 09時30分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110819 09:30)

茨城県笠間市のホテルにいます。昨日の笠間でのお話会には100人近い方が来て下さいま
した。大変な熱気で、会を終えた後にも20人近くの方が次々と質問にこられ、驚きました。
ただ会の方が一生懸命にさそってくれた、「原発事故を忘れかけていたママさん」には、
僕の話はなかなか受け入れにくい面もあったようで、色々と思案しています。
・・・この日のことは、朝日新聞の取材記事などとともに、今宵、再び発信したいと思い
ます。

さて京都OHANAプロジェクトから二つの通信が届いているので掲載します!
一つ目のタイトルは、「受け入れコーディネート パレスチナ子どものキャンペーン」です。
この前の通信で、大槌町側の受け入れを担ってくださっているチーターさん(千田悦子さん)
の紹介がありましたが、今回の企画の実現には「パレスチナ子どものキャンペーン」(CCP)
のご協力を得ています。チーターさんもここに参加して活動していて、今回はこの点が詳しく
紹介されています。

CCPは25年に渡って、パレスチナの子どもたちを支援してきていて、その経験をもとに被災地
ボランティアを行っているそうです。
パレスチナについては、僕も、大したことはできていないものの、常に心を寄せてきました。
友人の京都大学の岡真理さんが精力的に行われている講演会や、朗読劇などを微力ながら
お手伝いしてきました。パレスチナの平和を願ってきました。それだけに今回、CCPの方たちの
コーディネートで自転車を届けることができることに感慨があります。
通信Vol7をお読みください。


続いての報告のタイトルは、「自転車回収&整備終了 はたしてその結果は・・・」です。
この「明日に向けて」のタイトルで、先に結果を書いてしまいましたが、なんと140台まで
数を増やすことができたそうです!三日前に森さんと話した時には、よくて110台強か?と
話していたのですが、そこからもうひと踏ん張り、ふた踏ん張りされたのですね。陸前高田に
もということで、さらに多くの方の支援が得られたようです。

さらにやったなあと思うのは、聖護院八ツ橋120人分の提供を受けたこと!大槌での自転車
配付は、希望される方の間でくじびきをして行うことになります。100台に対して、2倍の
要望が集まりそうなため、100人分のからくじができてしまうことになる。これを少しでも
埋め合わせられないかとのプロジェクトの方たちの思案に、聖護院さんが応えて下さった。
これはとてもありがたい!

実は僕も昨日の笠間でのお話会に、京都駅で聖護院八ツ橋を50個分(50人分ではありません)
買ってもっていったのです。京都のお菓子の代表ですものね。自転車が渡らなかった方にも
そのお菓子が届くのは何かとても嬉しい気がします。聖護院さんと、いつも次々と機転を
働かしてくれるOHANAの面々に感謝、感謝です!

さてこれから僕も笠間を発って、東北本線に向かい、途中で新幹線に乗り換えて北上します。
途中駅で、OHANAの森拓哉さんと、大槻隆雄さんと合流。2トントラックを借り出して、大槌町
に向かいます。次の発信は、大槌町近辺の町のホテルからになります。

なお繰り返して恐縮ですが、すでにたくさんの方にご協力いただいているのですが、残念ながら
まだ活動資金が足りていないようです。可能な方はお力をお貸しください。よろしくお願いします。

京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子

(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際に名前の前に、311という
番号を入れてください。「311モリタトシヤ」という具合です。整理のためです)


以下、二つの通信をお読み下さい。

****************************************

OHANA通信 Vol7 8月18日(木) 受入コーディネート パレスチナ子どものキャンペーン

こんにちは。OHANAプロジェクトの森拓哉です。

今日で自転車を集めたり、整備できたりする日も最後の日です。
とにかくできる事を積み重ねて行きます。

さて、昨日は今回大槌町での活動の橋渡しをして下さったチーターさんに
ついてご紹介させて頂きましたが、大事なことに触れていませんでした。
今回の企画の実現には、「パレスチナ子どものキャンペン」(以下、CCP)のご協力を
頂いているという事です。

チーターさんに、今回の件を相談したところ、大槌町で活動をされているCCP
に連絡を取って下さり、CCPのほうで協議して頂き、大槌町でのコーディネートを快諾
して下さいました。
http://ccp-ngo.jp/organization.html

CCPは1986年に日本の市民が作ったNGOで、1999年6月には、特定非営利法人
の認可を受けています。
パレスチナ問題と中東地域の平和を願い、そこに生きる子供たちが希望を持って、成長で
きるように、教育・保健・福祉の支援と人権擁護を進めています。3月11日の震災後には、
直接の地震被害の支援経験はないため、支援に入ることに随分悩まれたそうです。

ですが、25年に渡ってパレスチナの子どもの支援をしてきた経験を、被災地でも役に立て
ようと!と決断され、3月24日から5カ月にわたり、大槌町を中心に活動されています。

チーターさんは、ボランティアとして、3月末からCCPの活動に参加されており、今回の
大槌町での自転車の配布が実現することになりました。


「自転車を持って行って配る」
いかにも単純な話ですが、これが非常にデリケートで難しいのです。
現地での受入体制が無いと話が始まりません。

私が経験しているだけでも、平等に配れないから不要、お婆ちゃんにマウンテンバイクが
渡ってしまい意味が無い、本当に必要とされている方に行きとどかない、どこで何が必要と
されているか正確に把握できない、配るにも住民の皆様との信頼関係が大事、、、、等など、
簡単に「はい、どうぞ!」という訳にはいきません。

自転車を用意するのは私たちが頑張ったことですが、大槌町との信頼関係の根拠は、CCP
にあるわけです。震災直後の3月24日から5カ月にも渡り、活動を続けられてきたから
こそできることです。

CCPには敬意を表したいと思います。

自転車を送ることに協力して下さった皆様に感謝するのと同じように、
岩手県でCCPの皆様には感謝の気持ちを伝えたいと思っています。

皆様も気持ちを一緒にして頂けると嬉しく思います。

***************************

OHANA通信 Vol8 8月18日(木) 自転車回収&整備終了 はたしてその結果は・・・

こんにちは。京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

活動6日目が無事に終了しました。

追い込みで自転車を集めて、そしてイワイサイクル秋山さんと大槻さんが夕方6時ごろ
まで、頑張って整備して下さいました。

はたして・・・結果は・・・!?
140台! 

目標としていた150台には届かずとも、素晴らしい追い込みで、台数を増やすことができ
ました。これもひとえにご協力頂いた皆様のお陰です!ありがとうございます!!
前回114台を26台上回る素晴らしい成果です!

そして、今日は新たに強力な援護をして下さる方に出会えました。

昨日、チーターさんと現地での受け入れについて、相談したのはお伝えした通りですが、
抽選の結果、自転車をもらえない方がいることに対するケアをどうしようと話し合って
いました。

どれくらいの応募があるのかはやってみないと分からないのですが、
二倍程度の倍率にはなるのでは?と推測しています。
その場合、100人ほどが自転車をもらえず、さびしい思いをしてしまうのです。

空くじ無しにできないか!?
準備の時間は今日一日だけしか残されていない、、、さあ、どうしよう!?
行動あるのみです。

京都を代表するお菓子八ツ橋でお馴染の「聖護院八ツ橋総本店」さんに駄目もとで電話、
、、、結果は!?
快く、120人分のお土産をご提供頂けました!
まさしく即断即決を頂きました。

これは心強いです。陸前高田市にお邪魔する際も、手ぶらじゃなんだかと心細かったのが
一気に解消です。京都・聖護院の八ツ橋が、大槌町、陸前高田市、気仙沼市に向かいます。

毎日素晴らしい神様と出会わせて頂き、本当にありがたい限りです。

これで私たちのお土産は
① 140台の中古自転車
② 120の聖護院八ツ橋
③ 想いをしたためお手紙

となりました。

え?お手紙って何?聞いていない?
そうですね、紹介していませんでした。

私たちの140台の中古自転車には様々な想いが込められています。
その想いを伝える事は、被災された方にとっても力になるのでは?と考えて、手紙を
ご用意しました。
自転車一台一台と一緒にお渡しします。

手書きの手紙はこちら(テキストは最後に記します)
http://www.success-running.com/news/2011/letter.pdf

<お手紙>
大槌町の皆様

ようやく皆様のところに自転車をお届けできて嬉しく思います。
黙って渡すだけが良いのか?言葉をかけるとするとどのような言葉を皆様にお届けするの
が良いのか?もしかしたら受けいれられない言葉もあるのではないか?と悩みもしたのです
が、お伝えしたいことがあって筆を取っています。

もしかすると期待していた自転車は、ビカビカの綺麗なものだったかもしれません。皆様の
お手元に届いた自転車は少し古びているかもしれません。でも、そんな古びた自転車にも
それぞれのストーリーがあります。想いが込められています。

一つのストーリーを紹介させて下さい。
Aさんがお届けしてくれた自転車です。訪問介護の仕事をしているAさん。介護を受けてい
るおばあさんから自転車を託されてきました。

この自転車は大の仲良しだったおじいさんが生前に愛用していたもの。それだけに大切に
されていて、一時は家の中で保管されていました。そんな自転車なので、Aさんもとても
このプロジェクトのことは言えなかった。

ところが先日、訪問しているときに、たまたま、テレビで被災地の映像が映され、おばあ
さんが、私はこんなに困っている人がいるのに何もしてあげられないと溜息をつかれたの
だそうです。思わず被災地のために自転車を集めている人がいますとAさん。

そうしたらおばあさんとても喜んで、おじいさんの自転車を出して下さったのだそうです。
Aさん、おばあさん・・・お二人の想いが一杯につまった自転車が京都から大槌町にやって
きました。ほんの一つのストーリーです。

中古の自転車には、それぞれに託された想いがあります。自転車を大槌町の方のために役立て
て欲しいと思った方、真夏の暑い盛りに回収場所まで持ってきてくれた方、一生懸命に磨き
あげてくれた方、精一杯の整備をしてくれた方・・・さらに、タイヤやブレーキワイヤーを
無料供出してくれたメーカーさんもいました。おかげさまでほとんどの自転車に、新品の
タイヤとワイヤーをつけてお届けすることができました。

京都のおおくの方々が被災地の皆様の痛みを少しでも分け持ちたい、心を分けあって一緒に
歩みたいと思っています。そんな気持ちが皆様に届いて、少しでも心が柔らかくなって頂ける
と良いのですが、、、皆様が受け取られた自転車一台一台に込められた想いが、少しでも
皆様の元気の源になってくれることを願っています。そして、皆様の中古自転車一台一台から
始まる一歩が何かあることを願っています。

暑い日が続きますが、くれぐれもご自愛ください。

2011年8月17日 京都OHANAプロジェクト メンバー・協力者一同

(以下、頭文字が「おはなおおつち」)

おなじ空の下で
はなれていてもつながる心
なくしてはいけないもの・・・
おもい続けて行くいく、今までの時間、そしてこれからの時間
おれない心をもって
つよく優しく生き抜いていこう(強い気持ちが道をきりひらく)
ちいさく確かな希望をあたためながら!

さあ、準備は整いました!明日、8月19日(金)はいよいよ出発の時です。

今日も一日ありがとうございました。
明日も良い一日をお過ごしください。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉

<今後のスケジュール予定>

8月19日(金)       自転車の搬出&メンバー岩手県入り
8月20日(土)~21日(日) 大槌町の仮設住宅で自転車の配布
8月22日(月)       陸前高田市・気仙沼市訪問の後 京都へ

ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。

みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
http://www.success-running.com/news/2011/07/senba.pdf
クレジットカード決済に対応しました ⇒ http://p.tl/N0-j
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明日に向けて(234)自転車120台を越えました!陸前高田にも10台は配れそうです!

2011年08月18日 01時00分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110818 01:00)

被災地に向けて自転車、120台を越えました!130台ぐらいにはなりそうで、陸前高田
にも少なくとも10台くらいは配れそうとのことで、嬉しいです。京都と大槌町、陸前
高田市、そして気仙沼市など被災地を結ぶ小さな架け橋となってきます!

今回の森さんの報告中で注目していただきたいのは、大槌町で受け入れコーディネー
トをして下さっているチーターさん(千田悦子さん)のインタビューです。大槌町は
避難所がすべて閉鎖したばかりで、被災された方が仮設住宅への移転をすませたばか
りですが、仮設住宅は山間部に多く、遠く離れたところが多い。そのため1週間ぐら
いはプライベート空間ができてほっとされるそうですが、その後に淋しさなどから、
体調を崩されてしまう方が多いとのこと。そこに自転車を届けて、少しでも人と人の
距離が縮まるお手伝いをしてきます。

さてそのチーターさんとモリタクさん、もともとトライアスロン大会などでの知り
合いだそうですが、今回の活動でのドッキングはまったくの偶然でした。そこにつ
ながるかあ・・・と森さん。縁とは異なものですね。

実はチーターさん僕の間もそうなのです。というのは僕らはお互いに多少は話した
ことがある友人でしたが、ここ数年はメールのみでつながっていました。ところがこ
の春に、チーターさんが大文字山のナラ枯れについて胸を痛めて、僕の話を聞きたい
と言ってきて下さった。では京都市出町柳の「かぜのね」というカフェで会おうと
待ち合わせをしたのが、なんと3月11日の午後なのでした!

そしてまさにチーターさんと話しているときに、大地震が起こり、津波が起こった。
「かぜのね」のスタッフがワンセグでニュースをみていて教えてくれた。そうして
僕らは、原発災害の拡大を予測して、被災地支援の活動を始めたのでした・・・。
その後、主な活動の場を異ならせていましたが、OHANAを通じてこうしてまた
ドッキング。まさに縁とは不思議なもの。チーターさんの大槌町での活躍と蓄積を
存分に活用させていただいて、一緒に有効な自転車配りをしてきます!


僕自身は、明日(18日)の早朝に京都を発ち、茨城県笠間市に向かいます。実は
「京都大文字山送り火に想う(1)」を読んだ友人から、「いいところで終わって
しまった。早く次を」と催促があったのですが、今日は一日、旅の準備に追われて
しまったので、明日、新幹線の中で続きを書いて、夜になったら送らせていただき
ます。

ともあれ京都・笠間・大槌・陸前高田、そして気仙沼等々を少しでもつなぐ旅に
いってきます!!


***********************************

OHANA通信 Vol6 8月17日(水) 大槌町の仮設の状況&陸前高田市行き決定

こんにちは。京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

活動5日目も無事にに終わりました。
大雑把に確認しただけでも120台は上回っています。
明日の活動で締めとなりますが、130台くらいにはなりそうです。

皆様のお陰で喜んでおります。

今日は夕方から、大槌町での受入のコーディネートをしてくださっている
チーターさん(千田悦子さん)と安寧小学校で打合せをしました。
(現地の様子がよくわかる!)
チーターさんインタビュー:http://www.youtube.com/watch?v=ELspuUdvM0s

チーターさんはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の職員をされていて、
震災直後から、被災地の人道支援に当たられています。

チーターさんとは2009年のトライアスロン大会、
アイアンマンジャパンをご一緒した仲です。


第一弾計画で自転車を送った翌日に、チーターさんから電話が、、、
チーター「もりたく、自転車ありがとう!もりたくはいつ東北に来るのー?」

僕「え!?なんで知ってるの?」・・・

チーターさんはまさしく第一弾計画で自転車を送った、お届け先の現場にいたのです。
そこ、繋がるかー!と、びっくりしました。

今回の第二弾企画で受入について、相談したところ、きめ細やかにコーディネート
してくださって、大変助かっています。

経験豊かな人道支援のプロフェッショナルですから、ズバズバ!とアドバイスを頂け
ます。素人の僕はたじたじです(汗)。いい勉強になります!

そして、昨日お伝えした陸前高田市行きも決定しました。
京都の方にとっては、とても気になる町の名前です。
小さな活動ではありますが、個人レベルでの、気持ちの交換をしてきます。

陸前高田市の仮設住宅をお邪魔して、Yさん宅に子供用2台と大人用1台をご提供
させて頂きます。まだ調整を続けていますので、少なくとも10台くらいはお配り
することになるのではないかと思います。

資金計画を立てずに動き始めたこの企画も、お陰さまで、現在総額418,600円ほど
まで支援金額を伸ばすことができました。感謝申し上げます。
60万円ほどを見込んでいる活動費を支援金で賄うまでもう一歩というところまで
来ています。

あまり難しく考えずに、OHANAの活動を広くお知らせ頂けないでしょうか?
みんなの千羽鶴企画チラシ:http://www.success-running.com/news/2011/07/senba.pdf

そして、週末からいよいよ始まる岩手県への自転車送付の旅を、気持ちは一緒について
きて頂けないでしょうか?
8月20日(土)~22日(月)にかけて、ハプニングあり、感動ありの、旅になる
ことは間違いありません。そんな予感があります。是非、タイムリーにご一緒頂けれ
ば嬉しく、心強いです。

このOHANAの心の旅に同行を希望される方は、ohana@la-feria.jp までメールを
頂ければ、デイリー活動を報告させて頂きます。

今日も一日ありがとうございました。
明日も良い一日をお過ごしください。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉

<今後のスケジュール予定>

8月18日(木)       自転車の整備

8月19日(金)       自転車の搬出&メンバー岩手県入り

8月20日(土)~21日(日) 大槌町の仮設住宅で自転車の配布

8月22日(月)        陸前高田市・気仙沼市訪問の後 京都へ

ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。

みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
http://www.success-running.com/news/2011/07/senba.pdf
クレジットカード決済に対応しました ⇒ http://p.tl/N0-j

フェイスブック : http://www.facebook.com/kyotoohana
★タイムリーに情報をお届けしていきます。ユーザの方は、「いいね!」お願いします。

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展開資金をカンパして下さる方は下記にお願いします!
すでにたくさんの方に振り込んでいただいています。心強いです。
よろしくお願いします。

京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子

(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際
に名前の前に、311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」
という具合です。整理のためです)







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明日に向けて(233)整備完了が106台、未整備が7台、合計113台

2011年08月17日 10時00分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110817 10:00)

昨日も自転車集めが着実に進みました!
森さんからの報告をお送りします。京都OHANAプロジェクトとして陸前
高田に向かう思いを書いてくださっています!

*******************************

OHANA通信 Vol6 8月16日(火) 五山送り火の今日 陸前高田を想う

こんにちは。京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

活動4日目も無事にに終わりました。
現場の管理を頂いた田中一成さんからのレポートです。

***

今日は、午前中は僕とジャムジャム片桐くんとイワイサイクル秋山さんの3人でしたが、
昼からEIRINの松浦さんと光明さんが来られて、夕方からは、サイクル協会の井原
さんも来られました。

作業はスムーズにはかどったと思います。
昨日から変わった点は、サドルにガムテープを貼って番号が入ってたのですが、粘着が
溶けて、サドルにこびり付いていたので、全て剥がして、紐に付けて番号を振りました。

自転車に関しては、ジャムジャムさんが5台、14日にも来て下さった安部さんが2台と
終わり間際イワイサイクルさんが7台持ってきてくれました。
完了が106台 未整備が7台 合計113台ある状態となってます。

***

113台!前回の114台を上回るまでもう一歩、一台でも多く集められるよう、
最善を尽くしていきたいと思います。
とはいうものの、メンテナンスが必要な自転車を受け付けられるのは、8月17日(水)の
明日夕方までが限界と考えています。

さて、話が変わるのですが、今日は五山送り火の日でした。陸前高田市の松の木を燃
やす、燃やさないの問題では、何とも行き場のない気持ちになった方も、多いのでは
ないでしょうか?

今回お届けする大槌町は陸前高田市の約80km北に位置しています。
22日に伺う予定をしている気仙沼市は、陸前高田市の南20kmくらいに位置しています。

ん?ということは通り道だ! ということに、昨日、世間話をしていて気づきました。
せっかく通るのに、素通りするのも何か後ろ髪を引かれる想いがあります。

そこで、急きょまとまった台数ではないですが、10台程度をお届けできないか調整を始
めています。
デリケートな問題です。責任をとることもできません。

何ができるかは全く分からないのですが、何もしないで素通りするよりは、行動するこ
とを選びます。
せめて、通りすがり、出会った陸前高田市の方に、自転車をお渡しして、一人の人として、
自分たちの気持ちをお伝えすることくらいはできることです。

今日も一日ありがとうございました。
明日も良い一日をお過ごしください。


京都OHANAプロジェクト
森拓哉

<今後のスケジュール予定>

8月17日(水)~18日(木) 自転車の整備
8月19日(金)       自転車の搬出&メンバー岩手県入り
8月20日(土)~21日(日) 大槌町の仮設住宅で自転車の配布
8月22日(月)       陸前高田市・気仙沼市訪問の後 京都へ

ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
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(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際
に名前の前に、311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」
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明日に向けて(232)京都大文字山の送り火に想う(1)

2011年08月17日 09時30分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110817 09:30)

8月16日は五山の送り火の日でした。僕も自宅のそばから大文字山への点火を見てい
いました。今年、大震災・大津波。原発大災害をはじめ、あらゆることでお亡くな
りになられた方のご冥福をお祈りします。町に繰り出したたくさんの人々も、それ
ぞれの思いを込めて送り火を見ておられたと思います・・・。

大文字山は、僕にとっても非常に縁の深い山です。自宅のすぐそばにあり、例年、年
間で100回前後、火床(火を燃やすところ)まで登っています。嬉しいときも、悲し
いときも、楽しい時も、苦しい時も、僕はこの山に登り、京都市内を見下ろしてき
ました。大文字山は僕にとってかけがえのない聖地であり心のよりどころです。

ところが数年前より、この山にカシノナガキクイムシという昆虫が侵入し、コナラな
どナラ類の木々が激しく枯れていく現象が始まりました。昨年、僕は多くの友人に
呼びかけ、木々を守ろうと、必死になって山を駆け回りました。大文字保存会にも
赴き、会長の松原さんにも防除のための特別な活動の許可と協力を求めました。

しかし松原さんは快く応じてくださったものの、会員の中から反対の声が出たとかで、
有効な防除への許可がおりませんでした。その間に、もの凄い勢いで木々の枯死が
進み、8月に入るころには山が枯れた木々によって赤々と見える「赤枯れ」現象に染
まってしまいました。

その頃、松原会長に偶然、お会いすると、松原さんは「あのとき、お宅らの言うこと
に従っていれば良かったのですが」と力なく言われました。僕は「それはもういいで
す。それより今年の送り火は危険です。火床の周りに枯死木がたくさんあります。薪
に使われた木ですから火力が強い。安全対策を万全にとって下さい」と話しました。

大文字保存会は、この年、送り火の薪を半分に減らすことを決定しました。またいつ
もにもまして、防火対策を強化した取組が行われました。その結果、昨年の送り火も
無事に行われました。「例年より淋しい」という声が上がったそうでしたが、僕は
火が小さいことよりも、山が激しく痛んだことを嘆きつつ昨年の送り火を迎えました。


あれから一年。ナラ枯れはさらに勢いよく広がりました。火床にあがる階段を登った
すぐ左手の、僕が一番好きだったコナラも、今年、真っ赤になって枯れてしまいまし
た。そればかりではありません。山の中は、枯れたコナラを切り倒した残骸で溢れて
います。ムシ対策でビニールで覆った木の「棺桶」が無数に並んでいるのです。

このように大文字山が激しく損壊してしまったのは、けして大文字保存会のせいでは
ありません。最も責任が重いのは、こうした事態を放置し続けた京都市の姿勢です。
それは自然保護にあまりに無関心で冷淡な門川市長の姿勢を反映したものでもありま
す。京都市のあまりの無策が、ムシの猛烈な繁殖・拡大を許してしまったのでした。

大文字山の中に入ると、そうした証拠をいくらでもあげることができます。例えば
カシノナガキクイムシの防除には、被害を受けて枯死した木を切り倒し、ビニールで
くるんで翌年にムシがでないようにすることが必要なのですが、京都市は当初、この
作業を人の目につくところだけしか行わなず、膨大な被害木を残したのでした。

カシノナガキクイムシは、平均して一つのつがいから約70頭の子どもが生まれます。
非常に繁殖力が強い。だから被害木を処理しないと、何十倍ものムシが翌年に飛び
出す。1本の木から数万頭が発生する。実際に枯死した木々から一斉にムシたちが飛
び出した。猛烈なアタックで急速に枯死が広がった。・・人災の面も強かったのです。


ところがこうしたことが何ら報道されない。そればかりかこうした京都市の姿勢を
何ら批判せず、何の有効な防除対策もしてこなかった「学者」のもとにマスコミが群
がっていきました。それで「ムシの猛威」や昨夏の異常気象ばかりが強調された。
京都市やこれらの学者たちの怠慢が、枯死を招いたことが、不問に付されてしまった。

まるで悪夢を見ているようでした。山がどんどん赤くなっていく。ようやく人々が
異変に気がつき出したのに、マスコミは京都市や、何ら有効な防除活動に取り込んで
こなかった「学者」の側に行ってしまう。大文字山のリアリティを知っている側から
すれば、とんでもない虚偽、デタラメが連日、新聞の紙面を埋めていく。

・・・憔悴しました。へとへとになった。信仰の場でもある京都東山が、あまりに
ひどい扱いを受けていることに心が傷つきました。社会不信、人間不信に陥りかけ
た。そんなときたくさんの友人たちが暖かい声をかけてくれて僕は救われました。
僕は救われましたが、山は救われなかった。救うことができなかったのでした。


こうなったら京都市や、山々を荒らしている学者たち、真実に触れないマスコミと
の全面対決に踏み切るしかない。抜本的な批判を行い、山の中で起こっている事態を
暴露し、京都市がどれほど京都の山々を踏みにじっているかを世に問うしかない。
そう腹を決めたのが秋でした。そのために僕は一層森林の研究に打ち込みました。

京都OHANAプロジェクトの森拓哉さんとは、実はそんなときに知り合ったのでした。
森さんは自らが主宰するサクセスランニングで、僕のナラ枯れ防除活動を取り上げて
くれて、ナラ枯れ防除・チャリティウォークを企画して下さった。森さんの呼びかけ
に集まった方たちと一緒に防除を行い、参加費を防除にカンパしてもらいました。

またマスコミの中でも、それまでにも毎日新聞と岩波書店は、僕の主張に耳を傾けて
くださり、見解の発表の機会も与えて下さいました。その意味でしっかりとした報道
をしてくれるマスコミもいる。だから悲壮感に陥ってヒステリックにならず、慌てず、
焦らずに歩めば、耳を傾けてくれる方はもっといるはずだと僕は考えました。

さらには僕の周りには、何度も一緒に大文字山に入って、わがこととして活動して
くれる友人たちがたくさんいました。京都市のさまざまな悪政に対して、多方面から
声をあげてきた友人たちも周りにたくさんいた。僕はそうした友人たちに包まれてい
ることを自覚しつつ、前向きな森林保護活動を強めようとしていました。

・・・その時に、311事態が起こった。地震が起こり、津波が起こり、原発が爆発した。
これはメルトダウンまでいく。破局的大爆発の可能性がある。瞬時にそう思った。

僕は活動の全力を、原発事故問題、とくに放射線被曝からいかに私たち自身を守るの
かということに転じました。京都市や森林をめちゃめちゃにしている学者たちから、
日本政府と、その周りで何があっても「安全」を繰り返し、人々を被曝においやる学者
たちへの批判に矛先を転じました。そうして今日まで駆けてきました・・・。

大文字の送り火を見ながら、僕が思い起こしていたのはそうしたこれまでのことでし
た。自然に対して、森に対して、あまりに冷淡な行政、祖先たちから譲り受けてきた
祈りの場を冷淡に踏みにじってきたあり方、それを批判することができず、いつも
表層しかのことしか報道できず、己を問うことのない大半のマスコミ。

大文字山が悲惨な姿になってしまったことにも、原発事故で私たちの国が抜本的な危機
に陥ってしまったことにも、同じ背景がありました。そして今回、まさにこの構造の
もとに、陸前高田のマツと大文字送り火をめぐる「騒動」も持ち上がりました。この
前提を押さえないと事態が見えてこない。僕はまずこのことを訴えたいと思うのです。

続く












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明日に向けて(231)現在98台。陸前高田にも少しでも持っていけたら・・・

2011年08月16日 07時00分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110816 07:00)

京都OHANAプロジェクト、連日、展開中です。僕も昨日も、元安寧小学校まで
差し入れをもって自分の自転車で行ってきました。(自転車を寄付したのでは
ありません・・・)この日も、自転車屋さんから何人かが集まって下さって、
せっせと整備を行っていました。みなさんに本当に感謝です。

ところでこのとき、森さんと陸前高田訪問について話をしました。今回の旅では、
自転車を岩手県大槌町に届けます。現地サイドとも連絡をとって、台数調整など
も進めています。この仕事を21日に終えて、22日に海岸沿いを南下し、釜石・
大船渡・陸前高田・気仙沼の今を取材してこようと思っています。

森さんは実は気仙沼の子どもさんを、ホストファミリーとして預かったそうな
のですが、そのとき子どもさんが、髪飾り?か何かを忘れていったので、それを
届けてあげるのだとも・・・。陸前高田はその旅の途中の訪問になります。

しかし素通りでいいのだろうか。すでに多くの方がご存じのように、大文字
火送りの件で、京都市が陸前高田の方々を深く傷つけてしまいました。とくに
門川京都市長の行いは最悪でした。このことに僕自身、京都市民として市長の
非礼に対してのお詫びの気持ちを伝えたい気持ちがあるし、同時に京都の多く
の方々が、被災地に熱い思いを寄せていることも届けられればとも思います。
押しつけがましくなってはいけませんが・・・。

では自転車を陸前高田にも届けようか。しかし大槌への台数を今更減らすわけ
にはいかないと森さん。それで森さんがネットを探し回ってみると、陸前高田
から個人として自転車が欲しいというニーズが発信されていることをキャッチ
しました。「これなら可能かもしれない」。・・・津波で大きく被害を受けた
陸前高田の状況の中で、外から入ったものが、住所から相手の方を見つけ出す
のは至難の技かもしれない。でも数台でも届けられれば嬉しい気がします。

とりあえず個人情報を集約している現地サイドに森さんが連絡をしてみて、可能
なら、少しだけ自転車をお届けしようと検討中ですが、まだ実現可能かどうか未
知数です。結局、できないかもしれない。それで京都OHANAプロジェクトとして
はこの話をまだ発信していません。

それでも僕がここでフライング気味に書いてしまうのは、多くの京都市民がこの
問題で胸を痛めていることを感じているからです。その京都から岩手県を訪問し、
陸前高田にもいくのだから有効な何かができるといいのですが。もう出発まで
時間がありませんし、何ができるか分かりませんが、わずかな時間の中でできる
だけの可能性を探ってみたいと思っています。

今日は森さんは、大阪方面にも自転車を集めに向かうそうです。今からだと整備
が間に合わないので、整備済み自転車のみが対象。幾つかの自転車屋さんが、
取りに来てくれるならと声を上げてくれているそうです。
ちなみに森さんは京都市民ではないのですが、京都からの思いを伝えようとして
下さっています。連日、京都・大阪を駆け回っている森さんにも感謝です!!

なお度々の掲載で恐縮ですが、展開資金のための口座を再び記しておきます。
可能な方はお願いします!

京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子

(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際
に名前の前に、311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」
という具合です。整理のためです)

クレジットカード決済もできるそうです。
⇒ http://p.tl/N0-j

以下、昨日(15日)の森さんからの報告です。

*********************************

OHANA通信 Vol5 8月15日(月) 神様が一杯

京都OHANAプロジェクト森拓哉です。

まずはお詫びです。昨日の半谷さんのインタビューへのリンクが間違っていました。
正しくはこちらです。
http://www.youtube.com/watch?v=3f8SNbwyq0Q
申し訳ありませんでした。
(守田注。リンクがうまくできていないことが分かったので、「明日に向けて」
での配信ではこの項目は削除していました・・・)

三日目の活動が終了しました。朝のうちは雲行きが怪しく、
突然の雨にも見舞われましたが、すぐに真夏日、汗をかきかきの作業となりました。
本日はイワイサイクルの大須賀さん、秋山さんが整備にあたって頂き、
途中から、QBEI松本さんとサイクリング協会の井原さんも加わって頂きました。

QBEI 松本さんへのインタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=viP7HUJPWsI
(第一弾の時も、新学期の忙しいときに駆け付けて下さいました)

私と途中からお越し下さった安部さんが自転車磨きです。

この活動をしていると、無償で汗をかいて下さる皆様が神様です。
大須賀さんはお休み完全返上の三日連続です。頭が下がります。
八百万の神様が一杯いてくださって、本当に、感謝、感謝です。
アイスキャンデーをくれる神様もいるんです。

その中でも私が、本日、大変感動した神様を紹介させて下さい。
(ご本人の許可を頂いていないのですが、すいません、是非!)
KON`S CYCLEの近藤社長神様です。

前日にお電話で、状況をお伝えして、もうひと頑張りの必要性を
お伝えしたところ、即反応してくださって、
二台のメンテナンス済み自転車を手配して下さいました。
お店の皆様も、人手が足りない忙しい中、協力下さってありがとう
ございます!!

そればかりか、お昼過ぎにさっそうと自転車に乗って登場されて、
「もりさん ごめん!今回、全然協力できてへん。申し訳ない!
これくらいしかできへんかったわ、、、
スタッフ、社員、アルバイト、パート全員に声をかけて、カンパしてん。
受け取って。じゃあ、仕事に戻るわ。ごめん、バタバタやねん。」

滞在時間約3分。
気持ちのこもった義援金の封筒を頂戴いたしました!

あー、心が洗われて、前に進むカンフル剤、ユンケルの100万倍効果的です。
OHANAの活動をしていると、こんな感動を沢山頂戴できます。幸せです。

あと、もう少し、「これでいいか」と妥協することなく、
最善を尽くしていきます。
そんなときに、最高のものが飛び出すと信じて。

現在98台、もうひと踏ん張りです。
今日も一日ありがとうございました。

明日も良い日でありますように。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉


<今後のスケジュール予定>
8月16日(火)~18日(木) 自転車の整備
8月19日(金)       自転車の搬出&メンバー岩手県入り
8月20日(土)~21日(日) 大槌町の仮設住宅で自転車の配布
8月22日(月)       気仙沼訪問の後 京都へ

ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。

みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
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