守田です。(20171226 23:30)
このところ「明日に向けて」の更新を怠ってしまいました。大変、申し訳ありません。
10月末からのフランス‐ドイツ訪問、またその後の報告会や連続講演などの中で、体力保持のため執筆にかけるエネルギーをセーブしてきました。おかげさまで帰国後に20回もの講演をきちんと行うことができました。
各地で素晴らしい企画を催してくださいましたが、なかでも印象深かったのはコープ自然派しこくさんに招いていただいた12月12日から15日の四国全県講演でした。
この講演に向けて、僕は12月10日京都市で行われた「ウチら困ってんねん@京都」の企画の翌日11日早朝に伊丹空港から松山空港に飛びました。そして車でピックアップしていただいて伊方現地へ向かいました。
原発ゲート前では「八幡浜原発から子どもを守る女の会」の方たちが、毎月11日の午前10時から11時に抗議のための座り込み行動をしています。現場は強風が吹き荒れていましたが、その場に合流し、座り込みに参加することができました。
その上で、伊方原発ゲート前行動の余韻を引っ提げて、翌日から松山、高知、徳島、高松と回らせていただいたのですが、伊方原発運転停止判決を聞いたのは翌々日13日の高知市での講演を終えたあとのランチの時でした。同席した自然派高知の方たちと歓声を上げました!
僕は今回の四国講演で「原発メーカー東芝の事実上の倒産に明らかなように原子力政策は行き詰っている。やがて終わらせることは可能だ」と強調していたのですが、その流れの一端が四国にいる間にはっきりと聞けてとても嬉しかったです。
その後、関西に戻ってからも、大阪府枚方市で反原発運動を長く続けてきた「ストップ・ザ・もんじゅ」の方たちに招かれてお話しました。
さらに20日には篠山市原子力災害対策検討委員会に参加し、その後二日間、滞在して多くの方との交流を深めてくることができました。ともあれとても充実した日々でした。
ちなみにこの行動の中で僕はできるだけ温泉付きの宿を選ぶようにし、早寝早起きを心がけることで、理想的な体調管理もできました。篠山滞在中は今田にある「薬師温泉ぬくもりの郷」に2回もゆったり浸かってしまった。
2014年2月から3月に、初めて原発の問題で世界に飛び出し、ベラルーシ、ドイツ、トルコと回った時には、あまりに飛ばし過ぎて途中で深刻に体調を壊し、トルコで入院し、ドイツでも病院に運び込まれて帰国後に手術も受けるなどしました。
前立腺肥大の悪化で、手術でとても良くなったのですが、このときも「明日に向けて」の更新が止まったため、その後、多くの方が「明日に向けて」が更新されないと「また守田は身体を壊しているのでは」と心配してくださるようになってしまいました。
ご迷惑をかけて申し訳ないばかりですが、しかし今回はそうした心配はまったくご無用です。どうかご安心ください。
連続講演が一段落したので、また頑張って「明日に向けて」の発信を行っていきます。よろしくお願いします。
なお今回は再開のためのエンジンをまわすために時間がかかってしまったので、真夜中の発信になりましたがどうかご容赦ください・・・。
さてまず書かねばならないのは、伊方原発運転差し止め判決の大きな意義についてです。
内容以前の問題として確認したいのは、今回の判決は表題にも記したごとく「原発ゼロへの序曲」であるということです。
これは原発の運転差し止めを示したものとしては5例目になります。最初は2006年、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転停止を命じた判決(名古屋高裁金沢支部で逆転、確定)でした。
2例目となったのは2014年5月の大飯原発運転差し止め判決。福井地裁樋口裁判長によるものでした。素晴らしい判決文がいまも記憶に新しいです。以下に示しておきます。
http://www.news-pj.net/diary/1001
これに続いた3例目は2015年4月14日の高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分決定でした。やはり福井地裁樋口裁判長によるものでした。
ちなみに僕はこの判決をトルコ滞在中に聞きました。一緒にトルコを講演で回っているお仲間のみなさんに手厚く祝福して頂いてとても嬉しかったことを覚えています。以下に関連記事を示しておきます。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/14/takahama-nuclear-power_n_7060358.html
4例目は2016年3月9日のやはり高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分決定でした。大津地裁山本裁判長によるものでした。
しかもこの決定は稼働中の高浜原発に対して出されたもので、原子力政策上、初めての運転中の原発の裁判による差し止めでした。
http://www.datsugenpatsu.org/bengodan/news/16-03-09/
この判決はそれ以前の二つの判決、決定が同じ裁判長によって出されていたことに対して、新たな裁判長の判断が加わったことでも意義がありました。
一人の裁判長だと「属人的判決=ある特殊な人の判決」などとも言われるそうなのですが、もはやそうは言えなくなったからでした。
そして今回、5例目の運転停止命令が出されました。実に画期的です!福島原発事故後では4例目、3人の裁判官が原発の運転を認めない判決文を書いたことになります。
このことで電力会社もメーカーも、大きな「訴訟リスク」を抱えることになりました。
いまや再稼働のためには「新規制基準」をクリアする必要がありますが、そのためにかなりの費用がかかります。しかもそれをかけて稼働を目指しても、裁判で止められてしまうかもしれない。これでは経営上、先が見通せず、極めて大きなハードルです。
むろんそもそも「新規制基準」は「重大事故」が起こる可能性を認め、その対策を盛り込んだもので、安全性を担保したものとはまったく言えないので認めることはできませんが、それでも費用が莫大にかかる点は重要です。
そもそも東芝の崩壊も、アメリカの原子力規制委員会が、福島原発事故後に「基準」を上げたために、建設費が高騰して利益どころではなくなり、現場が泥沼の訴訟合戦に陥る中で引き起こされたものです。
これらからもはや日本からの原発輸出は困難になりつつありますが、日本の電力会社もメーカーも、こうした困難の上に、さらに大きな「訴訟リスク」を抱えたのです。もはや原発の稼働は経済的にもまったく不安定なものとなったのです。
関西電力は大飯原発1、2号機の廃炉を12月22日に正式決定しましたが、これも採算がとれないことがはっきりしたからだとされています。
大飯原発1・2号機の廃炉決定 関電、採算合わず
日経新聞2017年12月22日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2495178022122017MM0000/
これらから私たちがみてとれるのは、原子力政策が大きく行き詰まり出しているということです。今回の伊方原発運転差し止め判決もそれに確実に寄与しています。
ではどうしてこうした判決が出たのかというと、福島原発事故後の脱原発運動、再稼働反対の声の高まりが規制強化を世界的に促してきたのと同じく、司法の側がこれまでの姿勢の捉え返しをせざるを得なくなってきているからです。
福島原発事故以前、わずかな例をのぞいてこの国の裁判所は原子力行政にべったりな姿勢を続け、危険性を指摘する多くの住民の声を無視して、原発の運転を合法としてきました。
しかしその結果、福島原発事故が起こってしまったのです。このことでそれまで原発の味方ばかりしてきた裁判所の姿勢が、内側からも問い返されざるを得なくなっているのです。
それを規定したのもやはり私たち民衆の声です。私たちが日本各地で「再稼働反対」の声をあげ、デモを行い、電力会社や鉄道の主要ターミナル前で毎週の抗議行動を行ってきたことが、司法をも大きくつき動かしているのです。
私たちはこれを国会の脱原発派の議席が過半数に遠く満たない現段階でも実現してきました。そこから私たちは社会を動かすには何も国会の中だけが重要なのではないこと、デモが大きな力になることも学ぶ必要性があります。
だから私たちはもっと果敢に行動すれば良いのです。私たちがこの姿勢を貫く限り、電力会社も、原発メーカーも、もはや事態を抜本的に転換することなどできないでしょう。
時代は明らかに「原発ゼロ」に向かっているのです。この点をしっかりと見据えて、私たちは伊方原発運転差し止め判決を「原発ゼロ」にむけた序曲としてとらえ、なお一層、意気軒高として「再稼働反対」「原発さよなら」の声を高めていきましょう!
以上に踏まえ、次回では判決内容についてより詳細な検討を加えていこうと思います。
続く