明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1003)トルコの友へ-安倍自民党は「圧勝」などしていない!

2014年12月26日 08時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141226 08:30)

トルコの友人のアクティヴィスト、プナールさんからの依頼で、今回の総選挙の分析をトルコの方たち向けに書きました。
プナールさんが翻訳して下さって、向こうの新聞に載せていただく予定です。
みなさん。トルコの民衆と連帯して核のない世の中を目指していきましょう!!

*****

トルコのみなさん。12月14日に投開票が行われた衆議院議員選挙において、与党がたくさんの議席を獲得しました。
日本のマスコミの一部は「与党圧勝」と報道しましたがトルコではどのように報道されたでしょうか?

今の与党(自民党と公明党)は日本の原発の再稼働を進めようとしています。そればかりかご存知のようにトルコを始め、各国に原発を輸出しようともしています。
そんな与党が「圧勝」したと聞いて、トルコのみなさんはさぞ胸を痛められているのではないかと思います。日本の脱原発派は何をやっているんだというお叱りの声もあるかもしれません。
そこでみなさんに今回の選挙が意味しているのはどういうことなのかをお伝えしたいと思います。

何よりも強調したいのは、今回の選挙は日本の民衆の意志をほとんど反映していないということです。これは一つには日本の選挙制度が大変、歪んでいることがもたらしています。
衆議院選挙は小選挙区と比例区の並立制で、有権者は2票を持ち、自分の地域の選挙区の候補と、支持する政党名の二つに投票します。比例区は日本の大きく幾つかに分割して設定されています。
問題は日本では、小選挙区制を採用している多くので行われている、この制度にまつわる欠陥を補正する仕組みをまったくとっていないため、有権者の意志の反映が著しく歪められていることにあります。

具体的な数値を出しましょう。今回の選挙で与党の中核である自民党は小選挙区で約2561万票を獲得しました。そのことで小選挙区で獲得した議席数は222です。
これに対して野党の中で唯一鮮明に「原発をただちにゼロに」というスローガンを掲げた日本共産党は小選挙区で約704万票を獲得しました。自民党の得票数の27%です。ところが獲得議席はなんと1議席なのです。
自民党222議席の27%だったら60議席あってもおかしくないのになんと1議席です。お恥ずかしいほどに日本の選挙制度が歪んでいることがここからお分かりかと思います。

このため日本の衆議院選挙では前回、今回と棄権者が多く出てしまっています。投票が真っ当に反映されないため、意中の候補に勝てる見込みがないと思った人が投票にいかなくなってしまうのです。
しかもこれに輪をかけて安倍政権はできるだけ人々が投票に赴かないように、争点をみせない形で選挙をしました。中でも多くの有権者が反対している原発再稼働について選挙中はほとんど触れませんでした。
この結果、投票率がなんと52%台になってしまいました。有権者の二人に一人が「ばかばかしい」と感じて、投票場にいかなかったのです。投票率は第二次世界大戦後に日本が民主主義国になって以来、最低でした。

では自民党は有権者のどれぐらいの票を得たのでしょうか。比例区での自民党票は約1766万票。今回の選挙における有権者数は約1億124万人。そのため自民党の得票率は約17.4%です。
つまり「圧勝」と報道され、事実475議席のうち290議席も獲得した自民党は現実には17%しか有権者の信任を受けていないのです。ちなみに17%を正確に反映させた時の議席数は84です。
にもかかわらず日本の小選挙区制のひどい仕組みと低得票率によって自民党は290もの議席を獲得し、のちに無所属の候補が自民党に入党したため最終的に291の議席を得ました。これが「圧勝」と報道されている中身です。

これに対して日本の民衆が原発の再稼働についてどう思っているのか、政府に批判的な数少ない番組の「報道ステーション」が今年の7月にとったアンケートがあります。
それによると再稼働支持は30%、支持しないは56%、分からないが14%となっています。再稼働反対が賛成を倍近くも上回っているのです。この民意の力によって今、日本のすべての原発は止まったままです。
もちろん自国での原発の再稼働をのぞまない日本民衆が、それをトルコのみなさんに押し付けて良いなどと思っているはずがありません。

このことから私は今回の選挙結果に、私たちの国の民意はほとんど反映されていないと考えています。
その点でぜひともトルコのみなさんは与党「圧勝」などという報道に騙されないでいただきたいです。日本民衆の多くは危険な原発をトルコに押し付けることを望んでいません。何よりもそのことを知ってください。
だからこそ安倍政権は、この話題を徹底して避けて選挙を挙行したのです。こういうあり方を私は民主主義の手酷い破壊だと思っています。

ただその酷い制度の中でも、前述した野党の中で最も鮮明に原発即時ゼロを掲げている日本共産党の議席は8から21へと大幅に伸びました。(小選挙区1、比例区20)
得票数を見ると選挙区では470万から704万、比例区では369万から606万といずれも倍近く票を伸ばし、それぞれ自民党の三分の一もの数を獲得しています。ここには日本民衆の原発反対の声が強く反映されています。
小選挙区では与党議員を落とすためにあえて自分の好きではない候補に投票した方も多くおられるので、実際の反対票はもっとたくさんあったとみてとることができます。

一方で自民党よりも強く原発再稼働や人種差別的な発言を繰り返している極右政党の「次世代の党」が議席を19から2へと激減させてほとんど壊滅してしまいました。
実は安倍首相の政治的スタンスは、自民党よりもこの次世代の党の首長に近いのですが、この歪んだ選挙制度の中ですら極右はまったく伸びることができませんでした。
日本の中では人種差別発言やヘイトクライムがまだまだ続いていますが、こうした人種差別主義の党が瓦解したことはとても良かったと思います。

もちろんそうは言ってもこれだけの議席を自民党が得てしまっていること自身は深刻です。今後、原発の再稼働や輸出が国会の多数派の力で推し進められようとしてくる可能性が強くあります。
私はそれに対して、今こそ、民衆の直接行動による抵抗を大きくする必要があると思っています。
ここで言う直接行動とは選挙以外のすべての行動を指します。デモもそうだし裁判や署名集め、学習講演会、映像による訴えなど、本当に多様な取り組みが可能であり、事実、行われています。

とくに私たちの国では原発反対のデモが繰り返し起こっています。首相官邸前ではこれまでに最大で20万人のデモが起こりました。しかもこのデモは今も毎週金曜日に継続的に行われています。
私の住む京都の町でも、駅前の関西電力支社前に毎週金曜日の夜にたくさんの人が集まってきています。私も選挙直前の12月12日にも参加しましたが、現場で聞くとこの日の行動は139回目だったそうです。
これと同じように首相官邸前をはじめ全国の至る地域で電力会社前のデモがすでに100回を大きく上回りだしています。100週を越える連続デモが行われているのです。

私は国会の議席は多数を獲られていてもこうした民衆行動によって、政府の原発再稼働や原発輸出の目論見を止めることができると確信しています。
そのための最も確かな仲間はトルコのみなさんです。トルコのみなさんが「原発は嫌だ!」と叫んでいることが何よりも私たちの励みになります。嫌だと言っている人たちに押し付けることなどあってはならないと思うからです。
だからトルコの友人のみなさん。日本の与党の「圧勝」などという報道に惑わされることなく、より力強く原発反対を叫んでください。私がそれを日本に紹介します。それが私たち日本民衆の力になります。

同時にそうしてトルコと日本の民衆の連携を積み上げる中で、私たちはともに民衆に力が宿る時代を一緒に切り開いていきましょう。
合言葉はPower to the people!です!
ともに熱く連帯して頑張りましょう。核のない、本当に平和で幸せな未来を共に築きましょう!!

 

 

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明日に向けて(999)いかに反安倍勢力を一体化させるのか。選挙に欠けていたものは?(総選挙を捉え返す-3)

2014年12月20日 12時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141220 12:00)

選挙の捉え返しの最終回です。

前回は今回の選挙で安倍政権が民意を得たわけではないことを親安倍派、反安倍派のオピニオンから紹介しましたが、今回はもう少し細かい分析を試みたいと思います。
すでに繰り返し述べているように今回の議席は民意を反映したものではありませんが、しかしその議席の上でも安倍首相の主張の後退を見ることができます。
この点を分析しているのは東京新聞です。以下、記事のアドレスを紹介し、少し引用してみます。

 首相は「公約支持」というが 議席数 「改憲」減 「脱原発」増
 2014年12月16日 朝刊
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014121602000122.html

 「九条改憲に積極的な自民党と次世代の党を合わせた議席は、公示前は衆院での改憲発議に必要な定数の三分の二に迫る三百十四あったが、二百九十二に減った。
九条改憲を公約には入れなかったが道州制導入など統治機構改革の改憲を位置づけた維新の党も含め、改憲に前向きな勢力は総じて後退した。
 「原発再稼働をめぐっても、前回衆院選では超党派議員でつくる「原発ゼロの会」などに属した脱原発派の約百二十人の七割が落選・引退したが、今回は民主党などから九人が返り咲いて議席を得た。
脱原発を明確にする共産党も議席を八から二十一まで伸ばし、社民党も公示前を維持した。
再稼働で与党と歩調を合わせる次世代を除き、慎重・反対を唱える野党の勢力は公示前の百十九議席から百三十九議席に増えた。」

この記事において東京新聞は原発再稼働については改選前が慎重・反対派119対推進派345が、改選後は同139対327となったとしています。
慎重・反対派は「民主・維新・共産・生活・社民」、推進派が「自民・公明・次世代」です。ここでも極右政党「次世代」の没落が大きく影響していることが分かります。
9条改憲については改選前が慎重・反対派150対賛成派314が、改選後は同174対292となりました。
慎重・反対派は「公明・民主・維新・共産・生活・社民」、賛成派が「自民・次世代」です。

議席数で見ても安倍首相の野望が後退していることがはっきりと表れています。これだけ歪んだ選挙制度の中でもこうした成果を確認できることは喜ばしいことです。
安倍首相の極右政治を支える「次世代の党」が激減したことに対し、原発再稼働にも9条改憲にももっとも鮮明に反対を打ち出してきた共産党が8から21議席へと大幅に伸長したことがなんと言っても大きい。
東京新聞は共産党が比例区約600万票小選挙区約700万票と大幅な増加を実現したこと、小選挙区にいたっては230万票の増加だったことを記しています。低得票率を狙った安倍政権の劣悪な作戦に最も抗することができたのは共産党でした。他党はぜひ参考にすると良いと思います。

一方で東京新聞は触れていませんが、公明党もまた大きく票を伸ばし、議員数を微増させました。これは与党に投票している人々の内部で安倍政権の暴走に不安を感じる人々の票が公明党の比例票を押し上げたためと思われます。
今回の選挙では多くの方が「戦略的投票」を呼びかけ、自分が直接に支持しない政党でも、より悪い方向性を断ち切るための投票をしようと呼びかけましたが、そんな説得がここにも影響を与えたのかもしれません。
そうしたことの総体を含めて、私たちはこれら選挙の中でもみられる成果を、今回の選挙で安倍首相の暴走を止めようとして積極的に活動したすべての人のものとして確認してよいのではないでしょうか。

もう一つ、特筆すべきこととしてあるのは、安倍政権に沖縄の人々が最も強烈な反対の意志表明を突きつけたことです。
知事選につぐオール沖縄での勝利。これだけゆがんだ小選挙区ですべての反基地派候補が保革を越えた団結のもとに勝利したのですから本当に素晴らしいです。もちろんこれは本土から何度も沖縄に通って、身体をはって基地と対決し続けている全国の方の努力の結晶でもあります。
私たち本土の民衆勢力は沖縄のこの成果に大いに学ぶ必要があります。なんと言っても米日両政府による長年の分断支配を打ち破ったのが凄い。

さてこうなってくると今後の9条を守り、脱原発をめざす人々の本土での団結がより問われてくるわけですが、その際、政党と私たち民衆の関係性を捉え返しておく必要があります。
福島原発事故まで多くの人々が、政党や政治家が「政治のプロ」だと思っていたのではないでしょうか?いや官僚や科学者たちを含めて、その道のプロがたくさんいてこの国を公明正大に動かしてくれていると思っていた人が多かったと思います。
しかし事故後に、政治家も官僚も科学者も、その多くが特定利害集団の代弁者でしかなくて民衆の側には立っていないことが大きく露見してしまいました。だからこそ事故以降、民衆が一挙にものすごく行動的になったのでした。

デモや署名運動などの街頭行動だけではありません。何より民衆自身が科学を始めた。原発の構造的欠陥や放射能の危険性、自然エネルギーの可能性など、全国津々浦々で猛然たる学習が開始されました。僕もそこで学び、成長してきた一人です。
そうするとたちまち政治家たちのほとんどが実際には原発のことも放射能のこともよく分かってないことが見えてきました。いや学者ですら少しきちんと学べば論破できるようなひどい知識しか持っていないものすら多いことが見えてきた。御用学者ほどそうです。
「こんな人たちに政治を、行政を、科学を任せてきてしまったのか」という大いなる反省で人々が動き出しました。

実は僕はこのことは現代日本の「政党政治」の大きな限界を打ち破る大きなモメントになっていると思います。
なぜか。既存の多くの政党や政治家が実はさまざまな利害団体によって押し上げられたものでしかないのに、何か自分たちを代弁してくれ、代わりになって何かを実現してくれるかのような幻想を振りまいてきたからです。実はそのことで政党の側が民衆の行動力を抑え込んできた面すらあります。
私たち日本の民衆はこの幻想・呪縛から目覚めて飛躍しなければならない。私たちが議会に送りこむ議員は私たちの代弁者に過ぎないのです。主権者は私たちであり、実権をにぎるべき存在も私たちなのです。

この点からすると「野党間の連携」なども、政治家たちの「ボス交渉」によって成り立っている限りは、時流によっていつでもフラフラと変わってしまうに過ぎないものであることも、この間はっきりとしてきたと言えるのではないでしょうか。
では本当の連携とはどうやって成り立つのか。それぞれの政党、政治家の支持者同士が大きく連携しあったときにこそ成り立つのです。というより政治家が軸で支持者がいるのではなく、ある特定の政治主張をもった私たちがその代弁者として政治家をたてているのですから、その私たちが連携すれば、当然にも政治家たちはフラフラとは動けなくなるのです。
だからここでも大事なのは私たちの大衆的な行動なのです。政治家たちに「連携」を期待し、お願いするのではなく、私たちが「連携」のために動き、説得し、ときに「強制」すらするのです。

実際に沖縄はそうして今の地平まで歩んできました。長く苦しい反基地の取り組みが革新共闘を維持しながら連綿と貫かれてきた。行動する大衆がいて、その力の上にたつ政党があった。
その取り組みをいつもいつも横目で見ていた保守の方たちが、知事や沖縄選出の国会議員たちが自民党に押し切られて基地容認へと崩れていったことを見たときに、反基地の民衆的流れへの合流を開始したのでした。
こんなダイナミックなことは政治家同士のかけひきでは絶対に実現しません。なぜってそこにこもる熱量が違いすぎるからです。

これに対して選挙直前になっての突然の「連携」では有権者の側も戸惑い、必ずしも支持票を集めることに結果しないことも今回の選挙で明らかになったのではないでしょうか。
反与党候補が一本化されても、それまでのプロセスが支持者に共有されていなければ、支持者間の合意が形成されず、本当の意味での一本化にはなりにくく結果的に表も集まりません。
だからこそ大事なのは日ごろの活動です。私たち政党の外にいる民衆こそが、さまざまに戦略も違えば思惑も違う人々の合流を作り出すために奮闘していきましょう。

このことを踏まえて、私たちはますます行動的になり、積極的に各党の議員とも対話し、説得も行いましょう。
もちろん議員だけでなく知事やそれぞれの首長などにもアプローチをしましょう。その場合、どうしたらより説得的な内容を持ちうるかを考えましょう。
相手の立場を落とし込めることのない関わり方、批判はすることはあっても人間的尊重をきちんと表わす度量が私たちに求められています。

考えてみればこれらすべては私たちが政党政治をみてうんざりしてきたことを一つ一つ逆にして行くことです。
互いに「説得力」「包容力」について研究し、研鑽を重ねましょう。意見の違いを乗り越える力を身につけましょう。
いつの時代も支配の要は「分断」です。反対に言えば分断を乗り越える力を持つことが一番大事。それこそが民衆的権力の礎です。

ただしそのために僕は今回の選挙で重大な課題が抜けていたことを最後に強調しておきたいと思います。
何よりも今回は福島原発事故で飛び出した放射能の被害にどう取り組むのか。被曝医療をどうするのか。被災者支援をいかに進めるのかなど、この国にとって最も重大な事項がまったく争点化されませんでした。
同時にまだまだ事故の真の収束の目途がつかない福島原発の大きな危険性をもっと正面から見据えるべきこと、関東、東北を中心とした広域の避難訓練が実施されねばならないこともまったく問題にされませんでした。

この点が選挙に出馬したほとんどの候補者の訴えの中に入っていなかったのではないでしょうか。
しかしウクライナや「ベラルーシの今を見ても、これからの数年、数十年の私たちの国のあり方をもっとも規定するのは、たった今、いかに放射線防護を推し進めるかなのです。
今ここで公的に避難をひろげ、放射線防護基準を引き上げるかどうかで、将来の被害をより少なくしてしまうのか増やしてしまうのかが決まってくる。だからこれは国家を左右する課題です。

にもかかわらずこの大切なことが何ら政治焦点化されなかったことには、まだまだ私たちの国が国際的な原子力推進派、とくに国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)国連科学委員会(UNSCER)の騙しの中にいることを意味します。
広島・長崎原爆投下以降、アメリカを中心にこれらの機関が流布してきた「放射線は思ったほど危なくない」という洗脳とこそ、私たちは闘い抜かなくてはならないのです。
そう考えて、僕はこの選挙中も、「明日に向けて」でICRP批判の連載を執念をもって続けました。ここから解放されて、真の脱原発の道をみんなで開きたいと思ってのことでした。

みなさんにもぜひこの活動に力をお貸しいただきたいと思います。そのために長いですがぜひICRP批判の連載に目をお通し下さい。
私たちの国の民衆のあり方が大きく変わりだしたのは福島原発事故が原因です。民衆の流れが変わったのは好ましいですが、放射能の影響そのものはますます深刻です。ここから目を離してはなりません。
長きにわたる放射線防護のたたかいにおいて、将来世代が少しでも有利になるために、私たちは今出来る限りのことをする必要があります。そのためにもますます民衆勢力の合流を目指していきましょう。

Power to the people!

連載終わり

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明日に向けて(998)読売新聞が安倍政権は民意を得ていないと自民党議員を説得?(総選挙を捉え返す-2)

2014年12月19日 22時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141219 22:00)

前号の「明日に向けて」で「史上最低の投票率こそ問題。安倍政権は信任を全く得ていない!」と書きました。
しかしネットなどを読んでいると、民主的な側にスタンスを置く人々の間に、「ヴィジョンを出せなかった野党の敗北」という見解がけっこう多くあります。なぜ自民党の圧勝を許したのか・・・みたいな論調です。
そうした論調はさらに野党のふがいなさとか、対与党統一候補を作れなかったからよく無かったとか、なぜ人々はこんなに大事な選挙なのに棄権したのかという方向にむかいがちです。

これを聞いて僕は先日、滋賀県で対談した映画監督、鎌仲ひとみさんの言葉を思い出しました。
「日本人はまじめで責任感が強いから、ひどいことをされたと思うよりも、避けられなかった自分が悪いとすぐに思っちゃうのよ。そう教育されちゃってるのよ」というものです。
これは子どもを初期被曝から守れなかった女性たちが、被曝をさせた東電や政府に怒りを向けるよりも、ともすれば何も知らずに被曝を避けられなかった自分を責めてしまうことをさして語ったことです。

鎌仲さんは「あなたたちが悪いんじゃないんだ。政府や東電が悪いんだ。そのことに目を向けよう。その上で子どもを守るためにできることを探そう」と女性たちを励ましていくのですが、同じことを僕は感じています。
みなさん。いい加減、「良い子」でいることを止めましょう!何度も言いますが、第一に安倍政権の今回の選挙の仕方が卑劣だったのです。第二にそもそも歪み切った小選挙区制が問題なのです。第三に無責任な報道をした一部のマスコミが悪いのです。
怒りは安倍政権に向けなくちゃいけない。野党のふがいなさ批判はその次。いわんや統一候補が作れなかったと民衆勢力の間でもみ合うのは愚の骨頂。民衆そのものである棄権者に怒りを向けるのもやめましょう。

見据えるべきことは、これほど民主主義に背いた選挙を行った報いは必ず安倍政権自身に跳ね返るのだということ。そこを見逃さずに民主主義の破壊者安倍政権と対決しなければならないということです。
仲間割れしていてはいけない。選挙において戦術がそれぞれで違うのは当たりまえ。それぞれが懸命に考えて行ったことを尊重しあいましょう。棄権をした人の気持ちも忖度しましょう。そうして次に備えて仲よくなりましょう。仲良くなくてなんで真の連帯ができるでしょうか?
民衆勢力の中で問われているのは、まずは自分が正しいと思う行動をとらなかった人の立場を考えて見ることです。そこに気づきがあれば最高。そうでなくても思いやりを持てば互いの説得力があがるはずです。もちろんこれは常に僕が自分自身に言い聞かせていることです。

安倍政権の衰退の兆候を書きましょう。
極めて興味深い記事があります。読売新聞に載った「『熱狂なき圧勝』浮き彫り・・・自民党支持率ダウン」という記事です。
なぜ興味深いのかと言うと、今回の不意打ち的な総選挙の仕掛け人ではないかともうわさされるナベツネ氏率いる読売新聞の記事だからです。短いので全文を掲載します。

 「熱狂なき圧勝」浮き彫り…自民党支持率ダウン
 2014年12月17日 09時33分
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/20141217-OYT1T50000.html

 「衆院選結果に関する読売新聞社の緊急全国世論調査では、安倍内閣の支持率は51%と解散直後の前回調査(11月21~22日)から横ばいで、自民党の支持率は5ポイント下がって36%だった。
 与党の圧勝が、内閣や自民党への積極的な支持によらない「熱狂なき圧勝」であることを裏付けている。
 2005年以降、過去3回の衆院選では、圧勝した政党の支持率は解散直後に比べ8~16ポイントも上昇している。内閣支持率も、「郵政選挙」で自民党が圧勝した05年の衆院選をみると、小泉内閣の支持率は解散直後の48%から選挙後は61%にまで跳ね上がっていた。
 今回、自民党が大勝した理由については、65%が「ほかの政党よりまし」を挙げており、消極的な理由だとみていることが分かる。
 自民支持層に限っても「ほかの政党よりまし」は64%にのぼり、「安倍首相への期待が高かった」14%、「経済政策が評価された」11%、「与党としての実績が評価された」9%など、積極的な理由を挙げた人は少数にとどまった。
 一方、民主党が伸び悩んだ理由は、「信頼が回復していなかった」61%、「選挙準備が整っていなかった」15%、「政策が評価されなかった」10%などだった。
 自民党に対抗できる野党が「必要だ」との声が82%に達していることからも、有権者が現在の野党に期待を持てない状況が浮かび上がる。」

読めば分かるように、読売新聞は今回の安倍与党の「勝利」が、自民党への積極的な支持によらないものであること、要するにけして民意を得て無いことをするどく指摘しています。
この他にも読売新聞は以下のようなタイトルの記事を次々と出しています。「自民、実感なき勝利」「自民圧勝『他党よりまし』65%…読売世論調査」「内閣支持率、横ばい51%(12月15~16日調査)」
その上で「『謙虚な政権運営を』世論調査結果で政府・与党」という記事が出てくる。読売の提言を読んで、政府与党が「謙虚な政権運営をしよう」と言いだしたという記事ですが、ようするにそう言わせたかったことが分かります。

なぜ読売新聞はこのように一見すると安倍政権に不利な記事を連発しているのか。非常に分かり易い。安倍与党を最もバックアップしている読売新聞が低得票率の下での選挙結果のもろさを一番感じているからです。
そしてそのことを小選挙区制で安易に当選した劣化した与党議員たちに教育してもいるのでしょう。「議席は獲った!しかし民意を得たわけではない。慎重になれ」というわけです。
「勝って兜の緒を締めよ」のようなものでもありますが、それ以上に、読売新聞は与党完全応援新聞としての深い危機感を前面に出している。大衆の動向をいつも見つめているがゆえに、この選挙への怒りがどこから涌くかもしれないという危機感を持っているのでしょう。

一方、政府与党批判派として、民主主義を守り抜こうと懸命に論陣をはっている側からも、同じ点を問題にした記事が出てきてます。
その筆頭は東京新聞ですが、今回は東洋経済オンラインを紹介したいと思います。
これもある種の戦術かと思われますが、東洋経済オンラインはあえてアメリカの日本専門家に総選挙について尋ねる形をとり、つぎのような記事を載せています。

 日本国民は安倍首相を信任したわけではない 国民は「不死身のベール」に穴をあけた
 2014年12月18日 東洋経済オンライン ピーター・エニス :東洋経済特約記者(在ニューヨーク)
 http://toyokeizai.net/articles/-/56208

彼の主な論点は以下の通りです。

 「安倍首相は今回の結果を国民から受けた信託だと言うでしょうが、他の人は誰一人、そうは思わないでしょう。
投票率はとても低いものでした。 実際、自民党はいくつか議席を失っています。今回の選挙により、いくつかの側面で安倍政権は失速したと私は考えています。」
 「選挙結果で最も皮肉なのは、衆議院における議席の3分の2を連立与党が占めたにも関わらず、政府に関しても政策に関しても国民の信託を得たとはとても言えないことです。
今回の結果は、政府がこれまで行ってきたことを今後も継続してよいというメッセージではありません。これまで推し進めてきた政策が、徐々に支持を失っていたことは明らかだからです。」

これは昨日、僕が指摘したのとほぼ同じ内容ですが、ピーター・エニス氏は、国民が安倍政権の「不死身のベールに穴をあけた」とまで述べています。
要するにこのひどい選挙が「終わりの始まりだ」とも述べているわけですが、論点が読売新聞が与党自民党に向けた指摘とピッタリと重なっていることに注目して欲しいと思います。
もちろんピーター・エニス氏は、すぐに「負けた」と自己反省を始めてしまう私たち日本民衆にむけてこうした点を強調しているのです。なお同氏は次のような記事も書いています。

 「総選挙で日本人は愚かでない選択をした」 極右を排除、低投票率で無意味な選挙に抗議
 2014年12月16日 東洋経済オンライン ピーター・エニス :東洋経済特約記者(在ニューヨーク)
 http://toyokeizai.net/articles/-/55943

この記事も全体として短いながら読みごたえがありますが注目すべき点は、選挙が低投票率に終わったことに対して日本の民衆をけして責めずにむしろ「懸命な選択だった」と持ち上げてくれていることです。

 「これは日本の人々が愚かではないことを示しています。
彼らは、今回の選挙が「ジェリー・サインフェルド的選挙」(アメリカのコメディアンによる長寿テレビ番組にまつわる表現で、何の意味も持たない選挙の意) だということが分かっていたのです。そのため、家から出ないことを選んだのです。」

「棄権を美化するのか」・・・などと野暮な批判をするなかれ。もちろん棄権の内容もさまざまであり、それこそ意識の高い棄権もあればそうでない棄権もあるでしょう。
しかし僕は今は、棄権した人々に怒りを向けるよりも、棄権した人々の中の善意に訴え、仲間として連帯していく道を探ることの方がずっと重要だと思うのです。ピーター・エニス氏の論にはそうした温かみがある。
「なんで棄権したんだ!」ではなく、「無意味な選挙への抗議だったんだよね!」と呼びかけていて、ユーモアに溢れた情がこもっている。学びたい姿勢だと思います。

さてもう少し選挙結果の分析を進めると、今回の特徴はすべての政党の中で、唯一、「次世代の党」だけが大負けしたことです。19議席から2議席への激減です。小選挙区制の問題があるので、得票としてはこれほどの減ではないのですが、それでもこのことは好ましいことです。
なぜかと言えば今回の「次世代の党」の選挙戦略が完全なるネット右翼=極右排外主義狙いだったからです。実際、「在特会」は「次世代の党」への全面支持を打ち出していました。その極右政党が完全に崩壊してしまった。
このことは現在、行われている「ヘイトクライム」が実はごく一部のものによってもたらされているものでしかないことを大きく示しました。

ではかつて維新の中にいた次世代の党への票はどこへ行ったのでしょうか?そこまで行きすぎていないとの判断で安倍自民党に入ったのだと思われます。議席数にして17。
つまりこれがなければ自民党は大きく議席を失っていたのでした。その分、よりリベラルな側へ、ラディカルな側へと暫時、票が移っていったのだと思われます。
何にせよ、ネット右翼は文字通り、「ネット」上の仮想空間で数がいるように見せかけているものでしかないことがはっきりしたのではないでしょうか。

ところが安倍首相にとっては実はこの「ネット右翼」の存在が大きな心の支えなのです。
そのために自身のFACEBOOKでとんでもない排外主義団体のページをコピーして載せてしまったりしています。
その点で、次世代の党の没落は、安倍首相にとっても打撃であること、このことで自民党の中のリベラル派、さらに連立与党の中での公明党の相対的位置が強まったことも見ておくべきことです。

もちろん、公明党や自民党リベラル派を頼みにしたくてこう言っているのではありません。
すべてを決定づけるのは民意であること。その力の発揮いかんで、自らも民意を得ていないと実感しているこの政権はまだまだどのようにも動きうることが示されていること、私たちがつかむべきことはこの点です。
だからこそ、民衆勢力の間で、互いを大きく思いやって、できるだけ大きく手をつないでいくことが問われているのです。

続く

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明日に向けて(997)史上最低の投票率こそ問題。安倍政権は信任を全く得ていない!(総選挙を捉え返す-1)

2014年12月18日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141218 23:30)

12月14日に総選挙がなされました。この選挙をいかに捉えたら良いでしょうか?僕なりに考えたことをまとめたいと思います。
第一に僕が最も重要な事態だと思うのは投票率が52.36%(共同通信調べ)と史上最低だったことです。しかもやはり史上最低だった前回59.32%から7ポイント近くも落としています。有権者の2人に1人が棄権したのです。
棄権という行為をどう評価するかは別として、このことは今回の選挙における議席数、とくに与党のそれが有権者の支持とはまったくかけ離れたものになっていることを物語っています。

この劇的と言えるほどの低得票率=選挙制度の崩壊的事態の責任はあげて安倍政権にあります。
安倍政権がこうした低得票率のもとでの与党の議席維持を狙ったのだからです。そのために「消費税率引き上げの延期を国民に問う」という何が争点なのか分からないことを言いだして選挙を強行したのでした。
しかも批判を浴びている原発再稼働問題や、集団的自衛権行使問題、特定秘密保護法制定などにはほとんど触れず、できるだけ争点を曖昧にして選挙を行いました。

これに対する野党のふがいなさが指摘されていますが、それは別の話。まずは政府与党が大変悪いことをしっかりと確認すべきです。
こんなひどい解散-選挙などしてはいけなかったのです。法的にはどうあれ民主主義の基本ルールや精神を全く欠いた暴挙がこの低投票率を狙った選挙の在り方です。
にもかかわらず読売、日経などは選挙の翌日に「与党大勝」という見出しを載せました。何を言うか。あんなものは民主主義における勝利でもなんでもありません。

まだ正確なデータが出揃っていませんが、自民党は議席数をわずかに減らしました。投票率が7%も減る中でですから前回よりも支持を減らしたのではないかと思われます。
ちなみに比例代表での各政党投票数は個人集計された方のデータによれば以下のようになります。

自民 17,658,916 民主 9,775,991 維新 8,382,699 公明 7,314,236 共産 6,062,962 次世代 1,414,919 社民 1,314,441 生活 1,028,721 改革 16,597 幸福 260,111 支持政党なし 104,854

自民党の得票数は1765万8916票で、有効投票数5333万4447票に占める得票率は33.11%です。
正確なデータがありませんが、有権者数は1億人を越えていますから、いずれにせよ自民党の得票数は有権者の10%台にしかなっていません。
この国の有権者の8割以上の人々が自民党を支持などしていないのです。それが今回の選挙で示されたことです。

にもかかわらずこの一番大事な点がほとんどの新聞では書かれていません。ここが情けないし歯がゆすぎる。大新聞には民主主義のオピニオンリーダーたらんとする覇気などもうないのだと思います。
僕が知る限りでは東京新聞は一面で低投票率を問題視し、棄権の多さ=自民党が支持などされていないことを安倍政権が受け止めるべきだと主張していました。こうした視点を軸にしているので他にもいい記事がたくさんありました。
しかし自民党にしろ民主党にしろ、政党の側からはこの点の指摘が出てこない。こうした態度こそ、民主主義を愚弄するものなのだということを繰り返し強調したいと思います。

そもそも野党やマスコミは当初から「大義なき解散」としか言えなかった。もっと積極的に「民主主義を破壊する低得票率を狙ったもっとも悪辣な解散・総選挙だ」というべきでした。
さらに選挙が始まるや否や、早い時期にマスコミが一斉に「自民300議席獲得か」という報道をしてしまったのも決定的でした。まるでもう勝敗がついたかのような報道で、あの段階で多くの人々が選挙への関心を失ってしまったと思います。
その上に負けた候補者への投票は「死に票だ」とする論議が各方面から強調されてしまいました。どうせ自民党の大勝は決まっているし、負ける候補に投票しても「死に票」で意味がないとの強調がなされたのですから、多くの方がうんざりしたのも当然だったのではないでしょうか。

僕自身はそのため「すべての票は命のこもった声だ!「死に票」という言葉に惑わされず投じに行こう!」と呼びかけました。
共産党をのぞく野党各党もしばしば「死に票」という言葉を使うので、それでは総体としての投票率を下げかねないと思ってのことでした。
しかし結局、多くの方が「死に票」なら投じにいっても意味がないと思ってしまったのではないでしょうか。それ自身はとても残念なことです。

しかしこれも僕らの敗北を何ら意味しません。悪いのは与党です。安倍政権が手酷く悪いのです。民主主義や国家の成り立ちそのものを壊しています。
同時にそのことで何ら安倍政権の権力基盤が強化されているわけではなく、むしろ脆弱さが増していることこそを私たちは見るべきです。なぜか。民意と議席数があまりにもかけ離れていることが誰にも感じられるようになってきたからです。
民意は常に大きな力です。独裁国家だって民意の離反が高まるときには倒されるのです。歴史はそのたくさんの事例のオンパレードです。だからどのような政権も民意を味方につけようと苦心するのです。

戦前とてそうです。何も暗黒の軍部が物言わぬ民だった国民を戦争に率いて行っただけなのではない。他ならぬ国民自身が戦争に燃えた面も大きくあったのです。このことを絶対に忘れてはいけません。
今はどうなのか。前回の選挙に続き今回でもはっきりしたのは有権者の8割が自民党を支持などしていないということです。「自民300議席で圧勝」という報道がなされたにもかかわらず実際には自民党がわずかでも議席を減らしたことにもそれが表れています。
何度も言います。民意のない政権は弱いのです。にもかかわらず今回の卑劣な選挙と、もともとも小選挙区制の歪みによってあまりに過大な議席を得てしまっているのが実態なのです。

だからこそ多くの方にしっかりと認識していただきたいと思います。民意のない政権など倒せる!ということです。それほどに民意とは強いものです。実は今の政府与党は人々にそう思わせないように必死なのです。
その証左の一つが原発再稼働問題です。今、川内原発、高浜原発の再稼働が浮上してきていて、どうしても気持ち的に受身的になってしまいがちかと思いますが、私たちが誇りを持っておさえるべきことはこれだけの議席をおさえてきた与党がこれまで一つの原発の再稼働もできてこなかったことです。
実はこのことでウランの国際価格が暴落するなど、世界の原子力推進派が大きな打撃を受けています。だからこそ安倍政権は原発輸出を急ぎ、ウランの需要先を作ろうとしているわけですが、そのためにも日本の原発を一つでも動かさないと説得力を持てない。

つまり相手の側、それも安倍政権だけでなく世界の原子力推進派が、私たち日本民衆の脱原発行動に追い詰められているのです。
追い詰めている力はどこから出ているのか。全国で繰り広げられている無数のデモなどをはじめとした直接行動です。毎週金曜日の行動は首相官邸前だけでなく、全国のいたるところですでに100回を越えています。
デモだけではない。低線量内部被曝の危険性を訴える講演会、学習会、さらに被災者と結びついた保養や訴訟などなどを数えるならば、本当に無数の脱原発、脱被曝の行動がこの国の至る所で繰り広げられています。

実は安倍政権は、民意の厚い支持などないことを誰よりも知っているがゆえに再稼働をごり押ししてこれなかったのです。いや今も再稼働の責任を原子力規制委員会にあづけようとしている。責任をとる言質をはくことが怖いのです。再稼働に正義があるという核心などもってないのです。
だから私たちは今、もっと積極的に「こんな選挙のやり方は非道だ。安倍政権の政策は何も信任されていない」という声をあげ、原発再稼働や集団的自衛権行使、特定秘密保護法に反対していく活動を強化すれば良いのです。
そのためにもこんな外道な選挙で負けたなどと思うのはやめましょう。そんなことは思う必要はまったくありません。このことは今後、より細かい分析で実証していきますが、ともあれこんなことで凹む必要などまったくないです。

ここで棄権をどう捉えるのかということも押さえておきたいと思います。
今回の不意打ち的な選挙に対して、与党を少しでも凹ましたいと思った多くの方が、安倍政権の低得票率狙いに抵抗してさまざまに知恵をしぼって投票を呼びかけました。僕も奮闘しました。
ただそのせいか、投票しない人を悪く言う論調が強くあったし今もあります。極端な場合は投票しないものに何らかのペナルティを与えよなどという人々もいます。

僕はこれはまったく間違っていると思います。投票をしない自由だってやはりあります。それが効果があるかどうかは別として、選挙総体に対する批判として棄権する場合だって当然あると思うのです。
選挙へのかかわり方はその人の自由です。棄権をした人にペナルティを与えるなどというのは投票の強制でありまったく間違っています。
選挙を遂行する側から言えば棄権もまた一つの立場表明であることを踏まえ、できるだけ棄権の少ない選挙、選挙民が意義あると感じる選挙を行うことが当然の義務としてあることをこそ考えるべきなのです。

そうした点から考えるならば「選挙に行く人の意識が高く、選挙に行かない人の意識は低い」という考えもやめませんかと僕は言いたいです。少なくとも僕には、今の自民党を肯定して票を投じた方よりうんざりして棄権した方とで後者の方が政治意識が低いなどとはまったく思えません。
にもかかわらず選挙に行かない人に社会変革を志す人々が「上から目線」で関わることは間違いなのではないでしょうか。少なくともそれでは説得力を持てないのではないでしょうか。棄権も一度尊重してみる必要があるのではないでしょうか。
むしろ政治が劣化し、与党も野党も嘘つきばかりで、何も信用できないという状態に置かれている人々の嘆きや憤懣、しらけ感を共有化するところから歩むことが大事だと僕は思うのです。

少なくともこの方たちは今の自民党を支持していない人々です。その数は膨大なのですから、だとしたらその方たちにこそ私たちはともに行動することを呼びかけようではありませんか。
いやそれだけではありません。今回の選挙では自民党への投票も「消極的支持」だった方が多いという結果が出ています。安倍自民党は有権者の10%台の投票しか得ていないわけですが、それすらもけして積極的ではないのです。
ようするに個別政策ではたくさんの反対を抱えているのが実態なのです。だから私たちは自民党支持者に対しても、「再稼働に本当に賛成ですか?」「日本が戦争をする国になっていいのですか?」と呼びかけ続ける必要があります。

再度言います。この国の8割以上の人々は自民党を支持していません。残りの2割の中にも消極的な支持者がいます。要するに積極的支持者などごくわずかなのです。
このことをしっかりと見据えましょう。一番、いけないのはこの脆弱な政権を強大に観てしまい、民衆の力を小さく見積もってしまうことです。同時にこのひどい政権を今すぐ倒せない理由を民衆の中に求めてしまうことです。その時に私たちの力は減退し、圧政がまかり通ってしまいます。
民衆に力を!そのためにもっと大らかな団結と連帯を。いつでもいの一番に為政者の圧政に怒りを向け、民衆の力を高めていきましょう。未来を私たちの手に!

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明日に向けて(996)ICRPが総力で隠してきた内部被曝の危険性(ICRPの考察-7)

2014年12月13日 14時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141213 14:00)

ICRPの考察の7回目です。今回で一つの区切りをつけます。総選挙前日ですが、執念をもって被曝隠しの歴史の検証を続けたいと思います。
これまでの6回の考察において、僕が全面的に依拠してきたのは中川保雄さんの名著『放射線被曝の歴史』でした。
本書が出版されたのは1991年9月。奇しくもこの年の5月、IAEAが発足させたチェルノブイリ原発事故をめぐる国際諮問委員会(IAC)が、ウィーンで報告会を行いました。
内容は「汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない、むしろ『放射能恐怖症』による精神的ストレスの方が問題である」というもので、被曝影響を全面否定したものでした。

この委員会を率いたのは、ABCCの日本側代表を務め、後継組織として1975年に発足した放射線影響研究所の理事長となった故重松逸造氏でした。
その後、事故で被災したたくさんの子どもから甲状腺がんが発症したこと、事故処理にあたったリクビダートルの人々から白血病が発症したことなどを国際機関が認めたため、同報告が間違っていたことが明らかになりました。
もちろん国際機関がしぶしぶ認めたのが小児甲状腺がんと白血病、および白内障であるのにすぎないのであって、実際の被害は心筋梗塞や脳血管障害、免疫不全など、もっと多岐にわたっています。
しかし中川さんが研究を重ねていたころは、まだチェルノブイリ原発事故の被害が一切認められていない時期であり、その時代にこれだけの追及を重ねた功績にはとても大きいものがあると思います。

中川さんが明らかにしたのは、放射線防護学がもともとマンハッタン計画を引き継いだアメリカ原子力委員会や全米放射線防護委員会(NCRP)などによって、核戦略を擁護するために生まれ、発展してきたものだということでした。
その際、核政策推進派が一貫して考慮してきたのは放射線による遺伝的障害の危険性に対する多くの人々の危機感をすり抜けて核政策をさらに進めることでした。
核政策推進派は遺伝的障害の発生を動物実験などで認め、人間にも発生する可能性を十分に認めつつ、しかしそれが極めて高い線量でしか起こらないとして、低線量被曝を安全なものと描こうとしてきました。
遺伝的障害の問題が初めにクローズアップされたのは、原爆開発以前からマラーら遺伝学者による実験によって、放射線が生物の遺伝子に破壊的影響があることが分かっていたからでした。

さらにその後、放射線障害によってがんや白血病が引き起こされることも明らかになり、遺伝障害のみならず晩発性障害発生への懸念も高まり、核政策推進派にはこれらと鎮めることが問われました。
このためもっとも活用されたのがABCCのもとで作成された広島・長崎の被爆者のデータでした。それらはアメリカによって一元管理され、恣意的に被害が小さくなるように評価されたものだったからでした。
しかし次第に放射線の危険性を追及する科学者たちから、低線量被曝でさまざまな被害が発生することが他のデータから明らかにされるにいたり、ICRPら核政策推進派は医学的生物学的な論争ではますます規制を厳しくせざるを得ないと考えて路線転換をはかります。
それがリスク・ベネフィット論やコスト・ベネフィット論への移行でした。放射線障害の発生が抑えられないことを認めた上で、それよりも社会的利益が上回れば良いという説得方法に転換していったのでした。

さらに放射線の害を抑えるためのコストの計算を始め、それが社会的利益を上回ってはならないという金勘定が導入されるにいたりました。
このことでICRPや国際機関は、放射線防護学のもともとの主旨である放射線の人体への影響の考察に、まったく異質な「社会的経済的要因」を持ちこみ、科学からどんどん遊離していきました。
これらの過程を中川さんはICRP勧告の変遷や、第三者を装った国連科学委員会、BEAR委員会、BEIR委員会などの発足とそれぞれからの報告書の特徴を読み解きながら明らかにしていきました。
中川さんはこの本の執筆に命を燃やし、本の完成とともに亡くなられました。心身を削って本書を編まれたのだと思います。そのご努力に心からの感謝を捧げたいと思います。

その上でここから先は中川さんが検討されたことの先に明らかにされなければならないことを論じていきたいと思います。中川さんの書物に足りないものという意味ではなく、これだけの成果があって初めて明らかにできる点です。
それは何よりもCRPをはじめとした国際機関が、低線量被曝の危険性を隠すために、一貫して内部被曝を隠してきたことです。
その手法として行われてきたのは、一つに広島・長崎の被爆者の被害の中に内部被曝を一切認めた来なかったことと、二つに内部被曝が非常に過小評価される放射線学を体系化させたことでした。
僕が知る限り、この点を中川さんの書に続いて初めて明らかにしたのが、琉球大学名誉教授矢ヶ崎克馬さんの著書『隠された内部被曝』(新日本出版社)でした。中川さんの書物の出版から約20年を経て2010年に出版されました。

物性物理学を専門とする矢ヶ崎さんが内部被曝に関する研究を始められたのは、米軍が1998年に沖縄で劣化ウラン弾の誤射事件を起こしたこと、これに抗議しつつ放射性物質としての劣化ウランの危険性を明らかにしたことに端を発しています。
その後、2003年に原爆症認定訴訟の熊本訴訟団からの要請を受けて、全国の裁判に共通する内部被曝に関する証言を行うこととなり、広島・長崎の被曝実態の分析を行われました。
「原爆症認定訴訟」とは、被爆後、長い年月の後に次々と人々に発症した病を、原爆の放射線由来のもの=原爆症だと認めさせる裁判でした。実に多くの被爆者が病になりながら、放射線被曝との関連性を否定され、苦しみ続けていたのでした。
政府による被爆者への冷酷な仕打ちを覆すための裁判に参加し、基礎文献としての広島・長崎の放射線量評価の体系であるDS86=「放射線量評価体系1986」の第6章を読んだとき、矢ヶ崎さんは怒りで三日三晩眠れなかったと言います。

中川さんの書物の精読の中ですでにお伝えしてきましたが、DS86は1970年代後半から80年代にかけて、広島・長崎のデータに大きな誤りがあること、放射線の害が小さく見積もられていることが他のデータによって明らかになる中で、改編を迫られて作られたものでした。
他のデータとはアメリカ国内のハンフォード核施設で働いていた労働者たちの死亡率が過剰に高いことを示したものでした。これを解析したトーマス・マンキューソが、放射線のリスクは従来のICRPの見解よりも10倍高いという見解を発表しました。
同時期、アメリカ軍が中性子爆弾を開発しており、その際に必要となった広島・長崎原爆から放出された放射線のスペクトル分析からも、広島・長崎での放射線放出が過大評価されているという結果が出されました。
放射線放出量が過大に評価されていたということは、被爆者に起こった病は、実際にはこれまでの評価よりもずっと低い放射線量で起こったことを意味しており、修正を余儀なくされて新たに作成されたのがDS86だったのでした。

『隠された被曝』の冒頭部分で矢ヶ崎さんはアメリカがICRPなどにより、いかに被曝実態の極端な過小評価を行ってきたのかを次のように指摘されています。
 「(1)占領下で原爆情報を徹底して秘密管理し、被爆者をモルモット扱いにする手法で、被曝実態を調査し、被曝の実相を隠しました。『原爆傷害調査委員会(ABCC、後に放射線影響研究所)』により内部被曝が隠され偽った放射線被害が報告されました」
 (2)国際放射線防護委員会(ICRP)基準から内部被曝を排除し、被曝の実態が見えないようにしました。
 (3)DS86等の原爆放射線量評価体系によって、放射線のうちの放射性降下物の影響を一切消し去りました。放射性降下物は埃ですので体内に入り、内部被曝をもたらしました。しかし埃であるがゆえに放射能環境は雨風で洗い清められています。
DS86は台風で『塵』が一掃された後で採取した放射線測定値を利用して、内部被曝の原因物質である放射性降下物を隠蔽したのです。DS86では放射性被曝は初期放射線と中性子誘導放射化原子によるものだけに限定されました」(『同書』p16)

DS86による内部被曝の隠蔽の方法は実は単純でした。被爆後の広島・長崎に同年9月17日に戦後の三大台風と呼ばれる「枕崎台風」が襲来し大洪水を起こしました。橋の多くが流されるなど被爆直後の両市に甚大な被害がもたらされました。
同時に猛烈な勢いでもたらされた雨風は、広島・長崎に降り注いだ膨大な放射性物質を海へと押し流しましたが、アメリカはその後に放射線測定を行ったにも関わらず、その値を原爆で両市にもたらされた放射性物質の量の推定に代えてしまったのでした。
このために台風前には確実に土壌にも存在していて、呼吸や飲食を通じて人々の体内に繰り返し取り込まれていた放射性物質がほとんどなかったことにされてしまったのでした。
DS86第6章では当初はこのことに配慮するかのような記述を行いながら、途中から論理をすり替え、台風襲来後のほとんど測定されない放射性物質の量を、被曝後の広島・長崎の状態としてしまっていました。

矢ヶ崎さんが三日三晩も寝れなくなってしまったのは、こんなに単純なからくりで内部被曝隠しが行われたことへの怒り、どうしてこれほどにでたらめな報告書が「科学」の名のもとに通用してきてしまったのかということへの驚き、情けなさが原因であったと言います。
さらに「どうして自分はこれまでこれを読もうとしなかったのか」と科学者としての痛恨の思いがこみ上げてきたそうです。何よりそれが矢ヶ崎さんをして眠れなくさせてしまったのでした。
矢ヶ崎さんの専門は物性物理学。核物理学は専門外なので「専門家に委ねてきた」のでしたが、実際にDS86を矢ヶ崎さんが読んでみたところ、核物理学など知らなくとも純粋科学一般のトレーニングを受けているものなら、容易に読み解ける「詐欺的」行為がなされていたのでした。
『隠された被曝』は、「DS86に触れることなく過ごしてきたことで、被爆者の痛みの解消に貢献してこれなかった」という科学者としての矢ヶ崎さんの、心の痛みをベースに編み上げられた怒りの書でした。

僕にとってもこの本は天啓の書でした。福島原発事故が起こってた時、僕は「政府は絶対に人々に危険性を伝えず、逃がそうとしない。危険情報を流し、一人でも多くの人を被曝から守らなければならない」と感じて情報発信を開始しました。
そこまでは事故以前からシミュレーションしてきたことでもあり、「いよいよその時が来た。来てしまった」と思う中での行動でした。
しかしその頃の僕は、原発の危険性の基本構造はおさえていたけれども、放射線被曝に関する専門的知識は持ち合わせていませんでした。それでもすぐにも放射線の専門家たちが登場して、被曝の危険性を解説してくれるものだと思っていました。
ところが待てど暮らせど、そういう人物が出てこない。それどころかすぐにも政府よりの学者たちが登場してきて、「プルトニウムは何の害もありません」だとか、とんでもない安全論ばかりが流されました。

放射線被曝の根源的危険性、とくに内部被曝の危険性を訴えいたのは、被爆医師の肥田舜太郎さんなど、本当にごくわずかな人士だけでした。
正直なところ愕然たる思いがしました。今でこそ、放射線学の専門家の多くがICRP勧告をもとにした教科書によってトレーニングを受けてしまうため、内部被曝の危険性を専門家として語れる人士がいないことが分かるのですが、その頃は専門家が登場してこない理由が分からずに身悶えしました。
しかし何時までたっても出てこないので「放射線学までこちらがやらなければならないのか・・・。よしわかった。ならば踏み込もう」と考えて文献を漁り始めました。そうしてほどなく出会ったのが『隠された被曝』で、一読してしびれるような感動を味わいました。
同時に「この書は難しい。普及するためにもっと易しくしたい」。そう思いたって7月に京都に講演のために来られた矢ヶ崎さんのところに初めてお会いしに行き、失礼を承知で単刀直入に「この本を僕に”翻訳”させてください」と告げました。矢ヶ崎さんは一言、「そう言ってくれる人を待っていました」とおっしゃられました。

かくして編み上げたのが岩波ブックレット『内部被曝』でした。この中で僕の質問に答える形で、矢ヶ崎さんは内部被曝のメカニズムを話してくださり、さらにICRPによる内部被曝隠しを、被曝の具体的なあり方、現実的実態=具体性を捨象し「単純化」「平均化」することで行っている点を指摘してくださいました。
内部被曝の場合、放射線はごくごく限られた領域にあたります。それが内部被曝の実相です。ところがICRPはこれを当該の放射線が起こった臓器全体に起こったことに置き換えてしまいます。そうすると臓器のごく一部に激しく起こっていることが臓器全体に起こっているかのように平均化されてしまうので、影響が小さく評価されてしまうのです。
これらの点にここではこれ以上詳しくは触れませんが、いずれにせよDS86による広島・長崎に降下した放射性物質隠しとともに、ICRPは被曝の具体性を無視し、実際には違う状態と置き換えることで被曝の過小評価を行ってきたのでした。
『放射線被曝の歴史』に継ぐ書として『隠された被曝』と『内部被曝』をお読みいただき、この点をつかんでいただきたいと思います。

以上、今回は中川さんの名著をいかに継承していくのかを書きました。その際、書き足していくべき内容がICRPによる内部被曝隠しへの批判と、内部被曝の危険性であり、前二書がその役割を担っていることを明らかにできたと思います。
実は今、矢ヶ崎さんはさらに前に進んでいます。ICRPは、一貫して行ってきた放射線被曝の過小評価と、内部被曝隠しを進めるために、その勧告1990と2007の中でさらに大きな「進化」を遂げているのですが、その批判により深く挑んでいるのです。
最も重要なキーワードは、ICRPが使っている「組織加重係数」という用語です。臓器ごとの放射線の感受性を表す言葉なのですが、これを使いながら線量評価を行うロジックの中で、ICRPはまたも詐欺的なすり替えを行っているのです。
この点をきちんと批判することによりICRP体系のあやまりをより鮮明に指し示すことを矢ヶ崎さんは今、精力的に進めておられます。

実は数日前に直接お会いして、都合6時間も個人的にレクチャーを受け、僕もその内容の骨格部分をきちんと把握することができました。
なので僕もまた『内部被曝』での成果を引き継いで、矢ヶ崎さんによるICRP体系批判の内容を、より分かり易く普及していくお手伝いをしたいと思っています。そのことを考えると心の中が熱くなります。
世界中の国家権力の中に浸透している放射線被曝の過小評価のロジック、内部被曝隠しと対決することで、少しでも多くの被爆者の痛みを癒し、救いたい。人々を新たな被曝から守りたい。そのためにさらに奮闘するつもりです。
そのための最も重要な土台を『放射線被曝の歴史』の、命を削りながらの執筆で行ってくださった中川保雄さんに、再度、心からの感謝を記しつつ、この連載を閉じたいと思います。

連載終わり

 

 

 

 

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明日に向けて(995)福島、沖縄を「捨て石」にするな!安倍政権批判票を投じ圧政に抗する行動に起とう!

2014年12月12日 17時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141212 17:00)

選挙戦も終盤ですが、昨日(11日)に郵送で届いた10日付の東京新聞を読んでいて「被災女性、原発と基地問題憤り『福島、沖縄は捨て石』」という記事に目がとまり、とても胸を打たれました。
ネットで検索したらもともと7日付けで琉球新報に掲載された記事であることが分かりました。
選挙を前にぜひ多くの方に読んで欲しいと思い、紹介記事を書くことにしました。

被災女性とは福島県から沖縄県に家族で避難してこられた方のこと。その方が「捨て石」という言葉を沖縄に行って初めて知ったそうです。「『捨て石』という言葉が福島にも当てはまる」・・・。
震災後、被曝を心配し「ふくしま集団疎開裁判」の原告団に加わられましたが2011年11月に申し立てが却下されました。その1か月後に義理のお母さまが突然亡くなり「義母に避難しろと言われた気が」して沖縄に向かわれたそうです。
記事を末尾に貼り付けますので、詳しくはそれを読んでいただきたいですが、胸が締め付けられる気がしました。

もう二度と沖縄を「捨て石」などにさせない。福島も絶対に「捨て石」などにさせない。そんな気持ちがムラムラと心の底から湧き上がってきました。
沖縄戦では民間人である島民が本当にたくさん犠牲になりました。沖縄戦に投入された日本軍兵士も「捨て石」とされました。本土や台湾からもたくさんの若者が特攻隊として飛び立ち、沖縄の空に海に散っていきました。
兵士たちは「日本を守るために闘った」と言われています。何を言うか。政府や軍部がもっと早く降伏していたら沖縄戦は必要ありませんでした。本土の都市空襲のほとんども避けられたし、広島・長崎への原爆投下もなかった。満蒙開拓団の犠牲もなかった。

日米戦争は実は前年1944年秋のレイテ沖海戦などにおける日本軍の惨敗で、軍隊と軍隊との闘いとしてはほとんど決着済みでした。
にもかかわらず日本政府は降伏しなかった。降伏の後の戦勝国からの訴追を恐れ、少しでも良い条件に持ち込みたくて時間稼ぎをしていたのでした。そのために沖縄は「捨て石」にされました。
いやその前にサイパン島など、南方の島々が「捨て石」となっていました。日本政府は本当にたくさんの人々を「捨て石」にしたのでした。

「捨て石」作戦として行われた沖縄戦の中ですら、さらに民衆に犠牲を強いる事態が繰り返されました。
米軍は1945年4月から沖縄本島に上陸し、部隊を南部に向かわせました。日本軍は今の普天間基地や首里城のある一体に布陣して交戦。日中は塹壕に隠れ、夜になると猛烈な反撃を試みて一時期は米軍をくぎ付けにしていました。
ところが現場を見てもいない東京の大本営が「そんな戦い方は手ぬるい。全面攻勢を行え」という指示を飛ばし、現地軍の将校たちの反対が押し切られる中で、総攻撃が開始されたのでした。

米軍はこれをこそ待っていました。上空にたくさんの偵察機を飛ばし、地上に出てきた日本軍めがけて海上にひしめく軍艦から一斉に艦砲射撃が行われました。空襲も重ねられました。
夜間戦闘では米軍に打撃を与えていた日本軍は、白昼の戦闘でたちまち壊滅的な被害を受けました。明らかにあやまった作戦の採用でした。
このため日本軍はたくさんの兵士と共にほとんどの重火器も失い、軍隊と軍隊との闘いとしての沖縄戦はこのころまででほとんど決着が着いてしまいました。

ところが軍部は驚くべき方針を出しました。戦闘を集結せず、それまでの守備線を放棄して南に下れと言ったのです。南部は沖縄県民が避難していたところでした。それ自身、軍部の指示によるものでした。避難民がひしめく狭い地帯に日本軍が逃げ込んでいったのでした。
しかも日本軍は軍装を捨て避難民に紛れて逃げる方針をとりました。米軍がこれを追撃。かくして日本軍とともに県民が米軍の直接のターゲットにされてしまいました。戦線は県民がひしめいていた南部海岸にまで及び、県民の3人に1人とも4人に1人ともいわれる大量の死者がでてしまいました。
日本軍は何とか米軍の抗戦意志を弱めたくて、たくさんの特攻機をも出撃させましたが、その頃日本軍には旧式の飛行機しか残されていませんでした。しかも搭乗兵は操縦桿を握ったばかりの若い兵士たち。攻撃隊はほとんどが沖縄上空で待ち伏せしていたアメリカの迎撃機に撃ち落とされてしまいました。

僕は初めて沖縄に訪れたとき、米軍上陸地点の読谷村を訪れました。避難民が逃げ込み、自決を強いられたチビチリガマなどに入らせていただきました。深い悲しみに包まれました。さらに首里城から南部へと避難民が辿り、日本軍が後を追った道筋を車で辿りました。
沖縄戦に高校生からなる「鉄血勤皇隊」の隊員として徴用されて従軍し、司令部付伝令となって戦闘の中心をつぶさに体験することとなった後の沖縄県知事、大田昌秀さんがこの体験を綴った名著『沖縄の心』を手にした旅でした。
旅の最後には沖縄南部の平和祈念公園を訪れ、平和の礎と出会い、県民の痛みと悲しみ、その中から平和を懇願してきた思いに包み込まれました。この悲劇を無にしてはならないという決意が心に溢れました。

その後、何年も経ってから鹿児島県の知覧特攻隊基地の記念館にも行き、出撃した若者たちのことを調べました。台湾から特攻した若者たちについても文献で搭乗機と搭乗兵の名前まで調べました。その度に涙がこみ上げてきて止まりませんでした。
終戦間際の戦闘だけではありません。日本軍はどこでもかしこでも兵を大事にせず、無駄に死者を出すばかりの戦闘を繰り返しました。しかも兵士たちに絶対に投降を許しませんでした。
軍隊の中での虐待も日常茶飯事でした。そのため軍部は兵たちの駐屯するあらゆる地域に「慰安所」=性奴隷施設を作りました。ボロボロにされた兵士たちの鬱積した矛盾を、女性を暴行させることで解消させていたのでした。たくさんの若い女性が軍の「捨て石」にされ、虐待され、しばしば虐殺すらされました。

何度も言います。沖縄県民は、日本政府と軍部が命拾いをするために捨て駒にされたのでした。しかも戦闘の中でも一切、保護されませんでした。まさに何重にも及ぶ「捨て石」でした。日本軍兵士たちの大半もそうでした。とくに若くして徴兵された兵士たちはただ毎日、殴られた挙句に意味のない突撃をさせられました。
私たちは沖縄県民にも、兵士たちにも、あるいは戦場で強いられたあらゆる理不尽な行為の犠牲者たちにも、こう言い続けなければなりません。「あなたたちの死、痛みをけして無駄にしません。二度とあやまちは繰り返させません」と。
「繰り返させない」のは誰に対してか。もちろん日本政府に対してです。同時にこの太平洋戦争末期に民間人大量虐殺を続けたアメリカ政府に対してもであることを僕は強調したいです。

日本政府と軍部は確かに自分たちのことだけを考えて降伏を先延ばしにしましたが、実はアメリカ軍も日本政府が戦争を止めないように画策し続けたのでした。なぜか。どうしても開発中だった原爆を使いたかったからです。実験のためにです。
実際、アメリカのエネルギー庁は戦後長い間、広島・長崎への原爆投下を「実験」と分類していました。1945年8月にはもう勝敗の帰趨は決していたのだから原爆を落とす必要などまったくなかったのに、戦争をわざと長引かせ、大量殺戮実験のためにのみ原爆を投下したのでした。
アメリカ軍は諸都市への無差別空襲でもたくさんの非戦闘員、民間人を殺しました。その大半が子どもとお年寄り、女性たちでした。米軍は沖縄でも島民と日本兵を無差別に殺害しました。そのすべてが明らかなる戦争犯罪でした。

こんなにひどいことをされたアメリカに、戦後の日本政府ははやばやと沖縄を売り渡してしまいました。沖縄は三度、四度と「捨て石」にされてしまったのでした。その後、最も多い戦争犠牲者を出した沖縄で、島民の土地を強奪してたくさんの米軍基地が作られてしまいました。
かつて「鬼畜米英を倒せ」と国民を戦争に駆り立てた日本政府は、戦後は180度ひるがえってアメリカべったりになり、そのもとで岸信介らA級戦犯も政界に復帰させてもらいました。そのため原爆投下をはじめとした戦争犯罪を一度も非難しなかったばかりか、朝鮮戦争やベトナム戦争など、アメリカの戦争に積極的に協力し、莫大な経済的な利益を得ました。
なんたる屈辱でしょうか。かつてもっとも同胞を残忍に、大量に殺害した国に、一言の批判も行わないばかりか、日本に行われたのと同じ虐殺方法にすら手を貸したのでした。例えば日本の諸都市に雨あられと降らされた「焼夷弾」が、開発を重ねて「ナパーム弾」となってベトナムで使われ、クラスター爆弾としてアフガンやイラクで使われました。これらの多くの兵器に日本製の部品が使われました。

僕はこの国はあまりに「自虐的な国」だと思います。とくに今の日本で「愛国」を名乗る人々の中にアメリカを批判するものなどただの一人もいません。あまりにも情けない。理不尽な戦争で亡くなっていったすべての人々がこれでは眠れないでしょう。
とりわけ沖縄県民の犠牲者は今も続く沖縄の軍事占領に心を痛め続けているでしょう。米軍に体当たりさせられたすべての兵士たちだって、今の自民党や右翼だけには墓参されたくないでしょう。
同時に私たちはこうした流れが戦後も続き、日本の戦後復興と高度経済成長が、朝鮮とベトナムの民衆に塗炭の苦しみを与えた戦争での収益の上に成り立ってきたことを今こそしっかりと見つめ直さなくてはいけません。

しかもその流れは三度国内にももたらされました。水俣湾をはじめとした全国への公害の押し付けでした。水俣病は早い時期からチッソの廃液が原因であることが分かっていました。しかしチッソが隠し、それを国が後押ししました。
全国でも同様のことが起こりました。日本列島の至る所で自然が破壊され、汚染がもたらされ、たくさんの人々が被害を受けました。ある方はこうした事態を「環境破壊」というのは正しくないと言っています。加害者と被害者があいまいになるからです。実態はどこもでも公害=政府と企業による産業優先のもとでの地元住民への被害の押し付けでした。
こうした数え上げればきりがないほどの命と生活の切り捨て、「捨て石」政策が繰り返されてきた。そしてその延長線上に福島原発事故が起こり、今、福島だけではなく、すべての被災者が「捨て石」にされようとしています。

もうたくさんだ。もうこんなことは本当にたくさんだ。こんな負の歴史は終わらせなくてはならない。この流れを逆転させなければならない。
そのために私たちは今、本当の民主主義、ラディカルデモクラシーにもとづいた行動を起こさなくてはなりません。その根本にあるのは私たち民衆の直接行動です。それはすてに福島原発事故以降、大きく育ちつつあります。
目前の投票で私たちは、少しでも私たちの声を代弁する議員を増やす努力をするとともに、議会が私たちの声の代弁の場に過ぎないことをも踏まえ、選挙結果がどうなろうとも、私たち自身の起ちあがりこそがすべてを決することをしっかりと心に刻んで前に進もうではありませんか。

沖縄の痛み、福島の痛み、切り捨てられ、踏みにじられてきたあらゆる痛みをシェアし、悲しみを抱きしめて、力強い愛の力、正義の力に変えましょう。その決意を確かなものとするためにも安倍政権絶対反対の票を投じに投票所に向かいましょう。
投票の仕方はそれぞれが決することです。自分にとって一番良い方法で投票しましょう。互いの採る方法を尊重しあいましょう。そうして選挙の日からただちに新たな団結、連帯、前進を作り出すために次の一歩を踏み出しましょう。
Power to the People! 民衆に権力を!

*****

福島、沖縄は捨て石」 衆院選で県内避難被災女性
琉球新報 2014年12月7日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-235487-storytopic-1.html

「捨て石」。その言葉を福島県出身の女性(47)は2012年3月、初めて訪れた沖縄で知った。11年3月の東京電力福島第1原発事故後、避難した那覇市での暮らしは3年目。
故郷の復興は見通しがつかない。沖縄県民として前回の衆院選、11月の県知事選でも投票した。沖縄で2度目の衆院選投票を控え、「捨て石」という言葉が福島にも当てはまると痛感する。

11年3月11日の東日本大震災発生時、郡山市に暮らしていた。家族は清掃業を営む夫(51)、中学生だった長男と長女の4人。
「無党派というよりも政治に無関心」。福島で投票を欠かさなかったが、候補者を選ぶ基準は政治理念や公約よりも、見た目や印象の良さが優先した。

震災後、自宅は一部損壊した。亡くなった身内はいなかったが放射線におびえた。子どもが通う中学校の土壌は除染作業で取り除かれたが、不安は蓄積した。
子どもが安心して教育を受けられる場所を行政に求め、「ふくしま集団疎開裁判」の原告団に加わった。福島地裁郡山支部に仮処分申請したが、11年11月に申し立ては却下された。
その1カ月後、義母が突然亡くなった。「義母に避難しろと言われた気がした」。福島から離れた沖縄への避難を決めた。沖縄県によると、東日本大震災の県内避難者数は11月1日現在、840人。最多は福島出身者の588人で7割に及ぶ。

夫は清掃の仕事を沖縄でも続け、不慣れな土地で取引先を開拓するため奔走する。女性もその仕事を手伝い、何とかやりくりできている。子どもたちは高校生になった。
約70年前の戦争で日本本土を守るため、捨て石にされた沖縄は戦場になった。「今も政府は基地を押し付けている」。無関心で済まされない現実を目の当たりにし、次第に政治への関心を抱くようになった。

「汚染土壌は結局、福島に建設予定の中間貯蔵施設への保管が決まった。沖縄では名護市辺野古に新基地建設が強行されている。福島も沖縄も捨て石だ」
原発、基地をめぐる問題にはいずれも命が関わる。女性は避難者や基地に苦しむ国民がアベノミクスや消費税増税の議論の影に隠れていると感じる。景気回復の実感もない。基地問題の公約を重視して今回投票するつもりだ。
衆院選中の10日、特定秘密保護法が施行される。国民の命に関わる情報に「秘密」の網がかけられないかと懸念する。
「多くの国民が声を上げると、権力者は自分勝手に動きにくい。だから政治への関心が高まらないように、権力者が仕向けていると勘繰ってしまう。私たち有権者が関心を持ち、1票を投じることは大切だ」(島袋貞治)

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明日に向けて(994)集団的自衛権、ヨーロッパ・トルコ訪問についてお話します。(13日大阪、14日京都他)

2014年12月11日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141211 23:30)

選挙戦たけなわですが、講演を行いますのでスケジュールをお知らせします。
すでに一度掲載しましたが、明後日13日の土曜日に大阪市西成区で、たちばな9条の会のお招きでお話しします。
今回のお話では、日本がどれほどイスラム圏から強く慕ってもらえているか、集団的自衛権行使により日本がどれだけのものを失ってしまうのかについても触れたいと思います。
エジプトで流されている日本を紹介したビデオなども流します。
選挙前夜になりますが、お近くの方、ぜひお越しください。

選挙当日の14日には京都市中京区のハートピア京都でヨーロッパ・トルコ訪問報告会を行います。内部被曝のメカニズムについてもお話します。
この他、17日には京都被爆2世3世の会の総会で主に10月のポーランド訪問で学んだものに限定した報告を行います。
ヨーロッパ・トルコ訪問全体に関しては23日の午前中と夜間にもお話します。

年末には27日、28日とびわこ123キャンプでお話します。
ぜひ可能な会にお越しください。

以下、案内を貼り付けます。

*****

たちばな9条の会主催(平和を考えるシリーズ第2弾)

戦争への恐怖の3点セット
~NSC法(国家安全保障会議)・特定秘密保護法・集団的自衛権の行使容認~
(集団的自衛権とは何かを中心に)

日時:2014年12月13日(土) 17:30開場 18:00開始
講師:守田敏也(フリーライター、著書『内部被曝』岩波ブックレット。矢ケ崎克馬氏と共著)

会場: 参学寺「参究道場」 TEL 06-6658-8934
大阪市西成区橘1-7-6
参学寺ホームページhttp://www.sangakuji.com/
メールsangakuji@cwo.zaq.ne.jp

申込:西田靖弘携帯090-9610-8780 メールnishiyan0213@gmail.com
もしくは米澤清恵 電話090-5647-0922 米澤メールkiyoyonyon@hotmail.com

会費:500円 (講師代ほか)

***

ドイツ・ベラルーシ・トルコ・ポーランドで学んだこと
~チェルノブイリ原発事故による被ばくの現実やトルコへの原発輸出問題~
◇守田敏也報告会◇

本年2014年2月から3月にドイツ・ベラルーシ・トルコを訪れ、8月にトルコを再訪、さらに10月にポーランドに訪問してきたなかで学んできたことを報告します。
これらのなかで、放射線内部被曝のメカニズムと危険性についても触れます 。
例えばウクライナでは医師たちがたくさんの病が放射線の影響で起こっていることを告発しています。
今年の3回にわたる渡航で感じたことを、できるだけ分かりやすくお話しします。

福島原発事故、そして私たちの今に深くつながるヨーロッパ・トルコの話、内部被曝のメカニズムのお話をぜひ聞きに来てください!
なお報告会は3回行います。参加しやすい会にご参加ください。

12月14日(日)10時から12時。ハートピア京都第5会議室
12月23日(火・休日)10時から12時と18時から20時30分の2回 ひとまち交流館第4会議室
参加費 500円(可能な方はさらにカンパをお願いします!)

主催:子どもの給食を考える会・京都
連絡先:morita_sccrc@yahoo.co.jp(守田)

託児はありませんが、会場内にお子さんが過ごせるスペースやおもちゃ、絵本などを用意します。
ぜひお子さん連れでいらしてください。

***

12月の例会は、10月末にポーランドでの国際会議参加と視察をされてきた守田敏也さんの報告を聞く学習会とすることになりました。
日程等は以下の通りです。

日時  2014年12月17日(水)18:30~21:00
会場  ラボール京都4階・第9会議室
テーマ ポーランド訪問で学んだこと ~ユダヤ人をめぐる歴史の深層を踏まえつつ、チェルノブイリ原発事故による被ばくの現実を捉え返す~
今回はオープン企画として行なうことになりました。お知り合い等に広くお知らせいただき、たくさんの方にご参加いただくようお願いいたします。

守田敏也さんのブログ「明日に向けて」でポーランド訪問のことは詳しく紹介されていますが、その一つ、ポーランドのユダヤ人をめぐる歴史はとても奥深いものがあり、今日の東アジアに生きる私たちに大きな示唆を与えるものです。
また、放射能被ばくの世代を超えた影響は私たち被爆2世・3世にとって挑むべき基本的なテーマです。事故から28年を経過したチェルノブイリの実態から多くのことを学んでいきたいと思います。

***

びわこ123キャンプでお話します。
27日は集団的自衛権など戦争と平和に関するお話。子どもたちにお話します。
28日は高島市の方とともに原子力災害対策についてお話します。

12月27日(金)夕方より子どもたちに。マキノ高原民宿一二三館
12月28日(土)時間未定 詳細はびわこ123キャンプにお問い合わせください。

主催:びわこ123キャンプ

以下は今回のキャンプのご案内です。
http://cocokarapon.blog.fc2.com/blog-entry-291.html 

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明日に向けて(993)すべての票は命のこもった声だ!「死に票」という言葉に惑わされず投じに行こう!

2014年12月10日 22時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141210 22:00)

総選挙が終盤を迎えており「自民党圧勝か?」という報道が繰り返し流されています。
大手マスコミの論じていることを見ていると、あたかももはや勝敗の大勢が決したかのようです。
公正を欠いた報道だと僕は思いますが、みなさん、そんなことに惑わされずに投票に行きましょう。投票を通じて自分の意志を国と社会に表明しましょう。「投票に行こう」と最後まで訴え抜きましょう。

けして惑わされてはいけないのは、自分が投票した候補が勝利しなければその投票は無駄になるという言説です。「死に票」という言葉ですが、これにひっかかってはいけない!!
この言葉自身が実は小選挙区制のもとでは与党に有利に働く面もあるのです。例えば今のような情勢になると「もう反対候補に入れてもダメだ。どうせ死に票になるんだから投票にいかなくても」と思う人も出てきてしまいます。
それだけでも与党に有利になります。まだ残されている形勢逆転の可能性が消えて行くからでもありますが、同時に反対の民意がその分選挙に反映しなくなるからでもあります。

選挙はふたをあけてみてみなければ分からない。大新聞の与党圧勝の大合唱に乗って諦めてしまってはいけない。
同時にかりに私たちの応援する候補が結果的に負けたとしたって、そこに投じられた票は「死に票」になどなりはしないのです。まったく逆です。破れた候補者の票が多いほど当選した候補者は反対意見に規制されるのです。
だから負けたら民意が届かないと思わされてここで萎えてしまってはいけない。そもそも民主主義は多数決で負けた側を切り捨てる制度ではありません。いわんや勝った側が何でもしていいなどと考えるのは大間違い。勝った側には負けた側の意をいかに受け止めるのかが問われるのです。

このためそもそも選挙システムには少数派の意見が尊重される仕組みがなくてはならないのです。だからこそかつては選挙区がもっと大きく作られていて、少数派でも議会に進出できる仕組みが保障されていたのです。
ところが今、私たちはとんでもなく歪められた選挙制度のもとにいます。あまりに間違った制度です。何せ前回、与党連合は、実質選挙民の2割台の支持で7割もの議席を獲ってしまったのです。
明らかに選挙制度に公正と正義が欠けすぎている。だから極端なほど民意が議席に反映しない。そのことが選挙へのしらけ、投票放棄にもつながってますます選挙制度を劣化させてきました。

実は少数選挙区制度の成立のために奔走したご本人が、この制度をスタートさせてしまったことを心から悔いています。自民党の河野洋平さんです。
日本憲政史上、初めて女性の政党党首となられ、小選挙区制にも反対していた旧社民党党首土井たか子さんが9月にお亡くなりになり、11月に追悼会が開かれましたが、ここに出席した河野洋平さんは次のように語られました。
 「あなたに大変申しわけないことをした。おわびしなくてはならない。謝らなければならない大きな間違いをした」
 「私は~中略~小選挙区制を選択してしまった。今日の日本の政治、劣化が指摘される、あるいは信用ができるかできないかという議論まである。そうした一つの原因が小選挙区制にあるかもしれない」

全文を読みたい方に産経デジタルのページをご紹介しておきます。またYouTubeで直接発言を聴くこともできます。

 【土井たか子さんお別れの会・詳報】(3)河野洋平・元衆院議長「あなたに謝らなければならない大きな間違いをした」
 http://sonae.sankei.co.jp/ending/article/141125/e_sogi0007-n1.html

 土井たか子・元衆院議長をおくる会 河野さんの発言は33分20秒から
 https://www.youtube.com/watch?v=9WNEDipntCE&feature=youtu.be

なぜ小選挙区制で政治が、政治家が劣化してきたのか。与党にくみせば中選挙区制のときよりも安易に勝ててしまうので政治家が有権者を大切にしなくなってきたからです。
むしろ政党の公認候補を得られるかどうかの方が重要になるため、政治家が与党幹部の顔色ばかりを窺うようになってしまった。さらに自民党内の総裁の権限も強くしたため、首相のイエスマン議員ばかりが増えてしまいました。
実はそのために与党内部でも困り果てている方たちがいるのです。それが河野洋平さんの言葉にも強く表れていました。もちろん河野洋平さんにはそう述べられた限り、選挙制度をせめてもとにもどすために私たちと一緒に頑張っていただきたいですが。

ともあれ今、私たちは本当に悪い選挙制度の中にいます。その中で若い人たちが投票にいかないことが度々問題視されていますが、僕は「そりゃそうだろう」とも思うです。なぜって若い人たちの多くがこのひどい小選挙区制しか知らないからです。
かつては選挙はもう少しは面白かった。中選挙区では自民党議員同士が競り合うことも珍しくなかった。少数派でも丁寧に票を集めていけば当選することができた。だから選挙には今よりも多様な可能性があった。
しかし小選挙区制でさまざまな可能性が手酷く潰されてしまいました。だから選挙が盛り上がらない。当選した議員も平気で公約を破る。そんな中で、こんなにひどい選挙制度しか知らない若い人々が社会と自分が遠く感じてしまうのも分かります。

でも騙されないで下さい。民主主義とは議会制度だけで成り立っているのではないのです。けして議席の数だけですべてが決するわけではない。私たちの意志の表し方は他にも多様にあります。
例えば原発問題を見て下さい。あれだけの圧倒的多数の議席を手にした安倍政権は、まだ一基の原発も再稼働させることができていません。これはとても大きなことで、世界に影響を与えてもいます。
そもそも世界で最大の原発は日本の柏崎刈羽原発です。それをも私たちは止めている。他にもものすごい数の原発を止めている。このため今、世界のウラン価格が暴落し、アメリカの大手核燃料会社が倒産するに至っています。私たちの行動で世界の原子力推進派が困り果てているのです。

だから安倍首相は、ウランの新たな需要を作り出すために世界に原発を輸出しようとしています。そのために安全性をアピールしなければならず川内原発などを再稼働させようとしています。
しかし民衆の声が怖いので、今回の選挙でこの論議をできるだけ避けよう、避けようとしてきました。(川内原発の再稼働への動きも、官邸は来年4月以降にして欲しいと現地にくぎを刺していたそうです)
それを象徴するかのように、選挙終盤になって自民党は『景気回復、この道しかない』と題した12ページカラー刷りのパンフレットを各戸配布しましたが、その中でなんと原発再稼働については一言も触れていないのです。

原発の話が選挙にとってはまったく不利だと思っているからです。前回の総選挙であれだけたくさんの議席を獲っていても、そこにすべての民意が反映されたわけではないことを自民党自身が知っているのです。議席には結びつかずともたくさんの批判票があったことを実は自民党も脅威を感じつつ見ていたのです。
もちろんそればかりではなく、直接行動でも原発反対の意志が示されました。首相官邸前で毎週の再稼働反対のデモが行われ、全国各地の電力会社前でも行われてきました。それらは100回を越えつつあります。これほど同じ課題で各地で持続的なデモが行われているのは政治史上、おそらく初めてのことです。
民主主義は、議会という間接民主主義と、デモンストレーションをはじめとした直接行動、直接民主主義によってこそ担われているのです。だからデモが非常に大きな力を持っている今、議席には結びつかない反対票も民意の突きつけとしての意義を失ってはいないのです。

選挙はこの民衆の動き、力とこそ連動しています。だからある投票が議席を獲得するに至らないのだとしても、自民党政治に批判的な意志を票で示すことは大事であり尊いのです。
何に対して意志を示すのか。一つは政府与党に対して。もう一つはマスメディアに対して。そして私たち民衆自身に対して。だから「死に票」という言葉や「与党圧勝」という報道に惑わされずに、総じて与党への批判票を伸ばすために努力しましょう。
投票もまたデモンストレーションの一部です。実際に政治主張を大声に出すことが憚れる人のために無記名投票が制度化しているのでもあります。だからこそ国と社会に対するデモの気持ちで、平和と公正と正義のため、貴重な一票を投じに周りの人を誘って行きましょう!

もちろんこんなに歪んだ選挙制度ですから、誰に投票したらいいかは大いに悩むところです。選挙制度が悪すぎるからなかなか良い答えは見つけにくい。「これが正解」といえる明快なものはないと僕は思います。
ある人々は「ここは与党を凹ますために、選挙区では自分がそれほど納得できなくても、与党に勝てるかもしれない候補に票を投じよう」と呼びかけています。「鼻をつまんで」与党よりましな人々に投票しようと言うのです。それもありです。
でも一方である人々は「野党といいつつ隠れ与党でしかない候補では信用がおけないしもはやそうした候補に与党への批判票が集まるとも思えない。やはり信頼のおける候補に投票した方がよい」と言います。それもありだと思います。

どちらにも一理ある。ただどう考えるにせよ、勝つことも負けることもある選挙の中で、ただ議席を獲るかどうかだけで選挙を考えず、自分の意志を表明しにも行こうとではないかと僕は強調したいのです。結果的に応援した候補が負けたとしてもその票はけして無駄ではない。すべての投票はライブなのです。
もちろん比例区への投票はもっと自分の信条にあう政党の議席に結びつきやすい。私たちは二つの票を持っていて、この票はより迷うことなく投じられる票です。このことも考えて、多くの人に投票を呼びかけましょう。
とくにこの小選挙区の仕組みの中で、政治を縁遠いと感じている人々が周りにいるならば「あなたがあなたの意志を表すことはけして小さいことではない。自分の声など届かないと思ってはいけない。与党はそう思わせようとしているけれど、そんなことに騙されずあなたの意志を表しに言こう」と語りかけてあげてください。

繰り返します。私たちは与党大勝報道に失望することなく自らの意志を示しに行きましょう。選挙の仕方はもともと各人の自由に属すること。自分にとって一番納得のいく最善の投票を行いましょう。
同時に選挙制度はこのようにひどすぎますが、それでも私たちの国の民主主義はまだまだ死んでなどいないこともしっかりとおさえておきましょう。民主主義が死ぬのは誰も反対意見を言わなくなるとき、言えなくなるときです。
だから私たちは少々の困難があろうとも、これまで以上にまっとうな意見を言い続ける決意をここで固める必要があります。腹をくくればまだまだ私たちにできることはたくさんあります。先にも述べたように、疲弊を強める国際原子力村の意向を受けた日本政府による原発再稼働の動きも、まだ私たちは止め続けているのですから。

そもそも政府が一番恐れているのは、民衆が自らの力に目覚めることです。政府はあの手、この手で、民衆には力などなく、無能であり、管理を必要としており、だから自分たちに任せておけばよいのだと思わせようとします。
実はそれこそが支配の要なのです。でもよく見てみましょう。無能性を極めているのは与党の議員たちの方です。どんどん劣化しています。安易に勝てる選挙制度が政党としての彼ら彼女らをも弱めているのです。「政治と議員の劣化」とマスコミでも指摘される所以です。
だからこそ政府は直接行動を恐れて特定秘密保護法を施行するなど狂暴化を深めています。実はどんどん批判勢力が増えていることを知り、恐れているから狂暴化しているのです。そのことで民主主義がこれからますます厳しい局面を迎えつつあるのも厳然たる事実です。

しかしこの中でこそ、私たちは私たちの民主主義を磨いていけばいいと僕は思うのです。試練の中でこそ、官僚や政治家にあやつられたニセものではない、草の根からの本当の民主主義を育てあげることができます。二度と「上から与えられた」などとは言われることない素晴らしい民主主義がです。
同時に僕は「驕る平家は久しからず」とも思います。「なめるなよ!」とも・・・。民主主義は私たち民衆の中に宿るもの。けして議席数だけで決まるものではない。この選挙が民意を表してないことはもうはっきりしているのですから、投票とともに、デモをはじめもっと多様な表現で政府批判を貫ぬこうではありませんか。
そのこともしっかり見据えて、今は与党を少しでも凹まし、同時に自分たちを励ますためにも選挙に向かいましょう。それぞれにとっての最善の道を歩み、選挙区で、比例区で、少しでも真っ当な議員を増やしましょう。そして新たな民衆派の議員たちと一緒に新たな民衆運動を起こしましょう。

選挙の日はそのスタートの日です。
冬来たりなば春遠からじ!
Power to the People!

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明日に向けて(992)原爆線量見直しとチェルノブイリ原発事故(ICRPの考察-6)

2014年12月09日 20時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141209 20:30)

ICRPの考察の続きです。

医学や生物学と密接な関係にある放射線防護学の領域では、放射線の危険性をめぐる論争に次々と敗れてどんどん線量評価を厳しくしなければならないことを熟知したICRPが、1977年勧告においてコスト・ベネフィット論にシフトしたことをこれまで見てきました。
ところがその後に大きな問題が持ち上がりました。ICRPが依拠してきた広島・長崎を調査したABCC(原爆傷害調査委員会)による原爆線量評価に大きな間違いがあることが浮上してきたことでした。
ICRPをはじめとした国際機関がABCCのデータに固執してきたのは、このデータがアメリカ原子力委員会によって独占的に集められ、解析されてきたもので、原子力推進派にとって都合が良いものだからでした。

ABCCデータの信頼性が崩れだしたのは、前回に述べたイギリスのスチュアート、アメリカのゴフマン、タンプリンの批判などの影響によるものでしたが、1974年に新たな批判が付け加わりました。
ワシントン州の人口研究班の医師であったサミュエル・ミラムが1950年から1971年にワシントン州で死亡した307828人を調査し、州内のハンフォード核施設で働いたことのある労働者の死亡率が25%も高いことを見出したことでした。
さらに続いて原子力委員会からのハンフォードに関する委託研究を行っていたトーマス・マンキューソから、28000人の調査によって放射線のリスクがICRPが主張していた従来の見解の10倍も高いという研究結果が報告されました。

同時に中性子爆弾の開発を行っていた米軍からも新たなデータが提出されました。
この爆弾の殺傷能力を知るには、広島・長崎のデータを利用する必要があり、その洗い直しに結果したのですが、ロスアラモスで開発されたコンピューター・コードを使って解析したところ、原爆の放射線、とりわけ中性子のスペクトルが従来の推定値と大きく違っていることが分かったというのです。
広島・長崎の被爆者は、これまでABCCが主張していたよりもずっと少ない放射線被曝で重篤な傷害を受けていたことが判明しました。この結果ICRPが依拠してきた「T65D(Tentative Dosimetry System 1965=1965年暫定被曝推定線量)」と呼ばれてきた体系の権威が大きく揺らぎ出しました。

T65Dに誤りが見つかったことは、原子力推進派にとって大きな危機でした。これまでの放射線防護体系がすべてT65Dを根拠に行われてきたためです。
このためマンキューソの研究結果が広く知られる前に中性子爆弾の開発で得られた軍事機密情報を意図的にリークし、あたかも国際機関の側から積極的な線量基準の見直しがなされ、安全性が追及されているかのような粉飾が施されました。
アメリカは他国が中性子爆弾の製造に踏み切った時に、いずれにせよこのデータが明るみに出ることも考慮に入れて、こうしてリーク戦術に踏み切ったのでした。

こうして新たな線量体系として1986年に確定され、翌年に発表されたのが「DS86(Dosimetry System 1986=1986年線量推定方式)」でした。
ちなみに後年、矢ヶ崎さんが内部被曝の影響についての研究を開始し、初めてこの「DS86」に触れたとき、そのあまりの非科学性に唖然となったそうです。余りに非科学的な報告が被爆者の被曝線量データとして容認されていることに立腹するとともに、なぜゆえに誰も体系的な批判を試みなかったのかと身もだえし、3日間眠れなかったといいます。
矢ヶ崎さんのICRPへの批判については稿をあらためて紹介しますが、ともあれ原子力推進派は、原爆の被害データを大急ぎで修正して、マンキューソが明らかにしたハンフォードの労働者の被害と辻褄をあわせようとしたのでした。

DS86の新たな策定の動きに合わせつつ、ICRPは1985年にパリ会議を開き、公衆の放射線防護基準を従来の5分の1とし、1年間に1ミリシーベルトとしました。現在も適用されている基準です。
同時にICRPの防護基準は、被曝をより少なくする精神に貫かれたものであるとの宣伝を行いました。これらのもと、1977年勧告で進化したコスト・ベネフィット論の各国の受け入れ・浸透もが図られました。
しかもパリ声明では同時に次の文言が付け加えられました。「1年につき5ミリシーベルトという補助的線量限度を数年にわたって用いることが許される」。要するに実際には1ミリシーベルトを守らなくてよいという言葉もが埋め込まれていたのでした。

こうしたICRPの一見すると基準を強化しつつあるかのように見える動きは、1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故に対する反原発運動の高まりにも対応したものでした。そしてここで埋め込まれた「補助的線量限度」という文言は、早速、チェルノブイリ原発事故に際して効力を発揮しました。
1986年に起きた同事故で、100万人に及ぶ人々が避難を余儀なくされましたが、その基準は生涯で350ミリシーベルトに達するかどうか、生涯を70年とみて年間5ミリシーベルトに達するか否かに置かれました。
つまり年間5ミリシーベルトもの被曝が「数年にわたって」どころか生涯にわたって続くことが認められたのでした。ICRPら国際機関はこの旧ソ連の決定は国際的な放射線防護政策に一致していると声明し、強く支持しました。

『放射線被曝の歴史』からこの点のまとめを引用します。
 「このようにチェルノブイリ事故後は、原発重大事故が現実に起これば、年1ミリシーベルトの基準など適用されないこと、したがってICRPのパリ声明の「公衆の年被曝限度1ミリシーベルト」が一般人の被曝線量の実質的な引き下げを意味するものではないことが、事実で示されているのである」(『同書』p195)
このことはチェルノブイリ原発事故だけではなく、福島原発事故ではもっと激しく適用されてしまいました。福島では5ミリシーベルトどころか20ミリシーベルトが避難基準とされてしまったからです。福島原発の被災者はチェルノブイリ周辺では強制移住の対象になる地域に多数が住まわされ、あるいは帰還が強制されようとしています。

しかもここで適用された「線量」は、1977年より持ち込まれた「実効線量当量」でした。これはコスト・ベネフィット論のもとに放射線被曝に金勘定という非科学的なものを持ちこんだもので、身体にあたる物理量を示したものではありません。
計算式も複雑化されていて非常にわかりにくいのですが、実際には物理量の被曝としてはICRP1977年勧告以前のものと比較した場合、むしろ多量になっているものが少なくなったように粉飾されるように設定されたものでした。
その点でICRPが放射線被曝基準を厳しくしたというのは全くのまやかしでした。

ICRPはこれらをICRP1990年勧告にまとめていきましたが、その際、原発事故などの「緊急時作業」においては引き下げどころかむしろ労働者への線量の引き上げを盛り込みました。
1977年勧告において100ミリシーベルトだった全身への被曝限度が新勧告では500ミリシーベルトまで引き上げられ、皮膚の線量限度は5シーベルトにまで拡大させられてしまいました。
要するにスリーマイル島事故やチェルノブイリ事故をもって、事故の終焉を目指すのではなく、むしろ次なる事故が起こりうることを想定して、その際の収束作業ができるような線量設定が行われたのでした。

こうして作成された1990年勧告のねらいを同書は以下のようにまとめています。
 「第一に、放射線リスクを従来の三分の一に引き下げ、労働者の被曝線量限度も年間20ミリシーベルトへと1958年以来はじめて『引き下げた』とごまかし、ICRP1977年勧告で導入した、安全性よりも経済性を重視する「ALARA原則」を定着させ、チェルノブイリ後、いっそう経済的困難に直面している原子力産業に、放射線被曝面からの救いの手をさしのべることにある」
 「第二に、反原発運動からのICRPとそのリスク評価、放射線防護基準への強い批判をかわし、あわよくば批判意見を分断するとともに、ICRP勧告を各国に導入するうえで最も大きな政治的発言権と行政的既得権をもつ放射線関係の諸組織、あるいはこれまで『ICRPの精神』を支持してきた学会や協会、放射線関連の労働組合組織などに、依然としてICRP支持路線を採用させることにある。
 この目的からも新勧告は、現実に大量被曝している原発下請け労働者の被曝線量は引き下げないで、従来からも低い被曝線量下にある安定雇用の放射線作業従事者の被曝量を制限して、彼らの不安のみに応えようとしているのである」(『同書』p214、215)

「放射線防護基準への強い批判をかわし、あわよくば批判意見を分断する」とは実に鋭い指摘です。
事実、放射線被曝に関する視点、線量をいかに評価するのかという側面でのICRP批判の観点は、被爆者運動の中でも、反原発運動の中でも十分に深めてこれたとは言えませんでした。これは世界にも共通することがらです。
そのことがとりわけ日本では、福島原発事故以降の民衆運動の中でさまざまな矛盾を表してもいます。政府の原子力政策に批判的で、明確に民衆の側に立っている人の中にも、基本的な視点をICRP体系の上に置いて、放射線被曝を過小評価している方々がおられるからです。

このことが同時に、「福島エートス」的な動きが生じる根拠にもなっています。ICRP的な放射線被曝の過小評価のもとでは、高汚染地域の危険性を捉えることができず「そこで安心して生きていける道を探す」ことに流れやすいからです。
これらの結果、日本はチェルノブイリ事故後の旧ソ連がとった避難基準よりももっと格段に緩い基準しか適用されておらず、今なお、チェルノブイリの基準からいっても避難しなければならない地域に膨大な人々が暮らしています。
いや私たちが見ておかなければならないのは、このチェルノブイリ事故における避難基準とて、ICRPや原子力推進派自身が自身が認知した危険性からいっても、極めて緩い水準で適用されているのであって、本来、もっと厳しく人々を守らなければならないものなのだということです。

本書はすでに1990年の地点でこうした観点を私たちに提起してくれていました。今回、あらためて精読して大変先駆的な書物だと思いました。
著者の中川保雄さんは、病床の中でこの本を書かれ、1991年の出版と共に病に倒れられたのですが、彼が遺して下さった足跡は、福島原発事故の中でもがき苦しむ私たちに今、一本の大きな道筋を示してくれています。
中川さんの素晴らしい功績に心の底からの感謝を捧げつつ、次回に本書を継ぐ立場から私たちがおさえるべきものを明らかにして連載をまとめたいと思います。ポイントは矢ヶ崎さんが切り開いてきた「ICRPによる内部被曝隠しとの対決」をいかに深めていくかにあります。

続く

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明日に向けて(991)コスト・ベネフィット論-放射線防護学への金勘定の導入(ICRPの考察-5)

2014年12月08日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141208 23:30)

ICRPの考察の5回目です。

第3回目の考察で、ICRP(国際放射線防護委員会)が核実験反対運動の世界的高揚の中で、医学的に「放射線被曝はそれほど危険ではない」と言い続けることの困難性に直面し、リスク・ベネフィット論の導入に踏み切ったことを明らかにしました。
放射線被曝の影響にしきい値はないこと、どれほど少量の被曝でも体へのリスクがあることを認めた上で、「それを上回るベネフィットがあれば被曝は容認されるべきだ」という論への転換を図ったのです。
そこには医学的・科学的論争を回避し、社会的経済的要因を持ち込むことで、放射線被曝の危険性をはぐらかしていく意図があったわけですが、そのことで「放射線学」は科学から大きな逸脱を開始しました。

その後、ICRPはより非科学的な逸脱を深めていき、「リスク・ベネフィット論」を「コスト・ベネフィット論」へと「深化」していきます。
その際も大きな要因となったのは、核実験反対運動に続く、原子力発電反対運動の世界的高揚と、このもとでの原発推進の手詰まりでした。
原子力発電は1960年代以降、アメリカやイギリスを中心に建設が進んでいきましたが、70年代に入ると各地で原発事故が続発し、安全性への不信が一気に高まっていきました。

低線量被曝の危険性を明らかにした少数の先鋭な科学者たちの警告にもようやく注目が集まり始めました。
そのひとつはイギリスのアリス・スチュワート博士による放射線被曝による小児の白血病とガンに関する疫学的な研究でした。彼女がとくに注目したのは母親が妊娠中にレントゲン診断を受けた際の胎児への影響でした。
彼女は胎児期の放射線被曝により、1シーベルトどころかわずか数ミリシーベルトでも白血病はガンが発生することを明らかにしたのでした。

これに続いたのはジョン・ゴフマン、アーサー・タンプリン、アーネスト・スターングラス、ロザリー・バーテルらの博士たちでした。
とくにゴフマンとタンプリンは、マンハッタン計画を継承したアメリカ原子力委員会傘下のローレンス・リバモア国立研究所の中心的科学者で、ゴフマンは副研究所長の一人でしたが、いわば内部からの反乱として原子力推進派を批判したのでした。
二人はアメリカが当時の連邦放射線審議会の勧告した年間1.7ミリシーベルトを許容値とする被曝を続けたら国民のうち年間32000人の白血病とガンが発生することを明らかにし、許容値を10分の1にすべきたと主張しました。

こうした良心的科学者たちの追及の前に、ますます医学的に論争していては不利なことを悟った国際原子力推進派は、「社会的・経済的要因」なるものを混入させることにより、ますます問題をあいまい化させる方向に進んでいきました。
この際も、客観性を装った団体が活用されました。それが前にも触れたBEAR委員会(Biological Effects of Atomic Radiation)であり、後継組織のBEIR委員会(Biological Effects of Ionizing Radiation)でした。
両者の違いは「A」と「I」。日本語では「原爆放射線の生物学的影響委員会」と「電離放射線の生物影響に関する委員会」になりますが、そこには核実験から原発に焦点が移る中で、「原爆放射線」の安全性をめぐる問題から「電離放射線」のそれへと問題が移ったことが反映していました。

ここで大きく登場してくるのがコスト・ベネフィット論で、ICRP1965年勧告にでは放射線被曝を「経済的および社会的な考慮を計算に入れたうえ、すべての線量を容易に達成できる限り低く保つべきである」(as low as readily achievable:ALARA)とされた内容の進化がなされていました。
どう変わったのかと言うと「容易に達成できる限り」を「合理的に達成される限り」に差し替えたのです。英語では”as low as reasonably achievable”になります。readilyがreasonablyに変えられたのです。
前者は「容易に」「難なく」という意味ですが後者は「合理的に」とともに「値段がまあまあの」と言った意味あいを含みます。どちらもアラーラ(ALARA)原則と呼ばれましたが、後者で明確に「金勘定」が導入されたのでした。

BAIR委員会は1972年に『BAIR-1報告』と呼ばれるものを出しました。これを『放射線被曝の歴史』では次のようにまとめています。
 「一般の人びとの総被曝線量は、『実行可能な限り低く」と、どこまでも低減をはかるべきではない。被曝線量を下げるために要するコストが、その金額で得られる利益、ベネフィットよりも上回るなら、人々に被曝を容認させるべきである。
 その場合、ガンなど放射線の影響を被る人間がかなり出ることになるが、その発生率が他の容認されているリスクより小さくなるように、個人に対する被曝の上限値をもうける必要がある。
 このようなコストとベネフィットを比べて被曝線量をコントロールする手法はまだ確立されていないので、早急に被曝の金勘定、損得勘定のやり方を具体化すべきである」(『同書』p141、142)

 「NCRPもBAIR委員会も、生物・医学的な危険性を評価して被曝の防護基準を設定するという従来のやり方では、時代とともに基準を下げなければならない羽目に陥り、危機に陥った原子力産業を救うことはできないと考えた。
 彼らは、考え方を大胆に転換すべき時期がきたと判断した。放射線被曝の問題を、経済的な利潤の獲得の問題に従属させるべきと判断したのである。
 このコスト-ベネフィット論こそ、原発の経済的危機を救うために新たに考えだされた放射線被曝防護の哲学であり、経済学であった」(『同書』p142)

このBAIR報告を受けてICRPもコスト・ベネフィット論の導入を開始し、アラーラ原則の具体的適用方法を「最適化」と呼ぶようになりました。
原子力推進派はこの「最適化」の意味を今も被曝をできるだけ少なくするようにすることであると説明していますが、それならば「最適化」などという言い回しは使わなくても良い。
実際には被曝をできるだけ避けようとして、経済的・社会的不利益を被ってはならないというのがその趣旨なのでした。その際、被曝によって生じる損害を金勘定を変える必要があったわけですが、ICRPは損害を死亡にのみ限定し、損害賠償などで支払われる「人の命の値段」を持ちだして、計算の中に入れ込みました。

こうして進化させられたアラーラ原則を盛り込んだICRP1977年勧告が打ち出されました。そこではこれまでの「許容線量」という概念が放棄され、「線量当量」と「実効線量」という概念が持ち込まれました。
「実効線量」などというと、人体にあたる物理的な量だと誤解されますが、実際にはガンでの死亡や重篤な遺伝的障がいを恣意的な計算で見積もった値を持ち込んだものであり、科学とは言えないものでした。それが実効線量=「シーベルト」の実態なのでした。
つまりこれ以降、ICRPは、あたかも身体にあたった放射線の物理的な量を客観的に示しているように装いながら、その実、身体がダメージを受けた場合の金勘定を持ち込み、物理的な量でないものをそのものであるかのように粉飾する科学的欺瞞を行ったのでした。

以下、『放射線被曝の歴史』でICRP1977勧告の特徴が端的にまとめていますが、非常に重要なポイントなので引用します。

 「第一は、放射線被曝防護の根本的な考え方の大転換である」
 「放射線被曝を可能な限り低くするという過去の勧告にみられた表現は、1977年勧告からはすっかり消し去られた。手厚く防護すべきは、労働者や住民の生命と健康よりも原子力産業やその推進策である、と宣言したのである」

 「第二は、放射線のリスク、被曝の容認レベル、被曝の上限値について、社会・経済的観点を重視した新しい体系を打ち出した。ICRPはそれを(1)正当化、(2)最適化、(3)線量限度と呼んで、三位一体の体系として提出した」
 「放射線の人体への影響は今は過小評価に固執することができても、科学的基準に立脚する限りは、将来被害についての科学的知見が深まるとともに、やがて被曝の基準も次第に厳しくならざるをえないであろう。そのとき原子力産業は死滅する。
 そうならないようにするには、基準を科学的なものから社会的・経済的なものへと転換し、この観点から被害の容認を迫るべきである」(『同書』p154,155)

 「第三に、放射線被曝管理に公然と金勘定が持ち込まれた」
 「それを行うのは原子力産業と政府なのであるから、労働者や住民の生命の値段も安く値切られ、その安い声明を奪う方が被曝の防護に金をかけるよりも経済的とされるのである」

 「第四に、放射線被曝の金勘定、それと表裏一体の放射線の影響の過小評価は、被曝基準のいたるところに盛り込まれた」
 「あげればきりがないほど多くの点で被曝基準が緩和された」(『同書』p155,156)

 「第五に、許容線量に代えて、実行線量という新しい概念が導入された。これは新しい科学モデルを導入して、人間への計算上の被曝線量を設定するもので、『科学的操作』が複雑に行われるだけ実際の被曝量との差が入り込みやすい。それだけごまかしやすいのである」(『同書』p156)

 「第六に、原発などの放射能の危険性は、放射能自体が危険であることについては何も触れられず、他の危険性と比較して相対的な大きさの違いに矮小化されている」
 「線量当量限度被曝させられた一般人のリスクは、鉄道やバスなどの公共交通機関を利用したときの事故死のリスクと同程度だから、後者のリスクと同じように容認されるべきである、とICRPは厚かましく主張する」(『同書』p157)

 「第七に、ICRPのリスクの考え方からは、リスクを『容認』するものにはどこまでもリスクが押し付けられる。この結果、とりわけ社会的に弱い立場にある人びとに放射線の被害が転嫁されることになる」
 「それらの人びとに被曝を強制したうえに、被害が現れると、自分たちが過小評価しておいた放射線のリスク評価を用いて、『科学的』には因果関係が証明されないからその被害は放射能が原因ではない、と被害者を切り捨てる」(『同書』158、159)

 「第八に、放射線からの被害を防ぐと言うのであれば、放射線に最も弱い人を基準にして防護策を講じなければならないにもかかわらず、ICRPは逆である。基準とするのは成人で、放射線に一度敏感な胎児や赤ん坊のことはまともに評価すらされない」(『同書』p159)

ながながと引用しましたが、ICRP1977勧告の本質が非常によくまとめられていると思います。
科学の装いをまとった放射線学から露骨に金勘定を導入した「放射線学」へ。ICRPなど国際機関の主張する「放射線防護学」はここでもはや科学や学問とは言えない領域に入り込んだのだということをしっかりとおさえておく必要があります。
この点をおさえてさらにICRPの考察を続けます。

続く

 


 

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