明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(924)ヨーロッパ・トルコ訪問報告会から(京都「被爆2世3世の会」会報No22より)(下)

2014年08月31日 11時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140831 11:00)

昨日は篠山市消防団の方たちが500名集まってくださり、充実した学びの場を作ることができました。その後の会には若いお母さんたちや同年代の女性たちと子どもたちが20数名集まってくれました。
午前中の消防団の予定が変わり、丹波市に駆けつける予定が延期されたこともあって、北山消防団長さんも午後の会にも出席していただけました。
この過程を台湾のクルーたちが撮りつづけてくれました。・・・よい映画ができればと思っています。

さて今日はこれから京都大学で行われる中村哲さん講演会に出かけますが、その前に一昨日お届けしたベラルーシ・ドイツ・トルコ訪問報告の(下)をお送りします。
末尾に質疑応答の要約もついています。毎回、質疑応答の場はとても楽しい場としてあるのですが、なかなかご報告する機会をもてず、その点でもありがたいまとめです。

以下、後半部分をお読み下さい。

*****

京都「被爆2世・3世の会」会報№22 別冊 2014 年8月29日

京都「被爆2世・3世の会」
2014年8月9日(土)学習講演会 要約報告(下)

チェルノブイリと福島後の世界で問われていること ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて
講師:守田敏也さん

力強く進められるトルコの反原発運動
求められる日本の情報と国際連帯

ヨーロッパ・アクション・ウィーク
① 企画の主催母体はIBBという、「国際的な教育と交流の場を提供」する組織
② ドルトムントでのオープニングセレモニーに参加
③ 翌日からトルコに派遣されて、イスタンブール、日本の原発輸出予定地シノップ、イズミルの3つの都市を訪問。
トルコの原発問題と反原発運動
① イスタンブールの反原発集会で講演
・ トルコの全国紙でも報道され、日本人の講演に対する高い関心が払われた。
② トルコの原発と反対運動の歴史
・1955年、トルコとアメリカとの間で原子力協定締結
・しかし政情不安定と地震国であるため建設に至らず
・1986年のチェルノブイリ事故を契機に90年代反対運動が高揚
・1990年代、トルコ政府はすべての原発計画を白紙撤回、一度目は反対運動の勝利!!
・2006年、エルドァン現首相になって再び原発計画が浮上、それに対応して反原発運動も再開
③ 原発建設予定地シノップの集会に参加し講演
・シノップ県の人口は20万人、中心部4万人、2006年のデモには3,000人が参加。今年の4月26日には1万人のデモも行なわれた。
日本・トルコ原子力協定(2013年5月)の問題点
① そもそも原子力協定とは、「原発技術は提供するけれど、それを核兵器製造には使用できない」と約束するのが目的であり、基本精神
・核兵器製造のためのコア技術はウラン濃縮と使用済み核燃料の再処理
・今世界で、核兵器非保有でコア技術が認められている国は日本だけ(特別扱い)
② 日本・トルコの原子力協定には「両国が合意すれば」という条件付きながらコア技術の取り扱いができることが明示されている。
③ 潜在的な核保有国になりたいというトルコ側の強い要求からこの協定内容になった。
・紛争している国々(ウクライナ、シリア、イラク、イスラエルとパレスチナ等々)に囲まれたトルコが、核兵器開発可能な形で原発を保有すれば、この地域の一層の緊張関係を作り出すことになる。
④ 原発輸出自体許されるものではないが、更に地域に紛争の危険性をもたらす輸出は阻止しなければならない。

トルコへの原発輸出の問題点
・原子力協定では地元の反対があると実行できないことになっている。そしてトルコの地元では反対が多数派。
・為政者の遵法意識の希薄性に問題ウランの国際価格の暴落
・日本政府が原発輸出を狙うもう一つの大きな要因は、日本の原発が稼働しないことによるウランの国際価格の暴落
・アメリカの大手濃縮ウラン会社の倒産
・私たちが日本の原発再稼動を許していないことは国際的原子力ムラにかなり大きな打撃を与えていることに。

トルコへの輸出のもう一つの大きな問題
トルコ警察の野蛮性
・原発反対運動、住民運動を抑圧するトルコ警察のあまりにも野蛮な蛮行の数々
・トルコ反原発同盟(民主的な100の団体で構成)の訴え
・こんな民主主義のない国に原発なんか持ってくるな!と訴え

2014年8月シノップ(SiNOP)を再訪
・3月の訪問を機にシノップ県ゲルゼ(Gerze)町の町長による招待
・ゲルゼの町8月2日・3日の夏祭り、2日目のメインイベント・反原発集会のスピーカーとして参加
・4万人の人口で数百人の集会参加者
・若い人の参加の多いのが特徴

シノップの原発建設予定地も訪問
① 高浜、伊方と一緒!
・写真を見た日本の人たちの第一印象は、「高浜と一緒」、「伊方とそっくりだ」........
・日本でもトルコでも、一番自然条件が良くて美しい所に原発建設は狙われる。「開発から取り残されたところ」という人もいるが、「開発から守られてきたところ」に原発は作られようとする。
・自然環境の一番美しいところを壊して原発は作られる(作られようとする)、共通した問題。
② シノップ半島 点描
・牛がいっぱいに放牧
・漁業も盛ん
・周辺の川に栄養素が運ばれで稚魚が育つ
・5月~9月は漁は禁止 その間に魚が育つ
・禁漁期間は観光地、避暑地に
・小さい船しか入れない
③ 安倍首相に対して、こんなきれいなところをまた騙して壊そうとするのか、と思うと、怒りを通り越して悲しくなる。
・こんなことが本当に許されていいのか!!
地元の人たちとの交流
① シノップ県エルフェレック町長の発言がものすごく印象的
・チェルノブイリ原発の影響は間違いなくある。たくさんの人ががんで亡くなって、黒海沿岸に住む家族でがんのことを心配しない家族はいない。
・絶対原発反対だ。何としてもこの地域を守り切ってみせる!!
② 日本の「脱原発をめざす首長会議」のレターを手渡す
・日本の100人の首長(内現役は50人)が参加している会議
・トルコにもこのような首長会議を作りたい、いろいろ声をかけて働きかけていきたい、との構想が検討される。

何をなすべきか
1. 放射線防護活動の推進
・脱原発以前にこちらが優先
・すでに膨大な量の放射性物質が放出され、たくさんの人々の体を襲っているのだから
・それすらどうやって守り、影響を少なくしていくのかを社会に発信していく時にチェルノブイリ原発事故の経験から学ぶことは決定的に重要
→ 汚染実態・被害実態の把握
→ 対処方の把握(避難、保養、医療等)
→ これらを実践に生かす

2. これ以上の被ばくと環境破壊を防ぐ
① 原子力災害対策を推し進める
・原発は稼動していなくても燃料プールがある限り事故発生の可能性はある。
・日本の中で今一番危険なのは福島第一原発 ~ もう壊れている原発なのだから
・地震発生の時など、どうするのか、どう対処するのを計画しておく必要がある。
・例えば中国でも原発事故発生の可能性は高く、それに対しても備えるしかない。
・そう考えると海外旅行する時でも原発事故への注意、備えが必要で、もはや原発事故対策は現代社会を生きていく上での絶対必要課題
・そういう認識を持って原子力災害対策を具体的に考える必要がある。
・私(守田)が委員を務めている兵庫県篠山市の原子力災害対策検討委員会の経験から
・最も熱心に対策が検討されているのは消防団 ~ 真剣に考えていくと対策の実際の大変さが理解されてくる。
・今、自治会連合会や防火安全協会などにも検討が広がっている。
・原発のある社会というのは、みんなで対策を考え合わなければならない、ということを理解する。
・特に東北、関東は本当に真剣に広域の避難計画を策定しなければならない。オリンピックなんかやってるどころではないはず。
② その上で原発再稼動させないとりくみ
③ 原発輸出させないとりくみ
そのために

3. 国際的な連帯の輪を広げる
・チェルノブイリもフクシマも世界の共通課題と認識されてきたことの意味は非常に大きい
・10月にはポーランドも訪問する予定。2016年のチェルノブイリ30年、フクシマ5年を節とした大きな企画を準備していくために。
・そのために今英語を一生懸命勉強している。つたない英語でも日本側から日本の情報を発信していくことがとても大切。世界はそれを待っている。
・世界の人たちと一緒に、チェルノブイリとフクシマの経験を交換し合い、未来を作っていくことが問われている。そのためにこれからも頑張っていきたい。

質疑応答タイム(抜粋&要約)

Q/WHO総会でチェルノブイリ事故の被害報告をしようとする医師が発言を阻止される事態を描いたDVDを見たことがある。事実が歪められてしまうこのような状況は今どうなっているのか?

●潮目が変わる
・日本では今、特に東北、関東での放射能汚染が原因と思われる病気発症の激しさに、少なくない医師たちが気付き始めていると聞いている。事態の深刻さに胸を痛めている人は少なくない。
・今の状況はダムの決壊前に似ているのではないか。最初はチョロチョロだが、ある程度まで来たら一気に変わる。その予兆が大飯原発福井判決ではないかと思う。法曹界でも多くの裁判官が心を揺さぶられたのではないか。良心と正義に基づいて行動する、判断するということはアチコチで起こっているように感じる。
・政府とか官僚は別にして、日本社会の根幹は健全さが保たれている。現場現場でまっとうな考え方を持っている人達が声を上げようとしている。
・福井判決は、原子力規制庁作成の安全対策指針への全面反論でもある。規制委員長はすでに自己保全、保身に入ろうとしており、判決はボディブローのように効いている。
・私たちが頑張って声を上げ続けることで、昨日まで政府側だった人が、今日からはこちらに変わってくる、潮目が変わる、そういう大きな歴史の“時”にいるように思う。

Q/若狭原発群から30kmを超える距離の篠山市が何故積極的な原発災害対策をとろうとしているのか? その要因は?

●原発事故対策の第一原則は“逃げること”
・篠山市の積極性の要因は市長の脱原発政策スタンスが大きい。
・また原発事故時の放射性ヨウ素拡散について兵庫県がシミュレーションを公表し、県下のほとんどの市町にヨウ素が飛来することを示したことも追い風になっている。今ヨウ素剤を備蓄しているのは兵庫県では篠山市だけだが、周辺市町村から問い合わせが殺到している状況だ。
・篠山市では政府の意図に反してヨウ素剤の全戸配布を予定している。そのための全住民説明会を1年間かけて行なう。
・国の原子力災害対策指針では原発からの距離30キロ圏内の市町村が避難計画を策定することになっているが、30キロ超は安全だとする根拠はない。大飯原発差止福井地裁判決の核心は、250キロ圏まで危険だと認定したこと。
・京都市の場合議論すらされていない。行政を変えていかなければならない。
・原発事故対策はできるだけ早く逃げるのが第一原則。事故情報は待っても正確には発信されない、伝えられないもの。
→ 原発周辺の人たちにはガイガーカウンターを常時オンにしておくことを提案している。
→ 空ぶりでもいいからツイッターでもなんでも情報発信できる人はする。
→ 一人でも多くの人が逃げられるようにしよう。

Q/「美味しんぼ」鼻血問題から放射線防護学というものについて様々なことを思った。実態に基づいて科学的に対処していくべきではないか。除染効果の宣伝にも疑問に思うが?

●低線量被ばくでも鼻血は発症している
・たくさんの人が鼻血を出しているのはチェルノブイリでは常識。福島でも鼻血が出たから他府県に避難した人が多い。
・双葉町では鼻血症状も含めて疫学調査した人がいて、鼻血の平均的な発症率の4倍からの発症であったことが報告されている。
・「鼻血は高線量被ばくでしか出ない」という主張は「高線量被ばくで出る鼻血のメカニズムを語っている」だけで、それは「低線量では鼻血は出ない」という証明にはなっていない。
・問題が発生すればまず疫学調査でこそ正確な事態を把握していくべきだ。
・除染の効果・評価問題も、結局は内部被ばくの危険性が本当に重大なこととして取り扱われているどうかに基づいている。

Q/ベラルーシでは年間1ミリシーベルト以上の地域を汚染地と認定してケアしている。福島では20ミリシーベルトでも帰還をすすめられる。あまりにも大きな対応の差。そんなことを許している私たちにも問題。

●放射能被ばく、内部被ばくの危険性をどこまでも言い続けて
・最近福島から子どもたちを招いた保養キャンプに参加してきた。でもキャンプを終わればまた子どもたちを福島に帰すことになる。政府による被曝の放置は、構造的虐待と言っても過言ではない状態だ。
・このことの危険性を喚起して、大変なことが起こっているんだということを、さらに声を大きくしていかなければならない。うまずたゆまず言い続けていくことが必要だと思う。

終わり

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(923)ヨーロッパ・トルコ訪問報告会から(京都「被爆2世3世の会」会報No22より)(上)

2014年08月29日 21時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140829 21:30)

8月も押し迫ってきました。9月1日は全国的に防災への取り組みがなされますが、こうした一環として篠山市では消防団による研修会が明日8月30日に行われることになり、僕を講師として呼んでいただけました。
朝9時半より篠山市四季の森生涯学習センターでお話します。消防団と黒田地区自主防災会の方たちで500人が集まってくださるそうです。僕の講演会では過去最大の人数でありがたい限りです。
今回は土砂災害と原子力災害についてお話します。広島で非常に厳しい被害を出した土砂災害のことを調べましたので、触れるつもりです。このためここ数日、広島の災害報道のウォッチ、分析にかかりっきりでした・・・。

土砂災害は篠山市の周辺でも激しく起こっています。とくにお隣にあって消防団が連携している丹波市では死亡事故も起こってしまいました。また篠山市が防災協定を結んでいるお隣の京都府福知山市も昨年に続いて冠水被害が起こっています。
このため消防団も、防災を担当している篠山市市民生活部市民安全課の方たちも、連日のように各地に応援に走り回っています。この日も研修会が終わるや否や、団長さんが多数の隊員を引き連れて、丹波市へと応援に駆け付けるのだそうです。
僕自身は午後はもうひとつの講演会に向かいます。「子どもみらい研究会」と題されたもので、子どもと大人と一緒に原発のこと、食べ物のことを考えようという企画です。14時から篠山市並木道中央公園 茅葺古民家にてです。

されこれらの講演会に台湾からやってきている撮影クルーが参加することになりました。原発災害避難をあつかった『演習』という映画を製作している方たちで、わざわざ僕をインタビューしに日本に来てくれることになりました。
ところが篠山市消防団への講演のことを聞きつけて、ぜひ撮影したいというので消防団の方たちに了解をいただき、明日、一緒に篠山市に行くことになりました。
そのために今日、京都駅で打ち合わせをしてきましたが、監督さんは原発の避難計画をめぐるさまざまな矛盾を適格に捉えつつ、しかしそれでも災害対策は必要なのではないかと考えていて非常に意見が合いました。ぜひ積極的に映画製作に協力したいと思っています。

それやこれやで、今、頭の中は土砂災害のことと、原発災害対策のことでいっぱいなのですが、そのことのアウトプットは明日の消防団研修会の後とすることにして、今日はこの間の講演会でお話した内容についてお伝えしたいと思います。
トルコから8月7日に帰国して、すぐの9日に、京都市内で「京都被爆2世3世の会」の学習講演会で「ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて」というタイトルでお話させていただいた内容です。
これを同会の座長の平信行さんが「要約報告」という形で、会報にまとめて下さったのです。非常に精度が高い的確なまとめで、とてもありがたく感じ、転載させていただくことにしました。平さんと会のみなさまに深く感謝いたします。

なお会報には写真も載せています。PDFでもお配りできます。メルマガ配信をしている方にはメール添付でPDFファイルもお届けします。
ブログをご覧の方でご入用の方はご連絡ください。
以下、会報掲載内容をご紹介します。長くなるので2回に分けます!

*****

京都「被爆2世・3世の会」会報№22 別冊 2014 年8月29日

京都「被爆2世・3世の会」
2014年8月9日(土)学習講演会 要約報告(上)

チェルノブイリと福島後の世界で問われていること ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて
講師:守田敏也さん

今回の視察訪問の目的と日程
■2月25日~3月21日
① 国際医師協議会への参加
・日本、ドイツ、ベラルーシの医師たちを中心とした放射能被害への対応を話し合う会議。
・ジャーナリストとして会議参加を招待され、医師たちに同行してチェルノブイリ原発事故への対応の現状を視察。
② 「ヨーロッパ・アクション・ウィーク アフターフクシマ&チェルノブイリ」への参加
・「チェルノブイリとフクシマの後の未来を考えよう」という行事への参加
・福島の現状報告のためにトルコに派遣され、トルコの人たちとの交流、原発建設予定地等を視察。

■7月30日~8月3日 トルコを再訪
・シノップ県ゲルゼ町長の招きで、反原発集会において日本の現状を講演

・原発建設予定地の視察と地元の人々との交流

■ベラルーシとトルコの位置
ベラルーシ
ベラルーシ、ウクライナは元々旧ソ連の一つ
・チェルノブイリはベラルーシ・ウクライナ国境から10kmほどのウクライナ側にある。
・チェルノブイリ原発事故による放射能は北方向へ流れたため汚染はベラルーシの方がより深刻。もちろんウクライナの汚染も重大だが。・ ウクライナは今、ご存知のように国内紛争状態で悲劇的な状況にある。

トルコ
・トルコはウクライナから黒海を挟んで南側に位置する。
・チェルノブイリ原発事故によるヨーロッパ汚染地図では、「トルコはアジア」という認識と、トルコ政府が何も公表しないため、トルコにはまったく影響がなかったかのように描かれている。
しかし、実はトルコの黒海沿岸側もかなり汚染されていることが今回分った。
・この地域に住む人々は、明らかにがんの発症が多いという認識をもっている。

国際医師協議会に参加した医師たち
① ドイツの医師団
・IPPNW(核戦争防止国際医師会議)ドイツ支部の人たちが中心
② 日本の医師たち
・関西医療問題研究会から数名の医師 その他、個人で参加した医師や研究者も多数。
・日本の医師たちの中で、福島県の甲状腺がん多発は明らかに放射線被ばくのアウトブレイクだと一番はっきりと主張されている人たち。
③ ベラルーシの医師たち
・小児がん対策などしっかりとした医療実践をしていながら、その原因を原発事故による放射能被害と認め難い環境にある。
・チェルノブイリ事故による汚染を低く見せようとするベラルーシ政府の姿勢が反映。充実した医療対策を行いながら、しかし原因を原発事故による放射能汚染とは言わない国 ベラルーシ

最初の訪問地ミンスク(ベラルーシの首都)
① ミンスク市内にあるべラルド研究所を視察
・べラルーシは政府による統制が強く、医師たちが自由に発言できる環境にない。明らかに小児白血病などが多く発生し、それへの医療的対応も行なわれているのに、医師たちは原発事故が原因とはなかなか語らない。
・それに対するドイツ医師団の批判もある。
・私(守田)も意見交換の場で、福島の汚染状況について発言。日本からのこういう情報が世界の人たちからは強く求められており、真剣に聞いてもらえることを実感。
② 小児白血病対応病院(国立)の訪問
・施設は徹底した子ども目線で作られており、充実した医療環境にある。
・病院の周りには家族の住める住宅まで設置
・検査結果が出るまでの長期滞在の保障
・往復の交通費と滞在費が無料
・1戸の住宅に2家族が居住
③ ミンスクの街とベラルーシという国

・ソ連邦崩壊後も比較的ソ連時代のあり方(「社会主義」)を保とうとしている国
・ミンスクはとても「美しい」都市だが、まったく生活臭のしない不思議な街。「美しさ」の裏側ではドラッグ、麻薬が充満しており、社会的矛盾が強制力によって徹底して隠蔽されている感じ。
・孤児院も完備されているが、子どもたちは孤児院を出ると必ず刑務所に行くことになるとのこと。アルコール中毒、ドラッグの蔓延。収容されている子どもたち自身DVなど家族崩壊によって入所した子が多い。
・放射線被ばくに対応した医療は明らかに日本より充実しており、日本にはないプログラムもある。しかし社会体制はソ連崩壊後もずーっと矛盾と混乱が続いている国ではないか。
・ものすごく深刻な放射能汚染があってそれへの対応はなされているけど、それ以外の社会的矛盾が深刻に存在する国。

ゴメリの国立放射線医学人間生体研究センター
① ウクライナとの国境、チェルノブイリ原発に近い都市ゴメリを訪問
② 国立放射線医学人間生体研究センターを視察
・リクビダートル(チェルノブイリ原発事故の処理作業に従事した人々)は全員ここで無料の医療を受けることができ、リクビダートルの放射能汚染は社会的に対応されている。
・しかしベラルーシ政府の公式声明は「リクビダートルの長年に渡る追跡調査の結果、一般人とほとんど健康状態に変わりはない」というもの。
・実際は放射能汚染による病気対応をしていながら、公式声明では「事故対応はもう終わった」とされている。
・何故か?放射能汚染を過去のこととし、新たな投資を呼び込むため
・過去には深刻な汚染があって、しっかりとした対応もしてきた結果、今ではそれほどの放射能影響はもはや存在しない、とする態度。
③ ベラルーシの医師たちも基本的には政府と同じスタンス
・がんの発症と治療についての話はいくらでもするが、それが原発事故の影響だとは絶対に言わない。

第二次大戦からの歴史と経緯を背景にしたドイツの人たちの原発事故対策支援
ドイツ人医師たちの思いと行動
① デルテ・ジ―デントプフ医師(IPPNWドイツ支部の理事)の場合
・20年間ベラルーシに通いつめ支援してきた医師。そのことによる信頼関係があって今回の視察訪問も実現している。
・ベラルーシとベラルーシの医師たちを変えるために、ドイツの風、日本の風を入れたいと思っている。そのための交流。
② 過去のナチスドイツによる侵攻に対する贖罪
・ベラルーシとウクライナは、ナチスドイツがソ連侵攻で攻め入った地。(バルバロッサ作戦)
・一番激しく戦闘され、国土と人々は蹂躙され、ドイツ軍撤退の際は焦土にされた。徹底した破壊により灰燼に帰したところ。
・戦後40年、つつましくも豊かな生活がやっと取り戻された矢先、1986年チェルノブイリ原発事故が発生。こんなに悲劇が重なっていいのか!
・原発事故後、事故対策のために行なわれた道路工事で地中から大量の遺骨、ドイツ軍のヘルメットなどが出てきた。
③ こうした歴史的背景と経緯もあって、ヨーロッパにおけるチェルノブイリ対策支援の拠点としてのドイツの位置は非常に大きい。
④ 私(守田)の思い
・ドイツの人たちの話を聞いて、日本軍の中国やアジアの国々の侵攻を思い起こす。その後日本もドイツと同様メチャクチャに空襲被害を受けた。
「正義の戦争なんてない」ことをドイツ人と日本人が一番よく知っているのかもしれない。
・そのことを語って、ドイツの人たちと気持ちの交換をすることができた。
⑤ ベラルーシの病院などが無料治療できるのも、ベラルーシ政府だけの負担ではなく、ドイツ、オーストリア、ポーランドなどからも相当の財政負担があって行われていることが分った。
・歴史的背景と経緯の上にチェルノブイリ支援は行われている。

フランクフルトに帰って国際医師協議会に出席
① ドイツ、日本、ベラルーシを中心に、イギリス、アメリカ等々様々な国から医師が参加
② 多数のセッションのある中で私(守田)も発言 京都三条河原であった「原発いらない子どもデモ」のことを紹介
・日本の市民行動は海外にはほとんど伝わっていないため、ものすごく関心を持たれる。
・日本の市民行動が海外ではほとんど報道されていないことと、世界にとって日本語の壁が高過ぎて、あまりにも何も知られていない。
・どんなつたないものでは英語で情報発信することの重要性を痛感!!
・フクシマ原発事故に対して日本の民衆がどのように関わっているのかは、すごく関心を持たれている。
・私のプレゼンする写真を見て、私の話を聞いて、「とても心強く思い、心が熱くなった」との感想がたくさん寄せられた。
・ドイツでも、チェルノブイリの時、一番最初に起ち上がったのは幼い子を持つ母親たちだった。彼女たちに背中を押されて私たちも起ち上がった。(ある男性医師)
③ ドイツの医師たちの日本への思い
・ドイツの医師たちは、日本の医師たちを招き、ベラルーシにも一緒に行き、チェルノブイリの経験を知ってもらいたいと願っている。
チェルノブイリでどんなひどいことがあったのか、日本に持ち帰れば日本の民衆にも伝えられて、福島の被害を少しでも減らすことができる。それが彼らの願いであり、目的。
・チェルノブイリの本当のひどい実態を見てきた人たちが、福島の現状を見て心を痛め、「このままではひどいことになる、ベラルーシ政府の方がまだましだ。事態をなんとか変えたい」と思ってヨーロッパの会議にも招いてくれている。

続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(922)裁判所が原発事故避難と自殺の因果関係を初めて認定!東電は全面的な謝罪を!

2014年08月27日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140827 23:30)

昨日、福島地方裁判所において、原発事故で避難を余儀なくされ、3か月半後の一時帰宅時に自ら火を放って亡くなられた渡邉はま子さんの死に対して、東電に4900万円の賠償を命ずる判決が出されました。
はま子さんの悲しい死は、豊田直巳さんらが製作した映画『遺言』の中でも扱われています。はま子さん自身は遺言を残されませんでしたが、映画『遺言』のタイトルには、はま子さんの無念の思いも込められているのだと思います。
裁判は遺族であるはま子さんの夫の幹夫さんと3人の息子さんたちによって東電を相手に行われてきました。裁判所は和解も勧告したそうですが、幹夫さんたちはあくまでも東電の責任を問う判決を求めて、裁判を継続してこられました。

この判決はまったくもって当然の判決です。しかしこれまで原発問題をめぐっては、司法は当然の判決をぜんぜん出してくれませでした。その流れが、大飯原発の再稼働を禁じた「大飯判決」などから変わりだしましたが、今回も福島地裁が正義の判決を出してくれました。
裁判で勝ってもはま子さんの命は戻ってはきませんが、彼女の無念の心が少しでも癒されればと思います。また幹夫さんや息子さんたち、その周りの方がの心の傷もまた癒されていって欲しいです。
そのためにも、はま子さんを死においやった東電は、絶対に控訴などすることなく、罪を認めて謝罪すべきです。東京電力に、即刻渡邉さんたちに謝り、賠償を実行するように迫る必要があります。

その際、おさえておきたいのは、この裁判の過程で東京電力が「はま子さんの自殺に関しては個体側の脆弱性が相当程度影響していると思われる」という暴言を吐いたことです。
これは二つの観点から批判されなくてはいけない。一つには、東電自らが生み出したはま子さんの絶望的な気持ちを、はま子さん当人の「弱さ」のせいにするというとんでも責任転嫁をしたことです。加害責任を被害者のせいだとしたのですから本当に悪質です。
「個体側の脆弱性」という血が凍るような文言そのものが酷い。遺族やはま子さんの友人、知人、そしてまた私たちを何度も踏みにじるような言葉です。まさに盗人猛々しいとはこのことです。

もう一つ。人は弱かったら悪いのかという問題もここには孕まれています。裁判所が認定したように、はま子さんが精神的に苦しくなっていったのは、彼女の気質ではなく、原発事故による避難生活の過酷さです。
しかし、そうでない場合、ある方が、もともと弱い人間であって、だから避難生活で苦しくなって亡くなったのだとしても、東電は全面的に責められなければならないのです。弱い人間だから死んだのだ・・・などという発想は、全面的に間違っています。
はま子さんに対しては不当な言いがかりですが、そもそも社会には強い人間もいれば弱い人間がいるのです。というより弱さとは強さの対極であり、双方がいるのが当然なのであって、だからこそ社会は、弱い人間をこそより守って当然なのです。

これはある人がときに強く、とくに弱いことも踏まえたことがらですが、にもかかわらず「個体側の脆弱性」などと言い出すところに、弱い人間など死んでも当然だとでもいいたげな東京電力の恐ろしい価値観が表出しています。
繰り返しますが、はま子さんはもともと弱かったわけではなく、原発事故避難の過酷さが彼女を過酷に苦しめていったのでした。それを踏まえて、しかし「もともと弱い人間が衰弱したら、それは本人の責任」という論法もまったく間違っていることをここで指摘しておかなくてはなりません。
おなじような強いられた死は他にもたくさんあります。震災以降、福島で自ら命を絶たれた方の数はこれまでで54人です。その人がもともと強かろうが弱かろうが、そんなことは無関係にこのすべての死に、東電は責任を負っています。

この他、「原発関連死」という形で、避難中に亡くなった方も大勢おられます。これは「震災関連死」という概念から東京新聞などが独自に集計してきた数です。
震災関連死とは津波や地震の直接的避難では亡くならなかったものの、その後の避難の過程で衰弱するなどして亡くなった方の数です。福島県では、津波や地震の被害やあまりなく、もっぱら原発事故のために避難し亡くなられた方が多数いるわけで、東京新聞は、これを原発関連死として把握したのです。
東京新聞の集計によれば、2014年3月までに判明した原発関連死者は1048人。ただし南相馬市といわき市が震災関連死者のうち原発事故を理由とした避難者数を把握していないためこの数が入っていません。
両市の担当者は「大半が原発避難者」と話しており、これを加えると原発関連死者はなんと1500人に迫ります。つまり東京電力は少なく見積もってもすでに1500人を殺害したのです。

にもかかわらず「個体側の脆弱性」などといって責任を回避しようとしてきたのがこの非道な会社です。安倍政権はこの会社を擁護し続け、誰一人の責任も追及しようとしていない。このことに私たちは怒りの声を上げ続ける必要があります。
そのためにも、私たちは何よりも、被災者、被害者のみなさんの痛みに寄り添い、苦しみをシェアし、声を共にして歩んでいく必要があります。
今回の判決の中で私たちが心に誓うべきことはこのことだと思います。

これらの点をより深く心に刻むために、昨日の報道を参照したいと思います。
とくにNHKのニュースウォッチ9が、裁判のことを丁寧に報道してくれていたので、内容を文字起こししました。
最後までお読みください!

*****

NHKニュースウォッチ9
2014年8月26日報道

ナレーション
福島県川俣町の渡邉はま子さん。(当時58歳)
東京電力福島第一発電所の事故で避難生活を余儀なくされ、身体に火をつけて自殺しました。

それから3年が過ぎた今日(26日)、「自殺と原発事故の間には因果関係がある」、福島地方裁判所は遺族の訴えを認めて、東京電力に対し賠償を支払うよう命じる判決を言い渡しました。

渡邉はま子さんの夫 幹夫さん
「悩み苦しんできたわれわれ家族も少しは浮かばれるんじゃないかな。「あとはゆっくり休んでくれよ」とはま子に帰ったらいいたいです。

ナレーション
自殺した渡邉はま子さん。自宅で夫の幹夫さんや息子たちと暮らしていました。原発事故後、自宅のあったあった川俣町山木屋地区が計画的避難区域に指定されたことからふるさとを離れることを余儀なくされました。
福島市のアパートに避難しましたが、友人もおらず、息子たちとも離ればなれになるなか、次第にふさぎ込むようになっていきました。

渡邉幹夫さん
「あまり話をしなくなって、泣きじゃくって、どんどん落ち込んでいったように思います。」

ナレーション
原発事故からおよそ3ヶ月半後に一時帰宅した際、はま子さんは幹夫さんと離れたわずかな時間に自殺しました。遺書は残されていませんでした。
自宅の庭で野菜や花を育てるのが好きだったというはま子さん。毎日、手入れを欠かすことはありませんでした。

渡邉幹夫さん
「あんなに陽気な女房が、こんな死に方をしなくちゃなんないっていうことは、あの事故さえなければと、一番、悔やまれますね。」

ナレーション
幹夫さんと3人の息子は、「避難生活でうつ病になったのが原因だ」として、東京電力を提訴。慰謝料など9000万円あまりを支払うよう求めていました。
今日の判決で福島地方裁判所(潮見直之裁判長)は、「自殺と原発事故の間には因果関係があり、生まれ育った地で自ら死を選択した精神的苦痛は極めて大きい」として、東京電力に対して、合わせて4900万円の賠償を命じました。
自殺と原発事故の間に因果関係を認めた判決は初めてです。
判決でははま子さんが「自殺した直接のきっかけは、一時帰宅が終わって、再び避難先での生活が迫っていたことだ」と指摘しました。
その上で「安住の地となった山木屋の地に居住し続けたいと願い、そこで農作物や花を育て、働き続けることを願っていたが、このような生活の場を自らの意志によらずに突如失い、
終わりの見えない見えない避難生活を余儀なくされたことによるストレスは、耐え難いものであったことが推認される」

判決について、幹夫さんは

幹夫さん
「いちばんは「因果関係が大いにあり」、あのことばを聞いたとき、涙が止まりませんでした。ほんとうに自分たち家族にとって、寄り添った判決内容だったなと思います」

ナレーション
また弁護士は

広田次男弁護士
「このあとに引き続くであろう原発事故を原因とする賠償の裁判、これに対して先例として極めて大きな意味を持つ。このことは明らかであります。」

ナレーション
そして幹夫さんはこう訴えました。

幹夫さん
「東電側はきょうの判決文を真摯に受け止めて、謝罪してほしい、そういう思いでおります」

ナレーション
判決を受けて東京電力は「渡邉はま子さんがお亡くなりになられたことに心よりご冥福をお祈りします。今後、判決内容を精査した上で対応について検討してまいります。
判決が言い渡されたことは事実であり、引き続き、真摯に対応してまいります」とコメントしています。

キャスター
生活や仕事を失い、帰還の見通しがたたない不安を抱えつつ強いられた避難生活。判決はこのように死の間際にはま子さんが抱いたであろう絶望に、最後にあらためて言及しています。
他の被災者にも共通する精神的苦痛。自殺と原発事故の因果関係を始めて認め、賠償を命じた判決でした。

終わり 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(921)原子炉に忍び寄る脆性破壊の危険性(パブコメの若干の修正)

2014年08月24日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140824 23:30)

8月16日のびわこ123キャンプへの参加に続き、8月20日には京都で行われているゴーゴーわくわくキャンプでもお話してきました。
さらに昨日23日は岡山県赤磐市の「あかいわエコメッセ」でもお話してきました。今日24日には福島県川内村から岡山県に避難移住した大塚しょうかんさんのお話も聞いてきました。
その間に中村哲さん講演会に向けた会議に出たり、パワーポイントのカスタマイズをしたりとやることが多く、「明日に向けて」の更新が滞ってしましました。申し訳ないです。

そうこうしている間にも広島でとても深刻な土砂災害が発生してしまいました。昨年、伊豆大島で惨劇があったばかりなのに、今回はより甚大な被害が発生しています。
今、このときも大阪府周辺、また北海道などで集中豪雨が発生しており、いつどこで新たな被害が出るかも分からない状況です。早急に分析し、論じなければならないことです。
一方でイスラエルは再びガザへの攻撃を始めています。これへの抗議も続けていかなくてはなりません。

やらねばならいことが山積していますが、しかし一方でその中で民衆の側の力を強めるために、研鑽を積んで見識を高めていかなくてはならない。今日はそのために自分の発表内容の修正を行なわせていただきます。
というのは8月15日、当日締め切りの川内原発再稼働に対するパブリックコメントを作成し、送付するとともに「明日に向けて」に発表しました。
以下の内容です。

明日に向けて(916)原子力規制委員会の新基準には安全思想が欠落している。川内原発再稼働など論外だ!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/83c7270fa95886d527546fb37f50a22b

これに対して、すぐさま、京都精華大学教授で原子力市民委員会に参加している細川弘明さんより、技術的なでの間違いのご指摘を頂きました。
「基本的な考えは全く同感」と書いてくださっているので、基本線での間違いではなく、ほっともしましたが、細かい点で誤まった記述をしてしまったことをお詫びしたいと思います。
細川さんに深く感謝しつつ、訂正のための作業を行いますが、長いので2回にわけたいと思います。

まずは細川さんのコメントをご紹介します。(ご本人から承諾を受けました!)

***

守田さん、拝復、細川です。
トルコでのご活躍、すばらしいです。

ご紹介いただいたパブコメで、技術面でちょっと気になる点がありましたので、メモします。基本的な考え方は全く同感。

◇「脆弱破壊とは、疲労した金属が急激に冷やされることなどにより、ガラスが砕けるように崩壊してしまうことですが、この脆弱破壊が、」

●「脆弱破壊」 → 脆性破壊

「脆弱破壊とは、疲労した金属が急激に冷やされることなどにより」
 ── 脆性破壊は、疲労の有無にかかわらず起きます。原子炉では金属が中性子照射を受けて劣化しますが、中性子劣化するほど脆性破壊がおきやすくなる(具体的には高い温度でも割れやすくなる)ということが問題です。
脆性破壊がおきる温度を脆性遷移温度といいますが、この温度が高くなると、ECCS作動による破壊の可能性が高まりますし、さらにはECCSが作動しなくても脆性破壊がおこる恐れが出てきます。
(脆性遷移温度が基準以上に高くなると、運転できなくなり、それがすなわち原子炉の寿命となります。)


◇「炉心の溶融のもとでのECSS=緊急炉心冷却系装置の発動により、冷たい水が一気に炉内に入ることを引き金に起こってしまう可能性が沸騰水型より高い。」

●「ECSS」 → ECCS

「炉心の溶融のもとでのECSS...の発動」
 ── ECCSは炉心溶融がおきないように発動するものですから、「溶融のもとで」発動するのではなく、溶融にいたる状況(すなわち冷却材喪失 LOCA)が発生した時点で作動します。


◇「また加圧水型には、蒸気発生器という圧力容器より大きな大型の容器の中に、数千本の細い配管があり、これもよく詰まってしまっています。
つまっても少しなら構わないということで、止栓をしていますが、プラントが古くなるにつれて多くの配管が機能しなくなっており危険が増しています。」

 ── 細管は詰まるのではなく、穴があく(高温高圧と振動と中性子による脆化の複合作用)のです。そのままだと放射能がタービン系にまわって汚染してしまうし、放置すると破断するので、止栓せざるをえないのです。
止栓してしまった細管は熱交換機能を失うため、止栓が多くなるほど蒸気発生器の機能は落ち、すなわち炉心を冷却する性能が落ちます。

***

細川さんのご指摘を受けて、自分自身、「脆性破壊」のことがきちんと把握できていなかったことが分かりました。そのため「脆弱破壊」と誤字を書いてしまってもいます。
脆性破壊・・・金属が脆くなると起こりやすくなるものではありますが、細川さんが指摘されているように「疲労の有無にかかわらず起き」るものです。僕は金属疲労が重なって起こるかのように把握していました。
そこでまずは言葉を正確に定義しておこうと思います。これはそもそも金属やガラスなどの物質の破断のあり方の違いです。物質に力が加わり破壊に至るときに、塑性変形を伴ず、いきなり割れてしまう破壊です。
塑性変形とは、力が加わって物質が変形し、その力が取り除かれても元には戻らないような変形のことで、ガラスが割れるときを考えてみると、ほとんど後にまで残る変形を経ずに割れることがイメージされます。(後に残らず歪んだりするのは弾性変形)
これに対して金属だと多くの場合、まずはグニャリと形が変形していきますが、その段階で力が去ると変形がそのまま残ります。このように「塑性変形」を受けたのちに破壊に至ることを延性破壊といい、そうでないいきなりの破壊を脆性破壊と言うのです。

金属の場合、多くは「粘り気」を持っていて延性破壊を引き起こします。これに対して低温状態などでは、いきなりに割れてしまう脆性破壊が起こることがあります。金属がガラスが割れるように一気に裂けてしまうのです。
原発の場合、原子炉圧力容器が繰り返し中性子線を浴びることで劣化して、脆性破壊が起きやすくなっていきます。金属疲労は繰り返し力が加わることで金属が脆くなることですが、原子炉の場合は、力ではなく中性子線の影響で、脆性破壊の可能性が高まることが問題なのです。
実はこの点は玄海原発1号炉の危険性としてクローズアップされてきた事柄でもあります。もちろん玄海原発だけではなくて老朽原発のどれにも該当します。
この点で、2012年3月にNHKニュースウォッチ9がとても分かりやすい報道をしてくれていたのを見つけたのでご紹介します。理解を深めるために文字起こしも付け加えます。

*****

原子炉の脆性破壊:玄海原発1号炉劣化問題
NHKニュースウォッチ9 2012年3月29日
https://www.youtube.com/watch?v=ADZnRr98rQI

NHK大越健介アナ
ストレステストは原発の運転再開の前提とされてきました。しかし原発の安全性を見極める指標はそれだけではありません。老朽化もその指標の一つです。

NHK井上あさひアナ
政府は原発の運転を原則40年に制限するとし、安全性を確保できれば例外的に20年の延長を認めるとしていますが、では原発の寿命をどうやって見極めるのか。キーワードとなるのが脆性破壊という言葉です。
放射線の影響で原子炉が脆くなることで起こる現象です。この問題で今日、九州電力の玄海原発1号機について専門家の会議が開かれましたが、議論はまとまりませんでした。

ナレーション
熱湯で温めたガラスのコップ。冷たい水を入れると・・・表面に急速にヒビが。脆い物質が壊れる脆性破壊と呼ばれる現象です。
運転開始から36年が経った九州電力玄海原子力発電所1号機。予測より早く老朽化していることを示唆するデータが明らかになり、脆性破壊の危険性について専門家が議論を続けてきました。
問題となったのは核燃料が入った圧力容器。運転中の圧力容器の温度はおそよ300℃。脆性破壊のきっかけとなるのは緊急時に非常用の冷却装置を作動させたときなどです。
熱い圧力容器に冷たい水が大量に注入されると、内側は急激に冷やされます。このとき傷があるなどの条件が加わると、最悪の場合、傷が広がり、容器が破損する可能性が指摘されたのです。

報告 福本秀敬 NHK大阪
なぜそうした懸念が出てきたのか。これは圧力容器の材料に似た鋼鉄です。実験用の装置においてハンマーで強く叩きます。変形するものの、完全にはちぎれません。鋼鉄には粘り気があるからです。
しかし液体チッソにいれてマイナス190℃以下に冷やすと、今度は真っ二つに割れてしまいました。鋼鉄は冷やすと粘り気が失われ、ガラスのような脆性破壊が起きるのです。
この脆性破壊は、温度の変化だけでなく、放射線を浴びても起きやすくなります。運転中の核燃料からはさまざまな放射線が出ています。このうちとくに問題となるのは中性子線です。
中性子線を浴びると鋼鉄の性質が変わり、粘り気を失って脆くなります。その結果、高い温度でも脆性破壊が起きやすくなるのです。

義家敏正教授(京都大学原子炉実験所)
普通だったら室温あるいは0℃以下でも強い衝撃を与えても壊れないのですけれども、原発の場合は中性子が多量に材料にあたるということで、そういうことが顕著に出ます。

福本
脆性破壊は運転時間が長くなり、中性子線を浴びれば浴びるほど、より高い温度で起こりやすくなります。
このため電力会社では運転開始の前に圧力容器の中に容器と同じ材質の試験片を入れておき、定期的に取り出して調べています。これが原発の寿命を推し量る上で重要な指標となっています。
玄海原発1号機では、運転開始当時、脆性破壊が起きやすくなるとされた温度はマイナス16℃。それが運転1年後では35℃でも起きやすくなり、運転18年後では56℃になっていました。これらのデータをもとに計算したところ、34年で78度になるはずでした。
ところがこの年に実際に試験片を取りだしたところ、これより20℃高い98℃。原子炉の老朽化が予測したよりも進んでいることを示すデータでした。
98℃で安全性に問題はないのか。専門家は4か月にわたり議論しました。そして今日、原子力保安院は、試験片を原子顕微鏡で調べた結果などから、原子炉の健全性は保たれているとする報告書を取りまとめる予定でした。

原子力安全・保安院の担当者
評価した結果は、健全であるということを確認したと。

福本
その上で予測より20℃もずれていた原因として、計算方法の精度が十分ではなかった可能性を指摘しました。
ところが専門員の一人から、「予測が正確でない以上、健全かどうかの判断は慎重にすべきだ」という意見が出され、審議は継続されることになりました。

井野博満東京大学名誉教授
原子炉圧力容器の安全性を担保するのが予測式なのですね。それが合わないということになりますと、非常に危ない。事故を絶対に防ぐことが前提にならないと原発の運転はできないと思いますね。
そういう芽は極力摘むことにしなければいけない。

福本
原発の運転を続ける限り避けられない劣化。将来の安全性をどうすれば確認できるのか。まだ課題は残されたままです。

井上あさひアナ
現在、日本にある原発は54基。そのうち19基は運転開始から30年を越える古い原発です。老朽化が安全性に影響をおよぼしているかどうかを厳しく検証することは避けて通れない作業だと言えます。

***

続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(920)中村哲さんとペシャワール会の「平和力」に学ぼう!(8月31日講演会開催)

2014年08月20日 08時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140820 08:00)

8月31日に京都市にペシャワール会の中村哲医師をお招きして講演会を行います!
ピースウォーク京都が主催です。ピースウォーク京都は2001年9・11事件の直後から戦争に反対して歩き始めたグループでこの年の暮れに中村哲さんをお呼びして講演会を行いました。
僕もこの講演会の時からスタッフとして参加。以来13年間もみんなと一緒に繰り返し繰り返し平和を訴えて歩いてきました。
中村哲さん講演会も8回も開催。京都ノートルダム女子大学のシスター小久保(シスターであったのは当時)の全面的協力もあってのことでした。

中村哲さんとペシャワール会に魅せられたのは、平和を紡ぎ出す本当に見事な力があるからでした。武器を持たないで平和を作ること、いや武器を捨ててこそ、本当の平和を紡ぎ出せることを身をもって体現されてこれれました。
私たちは毎年、中村さんのお話を胸いっぱいに吸い込み、それを力に、アフガン戦争、イラク戦争、イスラエルのガザ侵攻など、戦争に反対して歩いたり、企画を開催したりしてきました。
山科在住のペシャワール会農業担当の高橋修さんにもお話を聞き、2008年8月26日にワーカーの伊藤和也さんが現地で何者かに殺害されて亡くなってしまったときには、僕と連れ合いの浅井さん、メンバーの冨家(旧姓)さんで掛川のお葬式にも駆けつけました。
大変、悲しく、辛いできごとでしたが、その中からも、中村哲さんとペシャワール会がいかにして、アフガニスタンの大地に平和の種を撒こうとしてきたのかを学んできました。

中村さんとペシャワール会は、現地の人々に水を供給してきたことで有名です。医療活動からアフガンへの関わりを始めた中村哲さんは、子どもたちが泥水を飲んでお腹を壊し、危機的な状況にいたっていくことを慨嘆。
泥水を飲んだ子どもに後から治療をするのでは「間尺に合わない」と考えられ、「まずは生きておれ、病は後で治す」と井戸を掘り始めました。1年で600本も掘るという凄さでした。
その後、井戸だけでは足りないと考えて、用水路の建設に乗り出したのですが、そのとき中村さんは、江戸時代に日本で開発されたさまざまな河川技術を調べ上げ、現地に適用しました。
なぜ江戸時代の技術なのか。一つにはそれが現代にも通用する立派な技術であること、同時にコンクリートなど、現代技術を多用しないため、壊れたときに地元の人が自分たちだけで直すことができるからです。

この工法を身に付けるために、中村さんは郷里の九州の主要な川を自ら歩かれました。とくに技術的な模範となったのは筑後川の山田堰でした。用水路への取水地点が堰ですが、ここの石の配置の仕方などがアフガンのクナール川に適用されました。
中村さんは同時に古文書も読破されました。すると堰などの技術的な面だけでなく、河川改修にまつわるさまざまな社会的困難性が記載されていました。
先にも述べたように、用水は堰をつくり、水の流れを多少せき止めて分水します。すると用水のできた側は潤いますが、反対の側には、堰を作ったことによる洪水時の越流の恐れのみができてしまいます。もちろん用水の恩恵も直接には受けない。
そのため用水を作ると、かえって地域の対立を産む面があり、このことをあらかじめ視野に入れて、用水の利益をいかに対岸にも供給するかが問われます。

江戸時代の用水路建設には、こうした面での知恵もたくさん詰まっていました。というか用水はこうした面への配慮を含めてはじめて、地域に平和と豊かさをもたらす社会的技術体系として存在してきたのです。
中村哲さんがこの技術を思想体系としても捉えてアフガ二スタンに正しく適用することができたのは、中村さんが常に平和の創造を考えられ、試みられてきたからです。
平和とは争いの種を無くすことで実現されます。そのためにはまずは飢えを凌がなくてはならない。飢えが凌げたら、病を減らさなくてはならない。そしてその次には争いの根拠を一つ一つなくしていき、平和の創造を共同事業化していくことで広がっていきます。
実際にこうして進められた用水路建設には、元ゲリラ兵士だったアフガン人の多くもが武器を捨てて参加しました。ときにはこうした方が岩盤を砕くために地雷を見つけてきて使用したことも。「地雷の平和利用です」と中村さんは笑われました。

僕もこうした話を、接待役などで何度も中村哲さんから直接伺う機会にも恵まれ、強く感化され、筑後川に赴いて山田堰周辺を踏査したことがあります。
山田堰を今も守る方たちからも話を聞けましたが、水をめぐる争いがどんなに苛烈なものだったのか、また水争いを収めるために先人がどれほど苦労をして河川改修を繰り返し、今の私たちの暮らしが作られたのかを学ぶことができました。
僕自身はそこから水をめぐる思考を発展させ、ため池の研究にも手を伸ばしていきました。僕の恩師の宇沢弘文さんが、ため池を人々が豊かな暮らしのために共有すべき「社会的共通資本」の典型と捉えていたこともあり、日本で二番目に古い香川県の満濃池にも何度か足を運び、周辺を踏査しました。
すると講演の中で、中村哲さんが「用水の次はため池です!」と話されたことがあり、身体がしびれるような感動を味わったことがあります。

現実にはその後、アフガニスタン現地で伊藤和也さんが殺害されてしまうという悲劇がおこり、大切な仲間を突然失うとともに、日本人ワーカーのほとんどが引き上げざるを得ないという苦難をペシャワール会は経てきました。
またこれに重なるように、暴れ川でもあるクナール川の洪水も続き、用水路建設が困難を極めました。しかしこの中で中村哲さんは現地の方々と命がけの改修工事を繰り返し、小規模なため池も連結させるなどして、用水路を確かなものとしてこられました。
その間にも世界は混乱を繰り返してきました。アフガニスタンもいまだに政情が安定しません。2003年、「大量破壊兵器をイラクが隠し持っているから」というまったく根拠のない理由でアメリカ軍とイギリス軍が軍事侵攻したイラクは今、内戦的な危機の中にあります。
ものすごい軍事力と大量の弾薬、それらのための巨額な軍事費をつぎ込んでも、平和などまったく作れない。むしろ争いが拡大するばかりです。中村哲さんとペシャワール会の用水路に結実している実践とアメリカの戦争の末路の対比が際立っています。

私たちがそんな中村哲さんをお招きし、ペシャワール会のその後の歩みについてお聞きしようと思い立ったのは、安倍首相が強引に集団的自衛権を閣議決定し、自衛隊をアメリカの行っている破滅的な戦争に参加させようとしているからです。
大嘘つきの安倍首相は、世界に展開している日本のNGOを守るためだとも言いましたが、中村哲さんは「自衛隊が来た方が私たちは危険です。自衛隊が来たら私は逃げます」と敢然たる批判を行われました。
全くその通り。安倍首相は中村さんをはじめ、多くのこの国の民が、第二次世界大戦の反省からつかみとった不戦の思いのもと、世界各地で積み上げてきた信頼という名の貴重な遺産を台無しにしようとしています。
亡国の首相であり、日本の戦後の平和の歩みに唾する大罪人です。この安倍政権の戦争への暴走を食い止める一助として私たちは再び、中村哲さんの言葉にみなさんと一緒に耳を傾けたいと思うのです。

どうかみなさん。8月31日の中村哲さん講演会にお集まりください。
また中村哲さんは各地で講演されていますので、お近くの会場に足をお運びください。
大阪でも京都より一足早く8月24日に開催されます。講演会情報以下に記し、ピースウォーク京都の案内を貼り付けておきます!

中村哲さん講演会スケジュール(ペシャワール会HPより)
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index_report.html

*****

ピースウォーク京都からの呼びかけ


-アフガニスタンからの報告-
中村哲さん講演会2014 ~軍事力で平和は築けない-ペシャワール会の30年~

◆8月31日(日)
◆開場13時30分 開演14時
◆資料代500円 申し込み不要
◆会場:京都大学・法経第4教室(時計台北側)
市バス 京大正門前【206、201、31系統】百万遍【17、3、203系統】

「私たちは自然さえ科学技術で制御でき、カネさえあれば豊かになれ、武力を持てば安全とする錯覚の中で暮らしています。
そして世の中は、自然から無限大に搾取できるという前提で動いています。疑いなく、ひとつの時代が終わりました。カネと暴力が支配する世界は自滅への道を歩んでいるように思われます。」
ペシャワール会報120号 2014年6月25日 ~ 中村 哲 ~

◆主催 ピースウォーク京都
連絡先 080-6159-6073  peace@pwkyoto.com  http://pwkyoto.com/

「平和への貢献」とは喧嘩に加わることでも、喧嘩の道具を輸出することでもない。暴力化する世界情勢を生き残る道は、無用に敵対をつくらず、 犠牲を減らす努力である。そしてそれこそが破局を救う現実的な国際貢献となり得るのだ」(中村哲さん 2014)

★中村哲医師は30年間にわたって、パキスタンとアフガニスタンでハンセン病医療をはじめとした医療活動を続け、2000年の大干ばつを機に、砂漠化した農地の回復のため水利事業がその活動の中心となりました。
この活動を「ペシャワール会」が支えてきました。
私たちピースウォーク京都は2001年の冬から、これまで8回の講演会を開催してきました。
集団的自衛権行使が閣議決定され、平和憲法が危機に瀕している今、再び中村哲さん講演会を開催し、中村さんとペシャワール会が紡ぎ出してきた平和の歩みに学びたいと思います。

★大干ばつと戦争、井戸を掘り食料援助を行う
2000年、大干ばつで1200万人が被災し、400万人が飢餓線上をさまよっていたアフガンで中村さんは「まずは生きておれ、病は後で治す」と、飲料水確保のための井戸掘り事業に着手。
1年間で600本の井戸を掘り、20万人の飲み水を確保したところに、2001年9・11事件が発生。アメリカは報復と称し、アフガンに大規模な空襲を始めました。
大干ばつに加えた戦争で、人々がさらに絶望的な状態に追い込まれた冬、中村さんの日本中を回った食料援助の訴えに「命の基金」1億5000万円が集まり、小麦粉と食用油が、空襲の中で直接アフガンの人々に手渡されました。

★農村復興のために用水路建設に挑戦
アフガニスタンは、人口の8割以上が農民という伝統的農業国です。
戦乱のなか、農村の復興こそが重要だと考えた中村さんは、大河、クナール川から取水して干ばつにあえぐ大地を潤すという大事業への挑戦を決意します。
2002年春からアフガン東部山村の長期的復興計画「緑の大地計画」を開始し、さらに翌年、マルワリード灌漑用水路建設が開始され、7年後に最終地点のガンベリ砂漠までの25.5Km・灌漑面積約3000haが完成しました。
この工事には日本の伝統工法が多用されました。頻発する大洪水に命がけの水路の復旧活動を経て、その有用性が実証され、更に改良を加えながら近隣の地域に次々と用水路が建設されています。
大洪水の繰り返しで困難だった安定灌漑を実現し、合計16500haの不毛の砂漠が、65万人の命を養う緑の農地によみがえりました。
かつて100%近い食糧自給率を誇ったアフガンは、現在は半分以下に自給率が落ちたと言われています。
人々が食べて働き暮らしが成り立つことが、平和への大きな力になり、農業復興のモデルを示す意義は少なくありません。
灌漑用水路建設の総額は20億円、すべてがコツコツと重ねられた寄付によります。
アメリカはアフガンに100兆円を超える軍事費を投入し、殺戮と破壊と混乱だけを残して撤退=敗退したのです。

★「戦争をしない」憲法に守られて活動
ペシャワール会30年の活動は、「現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のためにはたらく」ことを大切に継続されてきました。
アフガニスタン東部では、かつて多くの外国NGOが活動していましたが、戦乱の中ですべて撤退しました。
アメリカの戦争に加担し出兵した欧米諸国と対照的に、武器を持って戦闘しない「平和憲法」を持つ日本への親近感が失われなかったことが、現地での活動の安全を支えてきました。
武力を行使しないことが、戦乱の地で最も有効な安全の要であることをペシャワール会30年の活動が実証してきたのです。


●中村 哲 氏(略歴)
ペシャワール会現地代表。PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。1946年福岡市生まれ。
国内の診療所勤務をへて1984年パキスタン北西辺境州のペシャワールに赴任アフガン難民の診療に携わり現在に至る。
マグサイサイ賞、イーハトーブ賞など受賞。

●ピースウォーク京都は、9・11事件の直後に、戦争に反対し、平和を自分の声で訴えていきたいと歩み始めました。
以来、アフガン戦争、イラク戦争、自衛隊の派兵に反対して、繰り返し街を歩いたり様々な取り組みをしてきました。
そのなかで2001年より中村哲さんをお招きして講演会を開催してきました。

◆運営実費のカンパをお願いします。
※当日のカンパは講演会運営費を除いてペシャワール会に送らせていただきます。
〔振込口座〕
京都銀行 下鴨支店  (普)3213202 ピースウォーク京都
郵便振替 00990-1-297950  ピースウォーク京都

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(919)なんで戦争なんかするの?・・・びわこ123キャンプでこどもたちと考えた!その2

2014年08月19日 08時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140819 08:00)

8月16日に行った、滋賀県大津市石山の「フィンランド学校」で行われている「びわこ1・2・3キャンプ」でのお話の続きです。
ハイ!ハイ!といっぺんに何人も手を挙げて質問する子どもたちの、活発な姿を思い浮かべながらお読み下さい!

****

なんで戦争なんかするの?
(2014年8月16日 びわこ1・2・3キャンプでの子どもたちとの対話から)その2

女の子 「なんで日本に爆弾を落としたの?」

―日本にアメリカが爆弾を落としたのは日本とアメリカが戦争をしたためです。
戦争をしたからなんだけれども、今の質問もとても良くてね。戦争というものはもともと軍隊と軍隊がやるものです。戦争にはルールがあって、軍隊以外は殺してはいけないというのが本当はルールなの。
ところがそれが第二次世界大戦、1939年から45年まで行われた戦争で、そのルールがなくなっちゃったの。

男の子 「そのルールはアメリカが潰したんですか?」

―そのルールはアメリカが潰したのか・・・。鋭いね。子どもたちは。そのルールはね。アメリカだけが潰したのではないの。戦争しあっているとお互いに潰してしまうの。
たとえば空から爆弾を落とすことを空襲といいます。空襲をするとね、相手の軍隊だけではなくて、そこに住んでいる子どもたちや戦争に関係ない人をたくさん殺してしまいます。だから空襲はやってはいけないと本当は決まっていたの。
それを一番最初に大規模に破ったのはどこの国か。大人のみなさん知っていますか?一番最初に小さな飛行機でやったのはナチスドイツです。スペインのゲルニカの空襲です。
では一番最初に爆撃機を飛ばして空襲をやった国はどこでしょうか。

男の子 「アメリカ」

―違う!

男の子 「日本」

―ピンポン。そう、日本なんだよ。日本が中国の重慶というところに行った戦略爆撃が、世界で初めての本格的な都市空襲です。
そうすると子どもたちなどもいっぱい死んだのだよね。だから本当はそんなことはやっちゃいけないのに、相手がやるからやりかえすという具合に、どんどんどんどん人殺しがひどくなってしまったのが戦争です。

女の子 「なんでそんな倍返しばかりするんですか」

―うーん、そうなんだよ。まさにその通りで、倍返しなんかしちゃいけないの。倍返しなんかしないで、やられたことに対して、「もう武器をもってお互いやりあうのはやめましょう」といって戦争を止めるべきなんだけれども、歯止めがなくなってしまうのが戦争なんだね。

男の子 「一番初めに戦争を始めた国はどこですか」

―これはねえ、ずーっと歴史を遡っていくと、2000年、3000年前から人間って戦争をやってきたんだね。だからどこが始めたのかは言えないな。今の国ではなくてもっとずっと古いことです。
ただ言えることは、私たちは今、この地球に生きていて、人類というものの中に私たち一人一人がいるのだけれど、なんとかね、もう戦争を止める時代に向かっていきたいなあと僕は思っています。

女の子 「なんで戦争しちゃうんですか?」

―なんで戦争しちゃうんだろうね?これは本当に大事な問いだね。

男の子 「これからも戦争はあるんですか?」

―戦争は、今も、行われています。

女の子 「えー!」・・・多くの子どもたちからどよめき。
男の子 「どこで?どこで?」

―パレスチナというところ、中東というところでね、そこでイスラエルと言う国がパレスチナのガザというところに、どんどん一方的に戦争をしかけて、今、2000人ぐらいの人が殺されちゃったのかな。そういうことが起こってます。
あとはウクライナというところでも起こっているし、そういう細かい戦争はあちこちでいっぱい起こっています。

男の子 「なんで殺し合いなんかするんですか」

―なんで殺し合いなんかするんですか・・・。その通りでね。僕もなんで?と思いますね。殺し合いなんかしなくていいのに、だけれども人と人が分かりあえない中で暴力をエスカレートしていくと殺し合いになってしまうんだね。

女の子 「また日本とアメリカで戦争があるんですか」

―大人の方、これに答えを出してください!

大人 シーン

―あのね、日本とアメリカは戦争をするようには向かっていません。でもアメリカはあっちこっちに攻め込んで、あっちこっちで空襲をしています。今はアメリカはイラクというところで空襲をしています。
アメリカは日本の自衛隊にすごく協力して欲しいんです。それで今の私たちの国の首相の安倍さんは、すごく戦争が好きな人でね。アメリカに強力する方向にどんどん向かっています。
だから本当に僕なんかは一生懸命に反対しているんだよ。

女の子 「なんで謝らないんですか?」

―なんで謝らないのか。もうその通りだよね。その通りだと思います。謝ることが一番大事でね。謝って、お互いのことを思いやれば戦争なんかする必要はありません。
だけど自分の都合ばっかり言いたててね、相手の国が悪いとばかり言いたてて起こるのが戦争だよね。だからもっとお互いのことを理解するようにならなくてはいけないね。

女の子 「集団的自衛権って何ですか?」

―集団的自衛権というのは、アメリカがやられたときに、日本がアメリカに代わって仕返しをするというもの。他の国の戦争に参加するのが集団的自衛権です。
アメリカはそうやって自分の戦争に日本を引き込みたいんです。安倍さんはアメリカべったりの人なので、アメリカの戦争に日本の自衛隊を出したくてたまらないわけ。それで作ったのが集団的自衛権だね。
こんな法律は本当にあってはいけない法律です。

えー、話が前に進みません!

大人たちから笑い声

男の子 「なぜ日本はアメリカとチームを組むんですか?」

―大人の方、答えを考えてください!すごく難しいよね。
さっき言ったように、アメリカは、いやすべての国が、すべてが悪いなどということはありません。例えばアメリカは科学や医療などで素晴らしい業績もあげてきた国です。
そういうところでは一緒に協力すると、例えばガンを治していく技術や、身体を良くしていくことなども研究できるのだよね。だからいろいろな国がいろいろな国と協力することが間違いではないよね。
どういう方向で協力するのか。人間を豊かにしていくために協力するのか。そうではなくて戦争のために協力するのかによって、良い悪いが決まってしまいます。
だから協力一般が悪いのではなくて、戦争への協力はもう止めて欲しい。

女の子 「日本がこれから戦争をすることってありますか?」

―ありうるんだよ。だから僕はそれをどうしても止めたいと思います。何としても止めたいときにね、えっと僕は今、なんとか話を放射能のことに戻したいと思っているのですが(大人から笑い声)何としても戦争を止めたいと思うときに、僕は放射能の害について知って欲しいと思うのです。
放射能の害はもともとアメリカが原爆を落として、たくさんの人を殺して、その中で放射能の害なんて大したことはないんだと言ってきた、その歴史を知って欲しいわけ。
つまりさっき言ったように、アメリカはすべてが悪い国ではありません。だけれど原爆を作って落としたのはすごく悪いことです。そのアメリカの戦争に日本は絶対に付き合ってはいけないんだね。
そのことを考えるときに『はだしのゲン』を読んで欲しいし、アメリカの起こしてきた戦争について考え欲しいんです。

女の子 「なんでアメリカは反省しないのですか」

―その問いも大事だね。アメリカ人全体が反省してこなかったのではありません。アメリカの中でも反省してきた人はいます。あとたぶんね、一番、反省する力を持っているのは子どもだと思うな。
僕の友だちが、朝鮮人の女性なのだけれど、カリブの男性と結婚して数年前にアメリカに引っ越しました。彼女には前の日本人のお連れ合いとの間に子どもがいて、その子は中学校1年生でアメリカに渡りました。
そのアメリカで通い始めた学校で、第二次世界大戦に関する授業が行われたのですね。

その時、日本とアメリカが戦争に入るときに、日本軍はアメリカのハワイの真珠湾というところを突然襲いました。だまし討ちをしたのね。
そのことが授業で話されたときに、アメリカ人が日本人を差別する時に使う「ジャップ」という言葉があります。僕の友だちの娘さんは、朝鮮人でもあるのだけれども、アメリカ人の友だちに「ジャップ」と言われていじめられたのだそうです。
ところがその授業がちゃんとしていてどんどん進んで行って、アメリカが原爆を落としたこと、それだけではなくて、東京だとか大阪だとか、たくさんの町に爆弾をいっぱい落としたことがちゃんと教えられました。
そうしたら「ジャップ」と言ったアメリカの友だちが、「ごめんね」と言って泣きながら抱きついてきたのだそうです。

子どもたちが一番そうやって、悪いことは悪いと思って、謝ってくれるんだね。
そうやってお互いの国が、自分が犯した過ちをちゃんと認めてね、相手に対してちゃんと謝りあって、仲良くしていくことができれば、戦争は止められると思います。
まあ、興味はつきないとは思うけれど、戦争の話はこの辺で終わりましょう。なんとか食い止めた・・・なんて言ったらいけないですね(大人たち笑い)僕ももっとやりたいのですが・・・。

***

話はこのあと、放射能とは何かという段に移っていきました。
その内容も聞きたいと思われる方もおられると思いますが、今回はここまでで文字起こしを切ります。

これを読んでいてもお分かりのように、子どもたちは戦争とは何か、どうして戦争が起こるのかなど、真剣に考えています。
ぜひご家庭にお子さんがおられる方、身の回りにお子さんがおられる方は、こういう話をしてあげてください。してあげながら、この国の底部に浸透している平和力に触れてみてください。

ちなみに8月16日は僕の誕生日でもあって、そのことをキャンプのスタッフの方が知っていて、僕の帰り際に、子どもたち、大人たち、スタッフのみなさんで、ハッピーバースデーを大合唱してくれました!
しかもピアノの伴奏までついて・・・。人生で一番、たくさんの人に祝われた誕生日になりました(笑)子どもたち。素敵な会話と歌をありがとうございました。大人のみなさん、スタッフのみなさん。素敵な場に出していただいてありがとうございました!

以上、びわこ1・2・3キャンプでの戦争の話の報告を終わります!

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(918)なんで戦争なんかするの?・・・びわこ123キャンプでこどもたちと考えた!その1

2014年08月18日 22時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140818 22:30)

8月16日に、滋賀県大津市石山の「フィンランド学校」で行われている「びわこ1・2・3キャンプ」にお邪魔し、朝の10時から子どもたちに「食べ物と放射能の話」を。午後1時半から大人たちに「ヨーロッパとトルコへの訪問の話」をしました。
その後、福島や関東から来ているお母さんたちと話し合い、全てを終えたのは夕方の6時過ぎでした。およそ8時間話し続けていました!

8時間がまるまる印象深かったのですが、中でも面白かったのは子どもたちへの話の中で子どもたちがぽんぽんと質問の嵐を浴びせかけてくれたことです。
これは前提として子どもたちの感性が、このキャンプの中で非常に伸びやかに開いていることで可能になったものだと思います。自由な環境の中でなおかつ大切にされ、人格を尊重されたとき、子どもの感性は驚くほどの伸びを見せます。
教育とは本質的に、自ら伸び上ろうとする子どもたちの成長を助ける作業としてあることを実感させてくれる瞬間です。子どもたちには自らを育てる力が素晴らしく備わっている!

今回もそんなことを強く感じる場面がありました。僕は放射能とは何かのお話をしたのですが、そのときに必ず触れるのが原爆のことです。人類が初めて大量の放射線を浴びた経験が原爆であり、なおかつその影響を独占的に調べたのが原爆を落としたアメリカ軍だったからです。
アメリカ軍は、自らの行為の非人道性、戦争犯罪性を隠すことを戦略目的としていたため、原爆の被害を非常に過小に報告しました。そのことが今日まで、放射線の人体への影響かなり過小に見積もられることに結果しています。
ここから紐解けば、原子力村サイドと、原発反対派の中で、いや反対派の中ですら、放射線の人体への影響の評価が極端に開いてくることの理由が見えてきます。
放射線学は本質的にアメリカの軍事戦略と結びついた学問ならざる学問であり、政治と軍事に深い介入を受けてきた「学問」なのです。にもかかわらず、このことに無自覚にこの「学問」に従ってしまうと、放射線障害の過小評価の罠にはまり込んでしまうことになります。もちろん原子力村の人々は、意識的にもこの「過小評価」を守り、強化し続けています。

そのため僕は放射線のことを語るときに、原爆のことから話し始めることが多いのですが、今回、話が必然的に戦争のことへと広がるにしたがって、子どもたちからポンポンと質問が出始め、どんどん加速化していきました。
おそらくこの間の集団的自衛権をめぐる社会的紛糾をさまざまな形で耳にし、子どもたちなりに戦争のことを考えていたのでしょう。そのためかどれも鋭く本質をついてくる。というかともすれば大人が問うことを止めてしまいがちな点、そもそも「なんで戦争なんか起こるの?」という、最も大事な問いが次から次へと飛び出してきたのです。
あまりに面白かったし、子どもたちがこんなにピュアに大切なことを語ってくれていることをみなさんとシャアしたくて、文字起こしをすることにしました。

全体を通して、僕がぜひみなさんにつかみとっていただきたいのは、日本の平均的なこどもたちは、戦争をいけないことだと思っているということです。
それは彼ら彼女らを取り巻く大人たちの多くが、戦争は悪いものだと思っていることの反映でもあるでしょう。そうして僕はここに、私たちの国の中にある平和力とでも言うべきものの強い存在を感じるのです。

世界では悪を武力で倒すのは正義であり、正義のためには武装するのは当然・・・という考えがまだまだ強いです。
しかし私たちの国で育っている子どもたちは、戦争はよくないと心から思ってくれている。この子どもたちの中にある平和への確信を絶対に守っていきたいし、守っていくことは十分に可能だと僕は感じました。
一番、伝えたいのはこの点なのですが、まずはみなさんに、自由に、子どもたちの発言に耳を傾けてみて欲しいです。
以下、学習会の途中からになりますが、当日のやりとりをご紹介します。(長いので2回に分けます!)

****

なんで戦争なんかするの?
(2014年8月16日 びわこ1・2・3キャンプでの子どもたちとの対話から)

(注、前半は食べ物の話。油と糖類の多い悪い食材が出回り、世界が激太りに向かっていることを説明し、よい食材を選んで、身体を守るべきことを話してから放射能の問題に移りました・・・)

―放射能はもちろんとても危ないものです。
みなさんは、放射能をさけるためにさまざまなことをとしていると思うのだけれど、次にこの話をします。

去年の話なのだけれど、大阪の枚方というところに福島から来た中学生から、学校で「放射能を怖がるのはかっこ悪い」という言葉が流行っていると聞いて、僕はとてもショックを受けました。
「放射能を怖がるのはかっこ悪い」どころではなくて、放射能を怖がらない方がかっこ悪いです。
それでは放射能はとても危ないのに「放射能はそんなに怖がる必要はないんだ。怖がりすぎはよくないんだ」と誰が言いだしたのかというと、答えは原爆を落としたアメリカです。
みなさん、原爆って知っていますか?

子どもたち 「うん」

―いつどこに落とされたか言えますか?

女の子 「広島」

―もうひとつ

女の子 「長崎」

―そうだね。広島と長崎。それじゃあ日にちを言える人は?

男の子「8月5日と9日」

―ちょっとずれたな。先の日がずれた。

男の子「8月4日?」

―もっとずれたなあ。

8月9日長崎は正しい。広島がまだ当たっていません。

男の子「6日?」

―そう。広島が6日、長崎が9日です。世界で初めて原爆が投下された日で、これはもう二度と落ちてはならないですね。
次に見せるスライドは『はだしのゲン』です。去年も見せましたけど。

男の子「家にある!」

―家にあるの。いいねえ。みなさん。これは本当にいい漫画です。ちょっと怖いところもあるけれどね。読むのにちょっと怖いけれど、家にあったら一番いいね。
あと小学校の図書室には必ずあると思うので、必ず読んで下さい。とても良い漫画です。とても大事なことを教えてくれています。
この絵にあるように、爆発で吹き飛んだガラスがこうやって多くの人の身体に刺さってしまったんだよね。だけどもっと怖いのは、原爆の熱線と放射線で身体が焼けてしまったことで、この人がぶら下げているのは身体の皮膚なんだよね。
腕の皮膚が溶けてしまってね、指先の爪でひっかかって、こうやってぶら下がっている。

僕は肥田舜太郎さんという、こういう状況の中でたくさんの被爆者を診たお医者さんを知っているのだけれど、本当にこんな格好で前からふらふらと歩いてきてね。
肥田さんはそれがなぜなのか分からなかったのだけれど、「フラフラ歩いてきて、倒れて込んできて、それを抱き止めたのが被爆者と会った最初だったよ」と言っていました。抱き止められたその方は肥田先生の腕の中ですぐに亡くなったそうです。

この時にアメリカは二つの原爆を落としたのですね。広島と長崎。タイプの違う原爆です。なんで二つ落としたのかと言うと、二つタイプの違う原爆を作ったからとにかく落として見たかったのだね。これは完全に人体実験です。

女の子 「なぜ、実験で落としたのですか?」

男の子 「その時間帯が、一番外にいる人が多いから」

―あ、すごい。大事なことを覚えてくれていたねえ。今とても大事なことを言ってくれました。広島に原爆が落とされたのは8時15分です。(この子は昨年も参加してくれていた)
理由があります。それまでアメリカはたくさんの偵察機を飛ばして広島の写真をたくさん撮っていました。

女の子 「朝ですか、夜ですか?」

―朝です。朝の8時15分。なぜなのかというと人が一番、家から出ている時間を探したのだね。8時15分というと多くの人たちが学校や職場に通っていた時間です。朝礼もやっていた。だから人が建物の外に一番多くいた時間。
その時間を狙って、人類が新しく作った原爆が落とされた。人体、人間の身体にどんな影響を及ぼすかを調べたかったのです。そのために日本に住んでいる人を使って実験をしたの。
これは本当にやってはいけない、人類が犯してはいけない大きな罪です。大きな罪なのに、アメリカはいまだに謝っていません。これは絶対に謝らせなければいけないことです。

男の子 「なんで実験をしたかったのかなあ?」

―なんで実験をしたかったのか。そんな気持ちは僕も分からないね。そんなひどい気持ちは僕もよく分かりません。でもきっと原爆を作った人はその威力を知りたかったんだろうね。

男の子 「一番悪い国はアメリカですか?」

―「一番、悪い国はアメリカですか」という問いが来ました。大人のみなさん、答えて下さい!「一番、悪い国はアメリカですか?」重要な質問です。これへの答えを出せる人はいますか?

大人 シーン

―どうでしょうか。あのね、これはすごく答えにくい質問であると同時に、とても良い質問です。
間違いなく言えることは世界で今まで(第二次世界大戦から今日まで)一番たくさん人を殺し続けてきたのはアメリカです。だからアメリカにはとても悪いところがある。
だけれどもアメリカの中にもいろいろといいものもあるわけね。だから世界の中で、アメリカが良いものを実現していて、それよりも悪い国もあるし、だけれどアメリカほど、たくさん人を殺し続けている国はほかにありません。
だからねえ、どこが一番悪いかというように国を並べることはできないということかな。
だからアメリカがしている悪いこと、それぞれの国がしている悪いことをそれぞれで考える必要がある。日本も昔、悪いことをたくさんしたんだよ。アジアに攻め込んでたくさんの人を殺しました。

男の子 「なんでアメリカって良いことをしないの」

―いや、だからアメリカが良いことをしている面もあるんだよ。そこがすごく大事なところだね。

続く

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(917)紛争解決入門:ハマースと話せ(メデア・ベンヤミン 岡真理さん翻訳)

2014年08月16日 02時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140816 02:30)

ひさびさの夜中の投稿です。今宵だけ特別です!
昨日15日は「終戦記念日」でした。正確には「敗戦の日」と呼称すべき日ですが、ともあれ今年も戦争の悲劇を悼むさまざまな催しや報道がありました。
しかしそんな間にも、ガザの緊張は続いています。今はなんとか停戦が維持されていますが、イスラエルの全くひどい虐殺行為に「国際社会」なるものは相変わらず、まっとうな批判を行っていません。
こんなときに何も言わずにはおれない。ガザの事態に触れずに「終戦記念日」は終われないと、自分の禁を破って夜中の投稿を行うことにしました。

7月にイスラエルがガザ侵攻をはじめて以降、友人の岡真理さんが連日、パレスチナの声、パレスチナに連帯する世界の声を翻訳して発信してくれています。凄いパワーです。
僕ももっとたくさん転載、転送をしたいと思っているのですが、例えば昨日は、締め切りの迫った川内原発再稼働に対するパブリックコメントの執筆に追われていました。
トルコの旅の報告もまだ全部ができていない。そんな中で14日は軍隊「慰安婦」問題の国際メモリアルデーを迎えました。僕も京都市内でのビラまき行動で連帯しましたが、もっと論じたいのに記事にできていない。

いやそれだけではないのです。連日、不安定状態が懸念されている福島原発の今についてももっと詳しく分析し、論じる必要があるし、凍土壁失敗の問題などにも触れる必要がある。
沖縄の辺野古の攻防も紹介して、連帯していきたいし、それやこれや論じたりないことばかりです。
でも焦ってもしょうがないのですよね。そうです。僕らはやれるだけのことしかやれない。そうしてそれをやりつづけることが尊いのです。

8月10日に大津市の白雲山荘で、主に宮城県南部、丸森や筆甫から来ている子どもたちに、放射能からの身の守り方の講演をしました。
清涼飲料水の恐ろしさを述べて、マクドナルドにいっちゃいけないと話して、放射能はつぶでくるから防げ、身体に入ったものは出せといいました。
そうしたら一番前に座って、素晴らしいレスポンスを示してくれていた小学校低学年の男の子がいいました。「それで守田さんは病気になったことはないの?」
「そこなんだよね。3月に大きな病気をしてね。4月に手術をしたんだ」と言ったら、ちょっと笑いながら「えーー。なーんだあ・・・」という顔をして睨まれてしまいました!

そうなのです。放射能の被害とたたかうわれわれは、ぜひとも健康を維持していく必要があります。
「被爆者は絶対にガンで死ぬな!ガンで死ぬのは原爆に負けることだ!」と力強く訴え続けたのは肥田さんですが、まったく同じことが今も言えます。
われわれは病気にならずにいよう。病気になることは福島原発事故に負けることだ・・・と叫び続ける必要がある。

しかし一方で今なお、本当に理不尽な暴力がガザに加えられていて、とても黙って見ていることはできない。
何をしていても心が焦るし、何かをし足りない気持ちにさせられます。夏祭りや花火を楽しむこともできない。楽しんではいけななどとはまったく思っていないのですけれども、心が楽しめない。
そんな気持ちが、ゆったりと身体を休めることを拒んでしまう面もある。人には必ず「無理は禁物、休んで下さい」と言うのに、自分にだけそれを適用しないどうとも言えない矛盾の中にいたりする。

ではどうしたら良いのだろう。一番正しい答えだなどとは思えませんが、しかし今、この事態の中で学べるだけのことを学び尽くそうという以外にないように僕には思えます。
イスラエルの蛮行の国際的な目撃証人となりつつ、同時に、パレスチナ問題を一歩ずつ学び、深めていく。それを拠点に世界を彩っている暴力に関する省察を深めていく。その中で平和の創造のためのイマジネーションを強めていく。
無力かもしれないけれども、いや無力と感じることを拒否して、僕はこの中で私たちが賢くなっていく以外に歩むべき道はないと思うのです。

岡さんも何かをしないではおれないという駆り立てられる気持ちと同時に、きっとそんな思いで、まさにこの事態の中で、新しいことを学んでいるのだと思います。そうして次々と翻訳をしてくれているのだと僕には思えます。
そんな風に感じながら、連日の投稿を読み返していて、はっとする文章に行きあたったので、今宵はぜひこれを紹介したいと思いたちました。題名は「紛争解決入門:ハマースと話せ」です。
この文章の紹介の中で岡さん自身がこう書いていて、僕はなんだかとても共感したのでした。

***

第二次インティファーダの頃、(ファタハとともに)イスラエルの市街地で自爆攻撃を行っていたことが強烈に印象に残っていますので、私自身、よもや自分が、ハマースを擁護するような日が来るとは思ってもいませんでした(ハマースであれ、PFLPであれ、「殺人」を正当化するいかなる思想も私は肯定しません。当然のことながら死刑も)。
でも、この間、ハマースについて書かれたいろいろな文章を読み、これまで知らなかった多くのことを知り、この10年のあいだに、ハマースもまた変わってきているということ、そして、ハマースも当然のことながら一枚岩ではないということを知りました。私自身、目から鱗でした。

***

僕からしても、また多くの人からしても、岡さんと言えば、パレスチナ問題の第一人者であり、もっともよく実情を知っている方であるわけですが、その彼女が「目から鱗でした」と語っている。
僕はそういう瞬間こそ、イスラエル・・・というよりはアメリカを頂点とした世界暴力支配の一角を、確実に切り崩す、大事な瞬間ではないかと思えるのです。
そうです。暴力は必ず壮大な嘘の体系を伴って発動されています。嘘の体系で、どう考えたって理不尽で正義性など微塵もない暴力が肯定され、支持すら集まってしまいます。

だとすれば暴力を打ち砕くのに有効なことは、その前提にある大嘘を打ち破ることです。そのためには暴力は必要ない。必要なのは英知と人間愛です。人々と世界に対する洞察力です。
僕には新自由主義の暴走によって貧富の差を極限的に拡大している社会は、人間的洞察力を摩耗させ、人を理解しようとする努力、人に理解してもらうための営為を無化させ、世界を単純化するモメントに溢れていると思えます。ヘイトスピーチもかくして生まれています。
しかし人間社会はいつの日にももっと複雑なのです。善悪二元論では割り切れないところに私たち人間の実相はあり、それを丁寧に紐解いていこうとするとき、今は見えない解決の方向性、したがって未来の可能性が見えてくるのでもあります。

だからこそ、暴力の時代に大事なのは人間的な洞察力であり、深い思考性であり、どこまでも人を思いやろうとする気持ちです。僕はその中にこそ、暴力の時代を越えていける可能性が懐胎していると思っています。
岡さんがこのところ翻訳してくれている文章の中には、そうした知性のきらめきを感じさせてくれるものが多い。悲劇の紹介にとどまらぬ人間的英知の紹介がたくさんこもっています。
ぜひ、みなさんと一緒にそこをつかみたい。そのことでイスラエルの攻撃で、私たちの心の中まで砲撃され、殺伐となってしまうことを拒否し、まさにパレスチナの人々の苦難に心を寄せる中で、なお私たちは成長していきたい、愛を強めていきたいと思うのです。

そんな観点からぜひ、岡さんが連続的に訳出されている文章に目を通すことをお勧めします。そのための一助として今回は表題の文章を転載したいと思います。
なお岡さんはこれらの文章をMLやメルマガで配信されています。岡さんに連絡をして配信を受けることもできますので、末尾にその情報も付け加えておきます。

みなさん。共に賢くなりましょう。世界を牛耳る為政者たちが度肝を抜くほどに!

******

京都大学の岡真理です。(守田注 この文章は8月9日12時投稿です。)

すでに報道されているとおり、5日に始まった72時間の停戦は、残念ながら、双方、合意に達せず戦闘が再開しました。
数日前に投稿されたものですが、メデア・ベンヤミンの「紛争解決入門:ハマースと話せ」をご紹介します。

メデア・ベンヤミンは、「CODEPINK(コードピンク) 平和のための女性たち」の設立者の一人。コードピンクは、アメリカの資金でおこなわれる戦争や占領に反対し、平和と社会的正義を求める女性たちの運動です。
この間、すでにご紹介した記事の中でも、アイルランド紛争のことがよく、引き合いに出されています。積年の紛争が解決へと至ったのは、「テロ組織」とされていたIRAを英国政府が交渉相手として認め、直接、交渉をしたことによると。政治交渉の席につくこと、それが、紛争解決のための第一歩ということです。

以前、ご紹介したシャレットの「ハマースを理解する」では、2007年、ハマースはEU諸国の要求に従って、ファタハとの統一政府をつくったあと、ブッシュ大統領に書簡で、1967年の境界線に従ってパレスチナ国家を創り、イスラエルと長期にわたる停戦をする準備があること」を伝えていますが、この申し出は無視された、ということが紹介されていました(世界はハマース側のそうした努力に対し、ガザの完全封鎖という形で応答したのでした)。
メデア・ベンヤミンの記事でも、ハマースが2009年、キャスト・レッド作戦のあと、オバマ政権に対し、「政治交渉の席につく準備がある」と申し出たことが紹介されています。しかし、この申し出も、先の申し出同様、無視されました。
こうした事実は主流メディアでは、まったく語られませんし、主流メディアの報道によって形作られた、ハマースについての私たちの認識・イメージを大きく塗り替えるものではないでしょうか。

ハマースと言えば、第二次インティファーダの頃、(ファタハとともに)イスラエルの市街地で自爆攻撃を行っていたことが強烈に印象に残っていますので、私自身、よもや自分が、ハマースを擁護するような日が来るとは思ってもいませんでした(ハマースであれ、PFLPであれ、「殺人」を正当化するいかなる思想も私は肯定しません。当然のことながら死刑も)。
でも、この間、ハマースについて書かれたいろいろな文章を読み、これまで知らなかった多くのことを知り、この10年のあいだに、ハマースもまた変わってきているということ、そして、ハマースも当然のことながら一枚岩ではないということを知りました。私自身、目から鱗でした。

強硬派もいますが、政治部門を担っているのは、政治外交交渉によって問題を解決していこうという穏健派の人々です。しかし、政治・外交的に問題を解決したいというハマース側の努力は(7月の、ハマースによる停戦案同様)、一貫して無視されています。
そこから分かることは、主流メディアが喧伝するのとは裏腹に、政治・外交努力によって問題を恒久的に解決することを望んでいないのは、ハマースではなく、実はイスラエル側だということです。そして、ベンヤミンの記事から分かるのは、ハマース側の政治・外交努力を一貫して拒否することで、世界はハマースをより強硬路線へと追い込んでいっている構図です。

■■ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://mondoweiss.net/2014/08/conflict-resolution-hamas.html

紛争解決入門:ハマースと話せ

メデア・ベンヤミン
Mondoweiss / 2014年8月5日

世界は息を殺して結果を待っている。合衆国のジョン・ケリー国務長官が仲介する暫定的停戦が長期的停戦となるかどうかの。だが、合衆国の調停が誠実で効果的なものであろうとするなら、アメリカ政府は、ハマースをテロ組織のリストから外し、ハマースがパレスチナの正式な代表として交渉のテーブルにつくことを認めなければならない。

過去1ヶ月、ケリー長官は中東を歴訪し、暴力的事態を終わらせるための交渉に努力してきた。イスラエルのネタニヤフ首相とも現在進行形で議論を続けている。パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領とも定期的に相談している。エジプト、トルコ、カタルなど、域内で影響力のある国々の政府とも会談した。だが、調停者としての彼の努力には、ひとつ、明らかに欠けているものがある。1997年以来、合衆国のテロ組織のリストに載っているハマースと直接、話をしないことだ。

紛争解決入門は言う、「全当事者と交渉せよ」。北アイルランド問題で「聖金曜日合意」[1998年、ベルファストで、英国とアイルランドのあいだで結ばれた和平合意]を見事に仲介したジョージ・ミッチェル上院議員は、英国がアイルランド共和国軍(IRA)をテロ組織として扱うのを止め、IRAを政治組織として対応し始めて初めて、本当の交渉が可能になった、と言う。

トルコ政府も最近、この教訓を学んだ。何十年もクルディスタン労働党(PKK)と戦闘を続けたあとで、トルコのエルドガン首相はPKKをテロ組織のリストから外し、投獄されているPKKのリーダー、アブドゥッラー・オジャランと直接交渉を始めた。この動きは、和平プロセスに新たな命を吹き込んだ。

あなたが調停者になるなら、重要な当事者のひとつを、あなたが嫌いだからと言って除外してはいけない。この教訓はガザにもあてはまる。ハマースの立場について代理人を通してしか聞けないなら、ハマースはほぼ確実に、[交渉の]結果を拒否するだろう。7月15日のケリーの停戦案を見よ。それはイスラエル政府と取り決められ、ネタニヤフは、イスラエルは進んでこの提案を受け入れると自慢げに言った。

だが、ハマースは何の相談もされず、メディアを通して、「受け入れるのか、受け入れないのか」という形でつきつけられたのだ。ハマースがこれを拒否したのも不思議ではない。もと国連特別報告者のリチャード・フォークはケリーの努力を「外交版不条理劇」と呼んだ。

ハマースの軍事部門、イッズッディーン・アル=カッサーム旅団は、たしかにテロ活動に関与してきた。1990年代の自爆攻撃やイスラエルの市街地にロケットを撃ち込むなどだ。しかし、ハマースは社会福祉部門もあり、パレスチナ自治政府が提供しない社会奉仕を長いこと行ってきた。

そして、2006年に選挙で勝利すると、ハマースの政治部門は政府として機能し始めなければならなかった。安全保障だけでなく、保健省、教育省、商業省、運輸省といった、より日常的な組織も監督するようになった。ハマースのより穏健なメンバーが、しばしば、より軍事的なメンバーと対立しながら、政府機関を運営している。

2009年、1400名以上のパレスチナ人の死者をもたらしたイスラエルの恐ろしい侵攻の直後、CODEPINKはガザにいくつかの人道的代表団を派遣した。そのひとつで私は、これらハマース政府の当局者の何人かと直接、話をすることができた。彼らの方から、私たち代表団の3名と会談したいという要請があったのだ。私たちのうち2人は、ユダヤ系アメリカ人であることを公然と表明していた。

結局のところ、私たちの政府は起きたばかりの軍事作戦に資金を提供してきたのであり、私たちはそのアメリカ人であり、そしてユダヤ人なのだ。その私たちに向けられる怨恨を考えれば、会合はさぞ緊迫したものになると予想していた。ところが、私たちは、10人ほどの男性たちの集団に暖かく迎えられたばかりだけでなく、繰り返し言われたのだった、「私たちはユダヤ教とは何の問題もありません。実際のところ、ユダヤ教はイスラームと、とても近いのです。私たちの問題は、イスラエルの政策であって、ユダヤ人ではありません。」

私ははっきりと理解した。どの政治組織もそうであるように、ハマースも多様な個人で構成され、さまざまな政治的見解があるのだということを。西洋に対して敵対的で、イスラエルの破壊を強固に主張する強硬なイスラーム主義者もいれば、私たちが会った者たちのように、西洋の大学で学位をとり、欧米文化の多くの側面を評価し、イスラエルとも交渉できると信じる者たちもいるのだ。

翌日、私たちが会ったハマースのリーダーたちは、私にオバマ大統領宛ての書簡を渡して、大統領の助けが欲しいと言った。書簡にはアハメド・ユーセフ博士の署名があった。副外相で、ガザのイスマーイール・ハニーエ首相の相談役だ。書簡は、反イスラエル的レトリックとは無縁で、代わりに国際法や人権についての言及で溢れていた。

それはガザに対する封鎖の解除、すべての入植地建設の停止、そして合衆国の政策を国際法とその規範に基礎を置いた、公平さを示すものに転換することを訴えていた。書簡は、ハマースは「互いに尊重し合い、前提条件なしで」すべての当事者と進んで話す準備がある、と述べていた。当然、そこにはイスラエルも含まれる。

つい最近、残忍な攻撃にさらされたばかりの政府のこれら代表者たちが、しかも、その攻撃は大部分、合衆国の税金で賄われているというのに、オバマ大統領に対して介入してほしいと、実に筋の通った嘆願を差しだそうとしていることに私は驚いた。さらに驚いたのは、彼らがその書簡をオバマ政権に届けるために、この私に預けたことだ。フェミニストで、ユダヤ人で、アメリカ人の女に。

ワシントンDCに戻って、私はその書簡を届けたが、私が強く主張したにもかかわらず、オバマ政権は、書簡を受け取ったことを認めることさえ拒否したのだった。ましてや返事など送るはずもなかった。それは、ハマースの穏健派にとってはさらなる敗北であり、武装抵抗こそがイスラエルの譲歩を勝ち取る唯一の方法だと考える者たちの勝利だった。

2009年に私が受け取った書簡同様、先月、ハマースが申し出た対抗停戦案も、実に理を弁えたものだった。停戦の条件は以下のようなものだった。

・ガザの境界からイスラエルの戦車が撤退すること
・3人の[イスラエル人の]若者が殺された後、逮捕された囚人たちの解放
・封鎖の解除と、国境の検問所を、国連の監視のもとで、商業および人々の移動に対して開放すること
・国際的な港と空港を、国連の監視のもとで、建設すること
・国際規範に合致するよう、許可される漁協水域を拡大すること、
・工業地区の再建とガザ地区における将来の経済開発の改善

これらの条件は筋が通っているだけでなく、根底にある制度的問題にまで達する、長期にわたる停戦の基礎を形成してもいる。これが実現する唯一の方法は、ハマースを合衆国のテロ組織のリストから外すこと、そして、パレスチナ人がかくも切実に必要とし、彼らが受けるに値する制度的変化について交渉するための機会――と責任――がハマースに与えられることである。

[翻訳:岡 真理]

***

(以下、岡さんからです)
■ ML(PJ21)でガザの情報を発信しております。転送等でご覧になっているみなさま、以下にご連絡いただけましたら、MLに登録させていただきます。
PJ21kyoto@gmail.com
普段は、京大岡研究室が主催・共催するパレスチナ中東関係の企画および関連情報の案内用MLですが、今は、集中的にガザ関連の情報を発信しております。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(916)原子力規制委員会の新基準には安全思想が欠落している。川内原発再稼働など論外だ!

2014年08月15日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140815 23:30) (0904 22:00 細川さんの指摘にもとづき修正)

本日8月15日は川内原発再稼働申請をめぐるパブリックコメント募集の最終日です。
さきほどこれに合わせて原子力規制委員会に意見を提出しましたが、骨子として書いたのはそもそもの新基準そのものに安全思想が欠落しているため、いかなる原発の再稼働も論外だということです。
この見解は、後藤政志さんが繰り返し強調されている安全思想に関する提言に学んで、僕なりにまとめたものです。京都精華大学の細川弘明さんに教えていただいたことも反映しています。もちろん文責は僕個人にのみあります。
以下、パブリックコメントの全文を掲載します!ご参照ください!

*****

原子力規制委員会様

2014年8月15日
守田敏也

「九州電力株式会社川内原子力発電所1号炉及び2号炉の発電用原子炉設置変更許可申請書に関する審査書案」に対する意見をお送りさせていただきます。

まず初めにお伝えしたいのは、私はこの審査書案の前提をなす原子力規制委員会が発した新規制基準そのものに大きな誤りがあると考えているという点です。
川内原発がこの基準に合致しているか否かではなく、この新基準のよって立つ発想そのものに誤りがあるということです。
端的に言って新基準は原子力プラントを稼働を考慮する際に不可欠な安全思想を全く満たしていません。このことを強く自覚し、新基準を白紙に戻し、もう一度原発再稼働に関する基準そのものから作り直すことを強く求めます。

新基準の最も大きな特徴は「過酷事故対策」を盛り込んだことです。規制委員会はこの重要な点を「過酷事故」を「重大事故」と言い換えることであいまいにしていますが、現在は重大事故と言われている「過酷事故」とはもともと設計上の想定を超えた事故のこと。設計段階での考察を突破された状態です。
何よりも問題なのは、それでも対策を施せば安全性が確保できるという幻想のもとに新基準が作られていることで、技術論的に大きな誤りを含んでいます。そもそもすべての安全装置が突破された想定できない状態こそが過酷事故であり、その際、自動的にプラントが停止し安全が確保されることが保障されなければならないのです。

もう少し具体的に見ていきましょう。原発の設計上において安全性をもっともよく担保しているのは格納容器だと言われてきました。この容器はご存知のように通常は大した意味をなしていません。炉心が損傷する深刻な事故が起きたときに、放射能を閉じ込めるための装置として初めて積極的に働くものです。
安全思想の上から重要なのは、事故が起こるとすべてのバルブが閉まり、密閉されるように設計されていることです。このことで万が一の事態があっても、放射能を閉じ込められるということが原発の安全性を担保するとされてきたのです。
ところが福島原発事故ではこれが突破されてしまいました。水素が漏れて爆発が起こったり、格納容器の圧力が高まり、ベントなどをしたものの、数箇所で穴があいてしまいました。
となれば、本来、格納容器を作り直すことが必要です。壊れてはならないものが壊れたのですから、設計思想が崩壊したのであって、もう一度、一から設計をし直し、作り直さなくてはいけない。にもかかわらずこの本質問題を避けて、弥縫策で原発の再稼動を容認しようとしているのが新基準の発想でしかありません。

では規制委員会が新基準策定にあたって無視しているものとは何でしょうか。
まずは格納容器の抱えている構造的欠陥です。先にも述べたごとく格納容器は炉心の重大事故時に、自らを密閉して放射能を閉じ込めることを最大の任務とした装置です。
ところが炉心の加熱への対処のためには、水をどんどん投入しなければなりません。全てのバルブを閉めて密閉性を確保しながら、それとは反対にバルブを開けてどんどん外から水を入れなくてはならない。ここにもともと格納容器が、密閉性を実現できない構造的欠陥があります。

さらに問題なのは中で温度があがり、ガスが発生して圧力が上がると容器が崩壊の危機に立つことが設計後にわかったため、後づけで「ベント」が取り付けられてきたことです。放射能を閉じ込めるための容器が、自らを守るために放射能を抜く装置を持っている。致命的な欠陥です。
しかもベントは非常用のバルブを開けることで初めて成立する。しかしこのように非常時に何かをの作動させてはじめて危機が回避されるという点にも、安全思想上、大きな問題があります。その機器が壊れて動かなければ安全性が破綻してしまうことになるからです。実際、福島原発2号機のベントのバルブは固着してうまく開きませんでした。
もう一点、ベントで放出される放射能を漉しとるためにフィルターをつけるとされていますが、たくさんの放出物が出てくれば、フィルターが抜けてしまう可能性があります。これまた確実に放射能を漉しとることなど保障されない装置でしかないのです。

安全性の確保は、機会が壊れたときにどうなるようになっているかにかかっています。壊れたときに安全装置を起動させるようにしていると、その安全装置の故障というリスクをかかえることになるからです。ベントのバルブが固着して開かなかったことなど、最たる例です。
これの反対にはどのようなものがあるか。例えば鉄道の貨物列車などでは長く連結した車両のブレーキをエアでつないでいます。そしてブレーキペダルを踏むと、エアがかかってブレーキが効く・・・のではなく、反対にエアがかかっている状態ではブレーキが解除されており、ペダルを踏むとエアが切れてブレーキがかかるようになっているのです。
そうすると何らかの故障にみまわれてエアが止まってしまったときにも自然にブレーキがかかることになる。安全装置が故障すると列車が止まるように設計されているのです。壊れたときには安全に止まるように設計されているわけですが、これまでの原発にはこうした仕組みがありません。つまり安全設計になっていないのです。

この安全性を完全に担保されないまま「最後の砦」とされている格納容器における新基準のあやまりがもうひとつあります。加圧水型の格納容疑は沸騰水型より安全だとして非常時用のベントの設置を5年先まで猶予していることです。
ここには二つの誤りがあります。一つは安全性の考え方に確率をしのばせる発想が再び色濃く出ていることです。ベントはなぜつけるのか。ある確率で、格納容器が壊れうるということが認識されたからです。しかし規制委員会は「確率が低いから5年は猶予する」としています。
しかし福島原発事故で破綻したものこそこうした確率論的な考え方なのでした。どんなに小さいものでも、事故の確率があるものは、いつかは必ず起こるのです。だからベントをつけることが検討されているわけですが、その際、明日事故になる確率とて厳然として存在しているのです。
にもかかわらず、確率が非常に小さいからないことと同じだという考え方にこれまでの原子力政策は支配され、福島原発事故を未然に防げませんでした。その小さい確率のものが、すでに、スリーマイル島、チェルノブイリと続けて起こったいたにもかかわらずです。

そのため、福島原発事故の教訓としておさえるべきことは、どれほど小さく計算された確率であろうと、起こりうる事態、最悪の事態を想定し、そのリスクを負ってまで発電を行う必要があるかどうかを社会的に論議すべきだという点です。
むろんあらゆる技術で「絶対安全」という領域はありえません。だからこそ起こりうる事態は許容しうるものかどうかを社会的に決しなければならないのです。それから考えたとき、いまや「過酷事故」がどこかで起こる可能性は十分にあることを前提にすべては考察されるべきなのです。
にもかかわらず5年もの猶予を与えるのは、再び事故の確率が小さいことをもって、5年間は事故がおきないとみなしていることになります。この発想そのものが福島事故で完全に破産したことが踏まえられていません。

さらに加圧水型の方が安全なのかといえば、けしてそのようなことは言えない点も見落されています。何が無視されているのかと言えば、一つは加圧水型は沸騰水型に比べて、水素爆発の可能性が高い点です。
沸騰水型は、燃料が加熱して燃料ペレットを覆っているジルコニウムが溶けると水素が発生し、水素爆発の危険性が生じるため、内部を窒素で満たしてます。このことで水素と酸素が危険な比率となり、大爆発にいたってしまうことを避けています。
ところが加圧水型はこの窒素封入がされていません。このため同じように起こりうる水素の発生に脆弱です。もちろん水素の除去装置がありますが、水素を燃やしてしまう設計で、それ自身が危険です。この装置が故障して、水素がたまり、爆発の可能性が高い混合比になったときに装置が回復し、発火したらむしろ自爆装置になってしまうからです。

さらに加圧水型は、その名のごとく内部を加圧しています。炉内をまわる冷却水の沸点を上げ、水蒸気にならずに循環させているためですが、この圧力に耐えるために、原子炉圧力容器の鉄材が沸騰水型より厚く作られています。
その方が圧力には強いですが、一方で脆性破壊には弱い構造を持っています。脆性破壊とは、金属がガラスが砕けるように崩壊してしまうことで、低温でおきやすいものですが、炉内での中性子線の照射によって金属が劣化すると、脆性破壊が起きうる温度もあがっていきます。このため炉心の溶融を防ぐためにECCS=緊急炉心冷却系装置が発動して冷たい水が一気に炉内に入ることを引き金に起こってしまう可能性や、ECCSが作動せずとも、脆性破壊に至ってしまう可能性が沸騰水型より高い。
この他、加圧水型圧力容器には上蓋に制御棒を入れる穴が全面にあるため欠陥が生じやすいという弱点もあります。最近、ヨーロッパ(ベルギー)で加圧水型圧力容器の上蓋に大量の亀裂が発見されています。
また加圧水型には、蒸気発生器という圧力容器より大きな大型の容器の中に、数千本の細い配管があり、これによくピンホールが生じています。放置すると危険なためとりあえずの止栓がなされています。しかし止栓してしまった細管は熱交換機能を失うため、止栓が多くなるほど蒸気発生器の機能は落ち、すなわち炉心を冷却する性能が落ちます。
このように水素爆発の可能性を見ても脆性破壊の可能性を見ても、あるいは上蓋の亀裂や蒸気発生器の故障などを見ても、加圧水型には沸騰水型にはない危険性があるのです。にもかかわらず加圧水型の方が安全だとして5年の猶予を設けているわけですが、まったく間違った見解です。

以上、新基準のあやまりを幾つかにまとめます。
第一に過酷事故を前提としていることです。あくまでも過酷事故など起こすことのない原発を求めるべきで、それをこそ新基準とすべきです。結局それは技術的に不可能だと私自身は考えていますが、原子力規制委員会としては、少なくとも過酷事故が構造上ありえない原発の設計こそ事業者に求めるべきです。
第二に安全思想を大きく逸脱していることです。安全装置が故障のときに必然的にプラントの停止を招くように設計されておらず、何らかの装置が稼動しないと危機を脱しえない構造になっています。これでは安全性を担保する事故対策になってはいません。
第三に格納容器を放射能漏れを防ぐ最後の砦とし、機密性を守ることを至上命題としながら、内部が加熱すると外部から水を導入せざるをえず、もともと機密性が確保できない構造になっている点が越えられていないことです。
第四に内部の圧力が上がった場合に、放射能を閉じ込めるための格納容器を守るために、放射能を放出するベントというまったく矛盾した「安全装置」をかかえていることです。
第五にそのベントも自然に作動するのではなく、バルブの開閉を行わなければならず、この装置が故障して働かない可能性を持っていることです。またバルブを開閉するという人間の動作が加わらざるを得ないことにも危険性が伴います。
第六に放射能を外に出すために、フィルタをつけるとしていますが、出力が高ければフィルターが抜けてしまう可能性がありながら、その点がまったく考慮されていない点です。これでは放射能放出の低減すら保障されません。
第七に事故を確率論的に考え、「確率が非常に小さければ事故は起こりえないと考えて良い」としてきた発想を継承していることです。こうした考えの顕著な現れとして、加圧水型格納容器のベント設置に5年も猶予を与えてしまっています。
第八にその加圧水型格納容器が、窒素封入がしてある沸騰水型格納容器よりも、水素対策に危険性が高いことを無視しています。
第九に加圧水型圧力容器も、脆性破壊の危険性、上蓋には制御棒を入れる穴が全面にあるため欠陥が発生しやすいことも無視されています。
第十にさらに加圧水型原子炉には、蒸気発生器の故障という沸騰水型原子炉にはない欠陥もありますが、それも無視されています。

これらから新基準のもとでの運転は、たとえそこに書かれた条件をすべて満たしたとしてもあまりに危険なものです。過酷事故になった場合に、対処するとしている装置がそのとおりに動作する保障も何もありません。
そもそも想定を超えた事故ですから、あらかじめ設置した機器が抑止になるような形で事故が発展する可能性も薄く、何ら対処法のない事態が発生する可能性も十分にあります。だからこそ現行の基準のもとでの再稼動には、安全性がまったく確保されておらず、けして認められてはなりません。

さらに他にも重要な点があります。二つほどあげますが、一つにこうした再稼動の動きが福島原発事故の責任追及があいまいなままに行われようとしていることです。それは東電と政府への責任追求を後景化させるとともに、福島原発事故の被害そのものを小さく評価することにもつながります。
今も進行中の被曝がより過小評価され、健康被害の拡大に歯止めがかからなくなるとともに、福島原発の現状の危険性も過小評価され、危機管理が甘くなり、事故の破滅的な深刻化の可能性を作り出してしまいます。この点からも新基準はまったく過った発想に立脚していると言わざるを得ません。
また新基準は事故が起こった際の周辺自治体の避難計画の策定に関する評価を全く欠落させています。しかし過酷事故、あるいは重大事故を前提とするのであれば、避難対策は事故対策と両輪として進められるべきことで、安全対策のもう一つの大きな柱ですらあります。これにまったく言及しないのは、原子力規制委員会が周辺住民の命と財産に対する規制当局としての責任を放棄しているに等しいと言わざるを得えずまったく間違っています。
これらから原子力規制委員会は、原発再稼働への可否を審査する新基準そのものを今一度、安全思想に立ち戻って検討し直すべきです。

原子力規制委員会の判断に、この国の民のみならず、世界中の人々の生命・財産、そして未来への希望がかかっていること、いや、地球上の生命すべての未来がかかっていることを十二分に自覚し、誠実な判断をくだされることを求めます。

意見は以上です。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(915)シノップ原発反対を掲げ黒海の荒波を手漕ぎボートで乗りきる!(フセインさん)

2014年08月14日 16時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140814 16:30)

表題の企画がトルコの黒海沿岸東部の町、ホパ市から8月3日に始まっています。漕ぎ手はフセインさん。なんと1500キロを手漕ぎボートで乗り切ろうという大胆な計画です。
8月10日には大統領選挙参加のため、いったん船を係留し、車でイスタンブールを往復されたようですが、今また一路、西へ西へと航行中です。
ボートは黒海沿岸の西まで来てからボスポラス海峡に入り、一路南下してオルタユユを目指します。みなさん、ぜひご注目ください!

航路の途中にシノップがあります。沿岸を通るのでゲルゼの沖合も通ります。
シノップはとても美しい町です。最近のトルコ内の調査で、そこに暮らすことの満足度が国内で1番になったそうです。黒海からいつも爽やかな風が吹いてきていて、木陰に入るとどこでも涼しい。本当に気持ちのいいところです。
だからここはトルコの方たちのリゾート地。避暑地として賑わっています。海辺にたくさんのホテルやレストランが並んでいます。

問題の原発建設予定地は、中心街から車で10分ほどの距離にある半島にあります。近くに海水浴場があり、やはりリゾートホテルが点在しています。同時に漁業の拠点でもあり、比較的小さな漁船がひしめいています。入江は深く掘り下げられておらず、大きな船は入れない。それでこそ持続可能な漁が続けられてきたのでしょう。
ただしそれも秋から春までのこと。半島には流れ込んでくる川が豊富な栄養素を運んでくるため、稚魚が育つ絶好の場にもなっています。そのため5月から9月までは漁は禁止。漁民の方たちはその間、観光業に精を出すのでしょう。
周辺は広大な放牧地でもあります。あちこちで自分で大地を歩んでのんびりと草を食んでいる牛たちに出会います。漁業と牧畜などの農業、そして観光、これだけでシノップは十分に豊かに潤っているように見えます。

ところが今回、この地域を訪れてあらためて知ったのは、チェルノブイリ原発事故の深い影響があったことでした。
3月に初めてトルコを訪れたときから、プナールさんに、黒海沿岸の町々にはチェルノブイリ事故の影響によるがんの死者が多い。有名な歌手の一人が自らの被曝を訴えていたがガンで亡くなったという話を聞いていました。
今回はシノップの海岸線より少し内陸に入り、美しい渓流とたくさんの滝を持つエルフレックという町も訪れましたが、その町のメイヤーさんもこうおっしゃっていました。

「黒海沿岸にはチェルノブイリ原発事故の影響がはっきりとあります。この地域で、がんになることを恐れないでいられる家族などいないのです。だから私は人々と環境を守るために原発に絶対に反対なのです」・・・。
そうなのです。美しいシノップをはじめ、黒海沿岸の町々は、すでにチェルノブイリ原発事故で残酷な被曝の影響を受けたのです。多くの悲しみが生まれたのです。
だからこそ、人々はもう原発事故はごめんだとシノップへの原発建設に反対している。トルコ政府が事故の影響を認めておらず、公式調査もないのでデータはありませんが、しかし僕は人々の実感こそ有力な証拠だと思います。

この美しいけれども、チェルノブイリ原発事故の悲しい痛みの跡も残る黒海の沿岸を、フセインさんは、ゆっくりゆっくり手漕ぎで西に移動中です。
シノップの沖合は波が激しいところでもあり、途中、何か所か難所も通過するのではないかと思われます。大冒険です。大冒険をしながらの懸命の訴えです。
みなさん、どうかご注目ください!トルコの友人知人にもお知らせください!

プロジェクトをプロモートしてくれているプナールさんが、フセインさんが漕ぎ出す前、7月29日に書いた記事を末尾にご紹介しておきます。
本当はもっと早くこの場で紹介したかったのですが・・・。なお記事の日本語は守田が若干の校正をさせていただきました。

FACEBOOKで紹介した記事も記しておきます!

これで黒海を航海!(フセインさんのボート)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10152574425439534&set=pcb.10152574426964534&type=1&theater

フセインさん、プナールさんとスリーショット!
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10152574553994534&set=a.10150758843444534.462464.604259533&type=1&theater

*****

原発のないトルコのために黒海を1500キロ、ローイングする

原発建設計画に注目を集めるために黒海に漕ぎ出す!(フセインさん)
1999年を始め、国内外でのプロジェクト何回も完成させてきたフセインさんが、今回は Nukleersiz.org とYesil Dusunce Dernegi(YDD)という反原発組織のサッポートを受け、市民の力も頂いて黒海を1500キロをエンジンや帆もなしにローイングします。
このリンクをクリックしてプロジェクトのサッポートが可能です。
http://www.fonlabeni.com/proje/detay/1763/nukleersiz-turkiye-icin-kurekle-karadeniz
寄付がしたくない方はニュースとしてこのプロジェクトを広めてください。

トルコや全世界の未来に深刻な影響を与える原発に反対する私たちの運動のシンボルとして、フセインさんは8月3日にホパ市で記者会見してから漕ぎ出す予定です。
ホパ市はチェルノブイリ原発事故による放射能の影響で、ガンになって亡くなってしまった有名だったトルコ歌手、カジムコユンクさんの故郷でもあります。
このプロジェクトの目的は黒海沿岸の市民の皆さんの反原発意識を高めることです。プロジェクトはイスタンブール・ボスポラス海峡の人気の町、オルタコユで再び記者会見を行い、完結します。
2ヶ月かかるプロジェクトのために、海の荒い黒海が一番落ち着いている時期が選ばれました。黒海は東から西に激しく潮流が流れているので、それに沿うように、フセインさんはホパ市からプロジェクトを始めます。
そのためにボートを友人の車でイスタンブール市からホパ市へ移動させる予定です。
しかし8月10日には大統領選挙があります、トルコで初めて国民が行う大統領選挙です。フセインさんはこの時、ボートを黒海に残し、友人の車で一旦イスタンブールに戻ります、選挙の投票後に飛行機でボートのところに戻ります。
予算は宿泊も含めて2500TL、 つまり1200USDです。日本円では120000円ぐらいになると思われます。
先ほど挙げた団体以外に、反原発の志のある多くの方の力でプロジェクトが行われれば反原発行動として素晴らしい成果をあげることになります。
原発なしの未来のために、あなたも黒海ローイングをサポートしてください!

問い合わせ先
プナール demipinar@yahoo.com

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする