明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(370)海は果てしなくつながっている。(岩手の船が兵庫県沖に)

2011年12月31日 23時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111231 23:00)

目立たない記事ですが、非常に重要だと思われるので紹介します。311のときに
岩手県大槌町の吉里吉里漁港に係留されていた小型船が、兵庫県の日本海沖で
見つけられ、香住漁港にえい航されたという記事です。日本海を南から北に流れ
る対馬暖流を考えると、なぜだかわからないと記事に書かれていますが、この
ことは反対に私たちが、海の流れを細部にわたっては理解できていないことを
示しているといえるのではないでしょうか。

実際には、岩手県大槌沖にあった船が、どこを通ったかはわからないものの、
兵庫県の日本海側にまで流れていくことがあったのです。だとすれば魚はどうな
るのか、あるいはもっとも懸念される放射性物質はどうなるのか。福島原発から
三陸沖に流れ、さらに同じように、いつしか日本海側に回るということも十分に
ありうるのではないか。大槌町にあったこの船は、そのことを私たちに告げて
くれているのではないかと思えます。

これに対しては、とにかく測ること、各地での測定を密にして、長期にわたって
モニタリングをしていくしかありません。今も福島原発からは、大量のストロン
チウムなどが海に流れこんでいます。それらは非常に長期にわたって、各地に
運ばれ、私たちの思いもしないところからも現れてくるでしょう。

そのためにも必要なのは、各地に市民放射線測定室を立ち上げていくことです。
市民的力を集めていく必要があります。同時に、こうしたことを行政に要請し
私たちの税金で、より精度の高い測定器を購入していくことが大事です。すで
にこうしたことに成功している各地の経験を交流しあって、全国で測定体制
の強化を実現していきましょう。

市民の力で、放射線防護を強めよう!

*************

東日本大震災:岩手で流された船 兵庫の日本海沖で発見
毎日新聞 2011年12月31日 19時51分(最終更新 12月31日 19時55分)

31日午前10時40分ごろ、兵庫県香美町香住区余部沖北西約1.2キロの日
本海で、無人の小型船が漂流しているのを漁船が発見。香住海上保安署の巡視艇
が近くの香住漁港東港までえい航した。

同署によると、小型船は3月の東日本大震災の時は岩手県大槌町の吉里吉里(き
りきり)漁港に係留されており、津波で流された遊漁船「第3長栄丸」(長さ約
6メートル)。所有者で同町の会社員、野崎長一さんは津波で63歳で亡くなっ
ている。

長一さんの兄で同町議の重太さん(68)は毎日新聞の取材に「弟が趣味の釣り
に使っていた船。吉里吉里漁港の船が(津波で流され)北海道で見つかった話は
よく聞くが、山陰で見つかったのは驚いた」と話した。

太平洋の黒潮、日本海の対馬暖流は年間を通じて南から北に流れており、同署は
「韓国や九州から山陰に漂流物が流れ着くことは多いが、東北の太平洋岸からな
ぜ(船が)流れ着いたかは分からない」としている。【皆木成実】
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120101k0000m040035000c.html


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明日に向けて(369)かく米軍は原発事故処理に関与した・・・その1

2011年12月31日 22時10分57秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111231 22:00)

年末の大詰めに、毎日新聞より非常に重要な検証記事が出ました。「検証・大
震災:トモダチ作戦 米のアジア太平洋戦略、鮮明」というタイトルです。ア
メリカの福島原発事故以降の関与が詳細にわたって検証されており、検討すべ
き余地の非常に大きな記事です。長いものですが、重要性が高いので、末尾に
全文を貼り付けます。

内容が多岐にわたっているため、とても1回で分析しきれないので、何回かに
わけることにしますが、何よりも重要なポイントとしておさえておきたいのは、
原発事故の当初より、アメリカが首相官邸の内部にまで入り込み、事故収束に
むけて指揮をとってきた事実が、鮮明にレポートされている点です。これまで
僕は、「冷温停止宣言」をはじめとした現在の事故処理の背後に、アメリカの
非常に強い関与があること、その媒介をなしているのが細野大臣であることを
指摘してきましたが、その有力な裏づけであるともいえます。

この点を記事から抜粋していくと、事故直後にこのようなやりとりがあったこ
とが紹介されています。

「だが複数の日本政府関係者によると、ルース大使の懸念は、爆発事故を起こし
た原発の現状がさっぱりわからないところにあった。14日深夜、大使は再び
枝野長官に電話で「わが国の原子力専門家を首相官邸に常駐させたい。意思決定
の近くに置きたい」と申し出た。同盟関係とはいえ、機密情報があふれ、厳しい
政策判断を次々と迫られる官邸中枢部に入り込まれることに抵抗感を覚えた枝野
氏は「難しい」といったんは断った。」

アメリカは14日にすでに首相官邸に「原子力専門家の常駐」を要請していたわけ
です。日本側は躊躇の末にこれを受け入れていきます。

「菅首相や枝野長官は協議の末、NRCの担当者らが官邸内の危機管理センター
横の原子力安全・保安院や東電担当者が詰める「連絡室」に16日から常駐する
ことを認めた。

しかし、大使の懸念は消えず、北沢俊美防衛相とのパイプを頼って情報不足の解
消を求めた。北沢氏はNRCの担当者を防衛省に呼び、経産省や東電の担当者ら
との情報交換の場を設置。会議は計4回に及んだ。

一方、防衛政務官を経験し、太い対米人脈を持つ長島昭久民主党衆院議員は18
日午後、福山哲郎官房副長官、細野補佐官とともにルース大使と東京都内のホテ
ルで会談した。」

NRCとはアメリカ原子力規制委員会のこと。その担当者が、事故後5日目の16日に
はもう官邸の中に入っています。さらに防衛省が間に入ってパイプが強化されて
います。防衛省は、日米共同訓練の開催などを通じて、常時、米軍ともっとも
近いところにある官庁です。さらにその防衛政務官を経験した民主党の長島昭久
衆院議員を中心に、福山哲郎官房副長官、細野補佐官が、ルース大使との会談に
同席しています。ここで日米の協力の名の下の、アメリカによるコントロール
体制が作られていったと言えます。この会合は次のように発展します。

「大震災発生から11日後の22日、官邸横にある内閣府ビルの一室で日米政策
調整会議の初会合が開かれた。統括役の福山副長官は「この協議で出なかった話
が、他の場で出ることはあり得ない」と表明した。

日本側からは福山副長官のほか、官邸の細野補佐官と伊藤哲朗内閣危機管理監、
防衛省、外務省、経産省、原子力安全・保安院、資源エネルギー庁、文部科学省、
厚生労働省などの局長クラス、東電の武藤栄副社長らが参加。米側はムワルト
駐日公使、在日米軍副司令官、NRCやエネルギー省担当者が参加した。」

注目すべきこととして22日の会合に在日米軍副司令官が参加してることです。
ちなみにNRCは、アメリカにおいて原子力エネルギー問題および原子力安全
に関する監督業務をになっており、エネルギー省は核兵器と原子力利用促進に
冠する監督業務を担っています。在日米軍は米軍総体の管轄下にありますから
ここでアメリカの核戦争戦略を担当する部局ががっちりと日本政府の官邸内に
入り込んだことになります。


まずここまでの事柄から言えることは、日本政府は、事故直後からアメリカ軍
を官邸中枢に迎え入れて処理にあたってきたわけで、こうした事故に対し、独自
に対応する体制も能力もまったく持っていなかったということこそが明らかに
なっていることです。このことだけでも日本は即刻原子力から撤退すべきこと
が明らかです。なにせ事故時には自国の力だけでは、まったく対処できない
プラントを運転してきたのだからです。

その後の対応が、アメリカ核戦略を担う中枢省庁のエージェントの参加のもと
に行われてきたわけで、これはもうとても独立国の政策とは言えません。非常
に残念なことに私たちはアメリカの属国であるといわざるをえません。

こうした対応はやむをえなかったでしょうか。残念ながらそういう面はあった
と思います。何せ政府に何らの手も専門家もいなかったからです。原子炉は
壊れないはずだというもっとも希望的観測しか言えない原子力安全委員会=
原子力村しか、日本に「専門家」はいなかったのですから。しかしそのかわり
に日本政府は、アメリカ政府の利害で動かされる関係に入りこんでしまった
ことになります。これに対する抵抗はあったのか。まったくできずに今日まで
きているのではないか。その意味で、今、私たちの国は、米核戦略の観点
のもとの事故処理体制下にあることを認識せざるをえません。

しかし一方で注目すべきことは、それではアメリカが明確な方針を持っていた
のかということです。とくに住民を被曝から守るガイドラインを持っていたのか
といえば、まったくそうではないことがこの検証記事からもうかがうえるのです。
そこにこそアメリカ核戦略の真の姿があると言えます。次回はこの点についての
分析を進めたいと思います。

続く

***********

検証・大震災:トモダチ作戦 米のアジア太平洋戦略、鮮明
毎日新聞 2011年12月29日 東京朝刊

東日本大震災の被災地支援に陸海空で緊急展開した米軍。最大時約2万4000
人を動員した大規模作戦「トモダチ」は、窮地の同盟国・日本を救うための活動
だったが、一皮めくれば、軍事的に台頭する中国をにらんだ米国のアジア太平洋
戦略が色濃く浮かぶ。米政府・米軍は作戦を通じ、どんな目的から何を実施し、
教訓を残したのかを検証した。(肩書は当時、日本時間)

◆発生直後

◇強行着陸に空自「衝撃」
「全可動艦艇出港」。海上自衛隊自衛艦隊(司令部・神奈川県横須賀市)の倉本
憲一司令官が「戦時」を思わせる緊急命令を全国部隊に発令したのは東日本大震
災発生から6分後の3月11日午後2時52分のことだ。

海自の歴史上初めて出された命令だった。横須賀基地にいた護衛艦は緊急船舶の
指定を受けて、通常の倍以上で、最高速度にあたる最大戦速に近い時速27ノッ
ト(約50キロ)で東京湾を抜けた。

同司令部と隣り合わせの米軍横須賀基地。在日米海軍司令部があり、日本防衛と
米軍世界戦略の拠点だが、08年から同基地を母港とする原子力空母ジョージ・
ワシントンは定期整備中で、稼働できる状態ではなかった。代わって米国防総省
が投入したのが、韓国軍との合同演習に向かうため西太平洋を航行中だった原子
力空母ロナルド・レーガンを中心にした空母打撃群。大震災発生から4時間余経
過した午後7時に首相官邸に「ロナルド・レーガンを宮城県沖に派遣する」との
連絡が伝わり、13日朝に三陸沖に到着した。

直ちに、米部隊司令官のギリア少将が、海自の護衛艦きりしまに乗り込み、指揮
を執る第1護衛隊群司令の糟井裕之将補と会談。日米互いの艦艇に1佐(米軍で
は大佐)クラスを連絡官として送り込むことを決めた。

米軍の被災地支援「トモダチ作戦」は、米海軍と海自が主導して始まった。米海
軍と海自には戦後構築してきた「太いパイプ」がある。米海軍にとって日本は東
アジアだけではなく、中東やアフリカまで含めた安全保障の要衝であり、双方は
半世紀以上、環太平洋合同演習(リムパック)などで訓練を重ねてきていた。

米空母と海自の両指揮官は毎晩、「テレビ会議(VTC)」を開いて活動内容を
話し合った。ロナルド・レーガンが合同演習用に積んでいた生活物資類などはす
べて被災地支援に使われた。防衛省幹部は米海軍の迅速な対応について「アジア
太平洋の米軍戦力の要は海軍。日本という拠点を失うわけにはいかないという危
機感の表れ」との見方を示す。

「事態にどう対処すればいいのか」。3月12日、在日米軍司令部がある米軍横
田基地(東京都福生市など)では、フィールド司令官(空軍中将)ら幹部が対応
を協議していた。防衛省・自衛隊との連絡でいくつもの項目が支援リストに挙
がった。13日には通常は横田基地の要人輸送に使うUH1Nヘリコプターで捜
索・救援要員を仙台市の陸上自衛隊霞目駐屯地に輸送した。

そして米軍は自衛隊の度肝を抜く作戦にとりかかった。特殊部隊潜入などに使わ
れる米空軍嘉手納基地(沖縄県)特殊作戦航空群の輸送機MC130Hが仙台空
港に着陸したのは16日。滑走路にがれきが散乱していたが、偵察を兼ねた捜索
飛行などの調査結果をもとに「仙台空港を拠点とする」との方針が決まり、最低
限のがれき除去で強行着陸し、復旧作戦に着手した。

仙台空港の管制塔は1階のレーダー室に土砂が流入し、使用不能になった。米軍
の特殊作戦部隊は独自のレーダーで飛行経路と地形を掌握していたという。空自
幹部は「トモダチ作戦の中で最も衝撃的な作戦だった」と驚きを隠さない。

◆原発事故

◇連日の会議、不信払拭

国防総省を巻き込んだ米軍と自衛隊の連携はスムーズに走り出したが、大震災翌
日の3月12日午後に起きた東京電力福島第1原発1号機の水素爆発で、日米両
政府は情報不足と連携の欠如で互いに疑心暗鬼を深めていく。

「正確な情報を教えてもらいたい」。大震災発生から2日後の13日昼前、ルー
ス駐日米大使が枝野幸男官房長官に電話で直談判した。枝野長官は「自衛隊と米
軍の間で、連携はちゃんと取れている」と説明した。

首相官邸は早くから米軍との連携を模索。11日夜には外部電源を失った福島第
1原発の原子炉冷却に必要となった電源車(約8トン)を米軍の大型ヘリコプ
ターで輸送できないか米側に打診したが「重すぎて困難」との返答を受けていた。
その後始まった「トモダチ作戦」は順調に稼働しているはずだった。

だが、複数の日本政府関係者によると、ルース大使の懸念は、爆発事故を起こし
た原発の現状がさっぱりわからないところにあった。14日深夜、大使は再び
枝野長官に電話で「わが国の原子力専門家を首相官邸に常駐させたい。意思決定
の近くに置きたい」と申し出た。同盟関係とはいえ、機密情報があふれ、厳しい
政策判断を次々と迫られる官邸中枢部に入り込まれることに抵抗感を覚えた枝野
氏は「難しい」といったんは断った。

日本側は、菅直人首相が15日、東電本店に政府との「統合本部」を置き、海江
田万里経済産業相と細野豪志首相補佐官を常駐させるまで、原発事故に関する
十分な情報を得られていなかった。米国は日本の情報提供を待たず、グアム基地
の最新鋭無人航空機グローバルホークや、米ネブラスカ州に駐機中の放射性物質
を観測できる大気収集機WC135コンスタントフェニックスを出動させ、独自
の情報収集と分析を進めていた。

ルース大使が「米専門家の官邸常駐」を要請した翌日の15日、来日中の米原子
力規制委員会(NRC)とエネルギー省の担当者が、班目(まだらめ)春樹原子
力安全委員長、原子力安全・保安院の担当者らと面会した。「炉心は損傷してい
るが、メルトダウン(溶融)は起きていない」という班目氏らの説明を米側は
黙って聞いていたが、日本側の出席者の一人は「米側はここで日本側との認識の
ズレを感じたのではないか」と振り返る。

米側はすでにメルトダウンの発生を推定しており、「日本側が情報を隠している
のではないかとの疑念があった」(日本政府関係者)という。一方、躍起になっ
て情報を探る米側の対応に日本政府内では「エシュロン(米軍を中心に運用され
ているとされる世界通信傍受システム)を使っているのではないか」との声も漏
れた。



菅首相や枝野長官は協議の末、NRCの担当者らが官邸内の危機管理センター横
の原子力安全・保安院や東電担当者が詰める「連絡室」に16日から常駐するこ
とを認めた。

しかし、大使の懸念は消えず、北沢俊美防衛相とのパイプを頼って情報不足の解
消を求めた。北沢氏はNRCの担当者を防衛省に呼び、経産省や東電の担当者ら
との情報交換の場を設置。会議は計4回に及んだ。

一方、防衛政務官を経験し、太い対米人脈を持つ長島昭久民主党衆院議員は18
日午後、福山哲郎官房副長官、細野補佐官とともにルース大使と東京都内のホテ
ルで会談した。

長島議員「世界が注目している。日米協力で乗り切るしかない。情報共有の場を
作りましょう」

ルース大使「それはいい。複合的な災害の初期段階だから各省庁とも大変でしょ
う。お手伝いしたい」

大震災発生から11日後の22日、官邸横にある内閣府ビルの一室で日米政策調
整会議の初会合が開かれた。統括役の福山副長官は「この協議で出なかった話が、
他の場で出ることはあり得ない」と表明した。

日本側からは福山副長官のほか、官邸の細野補佐官と伊藤哲朗内閣危機管理監、
防衛省、外務省、経産省、原子力安全・保安院、資源エネルギー庁、文部科学省、
厚生労働省などの局長クラス、東電の武藤栄副社長らが参加。米側はズムワルト
駐日公使、在日米軍副司令官、NRCやエネルギー省担当者が参加した。

同会議は以後、連日午後8時から開かれ、原発への注水や、ロボットや真水を運
ぶバージ(はしけ)船投入などが議論され、原発事故収束に向けた日米協力の一
元的・基幹的会議となった。

長島議員は言う。「(同会議設置で)深刻な不信感が払拭(ふっしょく)された。
喉元過ぎれば熱さ忘れるではなく、日米協力の常設の調整機関の設置が重要だ」

◆総力投入

◇「強圧的な組織」 日本側戸惑いも

米軍は原発の異常事態が始まった3月11日夜には米エネルギー省の専門家が米
ネバダ州ラスベガスを放射線量測定器を携えて出発し、横田基地へと向かった。
測定器は上空から地上の放射線量を測定することができる。しかし、在日米軍に
は放射線被ばくを想定したリスク管理の厳格なガイドラインは存在しなかった。
フィールド司令官は放射性物質が人間や自然にどんな影響を与えるかについてほ
とんど知識がなかったことを悔いた。

「ここには輸送機もヘリもある。おそらく放射性物質がある未踏の場所へと飛ん
でもらうことになる。だれがやる?」。専門家らが基地到着後、フィールド司令
官は基地のパイロットらにこう聞いた。あくまで志願制をとるしかなかったが、
全員が「やります」と返事した。上空からの測定作業は14日に始まった。

米軍は生活支援に心遣いをみせた。

<ここには何人いますか?>
<必要なものはどんなものですか?>

米軍は孤立した地域にヘリで降り立って、事前に準備していた、日本語で書かれ
た質問票を見せる。回答を持ち帰り、大急ぎで英訳して、その地域で必要な物資
を配る。ニーズを的確に把握し、その変化に即応できる態勢が整っていた。

米軍は、現場の指揮官に多くの日本勤務経験者を派遣、「日本のルール」に従う
姿勢を通した。3日目以降は支援物資の搬送も頻繁になった。通常、米軍はヘリ
で上空から物資を投下し帰還する。04年のスマトラ沖地震・津波の災害現場で
もそうだった。しかし、今回は時間をかけて着陸し物資を手渡した。緊急食とし
て出した「戦闘糧食(レーション)」の食べ方が分からないという被災者の声を
聞いて、急きょ日本語の説明書を作成した。

フィールド司令官はこのころ、制服組トップのマレン統合参謀本部議長(海軍大
将)からの電話を受けた。

マレン議長「これからウォルシュ太平洋艦隊司令官とチームをそちらに送る」
フィールド司令官「私はクビということですか?」
議長「違う。できうるすべてを提供するということだ」

海軍大将のウォルシュ司令官はフィールド司令官より格上で、米政府の総力を挙
げた支援の意思を示すことになる。ウォルシュ司令官は3月下旬から約3週間に
わたり、トモダチ作戦の指揮をとる。



迅速で入念な米軍の対応に自衛隊側がけおされる場面もあった。
「なんだか占領軍みたいで、どうも気になるのだが」。震災後しばらくしたあと、
制服最高幹部の集まる防衛省内の非公式の会合で、そんな意見が表明された。
ウォルシュ司令官派遣に伴い、米太平洋軍がJTF(Joint Task 
Forces)の司令部を米ハワイから東京・横田基地に移すとされたことに対
する懸念だった。

太平洋地域で起きる有事・大規模災害に対処するための統合任務部隊の常設司令
部だが、一部将官の目には「支援はしてくれるが米国流を押し通そうとする強圧
的な組織」に映った。米軍は司令部移転の際は名称を変え、JSF(Joint
 Support Forces=統合支援部隊)として設置。日本に対する配
慮を見せた形だった。

作戦面でも一部に戸惑いがあった。強襲揚陸艦エセックスは多数の沖縄の海兵隊
員を乗せて訓練のためにいたマレーシア沖から急きょ北上。18日には秋田沖に
到着したものの、物資輸送などが主で、海兵隊の機能を発揮した27日からの
宮城県気仙沼市・大島での復旧活動まで約1週間かかった。防衛省幹部は「まさ
か精鋭の海兵隊の部隊にゴミ拾いをさせるわけにもいかず、どこに行ってもらっ
ていいか迷いがあった」と振り返る。

日米共同復興作業の象徴と位置づけた「ソウル・トレイン(魂の列車)」作戦で
は、在日米軍にJR仙石線の野蒜(のびる)駅など、2駅の復旧を依頼した。そ
こはすでに、自衛隊が遺体の捜索を終えていた。もし、米軍が遺体を見つけ、被
災地とトラブルが起きれば「米国が支援しようとしているのに、逆効果になる」
(陸自幹部)との配慮があったからだ。

さらに米軍との調整に関わった自衛隊幹部は「普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)
移設問題もある中、沖縄の海兵隊に活躍の場を与えてほしいという米軍の意思を
強く感じた」と明かす。

◇空母、中国の接近けん制

日本の防衛の重点が「東方集中」する中、その空白を埋めるように米軍が静かに
動き出した。

「なんでこんなところに米軍がいるんだ」。3月17日、統合幕僚監部内がざわ
ついた。マレーシア沖での訓練を切り上げて被災地支援へと向かう米強襲揚陸艦
エセックスが、被災地に近い太平洋ではなく、日本海を航行していたためだ。

呼応するかのようにロシア軍の動きが活発化。17日にはIL20電子情報収集
機が日本領空に接近し、航空自衛隊が戦闘機を緊急発進(スクランブル)させた。

続いて、米軍横須賀基地で定期整備中だった原子力空母ジョージ・ワシントンが
21日、急きょ乗員や民間の整備員らを乗せ出港した。その後、伊豆大島、土佐
湾沖で洋上整備を続け東シナ海にまで足を伸ばした。

防衛省幹部によると、この頃、中国空軍が偵察機を頻繁にジョージ・ワシントン
に向け飛ばしたことが自衛隊の警戒・監視活動で把握された。同幹部は「中国軍
の偵察対象になっていたのは間違いない」という。

また、中国は日本にも行動をとった。26日に東シナ海で警戒監視中の海自護衛
艦いそゆきに中国国家海洋局ヘリZ9が約90メートルまで接近。4月1日には
中国のプロペラ機Y12が同様に異常接近する行為もあった。

3月21日には領空約60キロまで接近した集塵(しゅうじん)装置をつけたロ
シア軍のスホイ27戦闘機とAn12電子戦機に空自がスクランブルをかけ、
29日にも情報収集機が接近。戦闘機は福島第1原発事故に伴う放射性物質の飛
散状況調査が目的とみられるが、同幹部は、米軍の動向に神経をとがらせていた
表れとみている。

ジョージ・ワシントンは東シナ海を経由し、4月に2回、長崎県・米軍佐世保基
地に物資補給などのために寄港。米海軍によると、原発事故の状況が発生当時よ
り改善されたとして同20日に横須賀基地に帰港した。

当初、ジョージ・ワシントンが横須賀基地を離れたのは、原発事故による放射性
物質の被害を避けるため、と見られていた。しかし、防衛省幹部は「米軍は空母
を前進配備させた。日本から要請したわけではないが、日本に手を出したら許さ
ない、という意思表示だった」と解説する。

「お客さんが来ないとおもしろくないよね」。トモダチ作戦終了後、米国防総省
幹部は防衛省幹部に冗談めかして伝えたという。中露側の動きを想定し、関与を
強める狙いがあったとみられる。

一方、被災地支援では、中国政府による「軍事支援」の申し出が、幻に終わった
事例もあった。

大震災から5日後の3月16日、中国国防省が病院船派遣の用意があることを伝
えたが、日本政府は27日、「港が津波で被害を受け、船を接岸できない」と、
謝意を伝えたうえで辞退。だが、米海軍幹部は「中国軍の病院船が入ればトモダ
チ作戦のオペレーションに加わることになり、作戦会議を通じ情報を一部共有し
なければならなくなる」と指摘。米軍の意向が働いた可能性を示唆した。

米中両国が東日本大震災の舞台裏で繰り広げた激しい「神経戦」の背景には、中
国の軍備拡大と海洋進出への野心から、劇的に変化するアジア・太平洋地域の安
全保障の構図がある。

中国は近年、米空母を近海に寄せ付けない「接近阻止」戦略を進め、地上から空
母を攻撃する世界初の車載型対艦弾道ミサイルDF21D(通称・空母キラー)
を開発。日本やフィリピン諸島を射程(約2000キロ)に収めたとされる。米
国防総省によると、その攻撃能力を米領グアム付近にまで拡大させつつある。

これに対して米国は昨年2月、米議会に提出した「4年ごとの国防政策見直し
(QDR)」で、新構想「ジョイント・エア・シー・バトル(米空海統合戦略)」
を公表。米海軍が開発中の世界初のステルス式空母艦載型無人爆撃機で対抗する
戦略だ。戦闘行動半径は2780キロと長く、空母キラーの射程外から攻撃でき
る。

米海軍関係者は「横須賀基地を(事実上の)母港とするジョージ・ワシントンに
艦載することになるかもしれない。この爆撃機は日本や在日米軍基地を最前線で
死守する防波堤になりうる」と話した。

ただし、防衛省では大震災後の中国軍の動向を分析した結果、「日本の混乱に付
け入るような不穏な動きはなかった」と結論付けたという。一方、トモダチ作戦
終了後、中国関係者が防衛省幹部に伝えた。「自衛隊10万人と米軍2万人が短
時間であれだけ調和した作戦を実行したのは驚きだ」

◇韓・豪と同盟強化へ布石

米国のアジア太平洋での抑止力強化をベースとする対中戦略は、東日本大震災で
の被災地支援でも如実に透けて見えた。大震災後、被災地に世界23カ国・地域
から救助隊などが駆けつけたが「軍事作戦」を組んだのは、日本の自衛隊のほか
には米国と同盟関係にあるオーストラリアと韓国だけだった。

豪州東部クイーンズランドを拠点とする捜索・救援タスクフォースが捜索犬を伴
い大型輸送機C17で東京・米軍横田基地に着陸したのは大震災3日後の3月
14日早朝。国際的な災害救援で急派される精鋭チームだ。

すぐさま、米軍との調整で豪州主導の別の作戦「パシフィック・アシスト(太平
洋支援)」が動き出す。到着したC17を被災地支援の輸送業務に任務変更して
活用する作戦だった。

C17は大型貨物を搭載できる一方、短い滑走路でも発着できる即応性・機動性
に優れた輸送機。横田基地から沖縄の米軍嘉手納基地へと向かい、陸上自衛隊
第15旅団の要員とトラックを乗せ、被災地へと運んだ。

豪国防省は4機のC17のうち、さらに2機投入を決定。スミス国防相が21日、
北沢防衛相に電話で伝えた。同夜と翌22日朝に相次いで豪州から飛び立った
C17は、米国の要請に基づき福島第1原発事故対応で使用する遠隔操作高圧放
水砲システムを積んでいた。

豪政府関係者は「日米豪の普段の連携があって初めてできたことだ」と振り返る。
日本政府高官は「豪州からは同盟国の米国と、豪州が加盟する英連邦を通じた
NATO(北大西洋条約機構)の情報が入ってくる。豪州との連携は有益だ」と
語り、日米豪の連携の重要性を強調した。

韓国の対応も早かった。「史上例のない大災害を経験している日本への支援に最
善を尽くす」。震災当日の11日夕、韓国の李明博(イミョンバク)大統領は関
係閣僚を緊急招集して指示した。12日に先遣隊を派遣し、14日からは空軍輸
送機C130で救助隊や自衛隊の使う装備などを搬送。災害派遣では「過去最大
規模」(韓国政府)となった。

被災地支援で構築された日米韓豪の「同盟連合」の伏線は、大震災の5カ月前に
さかのぼる。

「エア・シー・バトル構想の成功のカギを握るのは、情報共有だ」。昨年10月、
米軍の呼びかけで韓国で開催されたアジア太平洋の同盟国・友好国軍幹部の非公
式会合で、同地域の米軍トップ、ウィラード太平洋軍司令官が表明した。日韓豪
やシンガポール、フィリピンなどが参加。各国の軍幹部らが中国海軍力の拡大に
懸念を示した。

米国は、空軍の最新鋭無人偵察機グローバルホークを同盟国に売却する交渉を進
めている。30時間以上の連続飛行ができ、約560キロ先まで見通し、ほぼリ
アルタイムで地上に情報を送ることができる。「地域全体を広範囲に監視下に置
き、情報共有するネットワーク構築につながる」と米軍関係者は狙いを語る。

韓国政府は「北朝鮮の警戒に役立つ」として4機を購入する計画。豪政府も「イ
ンドネシアからの不法移民や中国艦船の監視」を念頭に15年ごろをめどに5機
前後を導入する方針だ。

米軍は大震災の翌12日からグローバルホークをグアムの空軍基地から福島原発
上空に急派した。5月11日までの2カ月間、撮影した4400枚以上の写真を
日本に無償で提供した。

トモダチ作戦終了から半年を経た11月。オバマ米大統領は豪州北部のダーウィ
ン空軍基地を訪れ、最大2500人規模の米海兵隊を来年から順次駐留させると
発表。中国をにらんだ同盟強化の布石を着々と打つ。



トモダチ作戦で日米の「軍と自衛隊」の一体化は進んだ。しかし、米国では景気
悪化で国防総省予算が今後10年で最低でも5~10%削減される見通しだ。同
盟国に軍事的責任と負担を分散し、「より低コストで、より大きな効果」(クロ
ーニン新米国安全保障センター上級顧問)を生み出す狙いもある。

だが、グローバルホークの売り込みに防衛省は「現在保有する偵察機で必要な役
目は果たせる。日本も財政的な余裕がない」(幹部)と消極的で、米軍関係者か
らは「具体的な交渉の進展はない」との不満も漏れる。

米国を軸とする「同盟強化」路線は、一皮めくれば、日本の防衛戦略の拡大と防
衛力整備を一層迫るものでもある。窮地の日本を手助けしたトモダチ作戦や日米
韓豪の軍事的連携が、日本に突きつけた課題は重い。

◇自衛隊派遣「10万人」 「防衛空白」を回避

被災地支援と原発事故対応での日米作戦の裏側で、防衛省・自衛隊ではもう一つ
の「作戦」を遂行した。

東日本大震災発生直後、東京・市ケ谷の防衛省の情報本部は緊迫した。電波や電
子情報、衛星画像情報などの分析を通じ、国際的な軍事情勢や外国軍隊の動態を
把握する機密情報の「総本山」だ。

「本来任務を怠らず、万全を期すように」。本部内では幹部から冷静な指示が飛
んだ。史上空前の災害だけに自衛隊派遣が大規模になるのはすぐに分かった。防
衛省幹部が警戒したのは、大規模災害派遣と原発事故対処で国の守りに穴があく
「防衛空白」だけは避けなければならない、ということだった。情報本部が収集
・集約した機密情報は、司令部となった中央指揮所(CCP)にも送られ、自衛
隊の運用に反映された。

情報本部が提出する資料には、海上人命安全条約(SOLAS条約)に基づく船
舶自動識別装置(AIS)による日本近海での中国民間船の動きや、電波情報な
どでとらえた中国海軍艦船の動きも含まれていた。

「防衛空白」を警戒したのは、CCPに陣取る折木良一統合幕僚長も同じで、細
心の注意を払った。官邸からは大震災発生直後から「大規模派遣」を促す指示が
北沢俊美防衛相を通じて矢継ぎ早に出された。

救援や復旧作業の要となる陸上自衛隊は地域ごとに全国に5方面隊あり、大規模
部隊の師団9、機動的な旅団6で構成される。折木統幕長は幕僚会議の結果、九
州や沖縄を防衛する西部方面隊の第15旅団(司令部・那覇市)と第8師団(同
・熊本市)、関西地方を担当する中部方面隊の第3師団(同・兵庫県伊丹市)と、
北海道防衛にあたる北部方面隊の第7師団(同・北海道千歳市)を極力、動かさ
ないことを早々と決めた。九州や沖縄の海域を警戒する海上自衛隊佐世保基地
(長崎県佐世保市)の艦なども動かせないと考えた。

背景にあるのは中国軍やロシア軍の存在だ。こうしてはじき出された派遣可能な
自衛隊規模は、陸自に海自と航空自衛隊を含めて「12万~13万人」だった。
折木統幕長は北沢防衛相に「13万人までは大丈夫です」と伝えた。陸海空3自
衛隊の実員は約23万人で、半数以上が災害派遣に割かれる事態になる。政治的
な判断は実員半分以下の「10万人」に落ち着いた。
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/verification/news/20111229ddm010040017000c.html
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明日に向けて(368)これからの医療に問われること(過酷なアメリカの医療事情)その3

2011年12月30日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111230 23:30)

医療問題の続きです。(366)で、日本の医療制度が、医療を受ける側からみ
れば、素晴らしい状態が保たれていることを紹介しましたが、これに対して
アメリカ在住の友人、キムクンミさんが、自身の体験を通して知った、アメ
リカ過酷な医療事情をメールで伝えてきてくれました。とても共感したので
クンミさんの承認を受けて、この場で紹介することにします。

詳しくはクンミさんのレポートを参照していただきたいのですが、アメリカ
は、公的な医療保険制度が部分的にしかないため、日本に比べるとはるかに
医療が受けにくい現状があります。人々は民間保険に入っていますが、無保
険者が、4700万人、7人に1人もります。そのため受けにくさは貧富の差に直
結していて、さまざまな矛盾が噴出しており、テレビドラマ「ER」や、映画
「シッコ」等々な様々な場で紹介されています。

それでアメリカの医療費は抑えられているのかというと、まったくそんなこ
とはなくて、OECD諸国の中で最も医療支出が多いのがアメリカです。平均が
対GDP比の9.5%に対してアメリカは17.4%。これはさまざまな高度医療が
発達していながら、それを受けられない非常に多くの層がいることも反映
しています。大金持ちしか受けられない医療もたくさんあります。

こうした現状に対して、公的医療保険の整備を掲げて奮闘しつつ、実現にこ
ぎつけることができなかったのがクリントン夫妻でした。二人は日本の公的
医療保険制度を高く評価していましたが、ヒラリーは日本に視察にきたとき
に、極めて意味深なコメントを残しています。「日本の医療制度が医療スタ
ッフの聖職者のような努力で保たれていることが分かった」と述べたのです。

日本の医療スタッフへの賛辞として受け止められましたが、こんな労働条件
はアメリカではとても採用できないという「皮肉」だったとも言われていま
す。こういうとアメリカの医療スタッフはゆったり働いてるようにみえてし
まうかもしれませんが、そんなことはけしてないことは「ER」などをみると
わかります。日本はそれをはるかにうわまわるのです。

ともあれアメリカの現状をクンミさんのメールからご推察ください。

*********

守田さん

ほんとうに、これからの日本で医療体制がどうなっていくのかが大きな問題
になりますね。安心してお医者さんにみてもらえる、お医者さんを信頼でき
る、そんな制度になってほしいと切に望みます。

アメリカに来て、日本の医療を外からみるいい機会をえています。
こちらはご存知のように、日本とは違い保健制度が民間なので、そうとうい
い保険をもっていないとお医者さんにみてもらうなんて、ぜいたくのきわみ
です。ほんとうに「病気」のときだけです。

たとえば、日本なら、子供が熱をだしたり、風邪気味だったりしただけでも、
市販の風邪薬よりもお医者さんにいって診てもらってました。
こちらでは、風邪くらいでお医者さんにいくことはまずありません。お金の
問題だけじゃなくて、制度の問題もあります。アポイントなしでみてくれる
ことはないからです。
昨夜から高い熱がでてるから、朝になったらお医者さんにみてもらおう、な
んてできないのです。もちろん病院にはいけますが、テレビドラマにあるよ
うな「ER=緊急医療」扱いなのです。

場所によって違うのでしょうけれど、NYのそれもブロンクスのERはすざまし
いものです。義母が脳梗塞を起こして、ナーシングから救急車で運ばれたと
きに3回、ERにいきましたが、なかでもひどかったのは、ものすごく広い
ホールにストレッチに乗せられた患者さんが壁の奥から順に並べられて、そ
の列が10列くらいになっているのです。

どんなだか、想像ができないとおもいますけど、例をあげれば、狭い映画館
にはぎっちり椅子が並んでますよね。その椅子の一つ一つが患者を乗せたス
トレッチ、みたいな状態です。ある意味、壮観ですらあります。

もちろん、救急ですから、交通事故の人も運ばれてきます。
義母のように脳梗塞の発作を起こした人もいます。ケンカかなにかで、顔中
血だらけになっている人もいます。そういう人たちがストレッチに乗せられ
て、端から順にずらーっと何列も並んでいるのです。
もちろん、もうちょっとマシなところもありましたが、たいていはそんな感
じです。

そんなところに、昨日から熱があるので、、、なんて、ちょっと行けません。
薬局いって熱さましのんで、寝とく、、、となります。

学校を休むときも、「熱があるので、病院にいってみます」なんていったら、
次の日にはお医者さんが、どういう症状できたか、学校にきても問題はない
かなどと書いた手紙を要求されます。 それくらい病院にいくというのは特
別なことです。

もう一つ、私の感じた日本と米国の違うところは、「病院」って何するとこ
ろ?ということです。

私の印象での日本の病院は、「健康を維持するところ」という感じでした。
こちらの病院は、専門医が診断を下して治療するところ、という感じです。

どう違うのか、というと、さっきあげた義母のことですけど、まず脳梗塞を
起こすとしますよね。私の母親が脳梗塞を起こしたときは、もちろん日本で
したが、まず病院にいきました。先生が診断し、検査します。治療がはじま
ります。母の容態が安定したら今度はリハビリがはじまります。普通に生活
が送れる状態になり、退院し、家にもどります。

ところが、米国だと、義母が脳梗塞を起こしました。救急車で病院に運ばれ
ます。診療と診断があります。
本人の意識が回復しなくても、心拍や血圧などの状態が安定するとナーシン
グホームに救急車で移動します。
ホームで引き続き、計器で心拍・血圧などの状態を図り、食事も自力でとれ
ないので胃にチューブをつけて液状の栄養物を流しこみながら回復をまちま
す。念のためにいいますけど、これ、病院じゃないんですよ。
ナーシングホームにも医者はいますが、この人は患者の状態を判断する仕事
をします。医者が治療が必要と判断すると、病院に送られるのです。どんな
に近くても、片道7万円もする救急車で。

守田さんが、日本は医療支出がOECD平均を下回っているとデータをだされて
ましたが、私はこれをみると、ひとりだどれだけ病院にみてもらってるか、
ということでなくて、日本の医療のほうが安価なんだなーとおもいました。

だって、絶対、米国のほうが個人が病院にいってる回数が少ないし、でも医
療に支払うお金はものすごいですから。 薬が高いのか、お医者さんやナー
スの人件費が高いのか、不動産や流動資産が高いのかわかりませんが、とに
かく高い。

私は日本では安心して病院にいっていました。これはほんとにすごいこと
だったんだな、とつくづくこちらにきておもいました。

日本の病院制度がアメリカみたいにはなって欲しくありません、絶対に。

くんみ


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明日に向けて(367)1月、連続してあちこちでお話します!

2011年12月28日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111228 23:30)

いよいよ今年も押し迫ってきました。みなさまよい年の瀬をお迎えください。
来年は、少しでも明るい年にしたいものですね。

さて1月のスケジュールがたくさん入りましたので、お知らせしておきます。
案内のチラシ等の出ているものを、末尾に貼り付けます。

1月7日(土)に2回、お話します。
午後2時から京都市北文化会館、午後6時半からサテライト今宮にてです。
どちらも「放射能からこどもたちを守ろう。守田敏也さんの学習会」という
タイトルです。

1月8日(日)午後1時半からの「中村和雄さんを市長にしよう!勝手連!」の
「新しい年に 脱原発市長を京都から 中村和雄さんと こんな京都をつく
りたい」という集会に参加し、冒頭に30分ほど放射線防護についてお話します。
中村さんを囲んだ集会です。ぜひご参加ください!

1月13日(金)と22日(日)に、北白川児童館でお話します。それぞれ10時半
と14時からです。「いただきますカフェ」です。

1月14日(土)茨城県笠間市で午後からお話します。詳細は未定です。

1月16日(月)福島県福島市で夕方からお話をして、その後にとシンポが行われ
る予定です・・・。夕方からの企画です。

1月21日(土)午後1時より京都市弁護士会館でお話します。ちょうど福島から
宮城などを訪ねてきたあとになりますので、最新情報をお伝えします。

1月23日(月)に2回お話します。
午前10時半より美容室ママネでお話しする予定です。詳細は未定です。
午後18時より、風の子保育園でお話する予定です。詳細は未定です。

1月28日(土)午後にノートルダム修道院でお話する予定です。

1月29日(日)午後1時から岩倉の岩座神社奉賛会集会所でお話します。

以下、案内のあるものを貼り付けます。

********************

新しい年に 脱原発市長を京都から 
中村和雄さんと こんな京都をつくりたい 
2012年1月8日(日)

【日時】 2012年1月8日(日)13:30~16:00
【場所】 東山いきいき市民活動センター
(三条京阪より徒歩5分。花見小路通古門前上る東入る南側)
【資料代】 300円
【主催】 中村和雄さんを市長にしよう!勝手連
【連絡先】 事務局(田中愛子、青木理恵子)
 Tel: 080-6121-9694 Email:2012[@]for-kyoto.net

 内容
 •選ぼう脱原発の道を! お話:守田敏也さん
 •中村和雄さんと話そう
(14:30~15:30を予定しています)
 •リレートーク
 脱原発を京都から
 非正規雇用の現場から
 学校で子どもたちは今
 商店街の声
 梅小路水族館建設問題
 京都会館建替えオペラハウス建設問題
 ・・・他いろいろ
 •パフォーマンス
 梨花さん、林夏木さん

新しい年に希望をこめ、若狭原発群からわずか60キロの京都市で、脱原発を
掲げる市長を生み出しましょう。市長選は政党間の縄張り争いではなく、市
民の意志を表明するチャンスです。

ひとりひとりが手をつなぎ、未来の命と世界に向けて原発はいらない!メッ
セージを発信しましょう。いま新しい市長と「脱原発」に踏み出し、安心し
て暮らせる街をつくりたい。

京都の非正規雇用率は全国最悪の45パーセント。
20代では60パーセントに及びます。
弱い者の立場に立って闘い続ける中村さんと、こんな現実を変えていきたい。
やってみましょう、公契約条例。働いて暮らせる「あたりまえ」を一歩ずつ。

私たちが知らないところで、進んでいる梅小路公園内の水族館の建設、岡崎公
園のオペラハウス、超豪華なモデル校と窓ガラスを補修することもできない一
般校の「格差」、地元商店の閉鎖と他都市から大企業の参入。こんなものは、
京都にはいらない!!

今こそ京都市民ひとりひとりが京都を創るとき。市民の立場に立ち、市民と共
にこれからの京都を創っていこうとしている中村和雄さんとともに、新しい歩
みを始めましょう。

***************

いただきますカフェ

次回のカフェトークでは、内部被爆のエキスパート守田敏也さんに来ていただ
ます。とても分かりやすく放射能問題や内部被爆について話してくださる守田
さんは、東日本大震災以降、原発事故問題をおいかけ、現地に行ったり呼ばれ
た先でお話ししたりと、とても精力的に活動しておられます。気さくなお人柄
で今回私たちのカフェにも来ていただけることになりました!

福島から遠いと思っていても、食物の流通によって関西圏に住む私達も内部被
爆の危険にさらされています。そして、放射能汚染された震災ガレキの受け入
れを自治体が決定したら外部被爆の問題も・・・
また、原発銀座 若狭湾の原発が事故を起こさないと断言できますか?
琵琶湖も京都も大飯原発から80km圏内にすっぽり入ってしまいます。

放射能に関する色々な情報が錯綜する中、正しい知識で身を守りたいですね。

守田敏也(もりたとしや):
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリー
ライター。社会的共通資本の研究を進める一方、311以降は原発事故問題をおい
かけている。

日時: 平日 1月13日(金) 10:30-13:30
    (10:30-12:00 お話 12:00-13:30 お昼食べながら交流タイム)
    休日 1月22日(日) 14:00-17:00
(14:00-15:30お話 15:30-17:00 お茶しながらの交流タイム)
場所: 京都市白川児童館横 コミュニティスペース
参加費(カンパ):投げ銭(500円ぐらい)

お問合せ:岡田喜美子 tel:090-6060-3674, mail: inokimi699@k.vodafone.ne.jp
主催:給食の安全を考える三錦父母の会

小学生以上は隣の学童、小さいお子さんは横で遊ばすことができるので、子連れ
でも参加できます♪みんなで楽しく学びましょう。

*************

◇1月21日 京都弁護士会館地階大ホール◇

当会の「人権救済基金制度」という法律援助事業を、もっと多くの市民に知っ
て頂くため、「第16回 法律援助を広げる市民のつどい」を開催します。
内容は以下のとおりです。制度説明や事例報告の他に、フリーライターの守田
敏也氏に「京都から東北へ‐地震、津波、原発事故‐」をテーマとした講演を
行って頂きます。また、中国琵琶親子演奏のミニコンサートも予定しています。
事前予約や参加費は不要ですので、皆さんどうぞお気軽にお越し下さい。
http://www.kyotoben.or.jp/event.cfm#605

● 日 時
2012年(平成24年)1月21日(土)
開場:午後1時  開演:午後1時30分

● 場 所
京都弁護士会
京都市中京区富小路通丸太町下ル

● 内 容
◆人権救済基金等についての説明
◆人権救済基金利用者からの報告
◆ミニコンサート(中国琵琶親子演奏)
◆講演 守田敏也氏 「京都から東北へ‐地震、津波、原発事故‐」

★☆★参加無料★☆★

問い合わせ
京都市弁護士会館
075-231-2378







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明日に向けて(366)これからの医療に問われること(医療の社会配分の増加を)・・・その2

2011年12月27日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111227 23:30)

明日に向けて(365)より、「これからの医療に問われること」と題した連載
を始めましたが、昨夜記事を配信した後に、毎日新聞の「診療報酬改定 配
分こそが重要だ」という記事を読んで、あまりの見識の低さにうんざりして
しまいました。社説を書いている方が、あまりに日本の医療の現状に関する
基礎的な認識がないことが見えてしまったからです。(すいません。紹介は
割愛します)

さらにうんざりすることは、こうした点は、医療者や、医療改革を志す人々
によって行われているシンポジウムなどで、繰り返し、マスコミへの丁寧な
解説が行われてきているにもかかわらず、そうしたシンポが行われた直後は
明らかに論調が変わるものの、論説委員が変わるたびにもとの木阿弥になっ
てしまい、論調が戻ってしまうことが繰り返されている点です。

僕もそうしたシンポを同志社大学社会的共通資本研究センターの一員として
担ったことがあります。そのときもマスコミ各社から参加した論説員の方た
ちが、「なるほどよく分かりました。医療の現状を訴えます」と言って、た
しかにそのときはいい記事や論説を書いてくださったのですが、それがちっ
とも定着していかない。


ともあれ基礎的なことをここでおさえたいと思います。日本の医療がどのよ
うな状態にあるのか。客観的なデータを見るには、OECD諸国との比較が
頼りになります。この点で、使えるのは毎年更新されているOECDヘルス
データです。ネットで2011年版の仮訳を見つけたので、それを参照していき
ましょう。

OECDヘルスデータ2011(仮訳) 世界の中でみる日本の状況
http://www.oecd.emb-japan.go.jp/Briefing%20note%20-%20Japan_2011.pdf

まず日本の医療支出は多いのか。同データには次のように書かれています。
「日本の2008年の総保健医療支出の対GDP比は8.5%であり、2009年のOE
CD平均の9.5%を1%下回る」。1%とは非常に大きな値です。日本は医療支
出が非常におさえられた国なのです。

一人当たりの保健医療支出の伸びはどうか。
「日本の一人当たり保健医療支出は2000 年から2008 年の間に実質ベースで
2.4%増加しているが、これも2000 年から2009 年の間のOECD 平均の4.0%を
下回っている」。ここでも平均を1.6%も下回っている。医療支出の伸びの面
でも抑制されているのが現実です。

では保健医療支出が少ないことは、どういう現実を生み出しているのか。
「日本は、他のほとんどのOECD 加盟国より人口当たり医師数が少ない。2008
年において、日本の人口千人当たり医師数は2.2 人であり、OECD 平均の3.1
人を大きく下回る。日本の人口当たり医師数が他国と比較して少ない要因の
一つは、政府が医学部入学定員を制限していることにある」。

毎日新聞社説にも、「もちろん医療体制を充実させることは必要だ。救急医
療や産科などは相変わらず医師不足で、地方の医療機関や診療科の閉鎖も起
きている」と書いてあるのですが、足りないのは何も救急医療は産科だけで
はありません。人口当たりの医師数がOECDの中でほぼ最低の国なのです。
平均3.1人に対して、2.2人です。ようするに三分の二なのです。

看護師数はOECD平均8.4人に対して、9.5人とわずかにうわまわっていま
すが、医師数が圧倒的に足りない分、日本の看護師の仕事は相対的にハード
です。医師の少なさが、看護師にも重くのしかかっているのです。またアメ
リカには豊富な医療ボランティアスタッフがほとんどいないのも日本の特徴
です。

一方、このデータには、医師数の足りない日本が、MRIなどの放射線を使っ
た検査機器だけは突出して持っていることも述べています。MRIの人口当
たりの台数はOECD平均の4倍。これは世界の医療界の中でも、日本が医療
被曝に対する観点が甘いことを反映するものでもあり、興味深いデータなの
ですが、今はこの論点は脇においておきましょう。

問題は、医師数がOECD平均の三分の二にしか満たない日本が、健康上で
はどのような位置を獲得しているかです。これについては三点が紹介されて
います。

「2009 年において、日本はOECD 加盟国で最も長い平均寿命を謳歌しており、
全人口で83.0 歳となっている。~過去数十年間の日本の著しい平均寿命の伸
びは、男女ともに今では全OECD 加盟国中最も低くなった循環器系疾患による
死亡率の低下に起因している」。

「日本の乳児死亡率もまた、過去数十年間に劇的に低下した。日本は2009 年
で出生千人当たり死亡数がOECD 平均4.4 を大きく下回る2.4 であり、OECD加
盟国の中でアイスランドの1.8 に次ぐ2番目に低い国々の一つとなっている。」

「肥満率は、国によって大きく差はあるものの、過去数十年間でOECD 加盟国
において増加している。身長と体重の実測に基づく成人における肥満率は、
日本の3.9%、韓国の3.8%(2009年)から最大の米国の33.8%まで大きな差が
ある。測定データのあるOECD 加盟14 ヶ国の平均(2009 年)は21.0%となっ
ている。」

この三点目の内容、日本がOECD諸国の中では韓国と並んで、ダントツに
スリム率の高い国であることは、医療面よりも食生活の影響などが大きいので
医療の反映とはいいにくいところがありますが、平均寿命がトップであること、
これが循環器系疾患による死亡率低下によって支えられていることや、乳児死
亡率もアイスランドに続いて低いこと、つまり産科医療、小児科医療がきわめ
優秀であることがここから見て取ることができます。

要するに三分の二の医師数で、世界でトップの医療成績を上げているのが、
日本の医療の現状なのです。どうしてそんなことが可能なのか。大きな要因は、
日本の医療スタッフの献身性が世界の中でダントツに高いことにあります。同
時にそこにもの凄いしわ寄せがきていることが容易に理解できます。なぜって
平均の三分の二の医師数で、世界のトップの成績をあげているのですから。
そのことが産科、小児科から人手不足になっている要因なのです。

毎日新聞の論説委員がまったく理解してないのは、医療はそこに資金が投入さ
れれば、それが国民負担になるよりも、国民・住民の健康状態のアップとして
かえってくるものである点です。反対にこういうぎりぎりの状態で保たれてい
る医療体制が崩壊していくと、真っ先に困るのは国民・住民です。とくに産科
・小児科の崩壊は、私たちの未来そのものを暗くしてしまいます。

さらに今は、放射線の害との闘いがこれに加わっているのです。病気はさまざ
まな形で確実に増えてくる。病気だけではありません。多くの方の被曝のモニ
タリングや追跡調査も行わなければなりません。そのために医療スタッフの仕
事は不可避的に増えざるを得ない。だからこそ人員の拡充をしないと、医療の
未来はきわめて厳しいことになってしまいます。医師の養成にかかるのは、
ざっくりいって10年。10年後の被曝の影響を見据えて、今から医師を増やす必
要があるのです。放射線防護を考える上でも、これは極めて重要なポイントです。


それでは私たち市民サイドではどうしたらいいのでしょうか。ぜひみなさんに
していただきたいことは、医療サイドをそれぞれの立場から支えて欲しいと
いうことです。例えば救急医療を安易に使っていることはないでしょうか。
また、市民の側で、日本の医療の危機的な状態を把握し、医師やスタッフの充
実を求める市民の声を強めていくこと、それをつねに医療スタッフに伝え、
一緒になって、充実した医療制度を作り出していくことも重要です。

実際に市民の側のこうした取り組みがあって、地方病院の小児科が廃止を免れ
たり、疲弊しぬいた医師が、バーンアウトを免れたりした例も出ています。行
うべきは、市民サイドが、積極的に医療サイドに手を差し伸べることです。
できることはたくさんあります。まずは医療を受けたときに丁寧なお礼を述べ、
感謝を捧げましょう。ほとんどの医師や看護師は、その笑顔を支えに頑張って
います。

繰り返しますが、私たちが放射線被曝と社会的に闘っていくための基盤整備に
なります。医療に手厚い社会を作り出していきましょう!


********************

社説:診療報酬改定 配分こそが重要だ
毎日新聞 2011年12月26日 2時30分

0.004%増。このご時世に医療機関の増収は認めたくないが、日本医師会
や民主党内の声を無視するわけにもいかない。そんな苦悶(くもん)を表した
ような数字ではないか。「医療を維持していくという意思表示」。12年度
報酬改定を微増で決着させた小宮山洋子厚生労働相は成果を強調するが、診療
報酬を上げると保険料や患者の窓口負担も増える。物価も賃金も下がり、年金
も物価に連動して支給を減らす議論がされている中、医療側の収入を増やすこ
とが妥当なのか、割り切れなさが残る。

医療機関での検査や治療、処方される薬の値段を決める診療報酬の改定は2年
ごとに行われる。当初、日本医師会は次期改定見送りを厚労省に申し入れてい
た。東日本大震災に人材も財源も集中すべきだとの理由だったが、前回改定で
0.19%アップとなり経営が改善された医療機関は多い。マイナス改定され
るよりは現状維持を図っているのだと指摘する医療関係者は少なくなかった。

ところが、小宮山厚労相がプラス改定を公言したのを機に、医師会は次期改定
でアップを求める方針へ転換した。その後、事業仕分けで診療報酬の削減が打
ち出され、事態は紛糾する。結局、薬価を1.375%下げ、医師の人件費や
技術料に当たる「本体部分」を上げて差し引き0.004%増に落ち着いた。

もちろん医療体制を充実させることは必要だ。救急医療や産科などは相変わら
ず医師不足で、地方の医療機関や診療科の閉鎖も起きている。厚労省は報酬増
を救急、産科、小児科、外科など急性期医療を担う病院勤務医の負担軽減に充
てるほか、在宅医療、がんや認知症治療などの充実に回すという。在宅医療を
支える有床診療所や訪問看護ステーションの拡充は最優先すべき課題だ。

それは報酬全体を引き上げるのではなく、報酬の配分を変えることで対処でき
なかったのだろうか。比較的手厚く配分されてきた開業医側の反対は強いだろ
うが、消費増税の議論がされているさなか、さらに負担が増すことに納得でき
ない人は多いはずだ。今後は具体的な配分の論議に移る。数字上の微増にこだ
わるよりも、こちらの方が重要だ。

前回改定は民主党が政権交代を果たした直後だった。長らく自民党の支持母体
だった日本医師会は報酬改定に影響力を発揮することができず、それが開業医
から病院や勤務医へと傾斜配分できたことにつながった。現医師会執行部は民
主党支持を明確にし、政権への影響力は強まっている。国民にとって負担増に
見合った報酬配分ができるのか。安心できる医療体制を築くための筋の通った
論議を期待したい。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111226k0000m070112000c.html
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明日に向けて(365)これらかの医療に問われること(放射線防護を視座にして)・・・その1

2011年12月26日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111226 23:30)

最近、若い薬剤師さんと知り合いになりました。というか、前から時々、
漢方薬を買いにいっているお店の方だったのですが、偶然にもMARLYNと
のジョイント講演のときに、話を聞きにきてくださり、その後にお店で
再会して、いろいろとお話しました。今日も、ちょっと風邪をこじらせ
ているので、葛根湯の働きを補強してくれる小柴胡湯を買い足しにいっ
たのですが、そこでもいろいろと話になりました。備忘録的にまとめて
おこうと思います。


これからの医療に問われること・・・放射線防護を視座にしたときに見
えてくるのは、迫り来る疾病とのたたかいへの準備です。数年後から激
発してくるであろうガンとの闘いが一番見えやすいですが、放射線の害
は、必ずしもガンだけではなく、さまざまな形であらわれてきます。そ
こで問われるのは、広島・長崎の例から、被爆者の側で記録されてきた
さまざまな被曝のあらわれと思われる症例を医療従事者の間で共有化し
それへの対策を練り上げていくことです。

とくに憂慮されるのは、広島・長崎で「原爆ぶらぶら病」と呼ばれた、
どうしようもない倦怠感に襲われ、活動力・行動力を奪われてしまう病
の発生です。広島・長崎では、この症状に襲われて通院しても、どこの
病院でも「身体に異常はない」と「診断」されてしまい、被爆者の苦し
みの大本の一つともなりました。「原爆ぶらぶら病」という呼び名自身
も、「あいつは原爆を受けたためだといっては、ぶらぶらして怠けてい
る」というほどの意味を含んだもので、被爆者の苦しみを象徴しています。

今回の放射線被曝でも、この症状が出てくる可能性があるし、現に出て
いる可能性もあります。しかし現代医学では病とみなされないことが多い。
ようやくにして似た一群の症状に「慢性疲労症候群」という呼び名がつき、
同じような症例で苦しんでき方たちに、一条の光がさしてはいますが、そ
れとても認知度が高いわけではない。また慢性疲労症候群のすべてが放射
線が起因ともいえず、「原爆ぶらぶら病」はまだまだあまりに解明が進ん
でいない領域です。


被爆者を生涯に6000人診てこられた肥田舜太郎さんは、僕が7月に『世界』
誌上でインタビューをしたときに、この点について次のように熱く語られ
ました。

「ジャーナリズムの世界にいる人に大きく訴えて欲しいことがあります。
政府が予算を組んで、日本中の病院や研究施設、とくに広島・長崎の大学
病院、原爆医療研究所と原爆病院の医師たちに、原発事故で放射線を浴び
たらしい、あるいは内部被曝したらしいと思っている人々が来たら、どう
やって対応するか、きちんとした教育をして欲しいということです。もっ
と専門的に、より進んだ症状がでてきた時の治療法を、広島・長崎を経験
した日本の医師たちが編み出していくべきです。それをサボってきたのは
国の責任だから、国が音頭をとってやるべきことです。これをやらないの
なら総理大臣を辞めなさいというところまで新聞にも書いて欲しい。」
(『世界』2011年9月号144ページ)

ちなみに肥田さんは「このことを話しても話しても、他のマスコミはちっ
ともきちんと書いてくれない。しっかりここを書いてください」と強く言
われました。ニコニコしている肥田さんの顔がこのときだけ、きりっとし
ていたことをはっきりと覚えています。


このことはとても重要です。より具体的にはどういうことが問われるかを
考えていくと、放射線の害が、あらゆる領域に及ぶこと、とくに免疫系に
害を与えるので、あらゆる病が発生しやすくなること、今、持っている病
気の種が育ってしまい、表に出てきてしまうことなどを捉え、「原爆ぶら
ぶら病」的症状に限らず、住んでいる地域、あるいは住んでいた地域など
から、被曝の可能性が考えられる場合は、まずはそれを疑い、症例を細か
くチェックして記録し、その上で、一つ一つの症状に具体的な対応をしつ
つ、全体として免疫力のアップを目指していくことを医療的にフォローし
ていくことが問われます。

その意味で、医療サイド自身が、ぜひ放射線被曝への医療相談に乗り出し、
「気に病むな」といって返してしまうことなどなく、苦しみを訴えてきた
人と一緒になって歩むこと、同時にそうした症例を蓄積し、医療者同士で
情報交換を進め、被曝医療を前進させていくことがぜひとも必要です。

そのために僕自身、医療関係者や薬剤師の方々と連携を強化していきたい
と思っています。医療サイドの方で、もし私の話を聞いてくださる方がお
られたら、ぜひおよびください。どこにでも出向いて、積極的に交流させ
ていただきたいと思っています。


ただこうして被曝医療、あるいは医療上の放射線防護をすすめていくため
には、前提として日本の医療が今、どういう状態に置かれていくのかを市
民サイドがしっかりとつかんでおく必要があります。端的に言えば、日本
は世界の中で、技術度、安さ、かかりやすさの総合で、ダントツに世界1
と言える医療を実現していながら、それが国民・住民にあまりに知られて
おらず、さまざまな矛盾が医療従事者に極端にしわ寄せしている現状があ
ります。

これを医師たちを中心としたそれこそ超人的な努力で支えてきているのが
日本の医療の現実で、この上に、放射線の被害が重なることを考えると、
このままでは日本の医療はパンクせざるをえない。だからこそ、医療領域
での放射線防護を進めるためにも、このことに対する市民的理解を強め、
市民サイドで公的医療を守っていく必要があります。

まさにこのこととセットのものとしてこそ、被曝医療の発展、医療における
放射線防護の強化を実現することができるのです。この点をより突っ込んで
みなさんと考察するために、今後、数回にわたって日本の医療に問われてい
ることは何かを論じていきたいと思います。

続く
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明日に向けて(364)アメリカが原発新規着工を認可した(冷温停止宣言の背景)

2011年12月25日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111225 23:30)

みなさま。今日はクリスマスですね。メリークリスマス!どうかよき年の
瀬をお迎えください。

さて今宵も原発情報をお送りします。クリスマスにも絡む情報です。
明日に向けて(356)で僕は、日本政府による滑稽とも言える「冷温停止宣
言」がなされた背景として、アメリカからの強い働きかけがあるのではと
いう推論をご披露しましたが、その裏づけとなり、かつ一部修正を必要
とする情報が出てきました。

何かというと、アメリカで原発の新規着工の認可が、アメリカ原子力規制
委員会によって打ち出されたことです。スリーマイル島事故以来、30年以
上にわたって凍結されていた建設再開の認可です。これがアメリカで22日
に発表されています。「これが背景にあったのか」ととても嫌な気持ちが
しました。

12月16日に日本政府が冷温停止を宣言、22日にアメリカ原子力規制委員会
が、原発新規着工を認可ですから、両者が連動しているのは明白です。し
かも宣言は、明らかに今日のクリスマスを狙って出されています。なぜな
ら、この日は多くのアメリカ人にとって大切な日で、家族や友人と過ごす
ために休暇を取ったり、あるいは身内や地域で、お仲間で集まって時を過
ごしており、その分だけ政治的行動が取りにくい期間だからです。

2008年から2009年にかけてのガザ戦争が、まさにクリスマスから新年にか
けての休暇を利用する形で行われたことを彷彿とさせます。そのために、
今日、12月25日から逆算して、12月16日に冷温停止が宣言され、22日に、
30年以上、凍結されていたアメリカの原発新規建設のゴーサインが出され
たのではないか。だとすれがこれは、米日両政府による、クリスマスの
冒涜ともいえるのではないと思います。

しかも「修正を必要とする」点として、僕はアメリカが西海岸の被曝に多
くのアメリカ国民が気がつくことを恐れていると書きました。それは間違
いないことですが、より積極的に、この時期に原発新規建設の認可をだそ
うとしていることはまったく読めませんでした。なおかつ、当の新着工の
主体が、東芝の子会社のウェスチングハウス・エレクトリックであること、
ちゃっかりと日系企業が、アメリカでの原発新規建設の音頭をとりに成功
しつつあることも知りませんでした。

この点、いろいろと情報を精査してみると、福島第1原発の原子炉のベー
スを設計したゼネラル・エレクトリック社(GE)が、さすがに敬遠され
ていることを利用する形で、東芝は、沸騰式型原発の対極にたつ、加圧水
型原発の新規着工認可をたぐりよせたのだと思われます。つまり今回の
事故をうまく利用すらしているわけです。二重三重にもいやなにおいが
漂ってきます。

私たちがここで明確にしなければならないのは、脱原発と放射線防護の
推進にむけて、アメリカと日本の国民・住民の連携を強くしなければなら
ないということです。アメリカの多くの方たちに、私たちの暮らす国での
原発事故で、西海岸を中心に深刻な被曝を生ましめてしまったことを伝え
る必要があります。その中から、米日両国の市民サイドの協力を深めて、
共に、明日を切り拓いていく必要がある。放射能には国境などないのですか
ら、国境を越えた市民的連帯がとても大事です。


・・・実はそんなことも念頭におきつつ、昨日24日のクリスマスイブに僕
は、明治初期の京都復興を担った多くのクリスチャンの方たちが眠ってい
る同志社墓地を含む若王子墓地に、企画に応募してくださった方たちを
ご案内したのですが、そのうちのお一人に、アメリカバージニア州から
参加してくださった女性がいました。京都出身で、向こうに住まわれてい
るのですが、久しぶりの帰省にあわせて参加してくださったのです。

実はこの方からは、帰省にあたって注意すべきこと、またアメリカが被曝
していると聞いたけれど詳しいことを知りたいとの依頼があり、むこうに
おられるときに、何度かメールを交換していたのでした。企画に参加され
るつもりとは知らず、昨日、集合場所で初めてお会いして、わざわざ駆け
つけてくださったことに感激しました。

その彼女から道々、いろいろなお話を聞きましたが、実はバージニア州は
まさに30年前に事故を起こしたスリーマイル島から近い地域なのだそうで
す。その彼女の周りで、最近、「あの人も、あの人もというぐらい、乳がん
の話を聞くのです」と教えていただきました。データ的な裏づけはないお
話ですが、胸がドキッと痛くなりました。

一方で、彼女、帰国を前に、教会で日本の苦しい現状を話し、チャリティ
を募ってくださったのだそうです。リストバンド(か何か・・・)を1つ
2ドルで売ったのだそうですが、みなさんどんどん買ってくださったとか。
しかもそこで集まったカンパ160ドルを、僕の放射線防護活動に使ってくだ
さいと渡してくださったのです!はじめてドルでいただいたカンパでした。
何か僕はまたも何かに大きな力に、「さらに前に歩め」と背中を押された
ような気がしました・・・。


同じクリスマスを前に、まったく違う二つの流れが動いています。彼女と
僕とその周りの人々のつながりは小さなものかもしれませんが、しかし、
あちこちで無数に動いているたくさんの流れの一つなのだと僕は確信して
います。それはいま、だんだんに結びついて大きな流れになろうとしている。

一方で、本質的にはこうした流れこそが、いつのときも歴史を動かしてき
たことを悟ることのないおろかな人々が、クリスマスを悪用し、冷温停止
宣言を行い、原発新規着工認可を出し、「福島の沸騰水型よりずっと安全
な新型です」とかいって、再び原発を作ろうとしている。30年間、新規着
工を阻んできたアメリカの人々の意志、願い、そしてスリーマイルの痛み
を踏みにじってです。

どちらの流れの側に立っていくのか。今、多くの人が問われていますが、
おろかな流れに心から賛同して乗ろうとする人がほとんどいないのは確か
です。問題は、自分の心に素直になるのか、それとも心に逆らっても、
お金や地位や、権力にしがみつきたいのか、そのどちらかの選択であると
いえるでしょう。

みなさん。自分の心に、ただただ素直に、脱原発の道を、さらに一緒に
歩んでいきましょう!

**************

米 “新型原子炉の認可”発表
NHK NWESWEB 12月23日 9時35分

アメリカの原子力規制委員会は東芝の子会社が開発した新型原子炉を認可
したと発表し、1979年にスリーマイル島で起きた原発事故以来、アメ
リカで30年以上凍結されてきた新しい原子力発電所の建設が再開される
見通しとなりました。

アメリカ原子力規制委員会は22日、アメリカにある東芝の子会社「ウェ
スチングハウス・エレクトリック」が開発した新型原子炉を認可したと発
表しました。原子力規制委員会によりますと、新型の原子炉は「事故が起
きた場合でも、無人でも原子炉を冷却できるなどの安全性能を備えている」
ということです。今回認可された新型原子炉は、アメリカの大手電力会社
が南部ジョージア州で建設を進めようとしている新しい原子力発電所で採
用されることになっており、1979年にスリーマイル島で起きた原発事
故以来、アメリカで30年以上にわたって凍結されている新しい原発の建
設が再開される見通しとなりました。これについてエネルギー省のチュー
長官は「30年以上にわたって凍結されてきた原子力発電所の建設を再開
するのに向けた重要な一歩だ。オバマ政権は、新たな雇用を創出するため
にも原子力発電所の建設の再開を後押しすることを約束する」として原子
力規制委員会の判断を歓迎するコメントを発表しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111223/t10014860591000.html

**************

米、30年ぶり原発新規着工へ 東芝子会社が設計
共同通信 2011/12/23 10:12

【ワシントン共同】米原子力規制委員会(NRC)は22日、東芝子会社
の米原発大手ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)の新型原子炉
「AP1000」の設計を認可した。米国内ではこの原子炉を採用した原
発の建設計画が複数あり、年明けにも南部ジョージア州のボーグル原発3、
4号機などの建設と運転が承認される見通し。

米国では、スリーマイルアイランド原発事故後、原発の新規着工はなかっ
たが、約30年ぶりに建設が再開されることになる。

東電福島第1原発事故後、「原発大国」米国が推進の姿勢を明確にしたこ
とで、原子力業界は原発への逆風に歯止めがかかることを期待している。
http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011122301000965.html

**************

この件について、「ざまあみやがれ」さんが、マスコミ情報を丹念に集め
て下さっています。とても参考になりました。お礼を兼ねて、ご紹介して
おきます。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65781922.html
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明日に向けて(363)音と歌詞が宇宙から降りてくる!(歌姫MARLYN談)

2011年12月23日 10時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)

守田です。(20111223 10:00)

311以降、僕は放射線防護の一点で、駆けてきましたが、その過程で本当に多くの方と出会いました。なかでもとても印象的だったのは、山水人に集う方たちはじめ、音楽をこよなく愛する方たちとの出会いでした。音楽の中でもレゲエが僕の中に入ってきて、「レゲエは放射能に効く!」という思いを僕の中に生ましめてくれました。

もはや出てしまった膨大な放射能とは、正面から対決していくしかない。可能な限り、避けることが一つの柱ならば、他方で、避けようもなく入ってくるものに対して、免疫力を最大限に上げて立ち向かうことがもう一つの柱になります。そのとき、私たちの心に潤いを与え、それどころかリズムを与え
てくれて、活力すら生み出してくれる音楽は、このたたかいの素敵なアイテムになります。

そんなことを思っているときに、京都の歌姫、MARLYN(マーリン)が呼びかけてきてくれて、12月11日に、京都北白川の素敵な自然食レストラン、Natural Food Villageで、歌とトークでのセッションを行うことができました。とても嬉しい場だったのですが、そのとき、僕の話はともあれ、MARLYNの歌が本当に凄かった。僕は彼女のコアなファンなのですが、さらにその思いが深まりました。

MARLYNの歌の凄さは、その大半が即興で奏でられること。どんどん彼女自身がトリップしているかのように歌っていくことで、聞いているこちらも引き込まれていきます。体がしびれるような感じを受けます。はじめて聞いたのは、僕もスタッフとして参加した6月の脱原発デモでのことでした。

参加者に好きに自分の主張をしてもらいたいと、トランジスターメガホンをまわしていたら、マイクを担いだ彼女が歌いだした。ちょうどデモが、京都のビル街である烏丸通りを通っているときで、彼女の歌がビルに反響して凄いことに。「あーいーを、うたおーう。だいちの、声にみみをすまそう、平和、平和」とそんな感じなのですが、とにかく言葉ではとても伝えられないすごいサウンドで、本当に驚きました。和製ビョークの登場だと思った!

このときのデモの様子がアップされているので、ぜひごらんください。デモが京都市役所につくところです。解散地での即興ライブで、メガホンをかついで歌っているのがMARLYN(マーリン)です。僕も壇上でメガホンを持って、彼女の歌をサポートしています。
http://www.youtube.com/watch?v=oUXT5o-NzhA&sns=em

また最近、彼女はギタリストや、楽器を演奏する人がよく使用しているものの、ボーカルにはあまり使われることがなかったあるマシーンを使っています。ループマシンというそうで、多重録音ができる機器です。いや楽器というべきか。ようは一人アカペラが可能になってしまうのです。ボーカル用のものは最近出てきたばかりなのですが、これがまた凄いサウンドを作り出していく。即興の一人多重アカペラで、僕は音楽には詳しくないですが、これは新しいジャンルなのではないでしょうか。


この日はライブの前に彼女にインタビューを試みることができたので、ここに紹介しますが、それによるとMARLYNは京都太秦生まれの滋賀育ち。今は湖南市と呼ばれる菩提寺付近で育ったそうです。現在29歳。もうすぐ30歳になります。歌い始めたのは、想像よりずっと遅くて、23歳のとき。最も3、4歳から18歳までエレクトーンを習っていたそうですが、それ以降はとくに音楽活動はしなかったのだとか。

そんな彼女に転機が訪れたのが23歳のとき。実はその前から歌いたいという思いが芽生え、ピークに達しつつあったそうですが、人前で一度も歌ったことがないし、音楽をやっている知り合いも一人もおらず、とにかく歌える場所を探していた。そんな中で、ダンスホールレゲエというジャンルに出合いました。

ラバダブという、マイクがオープンになっていて、参加者が自由に歌いだしてメッセージを発するスタイルの場で、とにかくマイクをとってみました。お客さんがほとんどおらず、スタッフと彼女ぐらいしかいない場だったそうです。でもそこで初めて歌った彼女、「私、結構歌えるかも」と思ったのだとか。

彼女の歌を聴いて、まわりにいたレゲエのDeeJayたち(レゲエではラッパーをディージェーと呼ぶのだそうです)が感心し、スタジオに誘ってくれました。そんなこともあって歌うことに目覚めた彼女、ひとりで大阪のクラブなどにも通いだした。

そのころの彼女はそれほど練習はしなかったそうです。それよりもとにかくクラブに通った。平日でも、オープンマイクで歌えると聞けば通ってマイクをとった。マイクをとってすぐに歌いだした。その頃の大阪には、平日でもレゲエの音がなるクラブがたくさんあったので、バイトを終えて、ひとり車を走らせ 夜な夜な歌いに通ったそうです。

しかも、そうやって歌いだすとすぐに見えてきたのは、ラバダブでは、自分の声を調整してくれる音響の人もいないし、いかに自分の声が響くか、届くか、常に考えざるをえないこと。それで工夫を重ねるうちに、歌を歌うために必要なアナログな筋肉が鍛えられていったと彼女。

その後、彼女はダンスホールレゲエの現場で、CDのリリースやLIVE活動をするようになっていきましたが、活動していくうちに、これは自分のやりたい音とは違うという思いを強めていきました。そんなとき、2007年に、高知で参加した「ヘンプギャザリング」というお祭りで、自由に歌わしてもらったそうですが、そこで自分の魂が求める方向がすごく見えてきた。お祭り参加は初めてでしたが、「みんなの、食や環境への意識の高さに衝撃を受けた」そうです。

こうした関心は、「ラスタマン」に出会ったことがきっかけだそうです。もともとラスタマンとは、ラスタファリ運動という、1930年代にジャマイカで起こったアフリカ回帰をめざす宗教的思想運動を担う人のことで、1970年代にレゲエの巨匠、ボブマーリーなどによって広がったものだそうです。

彼女が具手的にであったラスタマンの名は、佐藤陽介さん(兵庫県在住)。オーガニック、食と健やかなお産を伝え続けている方だとか。それで彼女、食べ物のことを深く考え、学び出した。食べ物を通して、今の社会のシステムが見えてきた。彼女にとって身体は楽器です。その楽器を大事にしなくてはいけない。そう考え出したときに、彼女は宇宙とのつながりを感じると同時に、添加物まみれの食品、加工食品があふれかえっている現実に目がいきだした。同時にそれを見て「おかしい」と思う感覚を失っていた自分に気がつきました。学ぼうと思ったそうです。食から社会のシステムを知り、そこから原発はあかんという意識に繋がることは自然でした。

同時に彼女の歌もより研ぎ澄まされていきます。彼女が深めていったのは即興です。これを彼女が歌うとき、彼女は頭を使わないという。ヨガのような瞑想状態に入る。自分が地球にいることを感じる瞬間が大事だと思っていて、自分が宇宙の一部であることを思い出させるのが、彼女にとって歌うことなのだそうです。歌うことが楽しくて楽しくて気持ちよくてしかたない、それをひたすらやっていたら、いつのまにか自分の歌を聞いて喜んでくれる人がいるようになって、ああ自分の好きなことをやっていけばいいんだと思ったそうです。

それではメロディラインはどうなるの?という僕の質問に彼女は「勝手にメロディーが降りてくる。宇宙、そこからつながる空間に、メロディや歌詞が浮かんでいて、それをつまんでいる感じ。目の前にヒューンときた空気の感じを、そのまま筆にのせて絵を描く感じで歌ったりする」と語りました。

「メチャ楽なんですよね」と彼女は笑います。「だから身体をきれいにしておきたい。メロディが出てくる。自分を通して出てくる。そんな私にとって自分の身体を美しく保つ責任があると思う」とも。そのために食べるものを、常に意識をするようになりました。愛を込めて作られた野菜を食べたりしているといいます。

こうした心境には歌いだしてすぐにはたどり着くことはなかった。ダンスホールレゲエでは言葉をよく使うので、自分も言葉を使った曲をつくろうともしたそうです。でもその後にもともと好きだった即興に戻った。言葉も降りてきたものをつかまえて歌った方がしっくりくるのだそうです。ではその言葉はどこから降りてくるのか。「どこから降りてくるんやろう。それを解明したら、すぐに守田さんにいいますわ」と彼女。「それを知るとこれからの歌も変わるかもしれない」とも。

この先はどうするのか。曲をたくさん書こうと思っているそうです。春からハードコアのバンドの人たちと、ツアーを組む予定です。歌うときの衣装も提供してくれる人がいて、その人たちとも一緒に動きたいのだとか。でも曲を作ると即興ではなくなるのではという問いに対して、「作るときは即興で、それをパッケージングしようと思っています」とのこと。


彼女の話は以上ですが、インタビューをしながら、僕は、凄い!と思いつつも、やはりなという印象を強く受けました。彼女をはじめてみたあのデモライブのとき、僕は彼女には何かが降りてきていて、それが彼女を通して外に出てきていることを強く感じました。そんな彼女のことを僕は「巫女さん」のようだと感じました。巫女さんというのは、他に当てはめるべき言葉がみつからずに使う表現でもあるのですが、確かに僕には彼女が宇宙につながっているようにみえました。

その姿は、魂を揺さぶられるほど感動的でありながら、どこか無性に懐かしくなるものでした。私たちには、実は本来、誰にもこうした能力が宿っている。宇宙とつながることのできる感受性です。でもそれを私たちは、科学にたよりすぎて忘れてしまったのではないか。彼女の歌は、何かそんな忘れていた大切な何かを感じさせてくれる。だから「懐かしい」としか表現しようのない切なく甘い感情に襲われるのです。

そう語ると、彼女は「とても嬉しい」と笑ってくれました。彼女も「サヨコ」という歌い手さんの歌声を聞くと、「懐かしくて、涙がめっちゃでる」のだそうです。そんな感性を彼女もとても大切にしている。

彼女は今後、もっと進化をしていきたいそうです。今は一人でやれることだけをやっている。バンドの人たちと一緒にできることなどをやりたいのだそうです。ちなみに彼女は、今、売り出し中のフライングダッチマンのメンバーと友だちです。とても仲がいいのだとか。それでクリスマスに大阪でジョイントライブをするそうです。12月24日大阪北新地のcaptainkangarooです。だいたい夜の9時ごろからの出演だとか。お店の紹介は以下をご覧ください。
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27009320/dtlrvwlst/608058/627065/







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明日に向けて(362)京都から福島を、この国の未来を、想う(12月24日同志社墓地へ)

2011年12月22日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111222 23:30)

明後日、24日はクリスマスイブです。この日にサクセスランニングの方が、
京都から福島を想う東山・大文字チャリティウォークを企画してください
ました。収益の一部を、僕が参加している福島除染活動や、宮城県での
放射線測定室立ち上げ、気仙沼はじめ被災地の取材等のためにカンパして
いただけることになっています。

なぜ東山にこの日に登るのか。その中の若王子山に同志社墓地があり、ま
わりにキリスト者の墓地が大きく広がっています。十字架の墓標がたくさ
んあり、クリスチャンの方たちがここに寄り添って、眠っていることがわ
かります。ここに明治の京都復興の立役者、山本覚馬が眠っています。彼
は元会津藩士。砲兵隊長として、御所に攻め寄せる長州軍を打ち破った経
歴を持つ人物です。

その後、明治維新で会津が蹂躙され、国を守るのは武力ではないと実感、
教育と法律に展望を託します。まず京都町衆と、日本で最初の小中学校を
創設。さらに近代日本で最も強固なフェミニストであった彼は、女子校を
作ると共に、売買春の禁止と祇園の芸子の解放をめざし、明治6年「娼妓
解放令」にこぎつけます。

しかし「女性による自由な売買」という抜け道ができたことに失望。法律
ではなく、人の心を磨くことこそ第一と考えて、キリスト教に接近。やが
てアメリカから帰って、キリスト教精神の学校を作ろうとしていた新島襄
と知り合い、「新島君、君と僕は同志だ!僕らのやしろ(社)を造ろう!」
と同志社創設に向かうのです。

教徒の旦那衆は、そんな山本を尊重し、明治10年に始まった普通選挙で
立候補をしていない山本に多くの人が投票。彼は京都府会議員に当選して
しまいます。覚馬は驚きつつも迎えに応じて、議会に参加。今度は議員の
自由投票において、京都府府議会の初代議長に選ばれてしまいます。
近代の京都は、初代議長にキリスト者を選んだのです。

山本は同時に京都の諸産業を育てました。京都の名だたる会社の多くが
山本の手で育てられています。これらの点から僕は、山本覚馬は、坂本
龍馬と同じような開明的な観点を持ちつつ、しかし海軍という暴力装置
の創設で終わってしまった龍馬を大きく越え、暴力を越え、教育に、
さらには女性の尊重に未来をみようとした人物として尊敬しています。


同志社墓地には覚馬の妹の八重も眠っています。覚馬から銃の扱い方を
教わり、薩長からなる官軍が、会津若松城を攻めた際は、戦死した砲兵
隊長にかわって、隊を指揮、迫り来る官軍との死闘を担いました。その
後、城が陥落。八重らは官軍に捕らわれますが、女性であることを理由
に放免され、母と共に兄のいる京都を目指します。

やがて京都で覚馬と合流。兄の教育にかける情熱に共感し、兄が立ち上
げた全国2番目の女子学校であり、その後、日本最古の高等女学校となっ
た、現、京都府立鴨沂高校に入学。兄の進めで英語を学びました。やが
て兄が新島襄と意気投合するや、同志社学校の建設に英語教員として
参加。さらに新島と恋に落ち、結婚します。

女傑であり、当時としては最も新しい思想をとしての男女平等間を見に
つけていた八重は、その後、同志社設立の一つの中軸となった「熊本
バンド」(熊本出身のクリスチャンたち)とそりがあわなかったといわ
れています。一つの理由が、新島襄が八重を「八重さん」と呼んだこと
に対し、八重が「襄」と呼び捨てにしていたことにあったとか。

そんな彼女の生涯が、再来年の大河ドラマの主題として設定されており、
八重役は、女優の綾瀬はるかさんが担うことが決まっています。脚本は
「げげげの女房」を担当した、山本むつみさんです。
http://career.oricon.co.jp/news/89123/full/


この大河ドラマは、会津出身のNHK幹部が、福島応援キャンペーンと
して打ち出したという噂ですが、しかしどこまで事実に迫れるのか、僕
な疑問を感じてもいて、可能な限り、来年、僕も取材を深めて原稿を
書いていこうと思っています。

とくに重要なのは、明治期の日本の方向性と、京都の位置です。明らか
に両者は違う方向に歩みつつあった。とくに明治20年までの京都は、日
本が本当に進むべき道を切り開きつつあり、それを牽引していたのが
山本覚馬であり、新島襄であり、多くのクリスチャンと一体となりなが
ら、焼け野原の京都を復興して言った町衆でした。

そうした名残は、御所の周りをゆっくり歩いてみるとよくわかる。なん
と最も純日本風の場所だと思われがちな京都のこの核心部には、キリス
ト教関連の建物がひしめいています。実は先日、矢ケ崎さんが京都で
講演された翌日も、ここを車でご案内したのですが、そこにこそ、明治
政府が打ち捨てた京都を、町衆とクリスチャンが復興していった証左な
のです。

しかしこうした解説は、どの京都案内をみてものっていません。いわん
や現、京都市制は、こうした京都の誇るべき歴史にまったく見向きもせ
ず、むしろ全国にさきがけて学校制度を作り出した京都の市民による教
育復興の伝統をないがしろにしています。このあり方こそが正されなけ
ればならない。

同時に福島原発もある意味で、明治以来の歪んだ方向性、一言で表せば
西洋の野蛮を取り入れてきてしまった歴史の流れを象徴する一つのモニュ
メントです。だからこそ、今、京都と会津、福島の由来を学ぶ中から、
明治以降、私たちの国が、どこで何を間違い、野蛮の中に入ってしまった
のか、その歴史を捉え返して、ではいま、どこに向かえばよいのかを
考えたいと思うのです。

そんな思いを込めながら、12月24日、クリスマスイブに若王子墓地=クリ
スチャン墓地にみなさんをお招きし、さらにそこから大文字山に登って
御所をはじめ、京都市内を一望したいと思います。
大文字山から遠く、会津を、福島を、東北を思い、痛みを背負った
人々と苦しみをシェアしていく来年の展望、そしてまたこの国の野蛮の
歴史と決別した新たな歩みの方向性について語り合いたいと思います。

以下、サクセスランニングからの最終の案内を貼り付けます。
今からでも申し込み可能です。(僕のアドレスへの申し込みもOKです)
よければぜひご参加ください。

*************************

◇12月24日 大文字山◇

クリスマスチャリティー福島を想うウォーク@大文字山
~会津藩士 山本覚馬を想いながら~

実は京都と福島は深いつながりがあります。会津藩士 山本覚馬
明治維新のころ、京都の発展に尽力された方です。新島襄さんと
同志社大学を設立、新島襄さんが妹さんの八重さんとと結婚され
て、再来年?のNHK大河ドラマで取り上げられると聞いています。

そんな山本覚馬に想いを馳せながら、山本覚馬が眠る同志社墓地を
訪ねて、大文字山を歩いて、最後は火床からの素敵な夕焼けを眺め
ます。
収益の全ては、福島での除染活動、情報収集&提供など、OHANAの
活動で一緒に東北に行った守田敏也さんの震災支援の活動に寄付
させて頂きます。

日時 : 12月24日(土)
集合 : 13:30 平安神宮
参加費 : 3,000円
詳細: http://www.success-running.com/news/2011/12/20111224.pdf

****

クリスマス大文字ウォークにお申込みの皆様

2日後に迫りました大文字ウォーク、いい感じに寒くなって参りました。
何点かご連絡になります。

①集合は13:30に平安神宮前になります。解散は銀閣寺付近になります。
解散場所と集合場所は異なりますのでご注意ください。
地図 : http://yahoo.jp/HnCukI
携帯用地図 :  http://yahoo.jp/HnCukI

②天気予報は「曇り」 最高気温8℃ 最低気温0℃ 降水確率40%です。
曇り空の中、寒めの中の開催となりそうです。
防寒対策は念入りに(カイロは重宝します)、
加えて雨具(100円ショップの雨合羽が便利です)の準備をお願い致します。

③火床で夕焼け、夜景を眺めてから下山の予定です。
暗くなりますので、懐中電灯があると便利です(こちらも100円ショップ
が便利です)

④万一の悪天候の場合は、途中でウォーキングを中止して引き返すことも
ありえます。
予めご了承ください。
それでは、24日のクリスマスイブにお会いできるのを心から楽しみにし
ています。

素敵なイブを一緒に過ごしましょう。

森拓哉


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明日に向けて(361)大間原発反対!「あさこはうす」を守るために、はがきを出そう!

2011年12月22日 09時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111222 09:00)

僕は「山水人」という愉快な方たちの集まりのMLに参加していますが、そ
こに「大間のあさこはうすが大変なことになっています」というタイトルの
書き込みがありました。何かと読んでみると、建設中の青森・大間原発の、
原子炉予定地300メートルのところの畑を耕し続けて抵抗してきた、故あさこ
おばあさんの遺志を受け継いで建てられた「あさこはうす」が、道路封鎖の
危機の前にあるというではありませんか。

しかし、みんなで激励のはがきを出すと、郵便やさんが通うことになり、交通
量を増やせるという。激励が同時に道路を守ることになる。はがきを出して欲
しいとある。なんだかとてもユニークな呼びかけでいいなと共感しました。

またほとんど同じタイミングで、「明日に向けて」をしばしば転送して下
さっている安積由紀子さんからも、大間原発反対運動の紹介のメールが流れて
きました。これは僕も何かをしなくてはいけないと感じ、このはがきを出す
ムーブメントにコミットメントすることにしました。どうか多くのみなさんに
この「はがき」のことをお伝えください。そしてみんなで継続的にはがきを
出しましょう。

可能ならそれぞれ5枚ばかり(あるいは好きなだけ)葉書をかって、数ヶ月にわ
たって出し続けましょう!激励になり、かつ、交通量を増やせます。だらだら
と?長く続けるのがポイントですね。

はがき以外の手も活用できます。メール便などいいですね。そうすると郵便屋
さんだけでなく、宅急便やさんも通うことになって、ますます交通量が増えま
す。その一つ一つが、大間原発建設を食い止めることになると思うと、ますま
す愉快です!

MLへの投稿で紹介されていた「脱原発の日ブログ」での、はがき投稿の
呼びかけと、「あさこはうす」を紹介した「なわふみ日記」、および安積さん
が教えてくださった「大間原発と函館-原発訴訟準備すすむ」という大場一雄
さん(大間原発訴訟準備会事務局長)の記事を紹介しておきます!

どんどん広げよう!脱原発ムーブメント!

**************

脱原発の日ブログ
http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-11108920118.html

テント村では、青森で新しく稼動されそうな大間原発に、たった一人で抵抗
していたおばあちゃんの遺志を継ぎ、抵抗を続けている「あさこ はうす」
のお母さんとお孫さんが、必死にアピールしていました。

「おばあさんは、どうして原発の危険を知ったのですか」と質問したら「母
は、放射能とか難しいことは、分りませんでしたが、原発がくれば、海の温
度が高くなり、魚たちは、生きてゆけず、漁業もやっていけないと推論した
ようです。」と応えておられました。
きっと祝い島の人たちと同じように直感したのだろうと思います。原発技術者
や御用学者に欠けていたのは、この素朴な直感だったと思いました。

いま「あさこ はうす」に通ずる道路を電源開発J東北パワーは、閉鎖しよう
としていて、毎日、交通量をチェックしているそうです。だからこの道が、
車のよくとおる公道であることを示したいそうです。

そこで郵便局の車が毎日通れば、道路が閉鎖されないだろうと考えて、「あさ
こ はうす」宛てに、激励のはがきを送ってほしいとのことです。カンパの意
味で、はがきを買ってきたのですが、もうなくなってしまいました。普通のは
がきでもいいから、どうか「あさこはうす」宛てに、げきれいのはがきを出し
てあげてください。

長々と書いてきましたが、実は、このメールの主要な目的は、「あさこ はう
す」宛てに、激励のはがきをだしてほしい、というお願いです。

039-4601

青森県下北郡大間町字小奥戸 396

「あさこ はうす」

はがきの裏面には、こんなことが書いてありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あさこはうすゆうびん

あさこにはたくさん人の出入りが必要だけれど、場所は青森の最北です。中々簡単に
は行けないところ。遠くののかたも。もちろん近くの方も。
はがき一枚でできる、ちいさな応援をお願いします。

*****

なわふみ日記
http://nawafumi.jugem.jp/?eid=69

*****

大間原発と函館-原発訴訟準備すすむ
大場一雄(大間原発訴訟準備会事務局長)
http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0708_6.htm
コメント (1)
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