非常に大事な記事を友人が紹介してくれました。
「避難を遅らす「正常バイアス」という記事です。この記事は昨年5月1日に
中日新聞に載ったもの。スマトラなどの津波のときに、目の前に津波が
迫りくるのを見ながら、なお避難しない人がいた理由などを解明したものです。
記事にはこう書かれています。
「現代人は今、危険の少ない社会で生活している。安全だから、危険を
感じすぎると、日常生活に支障が出てしまう。だから、危険を感知する能力を
下げようとする適応機能が働く。これまでの経験から「大丈夫だ」と思って
しまいがちだ。これが「正常性バイアス」と呼ばれるものだ。」
つまり危機が迫っても、それを打ち消す「適応機能」が働く。まさに
これが今、この国を覆っているのだと思います。
僕が「何とも奇妙な数週間」と呼んだものの実態がこれなのだと
「膝を打つ」気がしました。
記事はさらにこう続いています。
「私たちの調査で、災害でパニックが起こったと確認できる例はほとんどない。
特に日本のように地域の人同士がつながっている社会では、パニックは
起こりにくい。「自分を犠牲にしても」と互いに助け合おうとする心理が
強くなるからだ。
現状では、強い正常性バイアスの結果、パニックになる以前、つまり何が
起こっているのか分からないうちに災害に巻き込まれる。日本では避難警報が
出ても避難率はいつもゼロから数%程度と低いことからも明らかだ。
行政側はパニックを恐れて災害情報を過小に公表してはいけない。」
これまた膝を打つ思い。(実際には打ちませんが・・・)
ではこうした正常バイアスはいかにすれば解決できるのか。
記事はこう続きます。
「いざというときに正常性バイアスを打ち破り、「危険だ」と直感できるような
訓練をしておくことが大切だ。そのためにはある程度、災害の恐怖感を体に
覚えさせておかなければならない。」
ウーン、これも納得です。
今、原発事故を前にして起こっているのは、こうした「訓練」を行っていたか
いないかの大きな違いであるように思います。この場合の「訓練」とは、
シミュレーションも含みます。
原発に反対してきた人、批判的してきた人は、たいていチェルノブイリ事故に
よる放射能汚染地図などを見てきていると思うのです。半径数100キロずつ、
円が描いてあるものなどです。
瀬尾健さんなどは、これを日本地図に移した図をたくさん作ってくれました。
このおかげでこれを見た人々は、いわば図上訓練を行えていたと思うのです。
いざとなったら逃げなくてはという思いがインプットされてきた。
僕もその一人です。同時に僕には、こうした時に、政府はまず間違いなく
事態を明らかにしない。人々を逃がそうとはしない。だからそういうときは
逃げることを呼びかけなくてはという、非常に強い思いがインプットされて
きました。
こんな思いが的中したことなど、まったく嘆かわしいばかりですが、
しかし3月26日の原子力資料情報室の田中三彦さんの記者会見で、
地震当時、1号炉では冷却水喪失事故という「絶対にありえない」と言われて
きた深刻な事態が起こっていた可能性が極めて高いことが明らかにされました。
本当に不幸中の幸いで、とりあえず、大爆発には至りませんでしたが、
しかしあの段階で、逃げなければと思ったのは正しかったし、東電や政府は
それを人々に伝える義務があった。後々、裁きを受けることになる可能性が
極めて高いと思いますが、事態はそこまでいっていたのです。
では東電は政府はなぜそれを明らかにしなかったのか。第一にそういう
体質だからでしょう。チェルノブイリ事故のときも共産党幹部はまっさきに
「パニックを起こしてはならない」と考えたことが記録されています。それで
事故を3日間も秘密にしていた。周辺の人々はあの大惨事の中、普通に
暮していたのです。
東電も政府も旧ソ連と非常に似通った体質を持っている。それが『原発事故を
問う-チェルノブイリからもんじゅ』(岩波新書)の中で、作者の七沢潔さんが
書かれたことです。
しかし第二に、実は東電も、政府も、そしてマスコミの多くも、同じように
「正常バイアス」の虜になっているのではないかと、この記事を読んで
僕には思えました。
「パニックを起こすな」とは、実は自分に向けられている言葉でもあるのでは
ないか。なぜならこれらの人々は、原発は絶対に安全だと唱えてきたため、
事故時の訓練やシミュレーションをしてきてないのです。だからここでも
正常バイアスが働くのではないか。
ただ危機を隠ぺいしているだけでなく、ほかならぬ自分たち自身が、
大丈夫だ、これ以上悪いことにはならないのだ、事態は沈静するのだと
思いこみたい心理に捕われているのではないかと思えるのです。
そしてパニックを起こさないことこそが使命だと思いこんでしまい、
実際に人々を避難させる大変さ、責任を負う心理的苦痛から目をそむけてしまう。
だから避難対策でも、事故終息に向けた対応でも、後手後手になる。
繰り返し報道されていることですが、東電と政府は、事故直後に冷却材を
空輸してきた米軍の協力を断ったといいます。理由はそれを使うと廃炉になる
からだったそうです。つまり1号炉で冷却材喪失事故まで起こっているのに、
まだこれらの炉を廃炉にする判断ができなかった。
というか、最良の道をたどったとしても廃炉は免れない現実を直視できな
かったのだと思います。理由はここでも「正常バイアス」が働いていたから
です。危機回避の訓練をしてきていない以上、それはある意味で当然だとも
言えます。「想定外」のことに遭遇したら、人は無力になってしまうのです。
それでは多くの人々はどうでしょうか。それぞれの職歴や経験などで
大きな違いがあると思いますが、少なくとも原発に関して安全だと思って
いた人ほど、「正常バイアス」が働きやすいと思います。また報道で「安全」が
繰り返されることにより、これが増幅される「同調バイアス」というものも
働きます。
それで普段から原発の危険性を感じて、避難の必要性を感じた人、また
そうした信頼に足る友人が周りにいて、自分も家族や友人に避難の必要性を
説こうとした人は、この「正常バイアス」に直面してしまうことになります。
しかも今回の事故は少なくともここまで「ゆっくりとしたチェルノブイリ」として、
徐々に、進行してきています。だから避難を呼びかける側も、
一体どれぐらいの範囲が危険で、どこまで逃げなければいけないか、
明確に提示できないし、いつまで避難すればいいかも提示できない。
ここで重要なのは直面しているのは「正常バイアス」ばかりではなく
生活の現実性でもあることです。そもそも避難をしたとして、その先で
生活できるのか。収入や仕事はどうなってしまうのか、それが確保でき
ないと人はとても移動できない。放射能からのがれても、生活崩壊という
リスクを抱えてしまう可能性があるからです。
だから余計に、説得力を失ってしまう。でも家族のため、友人のため、
何とかしなければいけないという思いは強く、勢い、説得は感情的に
もなり、ますます相手の正常バイアスや、生活の現実性との距離を
埋められなくなってしまう。それが今、あちこちで起こっていることでは
ないでしょうか。
どうすればいいのか。まず第一に、この「正常バイアス」の心理構造を知り、
危険だと思う人と、思わない人に、心理的落差があることを受け止めること
だと思います。心理的な訓練を経てきてない人に、危機の全体像を
即座に飲み込むことはなかなか難しいと考え、すぐに説得できるとは思わない
こと、少なくともそうした心理的余裕を持つことです。
第二に、そこから自分自身が、「正常バイアス」とは逆の「危機バイアス」
に陥っていないかも問い返してみることです。これは正常バイアスが
強ければ強いだけ、不可避的に生じがちなことでもあると思います。
そうなると危機を訴える側は、ともすれば危機を誇張し、かえって説得力
を失う面があるように思えます。
第三、「正常バイアス」だけでなく、生活の現実性がそこにあることを冷静
に見つめることです。たとえ危険性は認識できても、避難する経済的根拠が
ないととてもできないし、それだけでなく、人には当然にも、それぞれ愛着の
ある土地をにわかに離れられない様々な理由があるわけです。これは
バイアスなどとはけして言ってはいけない、大切な思いだと思います。
これらを踏まえて、建設的な議論の可能性を探ることが大事ですが、
ではどのような事が可能でしょうか。僕は今からでも遅くはないので、多くの
人々に訓練を行ってもらうことが大事ではないかと思います。訓練には、
原発の危険性を知ってもらうことも含みますが、実効性の高いものと
して、放射線被ばくへの対処を進めるのが最も良いと思います。
放射能汚染の広がりへの不安は東日本では、すでに多くの人に共有され
つつあります。その点で、厚労省が乳児が飲む水のヨウ素汚染基準値を、
厳しくしてくれたことは、とても大事なことだったと思います。ある意味で、
被ばくから身を守る一つのシミュレーションになっただろうからです。
その後、汚染度が下がることによって、危機感は薄れているかとも思いますが、
しかし多くの人が、政府の「安全宣言」は信用できないと思って
いるのではないでしょうか。そうしたところで、放射線被ばくとは何か、その
知識を分かち合っていけば、みんなで実践的な訓練が重ねられるように
思います。
同時に放射線そのものは、現代医学の治療など、多様に使われているもので、
多くのことが解明されてきてもいること、そのためいろいろな対応が
可能であること、それを知らずに恐れてばかりいることもまた危険で
あることなど、専門家の知見に学びながら、共有していきたいところです。
こうした過程で、「危機バイアス」に捕われる可能性も越えていきたいものです。
その点で、避難の呼び掛けの討論が、現実的根拠も含めて、うまく進まない
場合には、放射線被ばくから身を守ることを呼びかけると良いのでは
ないでしょうか。何よりもいいのはここで学んだことは、これから長く、
有効な知識になっていくことです。
おそらく私たちは、早晩、汚染された土地に住み続けることや、汚染された
ものを食べたり飲んだりする選択を強いられると思います。いや実際に
それは始っています。何せ放射能が出続けているからです。
しかしその場合でもリスクを軽減する道はさまざまにあるし、そもそも危険
物質との共存は今に始まったことでもありません。そうしたことを冷静に見つ
めることも大事だと思います。
だからこそ、ここで得た知識は、先々も有効なものになります。
みんなで学び、みんなで賢くなっていきたいものです。結局それが、
放射能汚染に対する私たちの防御力を強めます。防御とは、汚染が
避けられなかった場合の対処も含みます。
こうしたことの中で、きっと道を大きく開くことができると僕は確信しています。
みんなで知恵を集めて、努力を重ねていきましょう。
・・・情報発信を続けます。
追記
なお、僕はこれまでの記事の中で、放射線被ばくへの対処などについて
触れてきました。それを含めたバックナンバーを見やすいようにしたと
考えていたのですが、3人の友人がそれぞれにページを作ってくれました。
一つはまずサクセスランニングのサイトです。
http://www.success-running.com/news/2011/03/post-66.html
また僕専用のブログも作っていただけました。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/
さらにピースウォーク京都のHPの中にも、特集コーナーを作っていただきました。
http://abc.pwkyoto.com/
ご活用いただければと思います。
ご友人に紹介していただける場合は、好きなページを使っていただけたらと
思います。
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避難遅らす「正常性バイアス」 広瀬弘忠・東京女子大教授
津波の避難勧告が出ても避難しない人が問題になっている。「自分は
大丈夫」。そんな根拠のない気持ちを抱いてはいないだろうか。そんな心
には「正常性バイアス(偏見)」が強く働いていると災害心理学の専門家、
広瀬弘忠東京女子大教授は言う。打ち破るにはどうしたらいいのかを聞いた。
避難が遅くなる仕組みは?
現代人は今、危険の少ない社会で生活している。安全だから、危険を
感じすぎると、日常生活に支障が出てしまう。だから、危険を感知する能力を
下げようとする適応機能が働く。これまでの経験から「大丈夫だ」と思って
しまいがちだ。これが「正常性バイアス」と呼ばれるものだ。
強い正常性バイアスのために、現代人は今、本当に危険な状態でも
「危険だ」と思えない。チリ大地震の津波が押し寄せているのに、見ている
だけで逃げない人の映像が日本でも流れた。強力な正常性バイアスの
例と言える。
災害でパニックはめったに起こらないと指摘している。
私たちの調査で、災害でパニックが起こったと確認できる例はほとんどない。
特に日本のように地域の人同士がつながっている社会では、パニックは
起こりにくい。「自分を犠牲にしても」と互いに助け合おうとする心理が
強くなるからだ。
現状では、強い正常性バイアスの結果、パニックになる以前、つまり何が
起こっているのか分からないうちに災害に巻き込まれる。日本では避難警報が
出ても避難率はいつもゼロから数%程度と低いことからも明らかだ。
行政側はパニックを恐れて災害情報を過小に公表してはいけない。
逃げ遅れないために必要なことは?
いざというときに正常性バイアスを打ち破り、「危険だ」と直感できるような
訓練をしておくことが大切だ。そのためにはある程度、災害の恐怖感を体に
覚えさせておかなければならない。
人間の脳は自分が意識して何かを感じる前に行動を決定する。例えば
戦場のベテラン兵士は訓練の結果、思考する前に、「危険だ」と行動できる。
兵士ほどではなくとも、災害に対してそういった感覚を磨くことが、生き残る
ために大事だろう。
具体的に必要な訓練とは?
文字や映像だけで災害の恐ろしさを知るのではなく、実践に近い形の訓練が
有効だと思う。日常生活に身体的、心理的なマイナスの影響があるかも
しれないが、それを補って余りあるプラスがある。訓練で出るマイナスを
認めるような姿勢が世論にも必要だ。
バーチャルリアリティー(仮想現実)技術を活用して造った装置でも、かなり
現実に近い体験ができるかもしれない。予告せず、抜き打ちで実施する防災
訓練も一案。病院ならば入院患者がいる状態で避難訓練をするのもいい。
現実味を帯びた状況を演出しなければいけない。
結局、災害で生き残るのはどういう人か。
正常バイアスを打ち破ったうえで落ち着いて判断し行動する人が最終的には
生き残る。1954年、青函連絡船の洞爺丸が沈んだ。そこで生き残った
乗客の1人は船が座礁したことから海岸に近いと判断し、救命胴衣をつける際、
衣服を全部身につけるなどこういう場合に不可欠な準備をし生き抜いた。
冷静に状況を分析し行動した結果だ。
災害を生き抜いた人は周囲が犠牲になったことを不当だと感じず、私たちは
社会全体で生還者を心から祝福する雰囲気をつくることが大切だ。それが
復興の原動力となる。
(中村禎一郎)
【ひろせ・ひろただ】 1942(昭和17)年東京都生まれ。東京大文学部卒。
著書は「人はなぜ逃げおくれるのか」「災害防衛論」(以上集英社新書)
「無防備な日本人」(ちくま新書)など。
◆世界で起きたバイアス
韓国・大邱(テグ)市で発生した2003年2月の地下鉄放火事件は、正常性
バイアスが招いた災害での悲劇の象徴的な例だ。
放火された車両から火が燃え移った対向電車で、煙が立ち込める中、
ハンカチで口を覆いながら車内でじっと待つ乗客の姿が撮影されている。
「安心してください」との車内放送も流され、運行側が乗客のパニックを恐れて
情報を出さないのと、乗客側の正常性バイアスが重なり、被害の拡大に
つながったとされる。避難が遅れ、死者192人を出した。
1977年5月、米ケンタッキー州のクラブで164人が死亡した火災でも、
ボーイが「火事です。近くの出口から慌てず逃げて」と呼び掛けても、客たちの
反応は鈍かった。コメディアンのショーの一部だと思われ、火事と気付くのに
1分はかかったという。
01年9月の同時多発テロで旅客機が突っ込んだニューヨークの世界貿易
センタービルでは、警察の誤ったアドバイスが正常性バイアスを高めたといえる。
北棟64階の公社職員がすぐに避難すべきかを尋ねると、警察署は「動かない
でください。警察官の来るのを待って」と指導。プロの言葉を過信した結果、
避難は1時間後になり、多くの人が地上までたどり着けなかった。
(安田功)
2010年5月1日
http://www.chunichi.co.jp/article/earthquake/sonae/201005/CK2010050102000172.html