守田です(20170830 台湾時間07:00)
台湾桃園国際空港からの投稿です。8時半のフライトで帰国の途につきます。
その前に、昨日29日に、期せずして2人のアマのお墓を訪ねることができたのでその報告を書いておきたいと思います。
お訪ねした1人は陳蓮花(チェンレンファ)アマ、今年の4月に亡くなられました。もう1人は盧満妹(ルマンメイ)アマ、2011年の8月に亡くなられました。まずレンファさんのことを書きます。
レンファアマが眠っているのは台北市の崇徳寺。小高い山の上にあります。
ホエリンに連れられて車で向かうとお孫さんが待っていてくれました。とても優しげな男性です(台湾にはこういう感じの若い男性が多いです)。
僕ら一行が祈りを捧げられるようにすでに祭壇が作られていました。お祈りの場に作られたテーブルにアマの名を書いた紙を貼り、そこにお供え物を広げます。そして長い線香を一人一人が数本持ち、アマの元へ、お寺の元へ、神様の元へと刺して行きます。
「アマ。ありがとう。京都で初めてカムアウトしてくれたのだよね。アマの言葉を忘れないよ。いつも一緒だよ。アマの心を受け継いで頑張るよ」と祈りを捧げました。
それからみんなでお金に模した紙を燃やしに行きました。アマの元へ送るお金と神の元へ送るお金に別れています。たっぷり燃やした後でアマを呼んで「アマ、たくさん渡したよ。みんな持っていってね」と伝えました。
それが終わってからアマの骨壷が置かれた棚まで案内してもらえました。アマは共同墓地、パブリックスペースへの埋葬を望んでいたのですが、そこは今はいっぱいで仮置き場で順番待ちをしているのだそうです。
おかげでと言ってよいやら分かりませんが、アマの骨壷と会えて嬉しかったです。お葬式に駆けつけられなかったのでなおさらでした。
アマへの祈りを捧げた後に、アマが心身を休めている霊園も少し見学することにしました。するとここが台湾で長く続いた戒厳令下の犠牲者の埋葬の場であり「紀念公園」(台湾語の記述)になっていることを知り、なんとも胸を打たれました。
その場に入ってみると「人民忠魂」と書かれ、大きなひまわりが描かれている碑文が建っている。2002年の建立だそうです。
その周りには台湾のオーソドックスなスタイルからは外れた小さな石の墓標だけがあるお墓がたくさんありました。政治弾圧の中で小さなお墓しか建てられなかったのだそうです。さらに名前もわからず無縁仏になっている方もおられるのだとか。
台湾の戒厳令が解除されたのはまだほんの少し前のこと。それまで多くの方が血が流されて、いまの民主主義が実現されたのでした。それは台湾を訪れる私たちにも豊かな恩恵をもたらしてくれています。血を流して人々の幸せの道を切り開いてくださった全ての方への感謝の念が湧きました。
アマもその時代の全てを生きたのですね。日本の占領時代。騙されて性奴隷にされ、アマはフィリピンのセブ島のとんでもない激戦区に連れていかれたのでした。
そして帰国後の台湾の独立。中国大陸から渡って来た国民党の横暴と228事件などの血の弾圧。そしてその後の長い長い戒厳令時代をです。
長い時代を逞しく生き抜いて、2008年に京都に来て初めて公衆の前でカムアウトしてくれて、以降の約10年間、アマはいつもおばあさんたちの先頭で声を上げ続けてくれました。
しゃんと背筋を伸ばして日本政府を正すとともに、陽気な声で私たちに愛を伝え続けてくれました。
そのことでアマはこの公園に眠っている方たちの後を受け継いで、台湾の、そして世界の民主主義を大きく前進させてくれたのだと思います。その点でアマが戒厳令下の犠牲者を祀ったこの場にともに埋葬されているのは素敵なことだと思えました。
アマの思い、そしてこの場に眠る多くの方の思いを受け継いで頑張りたいです。写真をFacebookページにアップしたのでご覧下さい。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10211739872230619&set=pcb.10211739872950637&type=3&theater
続いて台湾での盧満妹(ルマンメイ)アマのお墓を訪ねた報告を書きます。
今回の訪問は一緒に訪れた柴洋子さんの願いによるもの。柴さんは満妹アマをはじめ、台湾のたくさんのアマたちととても親しくされた方で、生前に満妹アマから「お墓を買ったから教えるよ」とお寺の名前を聞いたのですが、よく覚えられないままにアマとの別れを迎えてしまったのだそうです。
その後、唯一の遺族と思われる息子さんに連絡を取ろうとしたのだけれどなかなか連絡が取れず、お墓の場が分からず訪ねることができませんでした。しかしとみに最近、「お墓を買ったよ。柴さんに場所を教えるよ」と語ったアマの姿が思い出されて、どうしてもお参りに行きたいと思われていたのだとか。
今回、時間ができたのでホエリンさんに頼んで連絡を試みてもらったところ、昨日の夜まではつながらなかったのに、今朝になってようやく連絡が取れ、息子さんにお墓に案内してもらえるようになりました。交渉力抜群のホエリンのおかげだったかも。それでこの日、蓮花アマのお墓をお参りした後に、満妹アマの住んでいた新竹市に向かうことになりました。台北市から片道90キロほどの道のりを、ホエリンが快くドライブしてくれました。
新竹に着いて息子さんと合流するとやはり小高い丘を登って行きました。そこには蓮花アマの霊園にあったのとは違う形のお墓がずらりと並んでいる。ここは客家の方たちの霊園なのです。もちろん満妹アマも客家の方。その客家の方たちのたくさんのお墓を分け入るように進んでアマの眠る場に着きました。
客家の方たちは「家」を大切にします。お墓にはどれも家の名前が書いてあって、故人の名は記されていない。アマの名もありませんでした。ここに果物などとともにアマが好きだったお酒とタバコをお供えしました。もちろんタバコには火をつけて。それから柴さんと一緒に深い祈りを捧げました。
「アマ。いつも達者な日本語で声を上げて頑張ってくれたね。どうもありがとう。アマの勇気をしっかりと受け継ぐよ。そこでゆっくりしていてね」とアマに語りかけました。サングラスを小粋にかけ、指にタバコを挟んで流暢な日本語を操るアマの姿が目に浮かぶようでした。
その後にここでもまたお金に模した紙をたくさん燃やしました。「アマ!お金だよ。持ち帰ってね」と心の中で呟きながら。
台湾ではお金を送るのがとても大事なことなのです。「現金」と言えばまさにその通りなのですが、ストレートでわかりやすい風習だなと思いました。
生前、苦労の中で貧しいけれど尊厳を保って生き抜いたアマ。
「そうだね、天国ではうんと贅沢してね!」とか思いつつ、僕もたくさんのお札を焼きました。
こうして今回は2人のアマのお墓を訪ねることができました。生きてるアマを訪ねることから比べるともちろんずっと淋しいですが、しかし死は誰にも最後に訪れるもの。僕もこの報告を読んで下さっているみなさんにも確実にやってくるのです。
その時、誰かが自分の思いを少しだけでも受け継いでくれたらやっぱり嬉しいと思うのです。その思いが深ければ深いだけなおさらでしょう。
だからこうしてお墓にお参りして、アマたちに平和への思いを受け継ぎ続ける約束をしてくるのも、けして淋しいばかりではなく、ある種の暖かい交流の場なのかなとも思いました。
今回はアマたちとの約束を胸に帰国することになります。
アマたちの思いを平和に、みなさんの幸せにと、しっかりとつなげていきたいです!それがアマたちの一番の願いなのだから。
アマのお墓の写真と帰りの夕暮れの風景をご覧ください。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10211741636354721&set=pcb.10211741637434748&type=3&theater