明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(500)首相官邸前に20万人が!紫陽花革命進行中!デモスのクラチアを育てよう!

2012年06月30日 08時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120630 08:00)

東京のホテルからです。
昨夜、首相官邸前になんと20万人の人々が集まり、大飯原発再稼動反対の非常に
大きな声があがりました!一部の報道では、野田首相が国会答弁で毎週デモが
起こっていて声が聞こえていると語っているシーンも紹介されています。首相を
はじめ政府関係者に非常に大きなインパクトが加えられています。

まずはいくつかの報道を紹介します。写真や映像で昨夜のデモに、今からでも
参加してみましょう!

官邸前に人の波(毎日新聞)
http://mainichi.jp/graph/2012/06/30/20120630k0000m040057000c/012.html
大飯再稼動反対、官邸前埋め尽くす(TBS NEWSi)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5068612.html
ネットで拡大、大飯原発再稼動反対デモ広がる(TBS NEWSi)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5068128.html

誰もが思っているとことだと思いますが、これはとても画期的なことです。とくに
僕のようにもう何十年も民衆運動に加わり、数え切れないほどのデモに参加してき
たものから言うと、「今回のようなすごいデモはみたことがない、これまでのどの
デモよりもすごい!」と思えてきます。

なぜなら今回のデモは、いわゆる革新政党や、政治グループ、あるいは「市民
運動」というカテゴリーでくくられてきたグループの「組織化」によるものではな
く、民衆が自ら己を鼓舞し、連絡しあい、そうして集い、実現したデモだからで
す。「組織動員」もいっさいなく、主にはツイッターによる拡散によって、つまり
民衆が、自ら声をかけあうことだけで集って行われた大デモだからです。

デモスクラチア!民主主義の語源であるこの言葉がまさに実現されていること
を感じます。デモス(民衆)に支配力(クラチア)がある状態のことです。
選挙のシステムだとか、多数決の原理だとか、本来、民主主義のねっこにある
のはそうした制度的仕組みのことではなく、民衆に力がある状態のことです。
どのような政体であろうとも、為政者が、民衆の声を無視できない状態が、デモス
クラチアの状態であり、私たちは今、それを実現させている。

私たちが今、なさねばならないこと、なすべきこと、なすととてもいいことは
一にも二にも、この私たちの力を育てることです。もっと大きなものにする
ことです。デモスのクラチアを大きく発展させることに、私たちの未来の可能性、
この国を、あるいは地球を、少しでもきれいにして、未来世代に渡していける
大きな展望が拓けてきます。

こうした私たちの力は、全国各地で繰り広げられている無数の学習会や討論会、
署名活動や行政への申し入れ、電話かけ、小さな街頭行動等々、ありとあらゆる
手段による活動の積み重ねの中で形成されてきていることです。僕のこの
ブログ、それを読んでくださっているみなさん、そしてそれぞれの方がさらに
行っている発信も、きっとその一部を形成していることでしょう。だから例えば
僕は、昨夜はデモの現場にいけませんでしたが、この大デモ実現の小さいけれども
確かな一要因であれたように思えます。みなさんがそうです。だからこれは私たち
の力なのです。

自信を持ちましょう!明日、大飯原発3号機は再稼動のスイッチが入れられて
しまうかもしれない。しかしそもそも1年ちょっと前までは何十基もこんなに
危険な原発が動いていながら私たちはほんの小さな声しかあげてこれなかった
のです。それが今、こんなに大きな声になっている。だからここで立ち止まる
ことがなければ、政府がいまは再稼動を強行しても、必ずとめることができます。

大事なのはせっかくの力を弱めてしまわないこと、熱気を冷めさしてしまわな
いことです。諦めないことです。目覚めた民衆の力、自分たちの力を何度でも
確認することです。そのために、これまでよりもさらに一歩、熱を高めて、学習を
行い、討論会を行い、署名を行い、街頭行動を行い、役所に電話をし、政府に
抗議を送り、そうして考えつくことを何でも重ねていきましょう。
・・・さっきから興奮しておなじことを繰り返してしまっていますが、とにかく
この画期的な成果をさらに発展させましょう。みんなの力で咲いたこの紫陽花を
みんなで育てましょう!


・・・ちなみに僕のこの小さな発信である「明日に向けて」は、今回で500回
を重ねました。実は「明日に向けて」と題する前に「地震情報」と題したもの
を昨年の3月11日から発信していて、それが46回になるので、全体では今日で
連載546回目になるのですが、なにはともあれ、この500回目に、首相官邸前
20万人デモについての記事を書けることはとても感慨深いです。

すべての出発点は悲しい大災害と、大事故です。深刻な放射能漏れが私たちの
出発点です。しかしどれほどの悲劇の中からも私たち人間は、次の可能性を
さぐって、これまでの歴史をつないできました。悲劇の中で人間の勇気と優しさを
発揮し、そうすることで、愛情をはぐくんできました。今も私たちは、そうした人
間がつづってきたドラマの一ページの上に生きているのだと思います。

そうであれば私たちも、後世の人々が、何か感動してくれて、生きる勇気を持って
くれるような行動を残したいものです。いや、後世の人々などといわず、いまはま
だ小さな子どもたちが大人になったときに、人間とは苦難に立ち向かい、道を切り
開けるものなのだという確信を持って欲しい。そうして私たちの力を大きく
越えたデモスのクラチアを持って欲しい。それでこそすべての原発はとまり
核兵器が廃棄される日が近づくからです。

その未来に向けて、私たちはさらに前に歩んでいきましょう!
紫陽花=デモスのクラチアをみんなで育てましょう!

昨夜、ドイツのお二人との僕にとっては最後のセッションを終え、それもまた
感動的だったのですが、今朝は先んじてデモについての感想を書きました。
今日はこれから新幹線に飛び乗り、京都に戻って、二つの企画に参加します。
飯舘村の長谷川健一さんを囲む集会と、映画『被ばくを生き抜く』上映集会
です。その場でも、紫陽花革命=デモスクラチアについてお話し、昨夜の
成果をちょっとでも前に進めることに貢献します。いまはもっと前へ!
少しでも!一緒に!
コメント (2)
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明日に向けて(499)被爆者から得られたリスク評価はどれほど信頼できるか?

2012年06月28日 23時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)



守田です。(20120628 23:30)

写真説明
1、会場がいっぱいになった広島講演会
2、講演するインゲ・シュミッツ-フォイエルハーケさん

ドイツのお二人をお招きしての講演会・懇談会が続いています。今日28日は
京都で講演会が行われました。シュミッツ-フォイエルハーケさんは、100
ミリシーベルト以下では健康被害が確認されていないというまやかしの言説
に対する批判を、プフルークバイルさんは、ドイツで明らかにされた原発周
辺における白血病の増加について話してくださいました。どちらも内容の
つまったスピーチでした。

これらの一つ一つを紹介したいのですが、ここではまだ肝心の広島における
放射線影響研究所訪問の報告が残っています。前回が前フリだけで終わって
しまったので、「以下が待ち遠しい、早く掲載してくれ!」という声も届い
ています。それで今朝には掲載しようと思っていたのですが、当日の会見の
主要部分が英語で行われており、部分的に僕には翻訳のできないところが
出てきてしまって暗礁に乗り上げてしまいました・・・。

この点、会見に一緒に参加した、内部被曝問題研究会、国際・広報委員長の
吉木健さんに相談したところ、非常に重要な会見なので、要約であっても
間違いがあってはならないだろう。それならば自分が早急に、会見内容の
メモ書きを作ります・・・ということで、それを明日(29日)中に完成さ
せて下さることになりました。

・・・ということで、申し訳ないですが、放影研での会見はもう一日だけ
掲載をお待ちいただき、先に、この日(26日)の夕方に行われた広島での
講演会でのお二人の発言から先にご紹介することにしたいと思います。

集会では、プフルークバイルさんが先に発言されたのですが、ここでは
放射線影響研究所を世界で初めて公式に批判したシュミッツ-ホイエル
ハーケさんの、この点に触れた発言からご紹介したいと思います。

内容は、広島・長崎の被爆者について、放射線影響研究所が調べてきた
データは、瞬間的な高線量の放射線被曝に限ったデータであり、低線量の
慢性的な被曝には適用できないという指摘です。

その被爆者のデータも、1950年以降のものであって、それ以前が欠落
している。また結婚などでの社会的差別を恐れて、被爆者であることを隠
した人々のことも欠落してしまっています。

また高線量被曝のデータ自身も、放影研は、被爆者を、非被爆者と比較して
その影響を調べるのではなく、遠距離あるいは後から市内に入った被爆者を
被曝をしてない人として扱って比較したため、実際には、被爆者同士の比較
になっており、間違っているというものです。

とくに後者はシュミッツ-フォイエルハーケさんによって、初めて行われた
批判だったのですが、彼女は発言の後半でこれを説明しています。この点は
専門的で通訳では難しい面があったため、ここに限って、沢田さんが代理の
説明を行っています。

放射線影響研究所訪問報告の先になってしまいますが、ある意味ではこうし
た歴史的な指摘を行った彼女の訪問であるがゆえに、放射線影響研究所も
会見を断れなかったこと。またこうした研究のことが両者の念頭にある中で
会見が行われたことをおさえておくと、その意義がよりよく見えてくると
も思います。

これらを踏まえて、以下の内容をお読みください。

***********************

慢性低線量放射線被曝の場合に日本の被爆者から得られたリスク評価は
どれほど信頼できるか?

インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケ


日本語を話せなくてとてもすみません。こちらで話をできるのはとても光栄
です。私を呼んでくださった方々に感謝します。私の知性を信頼してくれた
ことに感謝します。

広島・長崎の被爆者の例は国際的に参照郡とされてきました。あるところで
被曝があったときに、それがどれぐらいのものかという基準となってきまし
た。

原爆を生き残った被爆者の方は確かに多くのデータを残して、私たちはそれ
に多くを学んできました。

残念ながらそのデータの使われた方はよくないものでした。原爆のデータが
ある物理的な条件とされ、それにあわないものは考慮されないという使われ
方をしてきました。

たとえばドイツである労働者が被曝をして訴訟を行ったとしても、そこで広
島・長崎であったような症状が見受けられないと、その賠償請求は受け付け
られません。

私が核に批判的になったのは大学時代の経験が元でした。発電所の清掃作業
などで被曝をした人たちが工場を訴えるのだけれども、結局それは否定され
ることになりました。広島・長崎の基準にあてはまらないからだという理由
でした。

症状が広島・長崎の経験に合致しないということと、それらの研究で得られ
た線量に達しないから発症する基準に満たないから否定されるということな
のですが、しかし核爆弾による被曝と、労働現場における被曝には違いが
あって、核爆発というのは、一時的に非常な高線量を発することになるわけ
ですが、労働現場での被曝は低線量だけれども、非常に長い時間、ゆっくり
と被曝することになるわけです。

結果として広島・長崎のような被曝の仕方が一つの枠組みとされる中で、慢
性的な低線量被曝、違う条件のもとでの被曝の被害が過小評価されるという
ことが起こりました。


先ほど述べたように、広島・長崎が基準にされたことから出てきている問題
は、一つは記録としての広島・長崎での被爆者に対しての研究は、1950
年以降だったわけで、最初の5年間の記録が欠如しているという問題があり
ます。

そのため(潜伏期の短い)遺伝子上の効果や白血病など、最初の5年間に
すぐに発症するものが落ちてしまっています。

職場での被害などを考察する場合、(被曝をしたものとしてないものとの)
比較対照の群が正しく選ばれる必要があります。
比較する場合、それぞれ被曝した人間が、同じような条件を持った人たちで
なければならないはずです。

被爆者といっても典型的な、同じ状況の人たちでの被ばくではありません。
被ばく直後の栄養状態であるとか、いろいろな条件でいわば選択が行われた
わけで、そういう状況を乗り越えられた人が対象になっているのです。

また被ばくによる差別を恐れて、両親が胎内にいて被ばくしたわが子に被ばく
した事実を教えないということもありました。社会的な差別の中で、自分が
被爆者であることを知らなかったり、結婚差別などを恐れて、自分が被爆者
であることを言わないということも起こりました。その人たちは申し出ない
わけですから、被ばくの実態が見えなくなるわけです。

もう一つは、人種による放射線に対する感受性の違いも当然、考慮にいれら
れなければなりませんが、福島に関しては、広島の人たちとの間でそれを
考慮する必要はないでしょう。

瞬間的に高線量が放射された原爆の被害と、低線量のものが長い間出ている
福島のもの、そうした低線量だけれども持続的で慢性的な被曝を、原爆の基
準で測ることで、大した被曝ではないとされています。線量あたりの死亡率
についても、広島・長崎の瞬間的な高線量の被曝と比較することで、慢性的
な低線量の被曝が過小評価されることになっているのです。

これは今は理論的にも、実践的に何をするのかという問題としても、それが
間違っているということは明らかです。

原爆ではあるエネルギー帯の中性子線とガンマ線が放射されますが、他のエ
ネルギー帯にある、他の種類の放射線が無視されています。原爆から出た一
部の放射線の被曝を、それ以外の性質の異なる放射線の被曝にあてはめるの
は問題です。

主に被曝は爆発時に放射されるガンマ線の被害について語られるだけであっ
て、残留放射線の影響が、今まで省みられてこられなかったのでした。

問題の一つは、爆発時のガンマ線を問題にするとは、爆心地からの距離に
よって被曝の程度が測られるわけですから、爆心地から遠くにあって、残留
放射線によって被曝を受けた人が、結果として賠償を得られないことにあり
ます。

放射性降下物については、その研究者の意見に示唆されたのですが、染色体
異常が起こっているのですが、放射性降下物を考慮するのとしないのとでは
数値が違ってくるのです。(佐々木・宮田の研究1968より)

今でも基本的な被曝量は爆心地からの距離で測られています。しかし放射性
降下物の影響を考慮に入れるかどうかによって、染色体異常をどう捉えるか
も変わってきます。

爆心地からの距離と被曝のグラフが(佐々木・宮田に)示されていますが、
爆発時に市内にいなかった人、後から市内に入って被曝した人は、完全に
その外にいることになります。

(ここで放射線影響研究所が示した被爆者に対する比較対照群を、全国の、
全く被曝していないものに対するリスクをあらわした図を示す)



沢田昭二さんの説明
ここで少し代わりに説明します。この仕事がインゲさんのすごく重要な仕事
だったのですね。放射性影響研究所が、被爆者同士を比較しているという批
判があったのですが、彼女はそれを具体的に示してこれではダメだと指摘し
たのです。

彼女は、遠距離の被爆者と、入市被爆者を示しました。遠距離の被爆者は
放射性降下物の影響を受けています。残留放射線というのは、原爆破裂以降、
1分以降のものと定義されています。放射性降下物は時間が経ってから降っ
てきていますから、残留放射線です。

入市被爆者は、原爆が爆発したときにはいなくて、後から入ってきたから、
地面の中に(中性子による対象の放射化によって)放射性物質ができていて
そこから出てきた放射線を浴びたのですから、やはり残留放射線による被曝
ですね。その影響を無視して、放射線影響研究所が、こういう被爆者たちを
近距離被爆者と(遠距離ないし後から入市した人々が被曝をしていなかった
と断定して)比較することをしていたわけです。

それで彼女が、遠距離被爆者と、入市被爆者を、日本人全体の平均と比べま
した。それでみていくと、いろいろな病気は日本人の平均より低い。ところ
が放射線の影響による白血病や呼吸器のがんなどはのきなみ日本人の平均よ
り高くなっている。

とすると、放射線影響研究所が、被爆者の比較対照にしている遠距離被爆
者や入市被爆者は、明確に被曝をしている。そのことを1980年代に示し
たのが彼女の素晴らしい業績なのです。

病気の発症率などは高い。しかし死亡率は被爆手帳をもらって早く発見され
ているから低い。そのかわり甲状腺のがんや女性の乳がんの発症率はとても
高いのです。

とくに入市被爆者の中でも早く市内に入ってきた人をひっぱりだすと、確実
にこの傾向が強くなります。ということで、この仕事で、放射線影響研究所
の研究が、遠距離被爆者や入市被爆者を、比較対照群にしたのはだめですよ
と、彼女は最初に指摘したのです。素晴らしい仕事です。


インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケさん
ということで、環境中に残っている放射性物質の影響は確実にあったのです
から、それを無視した放射性影響研究所の研究は、福島の被害についてその
ままでは使えないということが分かるのです。
ご清聴、ありがとうございました。(拍手)


















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明日に向けて(498)飯舘村のこと、映画『内部被ばくを生き抜く』のことをお話します(6月30日)

2012年06月27日 22時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
明日に向けて(498)飯舘村のこと、映画『内部被ばくを生き抜く』のことをお話します(6月30日)

守田です。(20120627 22:30)

今宵は京都の自宅からです。今朝、広島をドイツのお二人らとたって新大阪につき、
そこで京都大学熊取原子炉実験所に向かわれたお二人とお別れしていったん自宅に
戻ってきました。少し英気を養いました。それで明日、再び京都でのお二人の講演
会に合流して、明後日の東京講演会まで同行し、30日の午前中に京都に戻ってきま
す。京都と東京の講演会・懇談会のチラシを以下に示しておきます。

http://acsir.org/0628.pdf
http://acsir.org/0629.pdf

さて京都に戻っての30日の午後と夕方ですが、二つの企画に参加します。一つは
飯舘村の長谷川健一さんのお話を聞く会です。コーディネーターとして参加します。
長谷川さんとは、昨年、やはり京都に長谷川さんをお招きしたときにお会いしました。
牛と共に暮らしていた飯舘村の豊かな話、それを牛と共に捨てなければならなかった
お話を聞いて、心の中にたくさんの涙が流れました。その長谷川さんが、絞り出すよ
うな声で、「放射能は危ない、逃げなけりゃだめだ」と言っていたのが印象的でした。

先月、福島を訪問したときに、その飯舘村を通過して南相馬市まで行きました。誰も
いない飯舘村は、一見、どこまものどかで田畑と山並みが続いていましたが、車中の
ガイガーカウンターの針はあがりっぱなしでした。悲しい訪問でした。そのことを先日、
長谷川さんに電話でお伝えすると「ああ、それはもう仕方がねえよ・・・」とおっしゃ
られていました。

今月で長谷川さんたちが飯舘村を離れてほぼ1年になります。その間、長谷川さんが
何を思い何を考えて過ごされてこられたのかを30日はお聞きしたいと思います。そして
飯舘村の痛みと、そこから見えてきたものをみなさんとシェアしたいと思います。
僕なりの思いを込めてコーディネーターを務めますので、ぜひお越しください。


その後、「ひとまち交流会館」に移動して、鎌仲ひとみさんの撮られた映画、
『内部被ばくを生き抜く』の上映会に参加します。映画の後に、僕が内部被曝に
ついて解説し、また肥田さんのことや、児玉さんの見解に関する僕なりの考え、
思いを述べてみたいと思います。いい映画です。ぜひ見に来てください。

以下、案内を貼り付けておきます。
(ECRR会長らの放影研訪問の下については、明日の朝に配信します!)

**********

京都市龍谷大学 6月30日

飯舘村の酪農家が語る、フクシマで起こったこと、そして今

6月30日(土)13:30~ 龍谷大学3号館101教室 
お話:長谷川健一氏 コーディネータ:守田敏也氏

長谷川健一さん談
6月10日、お隣の相馬市の酪農家―私の友人で55歳―が、自ら命を
絶ったのです。牛舎の中の黒板に白いチョークで書かれていた文字
は、「原発さえなければ」です。
これは、この一連の出来事を世の中に伝えてくれ、という彼の
メッセージだと私は受け取りました。ですから、呼んでくださる方
さえいれば全国どこにでも行って、すべてをお話したい。それが
私の役割だと今は思っています。

呼びかけ人
上西玄象(書家)紫野明日香(女優・「パパママぼくの脱原発ウォーク」代表)、
田中孝征(喫茶店うずら店主)、長谷川羽衣子(バイバイ原発3・10京都
呼びかけ人)、三島倫八(龍谷大学教授)、吉田眞佐子(弁護士)
六島純雄(深草の環境を守る会代表)

共催 龍谷大学教職員組合・龍谷大学原子力発電所問題学習会・
ふしみ「原発0」パレードの会

連絡先 ふしみ「原発0」パレードの会
(京都南法律事務所075-604-2133 吉田or溝江まで) 

詳しくは以下より
http://twitpic.com/9n93t7

**********

京都市ひとまち交流館 6月30日

内部被ばくの時代を私たちは
どうやって生き抜いていくのか?

まもりたい!未来のために
4人の医師が語る経験・広島-チェルノブイリ-イラク-福島

『内部被ばくを生き抜く』上映&守田敏也さんのお話

☆-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*☆

●日時:2012年6月30日(土)
 午後6時40分上映(開場6時30分)

・午後6時40分~『内部被ばくを生き抜く』上映
(監督:鎌仲ひとみ/2012/カラー/デジタル/Hivision/約80分)

・上映後、守田敏也さんのお話

・質疑応答・感想、意見交流
     (午後9時10分頃終了予定)     

●会場:ひと・まち交流館京都 
      第4・第5会議室(3階)

 河原町五条下る東側 
  市バス「河原町正面」下車すぐ
  京阪「清水五条」駅下車 徒歩8分      
  地下鉄烏丸線「五条」駅下車 徒歩10分      
   TEL:075ー354ー8711
案内:http://www.hitomachikyoto.jp/access.html

●参加費:一般1000円 学生500円
●主催:ピースムービーメント実行委員会 
●問い合わせ先:
  TEL:090-2359―9278(松本)
  Eメール anc49871@nifty.com(山崎)

●上映作品の紹介
参考;http://www.naibuhibaku-ikinuku.com/
【未知なる危機に備えて・・・鎌仲ひとみ監督からのメッセージ】
2011年3月に起きた東日本大震災によって原発が4つも爆発してしまった、その後の世
界に私たちは生きている。大量の放射性物質が放出され、 広範囲に拡散したことは解
っているが、ではどれだけ出たのか実は正 確な情報がない。放射性物質は環境に溶け
込み、生態系に入り込んだ。 呼吸や汚染された水・食品を通じて引き起こされる内部
被ばくは、この時代に生きる私たち全員の問題となった。 これからいったい何が起き
るのか、正確に予測できる人は実はいない。 ただできることはありとあらゆる情報と
可能性を吟味して、「命」を守る努力をするということだ。放射能は様々な局面で「命
」の脅威となりえる。 私たちは生き抜かねばならない、そのためのささやかな助けに
なればとこの作品を作った。
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明日に向けて(497)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と放影研へ!!上

2012年06月27日 08時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120627 08:00)

広島で二泊目の夜が明けました。
昨日は非常に濃い一日になりました。まず午前中10時に、広島市の比治山にある
放射線影響研究所を訪問しました。これは歴史的と言ってよい訪問でした。

同組織はもともと、太平洋戦争直後に、アメリカ軍が設置した原爆傷害調査委員
会(ABCC)を前身としています。要するにアメリカ軍による原爆調査機関で
す。その目的は、兵器としての原爆の威力を知ること。原爆が破裂した瞬間に
飛び出してきた中性子線とガンマ線の殺傷能力を知ることでした。それは原爆
が投下された際に、兵士たちがどれだけもつかの研究でもありました。

これを「初期放射線」と呼びます。原爆破裂後、1分以内に到達した放射線と定義
されていますが、もう一つの目的は、それ以外の放射線の影響、とくに原爆の破裂
によって生じたたくさんの核分裂生成物が放射性微粒子を形成して降下した問題、
それによる内部被曝の影響を完全に隠してしまうことでした。

なぜかと言えば、終戦後の早い段階で、ヨーロッパから遺伝学者を中心に、原爆
は遺伝的影響を与える非人道的な兵器で、使用を即刻中止すべきだという声が
あがりだしており、アメリカは核戦略の推進のために、この声を封殺してしまう
必要があったのです。そのために調査ではなく、実態隠しが必要となりました。

このためアメリカは、9月7日に、マンハッタン計画の副所長のファーレル准将を
東京に派遣して記者会見を行い、「原爆の放射線で死すべき人はすでに死に絶え
た」・・・つまりここからは放射線の被害者はもう出ないと公言するとともに、
9月17日にはプレスコードを発し、広島・長崎に関する報道を一切禁止してしま
いました。このため被爆者の苦しみは世界から隠されてしまい、1952年にアメ
リカによる占領が解けるまで、ほとんど伝えられることがない状態になってし
まいました。

こうした状態の中で、ABCCの「調査」が始まります。多くの被爆者が「調査」
されましたが、その手法はジープで乗り付けて強引に検査機関に連れて行くとい
うような強引なものでした。しかも調査はしても、治療はしない。治療をするよ
うな現実があることを証拠に残さないためでした。このためこの機関は長く被爆
者の怒りを買い続けました。

こうした「調査」の中で、ABCCは被爆者を非常に狭く限定していきました。
放射線の影響を、原爆が破裂したときに飛び出した初期放射線に限ったので、
それが届く範囲(半径2キロ)以内に放射線被曝が限定されてしまいました。とく
に周到に排除されたのが、大量に降下した放射性微粒子を吸い込んだり、食べ物
から採ってしまった内部被曝でした。まさに内部被曝隠しが、ABCCの最大の
目的だったと言えます。

さてこのABCC、アメリカがベトナム戦争にのめりこみ、戦費を浪費する中で
財政的に支えきれなくなりました。このため米日共同の運営期間への転換が
提起され、このもとで新たに生まれたのが「放射線影響研究所」でした。といっ
ても相変わらず研究方針を握っているのはアメリカであり、核戦略を支える組織
としての性格は変わっていません。

ところがここが重要な点なのですが、アメリカはこうした歴史を持つABCCと
放射線影響研究所が蓄積してきたデータと、その恣意的な解析にもとづく放射線
に関する「研究」成果を、放射線が人間に与える影響を考察する際のスタンダード
として世界に発表し、世界中のあらゆる機関にこれを受け入れさせることに成功
しました。このため世界中の放射線学の教科書が、この、初期放射線だけを研究
した内容によって書かれることになってしまいました。このため内部被曝の影響
がすっぽりと欠落した「放射線学」が世界に横行することになったのです。

したがって放射線被曝の真の恐ろしさを把握するためには、こうして放射線影響
研究所の「研究」の中で、排除されてきた内部被曝の問題を解き明かすことが
最重要になりました。これと誰よりもはやく格闘し始めたのは、私たちの国の中
でいえば、肥田舜太郎さんであり、アメリカでは、肥田さんにたくさんのことを
教えられたアーネスト・スターングラス教授であったわけですが、放影研の研究
内容に即した科学的な批判を、世界で初めて行ったのが、今回来日した、インゲ・
シュミッツ-ホイエルハーケさんなのでした。

彼女は放射線影響研究所の研究をつぶさに調べ、その一つに、被爆をした人々の
状況を把握するための比較対象群に、内部被曝をしている人々が選ばれているこ
とを発見し、この点を批判しました。比較は原爆の影響をまったく受けていない
人々との間で行わなければならず、そうでなければ被爆の影響を正しくつかむこ
とはできないわけですが、もともと被爆の影響を小さくみせたいABCCは、
比較対象に、内部被曝をしている人々を、その被曝を認めることなく、影響を
こうむってない人々とした上で選んだのです。

そのためこの比較は、被爆者とそれ以外の人々の間で行われたのではなく、
実際には被爆者同士の間で行われたものに過ぎなかったため、被ばくの影響が
小さく見積もられてしまいまいた。内部被曝を隠してきたことをさらに利用
した被ばくの実態隠しでした。シュミッツ-ホイエルハーケさんはこの点に
非常に鋭く切り込んだのでした。画期的な科学的批判でした。


さて前置きがどうしても長くなってしまいましたが、こうした批判を行ってきた
彼女と、同じく、放射線影響研究所が積み上げてきたデータの中から、爆心地
からの距離と脱毛の関係を導き出し、放影研が無視してきた放射線の影響を
解き明かしてきた、沢田昭二さん(市民と科学者の内部被曝問題研究会理事長)、
これにドイツ放射線防護協会会長の、セバスチャン・プフルークバイルさんが
加わって、放射線影響研究所への訪問を行うことになったのでした。

これを聞きつけたマスコミのある方は、興奮して「いよいよ敵の本丸に殴り込み
ですね」と言っていました。私たちは殴り込みなどという暴力的なことなど
もちろん行いませんが、非常に重要な訪問であったことは間違いありません。

かくして私たちが放射線影響研究所の正門前に立ったのは午前10時少し前。
参加者はドイツからのお二人と、沢田昭二さんの他、私たちの会の副理事の一人
である高橋博子さん(広島平和研究所)、国際・広報委員長の吉木健さん、
そして高橋さんの同僚でドイツ人のヴェール・ウルリケさん(広島市立大学国際
学部教授)、ドイツ語通訳を行ってくださった三崎和志さん(岐阜大学准教授)、
そして守田でした。こうしていよいよ歴史的な会見が始まりました・・・。

続く

(すみません。時間切れです。これから急いで朝食を食べて、みなさんと
一緒の新幹線で大阪に向かいます。続きは今宵、書かさせていただきます!)


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明日に向けて(496)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と広島へ!

2012年06月26日 08時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)


守田です。(20120626 08:00)

写真説明
1、広島平和記念資料館で、自らの被爆箇所をドイツのお二人に示す沢田昭二さん
2、慰霊碑を前に、右からドイツ放射線防護協会会長セバスチャン・プフルークバイル
さん、ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)会長インゲ・シュミッツ
-フォイエルハーケさん、市民と科学者の内部被曝問題研究会理事長、沢田昭二さん、
および守田。遠くに原爆ドームが見える。


広島のホテルからです。・・・時間に追われながら書いています。
24日四日市市を車で往復して来ました。会場には100人以上の方が参加
されていたでしょうか。主催のhahaプロジェクトのみなさんの温かさが
多くの方に伝わって、参加していただけたのだと思います。ここでも
素敵な会が行われました。四日市のみなさま、ありがとうございました。

さて、昨日僕は、午後に京都駅より新幹線に乗って広島をめざし、広島
駅で、ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)会長のインゲ・
シュミッツ-フォイエルハーケさんと、ドイツ放射線防護協会会長の
セバスチャン・プフルークバイルさんとお会いすることができました。

列車には福島・猪苗代で行われていた市民科学者国際会議の会場から
わが「市民と科学者の内部被曝問題研究会」理事長の沢田昭二さんが
同行し、広島駅で、副理事長で広島平和研究所研究員の高橋博子さんが
出迎えてくださいました。宿泊先には、私たちの会の国際・広報委員会
委員長の、吉木健さんもかけつけてくださいました。
ちなみに僕自身も、同会の常任理事の一人を務めています。広報委員会
委員長と、総務・企画委員会委員を兼任しています。

しばしホテルで休んでいただいたのち、すぐ目の前にある平和記念公園
に歩いていって、みんなで平和資料館を見学しました。僕にとっては
数度目の訪問。インゲさんは、1970年代に一度来たことがあるのだとか。

館内では被爆者であり、被団協代表なども務めてきた沢田昭二さんが
いろいろと説明してくれました。沢田さんが被爆したのは爆心地から
1.4キロにあった自宅でのこと。家の中にいたために熱線を浴びる
ことは避けられましたが、爆風で家がつぶれ、やがて火がつきました。

その中には家の下敷きになったお母さんが。沢田さんも下敷きになり
ながら這い出すことができたのですが、動けないお母さんを前に
何とか助けなければと必死になっていました。するとお母さんがすごく
強い声で、「逃げなさい。今すぐ、逃げなさい」と叫んだそうです。

その声に背中をおされて「お母さん、ごめんなさい」と家を離れた
沢田さん。振り返ると家は火に包まれていたそうです。その後、沢田
さんは近くの川に飛び込んで対岸におよぎつき、市外にむかって逃げて
いって、やがて高台にあるお寺に辿り着き、そこから燃える市内を
見ていたそうです。

資料館の中には当時の市内の写真と、原爆投下後の同じ地域の写真が
大きく貼り出してあるところがあるのですが、そこで自らの家の場所と
泳いでわたった川を沢田さんが示してくれました。ドイツのお二人は
じっと沢田さんの指す地点に見入っていました。

1時間あまりの見学を終え、近くのイタリアンレストランに入り、食事会
を行いました。ここに高橋さんの広島平和研究所の同僚たちがかけつけ
てきました。ドイツ人女性が2人、アメリカ人男性が1人。9人での食事
です。ドイツ語、英語、日本語が入り混じっていろいろな会話が飛び交い
ましたが、僕は運よくドイツ人で日本語の上手な高橋さんの同僚と
プフルークバイルさんのそばに座れたため、いろいろなお話をうかがうこと
ができました。(彼女が通訳してくれました)

僕はまず広島平和資料館を訪れた感想を、プフルークバイルさんに尋ねま
した。すると彼はちょっと考えてから、「あまり居心地がよくなかった」
とおっしゃいました。理由を尋ねると「ここには大事なものが欠けている。
現実につながるものがない」とそう言われるのです。

続いてプフルークバイルさんは、自分のこれまでの活動について話され
始めました。彼は東ドイツの出身です。社会主義体制下の東ドイツでは
なんと広島・長崎のことは伏せられ、ほとんど伝えられてこなかったのだ
そうです。理由は「ソ連の核ミサイルがすぐそばにあるから」とのことで
した。これへの批判が起こることが懸念されていたのです。

その状態の中で、プフルークバイルさんは、自ら広島・長崎の写真集を
手に入れ、それをさらに写真にとって拡大し、独自に説明を書いて、展覧会
などを行ってきたそうです。

「弾圧はされなかったのですか?」と聞くと、展覧会を主に教会で行った
と話してくださいました。東ドイツ社会の中では、唯一、教会がそれなりに
自由な発言ができる位置にあったといいます。政府は教会でやることを
弾圧できなかったのです。

「どうしてそういう活動をされたのですか?」。それへのプルフークバイル
さんの答えは、一つには「物理学者としての良心から」というものでした。
物理に携わるものとしてとても無視することができなかったというのです。
ただしそのために東ドイツ社会においては、ついに博士号がとれなかった
そうです。

またもう一つに、東ドイツの中で行われたウラン採掘により、大量の死者が
出たことが原因でした。なんと4万人が亡くなったのだそうです。広島と
変わらない悲劇があったとプフルークバイルさん。それでこの問題に一貫して
取り組んでこられたのでした。

僕はこれまで東ドイツ政権下における良心の声について、本でいろいろと
読んできましたが、肉声でその実態を聞いたのは初めてだったので、とても
感銘しました。その上で、最初の質問に戻りました。どうして彼にとって
平和資料館は居心地の悪い場所だったのでしょう。

彼は言いました。「あそこに展示してあるものはみんな過去の扱いになって
いる。今の展示がない。とくに重要なのはこれほどの悲劇があった日本で、
なぜなおプルトニウムが作られているかということだ。そのことが展示され
なくてはいけない」

「その点で、この展示館はベルリンにあるホロコースト記念館と似ている。
過去にあったユダヤ人虐殺のことが展示されているだけで、イスラエルなどを
めぐる現代の問題に何も触れられていない。問題を過去のことにしてしまって
いる」

「どうしてそういう展示しかできないのか。展示館自身が己を振り返り、その
ことをも展示すべきだ。そうして今を問うべきだ。今を問えば、展示しなけれ
ばならないものがたくさん欠けていることが見えてくるはずだ」
・・・プフルークバイルさんの発言に大きくうなづくばかりでした。

僕自身も今回の訪問で、あらためて展示物の中に、放射線被害をあつかったもの
が少なく、しかも内部被曝、とくに低線量内部被曝の影響を説いたものが皆無で
ある点が非常に気になりましたが、しかしここに現代日本のプルトニウム製造の
問題や原発の問題が説かれていないのが限界だという点に頭が回りませんでした。
というか、あらかじめそれがないのは仕方がないという頭になっていたように
思います。ああ、それではいけないなと強く思うと同時に、プフルークバイル
さんが長きにわたって現実を問い、なおかつ己を問うてきた姿を垣間見たような
気がして、感動しました。こんな会話ができて、なんだかすごい役得だなと
思いました。

さて、今日は午前中に、このお二人と広島放射線影響研究所を訪問します。
この研究所は、もともとはアメリカ軍が設置した原爆傷害調査委員会(ABCC)
を前身としています。1975年にベトナム戦争で戦費を使いすぎたアメリカ
が同委員会を維持できなくなったことを受けて、米日共同組織としてこの
研究所が立ち上がったのです。

ABCCと同研究所は、原爆被害の調査を「独占」してきました。そして
アメリカにとって都合の良い形でしか、蓄積した資料を公開してきませんで
した。端的には内部被曝の影響を完全に隠してしまい、原爆の放射線による
被害を小さく描くことばかりを行ってきました。

この放射線影響研究所から発表された被曝に関するデータは、世界で唯一の
大量被曝のデータとして重用され、世界のおける放射線学のベースになって
います。放射線がどのように人体に影響するのかがそこに書き込まれている
わけですが、それは非常に過小評価され、歪められたこの研究所のデータが
ベースになって作られてきたものでした。

インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケさんは、この広島放射線影響研究所の
研究に対して、世界ではじめて学術的な批判を行った方です。その論文は
なかなか科学界で認められませんでしたが、長い努力の末に、今日では一部では
あるものの高い評価が集まっています。

その彼女を中心とする一行の放影研訪問に対して、広島のメディアも、「ついに
敵の本丸に殴りこみですね」などと興奮していて、同行取材をされる社も幾つか
あるようです。僕もこの場に立ち合わせていただけることを感謝しつつ、身体
全体をアンテナにして、大事な訪問に同行してきます。

今日はその後、午後4時から、私たち内部被曝問題研究会主催の記者会見が
行われます。午後6時半からは、お二人の講演会を市内で行います。双方の
企画で僕が司会を務めます。

記者会見は実況中継が行われます。以下から見れます。
1.配信日時 6月26日午後4時から5時半の記者会見(講演部分の配信は行いません)
2.配信チャンネル http://www.ustream.tv/user/NUKESTORIA
3.番組試聴URL http://www.ustream.tv/channel/ingesebastian-pressconference

また講演会の案内のURLは以下の通りです。お近くの方、どうかご参加
ください。
http://acsir.org/0626.pdf


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明日に向けて(495)電気使用を減らして暮らしを良くしよう!(適電運動のススメ)

2012年06月24日 11時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120624 11:30)

連日講演の旅をしています。おとといから昨日にかけては、映画「チェルノブイ
リ・ハート」上映会のミニ講演で篠山市と丹波市を訪れ、その後、舞鶴にいって
社会保障推進協議会の方たちの総会に出席し、記念講演をさせていただきました。
またその後に、舞鶴などを中心に活動をしている「復興ミーティング」の方たち
の「オープンな密議」の場に招かれ、舞鶴での震災遺物受け入れと焼却をいかに
食い止めるのかの討論にも参加させていただきました。

二日間で4つの企画に参加しましたが、どこでもとてもたくさんの人と新たに
出会い、たくさんのことを学びました。それらを発信することがとてもおいつか
ないのがもどかしいです。ともあれ篠山・丹波・舞鶴で出迎えてくださったみな
さまにお礼を申し上げます。
今日はこれから三重県四日市市に向かいます。当日のお知らせになってしまいま
すが、講演会は夜にありますので、案内を末尾に貼り付けておきます。

さてこの旅の途中に、首相官邸前45000人デモがありました。さっそく翌朝、
写真をダウンロードし、丹波市と舞鶴市の講演では、みなさんにスライドショー
でお見せすることができましたが、同時にこれに即して、交流会などで話たこと
を移動中の電車の中でまとめました。タイトルに書いたように、「適電運動の
ススメ」です。以下、お読みください。

************

電気使用を減らして暮らしを良くしよう!(適電運動のススメ)


大飯原発再稼動に際して、「節電」が叫ばれています。まず「節電」を叫んで
いるのは再稼動をしようとする側。「電力が足りなくなる」とアピールしたい
わけです。これに対して、電気なんて減ったっていい、危険な原発をなくそう
と、市民サイドから「節電」を訴える声も聞こえます。その考えに僕も賛成で
すが、しかしその場合、「節電」と言わなくても良いのではないか。あえて言
うなら「適電」が良いのではないかと思います。

なぜかと言えば、今の私たちの社会は、猛烈な電気過剰使用社会だからです。
だから求められるのは「節約」ではなく、電気使用の適切化、「適電」です。
ではどういうところから適度にしていけばいいのか。僕は夜の電気使用を大幅に
控えていくこと、また自動販売機の使用を販売サイドに控えていただくのが合理
的だと思います。なぜか。夜は暗くないといけないからです。生物にとって、
眠ることのできない夜ほど、過酷なものはないからです。

この点で、僕は例えばセブンイレブンは、この際、セブンイレブンに戻っていた
だくと良いのではと思います。正確にはセブンイレブンは今ではセブンアイに
変わりましたね。セブンイレブンではなくなってしまったからですね。もともと
は朝7時に開店し、午後11時に閉めるというスタンスで開業した。それが当時、
もっと遅く店を開けて、早く店じまいしていた小売店の常識を大きく打ち破る
行為だった。それでこの名前がつけられたわけです。

しかしそのことによって、町が非常に明るくなってしまった。しかもこれに自動
販売機の灯りも加わります。町は常に夜中でも煌々としている。そのために人も
動物も、昆虫も、植物もなかなか寝ることができない。睡眠という、私たち、
多くの生物に備わった、もっとも大事な自己回復機能、免疫機能が著しく阻害
される事態が続いているわけです。

多くの生物は光周性というものを持っています。日中の光の長短で、季節の移り
変わりを悟り、それにあわせて体調を変えていくのです。動物の場合は、冬眠に
代表されるような休眠活動をはじめ、生殖腺の発達や、毛変わりなども、光の長
短によって調整しています。

植物でも花芽の形成、塊根・塊茎の形成、落葉、休眠などが光を媒介に行われて
います。正確には温度を媒介するものと光を媒介するものと、いろいろな種類
(戦略)がありますが、ともあれ光の作用は非常に大きなものがあります。

こうした光周性には一年を通したものと、一日を単位としたものとの双方がある。
例えば夕方にねむの木をご覧になったことはないでしょうか。日中はぴんとはっ
ていた葉が閉じていくのを見ることができます。同じような習性は多くの葉でみ
ることができる。さんさんと日がさしているときは、光合成のために葉をピンと
張る必要があるけれども、日が暮れてしまったら、そんなことにエネルギーを
使うのはもったいないので、葉を閉じ、休眠して、休息をとるのですね。だから
そんな植物たちにとっても、夜に寝れないのはつらいことなのです。

動物の場合も同じで、光を浴びること、浴びないことはとても大事なのです。こ
れが私たちのいわゆる体内時計をつかさどるからです。光を浴びると私たちは
活性化し、光が弱くなると休息モードに入っていく。それが私たち人間が非常に
長い間、生物として培ってきたメカニズムなのです。

ところが電気によって、私たちは自らそのシステムを著しく壊してしまっている。
先にも述べたように、光は私たち生物にとってエネルギーの源としてとても大事
なものなので、私たちは光を見ると活性化するように自らを作っています。その
ため光に吸い寄せられる性質を持っています。「飛んで火に入る夏の虫」とい
う句がありますが、飛んで火に入りやすいのは、何も虫だけなのではない。実は
私たち人間もそうした性質を持っているのです。

実は多くのコンビニエンスストアはこのことをしっかりと認識して、非常に高い
ルックスでお店を煌々と照らしてきたのです。それで夜中に町を歩いていると
遠くに明るい光が見えてくる。そうすると、ついつい引き寄せられる習性が私た
ちにはあるのですが、これに思い当たることはないでしょうか。コンビニの中に
は「街のホットステーション」というキャッチを使っているところもありますが、
確かに暗い中で光を見るとホッとする面があります。それやこれやで私たちは
コンビニに吸い寄せられやすい。

しかし繰り返し見てきたように、それで町が眠らない。動物が眠れない。昆虫や
植物も眠れない。ときに夏になると、一晩中、コンビニの前でせみや鳥が鳴いて
いたりする。それが生態系にとっていいはずがないのです。そしてそれらが私た
ちの体内時計のリセット機構を狂わし、睡眠障害としての「リズム障害」を作り
出し、睡眠による休息と回復という非常に重要な機構を壊してしまっています。
僕はこれもまた昨今の「ウツ」の増加の一要因になっていると思います。

これらを考えるときに、セブンイレブンならぬセブンアイに、先頭をきって、
せめてセブンイレブンに戻っていただくのが良いのではないでしょうか。夜間営
業を停止したコンビニに拍手を送り、それでみんな夜はしっかりと寝て、昼に売
買を行えばいいのです。

話が見えやすいので、ここではコンビニだけを取り上げましたが、実はこうした
深夜営業の延長、昼夜化も原発とくっついていることなのです。なぜなら原発は
いったん動かすと出力の上げ下げが非常に難しい。昼間は多くの人が電気を使う
からいいのですが、夜は例えば電車もとまってしまうし、電気需要が大きく減っ
てしまう。そのために夜に揚水発電所でわざわざ水を高いところにくみあげて
電気を「貯める」ことを行っているわけですが、それでも夜中に電気ができすぎ
てしまうので、電力会社としてはなんとか夜に電気を使わせたいわけです。

それで考えついたのが、夜の電気を安くすることです。夜により電気を使うように
誘導しているわけです。そのためコンビニだけでなく、工場の昼夜運転など、夜に
稼動する設備が増えてしまった。そこで働く人が、夜中にコンビニを利用する例も
あります。それやこれや実はおおもとで電力会社が、夜の電気を安く売っている
ことに、眠らない町の出現の根拠があるのです。

そうであるならば、まず夜の電気を安くするのをやめて、昼の電気代を減らすべき
なのです。平均化すればよい。いやむしろ、暗い夜の絶対的重要性を考えるならば、
つまり生態系=私たちの体を考えるならば、夜の電気代を高くしてもいいぐらいで
す。もちろんその分、昼間の代金を減らすのです。そうすればコンビニも含めて
昼夜営業は少なくなっていくでしょう。結果として多くの人がぐっすり眠れるよう
になります。

さらにこれに自動販売機の夜間使用停止も加えましょう。そんなもの、昼のうちに
買っておけばいいのです。いやさらに言えば、真夏の炎天下に、鉄の箱に入れた
ジュースを冷やすことのあまりの不合理に私たちは気がつくべきです。あの箱を
商店の中にいれただけで、エネルギー効率はぐっと良くなります。真冬に誰も飲ま
ないコーヒーを一晩中加熱していることも不合理です。これらを世のため、人の
ためにやめていただきましょう。

そう考えるならば、電気使用を少なくすることで、私たちの暮らしはむしろよくな
ります。そうした観点から、私たちの社会的生活全体を見直していけば、もっとい
ろいろな面で、過剰に使われて、私たちの生活を悪くしている電気使用をとめるこ
とができると思います。

なので僕は「電気使用を減らして暮らしをよくしよう!」というスローガンを提唱
します。電気使用を適切化する「適電運動」を一緒にススメましょう!!

**********

三重県四日市市 6月24日

東日本大震災の被災から遠く離れている三重県。
放射能汚染とも全く関係ないと思って暮らしている人がほとんどです。
そこで放射能について学ぶ講演会を企画しました。
瓦礫のことや放射能に関する知識を得た上で三重県の未来を考えましょう。

〈講演会〉まずは知らなきゃね!~放射能から身を守るには~
〈日時〉平成24年6月24日 午後7時より
〈場所〉四日市市文化会館第3ホール
〈講師〉フリーライター 守田敏也氏

同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、
現在フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本
に関する研究を進めている。311以降は原発事故問題をおいかけて
いる。各地で講演を行いつつ、放射線被曝の恐ろしさを明らかにし、
防護を訴えている。被災地に自転車を送るプロジェクトを担いつつ、
三陸海岸の各都市を訪問・取材し、その現状を広く伝え続けてきた。
10月からは福島における放射線除染プロジェクトにも参加。
2012年3月に物理学者の矢ヶ克馬氏とともに岩波ブックレットから
『内部被曝』を上梓。

〈主催〉一般財団法人 ハハプロジェクト
人と人がつながり、大きな笑顔になれる商品とサービスを通じて、
年齢性別人種を問わず誰もが参加できるプロジェクトを企画し公益化
する一般財団法人で、おもにイベントの企画・運営、様々なカルチャー、
寄付活動などを行っている。

お問合わせ先 一般財団法人 ハハプロジェクト
四日市市鵜の森1-15-9-3F
TEL 059-350-6788 FAX 059-350-6789

チラシが以下から見れます。
http://www.haha-project.com/88events/88pro_jun/2012_06_24l.jpg
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明日に向けて(494)大飯原発再稼動反対!首相官邸前に45000人が集った!

2012年06月23日 07時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120623 07:30)

兵庫県篠山市のホテルからです。
昨夜、首相官邸前に大飯原発再稼動反対の声を上げるために4万5千人もの方
たちが集い、大きなデモをしてくださいました。感動しました。参加された
方、本当にありがとうございます。日本中の怒りの声を代弁してくださった
行為だと思います。

同じ時間帯に、ここ篠山市では、映画『チェルノブイリ・ハート』上映会と
僕のミニ講演に100名近い方が集まってくださいました。また大阪でも関西
電力本社前でデモが行われたと聞いています。他にも各地でいろいろな行動
が取り組まれていたと思います。私たちは心を一つにして動いています。こ
の私たち国民・住民の声を無視する現政権をけして許しません。必ずや、
原発再稼動中止に追い込みましょう!

野田首相は信念を持った人ではありません。国民・住民に対して、誠意も持っ
ていません。もし信念や誠意があるのなら、昨年末の「冷温停止宣言」など
けしてしなかったでしょう。そもそも「冷温停止」は、格納容器をはじめ、
原子炉が健全な状態ではじめて成り立つ概念だからです。ではなぜ冷温停止
など宣言したのか。事故が収束に向かっていると宣言したかったからです。

ではなぜこの宣言を出す必要があったのか。僕はアメリカの強い示唆があった
に違いないと考えています。ではなぜアメリカは冷温停止宣言を欲したのか、
一つにアメリカ国民・住民に、福島第一原発事故で、アメリカもがかなりの
被曝をしていることを気がつかれたくないからです。

二つに核戦略の維持のためにも、原子力政策を続ける必要があり、そのため
に、まさにこの時期に、スリーマイル島事故以降、初めての新しい原発建設の
認可を通すためです。事実、この認可は、冷温停止宣言の2週間後になされま
した!しかも受注したのは、東芝の子会社だった。そのために、冷温停止どこ
ろか、事故で壊れて底が抜け、どうなっているのかも良く分からない現実を
無視して、大きな嘘をついたのです。

こうした大嘘つきな野田首相には、僕は信念も誠意も感じません。それだけに
思うのは、昨夜の大デモに非常に強い脅威を感じているだろうということです。
だからもっと声を強めましょう。全国津々浦々で反対の声を高めましょう。
さらに心をひとつにして行動しましょう!

昨日の行動をネットで拾おうとして検索していたら、昨夜ではないのですが、
この4万5千人の行動に連なるものとして、6月16日に首相官邸前で行われた
動画がヒットしました。タイトルが「大飯原発再稼動反対6.16官邸前アクショ
ン~森園さんの訴え」となっていました。説明には「「原発いらない福島の
女たち」の森園かずえさんは、福島県民の思いを切々と訴えた」とあり、
「市民と科学者の内部被曝問題研究会」結成総会のときに知り合った郡山の
森園さんが切々とした訴えを行っていて、胸が熱くなりました。ああ、こうし
た行為が重ねられて昨日の力になったのだと思いました。その意味で、昨日の
行動の一環として、これをみなさんに紹介したいと思います。ぜひ以下を
ご覧ください。昨夜撮られた動画も貼り付けておきます。
いろいろな思いを交換し合い、重ね合って、さらに前に進みましょう!

大飯原発再稼働反対 6.16官邸前アクション〜森園さんの訴え
http://www.youtube.com/watch?v=nvaG-WJwxJg

2012/06/22大飯原発再稼働抗議に45000人!紫陽花革命@首相官邸前
http://ceron.jp/url/www.youtube.com/watch?v=m40PJZcWmVg


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明日に向けて(493)ゆっくりと長く大量に続く放射能漏れの中で私たちはいかに生きればよいのか(下)

2012年06月22日 09時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120622 09:30)

今日はこれから兵庫県篠山市に赴き、映画『チェルノブイリ・ハート』上映
に即してミニ講演をしてきます。今宵は篠山に宿泊し、明日、午前中から
同じく丹波市でも同じ講演をします。その後、電車に飛び乗り、舞鶴市で
講演を行います。

どこも震災遺物が燃やされたり、その灰が埋められたりしようとしている場
です。大飯原発の直近の場でもあります。そこで多くの方たちが、放射能へ
の不安を感じ、同時に今の政府のあり方に強い批判を感じています。そこに
お招きいただいてお話できるのはありがたいことです。心を込めた訴えをし
てきます。詳しい案内を末尾に貼り付けておきます。

さて、今日は昨日(上)を掲載した論考の(下)をお届けします。

ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で
私たちはいかに生きればよいのか(下)

2011年8月18日 守田敏也


3、放射能との共存時代をいかに生きるのか

それでは私たちはこうした時代をどうやって生きていけばいいのでしょうか。
被曝してしまったらどうしたらいいのでしょうか。

さきほど紹介した肥田医師は、次のように語られています。「被曝したと思っ
たら、腹を決めなさい。開き直り、覚悟を決めなさい。そして身体の免疫力を
精一杯高めて、放射能の害と闘うのです。」(肥田医師への守田によるインタ
ビューより。岩波書店『世界』9月号)

食べ物の選択において、できるだけ放射能汚染されてないものを選ぶことは大
切です。その場合の目安となるのは産地です。できるだけ原発事故から離れた
ものの方が安全度が高い。大量生産・大量消費のベースに乗った加工食品、あ
るいは極端に値段の安い食材をさけ、生産者の分かる食材を選ぶことが賢明です。

しかしそれでも基準値が非常に緩く設定されてしまっている今、汚染されたも
のを完全に避けることは難しい。程度の差はあれ、私たちの多くがすでに被曝
を受けていると考えるのが現実的です。

ではどうしたらいいのか。体の免疫力を高めて、放射能の害と、それがもたら
す病魔に立ち向かうのです。その場合に知っておくべきことは、私たちの身の
回りには、放射能以外にも体に害をなすものがたくさん蔓延しているというこ
とです。食品についていえば、多くの添加物は体に有害です。防腐剤などもそ
うです。また食材となる動物を飼育するときに使われている抗生物質なども体
によくない。また食材ではありませんが、日常的に多くの場所で使われている
殺虫剤の多くにも猛毒の薬品が含まれています。

放射能汚染ばかりでなく、これらをできるだけ排除すること、身体の中に入り
うる毒素をできるだけ少なくすること、それが体の免疫力を高めることに直結
します。そのために、今、私たちは、食べ物の作り方や流通の仕方を学びなお
し、食べ物における安全とは何かの知識を増やしていく必要があります。猛毒
のタバコを吸われている方は、これを機会にぜひ禁煙に踏み切られることをお
勧めします。

また何を食べるのかということとともに大切なのは、どのように食べるのかと
いう点です。食べ方をよりよくすることが大事なのです。良く言われることで
すが、しっかりと噛んで、消化酵素をたくさん出して、食べ物を胃の中に送っ
てあげる必要がある。30回噛むと良いと言われるのはそのためです。また食後
には必ず休憩を入れて、消化を助けてあげることも大切です。

また食事は、家族が揃い、あるいは友人と集い、明るく楽しい話題とともに食
べるときに、栄養がよりよく吸収されることも証明されています。このように
安全で、よりよいものを、しっかりと、楽しく食べる。それを基礎に、身体の
免疫力を上げ、放射能の害と立ち向かっていくのです。それが放射能との共存
時代に必要なことです。


4、正常性バイアスの問題

このように、放射能の害と正面から立ち向かおうとするときに、大変、やっか
いな障害物として立ち現れるものに、「正常性バイアス」というものがありま
す。社会心理学の中の災害心理学で解明されている、人が異常事態、危険事態
を認めまいとする心理のことです。

私たち現代人の多くは平和で安定した生活を営み、生命が危機にさらされる体験
は非常にまれです。そのため危機に晒されてもすぐに認知できないことが多いの
です。

とくに危機の認識を阻むのが「正常性バイアス」です。バイアスとは偏見のこと
ですが、目の前にある危機を危機として認めず、世の中は正常に動いていると思
い込んでしまうことです。例えば非常警報がなったときに、誤報だと思い込むな
どがその典型です。この正常性バイアスの心理的ロックを解除しないと、人は正
しい退避行動ができないのです。

危機の認識は、危機への対処の決断を問います。危機だと思ったら、時には命が
けで行動しなければならなくなる。いやその状態におかれているからこそ危機な
のですが、人にはそう思いたくない心情がある。そのため往々にして「正常性バ
イアス」は「同調性バイアス」と連動します。周りの人に同調する心理です。
非常警報が鳴っても、誰かが「誤報ではないか」と言って動こうとしないと、
みんなが同調してしまう。その結果、誰も退避行動を取らない。これは現実の多
くの災害の場面で、実際に起きていることがらです。

今回の原発事故に際してもこの正常性バイアスと、同調性バイアスが非常に強く
作動しました。原発が爆発までしているのに、多くの人々は、それは何かの間違
いであり、事故はすぐに収束し、避難の行動など取る必要が無いと思い込んでし
まいました。それを政府、マスコミ一体となっての安全キャンペーンが促進しま
した。このため膨大な数の人が、最も高濃度の放射性物質が浮遊しているときに
退避行動をとらず、あたら大量の放射能に曝されてしまったのです。

しかも肝心なことは、この正常性バイアスが、今もなお強く働いていることです。
放射能が目に見えず、臭いも、音もないためです。放射能の危険性は、とりあえ
ずはないと考えれば、「ただちには」何も感じることはありません。(敏感な人
は体が反応しますが)

そのためかえって「放射能を怖がることの方がストレスだ」などというとんでも
ないバイアスまでが飛び出してきて、危険性を訴える人がかえって迷惑がられた
り、非難されてしまうことまであちこちで起こり続けています。

災害心理学では、正常性バイアスのロックを解くのに大切なのは、日頃から避難
訓練を行うことだと説かれています。では放射能の危険性や原発事故に対しては
どうか。放射線の害について、日頃から学び、語り合おうことが一番です。その
ための学習会などが、避難訓練に当たります。事実、今回の事故で真っ先に逃げ
出して、被曝を免れた人の多くが、それまで原発の危険性についての市民学習会
などに参加して知識を得た人たちでした。それを考えるならば、少しずつでも
放射線の危険性を多くの人と語り合っていくことが大切です。正常性バイアスの
ロックが強く働いている人ほど、放射線の害を語ることに感情的に反発しがちな
ので、どうか優しい態度で接してあげてください。そうしてみんなで放射能の
危険性から身を守っていきましょう。


5、脱原発をめざして歩む

放射能との共存時代を生きるにあたっての肥田さんはもう一つ、私たちがなすべき
ことを語られています。肥田さんは次のようにいいます。「自分だけ生き残ろうと
思っても、原発がある限り放射能漏れが起こるのでダメです。みんなで元を断って、
放射能から逃れる必要のない世の中を作るのが一番です」。

そうです。どのように健康を保とうとしても、原発が次々に事故を起こしたらその
たびに高濃度の放射能がまき散らされてしまいます。そればかりではありません。
実は原発は通常運転でも「許容量」の放射能を漏らしていて、それも大変危険なの
です。だから元を断つ必要があります。

こうしたことを考える上で非常に参考になるのは、文部科学省が作っているホーム
ページです。「原子力教育支援情報サイト あとみん」というものです。ここには
原子力発電推進の立場から、さまざまな説明が行われているのですが、その中に
高レベル放射性廃棄物を処理するには、どれくらいの時間がかかるかということを
示したグラフがあります。

高レベル放射性廃棄物とは、使用済み燃料棒からプルトニウムを取り出す「再処理」
という工程を経た後のゴミのことですが、それによると、まず運転済みの燃料棒を
10年、20年くらい燃料プールで冷やさなければなりません。この間に、急激に放射
能レベルが下がっていきます。その後に「再処理」を行い、今度はガラスで覆って
いく「ガラス固化体」が作られます。しかしそれもプールに入れて冷やさないとい
けない。80年間ぐらいは冷やし続けることが示されています。その後に「地層処分」
で埋めてしまうと書いてあります。

現実的には、再処理を行ってプルトニウムを取り出し、再利用をしていく「核燃料
サイクル」の展望は、「高速増殖炉もんじゅ」の行き詰まりなどで完全に失われて
いるし、「地層処分」といっても、どこに埋めるか、何も決まっていないのですが、
ともあれここでの表では、100年くらい経った頃から、放射能レベルの減り方がだん
だんゆっくりになりはじめ、その後はなかなか減らなくなることが書かれています。

それで「ウラン鉱石の放射能レベル」という線のところまで下がる地点をみると、
なんと1万年と書かれた地点を越えているのです。しかもそこからもなかなか放射能
レベルは下がらない。やっとウラン鉱石レベルよりそれなりに下がっているところ
をみると、なんと100万年と書いてあります。このように文科省の示すデータでも、
原子力発電で使った使用済み燃料の放射能は、1万年経ってもまだウラン鉱石のレ
ベルに達せず、何万年も、あるいは何十万年も保管を続けなければならないことが
明らかなのです。

しかも明確な方法も決まっていなければ、どこに埋めるかすら、決まっていないので、
この費用は今はゼロ円にしかなりません。実際には100万年にいたるような管理が必
要なわけで、天文学的コストがかかり続けるのですが、それが計上されていないので
す。詐欺のようなものですが、大事なことは、このままでは私たちは、未来世代に対
して莫大な借金を一方的に押しつけ、なおかつ莫大な放射能だけを送ることになって
しまうことです。同時に莫大な放射能事故の危険性も送ってしまいます。これは未来
世代に対する暴力です。その点からいえば、原子力発電を止めることは、社会正義の
問題だと思います。

また原子力発電は温暖化防止のためにも必要と、政府や推進派の人たちが語ってきま
したが、実際には原発は、発電している時だけ二酸化炭素を出さないだけで、その前
後の過程では多くの二酸化炭素を出しているのです。実は二酸化炭素だけが地球温暖
化の原因ではないのではないかという議論もあるのですが、それはともあれ原発もま
た二酸化炭素をたくさん出す体系であることに変わりはないのです。

その上、原発は「海暖め装置」でもあります。たとえば100万キロワット級の原発は、
実は300万キロワットの熱を発生させ、残りの200万キロワットを海に捨てているので
す。100万キロワット級原発で、1秒間に周辺の海水より7℃高い排水を70トンも出して
います。福島第一原発の原子炉がすべ動いているときには、1秒間に300トンの温水が
出ていました。利根川の流量と同じです。柏崎刈羽原発では全て動くと1秒間に500トン。
日本一の河川である信濃川の流量と同じ温水が出ます。これが日本中で、いや世界中
で行われているのですから、原発はむしろ地球温暖化の主要要因の一つとすらいえます。

費用の面でも未来に莫大な借金を残すし、地球を暖めるし、原子力発電には何もいい
ことはない。その上、恐ろしい放射能漏れのリスクがつきまといます。実際、どんどん
明らかになっていく周辺地域の汚染状況や、日本全体に拡がっていく食料汚染を考える
時、原発に良いことなど一つもありません。生活の全てを奪われて避難せざるをえない
周辺の方たちの現実を見るにつけ、一刻も早く全国の原発を止めていかなければならな
いが分かります。そのために一人一人の力を合わせることが必要です。みんなで元を
断って、放射能を避ける必要などない世の中を目指しましょう。

終わり


*****

兵庫県篠山市 6月22日
兵庫県丹波市 6月23日


事故から25年・・・・まだ終わっていない
◆今だからこそ目をそらさず、ひとりでも多くの人に見てほしいーーー。
1986年4月26日チェルノブイリ原発事故発生。それは、当時生まれた子供たち
にたくさんの災いを及ぼした・・・。
◆〈チェルノブイリ・ハート〉それは放射線の影響で心臓に重度の障害を持った子供
たちのこと。
◆監督のマリオン・デレオが体当たり取材したアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞
受賞作品!

●2012年6月22日(金)
上映時間①午後2時、②午後4時、③午後7時
篠山市民センター・多目的ホール(篠山市黒岡)
※午後6時半から、フリーライター・守田敏也さんのミニ講演会があります。
(守田敏也さんは、丹波ブックレット「内部被曝」の著者の一人です。)

●2012年6月23日(土)
上映時間①午前11時、②午後1時、③午後3時
ポップアップホール(丹波市氷上町・ゆめタウン2F)
※午前10半から、フリーライター・守田敏也さんのミニ講演会があります。

主催/憲法たんば(平和憲法を守る丹波地区連絡会)ひょうご丹波・憲法を生かす会
後援/篠山市教育委員会、丹波市教育委員会、神戸新聞社、丹波新聞社

前売券/500円(当日800円) ※小中学生無料
申込み&問い合わせ/℡0795*73*3869
FAX0795*72*3639

〈前売券取扱所〉
小山書店(篠山市魚屋町、℡079*552*0019)
コミュニティカフェみーつけた(篠山市乾新町、℡079*554*2600)
みんなの家(篠山市魚屋町、℡079*554*2525)
かいばら観光案内所(丹波市柏原町、℡0795*73*0303)
ゆめタウン1階サービスカウンター(丹波市氷上町、℡0795*82*8600)

開催期間:2012年6月22日(金) ~ 2012年6月23日(土)
地 域:兵庫県
場 所:篠山市黒岡191番地 篠山市民センター・多目的ホール他
最寄り駅:JR篠山口駅
http://www.hnpo.comsapo.net/weblog/myblog/697/41326

**********

京都府舞鶴市 6月23日

舞鶴社会保障推進協議会
第11回定期総会・記念講演会

日時 6月23日(土)
場所 サンライフ4階 第1会議室
内容 定期総会 午後3:00~4:00

記念講演会 午後4:00~5:30(どなたでもご参加いただけます)
”震災がれき問題と内部被曝”
講師   守田 敏也 氏

舞鶴市は、震災がれきの受け入れを決めていますが、がれきってどんなもの…?
消却しても大丈夫…? 内部被曝のお話も交えながら、わかりやすくお話していただきます。
皆さんと共に考えていきましょう。

☆守田敏也さんのプロフィール☆
同志社大学社会共通資本研究センター客員フリーライター。3.11以降は原発事故問題を追って
物理学者の矢ヶ崎克馬氏と共に岩波ブックレットを上梓。ブログ「明日に向けて」発信中。

主催  舞鶴社会保障推進協議会(連絡先 舞鶴健康友の会事務所内 ℡ 78-3201)

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明日に向けて(492)ゆっくりと長く大量に続く放射能漏れの中で私たちはいかに生きればよいのか(上)

2012年06月21日 10時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120621 10:00)

昨日、生活クラブ京都エル・コープでお話したことを(491)に載せましたが、
そのとき同コープ内の「協同組合運動研究会」の会報をいただきました。そ
の189号(2011年9月8日発行)に、僕が前回2011年7月30日にお招きを受けた
ことを踏まえて投稿させていただいた、「原発事故・・・ゆっくりと、長く、
大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか」という文
章が載っていました。パラパラ読んでみたら、自分で言うのも何ですが、よ
く書けていました(笑)なので、ここにも掲載することにします。
長いので2回にわけますが、冒頭の部分に「シビアアクシデント」対策のこと
が書いてあり、これはそのまま大飯再稼動批判に該当します。政府が昨年の
夏からまったく何の進歩もしていないことをあらためて感じた一瞬でもあり
ました・・・。

**********

原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、
私たちはいかに生きればよいのか。

2011年8月18日 守田敏也

2011年3月11日。私たちの国を大地震と大津波が襲いました。福島第一原発が
大事故を起こし、大量の放射能が漏れだしました。以降、事故は今日にいた
るも収束の目処が立っていません。福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、
大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのでしょうか。
みなさんと考察を深めていきたいと思います。
 
1、地震によって福島原発は壊れた!

今回の原発事故の主要な原因な何だったのかを考えてみたいと思います。
政府や東京電力は「想定外の津波」としています。そして定期点検などで停止
している他の原発を再稼働するに当たり、充分な津波対策を施したから安全だ
と言っています。本当でしょうか。

「主な要因は津波ではなくて地震だ」と指摘している方たちがいます。元日立
の原子炉圧力容器の設計者の田中光彦さん、元東芝の原子炉格納容器の設計者
の後藤正志さんなどです。この方たちの分析では、原発は津波がくる前に地震
によって配管が壊れて、燃料棒を冷やす水=冷却材が抜けてしまい、メルト
ダウンがはじまったと推測されています。

津波ではなくて地震が大事故の原因であると、どういうことになるのでしょうか。
点検中の原発の再稼働どころか、現在、動いているすべての原発も、同じ危険
を抱えていることが明らかになるのです。これまでの設計基準では地震に耐え
られなかったからです。そのため、原発の運転を停止しないと、地震によって
同じような大事故が起きる高い可能性があります。

また事故調査では、現場の運転者の人が、どのスイッチを入れてどのスイッチを
切ったのか、その時にそのスイッチは動いたのかどうか、等々のことをつまびら
かにすることが大切です。しかし、こうした本格的な調査がないままに、政府は
「津波のために電源喪失してメルトダウンした」という報告を国際機関に出して
しまいまいした。実際はどうだったのかということなどまだ誰も見ていないにも
かかわらずです。ちなみにスリーマイル島での事故のときも、放射能が低レベル
になって開けられるようになったのは7年後で、フクシマの場合はもっとかかる
と言われています。

さらに政府や保安院は、5月に各電力会社に「シビアアクシデント対策」を要請し、
これが行われたことを、停止中の原発の運転再開の条件に上げています。しかし
「シビアアクシデント」=「過酷事故」とは、設計条件を越えた事故のことです。
車で言えばブレーキが壊れて止まらなくなったような状態のこと。そのときの非
常措置が「シビアアクシデント対策」で、具体的には格納容器から大量の放射能
が漏れ、水素なども漏れて来る事態の中で、水素爆発を避けることなどを指して
います。

そのため「シビアアクシデント対策」ができたから運転を再開するということは、
今後、大規模な放射能漏れや水素漏れが再び起こる可能性があるけれども、そう
なったときの対処を考えたので、運転を再開させてくださいと言っているのと同
じことです。

原発はシビアアクシデントなど絶対に起きないと言って、運転してきたのですから、
それが起きてしまった今、ただちに運転をやめるべきです。
 

2、放射能による被曝の問題

この事故で、どのくらいの放射能が出たのでしょうか。本当のところは、5年、
10年たたないと完全には分からないと思われますが、今、政府が認めているだ
けでも、チェルノブイリ事故の3分の1くらいの放射能が出ていると推定されて
います。このため、大変な規模の被曝が起こっていると思われます。

放射線にはアルファ線、ベータ線、ガンマ線などがありますが、前二者はエネル
ギーが非常に大きい一方、粒子も大きいので何か障害物があると容易に通り抜け
ないし、距離もあまり飛ばない。そのため人が外から浴びるとしたら主にガンマ
線ですが、そのように人が外から放射線を浴びることを外部被曝といいます。

それに対して内部被曝は、放射線を出すものを塵とか食べ物、飲み物を介して、
体の内部に取り込んでしまい、内側から被曝することをさします。内部被曝をする
とどうなるのでしょうか、体内の細胞が、放射線で長い間、被曝してしまいます。
しかもアルファ線やベータ線は、近くの細胞を激しく壊してそこで止まってしまい、
外に出てこないので測ることができません。

この内部被曝の問題で、今、一番注目を浴びているのは肥田舜太郎医師です。肥田
さんは広島で自ら被爆された元陸軍軍医です。原爆の直撃を免れ、その直後から
野戦病院となった避難所に押し寄せてきた被災者をはじめ、たくさんの被爆者を診
てこられました。その肥田さんが強調されているのが、内部被曝の恐ろしさです。

体内に入った放射性物質は、低線量の被曝を持続的に起こします。このとき、放射
線は線量が高いほど生物にダメージを与えると考えられてきたのですが、実際には
低線量の被曝が長く続くと、高線量の被曝より細胞が受けるダメージが大きくなる
ことがあります。これはカナダ人の科学者で医師のアブラム・ペトカウという人が
発見したので、「ペトカウ効果」と呼ばれています。肥田さんは早くからこのこと
に注目し、アメリカの研究書を、ご自分で多数翻訳して紹介してきました。

肥田さん自身の臨床経験で特徴的なことは、被爆者に極端な疲労感・倦怠感が突然、
発作のように襲ってくる症状があることでした。そうなると何もできなくなってし
まいます。いわゆる「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる症状ですが、その原因こそ、
内部被曝に他ならないのです。細胞内の生命活動が内側から壊され、活力が維持で
きなくなってしまうのです。

しかしこうした低線量被曝の恐ろしさは、アメリカをはじめ核兵器を開発したり
使ったりした側、原子力発電を推進してきた人々によって覆い隠されてきました。
放射線の本当の害を研究したり公表したりすることが押さえられてしまったのです。
とくにアメリカ占領下の日本では、被爆者への治療は認められても、病状の研究を
することは厳禁されたのでした。そのため放射線の害の研究は、今なおほとんど
進んでおらず、人体への影響がたいへん小さく評価されています。そのことが今回
の福島事故での、政府や大方の「専門家」による事故の影響の過小評価や、「放射
能は怖くないキャンペーン」につながっています。

とくに今回の事故後に福島に乗り込んだ長崎大学山下俊一教授は、福島に放射性物
質がたくさん降っているときに、「マスクの必要はない、子どもたちを外で遊ばせ
ても大丈夫」と言ってまわりました。山下教授を信じたたくさんの市民が、当初
考えていた避難を思いとどまり、マスクなどで身を守ることもやめてしまいました。
その結果、かなりの人々の被曝が促進されてしまいました。3月末に行われた検査
では、子ども約1100人の半数以上の甲状腺から放射性ヨウ素が検出されていたこと
が、8月になって発表されています。

また放射能汚染物質は、汚泥や腐葉土に交じって全国に流出し、さまざまな食べ物
のなかにも交じりこんで、全国に蔓延しつつあります。これ対しても政府は、世界
の中でももっとも緩い基準値を作りだしてしまい、汚染された食物の流通を許して
しまっています。このことで被曝は一地域の問題でなく、日本全体に広がりつつあ
ります。

続く


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明日に向けて(491)「がれき」問題についてこう語りました!(京都エル・コープにて)

2012年06月20日 23時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120620 23:00)

今日は、生活クラブ京都エル・コープの方たちに招かれて「がれき問題」
についてお話をしてきました。今回は、エル・コープで共同購入をしてい
る会員さんたち、また各地で焼却問題と格闘している方も集まってくださ
いました。特徴的だったのは、共同購入をしている多くの方が、震災遺物
を持ってきた焼くことに不安を感じていながらも、そう思うことが東北の
方たちに申し訳ないことにはならないかと悩んでいて、強く反対の声を
あげられない心情の中にいることでした。

こうした場合の僕の話し方なのですが、まずは東北・関東全体の被曝状況
を、群馬大学の早川由紀夫さんが作ってくださったマップで確認してから、
福島市内の被曝状況を説明していきます。市内の小学校の登校風景をみて
いただき、学校の通学路で、5μS/hとか、12μS/hとか、とんでもない
値が出ていること、そんな状態が政府によって、公然と野放しにされてい
ることを淡々と話していくのです。その上で、こうした被曝状況を放置し
ている政府が語る「絆」に騙されてはいけない。絆というのなら、真っ先
に、まともな放射線防護対策をとるべきたということをお話しました。

続いて、内部被曝のメカニズムについて説明しました。矢ヶ崎さんが解明
してきた内容に基づいて、放射線が物質に与える基本的な作用は電離作用
であり、そのことで分子切断をもたらすこと。生物の場合は、これがDNA
に対しても生じ、DNAの切断がもたらされることを説明しました。

その上で、しかし外部被曝で主にあたるガンマ線被曝の場合、アルファ線
やベータ線の被曝に較べると、DNAの切断がまばらに行われ、二本のらせん
状のくさりによって構成されているDNAの一重切断になることが多いこと。
その意味で、人体による修復の可能性が高いことに対し、内部被曝でおこ
るアルファ線やベータ線被曝では、高密度な被曝が起こることで、DNAの
二重切断が起こり、つなぎなおしができずにDNAが死滅したり、つなぎなお
しても間違えたつなぎなおし=異常再結合が起こり、染色体異常が発生し
てまうこと、それが細胞分裂で増えていくために、やがて病が引き起こさ
れる可能性が高まることをお話しました。

にもかかわらず、広島・長崎原爆以降、この内部被曝の危険性が隠されて
きてしまった。それが今も続いており、内部被曝の危険性をなんら評価す
ることなく、外部被曝と同じに扱うことが続いている。そのことが現在の
「放射能は怖くないキャンペーン」の大きな根拠となっていることを示し、
内部被曝からの徹底防護が必要であることを強調しました。

ここまでお話してから、震災遺物の問題に入りましたが、そこでもまず
示したのは、「がれき」の情報ではなく、東北・関東16都県の昨年夏の
一般廃棄物焼却施設において測られた放射性セシウムの値でした。
焼却場ででてくる灰(主灰と飛灰)に集まったセシウムの値を測ったもの
ですが、これをみると、東北・関東では、震災遺物だけでなく、一般の
ゴミを燃やすだけで、大変な量の放射性物質が出ていたことがみえて
きます。岩手県や宮城県もそうであり、これらの地域の震災遺物は「安全
で放射能汚染はほとんどない」などというのはまったくのウソであること
が一目瞭然で分かります。扱ったのは以下のデータです。

16都県の一般廃棄物焼却施設における焼却灰の放射性セシウム濃度測定結果一覧
http://www.env.go.jp/jishin/attach/waste-radioCs-16pref-result20110829.pdf

これに続いて、焼却場の構造をお見せし、そもそもその中で焼却が行われる
と焼却場自身が手ひどく汚染されてしまうこと、事実、東北・関東の焼却場
はそうなっていること、作業員の方たちの健康が極めて心配であるとともに
放射性物質対応で作られたわけでもない一般施設で、とても放射能の封じ込め
などできるわけがないことをお話しました。

その際、放射性物質が極めて測りにくく、かつつかまえにくい物質であること
それもまた放射能の怖さの一面であることをお話しました。市民測定所などが
日夜苦労していることですが、資料を均一に詰めないと測定精度はあがって
いきません。「がれき」と呼ばれる物質でどうしてそれができるのか。実際の
「測定」はサンプリングをして行っていますが、やっかいなことに放射性物質
は、けして環境中で均質化しては存在していない。道路で測っただけでも、
数十センチ離れただけで数値が10倍以上も違ったりすることがよくある。

それらからするとかなりの量の「がれき」状になったものを、細かい粒子に
まで裁断し、しかもそれを混ぜ合わせて、均質化を繰り返し行い、さらにそ
の上で、何箇所もサンプリングを行って測って、やっと少し「確からしさ」
に近づくことができるかもしれませんが、そんなことは実際には労力も資金も
かかりすぎてできないしもちろんやられていない。だから実は焼却場に運び
込んだ放射性物質の総量などきちんと測れているわけがないのです。

そもそも運び込むものですらよく分からないのだから、それがどこでどうなった
か、漏れたか漏れないかも分かりようがない。ところが政府は煙突の先でほんの
わずかな煙をとり、しかも非常に短い時間の計測で済ましている。専門家に
よっては、1週間、60万秒!は必要だと言う計測を、1000秒ほどですまして
「検出されなかった」とか言っているわけですが、それは検出などされるはずの
ない方法で行われたものにすぎないからです。

実際には放射性物質を焼却場で燃やすことはあまりに危険です。放射性物質は
そんなにやすやすとはつかまえられないのであり、しかもきわめて測りにくい
ために煙突からだけではなく、思わぬところから漏れ出ていってしまうことが
確実だからです。その点では放射能で汚染された物質はどこでも焼却をしては
いけない。もちろん東北や関東でもです。いやこれらの地域の人々はすでにこ
れまで野放しの被曝によってぜんぜん守られてきてないのですから、よりこれ
らの地域の被曝の促進をさせてはならないし、西日本はこの声をあげていかな
くてはならない。

ではどうしたらいいのか。さしあたって震災遺物は原発サイトの中に持ち込み、
そこに予算を投入して安全な封じ込めの方法を考案していくべきなのです。
そのための予算はといえば、震災遺物の輸送にあてようとしている膨大な資金
をそのままつぎ込めばよい。しかも原発サイトはもっともモニタリングポスト
が多いし、自称、「放射能の専門家」がたくさんいる場所なのですからこうし
た物質の管理には一番適している。しかももともと放射性物質は東電が出した
ものなのだから、道義的にも理に適っているのです。

これに対して、西日本が放射能汚染が少ないことは、チェルノブイリ事故との
比較で言えば「奇跡」のような事態であり、西日本はこのポテンシャルを、東
日本を根底から支えるために使っていく必要がある。食料を大増産して、東日
本に送り込むべきだし、避難や保養の先としても確保しておく必要があります。
そうした形で西日本は東日本を全力で支え、救う必要があります。

しかし今、原発がすべて止まっているのは、東日本から避難してきた人々を
はじめ、福島原発事故で傷ついた本当にたくさんの人たちが、その痛みをおし
て原発の危険性が告発してくださることで、多くの人々の心が揺り動かされ、
実現されてきたものであり、その意味では西日本は、痛みを負った東日本にす
ごく救われ、支えられていることを自覚しなくてはいけない。

その意味で、本当に互いに助け合い、支えあっていかなければならず、そのた
めには、私たちはそんなにやすやすと政府に騙される民であってはならない。
一緒になって、原発をとめ、未来世代に少しでもきれいな地球を渡せるように
努力をつづけましょう・・・とお話を続けました。


さてこの話を受けて、参加者それぞれが自己紹介と感想を語って下さいました。
一つ一つの発言がとてもよくて、全部を紹介できないのが残念ですが、印象的
たったのが多くの方が、「東北の方のことを思うと、がれき受け入れ反対と
言ってよいのかどうか迷っていた。またそもそも問題が複雑に見えてよく分か
らなかった。学習かを通じてその点が良く見えた。反対の声を大きくしていき
たい」とおっしゃってくださったことです。

「私はつくづく騙されやすい国民だと思いました。今回も騙されかけました。
でも東北や関東の数字を見て、騙されていたことがわかりました」と言って
くださる方も。

こうした方にまじって、二本松市から避難してきて、京都にすんでいる女性が
原発事故にあうとはどういうことかを切々と語ってくださり、それを人事だと
思わず自分のこととして考えて行動して欲しいという話をしてくださいました。
これにさらに参加者が反応。ある方は、「一時期、この問題を考えるのがつらく
なり、遠ざかっていた。放り出したいと思った。原発再稼動決定のときは、
私たちが何を言っても無理だとも感じた。でもやはりそれではいけないと思っ
てここに来たら、福島の方の話が聞けて泣きそうになった。やはり放り出しては
いけないんだ。やれることをやることが大事なんだと思った」と語って下さいま
した。・・・感動しました。


こうした意見を聞いて思うのは、私たちの国に住まう多くの人は、基本的には
優しく、人を助けたい、傷つけないでいたいと思っている方が多い。そしてその
優しさに付け込む形で政府が人々を繰り返し騙している。騙されてはいけない!
と僕は常々語っているのですが、本当は、人の優しさに付け込んで騙している
政府が一番悪いのです。本当にもうもの凄く悪いと僕は思う。そしてその悪い
人たちを野放しにしないためにこそ、私たちは騙され続けてはならないのです。

だから、騙されなくなったからといって、優しさは捨てずに保持していきたい
ものだと思います。いや、より強く、逞しく、しなやかで、豊かな優しさを
持っていきたい。そんな気持ちで包まれた、真に豊かな社会を築いていきたいと
僕は思います。そしてそれが実現できる可能性が、おそらく全国のいたるところ
で行われている同様の討論の中ではぐくまれているのだと思います。僕自身、
その成長に少しでも貢献するために、さらに各地をまわってお話をしたいと
思います。

以上、エル・コープでのお話の報告でした。



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