明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1727)アメリカは核のゴミをあちこちに安易に捨ててきた! ニューメキシコの旅12

2019年08月24日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190824 23:30)

WIPPも問題だけれども・・・

ニューメキシコの旅の報告のとりあえずの最後に、前回と前々回でWIPP(Waste Isoration Pilot Plant) のことを書きました。
同州のカルズバード近郊にある核爆弾製造過程で出てきたプルトニウムなどに汚染されたゴミを地下650メートルの岩塩帯に捨てている施設です。
ここは2014年2月に連続2件の火事を起こしました。二回目はプルトニウムのゴミを詰めたドラム缶が爆発して燃える深刻な事故で地下施設のかなりの部分が汚染されてしまっています。

またドイツにある元岩塩鉱山を利用した低レベル廃棄物を捨ててきたアッセ2という施設では、最近になって地下水の流入が確認され、ドイツ政府がすべてを掘りだして他の場所に移すと決断せざるをえませんでした。
この点でWIPPもこの先、水の浸入がないとは言い切れず、安全性が担保されてるとはとても言えません。


WIPPの構造図 写真はLos Alamos National Laboratoryより

しかしこの施設のことを調べていて、そもそもここの運用開始が1999年と比較的最近でしかないことの重大な意味に気が付きました。端的に言って、それ以前はどうしていたのか? それで調べてみたら驚くべきことが分かりました。
広島・長崎に原爆を投下して以降、かなり長い間、アメリカは核のゴミをあちこちに安易に捨ててきたのです!
当然にもそれはアメリカに住まう人々にさまざまな汚染をもたらしてきたと思われます。ウランを採掘し、核実験を行って放射能をまき散らし、その上、核のゴミを安易に捨ててきた・・・これが核大国アメリカの実態なのです。

浅い溝のようなところに核のゴミが放り込まれていた

このことはニューメキシコから持ち帰ったさまざまな文献の中の”FACING REALITY”という論文集の中に書いてありました。1992年5月の出版です。
僕が見つけた論文の執筆者はドン・ハンコックさん。前回もご紹介したサウスウェスト・リサーチ・アンド・インフォメーション・センター(SRIC)の中心的研究者で、今回もいろいろと教えてくださった方です。
そのロンさんが「放射性廃棄物の貯蔵と処分」という一文を書いているのですが、この中でこんな記述が出てきます。


FACING REALITY 1992 May

「第二次世界大戦のマンハッタン計画以降、核兵器複合体は何百万立法フィート、あるいは一億キューリーを上回る放射性廃棄物を生み出してきた。
しかし当初の数十年の間、核兵器製造においては、核産業が安易に核のゴミを捨てていることに思慮に欠けた態度をとり続けたことが際立っている。
廃棄された核のゴミの種類も量も記録されず、捨てた場所が地図に示されることもまれだった」


ドンさんの論文の冒頭部分

論文の中にはプルトニウムが生産されてきたワシントン州のハンフォードで、放射能のゴミが箱に詰められて、浅い溝のようなところに放り込まれていた写真が添えられていました。
しかも1980年代半ばまでです。 この他に、核のゴミが川の中に放り込まれたり、石油などの採掘のために掘った「インジェクションウェル」という井戸にも放り込まれたことなどが記されています。
何せその中身が具体的に記録されていないのですから想像を絶します。


ハンフォードで浅い溝に捨てられていた核のゴミ 1980年代中ごろまで

世界のヒバクシャの連帯を強めたい!

核兵器製造を始めた国、アメリカは同時に核被害大国です。
アメリカ政府は広島・長崎での投下や南太平洋での核実験でたくさんのヒバクシャを生み出しただけでなく、いまなお現在進行形でアメリカ住民を被曝させ続けています。
この実態をより深くつかみ、世界に紹介する中で、アメリカに住まう人々の内側から核兵器や核エネルギーの廃絶に向かうムーブメントが強まることを望みたい。

いやすでにその道を逞しく歩んでいるアメリカ先住民族やダウンウィンダーズ、そしてドンさんのように核廃棄物と格闘している人々の奮闘に学び、連帯を強め、それを日本および世界の民衆運動ともっとつながていきたい。


アラゴモードで出会った女性。トリニティサイトで被曝してガンで亡くなった家族の写真一覧を貼りだしていた

 
そのために僕は10月末から11月にも再度、アメリカを訪れます。
今回はワシントン州ハンフォードにも行きます。長崎に落とされた原爆のプルトニウムを製造したところであり、たくさんの核のゴミを生み出し、深刻な汚染ももたらしてきたところです。


ハンフォード地図 「よくわかる原子力 キッズページより」
http://www.nuketext.org/kids/NWtests/NWtest4.html

その後にまたニューメキシコにも訪れます。 このために今後も今回持ち帰った文献を読み込んでいきますが、7月の訪問記についてはとりあえず今回の投稿で締めとしようと思います。 世界のヒバクシャの連帯で核と戦争のない未来を実現するためにさらに歩みます!

*****

明日、25日(日)に綾部・舞鶴・宮津でニューメキシコ訪問報告を行います! 詳しくは明日に向けて(1726)をご覧ください。

また今回の取材の旅に際し、かつまた10月末から11月の新たなるアメリカ・核の取材の旅に向けて、皆さんにカンパのご協力を訴えています。
よろしければぜひお願いします。核の時代を終わらせるための活動へのご支援としてお願いできると嬉しいです!

振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金口座番号 2266615

#ニューメキシコ #ロスアラモス #トリニティサイト #核実験 #ヒバクシャ #WIPP #核廃棄物処分場 #プルトニウム #ハンフォード #核のゴミ

 

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明日に向けて(1726)核のない世界の実現を目指して!-綾部、舞鶴、宮津でお話します(8月25日)

2019年08月22日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190822 23:30)

8月25日(日)に京都府北部の3箇所でニューメキシコで見てきたことをお話しします! ぜひお近くの会場にお越しください!(各会場の主催者の問い合わせ先も記しておきます)

● 綾部会場-中筋公民館 午前10時より

まずは綾部で午前10時から12時まで。中筋公民館(ふれあいセンター1階)にてです。 チラシの文言をご紹介します。

***

ニューメキシコから
ずどんとつながる核のはなし

核兵器の始まりの地であり、
広島・長崎よりも先にヒバクシャを生み出していたニューメキシコ。
・・・原爆の作られたロスアラモス、初の実験が行われたトリニティサイト
ウランが出てきたアメリカ先住民族保留地・・・そこにはたくさんのヒバクシャがいた

核の時代の始まりの街から核と戦争のない未来を展望する!

お問い合わせ 090-4462-2091(中島)

***

みなさん。いかがでしょうか。この通りなんだよなあ。
アメリカには本当にたくさんのヒバクシャがいるのです。それが核武装するという意味なのです。
これらの点をぜひ少しでも多くのみなさんと共有したいと思っています。



● 舞鶴会場-舞鶴林業センター 午後2時より

教えて!フリージャーナリスト守田敏也さん
ニューメキシコの旅で見たこと、聞いたこと
ノーモア広島、ノーモア長崎、ノーモアヒバクシャ

うーん。これまた端的なタイトルをつけてもらえました。
ちなみにすでに僕は京都被爆2世3世の会例会と、京都市北区の新婦人のみなさんの集いで報告をさせていただいています。
また瀬戸内と信楽の保養キャンプでも部分的にですが触れさせてもらいました。
ただそのときはまだ整理してなかったことがありました。核のゴミ、放射性廃棄物問題です。

その後にアメリカから持ち帰った資料をつぶさに読み込んでいたら、この点でもとんでもないことが続けられてきたこと。
アメリカに住まう人々が核のゴミからも恐ろしい被曝をしていることが分かりました。
25日の3回の講演でそのことも加えてお話します!

なお舞鶴では講演会の後に場所を移して交流会も行います。
午後4時半から6時までです。ここでは主にみなさんの質問にお答えするつもりですのでこちらにもお越しください。
詳しくは主催者にご連絡を!

主催:舞鶴でニューメキシコとつながる有志の会 
連絡先090-9874-1245(塚崎) 090-5933-3243(森)


● 宮津会場-府中公民館 午後7時半より

守田敏也さん アメリカ・ニューメキシコの旅報告会

チラシの一部を抜粋します。

守田さんはたくさんの方々と交流してこられました。今でもその辺りはアメリカの核戦略の重要拠点。
核廃棄のパイロットプラントも作られていて、それはすぐにも日本にやってくるだろうと言われています・・・。

そうなのです。まるまる同じものが採用されるとは限りませんが、ここには日本のすぐ先の姿がある。
アメリカで行われていることが次第に各国に押し付けられてきたのが「核の歴史」だったのですから。

主催:原発0をめざす宮津・与謝野ネットワーク 原発なしで暮らしたい宮津の会
連絡先 090-8219-6054(日下部みはる) 090-6930-3692(矢野めぐみ)


● どこも会場カンパでお願いしています!

今回はどうしても報告を聞いていただきたくて、僕から開催を各地に依頼していることもあって、講師料は「会場での投げ銭でいただけたらありがたいです」とお話しています。
なので会場費はとくにありません。話を聞いて「これは投げ銭をする価値があるな」と思ったらぜひお願いします。
いただいたカンパで今回の旅の費用を補てんするともに、次回の渡航への資金としようと思っています。
実は10月末から11月にかけてまたアメリカを訪れ、より多くのヒバクシャと連帯を深めるつもりでいます。

お近くの方、ぜひぜひお越し下さい。
また「報告会を開催してあげよう」と思われる方がおられるならどこでも「投げ銭」で飛んでいきますのでご連絡ください!

*****

今回の取材の旅に際し、かつまた10月末から11月の新たるアメリカ・核の取材の旅に向けて、皆さんにカンパのご協力を訴えています。
よろしければぜひお願いします。核の時代を終わらせるための活動へのご支援としてお願いできると嬉しいです!

振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
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明日に向けて(1725)核兵器を持つとはこういうこと!-WIPPを見学して(ニューメキシコの旅11)

2019年08月18日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190818 23:00)

地下施設を見学して

WIPPは事故原因の解明と除染作業の実行を重ねて復旧を急ぎ、2017年1月より地下への汚染物質の搬入を再開、4月に再び全米各地からの受け入れを開始しましたが、地下施設の多くの部分が除染しきれず封鎖処理で対処しています。
ここに見学に行くことになっていたのでガイガーカウンターなどを用意しましたが、現場につくと「一切の電子機器は携行を認めていない」と言われました。もちろん写真もダメ。録音すらもダメ。
また2人の武装警官が同行しました。大きな銃を下げていましたが、私たちを守っていてくれたのかなあ、施設を私たちから守っていたのかなあ・・・。二人とも目が合うとニコッとしてくれましたが。


WIPP構内。ウェブより。カメラは持ち込めず自分では撮影できない。

そんな状態で地下650mまで潜り、カートに乗って中を周りました。実は僕は岩塩でできた核廃棄物施設に入るのは2度目でした。2017年にドイツでアッセ2という塩の鉱山を見学したのでした。
もっともアッセ2はもともと本当に塩を採掘していたところで、その後に核廃棄物処分場にされたところでした。塩をくりぬいた部屋にドラム缶に入れた低レベル廃棄物がぼんぼんと捨てていたのですが、地元の強い反対運動があって止まりました。
その後、長らく放置されていたのですが、最近になってドイツ政府が調査したところ、地下水が構内に入り込み、廃棄物を侵食し始めていることが分かって大問題になったのです。ドイツ政府は廃棄物を掘り出し、どこか別の処分場に移す計画を立てています。


ドイツのASSEⅡを見学 写真撮影や録音も自由(2017年7月25日)

この経験があってので率直に思ったのは「ここも水が入ることがありうるのではないか」ということでした。アメリカ政府はこの岩塩層は2億5千万年もかかって形成されたところだから大丈夫だというのですが、しかしそのことが未来を保障するわけではない。
この見学の前後に、ニューメキシコで長く核問題と格闘してきたサウスウェストリサーチアンドインフォメーションセンター(SRIC)=南西研究情報センターのドン・ハンコックさんにお話を聞きましたが、ドンさんも「そうだよね~」と言う。
「アメリカとドイツだけなんだよ。岩塩は大丈夫なんて言うのは」とドンさん。しかしドイツはもう岩塩層がダメな現実に行きついているのです。


Southwest resarch and infomation centerのドン・ハンコックさん。
左は著名なロック・ギタリストのボニー・レイットさん。SRICや反核運動を支持している
SRICのHPより

そもそも人殺しの核から始まった施設が信用できるだろうか

わずか15年の運営のうちに火災が起きて、しかもそれへの対策が怠っていたり、コンテナにプルトニウム汚染物と一緒に入れられたものが化合して爆発してしまったこともある施設が、「プルトニウムを安定的に保管できる」と言ってもとても信用できません。
いやそもそもこの施設は核兵器製造の一環を担っているわけです。しかしその核兵器を作り、広島・長崎で落とした人々は、被曝被害を非常に少なくカウントし、その後も核実験を繰り返し、ものすごくたくさんの人々を被ばくさせたのです。
アメリカでもトリニティサイトで極秘で実験を行い、さらに1953年以降、ネバタ砂漠で100回も核実験を行い、広範な住民を被曝させました。ウランの発掘時だって、その後だってすごい被害をもたらしている。

1951年から62年までのネバタ核実験による放射能拡散図    
アメリカエネルギー省の記録から研究者のリチャード・ミラー氏が作成 
「風下の民」の活動で配られている

その体系の中から出された放射性廃棄物だけが、人々の命や環境に配慮してしっかり処理がなされるとはとても思えません。
いやむしろ核兵器を持つとはまさにこういうことなのだと思わざるを得ませんでした。
ちゃんとした処理などできない廃棄物をたくさん作りだしてしまった上で、「絶対に安全だ」とうそぶいて安易な処理を始める。それで事故を起こす。それそのものが核兵器を所持してきたことなのだと僕には思えました。

ネバダの1958年の核実験で妊娠中に被ばくしたダイアナ・リー・ウーズリ―さんと娘のラベリー・シダ―さん。
シダ―さんはガンを患って生まれきて生後6か月で手術を受けた。

そう考えているうちにもう少し大きな問題に突き当たりました。 WIPPの運用が始まったのは1999年。だとしたらそれまでの50年以上の間、どうしていたのだろうかということです。 この点を調べてより深刻で驚くべき事態が見えてきました・・・。


WIPPのロゴ。1999年以前は核廃棄物はどこに?

続く

今回の取材の旅に際して皆さんにカンパのご協力を訴えています。よろしければぜひお願いします。 核の時代を終わらせるための活動へのご支援としてお願いできると嬉しいです!

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明日に向けて(1724)核兵器から出た廃棄物処理場―WIPPを訪問して(ニューメキシコの旅10)

2019年08月15日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190815 23:30)

本日は「敗戦記念日」です。この意義深い日に、ニューメキシコの核をめぐる旅の報告の最終章を書きたいと思います。 書きたいのは同州の南東部にあるWIPP(Waste Isolation Pilot Plant)=核廃棄物隔離試験施設についてです。

● WIPPとは何か

「核のゴミ」というと日本にいる私たちは原発だけを想像しがちですが、アメリカには核兵器にまつわる放射性廃棄物がたくさんあります。
その廃棄物処理の実験施設としてニューメキシコ南東部に建てられたのがWIPPです。1999年から操業しています。
ニューメキシコの旅の後半にここに見学に行ってきました。主に滞在していたアルバカーキから約450キロ、車で2日かけて往復してきました。


WIPPの入り口 ネットより

WIPPに持ち込まれているのは核兵器製造過程で出てきた核のゴミです。HPには「少量のプルトニウムやその他の人工放射性元素で汚染された衣類、道具、ぼろ、残留物、破片、土壌など」が扱われていると書かれています。
これらはTRU(TRans-Uranium=超ウラン元素)廃棄物とも言われます。元素番号92のウランより後に発見された人工放射能によって汚染されたものだからです。
WIPPはその中でも主にプルトニウムに汚染されたものを扱っていると述べていますが、この元素は半減期が2万4千年もあるので、非常に長い間、何万年も管理することが問われています。

ではどう処理しているのか。アメリカ政府が目を付けたのは地中にある岩塩層でした。地下2千フィートあまり、650mぐらいまで岩塩を掘り抜き、そこにたくさんの部屋を作って核廃棄物を運び込んでるのです。

WIPPの構内。どんどん岩塩を掘り続けている。webより

ここは2億5千年前に形成された岩塩層なのだそうでとても安定しており地下水との接触もない。しかも廃棄物を運びこんだのちは次第にゆっくりと岩塩が崩壊していって核廃棄物を永遠に包み込んでくれるというのです。
ここはまだ実験施設の名が付いていますが、これから世界中にこの方式が適用されていく可能性大です。実際、日本でもNUMOなどが地層処分を進めるためのシンポジウムを進めているので、ここは注目すべき施設です。


WIPPの構造図

トラックで核廃棄物を「安全に輸送」と主張、しかし構内で深刻な火災・汚染事故を起こしている!

WIPPには全米各地にある核施設から出されたゴミがトラックに載せられてやってきます。全米22の州を通るそうです。
1999年以来、運び込まれた回数は本年(2019年)6月27日で12,500回目を迎えたとのこと。運ばれた廃棄物のコンテナは178,500個以上になるとされています。
WIPPは自分たちのドライバーが1490万マイルを安全に運行してきたと誇っています。


核廃棄物コンテナ運搬車 WIPPホームページより


全米の核兵器施設からWIPPに核廃棄物が集まってくる

しかしWIPPは2014年2月に相次いで火災事故を起こしているのです。 1回目は2月5日のことでした。構内で岩塩運搬車のエンジンから発火しタイヤ2本が燃える火災となり煙が蔓延したのです。
この時、煙を吸い込んだ作業員6人が病院に搬送されていますが、なんと消火対策が不備だったことが後に明らかになっています。
さらにこれにつぐ2月14日深夜により深刻な事故が起こりました。地下の貯蔵スペースに運び込まれたプルトニウム汚染物質が詰められたドラム缶が爆発し、燃えだして、地下を激しく汚染したのです。


火事を起こした岩塩運搬車 アメリカエネルギー省作成の図

このドラム缶はロスアラモス研究所で核廃棄物が詰められたものでしたが、1年以上の解析の結果、同研究所で詰められた「ネコ砂」が原因物質だということが分かりました。
ロスアラモスでは放射性の液体を吸着させる目的で従来からネコ砂が使われ、廃棄物とされてきたのですが、これまで無機物の砂を使っていたものの、ある時、有機物で作られた砂を使用したところ科学反応が起こったのでした。
しかも数十日間かけてゆっくりと進み、温度が上昇し、やがて爆発につながりました。深夜だったために地下に作業員はいませんでしたが、それでも21人が煙を吸って搬送されました、後に13人からプルトニウムとアメリシウム被曝が確認されています。


爆発し蓋が空いたドラム缶

続く

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明日に向けて(1723)広島・長崎の日に思う-巨大な暴力の連鎖にいかに抗するのか

2019年08月09日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190809 23:30)

● 原爆被害から74年の日を迎えて-アメリカに謝罪を求めます!

みなさま。今日は74年前に長崎に原爆が投下された日です。
広島と長崎でアメリカによって殺害されたみなさま、その後も苦しみ続けたみなさまに心より哀悼の意を表します。ご家族や近親者のみなさまにもお見舞い申し上げます。
同時にアメリカ政府に対し、原爆投下というあまりに大きな戦争犯罪に心からの謝罪を行うことを求めます。

アメリカの罪はたくさん数え上げられます。1つに軍隊と民間人を区別せず無差別大量虐殺を行ったことです。
2つに広島においては市の中心部に人が最も多く集まり、人々が建物の外にいる時間を狙って投下したことに明らかなように、最も効率よく熱線、放射線、爆風を人々に浴びせることで原爆の威力を試そうとしたこと、明らかなる人体実験を行ったことです。
3つに大量の放射線を人々に浴びせかけることにより、戦争が終わって以降も人々を殺し続けたこと、また放射線の害が次世代及ぶことが確かめられていたにも関わらず、次世代への攻撃も行ったことです。

さらに4つに広島、長崎攻撃に遡る7月16日にアメリカ・ニューメキシコ州トリニティサイトで極秘に核実験を行い、周辺住民をもたくさん被曝させ、やはり次世代への被害ももたらしたこと。
5つに核兵器製造、実験、投下の過程でアメリカ先住民族をはじめウラン鉱山の見つかった世界各地の人々に劣悪な環境での採掘を行わせ、多大な被曝、および重金属曝露被害をもたらしたことです。
アメリカ合衆国政府はこれらすべてのヒバクシャとその周りの人々に謝罪し補償を行うべきです。そしてすべての核兵器を直ちに廃棄すべきです。

ニューメキシコの核ミュージアムに展示された広島・長崎に投下された原爆のレプリカ

 

● アメリカは焼夷弾攻撃も謝罪すべきだ!

僕はこうした歴史を確かめつつ、先住民族をはじめアメリカのヒバクシャと連帯するためにこの7月にニューメキシコを訪問してきました。
そこで沢山のことを学びましたが、「ああ、気がついてなかった。迂闊だった」と思ったことがありました。焼夷弾のことについてです。
焼夷弾は火薬の代わりに油脂(ナパーム)を詰め、爆発ではなく延焼によって攻撃目標を破壊する兵器です。

焼夷弾はとくに1945年3月10日未明に行われた東京大空襲以降の日本本土攻撃で多用されました。
日本家屋の構造を調べ、それこそタンスやちゃぶ台までも作成して燃焼実験を行った上での投下でした。ちゃぶ台が実験で使われたことに顕著なように、はじめから民間人の大量虐殺が狙われていました。
焼夷弾の開発を行ったのはスタンダードオイルでした。石油王ジョン・ロックフェラーが立ち上げたこの会社は一時期、全米の精油事業のほとんどを支配していました。その後に独占禁止法によって分社化され、エッソやモービルなどが誕生しました。

それらのオイルカンパニーが石油を掘り出したのも主にアメリカ南部の油田地帯。これまた先住民族を追い払ってなされた資源の略奪、あるいは掘ってはならないとされてきたものの乱掘、乱用でした。
そのオイルで日本中の都市が燃やされた。空襲は200以上の都市におよび、本土の建物の約2割が燃やされました。
どうしてそこまで燃やす必要があったのか。その一つに燃やせば燃やすだけオイルカンパニーが儲かる構造があったことは想像に難くありません。


日本空襲で焼夷弾をばらまき、広島・長崎に原爆も投下したB29戦略爆撃機

● 朝鮮戦争とベトナム戦争への悲しい加担を捉え返そう

アメリカは第二次世界大戦が終わると常に新たに燃やす場を求めました。その第一は朝鮮戦争による空襲でした。このとき日本に落とされた約4倍の爆弾と約2倍の焼夷弾が使われました。日本以上に朝鮮半島は燃やし尽くされたのです。
これを大幅にアップグレードしたのがベトナム戦争でした。B29をB52に代えたこの戦争でアメリカは第二次世界大戦で世界が使った爆弾の総量を越える量をベトナム・ラオス・カンボジアに落としました。焼夷弾にいたっては対日戦の20倍も使いました。
アメリカの軍事産業やオイルカンパニーはこれでさらなるぼろ儲けをしたわけですが、なんとも無念で悲しく恥ずかしいことに、この儲けに一枚かんだのが日本の産業界でした。

日本は朝鮮戦争への経済的関与で「戦後復興」を遂げ、ベトナム戦争で「高度経済成長」を実現したのでした。日本を焼き尽くし、日本人、および日本列島に住んでいた人を大量虐殺したアメリカを一言も批判せずにでした。
いやそれと同じ虐殺行為が朝鮮とベトナムで繰り返されたのにも関わらずでした。あまりに悲しい。そして恥ずかしい。
私たちが捉え返さなければならないのは、こうした恥ずべきアメリカの戦争政策への加担です。アメリカによって作られている巨大な暴力の連鎖に抗するために私たちはまず内側から変わっていく必要があります。

とくに日本政府を批判する活動に対して何かと言えばすぐに「反日」という人々に問いたい。なぜあなたたちは歴史上、もっとも日本人を戦争犯罪によって殺害し、一言の謝罪もしていないアメリカにそのように追従し続けるのかと。
アメリカが対日戦と同じように、世界中で無差別攻撃によって無辜の人々を殺し続けていることに沈黙しているあなたたちこそ、アメリカの戦争犯罪で殺されたこの国の多くの犠牲者に背を向けているのではないかと。
こうも言いたい。そんな奴隷根性そのもののアメリカへの屈従をもういい加減にやめませんかと。そしてともにアメリカの戦争犯罪を告発し謝罪を求めませんかと。それでなければアメリカに虐殺された人々はいつまでも浮かばれないのです。

広島・長崎に原爆が落とされて74年目の今日、このことを日本中の人々とともに訴えたいです。


インドシナに第二次世界大戦の総量を上回る爆弾、対日戦の20倍の焼夷弾を落としたB52

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