明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1347)東芝が海外での原発建設から撤退!核なき未来がまた一歩近づいた!

2017年01月29日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20170129 23:00)

1月27日、東芝が重大な決定を発表しました。海外での原発建設から撤退するなど、同社の主力に位置づけてきた原発事業の大幅な見直しをするというのです。
理由はアメリカにおける原発事業で7000億円とも言われる赤字を出して経営が極度に悪化してしまったためです。
そもそも東芝は2016年9月末時点で株式資本が3632億円しかなく、資本増強をしないままに7千億円の赤字が確定すれば債務超過=倒産にすら発展しかねない状況にあります。

直接的な理由は、東芝の原子力部門の子会社であるアメリカのWH(ウェスチングハウス)社が買収したアメリカ原発建設会社のCB&Iストーン・アンド・ウェブスター社が巨額の赤字を持っていたことが判明したことによるもの。
なぜか東芝は調査が不十分なままにこの会社をWH社にほぼ対価なしで買収させてしまい、なんと7000億円とも言われる赤字をそのまま背負って大苦境に陥ってしまったのです。

この東芝の大崩壊について、マスコミ各社は主にアメリカにおける原発事業での失敗からばかり原因分析を行っていますが、僕にはそこから解き明かすのが正しいとは思えません。
最も重要なのは福島第一原発事故の影響と、その後の反原発運動の全世界的な発展によって、核産業の未来が閉ざされてきたことにあるからです。その意味で私たちの努力が原発メーカーを追い詰め、核なき未来をまた一歩手繰り寄せていると言えるのです。

このことをより詳しく分析していきたいと思いますが、その時に何よりも踏まえておかなければならないのは、東芝は福島第一原発事故の責任主体であるということです。
なぜか。福島第一原発1号機はアメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)社製ですが、2号機はGE+東芝、3号機は東芝純正だったからです。ちなみに燃料プールが大危機に陥った4号機は日立製作所製です。
東芝はアメリカGE社とともに本来、あの事故に対する重大な製造者責任を負っています。にもかかわらず追及されないのは、原発事業だけ製造者責任が免責されているというモラル違反が行われているからです。
だから東芝は法的経済的追及を免れているのですが、しかし道義的に言って、あれほどの事故を起こして許されるはずなどありません。膨大な放射能をまき散らし、いまなおたくさんの人々を苦しみに追い込んでいるのが東芝なのだからです。

その意味であの事故は、福島原発事故というよりも、東電・GE・東芝原発事故と呼んだ方が正確であり、東芝は道義的に責任を踏まえて謝罪し、被災者を救済し、過ちを認めて原発事業からの撤退に向かうべきだったのです。
にも関わらず東芝は、福島原発事故後もなんら反省せずに原発建設に突き進みました。しかも日本での新規建設が難しいと考え、大企業べったりの安倍政権と二人三脚を組みつつ、海外での原発建設を加速させようとしたのでした。
しかしこれが路線的に大失敗し、大変な損益を出してしまって、とうとう撤退に至りつつあるのです。

もう少し詳しく見ていきましょう。
東芝は2000年代に入ってアメリカ・ブッシュ政権が「原子力ルネッサンス」を叫びはじめ、当時の日本の小泉政権がこれに呼応して原発の海外輸出などをはじめて掲げた「原子力政策大綱」を打ち出す中で、原子力部門の強化に走りました。
目玉となった事業は、アメリカの原発メーカーのWH(ウェスチングハウス)社を買収することでした。
現在、世界で主に使われている商業用原子炉は、沸騰水型(BWR)と加圧水型(PWR)の二つのタイプに分かれます。もともとGEから技術を学んだ東芝は沸騰水型原発を手掛けてきましたが、WH社は加圧水型原発を作ってきたメーカーでした。

東芝は2006年にやはり加圧水型原発のメーカーである三菱重工と壮絶な買収合戦を繰り広げたのち、なんと当時の市場価格の倍以上とも言われた値段(約6400億円?)でWH社を買収し、原子力産業の世界のリーディングカンパニーに躍り出ようとしたのです。
しかし直後の2008年にリーマンショックが起こり、もうそれだけで東芝には大きな経営的歪が出てしまいました。
まるで博打を打つような強引な買収を行ったため、リーマンショックを受けて、資金繰りが一気に悪化してしまったからですが、なんと東芝は事実を公表せず、粉飾決算を行うことで経営悪化を隠したのでした。

東芝に買収されたWH社はアメリカで2008年にジョージア州ボーグル原発3,4号機、サウスカロライナ州VCサマー原発2,3号機と、続けて4基の原発の受注に成功。2009年にはフロリダ州のレヴィ原発1,2号機も受注しました。
東芝本体も2008年にテキサス州でサウス・テキサス・プロジェクトで1,2号機の受注に成功。こちらはWH社製と違って東芝が手かげて来た沸騰水型原発の改良型(ABWR)での受注でした。
東芝は粉飾決算を隠したまま、WH社製と東芝純正の新たな原発を次々と作りだすことで収益をあげ、経営悪化を乗り越えて大きく利益を出そうとしていたのでした。

東芝のこの思惑を大きくとん挫させたものこそ、福島原発事故とその後の民衆運動でした。
事故を起こした原子炉に東芝が関わっていたことから、計画が一気に冷えてしまうとともに、日本国内を始め、全世界で脱原発の機運が高まることにおされて、アメリカ原子力規制庁が原発に対する規制を大幅に引き上げたためでした。
このため建設コストも大幅に拡大してしまい、受注当時の計画のほとんどがほころび出し、WH社も東芝本体も、崩壊の道をひた走りだしたのです。

粉飾決算からの脱却の道を閉ざされてしまった東芝は、社内で「チャレンジ」と呼んだ、あまりに無茶な営業目標の達成を社員に強い、社員を疲弊させながらますます粉飾決算体質を強めていきました。
やがてこの粉飾決算が社内からのリークなどで明るみに出るや、苦境からの脱却のために優良部門だった医用機器部門を売却し、無謀にも半導体とともに原子力事業にさらに全社の力を傾注し始めました。ところがすぐさまアメリカで焦げ付きを大幅に増やしてしまい、とうとう債務超過の危機の前にすら立ってしまったのです。

まさにいま、私たちの眼前で起こっているのは、原子力村-核産業の崩壊過程です。
繰り返しますが、これは一つにはあの巨大事故の責任主体であるがゆえに東芝が背負った宿命であり、二つには福島原発事故で覚醒した日本の民衆、そして世界の民衆による脱原発運動-核なき未来の希求の力がもたらしつつあるものに他なりません。この点をしっかりと踏まえて、反原発・反核運動を強めていきましょう。そのためにも東芝の崩壊劇の分析をもう少し続けていきましょう。

続く

*****

なお東芝の崩壊過程について、僕はこれまでも記事を書いてきました。以下に紹介しておきます。
とくに「明日に向けて(1199)」では東芝が日本経済、ないし日本社会で占めてきた位置についても分析しています。こちらもぜひご一読下さい。

明日に向けて(1117)東芝不正会計問題の背景にあるのは原子力産業の瓦解だ!
2015年8月2日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6aa800a3bbf14bc67022035818f98209

明日に向けて(1140)沈みゆく原子力産業-東芝上場廃止か?(東芝不正会計問題を問う―2)
2015年9月2日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1f5f8b5a15ca9d5c209ffd515e1a3b7f

明日に向けて(1198)東芝が5500億円の赤字―原発再稼働強行は瀕死の原発メーカーを守るため
2015年12月25日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/131394e574277a2a46dfaccdd6c447cf

明日に向けて(1199)原発メーカー救済のための危険な原発再稼働と原発輸出を許してはならない!
2015年12月26日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/9027c899f631026ed2866b10c16c34b3

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明日に向けて(1346)放射性廃棄物問題、原発メーカー崩壊と核なき未来の展望、放射線防護の課題をお話します!

2017年01月27日 23時00分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20170127 23:00)

当面の講演などのスケジュールをお知らせします。
なお2月8日から12日には4回目の群馬講演ツアーにうかがいます!
群馬の方、近県の方、ぜひいらしてください。

*****

1月28日 京都市

明日28日になりますが、京都市において放射性廃棄物拡散問題学習研究会にて、講師を務めます。

この学習研究会は、福島原発事故による放射能汚染され除染作業などで集められた放射性「汚染土」のうち、8000Bq/kgのものを公共事業で再利用してしまえというあまりにひどい政策の実態を批判的につかみとっていくために継続しているものです。
主催はNPO法人・市民環境研究所。呼びかけは同研究所代表理事の石田紀郎さんと守田敏也です。
ちなみに僕も同研究所の研究員に加えさせていただいています。

今回は第5回研究会。8000Bq/kg問題の最新情報を扱います。とくに昨年12月12日に行われた「第5回中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」について分析します。
あわせて前回参加していただいた河野益近さんに守田が「放射線管理区に関する誤解」「クリアランスレベル(いわゆる100ベクレル規制)に関する誤解」を詳しく教わりましたのでその点も解説したいと思います。
なおIWJの萩崎さんが中継してくださることになりました!!

日時 1月28日(土曜日)午後2~4時
場所 市民環境研究所(京都市左京区田中里ノ前21石川ビル305)
参加費 若干のカンパをお願いしています。
連絡先 090‐5015‐5862(守田)

*****

1月30日 大阪市

30日には大阪市でコープ自然派ピュア大阪さんの招きでお話します。
連続講演会の3回目で、タイトルは「なぜ再稼働するの?ホントの理由」です。
僕は端的に言ってこの答えは、原子力産業が崩壊しつつあり必死になって延命を策しているからだと思います。
ここ数日間でも東芝が原発問題で巨額の損失を出し、とうとう原発事業から撤退しはじめたことが報道されていますが、これに加えてのもんじゅの廃炉にも触れ、だんだん大きくなりつつある核なき未来の展望についてお話します。

ちなみにコープ自然派さんでは何回もお話させていただきましたが、この切り口での話は今回が初めてになります。
ぜひご参加下さい。

午前10時から12時
エル大阪 南72号室
なお申し込み期限が過ぎていますので、これから申し込まれる方は守田までご一報ください。
morita_sccrc@yahoo.co.jp


*****

2月8日~12日 群馬ツアーにうかがいます!

群馬県では、大阪で30日に話す内容にも触れつつ、あらためて関東・群馬県における放射線防護の課題についてお話します。
以下、決まっているスケジュールをお知らせします。

2月9日(木)
群馬の森、朝鮮人慰霊碑ツアーと戦争の話
午前10時半集合
企画:安保関連法に反対するママの会ぐんま

2月10日(金)
高崎駅西口 再稼働と戦争に反対する市民アクション(タカキン)&救現堂白熱教室
午後7時高崎駅西口バス停前集合
主催:原発とめよう群馬

2月11日(土)
「何度でも学ぼう 原発のこと 放射能のこと 私たちの未来は?」
午前10時 高崎市総合福祉会館会議室
主催:生活クラブ群馬

2月11日(土)
「学習会」
午後3時 桐生市桐生倶楽部
主催:むらさきつゆくさの会

2月12日(日)映画「A2‐B-C」上映会と守田敏也講演会
(2017さよなら原発アクション/プレ企画)
午後1時 高崎市労使会館ホール 守田講演は14時30分より
主催:群馬さよなら原発アクション実行委員会

なお空いている時間で、高崎の放射能測定室、かたつむりの会、八ッ場なども訪問します。

問合せ先
090-6185-8394(木村香織)


みなさま。
どうかお近くの会場にお越しください!

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明日に向けて(1345)アメリカはあくどい投機の場に転落していた!(トランプ大統領就任に際して3)

2017年01月22日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です。(20170122 22:00)

3、ジェントルマンが投機屋に変わり社会がめちゃめちゃに!

トランプ大統領就任式が予定通り行われましたが、この日、全米でたくさんの人々が立ち上がり、トランプ新大統領の差別主義、排外主義と真っ向から闘う姿勢を示しました。
翌日の今日には反トランプデモが世界中に拡大!世界のあちこちで差別主義と排外主義への批判が響き渡りました。素晴らしいことです。
差別主義、排外主義にノーの声をあげているすべての人々への連帯を表明します。

その上で、ここではなぜオバマ政治の継続を訴え、ほとんどのマスコミも味方につけていたはずのヒラリー・クリントンが敗れ、トランプの「勝利」が実現してしまったのかの解き明かしを続けたいと思います。
そのために前回、宇沢先生のことをご紹介しましたが、今回は宇沢先生が新自由主義=市場原理主義の始祖、ミルトン・フリードマンについて繰り返し語った逸話をご紹介したいと思います。新自由主義の核心がよく分かるからです。
宇沢先生の『ヴィブレン』という本から直接引用します。

「1965年6月頃のことだったと記憶しているが、ある日、ミルトン・フリードマン教授がおくれて昼の食事の席にやってきた(その頃、経済学部の教授はファカルティ・クラブの決まったテーブルで一緒に食事をする慣わしだった)。
フリードマン教授は興奮して真赤になって、席に着くなり、話しはじめた。
その日の朝、フリードマン教授はシカゴのコンチネンタル・イリノイ銀行に行って、国際担当のデスクに会って、英ポンドを1万ポンド空売りしたいと申し込んだというのである。

当時IMFが機能していて、固定為替相場がとられていた。1ドル360円、1英ポンド2ドル80セントの時代である。それは、英ポンドの平価切り下げが間もなくおこなわれようとしているときだった。
IMF理事会の決議事項は必ず一週間か二週間前にはリークされてしまうのが慣例で、そのときも英ポンドの平価切り下げはすでに時間の問題となっていた。
ただ、その切り下げ率のみが不確定であって、経済学部の同僚たちは切り下げ率について、賭をしていたほどであった。実際にこのエピソードの一週間後に英ポンドが2ドル80セントから2ドル40セントに切り下げられることになった。

それはさておき、「英ポンドを一万ポンド空売りしたい」というフリードマン教授の申し出を受けて、コンチネンタル・イリノイ銀行のデスクはこういったというのである。
No, we don't do that, because we are gentlemen.
「外貨の空売りというような投機的行動は紳士のすることではない」、と。

そこで、フリードマン教授は激怒していった。
「資本主義の世界では、もうけを得る機会のあるときにもうけるのが紳士だ。もうける機会があるのにもうけようとしないのは紳士とはいえない」
(『ヴェブレン』岩波書店 p180、181)

この話を僕はビールをしこたま飲みながら何度も何度も直接先生からうかがいました!
コンチネンタル・イリノイの銀行マンの真似をするときの先生の嬉しそうな顔がいまも目に浮かびます!

空売りとはどういうことなのかというと、いま、1ポンド2ドル80セントであるとします。その時にまずは1万ポンド貸せというのです。そしてすぐに売る。そうすると手元に2万8千ドルが入ります。
それでポンドが切り下がったら手元に入ったドルで1万ポンドを買い戻してポンドを銀行に返すのです。そうすると2万4千ドルで買えるわけですから差し引き4000ドル儲かるわけです。もともともっていなかったお金を「売る」ので「空売り」というわけです。
それをコンチネンタル・イリノイに申し込んだら、彼らは「われわれはジェントルマンだからそういうあこぎなことには手を貸さない」と断ったわけです。非常に象徴的な話です。

重要なポイントは、にもかかわらずアメリカはその後に、どんどんとこうした投機的取引の合法化に傾いていき、社会が悪くなり続けてきたという事です。
どんな状態になっているのかというと、アメリカではいま資産20億円以上の上位0.1%が国の富の20%を所有しています。全体の8割を占める中流以下は17%の富しか持っていません。貧富の格差が極端に開いているのです。
なぜでしょうか。富は人が汗水流して作りだすものです。投機はそうして作られた富を労働もせずにかすめとっていく行為なのです。合法化された泥棒です。だから投機が横行すると、必ず正当な配分を奪われて転落していく人々が広範に出てくるのです。

このためアメリカの多くの人々が没落し、現状では7秒に1軒の家が差し押さえられているそうです。破産して家のローンや家賃を払えなくなっているからです。
さらに労働人口の3人に1人が職につけず、6人に1人が貧困ライン以下。年間150万人が自己破産しています。破産理由のトップは医療費問題です。
社会保険制度がきちんとしてないので、いったん病気になると貧困層に転落していくという恐ろしい社会にアメリカはなってしまっているのです。

これらは抜本的には、投機的経済が横行した結果です。これに累進課税性が弱められるなど、金持ちや企業ばかりに有利に税制や諸制度が変えられてきたことなども作用しました。
このため社会的富が増えても社会全体はちっとも豊かにならない。それどころか生活困難者が増え続けて、本当にもう大変なことになっているのです。

ちなみに、コンチネンタル・イリノイ銀行のその後がアメリカの酷いありさまを象徴しています。ジェントルマンが運営していたコンチネンタル・イリノイは、なんとその後、アメリカで一番の投機屋になってしまったのです。
とくにニクソンショックでドル本位制度が壊れ、変動相場制に移行したときが最悪でした。これは戦後史を画する大事件で、「1ドル=360円」などの固定相場制が壊れていく過程で、「円」が急速に高くなっていきました。
コンチネンタル・イリノイは、この時、フリードマンがやろうとした手法を使ってものすごいぼろ儲けをしたのでした。東京外為市場で投機的ドル売りを大量に行って巨額の利益を手にしたのです。

大儲けしたコンチネンタル・イリノイはその後にすっかり節度を失ってしまいました。ジェントルマンと名乗った彼らは、高貴なプライドを失ってあこぎな投機的取引に傾斜し続けました。
博打的経営を繰り返すようになった彼らは、一時はさらに大幅に資産を増やしたものの、やがてより巨額の投機事業に失敗し、1985年5月に事実上の倒産を迎えてしまったのでした。戦後アメリカ最大の銀行倒産だったそうです。

注目すべきことは、それこそ堤さんが「絶対に許してはならない」と繰り返し指摘している象徴的な言葉がこのときに登場したことです。「大きすぎて潰せない(too big to fail)」です。発したのはレーガン大統領でした。
投機的商売を繰り返した挙句に大倒産したコンチネンタル・イリノイを、「すべてを市場に任せよ。政府は介入するな」という市場原理主義を推し進めてきたはずの大統領が救済したのです。
この言葉は例えば福島原発事故後の東京電力などにも適用されていることを私たちはおさえておく必要があります。

「自己責任を問うことが大事だ」とかなんとか言いながら、大資本の場合は税金で救済していく。こんなのは自由主義経済の建前からいってもおかしいわけです。
「自由市場では、まともでない人が市場に入って来たら、その人の商品は売れなくなり、破産して市場から脱落するのだ。だから市場には消費者にとって良いものを作る会社だけが残るのだ」というのが市場原理主義の理屈だからです。
実際には投機的な商売を容認して、どんどん規制を緩和しておきながら、大資本が倒産しかかると救済することが、1970年代末から40年近くずっと続いてきたのです。アメリカを中心に世界中でです。
アメリカの大統領を民主党がとろうが共和党がとろうがこの流れは変わらなかった。だから今回、既存の政治家たちや、それを支えてきたマスメディアが大きく疑われたことをみておく必要があります。

「どっちのやつが大統領になっても、後ろにウォール街がついている限りだめだぞ」と、アメリカの多くの人がようやく考えるようになってきた面があるのです。
だからどんなにマスコミがヒラリーの味方をしてもトランプを負かすことはできなかった。そもそも民主党の大統領候補レースの時でも、ウォール街からまったく献金を受けていないサンダースにヒラリーはかなり追い詰められたのでした。

法の問題をおさえておきましょう。
アメリカにはもとももと「グラス・スティーガル法」という非常に重要な法律があったのでした。
グラスとスティーガルという議員が1933年に作ったもので、ウォール街の大恐慌を反省して、投機を規制した法律です。
以下はウィキペディアの記述ですが、アメリカ国会図書館議会調査局の説明の要約だとされているものです。

「19世紀と20世紀の初期には、銀行家とブローカーは、時々見分けがつかなかった。それから、1929年以後の大恐慌において、議会は1920年代に起こった「商業」と「投資」銀行業の兼業を調べた。
審理によって、一部の銀行業務機関の証券活動における利害対立と詐欺が明らかになった。これらの活動を混合することに対する恐るべき障害は、それからグラス・スティーガル法によって対処された。」

ここでは投機という言葉は使われてなくて「商業」と「投資」になっていますが、僕の言葉で言えば、銀行が投機的儲けに手を出すことを抑圧したのがこの法律だったのです。
宇沢先生は、「グラスとスティーガルは『いまやアメリカ国家は悪徳な儲けと戦争しているのだ』と語ってこの法律を作ったんだね」と繰り返し強調されていました。

ところがこの法律が1999年に解除されてしまったのです。誰が解除したのか。ヒラリーの夫のビル・クリントン大統領でした。
1929年恐慌の原因となった投機的な活動をさせないための法律が解除されてしまったのだから、当然、アメリカは大恐慌以前の時代に戻ってしまったのです。
それで実際に2000年代に入ってリーマンショックが起こりました。返す当てなどない人々にお金を貸し付けて住宅を買わせるなどしたのちに起こったもので、当然と言えば当然にも起こった恐慌でした。
しかも恐慌で社会が混乱した隙に、強欲でそもそも恐慌の責任者だったウォール街のブローカーたちがさらに焼け太っていきました。

オバマ前大統領はもともとこうした社会状況を「チェンジ」しようといって登場してきたのでした。
しかしその彼の選挙資金を大量に出したのも、ウォール街のブローカーでした。だからアメリカは投機など、あこぎな商売がますます横行してどんどんひどい状態を深め続けました。
リベラルな顔をしたオバマ大統領のもとで貧富の格差は拡大の一途を辿ったのでした。

これがトランプの「勝利」というよりも、オバマを継承したヒラリー・クリントンが敗北した大きな背景です。この点をしっかりとおさえておきましょう。

続く

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明日に向けて(1344)宇沢先生の歩みからアメリカを振り返る(トランプ大統領就任に際して2)

2017年01月20日 23時50分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20170120 23:50)

 日本は今、夜中の0時を回ろうとしています。対してアメリカは午前10時になろうとしているところ。あと2時間でドナルド・トランプの大統領就任式が始まろうとしています。

 これを前にしてすでにアメリカ各地でトランプの差別主義、排外主義への抗議行動が繰り広げられています。マイケル・ムーアや、ロバート・デニーロなど、著名人が続々と批判スピーチを行っています。

 こうした情勢を受けて「明日に向けて」の前号から、アメリカでいま何が起こっているのか、なぜトランプは「勝利」したのかの解き明かしを始めました。

 その際、僕がキーワードとして考えているのは「投資」「投機」、そして「社会的共通資本」です。今回もこの内容を深めていきたいと思います。

 

2、宇沢弘文先生とミルトン・フリードマン

 さて前回、今のアメリカの現状を解明するために最適な理論として宇沢先生の「社会的共通資本」の考え方を解説しましたが、ここでさらに詳しく、宇沢先生のことをご紹介したいと思います。

 宇沢弘文先生は鳥取県米子市の生まれですが、小さい時に東京に移られ、旧制一中(現在の日比谷高校)から旧制一高へと進まれました。一高への入学は1945年、戦争末期のことでした。

 その後、東大に進まれて数学を学ばれましたが、社会が混乱している中で数学にいそしんでいて良いのかと思い悩み、経済学に転身されました。そのため東大を辞められたのですが、一高時代の先輩に経済学者を紹介され、独学で経済学の学びを深めていきました。

 やがてこうした中で書いた論文が、アメリカの経済学者ケネス・アローの目に留まり、彼の招請でスタンフォード大学経済学部の研究生に招かれて渡米しました。

 宇沢先生が専攻したのはケインズ経済学を中心とした近代経済学でしたが、スタンフォードではマルクス経済学者のポール・バランなどとも親交を深め、ケインズ経済学とマルクス経済学の問題意識の統合を目指すような研究を重ねられていました。

 とくにロシア革命後の1920年代からヨーロッパを中心に巻き起こった「社会主義計画経済論争」と呼ばれる領域で優れた成果を重ねられ、「二部門経済の成長理論」という高い評価を得た論文を書かれました。宇沢先生自身はこれを「マルクスの『資本論』の資本蓄積に関する理論を数学的にまとめたもの」と語られています。これを延長したものは「最適成長理論」と呼ばれました。

 

 しかし当時のアメリカはソ連がキューバに持ち込んだ核ミサイルをめぐって極度の緊張状態にありました。こうした中でポール・バランがキューバのゲバラを高く評価したことから大学が蜂の巣をつついた状態になり、保守派の卒業生などからバラン解任要求が強まりました。

 宇沢先生はアロー教授とともにバラン擁護の論陣をはり、教授会も擁護にまわって解任をはねつけることができましたが、このころから宇沢先生のまわりにFBIとおぼしき人物の陰がちらつくようになり、先生についていた大学院生が突然、家宅捜査を受け、トイレのタンクに麻薬を隠し持っていたという容疑で逮捕されてしまうという事態まで起こりました。

 もともと大学のある地域が保守的だったこともあって、宇沢先生は次第にいづらくなり、悩んだ末にシカゴ大学に移ることにしました。同大学からの招請を受けてのことでしたが、このときケネス・アロー教授は先生がスタンフォード大学を去ることを大変、嘆かれたそうです。

 

 シカゴ大学でも宇沢先生はそれまでの研究を続けましたが、ここで出会うことになったのがミルトン・フリードマンという経済学者でした。フリードマンは、いま世界を席巻している新自由主義を唱え、それを南米から世界に広げた人物です。

 フリードマンが唱えたのは、あらゆるものを市場の取引、自由競争に任せよということでした。そのために市場への規制をなくせと唱え続けました。また社会のセーフティーネットや公共サービスも競争を阻害するものだと批判を続け、削減を主張しました。

 宇沢先生はフリードマンの考え方では世界が野蛮な競争社会となり、格差が広がり、社会的節度がますます失われて腐敗してしまうと考え、やがて彼と激しく対立していくことになりました。

 

 宇沢先生はその後、ベトナム戦争下のアメリカと訣別する道を歩まれました。アメリカの経済学者がベトナム戦争に加担したことも理由でした。経済学理論をもって、爆弾を何キロ落とすとベトコンを何人殺せて、どれくらい有利になるなどを計算することが、功利主義の考え方を用いてなされたりしたからです。宇沢先生はベトナム戦争に加担するのは嫌だということで、日本に帰ってこられたのでした。

 その過程で大きな事件がありました。当時アメリカ政府は、徴兵制をとっていましたが、戦争反対の声が強く、徴兵への抵抗が強まっていました。こうした中でアメリカは大学生のうちで反戦活動をしている者や成績の悪い者から徴兵しようとしたのでした。

 シカゴ大学の学生たちがこのアメリカ政府の意図を挫こうと、全米に先駆けて大学の本部棟を占拠し、立て篭りました。成績を出させないためでした。

 

 宇沢先生はこの大きな事件の仲裁に乗り出しました。大学は政府の命令があるので成績を出さないわけにはいかない。これに対して教授陣が成績をつけないことにしたのでした。大学は成績表を政府に出すけれども、そこには成績がついていないのです。

 教授会を説得し、占拠している学生たちに「これでいいだろうか」と問い、大学当局にも「この約束を守れ」とプッシュする事で、事態は平和裏に妥結を迎えました。

 この時の大きな会合で、宇沢先生が壇上に登って興奮しながら発言し、おりて来た時に、フリードマンの子分が待ち構えていてAre you a communist?と聞いたのでした。宇沢先生はつい挑発にのってしまってYes, I am a communist.と言ってしまいました。それは当時のアメリカでは実に危険なことでした。

 この他にもフリードマンを支持する学生たちが、本部を占拠している学生たちをこん棒をもって襲うなど、大学は騒然としていました。

 

 その後、宇沢先生は前からの約束があって1年間だけロンドンに移り、ケンブリッジに行かれたのですが、1年たってシカゴに戻ると状況がより悪化していました。とくに学生たちによる本部棟占拠を宇沢先生とともに調停した3人の助教授たちが、通例なら必ずされるはずの再契約を拒まれ、大学を去って行方不明になっていました。宇沢先生はいよいよ危険を感じ、日本に戻ることを決断されました。1968年のことでした。 

 日本に戻った宇沢先生は東京大学の経済学部に迎えられましたが、その頃、東大もまたベトナム戦争に反対する学生によって占拠されていました。

 宇沢先生はさっそく占拠している学生たちと語らったり、日本の大学の保守的なあり方の抜本的改革を志していた丸山真男氏の改革フォーラムに参加されたりしました。

 しかし宇沢先生にとってより深刻に感じられたのは、高度経済成長のもとでたくさんの公害が起こっていたことでした。宇沢先生は、アメリカにいたときは日本については高度経済成長の指標をみるばかりで、豊かな発展が実現されていると喜ばれていたのだそうです。

 ところがその背後でたくさんの公害が生まれ、たくさんの人々が犠牲になっていました。宇沢先生はすぐに全国の公害の現場を歩き出されました。とくに宇沢先生が衝撃を受けられたのは水俣でした。美しい水俣の海が水銀によって汚染され、住民が水銀におかされて塗炭の苦しみの中にいる事を目の当たりにしたとき、宇沢先生は「これは自分たち、経済学者の責任だ」と痛いほど感じられたといいます。

 何より、公害から海や自然を守る理論が近代経済学の中に存在していない。やがてその大きな欠陥を、苦悶しながら、自己批判的に超える事を、先生は志向されていきます。そしてそれまであたためてきた「社会的共通資本」という概念に辿りつかれていったのです。

 その水俣に先生のお供をして訪れた事があります。宇沢先生はこうおっしゃられました。「守田君、水俣はね、僕たち社会的共通資本について学ぶものにとって聖地なんだね」と。

 あるいは宇沢先生が初めて水俣を訪れたとき、当時、熊本大学におられて、水俣病患者さんの家々に先生を案内された原田正純さんにもこの時の話をうかがうことができたのですが、宇沢先生は患者さんの家の玄関で、肩をすぼめ、身体を小さくするようにしてたたずみ、目に涙を浮かべておられたそうです。

 原田先生は「東大にこんなに優しい先生がいるのかとビックリしましたね」と僕に教えてくださいました。

 さて、その後も宇沢先生は、市場原理主義は社会的共通資本を金儲けの対象にしてしまう一番いけないものだと終世訴え続けられました。とくに医療や教育、金融、司法、行政などを自由競争という名の金儲けに利用させてはいけないと叫ばれ続け、とくに最晩年は「社会的共通資本としての医療」を守ることに一番の力を費やされました。

 しかしアメリカはミルトン・フリードマンの考え方ばかりに傾斜していきました。しかも彼の唱えた市場原理主義は世界に輸出され、各国で貧富の格差を極端に広げています。その考え方は日本の中にも大きく入り込み、さまざまな社会的ゆがみを作り出してきています。

 終世、市場原理主義の前に立ちふさがって、人々を守り続けた宇沢先生も、2年前、2014年秋にお亡くなりになられてしまいました。とても淋しいですが、僕は最晩年の弟子として、今こそ先生の遺志を引き継ぎ、市場原理主義の暴走と全面的に対決せねばと思っています。

続く

 

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明日に向けて(1343)トランプはなぜ勝ったのか?アメリカで何が起こっているのか?

2017年01月19日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です。(20170119 23:30)

昨年のアメリカ大統領選で、ドナルド・トランプがヒラリー・クリントンに「まさか」の勝利をおさめました。

とうとう20日(日本時間では21日未明)に就任式を迎えようとしていますが、今のところ50人以上の議員がボイコットを表明しています。
中心になっているのは、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師とともに、公民権運動を闘ってきたジョン・ルイス下院議員(民主党)。
あからさまな差別を口にし、排外主義をあおるトランプへの怒りが就任前から表明されていると言えます。

就任式に際してワシントンに集まるのはオバマ大統領の就任式のときの半分ぐらい。しかもそのうちの相当数が就任反対デモを行うと言われています。
僕も当然ですが、差別と排外主義の塊であるトランプ氏に何ら共感するものはありません。
それどころか、障がい者の真似をして笑いをとったり、メキシコ人やイスラム教徒を犯罪者扱いする彼の価値観に全面的に反対です。

しかし解き明かすべきことがあります。どうしてあれほど暴言を吐いているトランプが勝ち、マスコミのほとんどを味方につけ、優勢が伝えられていたヒラリー・クリントンが負けてしまったのかです。
このことを解き明かすためには、そもそもいまアメリカ社会はどうなっているのかを分析していく必要があります。

アメリカの現状分析についてはジャーナリストの堤未果さんが系統的に書き続けていて僕も共感してきました。
この小論でお伝えする僕のアメリカの現状分析も、多くを堤さんの本に依拠していることを初めにお伝えしておきます。
実はその堤さんの本を読んでいた方の多くは「トランプが勝つ事もあるかもしれない」と思っていたようです。
あるいは先日、僕が昨年対談したアーサー・ビナードさんもそんなことを言っていたし、アメリカでは映画監督のマイケル・ムーアなどもトランプの勝利を予想していたようです。

実は僕も選挙中から「トランプがひどいといっても、ヒラリー・クリントンが良いともまったく思えない」と強く感じていました。
というよりヒラリーはイラク戦争を支持してきた戦争屋であり、ウォール街をバックにして、貧富の格差を広げてきた張本人の一人でもあるがゆえに極めて批判的でした。
さらにオバマ政権のもとでなされたのも貧富の格差の拡大であり、イラク戦争の継続であり、結果としてシリアを滅茶苦茶な状況においやる政策で、何も評価できるものはないと思っていました。
そのため「トランプが下卑たことを言い続けて、ヒラリーがリベラルな顔をして次期大統領になるのは嫌だな」とも思っていました。

アメリカは1970年代後半より新自由主義の道をひた走り続けています。
いま世界はその流れにどんどん引き込まれつつあります。もちろん日本もです。
そのアメリカはいま、いわば「新自由主義のはて」に近づきつつあり、帝国としての大崩壊に向かっているのではないでしょうか。
今回の大統領選の中には、実はこのことへの民衆の側からの気づきという側面もあったのではないかとも僕には思えます。

トランプが圧勝で排外主義が全面化しているのであったら、20日のワシントンには差別主義者、排外主義者の万歳のみが響きわたることになるでしょう。
しかし就任式を前にしたワシントンからは、オバマ就任式のときのような熱気が伝わってきません。トランプへの期待はけして大きくはないのです。
いや、「ヒラリーだけには勝たせたくない」とおそらくは「究極の選択」でトランプに投票した「隠れトランプ派」が、今度はトランプ批判デモに立ちあがりつつあるのではないか。そんな風にも思えます。
今回はそんな点を掘り下げていくために、アメリカ社会でいま起こっていることを分析していきたいと思います。


1、投資と投機と社会的共通資本

前提としておさえるべきこととして「投資」と「投機」の違いについておさえていただきたいと思います。
さらに同時に「社会的共通資本」という概念について知っていただきたいです。僕の恩師、宇沢弘文先生が提唱された概念です。
「投資と投機」そして「社会的共通資本」という言葉が、いまアメリカで起こっていることを解き明かす一番のキーワードになると僕は思っています。

社会的共通資本とは市場経済の論理に任せてはいけないもののことをさした言葉です。金儲けの対象にしてはいけない社会的領域のことです。
環境やインフラストラクチャーなどが入りますが、同時に幾つかの社会制度も入ります。宇沢先生がとくに重視されたのは医療と教育と金融でした。
宇沢先生は市場経済そのものを認めなかった共産主義理論に対し、分権的市場経済は人間社会の必然として否定できないものと捉えて認めつつ、しかし金儲けにさらしてはいけない領域として「社会的共通資本」を定義しようとされたのです。
その社会的共通資本は、一方でまた旧ソ連社会のように、官僚の恣意的支配にも任せていてはいけない。それぞれの地域でその領域に一番深く携わっている「専門家」が集い、民主的に運営していくことが問われると説かれました。

これに対して市場原理主義は、すべて市場の論理に任せることを主張し、政府の介入を極度に嫌います。
とくに社会保障制度などのセーフティーネットや公共サービスを、「自由な競争を阻害するもの」と批判し、その解体を主張するのです。実際にアメリカを中心に世界中で行われてきていることです。
これに対抗する概念でもある社会的共通資本について説明しようとするとき、「医療や教育はお金儲けの対象であってはならない」という主張は比較的理解されやすいのですが、「金融」は俄かには理解しにくい。
そこで今回の小論の全体を貫くものとして「投資」と「投機」の違いをまずはおさえていただきたいのです。

投資の典型は社会的事業にみんなでお金を出すことです。
例えば鉄道を作る。みんなにとって大きな利益がある。鉄道を作ったら環境破壊になるということはとりあえず横においておきましょう。鉄道ではひっかかるなら橋を作ることにしてもいいです。
ともあれ社会的に有益と思われるものをみんなで作るのですが、規模が大きいので1人ではとても資金を賄えない。たくさんのお金を集める必要があります。
「よし分かった。世の中に有益な事業だから自分もお金を出そう。でもそれで利益が出たら分けてね」というのがもともとの投資です。
銀行は本来、この投資を司るために社会的に登場しました。資金を集める必要ができてきたからです。ここに「金融」が発達し始めます。

ちなみに日本の中世を見ると、こうした社会的事業のとりまとめを誰がやっていたのかというと、多くの場合、禅僧だったのですね。
なぜ禅僧が主体だったのかというとと、平安時代から鎌倉時代にかけて、当時の宗との交易の中で宗で作られた貨幣が大量に入ってきて日本でも貨幣経済が発達しました。
貨幣が大量にあって初めて商品交換が促進されたのです。

そのとき重要だったのは、お坊さんは自らを俗世と断っており、聖なる領域にいたことです。当時はその聖なる領域にいる人のみが商品交換を担えたのです。
なぜかというと、あらゆるものには人との縁(えにし)があるのです。その縁がある限り、ものは他者へと譲渡できない。縁を切らないと市場に投げ入れられないのです。
ちなみに市場はもともと「いちば」と呼ばれていました。「市庭」と書かれました、神社や仏閣の境内が多かったのですが「虹がたったところ」が「市庭」になることもありました。

そこに投げ込まれたものは、俗世と断った聖なる人にしか扱えない。このためお坊さんが交換を取り仕切り、もとの所有者との縁が切れたものを次に求める人の手に渡していったのです。
それをお坊さんの中でも禅宗の人々が主に担ったのは、当時の交易に携わっていたものに禅僧が多かったからです。
なぜかというと交易で大陸から持ってくる一番のお宝が仏教の経典だったのです。しかもこの時期は禅宗のものが一番多かった。大陸で禅宗が栄えた時だからです。

禅僧たるもの、教典を読めなくてはならないわけですが、それは当時の中国語ないし漢語だったわけで、さまざまな取引を行うにも必要とされた必須の言葉でもありました。
それで禅僧が商品交換や金融を司ることが多くなっていったのです。その点では交易もまた「聖なる仕事」であったことを知っておく必要があります。
ちなみにその聖なる仕事を守ってくれるものとして登場してきたのが大乗仏教のスーパーヒーローないしヒロインである観音菩薩ですね。
法華経のチャプターの一つである観音品を読んでみてください。観音経と独立して扱われていたりもしますが、それを読むと明らかにこの経典を書いた人々が、交易を担っていたことが分かります。

それはともあれ、そのお坊さんが主体となって社会事業を呼びかけることを「勧進」といいます。お寺を立て直すとか、橋を作るとかのために、寄進を呼びかけることが「勧進」なのです。
これが有名な歌舞伎の演目になっています。弁慶の勧進帳です。
平家打倒を成し遂げた後に、兄、源頼朝の不興を買ってしまった義経一行は、山伏に身をやつして京都から北陸方面へと逃げていくのですが、今の石川県の小松市あたりの関所で疑われてしまいます。
このとき弁慶は、「自分たちは焼失した東大寺の再建のための勧進を行っているのだ」と主張し、「では勧進帳を読んでみろ」と言われて、何も書いてない巻物を広げ、延々と寄進した人の名や項目などを読み続け、ついに疑いを晴らして関を突破するわけです。
そのように何か社会的に必要なもののためにお金を集めて実行に移していくということは、資本主義社会以前からも行われていたのですが、「聖なる仕事」であったことに注目しておいていただきたいと思います。

これに対して投機の目的は利ざや稼ぎです。事業への投資ではなく、利ざやだけを目的に株などを買い、価格が上がったら売り抜いて儲けるのです。
例をあげます。まず鉄道会社の株を買います。それで今だったらすぐに経営陣にリストラを迫るのです。それでリストラがなされると「経営努力をしている」「組合に屈しないいい会社だ」ということで会社の株が上がるのです。
そうしたらさっさと売ってしまい利潤を得るのです。

だいたい今どきのリストラではベテラン社員を切り、非正規雇用に変えたりするのですが、そんなことをしたら一時の経費削減になっても、10年後は持つのでしょうか。
当然、持たないのです。当たり前ですが長い目で見れば会社や事業が悪くなっていくのです。でも投機屋には10年後など関係ないのです。株価を上げて売るのが目的で、その会社が行っている社会事業にはなんの関心も持っていないからです。
このように「投機」は「投資」と違ってとてもあこぎなものなのです。

続く

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明日に向けて(1342)被曝から命を守るために問われていること

2017年01月14日 13時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20170114 13:00)

1月7、8日のコープ自然派脱原発ネットワークの伊方原発ツアーに参加した際に、松山センターで行われた集会での発言の起こしの3回目を載せます。
今後の脱被曝の展望について述べました。

*****

伊方原発を止めるために!被曝から命を守るために!
2016年1月8日 コープ自然派松山センターにて


4、放射能の危険性への目覚めを広げることが課題

ただ一方でしっかりと見ておかなくてはならない大きな課題があります。
反原発運動のこれほどの進展に対して、反被曝という側面はまだ十分に追いついてきていません。なぜかというと放射線被曝の害が非常に軽く語られていて、まだこの点での民衆の覚醒は十分ではないからです。
放射線の人体への影響は世界的にアメリカが作った教科書で教育されてしまっています。この教科書が元にしているのは、原爆の被爆者への被害調査です。
誰がこれを調べたのかと言えばアメリカなのです。ひどいと思いませんか?加害者が被害者を調べたのです。
こんな調査はあってはならないのです。当然加害者は被害を軽く見積もりますよね。しかもそれが核戦略の根っこにあることなのです。核戦略を維持するためにも放射線の害は非常に軽く語られてきたのです。
残念ながら多くの学者さんやお医者さんがこの教育を受けてしまっています。

ちなみにこのためお医者さんは被曝に対して甘い意識を持っている方が多くて、レントゲンなどで自らもかなりの被曝をしている場合が多いです。
僕の知り合いで、いまは被曝に対して厳しい感覚を持っている医師の中でも、若い時に内科にいてしょっちゅうプロテクトもあいまいなままレントゲンを撮ってしまい、かなりの被曝をしてしまっている方がいます。
そうするとどういうことが起こると思いますか?そのお医者さんの子どもはみんな女の子になるのだそうです。もちろん男の子が生まれることもあるのですが、そうすると「浴びたりないぞ」と言われるのだそうです。

だから放射線被曝に対する評価がとても甘く見られていて、福島原発事故のあとも、お子さんが鼻血を出して、しかもこれまで見たことのない鼻血だというのでお母さんたちが病院に駆け込み「放射能の影響では」というと次のように言われてしまうことが起こりました。
「お母さん、何をバカなことを言っているんですか。そんなことをあなたが言うから子どもさんが精神的におかしくなるんですよ」と。
それで社会の中でもお母さんたちが過剰に怖がっている。「放射脳になってしまっている」などと揶揄されたりしました。
そういうことが各地で起こっているのです。こういうことをなんとしても変えなくてはいけない。

僕は関東・東北を何度も取材していますけれども、ものすごい勢いで病が広がり、人が死んでいるという感じを持っています。
恐ろしいですよ。僕自身が取材している方の親御さんや周りの方にそういうことが頻繁に起こっているのです。
ただ僕には「そういうことが起こっても当たり前だ」と思える面もあります。避けられる被曝もぜんぜん避けられていないからです。

一例をいうと、僕はこの2月に群馬に行きます。4度目の訪問なのですが、その群馬で多くの人々が薪ストーブを使い続けているのです。
僕は「それはめちゃくちゃに危険です」と言って、使うのを止めることはもちろん、とにかく灰を測ることを勧めています。
それで測った方がいるのですが、「どうですか」と聞くと「一万ベクレルでました」とかいうのです。しかも「それを隣の家では家庭菜園に撒いてます」とも。

そんなことをすれば被曝影響が出ないわけがないのです。
政府はそんなことは知っているのですよ。原発事故があった直後に政府は関東・東北の広いエリアで「みなさん。薪を使ってはいけません」と言うべきだったのです。それで代替の石油などを配るべきだった。
石油では薪の温かさの代替にはならないのですが、でもそういうことをして「被曝を避けなければいけない」と言うべきだったのに、言わなかったのです。
だからそうやってかなりの高濃度の放射能を取り込んでしまった方たちから亡くなられている方が出ているのではないかと思います。

そのために放射能の危険性をもっともっと多くの方に知ってもらうことが僕はとても大事だと思います。
その点でコープ自然派のみなさんは、内部被曝の危険性をもっとしっかりつかもうということで僕を何度も講演に招いてくださいました。
また他ではあまりやられていないストロンチウムの測定にも取り組むということで、これは本当に大事なことだと思います。

さらにどうやってこの現状の中で命を守るのかというときに、もはや放射能を避けるだけでは命を守ることはできないことを踏まえる必要があります。
一つに放射能がいろいろな加工品に入り込んでしまっていて、混入したものすべてを防ぐことができないことがあります。
いろいろなものを測ってみると思わぬところから放射能が出てしまいます。例えば白砂糖の害を避けるためにいいメイプルシロップを測ると大抵、出てきてしまう。
多くがカナダ産のシロップなのになぜかというと、チェルノブイリ原発事故の影響や、何百回も行われた核実験の影響なのですね。
かつてボカボカに核実験がやられて、実は私たちは以前から放射能をたくさん食べさせられていたのです。

そのことを考えるときに大事なことは、食べ物全体の安全性を確保することです。身体にいいものを食べて、害になるものを入れないようにする。
抗生物質やさまざまなケミカルなどを避けていくことが、命を守る上でとても大事だと思います。
その意味でコープ自然派さんの活動や、さきほど秦さんがおっしゃっていましたけれど、安全な食べ物を作る場を確保していくことが、この先、ますます大事になると思います。
私たちは一丸となって食べ物の安全の確保から命を守ることに取り組んでいく必要がある。

実はこの旅の間、僕はどちらかというと原発のことよりも、よりこのことを考えていました。
というのは福島原発事故の直前まで、僕は森林保護活動に力を入れていたのです。
とくにカシノナガキクイムシによるナラ枯れという現象と格闘していました。その際、製薬会社から出されている薬を使ってもぜんぜんダメで、害しかないのですよね。
そうではない自然の摂理に準じた防除方法を、僕がとても尊敬する昆虫家の方が考えだしてくださったので、僕はその方法で京都近郊の山を走り回っていました。
それで今回、あらためてネオニコチノイドに変わる防除法をどうしたらいいのかとか、カメムシはどう防除したらいいのか、その方に何かヒントはないかと聞きにいかなくてはとも思いました。

こちらに来て、生産者のみなさんのお話を聞いていて、やはりどうしても農薬に頼らざるを得ない面があるという思いも分かりました。
ではどうしたらいいのか。どうやって農薬の害を超えていくのか、使わない道を模索するのか、もっと全国でみんなで知恵を寄せ合って考えなくてはならないと強く思いました。
安全なものをみんなでしっかり作れるようにし、何よりそのために努力している生産者を、そのリアリティをシェアしながら消費者が守っていく。
もっとそうしたことに力を入れていかないと、これだけの放射能がすでに出てしまった世の中で、命を守っていくことはできないと思います。

その意味で僕はこれからもここにおられるみなさんと一緒に手を携えて頑張りたいと思います。
とくに次に愛媛県に来るときには、伊方原発前で座り込みがされている11日を狙って来たいですね。願わくばその人が嵐であればと思います。(笑い)

どうもありがとうございました。

連載終わり

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明日に向けて(1341)伊方原発を止めるためなすべきこと

2017年01月13日 08時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20170113 08:00)

1月7、8日のコープ自然派脱原発ネットワークの伊方原発ツアーに参加した際に、松山センターで行われた集会での発言の起こしの2回目を載せます。
今後の脱原発の展望について述べました。

*****

伊方原発を止めるために!被曝から命を守るために!
2016年1月8日 コープ自然派松山センターにて

3、これから何をどうしていけばいいのか

それではこうした自分たちの力に自信を持ったうえで、ではいま何をしていけば良いのかと言うと、一つは斉間さんがはっきりと言われていることです。一人でも多く、声を上げる人を増やそう、そのために呼びかけ続けようということです。
そのことを繰り返し行い、繰り返しプラカードを持って立つ。これってすごい力なのですよ。
よく見て下さい。安倍政権って横暴に見えるでしょう?でもあれだけの議席を持っていて、なんでも押し通してくる安倍政権が、原発はたったの3基しか稼働させることができていないのですよ。これはとても大きなことです。

鹿児島県知事選でも新潟県知事選でも、原発反対派候補が勝ちました。
鹿児島県では三反園さん、揺れているからもっと応援しなくてはならないですけどね。でもこのように反原発を掲げる知事が連続して登場してくることも、福島原発事故までは考えられませんでした。
本当にすごく流れが変わっているので、さらに声を上げ続けることが大事です。

さらに裁判ですよ。今こそ。味をしめましょう!
大津地裁の判決、何人が提訴したのかと言うと29人なのですよ。29人が訴えるだけで止められるのですよ。これに味をしめなくてはいけない。
国会で真っ当な議員を増やして法律や政策を変えていくのは、少なくとも暫くは実現が難しいですよね。でも裁判ではすぐに結果を出すことができます。
伊方の裁判では大分で差止訴訟が動いていて、さらに広島でも差止訴訟が起こっています。とくに広島の裁判はいままでの脱原発の流れと一線を画する位置性があるのです。被爆者が裁判に入っているからです。

これは福島原発事故までの日本の運動の大きな限界で、被爆者の運動と、反原発の運動が一つになっていなかったのですよ。
なぜかというと「原子力の平和利用」ということに、騙され、惑わされてしまった人がいっぱいいたからです。だから被爆者の怒りと反原発がなかなか一つになってこなかったのですが、それを超え出る位置を持っているのです。
大分の裁判と広島の裁判と、どちらが優れているというつもりはまったくないですが、僕は広島の裁判については原告に参加させていただこうと思っています。

こうした裁判をさらに各地でそれぞれの原発に対して起こしていく。
いま司法家は「自分に来たらどうしようか」と悩んでいると思いますよ。「このまま無事に人生を終えるのか、一度ぐらい真の司法家として名を残すのか」です。だからこそ声をあげ、裁判をどんどん起こすといい。

さらにさきほど「国際的な流れを見すえよう」という意見も出されましたけど、これは本当に重要です。
なぜかというと、原子力推進派はいま、国内でたくさんの原発を動かすことはできないから、世界に原発を輸出して、原発の技術を生き延びさせようとしているのですね。
その具体的な一つがトルコです。僕は3月末から4月にかけて原発輸出反対でトルコに行こうと思っています。4度目の訪問になります。

夕べこの点で友人が重要な情報を伝えてくれました。トルコの原発は日本とフランスが合同で作ろうとしているのですが、日本側の企業は三菱重工です。つまり伊方原発と同じなのです。
その三菱重工の側の調査会社が、耐震設計の前提になる基準地震動をかなり低く出していたのだそうなのです。日本だったらもっと高くしなければいけないのに、かなり低い数値を出しているらしい。
もちろん日本で出されている数値そのものがダメだと僕らは主張し続けているのですが、それよりもかなり甘い数値が出されていたそうで批判が集まっているようです。
このことをついていけば止められるのではないか、その目が出てきたと思っています。

ちなみにベトナムへの原発輸出は止めることができたのですね!僕の知人の方たちが行いました。
何をしたのかというと、ベトナムは社会主義の名のもとの独裁の国で、民衆運動はほとんど起こせないのです。
それで日本で出ている原発の危険性を暴いたさまざまな論文を、次々とベトナム語に訳して、ベトナムの心ある官僚にどんどん配ったのだそうです。
渡された官僚たちがそれを読んで、「どうもこれを輸入したらベトナムという国家にとって損だ、かえってマイマスだぞ」ということが見えてきたそうなのです。
このため計画がズルズルと延び出してとうとう「止め」となりました。このことは安倍政権にとって大打撃です。続いてトルコへの原発輸出もなんとしても止めたいと思います。

ただ、いまトルコに行くと言うと、みなさん「危ないのではないか」と言われます。
実際、銃撃事件などが連続して起こっています。僕が前にイスタンブールで泊まったホテルから500mのところにある観光名所で、昨年初めにドイツ人が8人殺されてしまいました。
またアタテュルク空港でも前回僕がコーヒーを飲んだコーヒーショップあたりで銃撃が行われて30人が殺されてしまいました。
でも僕にすれば三菱重工もトルコに行っているので、こちらも引き下がるわけにはいきません。原発予定地とされている美しいシノップを守りたい。それがトルコに行く一つの理由です。日本人としての責任もありますしね。

一方でだからといってトルコにはいま、原発は一つもないのです。さあ、トルコと日本と一体、どっちが危ないのでしょうか。
トルコの心ある人から見れば「日本は原発があんなにあって怖そうだな」ということになります。そういうことを私たちは自覚しなくてはならないのです。
そんなことも踏まえて世界の人々との連携を深めていく必要があります。

ちなみに私たちがこれだけの原発を日本で止めていることで、世界の原子力村は悲鳴を上げているのです。
例えば柏崎刈羽原発を動かさせないために米山知事が頑張ってますが、あの原発は世界で最大の原発なのです。つまり世界で一番ウランを使ってくれる原発です。
それがもう何年も動いてない。同じように日本の各地の原発が止まっているからウランがぜんぜん売れない。そのことで世界の4大ウラン燃料製造会社のうちの一つのユーゼックが2014年にすでに倒産しています。

その点で、原発を再稼働させようとする意志は、安倍さんだけのものでは絶対にないです。
「日本で原発が動いてもらわないと困るんだ」という世界の原子力村の悲鳴のような声が後ろから安倍さんに圧力を与えている。
その意味で私たちがこれだけの原発を止めていることが、世界全体が核の苦しみから解放される可能性をも作っているのだと言うことをみておく必要があります。
だから僕はトルコの方たちと連携した努力を続けようと思います。トルコの方たちのためだけではないです。トルコへの輸出が止まれば、日本の原子力産業が苦しみ、展望を失っていくからです。
トルコのためにも日本のためにも世界のためにも頑張りたい。

続く
 

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明日に向けて(1340)伊方原発を止めるためにおさえておくべきこと

2017年01月12日 22時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20170112 22:00)

1月7、8日にコープ自然派脱原発ネットワークの伊方原発ツアーに参加してきました。
7日に伊方原発を訪れてゲート前でパフォーマンスを行い、現地で反対運動を行ってきた「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の秦左子さん、近藤じゅんこさんに説明を受けました。

翌日8日にはコープ自然派松山センターで集会が開かれ、秦さん、近藤さんに加えて「女の会」代表の斉間淳子さん、門田鈴枝さんも参加して下さってのパネルディスカッションが行われ、それを受けての連帯発言もなされました。
僕も「伊方原発を止めるために!被曝から命を守るために!」というタイトルで発言させていただきました。
その後、参加者約50人全員が一言ずつ発言。とても熱い集会になりました。

ツアーではこの他、コープ自然派さんと提携している生産者さんのところにもみんなで訪れ、それもとても感慨深かったのですが、今回は松山センターでの集会の折の僕の発言を文字起こしして掲載することにします。
ぜひお読み下さい。長いので3回に分けます。

*****

伊方原発を止めるために!被曝から命を守るために!
2016年1月8日 コープ自然派松山センターにて

1、原発をめぐる世の中の流れが変わってきている

伊方原発を止めるために私たちがみておくべきことは、何よりも今、原発をめぐる流れが大きく変わってきていることです。
僕にとって当初は唖然とするほどびっくりしたのは裁判所の態度が変わったことです。なぜそう思うのかと言うと、伊方原発に長く反対してこられた方たちの苦労を象徴するような話として、伊方原発を止めさせようとする裁判がありました。
この裁判では裁判長も住民の側の声を丁寧に聞いてくださって、真っ当な判決が出ることが期待されたのですが、判決直前に裁判長が変えられ、住民の訴えを一方的に退けるひどい判決が出されたのでした。

僕は前回、松山に来た時に―昨年の9月23日でしたが―講演のあとにコープ自然派の渡部さんが、伊方や八幡浜で長く運動をされて、今日も発言してくださった秦左子さんや門田鈴枝さんに連絡をしてくださって、講演後にお会いできたのですよね。
僕はその日のうちに京都に帰って、翌日の24日、滋賀県の長浜というところで京大原子炉実験所におられた小出裕章さんとジョイント講演をさせていただきました。
ちょうどお二人とも小出さんをよく知っておられて、「小出さんによく言ってね」とおっしゃるので、小出さんに「昨日、お二人にお会いしましたよ」と言ったら、すごく喜んでくださいました。

例えばその小出さんは、この伊方のひどい判決が出てから、裁判に関わらないことを決められたのです。
日本の司法はひどすぎる。裁判でどんなにきちんと真実を語っても、裁判所はまともな判決を出してくれない。だから「私はもう人生において裁判には関わらないことを決めました」とおっしゃっていたのです。
それほどひどかったのです。日本の裁判所の態度は。ところが2014年5月に福井地裁で大飯原発を動かしてはならないという判決が出たのです。判決の内容も素晴らしかったのです。
だからあのときに本当に「あ、世の中は変わり始めた」と僕は思ったのです。

ところが裁判と言うのは一つだけ良い判決が出ても「属人的判決」=「その変わった裁判長に属する判決」という言い方をされるのだそうです。一つだけでは弱いのです。
これに対して昨年、大津地裁で違う裁判長が高浜原発を動かしてはならないという決定を出してくれました。しかも動いている原発が止められたのです。高浜原発3号機です。
私たち京都に住んでいるものにとっても、無茶苦茶に安全性を高めてくれた決定だったのですけれども、日本の歴史にとって動いている原発を止める初めての司法判断でもありました。事態はそんな判決や決定が出るところまで来ている。

さらにご存知のように、とうとうもんじゅの使用を政府があきらめました。もちろんまだ他に高速炉を作って動かすとか変なことを言っています。
あれにはカラクリがあります。核燃料サイクルを全部やめたというと、いま日本中にある原発の中に入っている使用済み燃料、核のゴミですけれども、これが困ったことになるのです。
いまは「いつかプルトニウムを取り出すもの」とされているから、お宝という位置づけです。しかしもうリサイクルをしないことになると、全部、一気にただのゴミになってしまうので、資産価値が激変してしまうのです。

だから建前だけで、やり続けようとしているのですが、しかしさすがにそんな展望もないものに巨額の資金を使い続けていいのかという世論の声も高まりつつあります。
あるいは福島原発事故後の廃炉作業に膨大な資金がかかって、しかもそれが当初の発表の倍はかかると言われ出していることに対し、こんなことが許されて良いのかと、やっと最近、マスコミも書くようになりました。
私たちはこのようにどんどん社会の流れが変わってきていることを見ておく必要があります。

それでぜひみなさんに今日、訴えたいのは、私たち日本の民衆の力にもっと自信を持ちましょうということです。
この点、日本の民衆運動にはすぐに自分たちを卑下してしまいがちな傾向があります。僕は日本の民衆運動の悪い側面だと思うのですが、これは教育のせいでもありますよね。私たちは100点満点をとらなくてはいけないという教育を受けてきたので、95点とると「なんであと5点とれなかったんだ」という具合に、自分の欠点ばかりを探してしまう傾向があります。
それでなかなか日本の民衆を、運動を行っている側が信頼しきらないような面があるのではないでしょうか。

例えばドイツの例を出しましょう。日本の民衆運動を行っている方は、「ドイツは私たちよりもすごく先に行っている」とよく言うのですよね。
ところ今、ドイツで何基の原発が動いているかご存知ですか?8基動いているのですよ。ドイツ人の友だちが僕に言いました。「なんで君らはドイツがすごいすごいっていうの?君らの方が圧倒的に原発を止めているじゃない。もっと自信を持ちなよ」と。
問題はドイツが進んでいるか日本が進んでいるかということではなくて、各国ともに頑張っている方たちは同じような苦労を抱えているのです。ドイツだって原発立地地域のセンシティブな問題もあるし、その中で悩みながら運動を進めてきているのです。

だからドイツの方たちは日本の運動の現状を知りたがるし、私たちがたくさんデモを行って原発を止めていることに感動もしてくれているのです。
「日本の民衆の頑張りは世界の希望だ、とても励まされた」とも言ってくれました。その意味で私たちは、もっと互いの苦労を察しあって、励まし合っていく必要があります。互いに誇りをもってリスペクトしあうことが大切だと思うのです。


2、脱原発の流れを作り出した人々

このように日本の民衆のポテンシャルはどんどん上がっていますが、今日、みなさんと確認したいのはその力がどこから生まれてきたのかです。
僕は今日、ここにきて、現地で頑張ってこられた方たちのお話を聞いて、やはり何よりも一番、いまの大きなうねりを作り出してきた源は、一番苦しい時に、辛い時に、原発反対を貫いてきて下さった方たちの苦労だと思いました。
福島原発事故後に首相官邸前で20万人のデモがありました。どうも新しく運動に参加された方はあれを起点に考えてしまうようです。「最近は1万人しか集まらないから冷めてきている」みたいな言い方をされる。

しかし僕も細々と原発反対運動に関わってきたから分かるのですが、反原発派は福島原発事故前はほとんど絶滅危惧種みたいなものだったのですよ。
そんな僕の感覚から言うと、原発反対で20万人もの人が首相官邸前に集まるだけで、もう革命が起こったみたいなものですよ。そんな日が簡単に来るとはとても思えなかったのです。
もちろん福島原発事故というとんでもない災害が起こってしまったからではあるのですが、しかしそれでもその後に多くの人が目覚めることができたのは、長い間、コツコツと原発反対を貫き、真っ当な声を上げ続けて下さった方たちがいたからです。

伊方原発の前で頑張り続けてきて、今日、この場に来られているみなさんもそうです。伊方に通い続けた小出裕章さんもそうです。小出さんが常に民衆の側にたって本当に必要な科学的知見を語り続けてくださったからこそ、私たちには道しるべがあったのでした。
それで小出さんとお酒を飲んだときに「小出さんがずっと頑張って下さったので、世の中が変わってきたと思います。ありがとうございます」と言ったのですがどうされたと思います?深々と「そう言っていただけるとありがたいです」と一礼されるのですよ。
そういう謙虚な方なのですけれども、そうやって本当に多くの方がまだ目覚めていないときに原発の危険性をはっきりと語ってくださった方たちがいたから今があるのです。
先ほどの斉間さんの発言もそうでしたね。とてもはっきりと、力強く、原発を止めなければいけないことを語り続けてくださっている。これが私たち民衆全体の大きな目覚めにつながったのです。

もう一つ、決定的に大きいのは、今日もこの中にもおられると思いますが、福島原発事故が起こった時に、関東・東北から決死の避難を敢行した方がいらっしゃって、その方たちが全国に散って行ったことです。
各地でその方たちが、原発事故に巻き込まれたらいかに苦しくて悲しいことになるかを語り、「だからみなさんの郷土を守って下さい」と叫ばれました。それで各地の方に火がついて、デモがどんどん大きくなっていったのです。
いま、日本各地で電力会社前や主要ターミナルで毎週金曜日の抗議行動が行われていて、それがどこも220回ぐらいを数えています。
日本の民衆運動史の中でこんなにすごいことがかつてあったでしょうか。日本中で毎週1回のデモがずっと継続されているのです。

この運動をさらによくみると日本の民衆運動は高齢者の力によって大きく支えられていることが分かります。この高齢者の力は圧倒的ですよ。それこそ雨が降ろうが槍が降ろうが、プラカードを携えて街頭に出ていく。
しかも「そういう時の方がやりがいがあるんだ」とまで言う人までいる。こういう方たちがいるから日本の民衆運動はがっちりと支えられているのです。
でも高齢者の方はともすれば「デモに行くと俺みたいなじじいばっかりなんだよ」と言うのです。若い人がいないとダメだと言い過ぎだし思い過ぎなのです。
そうではないのです。高齢者たちのこの行動が、各地で原発の再稼働を敢然と阻んでいるのです。

それにいま、続いてきているのが、より若い女性たちだと思います。
例えば僕は昨年、コープ自然派さんに16回も講演に呼んでいただきましたが、その大半が平日の朝10時からでした。子育て世代の女性が一番出てきやすい時間帯なのですね。
2011年の福島原発事故まで、僕はこの時間帯に呼ばれたことはありませんでした。(えーっと言う声)そうだったのですよ。

なぜかというと日本は女性に対する差別がとても激しい社会です。スイスの社会経済フォーラムで女性の社会的地位の格付けが出されましたけど、日本は世界の中で百十番台なのです。(正確には2016年10月の発表で調査対象144か国中111位)
ということは男性のみなさん。私たちは世界水準からみると大変、劣っているということなのですよ。それは男性としてとても恥ずかしいことで、変えなくてはならないことだと思います。
だから子育て世代の女性たちは一番政治にコミットしにくい。それが日本の社会構造なのですよね。

ところがその女性たちが陸続と立ち上がって、日本社会を揺るがすほどになっています。
ちなみにコープ自然派さんはその流れに乗っているなという感じがしています。僕の講演でもすべての会場で女性たちが部屋を埋めてくれましたし、しかも多くの避難者が組合員として参加されていました。すでに理事になられている方もおられますよね。
だからいまの社会の変革に向けた流れを一番つかんでいる位置にコープ自然派さんがおられると思うし、そこで何度もお話させていただいていることをとても光栄に思っています。

続く

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明日に向けて(1339)本年を脱「原発・被曝・戦争」の道を切り拓く年に!

2017年01月11日 21時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20170111 21:00)

みなさま
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

年末に昨年を振り返ってみて、講演回数が約110回だったことが分かりました。
各地からお声掛けいただきましたが、中でもコープ自然派さんからは16回も呼んでいただけました。
どうもありがとうございました。

今年もあちこちを駆けます。
さっそく1月7,8日に、コープ自然派のみなさんと伊方原発の視察ツアーに行ってきました。
コープ自然派脱原発ネットワーク主催のツアーで、地元で長い間反対運動を貫いてきた方たちともガッチリと結合した企画でした。
またコープ自然派が提携している生産者さんのところも訪れることができて、とても盛りだくさんでした。

今回、現地までいってみてあらためて伊方原発の危険性を痛感しました。
これまでも加圧水型原発としての同原発の構造的危険性をしっかりとおさえてきたつもりでしたが、現地に立って、リアス式の細い岬の根元に立地しているこの原発が、あまりに事故時に避難の余裕がないものであることが実感されました。
とくに多くの家々が、海に続く崖状の地形にはりつくようにして建てられているのが印象的でした。

同時にこの地域はこの崖にまで段々畑を作り、みかんをはじめたくさんの柑橘類を栽培しているとても豊かなところです。
日本の今後にとって、すでに電力は十分すぎるほど余っているし、むしろ使い過ぎなのですから、この農の営みこそ優先的に手当をしていくべきだとも強く感じました。
そのためにも危険で、使用済み核燃料の処理に何万年もかかる原発など完全に止めてしまって、その予算をふんだんに農の営みにあてるべきだとも思いました。

伊方原発については、また稿をあらためて特集していきますが、ともあれ日本の原発は、その一つ一つが安全性を無視し、地域の特性を潰し、理不尽きわまりないかたちで建設されています。
今年もその一つ一つに迫り、矛盾をリアルに明らかにし続けることから、原発の再稼働を止め、廃炉に追いやっていくムーブメントに貢献したいと思います。


続いて2月には都合4度目の群馬講演ツアーに赴きます。
群馬県は福島第一原発から200キロあまり離れたところにあります。しかし原発から北西に向かい、福島市付近で南へと向きをかえた最も濃厚なプルームが最終的に流れ着いた先となってしまいました。
このため赤城山などを中心に非常に厳しい放射能汚染がもたらされています。

この被ばく地にこれまで3回も迎えていただき、群馬で命を守る活動を行っているみなさんと一緒になる中で、現に今、群馬県でさまざまな健康被害が出てきていることを実感してきました。
「山の仕事をしていた40歳代の先輩が、二人続けて心臓病で亡くなってしまいました」という胸の詰まるような報告も聞きました。
「自宅の薪ストーブの灰を測定してみたら1万ベクレルを超えていました」などという痛ましい話も何度も耳にしました。

放射線防護を進める上で、理想的には被曝地からは避難した方が良い。
しかしこれだけ広範な地域が被曝している上に、政府がまったく避難の権利を認めない状況において、なかなか思うように避難を広げることができないのが現実です。
また避難はその土地、その場への愛着や、それまでの年月の積み重ねの中で培われてきた人間関係をリセットすることも意味しますから、踏み切れない人々、踏み切ろうとは思わない人々が膨大にいるのも実情です。
この深刻な状況の中で、いかにして被曝から命を守っていくのか。

僕は何よりも被曝の現状、健康被害の実相をリアルにつかむ中から、放射線被曝の影響が非常に軽んじられている今の社会状況をひっくり返すことこそが肝要だと思っています。
放射線被曝の影響を軽く扱う言説は、被曝をめぐる正常性バイアスとしてもある、人々の被曝影響の深刻さを認めまいとする心情にも食い込んできます。
被曝影響が小さなものなら避難する必要などないことになるからです。

しかしこれまで繰り返し解き明かしてきたように、放射線による人体への被害の調査は、広島・長崎への原爆投下後の、アメリカ軍による排他的な調査と、そこで作られたデータをもとに行われてきています。
そこでは初めから、核戦略の一環として、被曝被害を小さく見せることが戦略化されていました。
そのために被曝被害を外部被曝の影響だけに絞り、内部被曝の影響は隠されたのでした。琉球大学の矢ヶ崎さんが福島原発事故以前から唱えていた「隠された核戦争」の実相です。

これを打ち破るために、実際に起こっている事態をもっと克明に把握し、被曝から命を守るための対処を重ねていくことが問われます。
医学的な対処もあれば、代替医療による対処もあるし、食べ物全般からの対処もあります。あるいは保養を重ねること、またやはり可能な限り避難を促進させることも入ります。
ともあれ起こっている事態をつかんで、できるだけ素早く手を打ち続けていくことが問われています。身体への影響がまだ軽微なうちに、積極的な行動に移ることが大事なのです。

同時にこうしてつかんだ事実を理論的に跡付けていくことが問われます。
この点での実際に起こっていることと密着した形での、真の放射線防護学の発展を私たちの側から作りだしていくことが重要です。
2月の群馬訪問でもこうした可能性を群馬のみなさんと一緒に切りひらいてきたいと思います。


さらに3月末から4月初めにトルコに、7月末にドイツに再び訪問することになりました。
ここでの課題は、日本からの原発輸出を止めること、その中で世界の反核反原発運動の発展に少しでも貢献することです。

安倍政権はご存知のように日本の原子力産業の延命のために、危険極まりない原発を海外に輸出し、現地の人々にまで危険性を押し付けようとしています。
どこの国への原発輸出も許しがたいですが、とくに日本と同じ地震大国のトルコに、大地震と津波で大変な被害にあっているこの国から原発を輸出しようとすることは本当に許しがたいことです。

さらにこの間、トルコにいって痛感してきたのは、原発輸出が、日本の技術や日本の多くの人々の誠実さへのトルコやイスラム圏の人々の厚い信頼を利用して行われようとしていることです。
信義を踏みにじる行為で許しがたいとともに、日本に住まう多くの人々にとっても大切な財産を踏みにじってしまう行為です。
トルコで原発に反対している人々も、トルコ社会で日本人に対する信頼が強いからこそ、日本人である僕に、日本の原発の危険性を訴えて欲しがっていることを感じます。
このことに応えぬくために4度目のトルコ訪問を実現します。


7月末にはドイツで行われる反核サミットキャンプに参加してきます。
ヨーロッパを中心に世界から脱原発のために行動している人々が集うキャンプです。ここでも福島原発事故の教訓をできるだけ克明に伝え、各国に持ち帰ってもらいます。
同時に、どこの国の人々も、日本の民衆の奮闘を知りたがっています。なかなかニュースにならないからでもあります。

前回、ドイツで反核運動を積極的に担っている人々に、首相官邸前行動などの写真をたくさん見せたら、とても感動してもらえました。
こうも言われました。「あれだけの深刻な事故が起こりながら日本の民衆が黙っているのなら世界は終わりだと思っていた。人々がこれほどしっかり立ち上がっているのを知って勇気が出た」と。
そうなのです。世界はいま、福島原発事故後の私たち民衆の動向をかたずを飲んで見守っているのです。

だから7月末に僕は、福島原発事故が明らかにした原発の根源的な危険性とともに、この事故を前にして覚醒した私たち日本の民の姿を伝えてきます。もちろんトルコでもです。
みなさんの代表として、再びトルコ、ドイツに行ってきます!


これと同時に5月末には広島で被爆2世3世の交流会に参加します。原爆の被爆と原発事故の被曝のつながりをさらに明らかにするためです。
この領域では僕が参加する京都被爆2世3世の会が一昨年より被爆2世健康調査に取り組み始めました。公的には確認されていないとされている被爆影響の有無を自らの手で明らかにしようとする試みです。
昨年はさらに、原爆の被爆と原発事故の被曝のつながりを見すえるために、11月末に東京から岡山に避難移住した三田茂医師を京都市に招いて学習講演会も行いました。

またこれらと平行しつつ、京都被爆2世3世の会は、自らの会のホームページを立ち上げ、被爆1世からの聴き取りも含めて、これまでの活動の記録や学んできたものを見やすい形に整理しました。
現在、そのページのトップに三田さんをお招きした企画を載せているのでぜひご覧になって欲しいと思います。動画と文字起こしの双方が観れます。
http://aogiri2-3.jp/

本年はこの事業をさらに前に進めます。そのために僕自身、被爆関連の書籍、論文の精読も進めて、研究を深化していきたいと思っています。
当面、5月20日、21日の広島での交流会の実現にあわせて尽力しますが、年間を通してこの問題への関わりを貫くつもりです。


これらの活動の中で本作りも行います。「明日に向けて」の内容を次々と書籍にと思っています。
まずは岩波ブックレット『内部被曝』の内容を一歩進めるものに取り組んでいるところですが、今年は多方面にわたって書きためてきたものを形にしていきたい。
とくに昨年12月の台湾におけるアマミュージアムの完成にあわせて、これまでの僕や京都の友人たちによる台湾のおばあさん達への関わりをまとめておこうと思います。
おばあさんたちの尊厳を守ること自身が、戦争への流れを止めることにつながると強く感じてのことです。

さらに今年はぜひとも、我が師、宇沢先生が説かれた社会的共通資本の理論を力強く展開せねばと痛感しています。
昨年末に京都市内で「トランプ「勝利」ヒラリー「敗北」の謎を解き明かす」という学習会を行いました。現在、世界で起こっているのは、新自由主義のもとでの貧富の格差の極限的拡大と社会の崩壊ともいえるべき事態です。
多くの人々がボロボロになってしまっている。それがウォール街をバックにしたヒラリーへの怒りを形成し、「隠れトランプ派」を生み出して、ヒラリーのまさかの敗北を作り出しました。

もちろんだからといってトランプが、この矛盾の解決に歩みを進めてくれるわけではありません。あれほどウォール街をバックにしたヒラリーを批判していたトランプの政権には、さっそくゴールドマン・サックスの面々が入り込んでしまいました。
しかもトランプの許しがたい差別的言辞は、この間、貧富の格差のもとでどんどん世界的に強まっている排外主義を勢いづけており、世界の各地で、さまざまな衝突が起こりそうな気配が強まっています。

この世界的な対立、戦争や紛争への流れを正すには、新自由主義の根本的矛盾に立ち戻り、対決し、押し戻していくことが必要です。
その際、もっとも確かな理論的根拠を与えてくれるのは社会的共通資本の考え方だと僕は確信しています。
だからそれを展開していきたい。展開しなければならないと思っています。

この他、原子力災害対策の推進・拡大の領域でも今年は大きな飛躍を実現したいと思っています。
昨年1月より篠山市で安定ヨウ素剤の事前配布を行い、全国から注目を集めることができましたが、今年はそれを他の地域でも実現していきたい。
そのための仕掛けをいま、着々と構築しているところです。

こう書き並べてみると欲張りかもしれませんが、ともあれ一生懸命に頑張ります。どうかよろしくお願いします!
みなさんのお力をお貸しください。

一緒に本年を、脱「原発・被曝・戦争」の可能性を大きく広げる年にしましょう!

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