明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2455)もりもり原発解説・福島原発燃料デブリ試験的取り出し延期問題の本質とは何か ご覧下さい

2024年08月28日 21時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240828 21:30)

もりもり解説でデブリ問題を扱いました

守田敏也の原発解説動画を配信しました。
今回は8月22日の福島原発2号機からの燃料デブリ試験的取り出し延期問題の本質について語りました。
以下のバナーをクリックして下さい。

福島原発燃料デブリ試験的取り出し延期問題の本質とは何か

なおこの記事はブログ「明日に向けて」に連動しています。以下の記事もご覧下さい。

明日に向けて(2452)福島原発燃料デブリ取り出し作業延期問題の本質はそもそも取り出しなど不可能なこと見て見ぬふりをしていること!
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e9cd0d32ca9300202847dc147489dbc0
明日に向けて(2453)福島原発燃料デブリの取り出しは不可能! 石棺にして100年以上待ち 放射線量が十分に減ってから対応するしかない ウソはダメ!
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/8b7ff024b811c345dc900ff51451386a


8月15日にも太平洋戦争を捉え返す解説動画を流しました!ご覧下さい

8月15日にも戦争について考え直すため、2020年12月8日、太平洋戦争開戦の日に配信した記事と動画を紹介しました。以下のバナーをクリックして下さい。

8月15日に戦争について考え直そう

NHKスペシャル日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回「開戦・リーダーたちの迷走」(2011年3月放映)を参考にしました。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001200050_00000

記事はこれです。

明日に向けて(1947)日本は必ず負ける戦争にのめり込んだ。誰もこの国を守ろうとはしなかった。-太平洋戦争開戦の日に思う

https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c12b247c520b6345f4c6939980070a86


もりもり解説を視聴し支えて下さい

今後、このもりもり解説―動画解説をどんどん出そうと思っています。
さまざまに起こる事象に対し、「明日に向けて」の記事でおいかけるだけでは限界が大きいからです。
ぜひ視聴して共感できたら拡散して下さい。
またカンパなどでもお支え下さい。


もりもり解説の一シーン

振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は 
モリタトシヤ 店名 四四八(ヨンヨンハチ)店番 448 預金種目 普通預金 口座番号 2266615
Paypalからもカンパができます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000

#もりもり原発解説 #福島原発燃料デブリ取り出し #福島原発事故 #福島原発2号機 #デブリ #廃炉 #高レベル放射性廃棄物 #太平洋戦争 #日本人はなぜ戦争に向かったのか #NHKスペシャル

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明日に向けて(2454)あかいわでの映画『原発をとめた裁判長-そして原発をとめる農家たち』上映と樋口英明さん講演会にご参加下さい(9月1日日曜日12時30分開場)

2024年08月26日 21時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240826 21:30)

尊敬する元福井地裁裁判長の映画上映と講演会があります。ぜひ近くの方にご参加頂きたいので紹介します。

岡山県赤磐市中央図書館ホールにて開催

まずこの企画のチラシをご紹介します。


https://toshikyoto.com/?p=9014&preview=true

映画の公式ホームページも示しておきます。
https://saibancho-movie.com/

サイトにはこのよう説明されています。
「2014年。関西電力大飯原発の運転停止命令を下した樋口英明・福井地裁元裁判長は、日本の全原発に共通する危険性を社会に広める活動をはじめた。原発が頻発する地震に耐えられないことを指摘する“樋口理論”の啓発である。
 一方、福島では放射能汚染によって廃業した農業者・近藤恵が農地上で太陽光発電をするソーラーシェアリングに復活の道を見出す。・・・原発をとめるために!」


樋口理論が見事に描かれている

僕がこの企画をお勧めするのは、映画で「樋口理論」が分かりやすく描かれており、なおかつその後にご本人の講演も聴くことができるからです。贅沢です(笑)

映画のパンフレットから樋口さんの言葉を引用します。
「『原発事故は被害が大きいので原発は強い地震に備えているはずだ』『原発訴訟は専門的で難しいに違いない』とほとんどの人が思い込んでいます。これらの思い込みを解くために講演活動を始めました。」

ここに樋口さんが展開する原発批判の大きな要点があります。一つに原発が事故を起こしたら被害が大きいのは常識。だから原発の耐震性は強くされているだろうと思いがちですが、実はそうではない。原発はハウスメーカーが作る家よりもはるかに地震に弱いのです。
二つ目に原発裁判には難しい技術論争は必要ないということ。実は裁判で、原発が強い地震に耐えられるか否かを電力会社は争点にしてないのです。理由は耐震性が弱いので「壊れない」と言えないから。それで「この敷地に限ってそういう地震が来ない」と言ってるだけ。
この点をシンプルに批判れば良い。樋口さんはこのことを分かりやすく説いて下さっていて、映画でもそれが見事に表されています。


映画のパンフレットから


樋口講演をぜひ直にご視聴下さい

続いて樋口さんの講演を直接お聞きすることを強くお勧めします!
ちなみに樋口さんは、今春行われた京都市長選にも駆けつけてきて下さり、候補だった福山和人弁護士との講演・対談に応じて下さいました。僕もコーディネータを担いました。

この時の動画を紹介します。以下のバナーをクリックすると飛べますのでご覧下さい。
原発を止めた元裁判官樋口英明と原発を止める弁護士福山和人が脱原発を語る

樋口理論そのものは、この京都市での講演でも存分にお話して下さっています。赤磐まで行けない方はぜひこの動画を御覧になって欲しいですが、行ける方はぜひ直に樋口さんとの場を共有して、その人となりも触れて頂きたいのです。
樋口さんは、お話の中で私たちが陥っている常識を見事にひっくり返して下さるのですが、その話口が軽快で見事。目の前で聴いていると愉快にすらなります。「これを伝えれば原発は止められる!」という明るい確信も得られます。だから聴きに行って欲しい。

実はこの認識は樋口さん自身が経てきたこと。かつてこうおっしゃいました。「私は色々と技術的な裁判にも関わって来たんですが、日本の技術はなかなか優秀なんですよ。それでその優秀な技術が、当然、原発にも適用されていると思っていたのです、ところが裁判をはじめてみたらそうではなかった。びっくりした。原発だけ別だったんです。それで私は恐くなって原発を止めさせる判決を書いたのです」「それを勇気ある判決と言われるんですが違います。私にはあんな危険なものを動かし続ける蛮勇など無かったのです」。
樋口さんはこれらをひょうひょうと語られます。ぜひ現場に行って、樋口節をご堪能下さい。


樋口さんはユーモラスに話しを進めて下さるのですがご自分でもたびたび楽しそうな顔をされます。本年7月20日の枚方集会にて 守田撮影


被曝地での営農はやはり危険

ただ一方でこの映画の「そして原発をとめる農家たち」の部分には、複雑な感想を持ちました。福島県二本松市での営農の様子が描かれているからです。現場で奮闘している方には申し訳ないですが、僕はここでの営農は、今なおとても危険だと思います。
映画では、「作物によっては土から放射能をそれほど吸い上げないものもあり、安全な生産が可能」ということも示唆されていましたが、それはその分、土に放射能がたくさん残存していることを示してもいます。だからとくに営農者にとって危険です。
そもそも広島・長崎での原爆による大虐殺以降、放射能の危険性は極端に小さく扱われ、新たな被曝が繰り返し強制されてきました。福島原発事故の後でもそうだし、むしろその傾向が強まっています。だから僕は、この点への警戒を心から訴えたいです。

さらに映画に登場する二本松営農ソーラー代表の近藤恵さんは、岩手県の基督教独立学園高校の出身者であり、二本松市で笹屋営農型発電農場の農場長となっている塚田晴さんは、三重県の愛農高校の出身者です。
これらの学校はキリスト教(愛)精神に基づいたユニークな教育を行っていて、実は僕もここに縁のある方たちをたくさん知っています。この方たちは原発や環境破壊と真剣に向き合う実践をさまざまに重ねておられ、尊敬する気持ちが強いです。
なおかつお二人は原発被災者でもあり、苦難を越えて二本松での営農に着手されていて、その点でもとても心が揺さぶられました。しかしそれでもなお、いやむしろだからこそ、僕は二本松での、とくにあの場での営農の危険性を指摘したいのです。

実際に映画の中でも、畑の周りの藪の中を測ってみたら、放射線値がかなり高いことも示されていました。その放射能は風が吹けば飛んできます。作物への移行が少なくても、人体は確実に被曝します。
さらに農の営みは土いじりが軸ですからなおさらなのです。書いていて悲しいですが、さまざまに内部被曝が発生してしまうので、働く人の身体が危ない。だから僕はそこでの営農をやめられ、他の地で試みられることを心から進言します。原発被災者だからこそ、これ以上、東電と国に害されないで頂きたいです。


ソーラーシェアリングのもと耕運機を動かす塚田晴さん。愛農関係者とお話するとどの方も「彼は素晴らしい青年だ」「すごい逸材だ」と話されます。僕はお会いしたことはないですが、たくさんの方に愛され、リルペクトされている青年だということが分かりました。画像は映画予告編より


ソーラーシェアリングにはメリットとともにデメリットも指摘されている

またもう一つ、映画では太陽光パネルの欠点を克服した、ソーラーシェアリングというシステムを使った営農の様子が描かれています。それが「原発をとめる農民たち」というタイトルの由縁になっています。
太陽光パネルは土地の上に設置すると影になる部分の土地をダメにしてしまう欠点があるのですが、それを農地の上に櫛状にパネルを配置することで克服しようとの、なかなかのアイデアに基づいたものです。

でもある農の営みをしている親しい友人から「問題点も多いんですよ」とも指摘されました。それで調べてみて確かにソーラーシェアリングについて、メリットともに多数のデメリットも論じられていることが分かりました。そのサイトの一つをご紹介します。

太陽光発電  ソーラーシェアリングとは|業者が言わない11の問題点と成功の秘訣
https://sorasapo.com/solar-sharing-is-not-so-easy

ざっくりこれらを見て、農家さんの多くが高齢化している中で、その農家さんが行うにはこのシステムはあまりに煩雑なのではとはないかと思いました。資金援助を引き出すのも難しいと指摘されています。
また20年継続が必須とされていたり、相続も難しいなど、他にも数々の難点が上げられています。でもそんな中で政府が補助金を出しているので、営利目的の業者が「困難を引き受けます」と仲介に入り込みやすいのではないか。そこで問題が生じないかという点でも懸念が生じました。

ただしこれらをきちんと読み解くには、営農上の知恵と経験が必要で、正直なところ、僕には、よく分からないことが多いです。
だから少なくともこの映画を観た方に、これだけでソーラーシェアリングを礼賛してしまうのではなく、数々のデメリットがあることも知って頂いた方が良いだろうと思い、これらについて論じている情報を提供しました。


ソーラーシェアリングとはこんな感じ 映画予告編より


あかいわエコメッセにお越しを

最後に主催者のあかいわエコメッセについて一言。これまで何度も呼んで下さっている場です。
中心になっているのは赤磐市会議員の原田そよさん。赤磐だけでなく岡山市でも講演会を主催して頂くなどして、その度に心を通わせてきました。
ぜひこの場に参加して、あかいわエコメッセの方たちとも結びついて頂きたいです。

また映画について、僕は「原発をとめる農民たち」の部分には、映画の主張と違った意見を持ちましたが、それに対する判断自身も、ご自分でご覧になってして頂きたいなと思います。
一部とは言え、僕の批判的な意見を読んで、「じゃあ観るのはやめておこうかな」とは思わずに、むしろこの問題をみんなで前向きに検討していくためにも、観て頂けたら嬉しいです。
僕自身は残念ながらこの日、他の企画に参加するのでうかがえませんが、どうか可能な方は9月1日に赤磐市にお越し下さい。


京都市長選に応援に来て下さりメッセージ動画にも出て下さった原田そよさん 原田さんもいつも楽しそうにお話されます 守田撮影

#原発をとめた裁判長 #大飯原発差止判決 #樋口英明 #福井地裁 #樋口理論 #原発再稼働反対 #原発は地震に弱い #原発の耐震性は低い #原発はハウスメーカーの家より弱い #ソーラーシェアリング

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明日に向けて(2453)福島原発燃料デブリの取り出しは不可能! 石棺にして100年以上待ち 放射線量が十分に減ってから対応するしかない ウソはダメ!

2024年08月24日 23時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240824 23:00)

石棺で封じ込め放射線値が下がるのを待つしかない

前回の記事の続きです。前回は22日に始まった福島原発燃料デブリの取り出しが、「初歩的なミス」によって止まってしまったけれど、問題の本質はそこにはなくて、そもそも取り出し不可能なことを見て見ぬふりをしていることこそ問題であることを明らかにしました。
今回、指摘したいのは、こうした不可能なことをできると言い続けていることも、それを見て見ぬふりをし、はっきりとした批判を行なわないことも、大変良くないという点です。
はっきりいって政府と東電はウソをついているのです。2051年までに廃炉を終える、その展望があるという大ウソです。実際にはまだ1gも取れていない。放射線値が高すぎるからです。人はまったく近づけないし、ロボットも度々壊れてしまう。

ではどうしたらいいのか。放射線値が下がるのを待つしかないのです。そのためにとりあえずは石棺で封じ込めて、安全性を確保することが必要です。
ではどれぐらい待つと良いのかというと、放射線を出している主な物質は、セシウム137やストロンチウム90で半減期が30年ですから、90年経ってやっと8分の1になり、120年経てば16分の1になります。180年経てば64分の1にもなる。210年で128分の1です。
そのように放射線値が十分に下がるのを待ちつつ、放射線防護技術を高め、作業者の十分な安全性を確保する中で、ようやく有効な廃炉作業に進むことができる。なので100年以上は必要で、実際に可能なのはこの道だけです。


石棺化したチェルノブイリ原発 (左)と石棺の老朽化に対して新たに作られた金属製ドーム(右) レールで移動し現在はすっぽり覆っている チェルノブイリもデブリ取り出しはこれから

どうしてウソをつき通しているのか 

ではなぜデブリの取り出しが不可能だと、誰がどう見たって否定しようのない事実を押し通しているのでしょうか。
一つに福島県と沿岸部などの13市町村が、2016年の段階で、取り出した燃料デブリや使用済み燃料などの放射性廃棄物を県外で処分するよう求めており、東電がこれを受けている事実があります。
これに対しまずは石棺化し、廃炉を100年以上の事業として取り組むことを明らかにすると、この約束はおろか、福島の復興も、遠い未来にしか実現できないことが浮き彫りになります。悲しいことですがそれが直視する以外ない真実です。

しかし政府や東電はここを誤魔化し、事実を隠して、批判を避けようとしているのです。マスコミもこれに追従している所が多い。復興を期待する人々の怒りの矢面に立ちたくないので、忖度して曖昧な言に終始し、ウソを明確には批判しないのです。
実際には廃炉には100年以上かかります。原発とは一度過酷事故が起きたら、故郷をまるまる失うしろものなのです。政府と東電はこの事実がハイライトされ、今ある原発の稼働続行もできなくなることも恐れてウソを重ねているのでしょう。
しかしウソで事実は曲げられないし、こんな犯罪を重ねてはなりません。しかも許しがたいことに、この出来もしない作業でも事業者だけはしっかり儲けています。無駄な資金が、原発や建屋を作った事故責任者をいまも潤わせている。こんなこと許しておいていいはずがない。


13年経ってデブリ1gも取りだせないのに「復興と廃炉の両立」をうたう東電


出来もしないデブリ取り出しを行うのは危険

また出来もしないデブリ取り出しは、被曝労働を増やすだけ。もともと電力会社は、格納容器を冠水して上からデブリを取り出したかったようです。水が放射線に対する最も手堅いシールドだからです。
しかしデブリが圧力容器の底を突き破って格納容器の中に広がってしまっていて、上からでは取れない。それで横から取り出し器具を指し込もうとしているわけですが、それでは水がはれず、有効なシールドが得られなくて、危険作業が増えてしまう。
そもそも今も現場は厳重な放射線対策をしなければならず、マスク、ゴーグル、防護服をがちがちに装備するので、作業環境も効率もとても悪く、その面でも危険が大きくなっています。その点も含めて今は放射線値が下がることを待つべきなのに、いたずらに危険施業を繰り返している。

しかもウソだらけの上に無理な作業が強いられているので、現場のモラルと士気も著しく低下しています。現場の方たちにデブリ取り出しなどできないことは分からないはずがない。しかしウソがまかり通り、その共犯者にすらされている。
これだけ注目を浴び、3年も延長した作業の再会にあたって「初歩的ミス」が起きたのもそのためだと考えるのが合理的です。作業環境の悪さに加え、現場の方たちの後ろめたさ、憤り、悲しみが重なり、凡ミスを繰り返す土壌を作りだしているのです。
事実フクイチだけでなく、東電柏崎刈羽原発や六ケ所再処理工場など、日本中の核施設で、にわかには信じがたい不祥事が頻発しています。そしてこのモラルハザードがさらなる危機を招き寄せてもいる。だからウソの作業は幾重にも危険なのです。


今の工法は「放射線防護に課題」があるとしていまも冠水工法が検討されているものの技術的に困難といわれている やはり放射線値が大きく減るのを待つべき 図は東京新聞の記事より


できないことはできないとはっきりさせて廃炉作業を進めるのが肝要 そのため事業主体を東電から廃炉公社にかえるべき

これまで述べてきたように、大事なのは「できないとはできない」とはっきりさせること。このシンプルな方針こそが、廃炉をまともに進めるための唯一の道です。
またそのために、できるだけ早く東電を廃炉作業から撤退させ、透明性を持った廃炉公社に代えて、作業を進めることが必要。
東電はこれまでも本当にたくさんのウソをついてきました。例えば事故直後から放射能汚染水が1日何百トンのオーダーで海に流れているのに知らんぷりしていた。他にも東電が事故後についた犯罪的なウソには枚挙の暇がない。

それやこれや、そもそも福島原発事故を起こし、その後にも犯罪的なことをたくさんしてきた集団に、まともな廃炉作業の遂行を期待する方が間違っています。
この間のウソをきちんと罰し、責任をとらせた上で、原発事業全体から撤退させ、あとは廃炉と賠償のための資金供出に徹するように行政指導すべきです。いわんや柏崎刈羽等の運転を認めるなど言語道断です。
そして代わりにもっと真っ当な人士からなる廃炉公社を作るのです。そのもとで100年以上かかる廃炉作業を、これ以上の被曝を避けることを最優先しつつ、行わないといけません。このことを求め続けていきましょう。


東電は2013年7月21日の参院選の直後に初めて汚染水流出を認めたが、どう考えても最初から知っていたことは明らか 日テレ2013年7月23日

#福島第一原発 #燃料デブリ取り出し延期 #デブリは880トン #未だに耳かきいっぱいも取れず #デブリ取り出しは不可能 #廃炉には100年単位でかかる #石棺で閉じ込めるしかない #見て見ぬふりをしている #廃炉公社 #ウソは危機を招き寄せる

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明日に向けて(2452)福島原発燃料デブリ取り出し作業延期問題の本質はそもそも取り出しなど不可能なこと見て見ぬふりをしていること!

2024年08月23日 23時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240823 23:00)

2021年から3年延期していた燃料デブリ取り出しがまた延期

22日に始められる予定だった、福島第一原発2号機の燃料デブリ取り出し作業が、トラブルによって直前で中断、延期されました。
計画では伸縮する細いパイプ状の取り出し装置を格納容器の横から差し込み、先端からデブリをつかむ器具をぶるさげて数グラムをつかむ予定でした。
しかし取り出し装置を押し込むためのパイプ5つの順番が間違っていることを直前に察知、作業の中断に至ったとされています。

また延期というのは、そもそも燃料デブリの取り出しは廃炉ロードマップで2021年に始められるとされていたからです。
しかし取り出し装置の不具合などによって3年余り延期されていたのですが、今回、またしても失敗。
これに対して国や福島県が、「初歩的なミスをするなどけしからん」と、東電に厳重抗議を行っています。


作業中止を報じるNHKニュースより


またも延期したことより取り出しなど不可能なことを見て見ぬふりをしていることが問題

しかし本当の問題は「初歩的なミス」をしたことにあるのでも、「延期を余儀なくされた」ことにあるのでもありません。
そうではなくて、そもそもデブリの除去など不可能なこと。放射線値があまりに高い上に対応できる技術もないのでできっこないのに、できるかのように偽っていることにあります。
そもそも今回、取り出そうとしたのはせいぜい3グラム。事故から13年半近く経っているのに、それしか目標にできない。

ではデブリはどれぐらいあるのかというと推定で880トンです。しかも1号機から3号機に分かれて存在していて、どのような状態になっているのかも把握できていない。
今回、3グラムをとってきて分析することで、デブリの実態を解明するといっていますが、880トンのうちの3グラムで何が分かると言うのでしょうか。分かるのはその3グラムかせいぜいその周辺のものだけ。
しかも繰り返しますが13年半かかって、耳かきいっぱいほどのデブリも捉まえられていないのです。それでどうしてあとの880トンを取り出せるのか。ちなみに政府と東電は廃炉を2051年までに終えるとしています。


燃料デブリ取り出しは2021年からとされ廃炉官僚は遅くても40年後(2051年)とされてきた 資源エネルギー庁のHPから 2017年掲載


小出さんが不可能を断言、推進派の沢田氏も「100年単位でかかるという見積もりも出ている」と発言

「デブリ取り出しは不可能」「廃炉できないなら『石棺』で封じ込めるしかない」と明確に発言している方がおられます。小出裕章さんです。AERAの2022年3月7日の記事で明言されています。

福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」
https://dot.asahi.com/articles/-/41837?page=1


小出裕章さん AERAの記事から

実は原子力推進の立場に立つ御仁からも、デブリ取り出しについて「10年20年で終わらないのはもう明らか。100年単位でかかるのではないかという見積もりも出ている」という発言がでています。元東工大助教の澤田哲生氏です。テレ朝news2023年3月11日の記事です。

わずか1gの燃料デブリも取りだせない・・・福島第一原発 廃炉はいつ終わる
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000291080.html


澤田氏も「100年単位でかかるのではないかという見積もりが出ている」と発言

さらにNHKも原発特設サイトで、福島原発事故から10年目に、廃炉作業は予定通りにはとても進まないのではとの「懸念」をちりばめた記事を発しています。2021年3月です。

原発事故10年 残り30年で廃炉の作業を終えることができるのか
https://www3.nhk.or.jp/news/special/nuclear-power-plant_fukushima/feature/article/article_09.html


NHKも繰り返し懸念を表明

「デブリ取り出しは不可能」と事実を事実としてきちんと言い切っているのは小出さんだけですが、しかし多くの方が「本当にできるのだろうか」「無理なのではないか」と発言している。ようするに多くの人々が「無理だ!」と分かっているのです。
にも関わらず多くの人が、はっきりと「不可能だ」と政府、東電に認めさせ、方向転換させる努力を行わず、見て見ぬふりをしている。これが良くない!これが危険なのです。

続く

#福島第一原発 #燃料デブリ取り出し延期 #デブリは880トン #未だに耳かきいっぱいも取れず #デブリ取り出しは不可能 #廃炉には100年単位でかかる #小出裕章 #澤田哲生 #石棺で閉じ込めるしかない #見て見ぬふりをしている

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明日に向けて(2451)日本原燃が六ケ所再処理工場の9月末完成を断念 27回目の延期を検討中 やはり原子力はオワコン! とても危ないから一刻も早く廃炉⇒安全管理へ

2024年08月22日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240822 23:30)

いつまでも再処理工場を完成させられない

日本原燃が青森県六ケ所村で建設を行っている再処理工場の完成をまたも延期しました。延期は27回目です。
前回は2020年9月に延期を発表。その後、「2024年上半期(4~9月)のできるだけ早い時期に完成」と宣言していたものの、この9月末までの完成の展望がまったくないため、またも延期の判断に至ったことが「関係者への取材」で分かったと報道されています。


NHK 青森NWES WEB 8月17日13時01分配信

もともとこの工場は27年前の1997年に完成する計画でした。
しかしたびたびトラブルが重なって延期が繰り返され、とうとう27回目の延期を迎えようとしています。このことを報じた二つの記事を紹介しておきます。(なおリンクが切れたときのためにPDF化したものも貼り付けておきます)

使用済み核燃料再処理工場の完成目標 2年半ほど延期を検討
NHK 青森NWES WEB 8月17日13時01分配信
https://www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/20240817/6080023377.html
https://toshikyoto.com/wp-content/uploads/e2a972dd356422a9ff81be683d8bbd6f.pdf

六ケ所再処理工場(青森県)、完工2年半延期へ 日本原燃、「2026年度」で調整 27度目
東奥日報 8月17日5:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa6d88a87a42dc51c0d9e75e46375b6a977e4f4b
https://toshikyoto.com/wp-content/uploads/aa2058ef6458857402aa1d49ea653184.pdf


あまりに杜撰な審査申請書の提出の末に

なぜ延期となるのか。記事の中に、一つに原子力規制庁の審査が長引いているためだとありますが、ではどうして長引いているのかというと、日本原燃が2021年末に提出した審査申請書に大量の不備があったから。
約6万ページの申請書のうち、なんと約3100ページで落丁や記載漏れがありました。記載がまるまる抜け落ちた落丁が400ページ、記載漏れが800ページ、必要な計算結果の不記入が1000ページ、様式不備が900ページだそうです。
実はそれもあって前回、2022年9月に26回目の延期を発表したのですが、それから2年経ってもこの事態を越えられていない。


守田講演スライドより 左側の図は東京新聞の記事より引用

この点について、これまで「明日に向けて」でも詳しく論じてきました。
以下の記事をご覧下さい。

明日に向けて(2314)六ヶ所再処理工場が最後的に行きづまっている!-やっぱり原発はオワコン(2)
2023年4月9日
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/361758074b186f663509c4f909a21275
https://toshikyoto.com/press/8076.html

原子力政策は、本来、核燃サイクルによって「無限のエネルギーを得る」計画でした。
ウランを核分裂させた際に新たに生まれてくるプルトニウムを再処理によって抽出し、そのプルトニウムを混ぜたMOX燃料を作り、「高速増殖炉」で運転して、発電しながら使った以上のプルトニウムを新たに作り出す計画だったのです。

ところがそのための高速増殖炉もんじゅはトラブル続きの末に、廃炉になってしまいました。だから実は、プルトニウムを抽出してももはや意味などないのです。
そんな中で27回も完成を延期。しかも杜撰極まる審査申請書提出のはてに。ここに現場の当事者たちが、もはや展望とともに気概も失っていることが見えてきます。原子力がオワコン(終わったコンテンツ)であることはどう見ても明らかです。


危険性だけはしっかりある

六ケ所再処理工場なもはや完成などとても見込めません。何せ27回も延期しているのです。もはや死亡宣告を引き延ばしているようなもの。原子力政策の終わりを認めたくないだけです。
しかし大事なことは、そうして延期を繰り返している間に、危険性だけはしっかりと積もり積もってきていることです。

なにより六ヶ所再処理工場には、再処理を目的に全国の原発から送られてきた使用済み核燃料が、巨大なプールの中に貯蔵されています。その数、受け入れ限度である約3000トン。
さらに一部(約450トン)、試験的な再処理(アクティブ試験)を行ったのですが、このために生じた「高レベル放射性廃液」もまた大量に溜まっています。その数約210㎥


3000トンの使用済み核燃料が眠っている六ケ所再処理工場巨大プール 日本原燃HPより

この点で運転ができないからそれで良いわけではありません。ただちに再処理の中止。工場の廃炉を決定し、使用済み核燃料を「再処理」を待つためのプールでの貯蔵という不安定な保管をやめ、より危険性の少ない管理に移行すべきです。
「高レベル放射性廃液」にいたっては、冷却が止まってしまった場合、24時間で沸騰し始めてしまい、そのまま危機に陥ってしまいます。もはや実現などできない「運転」への愚かな努力をやめ、全ての力を廃液の安全管理への移行に向けるべきです。

しかしながら、この再処理工場の問題は、原発に反対する人々の中でもまだまだ理解が足りておらず、僕自身、これまで「明日に向けて」で十分に扱ってこれていません。
ここを越え、再処理工場の巨大な危機に立ち向かっていきたい。そのため、今後、この点の充実化を図ります。その意味でこの記事を「続く」と閉じます・・・。

続く

#六ヶ所再処理工場 #27回目の延期 #使用済み核燃料 #核燃サイクル #日本原燃 #原子力はオワコン #審査書に大量の不備 #高レベル放射性廃液 #もんじゅ廃炉 #原発核燃からの撤退を

*****

原子力がオワコンであることをしっかりつかむため、『原発からの命の守り方2024』を読む会を全5回で進めています。ぜひご参加を!
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明日に向けて(2450)高感度体質者、能力減退症、全国の被曝に着目を ―三田茂医師講演・「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性 全文文字起こしその7

2024年08月20日 22時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240820 22:00)

三田茂医師講演を動画をご覧下さい

続いて岡山の三田茂医師講演の全文文字起こしの7回目、最終回をお届けします。

今回も動画をご紹介しておきます。以下の画像をクリックして下さい。

三田茂医師講演 「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性、共通性ー被爆・被曝の新しい理解・病悩の解決の可能性

ここでは1時間53分57秒から 以下文字起こしを貼り付けます。

*****

◯「高感度体質者」における「放射能敏感症」について

さらにですね、これ去年の暮れの医学会なのだけれど、一番最近の医学会で、アンケート「あなたの体質について教えてください」という、こういう研究をしました。

どうも、患者さんたちを見ていて311で被曝して具合が悪くなった人たちって、なんかちょっと違うのですよね、平気だって言っている人と。虚弱だったのではないか。子どもの時に虚弱とか特異体質と言われたのではないか。化学物質過敏症を持っているか。電磁波過敏はどうか。発達障害という診断を受けている、或いは自分でそう思っている。それからさっきのHSP=Highly Sensitive Person、とても敏感な人。例えば洋服なんかもちくちくして着られなくて嫌だとか、それから匂いがきついともう食べられないとか、そういうような人ではないとか、そういうアンケートを取っています。

その結果、ここも動画にしてあるので興味があったら見てみてください。https://youtu.be/FEhmZEJbI2o?si=CzKx0xPI1YcfUHgt これがキーワードなのだけれど。「『高感度体質者』における『放射能敏感症』」という、こういう理解が必要だろうという事で、これも提唱しました。こんなの当たり前と言えば当たり前の事なんですけれども、認識しないと治療に結びつかないというふうに考えたわけです。



高感度の体質の人っていう、だから、並みの、普通の人とは違ってとっても敏感で、優秀で洞察力が高くて、と言うような人がやっぱり色々感じてしまうのですよね。『放射能敏感症』と言うのは、「生物学的な感作」というのが関係していると思います。 

 

「感作」というのはちょっと大事な言葉、感作というのは、医学的な感作と言うのはアレルギーですね、主に言われるのは。タンパク質、例えばスギ花粉のタンパク質、それから蜂の毒のタンパク質、こういうものに1回浴びた時は良くても、身体が覚えてしまう。だから、2回3回目と、どんどんどんどん反応が強くなっていく、というのを医学的感作というのです。

「生物学的感作」というのは、そこまで厳密な定義ではなくて「末梢的感作」「中枢的感作」と、末梢性・中枢性というのだけど、いろんな刺激を受け続けていると、どんどんこう感じが敏感になっていく。それで、感じて敏感になって具合が悪くなっていく事を繰り返していると、どんどん具合が悪くなる。こういう事の組み合わせで、感作によって放射能に敏感な状態と言うのを作ったのではないかとそういう事です。

「鼻血が沢山出た」。「いや、そんなの出るわけない」、こういう議論というのはお粗末だけれど、そういうのがありました。さっきも言ったように、総理大臣がそれで漫画家を攻撃しましたね、すごい攻撃しました。
敏感症と言うのは鼻血やなんかで感作によるものだと思ったのは、311のあと、3月12日に爆発し始めて沢山プルームが飛んで、もう関東には3月15日にプルームが飛んできて、塵が飛んできた事が分かっている。21日に海から入ったのが東の方に雨で落ちたのが分かってる。じゃあ、その時に鼻血が出たのかって言うと実は殆ど出てないですよ、みんな。


よく聞いてみると5月6月7月なのです、みんな出始めたのが。だからこれは感作したとしか言いようがないと僕は思う。だから、1回目の曝露の時に、調子悪い人はいますよ。そりゃあ敏感な人なんか、すごい調子が悪かった。色が見えたとか、匂いがしたとか、変な味がしたとか。沢山います、そういう人は。


実は広島の肥田先生の聞き取りでも、色が見えている人がいます、広島でも。エノラゲイの乗組員は、爆弾を落として後ろの方で光った瞬間に、みんなが「鉛の味がした」と言っています。飛んできてないですよ、物質なんか。その瞬間にですから。ですから、敏感な人によっては、いろんな事を感じるのだけれども、「感作するから鼻血が出た」と考えるべきかな。そうすると感作して敏感になった子は、東京から岡山へ避難したわけですけど、東京からおじいちゃん、おばあちゃんが会いに来る、そうすると鼻血が出る。東京から荷物が届く、宅急便が届く、鼻血が出る。こういう事が起きてしまう。

僕も2010何年かな、2016年か2017年かな。実は東京から荷物を、あまりそのように来てほしくないと最初は思ったけれど、東京からスーツを着て、ガラガラ荷物を引っ張って、患者さんが来て、1時間ほどいろんな話をして、終わるかなと思った時に、鼻の奥に激痛が走って鼻血が出て僕は3日間止まらなかった。それで、「あっ、これが患者さんたちの言っている鼻血なんだな」と思いました。
あの頃、僕はとっても敏感だったから、ホームセンターとかスーパーに行っても、とっても具合悪くなりました。特に農薬やなんかの近くに行くと、もう視野は狭まってくるし、ドキドキしちゃってダメだった。今はずいぶん良くなりましたね。だからこう思うにいたりました。


◯「DNAの切断」だけでは被曝の実相に迫り切れない 『能力減退症』という捉え方が必要


長崎大学、「長崎原爆被爆者の病理標本におけるプルトニウムアルファ粒子の軌跡」というのね。これが311の後なのかな、こういうのがね、公開されたのです。これは長崎の原爆で亡くなった方の病理標本です。



プレパラート作る前のブロックと言うのがとってあるのですね、小さいサイコロみたいなやつ、組織がとってあって、そこから新しく切り出して、これが膀胱か、前立腺、肝臓、骨、こっちが肺かな、そのプレパラートを作って特殊な方法で撮影したら、ここにちょっと線が出ているのが見えますか?ちょっと後ろの方、見えにくいかもしれないけれど、小さなひげみたい線が沢山あって、これがその何十年も経った新しく作った標本を撮影した時に、放射線が写ったのです。

だから、いろんな臓器に取り込まれた、多分プルトニウムからアルファ線が出ました、とそういうスライドです。ここからこう出て、この黒いツブツブがあるでしょう?これが細胞の核なのです。肝細胞の核。こういうその核の近くをこれがピュッと通るから、だからこのDNAを距離が短いけれど通るので、DNAを分断しちゃうよって、こういう理論と言うのは非常に有名で、みなさんもよく知っているし、何かと言うとこの話が出てきて、ここで終わりになってしまうのですけれど。


それで理解をする時に、どうしてもこういう研究レベルの話って、分子レベル、DNAを損傷するから発がんするんだというところで、話が一回終わっちゃうので、そこから先がないじゃないですか。僕はやっぱり細胞組織器官、全身で見た時に、機能的なネットワークですね、身体ってものすごく複雑なネットワークで動いているから、そういう事で言えば、ホメオスタシスなのですけれど、それが障害された時の『能力減退症』というのが、死んでしまうほどの被曝ではないような被曝を受けた人、それからその二世三世、そういう時に問題になっているのだろうと思う。

ですから、ここ(分子レベル)の話だけ、幾らしてても、研究としてはいいかもしれないけれど、僕たちの、みなさんの生活がよくなるという事に結びつきにくいのですよね。それで、この高線量被曝の問題としてこのDNAの損傷って出てくるけれども、どうもそれじゃ説明できないので、「ゲノムの不安定性」と言う言葉とか「ベトカウ理論」とか、「バイスタンダー効果」とか、「ミトコンドリアの機能関連」とか、こういう考えを付け加えるのだけれども、全然これではすっきりいかないわけですよね、一般の人は。だからどうしても「DNA、DNA」といってしまう。

ゲノムの不安定性というのは、エピジェネティクスというものだろうというのが、最近の遺伝的な研究を調べて見ると、もうメインですね。8~9割がこれだと思うのです。この話を知らないで述べてもダメだし、でもこの話を知っていても、こっち(全身レベル)はまたちょっと、階層の違う話だと思うのです。

◯首都圏や西日本の深刻な被曝と向き合い、被曝隠しに対抗して調査を進め、みんなを被曝から守ろう

311の『新ヒバクシャ』というね、僕が言っていることですけれど、いろんな切り口があると思います。



一番多いのは、多数派は「福島を復興したい」と言っている人たちです。僕は無理だと思っています。

「まだそんなことを言っているの?関係ないよ」と言っている人たち。ともかく、テレビなんか見ていても東北へおいしいもの食べに行ったとか、そういう話が多いから、こういうのは大多数派。

福島の子どもたちって甲状腺がんが出ているって言うけど大丈夫なの?原発の作業員って大変なんじゃないの?東北の人大丈夫?もしかしたら北関東も危ないんじゃないの?って言うのが、僕はこれを「良心的少数派」って言いたいと思う。だから、数の上ではすごく少ない。それで一番被曝のことを心配している人たちっていうふうに思われていると思う。


僕と、理解してくれる人は、超超超少数派だと思います。『新ヒバクシャ』というのは、首都圏が深刻だと僕は言っている。福島の問題ではない。関東、首都圏の問題です。どっちかって言うと数の上でも重症度でも。全日本の問題でもある。 


最後に出しますけど、西日本も被曝しています。北半球、アメリカも相当被曝しています。あの直後もう西海岸の線量が上がったり、いろんなことが起きています。

さらに言うと我々の子孫、だから二世、僕たちの二世。もうあの311の二世は生まれていて、やっぱり『能力減退症』の人が多いから、だから今後の問題もね、こういう心配をする超超超少数派。

これが、冊子なんですけど、『子どもたちを放射能から守るために、わたしたちができること』というものがあります。



これは政府側・推進側の人ではないのです。これは少数的・良心的な少数派の人たちの作ったものです。「はかる、知る、くらす」。どういうところが危ないのか、どういう食べ物が危ないのか。食べ物が危ないものはどういうふうにやれば線量が下がって食べられるようになるのか。煮方がどうなのか。で、「そういうところで暮らしましょうよ」、という事を言っている。

これは推進側とかエートスという、これはフランス発でチェルノブイリの時に「どうやってそこにみんなを住まわせるか」という、それが文化であると平気で言う人がいて、まあそんなもんかなって思ってしまう人もいるのですけれど。こういうこと。

僕は「はかる、知る」って「もう分かっているでしょう」と思う。そんなところで暮らしてどうしようと思うのか。具合が悪くなるに決まっているのですよ。特に敏感な人から。気が付かなくたって、知らないところで身体を壊します。次の世代、その次の世代に対する責任を持てるのかという事だと思う。

これね、東京の問題でもあるので、これ、『FRIDAY』という雑誌が、今あるのか知らないけど、(注:今も発刊されています)2015年にこういうところの(空間)線量が高いよと、東京駅とか渋谷駅とか、それから成田とか羽田とか。あと池袋のサンシャインとか、フジテレビとかディズニーランドとか、東京ドーム、浅草寺、スカイツリー、まあこういうところも線量が高いよと、この時は書いていた週刊誌もありましたよね。まあ、こういう事です。こっちのほう。



これはさっきの高いところの江戸川の近くで、お花がこういう花のはずだったのが、こんなふうに、奇形と言えると僕は思うのだけれど、こういうのがすごく多かったです。これは三田撮影の写真です。



これが原子力規制委員会の出しているものです。毎月毎月出ています。急いでいきますね。原子力規制委員会のホームページから「月間降下物fallout」。1ヶ月どれぐらい降っているか。2024年1月、最近のものを持って来ました、調べて。



単位がちょっと聞いたこともないような単位なのですけれど、福島県はやっぱり高いです。これは、福島の原発の近くじゃなくて福島市です。ちょっと離れている福島市はやっぱりちょっと高い。

ここが北関東、南関東、これは全部省略しました。西日本は今ね、NDだから測定できないです。それで福島が9.3。その次に高いのはと見ると東京なのですよね。だから、距離的にはずいぶんあるのだけれど、東京が北関東よりも高い。

これは蛇口のお水。これも福島で出ている。この時は千葉とか神奈川には、ようやく出なくなりました。この1~2年で。ずーっと出ていました。福島は0.0005なんだけど、東京は0.0023。だから、福島の5倍ぐらい東京の水って汚染されているのですけれど、東京の水が一番汚いです、あの直後から。13年間単位は少ないけど、こういうものを飲んだり、そういうところで呼吸したり、生活したりするのは危ないだろうと僕は言っている。



「そんなの無理だよ」と言う人がいるのは知ってる。「だったら譲歩しますよ」と僕は言いたくない。僕のいう事を聞いてくれるなんて思っていないから、情報としてそういう事です。
これがね、さっき言った土壌の汚染と言うのがやっぱり、これ示しますよね。こういう事なのね。




これがドイツの気象省が出したプルームの流れですね。放射能の流れ。これは2011年の3月ではなくて、4月の6日のシミュレーションです。実測図じゃないけれども、西日本かなり汚染している。西日本は4月6日と4月18日に2回かなり汚染しています。実はこれはいろんな自治体が公表してます。直後には僕も見つけられなかったけれど、最近なんだかネットで検索していると出てくるようになりました。



だから、やっぱり西日本も被曝した。被爆二世の人も、もう1回被曝しているかもしれない。東日本に住んでいる人は注意しないといけない。やっぱり東日本に行く時は注意して欲しいと。まあ、そういう話ですみません。時間が過ぎましたけど、終わります。

あとちょっとだけ補足します。今日お見せしたように、あの政府とか公的機関とか、放影研とかね、そういうとこがやる研究と言うのは、もう目的があるのですね。
それに対抗する唯一のものなのではないでしょうか、これが。(注、『被爆二世三世健康調査アンケート結果報告書』を示しながら)。



とっても大事だと思う。これをやらないと結局、向こうの言いなりになることになる。もう文句もなかなか言えない、向こうのほうが取り繕いの専門家ですから、うまいところを突いてくるので。頑張ってやって下さい!(おわり)

注記:文字起こし・原稿編集 (注と見出し作成含む)を、守田敏也・柳田かや乃が担いました。

*****

今回の講演で、三田さんは『被爆二世・三世健康調査アンケート結果報告書』(京都「被爆二世・三世の会」作成)を手に読み解きを行って下さっています。これが手元にあった方が理解しやすいので、入手先を示しておきます。

『被爆二世・三世健康調査アンケート結果報告書』
ダウンロード申し込みフォーム
https://forms.gle/UdeTXoGjschrT7cN9

冊子版申し込みフォーム
https://forms.gle/24hHZXjvKUbhfTzf9

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明日に向けて(2449)ウクライナ政府報告書・慢性原子爆弾症後障碍・間脳症候群・能力減退症・ホメオスタシス―三田講演・原爆ぶらぶら病と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性 文字起こし6

2024年08月20日 18時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240820 18:00)

三田茂医師講演を動画をご覧下さい

少し間が空いてしまいましたが、岡山の三田茂医師講演の全文文字起こしの6回目をお届けします。
今回も動画をご紹介しておきます。以下の画像をクリックして下さい。

三田茂医師講演 「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性、共通性ー被爆・被曝の新しい理解・病悩の解決の可能性

ここでは1時間36分22秒から

*****

◯『ウクライナ政府報告書』『慢性原子爆弾症の後障碍』『間脳症候群』『能力減退症』について

急に話題が変わるようなのだけれども、ウクライナ政府が、1986年にチェルノブイリが爆発しているので、25年後に“SAFETY FOR THE FUTURE”、「未来のための安全」と言う報告書を出したのですね。


ここには、ガンとか白血病の事も書いてはあるのだけれども、一番問題なのはこれ、二世の時代ですよ、25年後ですから。「こどもの」、二世のね「78%に慢性疾患があって健康なこども」がいないという事を一番の問題だとウクライナは言っている。
だから、「事件とか事故」が多発するし、「犯罪とか汚職」がはびこるし、「社会が混乱して国力がどんどん低下」して行くという事をチェルノブイリ、ウクライナは困っていたわけです。まあ戦争にもなってしまいましたけど。

それで肥田先生は、当然がんの事も言っている。被爆者が急性原爆症で亡くなった事も言っているけれども、「一番辛かったのは『ぶらぶら病』だ」と。差別されて、みんな野垂れ死んで行ったのですよね、「ぶらぶら病」で。
 

 
広島・長崎の研究と言うのは、数年間はやられていたのです、原爆の後。アメリカに対抗するような研究も行われていました。国会でもいろいろ答弁されています。
東大の都築教授(注:都築正男)は『慢性原子爆弾症の後障碍』というふうに言いました。身体の「身体的状況の異常」。それから「精神的能力の衰え」。こういうのを僕は『能力減退症』と言いたいのですよ。だから『能力減退症』って、結構さっと付けたようだけれど、僕は半年ぐらい悩んでつけた名前なのだけれど。だから体力、それから精神的能力、こういうのをひっくるめての減退した状態という事で『能力減退症』と付けました。

この時代、戦後すぐは原因がよく分からなかったし、それから治療法もない。ですから「無理な生活を避けしめるように指導する」しかないと都築先生はおっしゃっている。「ひびの入った容器を大切に扱わなくちゃいけない」と言っている。




小沼先生(注:小沼十寸穂 こぬまますほ)。広島大学の精神科の教授ですけれども、『間脳症候群』だと言っている。間脳と言うのは脳の一番中心のところ、あとで出てきます。間脳と言うところに原因があるのだという。これは解剖してみてやっぱり間脳がおかしいからです。
それからそれより前の時代に、頭を強くぶつけて廃人同様になった人など、間脳がやられるという事を知られていたので、『間脳症候群』という言い方をしたのですね。
精神科の先生に、最近、『間脳症候群』なんて事を言うかなと思って、聞いてみたけど、知らないって言う。だから、だいたいこういう話ってそのあと続いて行かない。根が絶えてしまう。肥田先生もこう言っていましたよね。こういうのが大変だったのだと思うのですよ、やっぱり。だから被爆二世のみなさんの病悩の8~9割は、『能力減退症』だと僕は思います。

『能力減退症』。「三田」と書いてあるけど、みんなが使ってくれないからまだ三田なのだけれど、僕はこういう概念を提案しています。


それで、なんで『能力減退症』という概念をひとつ作らないといけないと思ったかという事ですけれど、これも医学会のスライドそのものですけれど、診療体験です、これは。
311の『新ヒバクシャ』たちを僕は見ていて、こういうエピソードがある。「風邪をひきやすい」と患者さんが言っている。風邪というのはちょっとよくわからない病名だから、具合が悪くなるという事だと思うけれど、「なかなか治らない」。だから、被爆二世のみなさんと同じでしょう?「検査をしてもどこも悪くないと言われる」。「薬を変えても効かない。だるくって非常に長く休む」。



お父さんが2週間会社に行かれない。子どもが1週間学校に行けない。
それで診察所見、これは患者さんの話を聞いても、診察をして問診して、聴診して、触診して、打診して、検査をしてみても異常所見があんまりない。だから、僕たちには異常はよく分からない。だけど患者さんたちはとっても自覚症状が強くて困っている。「乖離」と言うのはそういう事です。論理的に一致しないという意味です。

「今までこのような事を経験した事がない。内にこもった状態から抜け出せない」とこの赤字で書いているのは患者さんの表現、さっきから言っているように、患者さんの表現と言うのは同じような表現をするのです。同じように具合の悪い人は。違う具合の悪い人は違う表現をする事が多いから、「これはひとつの症候群だな」となんとなく思ったのですね。これを「異常なしだね、気にし過ぎだね、大丈夫だ、検査でなにも無かったから~」で、これで終えてしまうのかという事だけれども、まあこのへんはちょっといろいろ大変な事がありましたけれども、検査してみると感染のストレスがかかると、そのストレスを乗り越えないといけないので、コルチゾールというのは副腎皮質ホルモンです。ステロイドホルモンです。身体の中で出ているステロイドホルモンの分泌が急に3倍4倍に上がって、それでさっき言った炎症を起こして、乗り越えていく、治っていく。それが出ていない事に気が付いたのです。


それで「ステロイド単回」というのは、例えば「このお薬を2錠、今飲んでみて」、それから短期間というのは「今日の朝と夜、明日の朝と夜飲んでみて」、こういう事ですけど、そういうふうに渡す。
もし「今飲んでちょっと待合室で1時間休んでいって」と言うと、「15~30分ぐらいでスイッチが入ったように治り始める」。表情が無くって、どろーんとして、力なくうなだれていた人が30分後に呼んだ時にはぴんぴんして入ってくる。こういうエピソードが沢山あった。
だから、多分、そうじゃない人もあるのかもしれないけれども、『新ヒバクシャ』に起きてる事は、こういう事だろうなと、このへんからちょっと疑い始めたというか、気が付き始めたというところです。

◯3つの症例から

ここから、3例、症例を提示します。56歳の男性で船乗り。





今、岡山に居る人ですけれど、3月12日に福島原発沖で航行していたのです。津波が来て動けなくなってそこで停泊していた。周りはガレキだらけだって、だからもうどこにも動けなくて、そこでしばらく停泊してた。それで、多分大量被曝してたと思いますよ。誰も証明できないけれども。

そしたら、そのあと目が悪くなった。遠くが見えなくなった。船乗りさんが、遠くが見えないのは大変なのですよね。持ち場が変わって数年したら、「重度の倦怠感。憂鬱。体が動かない。仕事が辛い。同僚それから先輩たちについていけない。だから仕事を辞める」。ホルモンが低くて補充して、さっきいったステロイドの補充をするわけだけれども良くなった。

52歳の女医さんです。東京から名古屋に移住してよくならなくて岡山に移住した人です。




2015年ぐらい、だから被爆後4年ぐらいから「記憶力低下。ストレスに耐えられない。回復しない。余裕がなくイライラしている。不機嫌。落ち込む。眠気が強くって診察中に寝た」。患者さんが出て行って、看護師さんが次の患者さんを呼び込むまでの間にすっかり寝てしまったと言ってました。「とても仕事は続けられない。目はかすむ、皮膚炎はひどい」。それで、この人も低くって補充したら、仕事が続けられる。

69歳の女性。身体を動かすのがすごく好きで、夕方まで元気に働いていた人。





2017年の春から、このへんですよね。16年、17年ぐらいがすごく多いのだけれども、だから311で被曝した数年後、5年後、6年後ぐらいから、こういう訴えがすごく強くなってきた。「物忘れ、眠気、夜はよく寝られなくて冷や汗が連日出る。急に十歳年を取った感じが自分でした」と。「去年と顔つきが違うと仲間に言われた。朝から働いていてお昼までももたない」。前は夕方まで働いた。治療してよくなった。

ここでキーワードとして、僕はこれを使いたいという事ですけれど、これ、医学会で提案したわけだけど、今日みなさんに渡っている資料の中に、「『新ヒバクシャ』に『能力減退症』が始まっている」という5ページぐらいのものを入れてもらっていますから、あとで読んでおいてください。今日話したような事しか書いてないですけど。だいたいもう考えている事を言っていますが、ちょっと思い出すのにいい文章かなと思っています。注:ここから入手可能 『新ヒバクシャ』に『能力減退症』が始まっている 三田茂 | 明日に向けて 守田敏也web (toshikyoto.com)



それで『新ヒバクシャ』の『能力減退症』。「眠気。疲れやすさ。意欲が低下して記憶力、理解力、判断力、集中力が無くなる。とってもミスが多くなる。抵抗力、治癒力が下がる」。
だから被爆二世のみなさんの報告を、読み解きしたのと全く同じでしょう、これは。被爆二世のみなさんの事を知らずに僕は言ってますから、だから一致性にびっくりするわけです。「似ている」のではなくて共通なのですね。「ありふれた病気の重症化、治癒の遷延」、遷延というのは治癒が、なかなか治らないのですね。それから、「患者の訴え、診察所見・検査所見が合わない」。だから「ストレスでしょう」と言われてしまうのでしょうね、こういうのは。「あなたの気のせいかストレスか。行くんだったら精神科に行け」ってね、そういうふうになりやすいのです。

◯『ホメオスタシス』について

次のキーワード。『ホメオスタシス』。さっきも言いました。『恒常性』とも言います。ホメオスタシス、恒常性。


これは理解するのに不可欠だと思って出しました。ホメオスタシス・恒常性というのは、まあ高校生の生物ぐらいで習うのかもしれないけれども、「外部からの影響」と言うのがあるでしょう?「お天気とか、ストレスとか、化学物質、当然放射能も」。こういう外部からの影響に対して「体内の環境を一定に保とうという働き」です。



例えば、気圧が変わった時にそれに対抗する、寒い時には体温を上げる、熱い時には汗をかく。ご飯を食べた時には消化吸収をしたり。「体温とか、温度調整、免疫力」。で、こういうのがうまくいくと、健康が当たり前のように維持できるけど、当たり前ではないですよね。すごく大変な事を身体はやっています。それでこのホメオスタシスを維持しているのが、「自律神経」と「ホルモン」です。自律神経、ホルモンがうまくいくと健康が保てて免疫的にも充実する。

これはね、変な絵ですけど、丸が脳みそ。手が生えて足が生えているわけではないのですけれど、脳みその真ん中に「間脳視床下部」と書いてあります。



さっき「間脳症候群」と言ってたでしょう。間脳視床下部というところでこの外から入ってきたストレス、感情的なものとかストレスをうまく調整しようという事で、「自律神経の調節」を行います。自律神経調節の中枢が間脳なのです。間脳はさらに「脳下垂体」という脳の一番下にあるところに指令を出して、「ホルモン調整」をします。この2つでホメオスタシス・恒常性がうまく維持される。そうすると健康に行くけれど、こういうのが、バランスが崩れたり、能力が低下すると、ホメオスタシスの調整がうまくいかなくなるという事ですね。 

ホルモンって沢山ありますけれども「成長ホルモン」、それから「甲状腺ホルモンの軸」というふうに言いますね、医学的には。それから「副腎、ステロイドホルモンの軸」、それから赤ちゃんが生まれたらおっぱいが出るとか、「男性ホルモン」、「女性ホルモン」とか、おしっこの出るように調整するとか、いろんなホルモンがこの間脳脳下垂体系の系列で調整されています。それでホメオスタシスが維持されている。

その、「間脳脳下垂体機能低下」というのが、『能力減退症』の原因であろうという事を、医師会医学会で言ったわけです。



ここで、正常の人たちの分布からはちょっとずれちゃうよという事なのだけど、これを話すとこれだけで2時間かかるので、YouTubeに動画を上げてあります。(注:三田医院HPより視聴可能 http://mitaiin.com/)もし興味があったら見てみてください。医科向け、医者向けは細かく話してあって、一般向けはもうちょっと易しく話してあります。

『能力減退症』は、しつこいけどね、「間脳・脳下垂体機能障害プラスアルファ」。これは、今日はちょっと省かせて下さい。下手に言うと誤解を生み易いので、これはちょっと省きます。
間脳は自律神経障害、脳下垂体はホルモン障害という事です。僕は放射能被曝から入りました、この考えにね。




◯アレルギー、農薬、添加物の影響、化学物質過敏症、香害などもかなり『能力減退症』的

でも、色々調べてみたり、いろいろ考えてみると、「アレルギーとか農薬。添加物。化学物質過敏症。香害ね、香りの害」、こういうのも『能力減退症』的です、かなり。
「HANS」、これは女の子たちの子宮頸がんワクチンの後の神経障害。まるっきりこう記憶力が無くなってしまったり、それからけいれんして動かなくなってしまったりと、神経障害がとても深刻だって言っている人がいる。国は関係ないと言ってる。でも、また注射をうち始めたらこういう人が増えてるから、関係あると僕は思いますけど。

それから、コロナのワクチンの後障害。これもね、このへんが関係していると思います。HANSの人たちは間脳に原因があると言っている。コロナのワクチン後障害と言っている人たちも、ホルモンが下がってるって言ってる。だから治療すればいいのにと思うけど治療はしない。それはきっとまだ、仕上がった診断学・治療学になってないから手を出さないのだと思う。責任を問われるのが嫌なのかもしれない。でもすごく似ている。

さっきも言った「熱中症」というのはもうやたらと使われているので、冬以外はみんな熱中症と言う感じだろうと思うけれども、これは『能力減退症』的な側面がすごく多い。だからこの十数年か、熱中症という診断がやたらと多いんですよ。これは被曝以前にもう化学物質とか電磁波とか、こういう影響をみんな受けているので、昔より体力が落ちているという言い方もあるし、ホメオスタシスの維持がうまくいかなくなっているのだと思います。

それで、「被爆二世・三世の健康被害」と言うのも、ここに引き続くもの、同じ『能力減退症』としての治療が、かなり効くのだろうなと思います。




もう一回ちょっと念押しなのだけれども、69歳の女性の症例。



「物忘れ、眠気、十歳年を取った感じがして、顔つきが変わったんじゃないのって同僚に言われて、夕方まで働いていたのがお昼までもたなくなった」。ホルモン的に調べるとやっぱり下がっている。脳に異常があったら困るのですよね。脳腫瘍だったり、脳卒中だったり。MRIで調べてもなんともない。さっき言った間脳も異常がない、脳下垂体も異常ない。だけども下がっちゃう。ここに異常があればもうちょっと僕の主張と言うのは通りやすいかな。MRIでこういう異常がある人が多発しています。先生方どうでしょうか、という話はあり得ると思う。ここに異常がないのはいいのだけれども、なかなかこう、相手にしてもらえないというところですね。

それで、足りてないコルチゾールをちょっと補充すると、「昼までもたなかったのが前のように午後まで働けるように戻る」。これはみなさんもこうですよ、という事を言ってるのですよ。顔つきが変わったと言われたのが元気で明るくなったって。それで、「元に戻ったねと同僚に言われた」のですね、治療をしたら。「暗いトンネルから出られた」とご本人は言いました。

それで、良くなったのだけど、月曜日から働き始めると、やっぱり週末には疲れがたまる。ただ「仕事は続けられる」。この補充の容量が、これで良いのかどうかだけど、僕は、オーバーはしたくないのですよ。オーバーするとやっぱり副作用なんかの心配をしなければいけないので、ちょっと控えめにやってる。だから、週末まではもちにくいのかもしれない。でも「ここでちょっと勘弁して」と言うところです。


面白いのはこの人、岡山市民なのですけれど、東広島の山の中に引っ越したのです。ご家族の理由で。しばらくしたら、これ要らなくなった。もしかしたら、岡山市は地方都市だけど、町ですから、町から山に移動して良くなったのかもしれない。これはいろんな電磁波環境とか、化学物質の環境なんかが違うのかもしれない。ちょっと分からないけれど。或いは補充した事によって、もうすっかり機能を取り戻せる、可逆性って言いますよね、元に戻るような状態だったのかもしれない。(1時間53分56秒まで) 続く

#ウクライナ政府報告書 #慢性原子爆弾症の後障碍 #間脳症候群 #能力減退症 #ホメオスタシス #間脳脳下垂体機能低下 #コルチゾール #副腎皮質ホルモン #化学物質敏感症 # 電磁波敏感症

*****

今回の講演で、三田さんは『被爆二世・三世健康調査アンケート結果報告書』(京都「被爆二世・三世の会」作成)を手に読み解きを行って下さっています。これが手元にあった方が理解しやすいので、入手先を示しておきます。

『被爆二世・三世健康調査アンケート結果報告書』
ダウンロード申し込みフォーム
https://forms.gle/UdeTXoGjschrT7cN9

冊子版申し込みフォーム
https://forms.gle/24hHZXjvKUbhfTzf9

 

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明日に向けて(2448)国は「入市被爆」の記録を黙殺し被曝影響を否定し原爆の本当の恐ろしさを隠してきた(再掲 NHK「封印された原爆報告書」より―3)

2024年08月16日 13時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240816 13:00)

入市被爆のデータが無視されていた

封印された原爆報告書』文字起こしの3回目です。
今回、扱われているのは「入市被爆」の問題です。「入市被爆」とは、原爆投下時には広島市内にいなかったものの、後から救護や親せき探しなどのために市内に入って起こった被曝のことです。
原爆が放った中性子線が、あたったものを放射性物質に変えてしまう(放射化)のため、そこから発せられた放射線に当たったり、市内にたくさん残っていた死の灰を身体の中に取り込み、内部被曝するなどの形で被曝しました。
しかし政府は一貫してこの被害を認めてきませんでした。「そうした被害を示すデータがない」と主張してです。

ところが当時、医学生として援護のために四日後に広島市中心部に入った方が、原爆症特有の症状を発し、そのことを手記の形で記録に残しており、それが報告書に盛り込まれていたのです。
国は明らかに、後から広島市中心部に入って被曝した方がいたことを知っていたのです。にもかかわらず無視し、被曝の危険性を隠してきたのでした。

なお説明を加えておきたいのは、「入市被爆」「入市被ばく」という表記の仕方についてです。NHKが使ったテロップでは「入市被ばく」となっています。
原爆の被害は「被爆」と書かれるので、「入市被ばく」のことも「入市被爆」と書かれるのが普通です。
しかし番組が扱ったのは、明らかに放射線による被害でした。このためNHKの担当者の方も、迷った末に「被ばく」と使われたのではかと思います。

僕も当初はこれに従い、「被ばく」という表記を使ったのですが、その後、被爆二世の森川聖詩さんとの会話の中で、やはり被爆者運動の中で歴史的に使われてきた「入市被爆」という表記を尊重すべきだと判断して直すことにしました。
なお同じことは「被爆」「被曝」のどちらを使うのかという点にも該当します。もともと原爆による「被爆」には「被曝」の意味が含まれているので、こちらだけでも良いし、あるいはこちらだけにした方が良いとも思えます。原爆による被爆と、核実験や核施設によるそれとを分断されたくないからです。
しかし「内部被曝」などは、もはや特有の語として定着しているとも言えます。それで最近は「被爆・被曝」などのようにも表記しています。



*****

封印された原爆報告書 (NHKスペシャル2010年8月6日放送) 文字起こしその3

原爆投下直後から始められていた国による被害の実態調査。この65年間、その詳細が、被爆者に対して、明らかにされることはありませんでした。平成15年から全国であいついだ、原爆症の集団訴訟。 

 

『自分たちの病気は原爆によるものだ、と認めて欲しい』と訴える被爆者たちの訴えに対し、国はその主張を退けてきました。

30年以上、被爆者の治療に携わり、原告団を支えてきた医師の斉藤紀(おさむ)さんです。 



181冊の報告書の中に、被爆者の救済につながる新たな発見は無いか?斉藤さんが注目したのは、ある医学生が書いた手記です。

斎藤医師
「学生さんが書かれた・・・門田(もんでん)さんという方ですけれども・・・」

報告書番号51。ここにこれまで国が認めてこなかったある被爆の実態が綴られていました。

手記を書いたのは門田可宗(もんでんよしとき)さん。当時19歳。山口医学専門学校の学生でした。
門田さんが広島市中心部に入ったのは、原爆投下の4日後の事でした。直接被爆をしていないにもかかわらず、門田さんに原爆特有の症状が現れます。街に残った放射線の被曝。いわゆる『入市被爆』です。

長年、国は「入市被爆による人体への影響は無い」としてきました。しかし門田さんの手記に書かれていたのは、直接被爆した人と同じ症状でした。

門田さんの手記
「8月15日。熱は39度5分まで上る。8月17日。歯茎と喉の痛みが増してくる」

さらに8月19日。門田さんを不安に陥れる症状が襲います。体中に多数の出血斑が現れたのです。

門田さんの手記
「私も原爆の被害者なのか?いや、そうではない。8月6日。確かに私は広島にいなかったではないか?不安のあまりその日は眠れなかった」

8月30日。門田さんは被爆者の症状について解説した新聞記事を目にします。そこに書かれていたのは自分と同じ症状でした。

「髪全部抜ける 原子爆弾 被害者の臨床報告」の新聞の見出し記事

そこの新聞記事に書かれていたのは「全身に斑点状の出血があり」という、自分と同じ症状でした。

門田さんの手記
「私の症状は被爆者の症状と全く同じではないか?ああ、なんという事だ。私も原爆の被害者になってしまったのだ」

斉藤さんは、門田さんの報告書がありながら、国がこれまで入市被爆の影響を否定し続けてきた事に憤りを感じています。

斎藤医師
「今まで考えられてきた『入市被爆者には原爆症は現れ無いのだ、被害は無いのだ!』という考え方が根底から、実は崩れてしまうというような意味をこれは持っているんですね。そういった意味ではこれは65年も埋もれておったと、埋もれさせられておったと・・・」

原爆症訴訟で、長年国を訴えてきた被害者の中にも門田さんと同じように入市被爆した女性がいました。

斉藤泰子さん(享年65歳)です。3年前、被爆が原因とみられる大腸癌で亡くなりました。

当時4歳だった泰子さんが、母、幾(いく)さん(97歳)に連れられて疎開先から戻ったのは原爆投下の5日後のことでした。

親戚を探して爆心地近くに入り、一緒に歩き回ったといいます。暫くすると泰子さんに、高熱や下痢など被ばくによると思われる症状が現れました。

幾さん
「連れて来なければ、たぶんそんな事は無かったんだろうと思うんですけれども。ほんと、悪かったなあと今でも後悔しております」

その後、白血球が減少するなど原爆の後遺症に悩まされた泰子さん。59歳の時、大腸がんを発症します。原爆症と認めて欲しいと訴えましたが、国は「被爆はしていない」と退け続けました。
4年前、泰子さんは最後の法廷に臨みました。その時の言葉です。

(法廷に提出した書面)

「私は現在、末期がんで、余命いくばくもないことを医師から言われております。もう私には時間がありません。国は、私のような入市被爆者の実態を分かっていません。多くの入市被爆者が私以上に苦しんでいます」

勝訴判決が出たのは、泰子さんが亡くなって3ヶ月後の平成19年のことでした。 
幾さんは、門田さんの報告書の存在がもっと早く解っていれば、泰子さんが生きているうちに救済されたのではないかと思っています。

幾さん
「本当に、間に合いませんでした。可愛そうですよね。遅過ぎましたね・・・」

岡山 倉敷

一人の医学生が書いていた入市被爆の報告書。
筆者の門田可宗(もんでんよしとき)さんが、岡山倉敷で生きていました。 
どのような思いで手記を綴ったのか?医師の斉藤さんは同じ医師として聞きたいと訪ねました。

斉藤医師
「はじめまして。斉藤です」

門田可宗(よしとき)さん。84歳。65年間、原爆の後遺症の恐怖と闘い続けてきました。心臓や腎臓や患い療養中でした。

斉藤医師
「あの体の調子が悪い時は、先生、おしゃって下さい。日記を見ますと8月の19日にですね、体の出血に先生は気づかれておられますがご記憶にありますか?」

門田さん
「はい。はい。ありますよ。ええ・・・胸の辺りに皮下出血がありましてね。こりゃいかんなと、非常に危ぶんだんですね、その当時は解りませんのでね・・・」

斉藤医師
「これは先生自身は、日本語で書かれたんですね?」

門田さん
「そうです。日本語で書きました」

斉藤医師
「こういうふうに訳されて、アメリカにあることはまったく知らなかった?」

門田さん
「ええ・・・知らなかったですね」

門田さんによると、日記を書いたのは山口の医学学校に戻ってからでした。山口まで訪ねてきた東京帝国大学の都築教授に日記を書くように進められたと言います。

門田さん
「当時、研究者で名前がナンバーワンで出て来たのは都築先生ですからね。それでわざわざ山口医専までおいでになったんです。直接面談しましてね。いろいろ質問されたりしましてね・・・」

斉藤医師
「ああ・・・そうですか」

門田さん
「それでその時に『今から日記を詳細につけるように』と言われたんですね。それで日記だけはずっとつけておこうと思ったんですね」

斉藤医師
「ああ・・・そうですか」

門田さん
「それで例のオーターソンという向こうの軍医が来て、熱心に僕の手記を求めているっていう事も解ったんですね」

報告書の最後に、門田さんは自らの思いを記していました。

斉藤医師
「『Atomic Bomb Disease(原爆病)の研究の為これを書いた。もしこれが役立つなら非常に幸せです』って、この報告書の最後に書いてありますね?」

門田さん
「そうですね。懐かしいですなあ。僕が残しておかないと誰が残すんだ?という気持ちがありましたね。医学に携るものとして多少、具体的な事を書いておかないとね・・・」

斉藤医師
「どうも有り難うございました」

門田さん
「はい・・・」

一人の医師の使命として自らの被爆体験を後世に残そうとした門田可宗さん。その思いは届きませんでした。
65年前に失われた多くの尊い命。そして生き残った人たちが味わった苦しみ。その犠牲と引き換えに残された記録が、被爆者の為に生かされることはありませんでした。
世界で唯一の被爆国でありながら自らの原爆被害に眼を向けてこなかった日本。
封印されていた181冊の報告書が、その矛盾を物語っています。

語り    伊東敏恵

声の出演  青二プロダクション

取材協力  笹本征男  吉田布布子
      常石教一  吉見義明
      松村高夫  日本学術会議       
      市民科学研究室低線量被曝研究会
      東京都原爆被害者団体協議会

資料提供  アメリカ国立公文書館
      広島市平和記念資料館
      広島市文化振興課
      平和博物館を創る会
      長崎原爆資料館 小川虎彦
         陸上自衛隊衛生学校 彰古館
      毎日新聞社 日映映像
      大塚文庫  神林隆元

撮影    坪内俊治
照明    馬渡規生 アレックス遠藤
照明    鈴木彰浩
映像技術  寺崎智人
音響効果  小野さおり
編集    山内 明
取材    土門 稔
リサーチャー ウィンチ啓子
コーディネーター 柳原 緑
ディレクター 松本秀文 五十嵐哲郎
制作技術  春原雄策

#封印された原爆報告書 #入市被爆 #被爆 #被ばく #被曝 #原爆症 #広島原爆 #原爆症 #原爆症認定訴訟 #被爆者

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明日に向けて(2447)アメリカは広島の子どもたちの死の記録からソヴィエト攻撃をシミュレートした-(再掲 NHK「封印された原爆報告書」より―2)

2024年08月16日 12時45分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240816 12:45)

死亡率曲線

前回に続いてNHKスペシャル『封印された原爆報告書』の文字起こしの2回目をお届けします。
今回、出てくるのは「死亡率曲線」です。爆心地からどの地点にいた人がどれぐらい死んだのかを表したものです。アメリカが一番欲しかった原爆の殺傷能力を示すデータです。
この記録の対象となったのは、広島市内で被爆した17,000人の子どもたちでした・・・。

*****

封印された原爆報告書 (NHKスペシャル2010年8月6日放送) 文字起こしその2 

原爆投下から2カ月。アメリカの調査団が(日本に)入って来ると、日本はその意向を強く受けて、調査に力を入れるようになります。

小出中佐に変わってアメリカとの橋渡し役を務めるようになったのが東京帝国大学の都築正男教授です。
放射線医学の第一人者で、当初から陸軍と共に調査に当たってきました。

報告書番号14。都築教授と陸軍とが共同で作成したこの報告書の中に、当時アメリカが、最も必要としていたデータがありました。原爆がどれだけの範囲にいる人を殺すことが出来るかを調べた記録です。
対象となったのは、広島市内で被爆した17,000人子どもたちでした。どこで何人死亡したのか、70カ所で調べたデータが記されています。

爆心地から1.3キロにいた子どもたちは132人中50人が死亡。0.8キロでは560人全員が死亡しています。8月6日の朝、広島市内の各地に、大勢の子どもたちが、学徒動員の作業に駆り出されていました。
同じ場所で、まとまって作業をしていた子どもたちが、原爆の殺傷能力を確かめる為のサンプルとされたのです。

調査の対象となった一つ。旧広島市立第一国民学校(現段原中学校)。
そこに通っていた佐々木妙子さん。77歳です。
当時1年生だった佐々木妙子さんたちは、空襲に備えて防火地帯を作る「建物疎開」の作業に動員されていました。
学校に建てられた慰霊碑です。

屋外で作業に当たっていた175人が被爆しました。佐々木さんのすぐ隣にいた親友、上田房江さんも亡くなりました。

佐々木妙子さん(77歳)
「ほんとごめんね。うちだけが生き残ってから。一生懸命、それこそ、お国のためじゃないけど・・・疎開の作業に出て、帰る時にはもう姿も無いようなことでは、あまりにもむごいですよ・・・8月、来るけんね・・・」

報告書によると、第一国民学校の1年生175人のうち108人が死亡。佐々木さんを含む67人が重傷となっています。
都築教授たちが調査を行った背景には、アメリカからの要請がありました。アメリカ調査団の代表、オーターソン大佐が、このデータに強い関心を示していたのです。

アメリカ陸軍病理学研究所(ワシントン郊外)
ワシントン郊外にあるアメリカ陸軍病理学研究所。日本からのデータはすべて、ここに集められました。オーターソン大佐は、調査の結果を、『原爆の医学的効果』と題する6冊の論文にまとめていました。

アメリカ陸軍病理学研究所の職員(英語)
「第6巻には、子どもたちの被害のデータがあるので、政治的配慮から機密解除が遅れました」

17,000人を越す子どもたちのデータから導かれたのは1つのグラフでした。爆心地からの距離と死者の割合を示す『死亡率曲線』です。
原爆がどれだけの人を殺傷できるのか、世界で初めて具体的に表したこのグラフは、アメリカ核戦略のいしずえとなりました。

こうしたデータをもとに、当同時、アメリカ空軍が行っていたシミュレ―ションです。ソビエト主要都市を攻撃する為に、広島型の原爆が何発必要かを算出していました。

オーターソン大佐の研究を引き継いだ、カリフォルニア大学名誉教授ジェームズ・ヤマザキ氏(94歳)です。死亡率曲線は、広島と長崎の子どもたちの犠牲がなければ得られなかったと言います。

カリフォルニア大学名誉教授ジェームズ・ヤマザキ氏(94歳)
「革命的な発見でした。原爆の驚異的な殺傷能力を確認できたのですから。アメリカにとって極めて重要な軍事情報でした。まさに日本人の協力の賜物です。貴重な情報を提供してくれたのですから。」

建物疎開の作業中被爆し、多くの同級生を失った佐々木妙子さん。友人たちの死が、日本人の手によって調べられ、アメリカの核戦略に利用されていた事を、初めて知りました。

佐々木妙子さん
「馬鹿にしとるね・・・言いたいです。私は・・・(長い沈黙の後で)残念ですね・・・手を合わせるだけのことです。私にはもう何も出来ません・・・(深ため息と合掌黙祷する佐々木妙子さん)」

日本が国の粋を集めて行った原爆調査。参加した医師はどのような思いで被爆者と向き合ったのか?
山村秀夫さん。90歳。都築教授ひきいる東京帝国大学調査団の一員でした。当時、医学部を卒業して2年目だった山村さん。調査は全てアメリカの為であり、被爆者の為という意識は無かったと言います。

元東京帝国大学調査団 山村秀夫さん(90歳)
「だって、結果は、日本で公表することも、勿論ダメだし・・・お互いに、持ち寄ってですね、相談するって事も出来ませんから。とにかく、自分たちで調べたら、全部、向こうに出すということ・・・」

山村さんが命じられたのは、被爆者を使ったある実験でした。報告書番号23。山村さんの論文です。
被爆者にアドレナリンという血圧を上昇させるホルモンを注射し、その反応を調べていました。12人のうち6人は、僅かな反応しか示さなかった。山村さんたちは、こうした治療とは関係ない調査を、毎日行っていました。調べられる事は全て行うというのが、調査の方針だったと、(山村さんは)言います。

元東京帝国大学調査団 山村秀夫さん(90歳)
「とにかく、生きている人が生体に、どのような変化が起きているか。少しでも何かの手がかりを見つけて調べるという事だけでしたから。それ以外はもう何も無いですよね。あんまり他の事も考えられなかったですよねぇ・・・。とにかく、それだけ(言われた通りの事だけを)やるっていうことで」

NHKスタッフ
「今となってみたら、どうお感じですか?」

山村秀夫さん
「今となって見たらねぇ・・・、そうですねぇ・・・まぁ、他にもっと良い方法があったのかもしれないけれど・・・だけど今とは全然、違いますからね。その時の社会的な状況がね」

亡くなった被爆者も調査の対象になりました。救護所で亡くなった被爆者は、仮設の小屋などに運ばれて次々と解剖されたといいます。200人を越す被爆者の解剖結果は14冊の報告書にまとめられています。
その1冊に子どもの解剖記録が残されていました。報告書番号87。
解剖されたのは長崎で被ばくし亡くなったオノダマサエさん。まだ11歳の少女でした。

マサエさんの遺体はどのようないきさつで提供されたのか?長崎に遺族がいる事が分かり訪ねました。

マサエ(政枝)さんの甥に当たる小野田博行さんです。
「これが、ただ一枚のですね、政枝おばさんが4歳の時の写真なんです」

政枝さんが解剖された経緯を、博行さんは、父、一敏さんから聞いていました。

被爆した政枝さんは長崎市中心部の救護所に運ばれていました。兄、一敏さんが駆けつけた時、政枝さんは高熱にうなされ、衰弱しきっていたといいます。

小野田博行さん
「亡くなる前にですね・・・まぁ、何時間か前ぐらいじゃないかと思うんですけれども・・・『兄ちゃん、家に連れて帰って』その言葉が、最後の言葉だったらしいですね・・・」

一敏さんが政枝さんの遺体をおぶって連れて帰ろうとした時、救護所の医師たちが声をかけてきたといいます。

小野田博行さん
「病院の先生たちが『将来のために、妹さんを、その・・・解剖のほうに預けて頂けないか』という話を、オヤジ(父親)のほうにしたらしいですね・・・。一応は断わりを入れたらしいですけど、やはりオヤジもたくさんのああいう亡くなった方たちを見ておりますもんで、やっぱりお渡しする気になったんではないかと、思うんですよね。将来のためにもという思いで・・・」

「被爆者の為に役立てて欲しい」と医師に託された政枝さんの遺体。その後、どうなったのか?家族に知らされることはありませんでした

正枝さんたち被爆者たちの解剖標本は、報告書と共にアメリカに渡っていました。放射線が人体に及ぼす影響をより詳しく調べるために利用されました。そして昭和48年、研究が終わった後に日本に返還され、今は広島と長崎の大学に保管されています。

小野田政枝さんの標本が、長崎大学にあることが分かりました。
博行さんが写真でしか知らない政枝おばさん。

長崎大学 医学部職員
「ご説明させて頂きます。これが政枝さんのプレパラート標本5枚になります」

小野田博行さん
「ははぁ・・・」

政枝さんは肝臓や腎臓等を摘出され、5枚のプレパラートになっていました。

小野田博行さん
「はぁ・・・(しばしため息)・・・これがおばさんですかねぇ・・・こんな形でお会いするとは思いもしませんでした・・・はぁ・・・(嘆息)」 

アメリカでつけられた標本番号は249027。
原爆被害の実態を伝えて欲しいと提供された11歳の身体が、被爆者の為に生かされることはありませんでした。

続く

#封印された原爆報告書 #広島原爆 #死亡率曲線 #子どもたちの死が殺傷能力を確かめるサンプルに #都築正男 #原爆の医学的効果 #ジェームズヤマザキ #東京帝国大学調査団 #被爆者 #解剖標本

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明日に向けて(2446)日本陸軍は原爆被害をすぐに調査しアメリカに差し出していた-(再掲 NHK「封印された原爆報告書」より―1)

2024年08月16日 12時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240816 12:30)

NHKスペシャル『封印された原爆報告書』(2010年放映)をご紹介します

この間、過去にNHKが報じた原爆に関するすぐれた番組の全文文字起こしの再掲を進めています。すでに『原爆死 ヒロシマ 72年目の真実』(2017年放映)、『原爆と沈黙~長崎浦上の受難~』(2017年放映)、『原爆初動調査 隠された真実』(2021年放映)を掲載しましたが、今回、続いて『封印された原爆報告書』を掲載します。2010年8月6日に放映されたものです。

「明日に向けて」や講演でたびたび触れてきたものですが、2020年11月に、ちょうど発効を前にした核兵器禁止条約の批准を日本政府に迫るため全文文字起こしを掲載しました。
なお文字起こしは、「パレスチナに平和を京都の会」の諸留能興(もろとめよしおき)さんが行ったものをベースにさせて頂いています。諸留さんに深く感謝申し上げます。

*****

封印された原爆報告書(NHKスペシャル2010年8月6日放送)

ナレーション
アメリカ国立公文書館の映像資料室。ここに終戦直後に日本で撮影されたフィルムが残されていました。映し出されたのは原子爆弾が投下され、焼け野原となった広島。
被害の実態調査にあたる日本の医師と科学者たちです。広島・長崎に送りこまれた調査団はあわせて1300人。被爆地でしか得ることのできない原爆の詳細なデータを集めていたのです。

アメリカ国立公文書館
日本の調査団がまとめた膨大な記録が、GHQの内部文書を集めた書庫の中に眠っていました。

書庫の職員(英語)
「これが日本の科学者が作成した181冊の原爆報告書です。」

報告書は全部で181冊。あわせて1万ページにおよびます。今回私たちは初めてそのすべてを入手しました。そこに記されていたのは被爆国日本が自ら調べ上げた生々しい被害の実態です。
学校にいた子どもたちがどこでどのようになくなったのか。教室の見取り図に丸印で書き込まれています。
放射線が人間の臓器をどう蝕んでいくのか。200人を超す被爆者の遺体を解剖した記録もありました。
調査の対象となった被爆者は2万人にのぼりました。治療はほとんど行われず、原爆が人体に与える影響を徹底的に調べていたのです。

調査された被爆者
「『立て』と言われたら『はい』 『向こう向け』と言われたら『はい』」
「『お前、モルモットじゃ』と言われたような気になりました。」

報告書はすべて日本人の手で英語に翻訳されていました。被害の実態を調べた貴重な記録はすべて原爆を落とした国、アメリカへと渡されていたのです。
私たちは原爆調査を知る数少ない関係者を日本とアメリカで取材しました。ていった。そこから浮かび上がってきたのは、被爆者の治療よりもアメリカとの関係を優先させていた日本の姿です。

元アメリカ調査団医師
「日本の報告書の内容はまさにアメリカが望んでいたものでした」

元日本陸軍軍医少佐
「早く持っていった方が心証がいいだろうと。原爆のことはかなり有力なカードであったのでしょうね」

唯一の被爆国として原爆の悲惨さを世界に訴えてきた日本。その一方で被爆者のために活かされることのなかった181冊の報告書。
被爆から65年。封印されていた原爆報告書は何を語るのか。今、明らかになる原爆調査の実態です。

タイトル
封印された原爆報告書

65年前世界で初めて原爆が投下された広島。あの日、街は一瞬にして焼け野原となりました。
爆心地から4キロ離れた海沿いに、戦火を逃れ、当時のままに建っている建物があります。
旧陸軍病院宇品分院。のちに181冊にまとめられる最初の調査が、ここで行われました。

収容された被爆者は2ヶ月間で、延べ6000人にのぼりました。
みな、むしろのような布団の上に寝かされていたといいます。


大本営のもと、宇品での調査を指揮したのは陸軍省医務局です。原爆投下からわずか2日後の8月8日。広島に調査団を派遣し、敵国アメリカが使った新型爆弾の調査に乗り出していました。
調査の結果は、1冊の報告書に纏められました。タイトルは『原子爆弾に依る廣島戦災医学的調査報告』。
被爆した人が、どのように亡くなっていくのか?放射線が体を蝕んでいく様子が、詳細なデータと共に記録されています。

調査を受けた被爆者の一人が、生きていました。
沖田博さん。89歳です。宇品の病院で生死の境をさまよいました。
当時、広島の部隊にいた沖田さんは、爆心地から、およそ1キロの兵舎にいて被爆。
突然、体に異変が現れ、宇品に運ばれて来ました。病院に入っても治療はほとんど受けられず、毎日、検査ばかりが続いたといいます。


沖田博さん
「いつまで命があるかなぁ?・・・と、確めるためだったと思います。次々と死んでいくからね・・・。『こいつはいつまで生きんかな?』って、確認するためだと思いますね」

報告書には沖田さんの記録もありました。当時の危険な様子が克明に記されています。沖田さんの体温は、40度近くまで上がった状態が続いていました。白血球の数は1300。通常の4分の1程度にまで下がっていました。
家族の必死の看病で一命をとりとめた沖田さん。その後は恢復の過程が調査の対象となりました。
その時、撮影された沖田さんの写真です。放射線の影響で抜けていた髪の毛は、少しずつ生え始めていました。嫌がる沖田さんにかまわず、様々な検査が2ヶ月間、続けられたといいます。




沖田博さん
 「『お前、モルモットじゃ!』って、言われたような気になりました。
『こん畜生!』言いたいんだけれども、言えない・・・。僕自身の中で、『ええい、くそっ・・・!』思いながら、あんまり、態度なんかには出せませんでしたけんね・・・」

広島と長崎に相次いで投下された原子爆弾
その年だけで、合わせて20万人を越す人たちが亡くなりました。
原爆投下直後、軍部によって始められた調査は、終戦と共にその規模を一気に拡大します。国の大号令で、全国の大学等から1300人を超す、医師や科学者たちが集まりました。調査は巨大な国家プロジェクトとなったのです。

2年以上かけた調査の結果は181冊。1万ページに及ぶ報告書に纏められました。
大半が放射線によって被爆者の体にどのような症状が出るのか調べた記録です。日本はその全てを英語に翻訳し、アメリカへと渡していました。

ワシントン アメリカ国立公文書館
何故、自ら調べた原爆被害の記録を、アメリカへと渡したのか。その手がかりをアメリカ公文書館に保管されている報告書の中に探しました。
日本が提出した調査記録の片隅に、ある共通するアメリカ人の名前がありました。
「to Cal Oughyerson」 オーターソン大佐へと書かれた、その人物とは?

アシュレー・オーターソン大佐。(アメリカ陸軍)
マッカーサーの主治医で、終戦直後に来日した、アメリカ原爆調査団の代表です。


オーターソン大佐と共に日本で調査にあたった人物が、カリフォルニアにいました。
フィリップ・ロジ氏92歳。アメリカ調査団のメンバーに抜擢された最も若い医師でした。
ロジ氏はアメリカ調査団が(日本に)到着するとすぐに、日本側から報告書を提出したいという申し出があったと言います。

ロジ氏
「オーターソン大佐は、大変喜んでいらっしゃいました。日本がすぐに協力的な姿勢を示してくれたからです。
日本は、私たちが入手できない重要なデータを、原爆投下直後から集めてくれていたのです。まさに被爆国にしかできない調査でした」

オーターソン大佐に報告書を渡していたのは、原爆調査を指揮する陸軍省医務局の幹部でした。
小出策郎軍医中佐。30歳代の若さで医務局に入ったエリートです。陸軍が最初に行った調査の報告書も、すべて英語に翻訳されてオーターソン大佐に渡されていました。

何故、小出中佐は終戦前から軍が独自に調べていた情報をアメリカに渡したのか?
当時の内情を知る人物が生きていました。陸軍の軍医少佐だった三木輝雄さん。94歳です。陸軍軍医のトップ、医務局長を勤めた父を持つ三木さん。終戦時は軍全体を指揮する大本営に所属していました。
報告書を提出した背景には、占領軍との関係を配慮する、日本側の意志があったと言います。

「いずれ要求があるだろうと・・・。その時は、どうせ、持っていかなけりゃいけんくなる・・・と。それなら、早く持って行ったほうが、いわゆる心証が良いだろう・・・という事で。それで要求が無いうちに持っていった・・・」

NHKスタッフ
「その『心証を良くする』っていうことは、何のために心証を良くしようとしたのでしょうか?」

・・・長い沈思の黙考・・・

「731(石井細菌部隊)のこともあるでしょうね・・・」

化学兵器の訓練をする日本軍の白黒写真


三木さんが言う731部隊は、生物・化学兵器等の効果を確認するために、満州で(中国人や満州人・朝鮮人などの)捕虜を使った人体実験を行ったとされる特殊部隊です。
終戦を前にしたポツダム会談で、アメリカを初めとする連合国は、捕虜虐待などの戦争犯罪に対し、厳しい姿勢で臨む事を確認していました。

小出中佐は陸軍の戦後処理を任された一人
終戦を迎えた8月15日。小出少佐に極秘命令です。
「敵に証拠を得られる事を不利とする特殊研究は、すべて証拠を隠滅せよ」


大本営にいた三木さんは、動揺する幹部たちの姿を間近で見ていました。
戦争犯罪の疑惑から逃れるためにも、戦後のアメリカとの関係を築くためにも、原爆報告書を渡すことは「当時の国益に叶うものだった」と言います。

三木輝雄さん
「新しい兵器を持てばその威力っていうものは、誰でも知りたいものですよ。
カードで言えば有効なカードがあまり無いので、原爆のことはかなり有力なカードだったんでしょうね」

自ら開発した原子爆弾の威力を知りたいアメリカ。そして、戦争に負けた日本。原爆を落とした国と、落とされた国。二つの国の利害が一致したのです。

続く

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