明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(878)新宿決起は義挙だ!憲法9条を守り抜こう!

2014年06月30日 23時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140630 23:30)

すでにさまざまな形で伝わっているように、昨日6月29日、東京の新宿で、集団自衛権に反対する男性が歩道橋の上に登り、暫くメガフォンで主張を述べた後に自らに火を放ちました。
火は男性の全身を覆いましたが、周りにつめかけていた消防隊がただちに放水を開始。マットを敷いた床に男性を落としてさらに消火を継続しました。男性は一命はとりとめたと報道されています。

この男性の行為がさまざまな形で伝わっていますが、まずはっきりと自分の意見を述べたいと思います。
彼の新宿決起は義挙です!!日本の若者が人を殺し、殺されることに派遣されようとすることを、命をはって食い止めようとされたからです。断固支持します!
彼は自らに火を放つ前に、与謝野晶子の「君死にたまうなかれ」を読まれたそうです。
そうです。私たちはこの国の若者に、人殺しをさせてはいけない。殺される場に立たせてもいけない。若者の命がかかっているのです。そのために男性は命賭で訴えを敢行したのです。

これまで世界の中でもこうした決起は繰り返し起こってきました。お隣の国、韓国では1970年、平和市場の22歳の青年、全泰壱(チョンテイル)が、当時の悲惨な労働者たちの実情の改善を訴え、自らに火を放って「僕の死を無駄にするな」と叫び、絶命しました。
当時の韓国は軍事独裁下の国。労働運動にも激しい弾圧が繰り返されていました。その韓国政府を強力にバックアップしていたのが、日本の自民党政府でした。
チョンテイル青年はその理不尽な体制に命をかけて抗議を行いました。そしてその思いは瞬く間に韓国全土に伝わり、独裁政権を揺るがす民主化の大きなうねりが起こっていったのです。
このインパクトは日本にも波及してきました。だんだんに彼の思い、決起にいたる過程の出来事、彼の遺した言葉が伝わり、私たちの心を揺り動かし、韓日の民衆連帯のもとでの、独裁を倒す努力が重ねられていったのです。

僕自身も1977年、高校3年生のときに、チョンテイル青年の決起のことを知り、ものすごい衝撃を受けました。そして彼の思いをシェアしたくて、日本の中での韓国民主化支援運動に起ちあがりました。
僕が許せなかったのは独裁政権を自民党政府が支えていることでした。そのため日韓定期閣僚会議反対集会に赴きました。
当時の、韓国軍事政権と連携していた日本の警察も、今よりもずっと暴力的だった。警官隊とデモ隊との衝突でもみくちゃになるなかで、僕は機動隊に「公務執行妨害」の名目で逮捕され、警視庁丸の内署に留置されました。高校3年生の9月の時でした。
そのとき留置場に韓国の若者たちの獄中記が差し入れられ、むさぼるように読んだことを覚えています。韓国の若者たちはみな「チョンテイルの死を無駄にしない」との決意で、圧政に立ち向かっていました。

今の日本はあのときの韓国と同じではありません。私たちにはまだまだ強い人権がある。しかし今や国会は完全に骨抜きにされています。憲法と言う国の根幹をなし、政権を制限する法典が、議員たちの論議も経ない閣議決定で捻じ曲げられようとしています。クーデターです。
それだけではありません。膨大な数の人々が本来、飲み食いも、寝ることも禁止されているはずの放射線管理区域の中に今も住まわされている。当然にも行うべき国の保障のもとでの避難が行われていません。国家が何も責任をとっていないのです。
さらに「原発関連死」で少なくとも約1500人もの福島の方が亡くなっているのに、つまり東電がそれだけの人を殺害しているのに、ただの一人の逮捕者も出ていない。
今は私たちの国の法律はぐちゃぐちゃなのです。法的正義がまったく通らない。憲法違反が堂々とまかり通ってしまっている。それなのに政府は東京オリンピックという「平和の祭典」をやれるとさえ思っている。

そんな状況の中で、今、さらに憲法9条が解体され、自衛隊が他国に行って、米軍を守るために戦わされようとしている。戦後、唯の一人も海外の人を殺したことのない自衛隊が初めての殺人をさせられようとしています。
当然にも自衛隊の若者にも死が強制されることになります。命の問題が差し迫っている。だから彼は自らの命を差し出す決起を行ったのでしょう。
胸が震えます。もちろんすごく痛いし悲しい。でもそれは全泰壱(チョンテイル)の死を知った時の衝撃と重なります。だから僕は彼の義挙に感謝し、心からの支持を表明したい。そもそも若者のために命を投げ出した行為が誰からも支持されないなんてそんなことあってはならない!
「命を粗末にするな」とか言う声も聞こえます。でもそれは安倍政権にこそ向けるべき言葉です。公明党幹部にこそ向けるべき言葉です。安倍自民党と公明党幹部がこの国の若者に人殺しをさせ、殺されることを強制しようとしているのです。問題の本質はここにこそある!

さらに付け加えたいのは次のことです。とくに心ある公明党員のみなさん、創価学会員のみなさん。聞いて下さい。
私たちの国、あるいはアジアでは、これまでの歴史の中で僧侶たちが繰り返し衆生の幸せのため、自らの命を投げ出してきました。自らの命を捧げることこそ最も高貴な供養とされてきました。
私たちの国や東アジアの仏教の中心にあるのは法華経の教えです。その巻第七の薬王菩薩本事品第二十三には、一切衆生喜見菩薩という求道者が出てきます。
彼は法華経に学んだ後、「神通力によって奇蹟を現したとて供養にはならない。自分の肉体を捨てることによって供養するにしくはない」と考えていきます。

そうして「沈香・乳香・薫陸香(くんろくこう)の樹脂を食べ、チャンパカの花の油を飲」んで12年を過ごしたのち、次のような行為に及んだのです。
「自身の肉体を天上の衣服でつつみ、香油にひたし、堅い決心をした。彼は決心をしたのちに、如来と『正しい教えの白蓮』という経説に供養するために、自分の身体に点火した。」
これに対して、「80のガンジス川の砂にひとしき尊き仏たちが、すべて、彼の行為を賞賛し喝采した」とあります。
彼らは「立派だ。これこそ偉大な志を持つ救法者たちの発揮しうる真の勇気であり、これこそ如来への真の供養であり、教えへの真の供養である」と述べたのです。(引用は『法華経』(下)岩波文庫より)

こうした教えを受けて、本当にたくさんの僧侶が命を投げ出してきました。飢饉のとき、あるいは天変地異のときに、集団で入水していく僧侶たちすらいた。歴史にたくさん記録されています。
さらにアジアに目を移すならば、ベトナム戦争のときに、ベトナムの僧侶たちがアメリカの侵略に抗議して自らに火を放ちました。苦しむ衆生のために自らを捧げたのです。
チベットでも、中国の抑圧に抗議してたくさんの僧侶たちが身体に火を放っています。
そしてそれらが世論を動かし、歴史を動かし、人々の幸せの拡大につながっていったことが実際にたくさんありました。それらの一つ一つが義挙でした。

法華経は仏典の中でも非禁欲的で、人々が豊かになり、喜びを増やし、幸せになることこそを奨励している経典です。
それは諸教の中でも明るい経典であり、だからこそ、東アジアで絶大な人気を誇り、語り継がれてきました。京都を中心に日本に浸透している「おもてなし」の精神もその出発点は法華経にあると僕は解釈しています。
法華経は、真理のため、衆生のために命を投げ出すこともまた最高の生き方として、喜びとして説いている。それは宗派をこえて私たちの集合的無意識の中にまで織り込まれているものと言っても良いのではないでしょうか。
この世で最高の喜びとは何か。人を喜ばすこと、人を幸せにすること、人の笑顔をみることにある。そのためだったらわが身を投げ出しても悔いはない。そんな思いが私たちのアジアには大きく漂っているのではないか。中国にも、韓国にも、北朝鮮にも、他の国々にもです。

安倍政権はこのまったく逆をいく政権です。その証拠に、東北・関東の人々が被曝で悶絶の苦しみの中にいるのにまったく助けようとしない。それどころか「今も未来も健康被害はまったくない」などと大嘘をついて被害者を踏みしだいている。
アメリカが「大量破壊兵器をイラクが隠し持っているから」とのいいがかりで始めたイラク戦争に対しても「大量破壊兵器がないことを証明しなかったイラクが悪い」と開き直る始末。いいがかりの末に大量に殺害したイラクの人々への痛みをかけらも持ってないのです。
ちなみにイラク戦争のときに首相としてアメリカを全面的に支持したのは小泉氏であり、官房副長官だった安倍氏です。安倍氏は明確にイラク戦争の責任者の一人なのです。彼はそのことを問われたと思って逆切れしたのでしょう。
その安倍氏がありもしないような「想定」を持ち出し、これまでの自民党の憲法解釈=国民への約束すら軽々と捻じ曲げて、戦争に日本の若者を駆り立てようとしているのです。これを止めずして一体どうするのか。そう考えて男性は起ちあがったのです。

その決起のインパクトが今、世界中を駆け回っています。凄い力です。世界の多くの国の人々が、日本が自国軍隊の戦闘を禁止する憲法を持っていること、それを安倍政権が変えようとしていること、これに対して命をかけて止めようとする日本人がいることを知ったのです。それはどれだけ私たちの力になったことでしょうか。
またアメリカの戦争に加担しようとしているのが、ウルトラナショナリストの安倍政権と大多数の党員を裏切った公明党幹部たちだけであること、これに対して大きな反対の声があることもまた世界中に示されつつあります。今後、世界の報道は私たちのデモもおいかけてくれるでしょう。それは私たちをウルトラナショナリストの安倍首相とを分けて見る眼を世界に与えてくれるでしょう。
それやこれや本当にたくさんの意味で、この男性は私たちに大きなプレゼントをくれました。心から感謝したいです。そうして彼の熱き思い、身を焦がしてまでも若者たちを守ろうとする、深く優しい心を共有したいと思います。
そしてここまで書いて付け加えたいのは、焼身という行為は、やはりあまりにも心が痛いし悲しいということです。とにかくまずは助かって欲しい。元気になったらお会いして一緒にデモをしたい。そうしていつかどこかで「憲法9条を守れたね」と笑い合いたいです。

最後に新宿で決起された男性にメッセージを送ります。


新宿のあなたへ

あなたはあなたの
命をかけた

若者たちのために
未来のために
真実のために
愛のために
平和のために

深く胸を打たれ
感謝し
共感し
続こうと思うのだけれど

でもあたなよ
死なないでください
どうか
生き延びてください
一緒に
歩んでください

このまま
あなたと出会わずに
あなたの声を聞けずに
あなたのいない世界を
迎えたくはない

あなたと一緒に
若者たちの
子どもたちの
柔らかい笑顔が見たいのです

だから
あなたの決起を
心の底から支持しながら
僕は
生きてくださいと
あなたに叫びます

ともに
一緒に
みんなで幸せを紡ぎ出して
笑い合いましょう

いつの日か
必ず

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(877)東電にいじめられズタズタ・・・こんなこと、絶対に許していてはいけない!!

2014年06月29日 09時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140629 09:30)

今日(6月29日)はこれから龍谷大学に向かい、飯舘村の人々を撮った映画『遺言 原発さえなければ』監督の豊田直巳さんとのジョイント講演・対談に赴きます。
その朝に、郵送で購読している東京新聞6月27日付けの「こちら特報部」の記事を読んで、なんとも胸が痛みました。
タイトルは「東電にいじめられズタズタ 福島の被災者は苦しんでいる」です。
「こちら特報部」は左右見開きページになっていますが、左面には「心のケアでは解決せず・・・法整備しかない お金いらない元にもどして」とのタイトルも。

記事は今月4日に、福島県浪江町から避難して、二本松市の仮設住宅で1人暮らしをしていた男性が亡くなっていたのが発見されたことから説き起こされています。
男性は74歳。死因は心筋梗塞だったそうです。ご冥福を祈るばかりです。
仮設住宅での孤独死は仮設住宅で暮らす浪江町民に限っても、この2か月で3件あったそうです。

記事はさらに、専門家の立場から、被災避難者の支援を続けている「震災支援ネットワーク埼玉(SSN)」が、早稲田大学と共同で行った、埼玉と東京に避難中の3599世帯を対象とした調査について触れています。
4月末までに回収したアンケート600件の分析で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の可能性のある人が57.7%もいることが分かったそうです。
胸が詰まるのは自由記述欄に書かれた言葉です。紙面に掲載されたものを引用します。

「夫婦ともにうつ。家族全員が被ばくをしている。生きていてもしかたがない。一家心中を考えている」(双葉町から埼玉に避難・42歳女性)
「頭が円形はげになったり、歯が9本も折れたり抜けたり、薬が増えたり、身体も精神も東電にイジメられてズタズタです」(南相馬市から埼玉に避難・50代男性)
「避難してうつになり、家事もできなくなったり、心身共につらくて仕方ないです。自殺を考えたくなる」(浪江町から東京に避難・45歳女性)
「ハローワークにどれほど通ったか分かりません。(中略)損害賠償請求は一度もしていない。手持ちの現金を使い果たし焦ってきているが、気力が出ず、請求ができない」(大熊町から埼玉に避難・57歳女性)

この記述に対して、調査を主宰した早稲田大学辻内琢也准教授(医療人類学)は次のようにコメントしています。
「この精神的苦痛は、心のケアでは根本的に解決しない。被災者が分断され、PTSDの質が深刻化している。解決策は法整備しかない。子ども・被災者支援法を機能させ、自主避難を含めて社会がきちんと対等する制度が必要だ」。
・・・まったくもってその通りです。

記事の紹介はここまでにしますが、ともあれ私たちは「身体も精神も東電にイジメられてズタズタです」という本当に悲痛な声を、心の底で受け止めて、行動していく必要があります。
辻内准教授の言うように法的整備が必要です。それももう余裕などない。多くの方たちがぎりぎりの状態におかれています。
「いじめ」ているのは東電だけではありません。バックにいるのは日本政府であり、被災者無視の姿勢を支持している人々です。
まさに今、東電と政府による被災者虐待が横行している。明白な暴力がたくさんの人に振るわれています。

しかもそれが放射線被曝の中で起こっています。
「夫婦ともにうつ。家族全員が被ばくをしている。生きていてもしかたがない。一家心中を考えている」という訴えが、そのことを絞り出すように突いている。
あんなにひどい事故をおこした東電が誰一人も罰せられていないことそのものが人々を苦しめています。
しかも奥深い心的ストレスの上に、放射線被曝が襲ってきているのに、被曝の健康への影響もほとんど無視されたまま。その上、多くの被災者が金銭的困難にも襲われています。

にもかかわらずこの国は、事故の責任者をかばい続け、原発はコントロールされているとかの大嘘を通してしまい、被災地に背を向けて東京オリンピックに向かおうとしています。
そんなお金があるのなら、すべてを被災者対策と、福島原発事故の真の収束に投入すべきなのに、それをしないで東京オリンピックに向かおうとすること自身が、僕には巨大な暴力であるように思えます。

こんなひどいことを黙ってみているわけにはいかない。こんなにひどい虐待を見すごすことはできない。それは自分もまた暴力に加担することだからです。
心苦しいことですが、私たちは自らが懸命に動かなければ、いじめ、虐待の側に回らされてしまう構造の中にあります。だから私たちにはこのいじめを止めさせる義務があります。
そのためにどうしたらいいのか。端的に言って何でもいいからできることを探し、動き始めること。とにかく被災者を救うために思いつく限りのことをすることです。

今日の豊田さんとのジョイント講演と対談もそのための一つです。僕は映画『遺言 原発さえなければ』の製作自身が一つの義挙であると思っています。
この映画を通じて、飯舘村や福島、いやそれだけではない、被災したすべての人々の痛みをシェアできるからです。それは私たちの胸の内に新たな熱をもたらします。
だからまずはそこから始めて欲しい。映画は今後、自主上映も可能になるので、ぜひ各地で積極的にこの映画を呼び寄せて、上映会を行って欲しいです。

ただその際、僕がみなさんにおさえていただきたいのは、私たちはただ単に「東電にいじめられてズタズタ」な人々の思いだけをシェアするのではないということです。
その東電にいじめられた被災者の中から、たくさんの方が痛みをおして起ちあがり、原発事故の悲惨さをあっちこっちで訴え、世のため人のためにと行動しています。
ぜひそこもつかんで欲しい。いじめを許さずに起ちあがるのは社会的義務だと僕は語りましたが、他ならぬ被災者の中からたくさんの方がそうした起ちあがりを実現しています。

そしてその圧倒的な声、行動力、愛の力があるからこそ、今、私たちの国の原発は全部、止まっているのです。
あれほど横暴な安倍政権や自民党と、それをまったく止めることができない公明党や民主党の議員たちに私たちの国の国会の議席のほとんどが奪われる状態にありながら、なおかつ、原発はすべて止まっているのです。
福島の怒り、被災者の怒りが安倍政権すらも止めているのです。それが私たち全体の、命と暮らしの安全性を素晴らしく押し上げてくれています。
私たちはその恩義に応えなくてはいけない。愛を持って応え行動しなくてはいけない。

どうかみなさん。一緒に起ちあがりましょう。そして未来の人々に「あそこで歴史が変わったね」と言ってもらえるような何かを実現しましょう。
企画参加のため・・・熱き思いを抱えて・・・そろそろ家を出ます!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(876)「原発事故にどう備えるか 検証避難計画」―クローズアップ現代から(上)

2014年06月28日 23時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140628 23:00)

今回の表題は2014年3月5日に放映されたNHKクローズアップ現代のタイトルをそのまま拝借しています。
なかなか良く作られた番組でした。ヨーロッパ・トルコから帰国してだいぶん経ってから観ましたが、原発避難の現実をきちんと取材して報道してくれていることに感銘を受けました。
なにはともあれアドレスをご紹介しておきます。

原発事故にどう備えるか 検証 避難計画
NHKクローズアップ現代 2014年3月5日
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3472.html7

クローズアップ現代の凄いところは、放送内容のスクリプト全文を文字お越ししてアップしてくれていることです。
動画もダイジェスト版(6分31秒)が見れます。スクリプトの初めの方に「動画を見る」のボタンがあります。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3472_all.html

ぜひ全体をご覧になって欲しいのですが、番組がハイライトしてる点を取り上げると、福島原発事故のときに強制避難の対象となった原発直近の地域で、避難が非常に困難であったことです。
初めに出てくるのは原発から4キロに位置していた双葉厚生病院の例。看護師の渡部幾世さんが登場しています。
原発事故が起こった時、この病院には寝たきりのお年寄りを含む130名以上の方が入院していました。

国は避難指示を段階的に3キロ、10キロ、20キロと出し、双葉厚生病院も10キロ圏内に避難指示が出されたときに移動を開始しましたが、すでに周辺の道路では渋滞が発生。
緊急に近くの町の病院に移るだけで5時間以上がかかってしまい、病院到着後に亡くなってしまう方が出ました。
渡部さんは「申し訳ないというのもあります。 無理な移動がなければ、こんな早く亡くなることは無かったかなと思う」と述べています。

番組はなぜ政府が段階的に避難指示を出したのに、交通渋滞が発生したのかと問い、調査してみると実際には避難指示が出る前に周辺住民の自主避難が開始されていたことをつかみました。
分析を行った東洋大学の関谷直也准教授は次のようにコメントしています。
「原子力事故というものが、相当以上に人々に恐怖感を与えた。どこまで避難すればいいのか、どこが安全、どこが危ないのか、わからない状況での避難だった。段階的避難させていくとしても、そう簡単にいかないことがわかった。」

ここでノンフィクション作家の柳田邦夫さんが番組のコメンテーターとして登場し、次のような指摘を行っています。
「これから原発というものを、仮にでも稼働するとなると、この避難計画というのはとても大事な意味を持つんですが、なぜかと言うと、福島原発事故の最大の教訓をあえて2つ挙げれば、1つは、災害というのは科学的に想定したつもりでも、それ以外の何かとんでもないことが起こりうる、それに備えられるかどうかということと、
それから地域の住民の安全、命や健康の安全、これを考えるにあたっては、原発のプラント自体がいかに技術的に安全ですと保証されたにしても、今度は住民の目線に立ったときに、本当に大丈夫なのか、想定外のことが起こったときどうするんだという目線から言うと、
最悪の事態を前提にした避難計画というのが、技術的なプラントの安全性とは独立して、きちっと確立されていないと、住民の命は守られないという、これが最大の教訓であるわけですよね。」

その上で実際に避難を準備するにあたって必要なこととして次の点を指摘しています。
「まずは、地域防災計画が綿密に、地域の特性に合って作られているということ、最悪の事態に備えて。それが住民一人一人に啓発活動の中で、地域として徹底している。
それから2番目には、それが実際に避難できるのかどうかを、全員参加の訓練でやって、その実効性を試さないといけないと同時に、住民が避難を体で覚える。
どういう避難のしかたをしなきゃいけないのか、これを体で覚えるということとか、さらには、いざ事故が起こったときに、正確な事故情報、避難指示っていうのがきめ細かく伝わるということ。
さらには地域にある病院とか福祉施設、あるいは老人施設、そういう体の動かないような人たちをどうするかという問題とかですね、さまざまな問題があって、それが一つ一つが全部クリアされて初めて、避難計画っていうのが意味を持ってくるわけです。
これは大変な作業です。」
柳田さんはこれを一自治体に任せず、国が責任をとってやるべきだと述べています。

続いて、では避難のできない人が病院などで屋内退避をする時に、誰が残ってその人たちを守るのかという問題が生じるわけですが、番組は実際に南相馬市立総合病院で起こった実例を追いかけていきます。
院長の金澤幸夫さんは4日目に病院に残るかどうかを職員の自己判断に任せることにしました。すると3分の2の職員が離れていった。このとき病院を離れた側と、病院に残った側の看護師さん、そして金澤院長がそれぞれ次のようにコメントしています。

看護師 佐藤理香さん 
「ふだんあまり言わない子どもたちが、(病院に)もう行かないでって。
スタッフが頑張っていたのを知ってて、それでも(病院に)戻らなかった、戻れなかったというか、戻らなかったんですね。 最終的には自分の判断なので。
 今もつらいです、本当に。本当に無責任だったなと思って。」

看護師 小野田克子さん
「(娘に)『死んでもいいからお母さんのそばにいる』と言われて、そういうのを後から聞いた時に、なんて(自分)勝手というか。
 自分の好きなことをさせてもらったとしか言えない。」
小野田さんはいったん福島市に避難させた娘さんに、お母さんと離れたくないと言われて、娘さんと病院で寝泊まりしながら看護の仕事を続けましたが、娘さんを危険にさらしてしまったと考えています。

南相馬市立総合病院 院長 金澤幸夫さん
「看護師はすごく使命感があると思う。 残った人の半分以上は死ぬと思っていた。それだけ厳しい状況だったと思う。」
金澤さんは、あまりに大きな覚悟を迫ることにつながったと考えているそうです。

この3人の話を聞いて、玄海原発から26キロにある伊万里市の病院から、いざとうときのための視察に来た医師の山元謙太郎さんが次のように語ります。
医師 山元謙太郎さん
「避難する人もすごい後悔の念を持つし、残った方も後悔するし。 誰ひとり満足する人っていない。
 家族があったりして自分があって、生活してきている状況があるから、使命感一本だけとは限らないと思います。」

これを踏まえて柳田邦夫さんはこう述べています。
「これ、いみじくも原発災害というものの特異性を、端的に表していると思うんですね。
本当にこの心理や家族関係や、そういうことまで含めて、一人一人が抱え込んでしまうわけです。
それは看護師一人だけの問題ではなくて、被災した何万という数の、こういう困難な問題が生じるのが、まさに原発災害。
それが地域の避難計画や防災計画に関わる、大事なところなんです。」

「これに対して自治体や、施設の長や、それに対策本部に丸投げするのではなくて、国が基本的にはこうするという倫理の問題まで含めて、方針を出さないと解決しないですね。
例えばああいう防災とか、あるいは命を守る職業の人たちっていうのは、自分が去っても後悔が残る、残っても後悔が残る、いろんな問題抱え込む。」

「そのときにやっぱり、そういう義きょう心や、あるいは人助けというものの精神で燃える人っていうのは、自分の命を省みなくなってしまう。
それでいいのか。それを何か期待して、防災計画を立てちゃ絶対いけない。」
「大災害や原発災害のときに、そういう防災関係者、医療福祉関係者がどういう判断と行動をすべきか、これは基本的な方向づけっていうのを、国がなんか臨調みたいな問題を作って、議論すべきだと思うんですね。」


以上が番組の概略ですが、みなさんはどう思われますか?

こうした点に関して私たちは回答をすることが求められています。なぜなら原発災害対策は必ずたてなければならないものだからです。
何よりも、福島第一原発が、大きな余震の影響や、収束作業中の何らかのトラブルなどで、再び大きな危機に陥り、災害が拡大する場合を想定しておかなくてはいけない。
同時に、日本中の原発の燃料プールに、冷却水を失うと瞬く間に大変危険な状態に陥る使用済み核燃料が大量に入っているわけですから、この事故にも備えてなくてはなりません。
もちろん再稼働は安全性の問題からいって論外であり、稼働させないことこそ災害対策の第一歩ですが、他方で運転していない原発の事故にも私たちは備える必要があるのです。

さらに言えば、今や世界にたくさんの原発があるのですから、海外への赴任や転出、旅行中ばどに事故に遭遇することも十二分に考えられます。
その可能性も含めて、私たちは原発災害のときにどうするのかを徹底してシミュレーションしておく必要があります。
そのためにもこの番組で取り上げられた看護師さんたちの悲痛な声を、自分に引きつけて捉え、自分だったらどうするのかを考えてみていただきたいのです。

もちろん柳田さんは、まずは言うべき大前提を語ってくださっており、明快でありがたいコメントを発してくださっています。そうです。これはまずは政府が責任をとって考えるべきことなのです。
それは声を大にして要求し続けなければならないものですが、しかし安倍政権がまじめに取り組む可能性は残念ながらほとんどないでしょう。
同時にやはりこの問題は政府に任せておいて解決できるものではないことも見据えておく必要があります。私たち自身がこの問題に悩んで回答を出していかなくてはならないのです。

ではどう考えたら良いでのしょうか。まずはみなさん。考えてみてください。
今回は、長さも考えて、あえてこの問いを発するまでとし、次回に僕の考えを述べさせていただきます・・・。

続く

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(875)京都市(4か所)・加古川市・亀岡市・岡山市・瀬戸内市でお話します!

2014年06月27日 22時30分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20140627 22:30)

当面の講演等をご紹介します。

6月29日京都市
まずは目前の企画、6月29日に行われる豊田直巳さんとのジョイント講演、対談です。
「福島原発事故から3年 今、わたしたちにできること」
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=529223343866685&set=pcb.529224593866560&type=1&theater
(874)で詳報しましたので、それをご覧ください。

7月5日京都市
京都浄土宗西山禅林寺派 慈雲山恵光寺さんで子どもと大人向けにお話します。
タイトルは「震災と原発とフクシマの子どもたち」
午後2時から1時間です。

7月12日兵庫県加古川市
脱原発はりまアクション結成3周年記念の講演会です。
メインテーマは「チェルノブイリ後の世界ー私たちの今」
2部にわけてお話します。
第一部 ベラルーシ~ドイツ~トルコ脱原ツアー報告
第二部 どうなってるの?兵庫の原子力防災
午後1時半から4時です。

7月13日京都府亀岡市
亀岡市のガレリアかめおかでお話します。
タイトルは「内部被ばくと食べ物選び勉強会 ~原発事故後の日本で暮らすということ~」
午後1時半から3時半です。

7月22日岡山県岡山市
岡山市北区あゆみ保育園でお話します。
タイトルは「東京電力福島第一原発事故以降の日本で、生き延びるために何を食べるか、いかに食べるか」
午後6時から7時半です。

7月23日岡山県瀬戸内市
瀬戸内交流プロジェクト(保養キャンプ)でお話します。
タイトルは「放射能について語る」
午後2時から4時
啓明学院前島キャンプにてです。

8月9日、長崎原爆の日は、京都市内で2回お話します。
立命館平和ミュージアムで行われる「平和のための京都の戦争展企画」でのお話です。
「核開発と密接に絡んだ原発導入の歴史に関してがっつり学ぶ」(仮題)
午前10時から12時です。

京都被爆2世3世の会の学習会でお話します。ラボール京都です。
タイトルは「ドイツ・トルコ・ベラルーシの視察から学ぶ日本の現状と課題」
午後2時から5時です。

以下、詳しい案内を貼り付けておきます。

***

6月29日
「福島原発事故から3年 今、わたしたちにできること」
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=529223343866685&set=pcb.529224593866560&type=1&theater

日時:6月29日(日) 13時開場 13時半開会
場所:龍谷大学深草キャンパス22号館 101教室

講演内容:
豊田直巳氏によるスライドトーク
<「映画『遺言』?原発さえなければ」編集からこぼれたもの>
守田敏也氏による講演
<チェルノブイリとフクシマ後の世界で問われていること?ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて>
豊田さんと守田さんによるトーク

ふしみ「原発ゼロ」パレードの会 ブログより
http://nonukesfushimi.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

***

7月5日
京都浄土宗西山禅林寺派 慈雲山恵光寺 企画
 子どもと大人向けに分かりやすく原発のこと、福島のことを話します。

◎7月5日(土)  午後1時30分 ~3時30分
さんが・いちはらの 主催
 東北大震災支援プロジェクト「忘れないぞ 東北 Smile Again 2015」
たなばたまつり たなばた笹かざりを作って東北に届けよう

■会場:恵光寺 (~午後3時30分終了)
■1:30 たなばた・笹の飾り付け
■2:00お話:守田敏也先生
「震災と原発とフクシマの子どもたち」

★ 守田敏也先生 ☆
フリーライター。ナラ枯れの問題に深くかかわり、大文字山の害虫防除に参加。
 震災以後、全国各地で講演や支援活動を実施。著書は岩波ブックレット『内部被曝』など。

■3:00 流しそうめん大会

京都浄土宗西山禅林寺派 慈雲山恵光寺ホームページ
http://www.kyoto-ekouji.jp/

***

7月12日

脱原発はりまアクション結成3周年記念の講演会です
[メインテーマ]チェルノブイリ後の世界ー私たちの今
第一部 ベラルーシ~ドイツ~トルコ脱原ツアー報告
第二部 どうなってるの?兵庫の原子力防災

と き: 7月12日(土)13:30~16:00(開場13:00)
ところ: 県加古川総合庁舎1F 講座研修室
参加費:700円(避難者・18歳以下無料、障がい者と付き添い1名各半額)    

後で脱原はりま名物「1品持ちより交流会」あり。
なにか一品持ち寄るか、気持ちカンパ。

チラシ
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=672067146220950&set=gm.756747424375433&type=1&theater
脱原発ニュース
http://www.m-epoch.com/katudoyotei/20140712kakogawamoriyakouenkai.pdf

***

7月13日

「内部被ばくと食べ物選び」勉強会 ~原発事故後の日本で暮らすということ~

日時:2014年7月13日(日)13時30分~15時30分
場所:ガレリアかめおか 2F研修室
定員:予約制(40名程度を予定)
参加費:1,000円(お子様同伴OK)
http://kameoka.org/holding/event004/

***

7月22日

東京電力福島第一原発事故以降の日本で、生き延びるために何を食べるか、いかに食べるか

時間 18:00~19:30
場所 岡山市北区 あゆみ保育園

***

7月23日

瀬戸内交流プロジェクト
https://sites.google.com/site/seto80meet/

14:00~16:00
会場  啓明学院前島キャンプ

放射能について語る   参加費無料
守田敏也 講演会

全国各地の保養イベントで放射能について、世界の原発事情について講演会をしているフリーライターの守田さん。
食についてのお話しや、環境問題、防災の話など、幅広いテーマを子ども向けに分かりやすくお話ししてくださいます。
https://sites.google.com/site/seto80meet/gyouji/touken

***

8月9日

2014 平和のための京都の戦争展企画

核開発と密接に絡んだ原発導入の歴史に関してがっつり学ぶ(仮題)
10:00~12:00
立命館平和ミュージアム2F会議室

資料代300円
主催 放射能からこどもを守ろう親の会

***

8月9日

京都「被爆2世・3世の会」学習会のお知らせ

日 時 8月9日(土)14:00~17:00
会 場 ラボール京都(京都労働者総合会館)4階 第9会議室
お話 フリーライター 守田敏也さん
テーマ(仮題) ドイツ・トルコ・ベラルーシの視察から学ぶ日本の現状と課題
原発廃棄推進と放射能対策・原発事故被災者支援のために

昨年8月の「原発・内部被曝問題」学習会に続いて、今年も、原発・放射能対策・原発事故被災者支援等について学習会を行なうことにしました。講師は今年度も守田敏也さんにお願いしました。
守田さんは今年2月~3月ドイツ・ベラルーシ・トルコを訪問され、現地の詳しい状況を視察されてきました。これらの国、地域から見た日本の現状と課題についてお話しいただきます。
また『美味しんぼ』バッシングに象徴される放射能「安全神話」とでも言うべき状況があらたに繰り広げられようとしており、これに対する私たちのとりくむべき課題についてもお話ししていただきたいと思います。
学習会は「2世・3世の会」会員・賛助会員以外のどなたも参加できるオープン企画です。お近くの方、お知り合いにも是非ご案内下さい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(874)飯舘、福島の思いを分かち合おう!・・・映画『遺言』監督豊田直巳さんと対談します。

2014年06月24日 23時30分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20140624 23:30)

すでにお知らせしてきましたが、6月29日に京都市伏見区の龍谷大学で、映画『遺言~原発さえなければ』を撮ったフォトジャーナリストで監督の豊田直巳さんと対談します。
まず豊田さんが<「映画『遺言』~原発さえなければ」編集からこぼれたもの>というタイトルでお話します。
そのあとに僕が<チェルノブイリとフクシマ後の世界で問われていること~ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて>というタイトルでお話します。
その後、会場の方に主に豊田さんへの質問を紙に書いて提出してもらい、それをもとに僕が豊田さんをインタビューする形で対話に入りたいと思います。

この企画につながるものとして、5月25日に大阪西成区で飯舘村の酪農家、長谷川健一さんとジョイント講演と対談をしました。
IWJが取材してくださった映像がネットにアップされているのでご紹介します。
一部が長谷川さんのお話。二部が守田の話と長谷川さんとの対談と質疑応答です。

2014年5月25日「あの日から3年~福島は今、どうなっているか」長谷川健一氏×守田敏也氏 講演会
(第一部)
http://www.ustream.tv/recorded/47995676
(第二部)
http://www.ustream.tv/recorded/47997448

ずいぶん、いろいろな方がアクセスしてくださったそうですが、とくに対談について「こういう本音を語り合う集会は初めてみた」などの評価が著名な方からも集まったと聞いています。

確かにいろいろな「本音」が出た対談と質疑応答でした。
例えばその一つに司会の方から「リスクコミュニケーション」についてどう思うか問われたことがありました。「リスコミ」とは実際には「放射能は怖くない」という宣伝でしかないのですが、その話の中で安斎育郎さんが福島市で住むことは安全だと言っているがどう思うか・・・というような質問がなされたのです。
僕の周りには安斎さんを尊敬している方も、反対に激しく批判している方もいるのでちょっと困ったのですが、一生懸命、答えました。二部の1時間30分から10分ぐらいにこの話が出てきます。

また長谷川さんが「福島の高校生が「私たちは子どもを産めるんですか」と東電の社長に質問した。あるいはある地区の女子高生が「もう私は結婚なんてできない。できても怖くて子どもなんて産めない」と言ったことを聞かされた。
そのときどう考えていいかわからなかった。とにかくそんなことを思わせることが一番の罪だ」という話をされました。
それでは「子どもを産めない」という若い女性の声にどう答えればいいのか。僕なりに考えを述べました。ただしけしてまとまった、かっこいい答えなどではなく、実際にあるところである答え出して、あとでそれを批判されたことなどを話しました。
すると事故の直後に、女性が妊娠したお子さん夫婦との日々とフロアから語ってくださった方がいました。原発の近くに住まわれていた女性です。またこれを受けて、長谷川さんも、息子さんのお連れあいが事故があったまさにそのときに妊娠が分かったことを話してくださいました。
この話は二部の1時間56分ぐらいのところから出てきます。

今日の記事を書くために、あらためて録画を観て、「この対談と質疑応答は、文字起こししなくてはいけないな」と思いました。
今、それをお伝えできくて申し訳ないのですが、しかし何というか、この日の長谷川さんとのお話を通じても、僕は、飯舘や福島の痛みを私たちがいかにシェアすべきなのかという点についてクローズアップすることができたと思いました。
そんなに明確なものではないし、細かいところでは意見の分かれるところもたくさんあると思いますが、まず大事なのは、飯舘に、そして福島に起こったことをありのままに捉え、その上で、自分のイマジネーションをも働かせて、なかなか答えの出ない問いを自らも考えながら、そうした問いそのものの中にある痛みを分かち合うことだと思うのです。


僕が映画『遺言~原発さえなければ』を強く推すのもそのためです。実はこの映画は観る前から、正確には4分ちょっとの予告編を観ただけで強く推してきました。映画の主人公の長谷川健一さんをよく知っていたからであり、また監督の豊田直巳さんをよく知っていたからです。
誰よりも福島の痛みをストレートに語ってきたのが長谷川さんであり、かつ事故当初より、高線量地帯に飛び込んで映像を撮りつづけ、長谷川さんのもとに入ったのが豊田さんであったからです。
そこでできた映画が凄くないはずがないと思っていましたが、実際に、本当に圧巻でした。

3時間45分と長いのですが、とにかく、この映画を観ると、あの日の飯舘村に連れて行ってもらえます。そして村民の一員になったような気になり、そこに起こったことを観ることになります。
けして「悲惨さ」だけが描かれているのではない。飯舘の方たちの目線の柔らかさ、豊かさも同時に心に入ってくるのです。それもあってこそ、この事故の理不尽さを深いところからつかめるように僕には思えました。

なお5月の長谷川さんとの対談の中で、僕にとって嬉しかったのは、事故から3年経ち、映画が封切られて各地で上映が進む中で、長谷川健一さんの心の中に明るい風が吹き始めてもいるように感じたことです。
何より映画が大変な反響を呼び、どこでも大当たりしています。福島市での上映も、映画館の支配人さんの予想を大きく超えた来客があったそうです。
飯舘の痛みが分かち合われている・・・そのことに勇気づけられている長谷川さんの姿を見たように思います。

同時にその中で・・・これは二人での会話の時ですが・・・「そろそろみんな、黙っていねえど」という言葉も長谷川さんから出てきました。
飯舘の人々も、浜通りの人々も、故郷を追われ、避難生活に入り、その中で失った人と人とのつながりをはじめ、多くの「大切なもの」を取り戻そうとして必死になって歩んでこられました。
「謝罪」にきた東電役員に怒りを発したことはあったけれども、それ以上、刑事責任を追及したりすることはしてきませんでした。何よりも生活再建が先だった。
そして僕には、どこかで国や東電の良心を期待する優しさ、本当の謝罪や補償を待っている優しさが、飯舘の人々にあったのかなとも思います。

でも東電は本当にひどい対応しかしてこなかった。この国の政府がどれほど無責任で冷酷な人々なのかもわかりました。
それに対して長谷川さんは「そろそろみんな、黙ってねえど」と言われたように思えました。というか「みんな黙ってねえど」という言葉に続いてくる何かに僕は応えたいと強く思いました。

6月29日の豊田さんとの話では僕はそんな点を豊田さんがどう観ているのかということも聞きたいなと思っていますが、もちろんそれよりも会場のみなさんに、自由闊達に質問を出して欲しいと思っています。
そして一緒になって福島の、あの日から今日にいたるまでを、心象風景としてそれぞれの胸のうちに宿らせられたらなと思うのです。
それがこれからを私たちが生きていく上でとても大事なものになると思うからです。
なお、僕はこうしたことに花を添える形で、ドイツ・ベラルーシ・トルコで観てきたことをお話をしたいと思っています。

お近くの方、ぜひお越しください。
また遠方の方は、長谷川さんと僕のジョイント講演、対談をご覧いただけると幸いです。
また『遺言 原発さえなければ』は京都シネマで6月21日から7月4日まで上映中ですが、8月からは自主上映が可能になりますので、どうかぜひそれぞれのお住いの地域に映画を呼んでください。

以下、集会案内と映画の自主上映に関する情報を貼り付けます。

***

「福島原発事故から3年 〜今、わたしたちにできること〜」
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=529223343866685&set=pcb.529224593866560&type=1&theater

日時:6月29日(日) 13時開場 13時半開会
場所:龍谷大学深草キャンパス22号館 101教室

講演内容:
豊田直巳氏によるスライドトーク
<「映画『遺言』〜原発さえなければ」編集からこぼれたもの>
守田敏也氏による講演
<チェルノブイリとフクシマ後の世界で問われていること〜ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて>
豊田さんと守田さんによるトーク

一人目は「豊田直巳」さん。

フォトジャーナリストにして映画「『遺言』原発さえなければ」の共同監督。
難民や戦地で虐げられる人々を追って来た方です。311以降は被災地に入り多くの写真を届けてくれました。映画「遺言」の製作過程を交えてのお話を伺いたいと思います。

#映画「『遺言』原発さえなければ」は6月に京都シネマでの上映が決定しています

二人目はお馴染み「守田敏也」さん。

京都在住のフリーライター。前回、前々回とお世話になった守田さんに今年もお願いしちゃいました。
先日は体調が優れない中、ベラルーシ・ドイツ・トルコを歴訪。また、多くのお土産を持って帰ってきてくれたとの事です。

ふしみ「原発ゼロ」パレードの会 ブログより
http://nonukesfushimi.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

*****

映画『遺言 原発さえなければ』自主上映に関する情報
http://yuigon-fukushima.com/self/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(873)白血病で亡くなった被爆2世峯健一君のお話(平塚淳次郎さん談)

2014年06月20日 22時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140620 22:00)

明日に向けて(871)でアレン・ネルソンさんの話をご紹介しました。「憲法9条はいかなる国のいかなる軍隊より強い」と日本中を駆け回って講演してくださった元米兵の方です。
僕はネルソンさんの話は前から知っていましたが、あらためて彼の語ったことに耳を傾けたのは、6月11日に行われた「京都被爆2世3世の会」に参加してのことでした。
ネルソンさんが1996年に沖縄を訪れて覚醒され、その後の13年間、1200回にも及ぶ講演を行ったときに、彼の通訳として多くのところに同行し、彼の心を私たちに伝え続けてくださった平塚淳次郎さんが、この日、講演してくださったのです。

平塚さんのお話は前半と後半に分かれていました。後半がすでにご紹介したネルソンさんとの触れ合いについてでしたが、前半は被爆2世で白血病で亡くなった峯健一君のことでした。平塚さんが教師として担任された生徒さんでした。
平塚さんは峯君との触れ合いの中で大変、辛く、悲しい思いをされ、今も胸の痛みを抱えていらっしゃいます。この日はまずそのお話をしてくださり、それからネルソンさんの話に移っていったのでした。
集団自衛権行使に向けた憲法の解釈変えなどというとんでもない動きに対抗するために、ネルソンさんの話を先にご紹介しましたが、平塚さんがネルソンさんを支えるにあたっての強い根っことなったものこそ、峯君と共に過ごした日々への思いだったのだと思います。

今回は、平塚さんが峯君を担任され、彼が発病し亡くなるまでのことについての発言を、講演会でのノートテークを元に文字化して掲載したいと思います。
原爆の放射線の被爆2世への影響を考察する上でも重要なお話ですが、何よりも、もっともっと生きたかった峯君の思い、お母さんの悲しみ、そしてその場に居合わせて「あのときこうできていれば」と痛みを抱えてこられた平塚さんの痛みをシェアしていただけたらと思います。
僕はこうして受け継がれてきた思いこそが、憲法9条を支てきた実態だと思います。平塚さんはその上に、ネルソンさんの発言を開花させたのです。
どうか(871)でご紹介したネルソンさんの言葉と共に、以下の平塚さんのお話をお読み下さい。

*****

京都被爆2世3世の会での講演から
2014年6月11日

ご紹介をいただいた平塚です。
生まれも育ちも宝塚市です。そこから大阪府立高校に通勤していました。
生まれは昭和10年。早生まれです。終戦のときに10歳。終戦直後に新生中学に入りました。「新しい憲法の話」をはじめて中学で読みました。

22歳で英語科の教師になりました。39歳のときに何度目かの一年生の担任になりました。もう40年も前のことです。そこに新入生として入ってきたのが峯健一でした。
彼は入学と同時にサッカー部に入り、毎日、真っ黒になっていました。
ところが7月末に面談でお母さんにお会いしたら、母親が「サッカーを辞めさせてくれ」という。成績を気にしているのだと思って「クラブを辞めたってすぐに勉強する訳ではないですよ」と話したのですが、「本人が体が持たないと言っている。余った時間は全部、勉強をさせるから、なんとか先生からクラブ側に言ってほしい」と言うのです。それでグランドにいたキャプテンを呼んで、その話を伝え、クラブを辞めさせました。
すると健一はその分、猛烈に勉強をしました。サッカーをしているころは勉強などできなくて、中間考査でビリだったもの7番目にあがりました。もの凄く頑張っていました。

ところが11月27日に初めて学校を休みました。膝が痛くて歩けないという。正直、そのときはそれぐらいなら我慢してくればいいのにと思いました。
ところが期末試験になって初日はとても良い点を取ったのに、その夜に膝が猛烈に痛みだし、救急病院に入院してしまい、翌日から試験に出られなくなりました。それで12月15日に初めて見舞いにいきました。

そこでお母さんの峯スミ子さんと話をしました。健一とは母一人、子一人。妹の純子がいたのですが、2年前に白血病で亡くなっていました。小学校を出て、中学の入学式を待つ間に入院して、あっという間だったそうです。
さらに父親も、骨肉腫で亡くなっていました。ただし父親は戦争に行っていて、長崎にいたわけではないので被爆者ではありません。
お母さんのスミ子さんには被爆者の自覚はありませんでしたし、被爆者手帳も持っていませんでした。健一の病気もそれまで診てきた医師からリュウマチ熱と聞かされていました。
ところがそこで初めてスミ子さんが8月9日に長崎にいたことを聞きました。郊外にあった宿という町の矢上(やがみ)国民学校5年生で、ちょうどその日は普賢岳に松ヤニを取りにいっていました。戦闘機の燃料です。

その時、長崎の方向に閃光が走り、先生の「伏せ」という号令で地面に伏せました。気が付くと空から「灰」が振ってきていたそうですが、本人は被曝下と言う自覚はありませんでした。
ところが夜になっても長崎市内の鉄工所で働いていたお兄さんが帰ってこない。それで8月11日に市内にお母さん(健一のおばあさん)とお兄さんを探しに行きました。10歳の時で、丸一日、爆心地をさまよってしまいました。
お兄さんはその日の夜は見つからなかったのですが、翌日に再会できました。お兄さんは原爆の爆発時に鉄工所の厚い鉄板の下にいたので、カスリ傷ひとつおわず、救助活動にあたっていました。
その後、18歳から体調がおかしくなり、結婚どころではありませんでしたが、やがて人に勧められて結婚。1957、8年と健一、純子を産みました。1964年、東京オリンピックのときに大阪に出てきました。夫は1967年に亡くなり、1972年に純子を失っていました。

話を健一のことに戻します。スミ子さんから話を聞いたあと、不安が沸き起こって院長先生にその話をしました。するとすぐに血液検査が行われ、12月28日に白血病の疑い濃厚という検査結果が出ました。
1月8日、三学期の始業式の時に、私とスミ子さんの弟さん(健一の叔父)が呼び出されて話を聞きました。精密検査をしたところ、白血病の中でもとくに予後が悪い単球性白血病だと分かったのだそうです。
放置すればあとひと月の命しかない。しかし医師として最善の治療をしてあげたい。お金のことは心配しないでくれと言われました。

その後、抗がん剤による治療が始まりました。血液も入れ替えました。私は毎日のように学校帰りに見舞いに行きましたが、健一は高熱で目が見えなくなりました。鼻や歯茎からも絶えず出血しました。
それでも1、2月はなんとか危機を乗り越えましたが、3月1日にまた呼び出しがかかりました。
「治療の結果、健一は最高の経過を辿ってきている。これまでの段階では危機を乗り越えてきた。しかしこの先、全快はあり得ない。おそらく中学卒業はできないので、覚悟してくれ」と言われました。
「しかし本人はもちろん、お母さんには仮検査の結果にも強いショックを受けたので知らせない。二人の胸の内にしまって協力して欲しい」と言われ、大変な秘密を背負い続けることになりました。

健一は春休み中もずっと入院していて、3月29日に退院しました。しかし入院の途中から、勉強に行きたいと言い出して、病院から予備校の春休み講座に通っていました。
学校の方も特別のケースとして進級を認定し、4月より2年生になりました。学校は私の疲れも考えて、違う教員を担任にしてくれました。健一は体育の実技だけは出ずに勉学を続けていました。
そんな時に学校の校長に言われました。この校長は広島の出身で被爆者でした。がんとして被爆者手帳をとらないで、自分の力で生きてみるといっていた方でした。
その校長が「平塚さん。峯は治るよ」と言ってくれました。ずっと観察していてそう校長が語ってくれたので、藁にもすがるような思いで奇跡を信じていました。

ところが6月19日。体育を見学していた彼が鼻血を出しました。「卒業は無理だと聞いていたけれども、こんなに早く再発するとは」と暗澹たる思いになりました。
それでも健一は検査の一日だけ休んであとは皆勤を通しました。7月12日、期末考査試験を最後まで受けましたが、無理をしていたのでしょう。
その日の夜中に痛みだして再入院。今回は抗がん剤も効きませんでした。そのまま入院を続け、奇しくも30年目のヒロシマの日、8月6日に亡くなりました。

遡って6月にスミ子さんから電話があり、「一度、話を聞いて欲しい」ということで喫茶店で会いました。母と子の生々しいやりとりの話でした。
たとえばスミ子さんが「もう薬飲んだの?」と聞いたら「お母ちゃん。薬が効くと思ってんの?」という答えが返ってきたそうです。妹のことで察知していたのです。
勉強に打ち込む姿に「無理せんときや」というと「勉強ができんくらいなら死んだほうがましや」と言うのだそうです。

入学した時に、本人の将来の希望を書かせるのです。そのときは「京大の法学部に入って政治家になるんだ」と勇ましいことを言っていました。
ところが春休みに私の家に遊びに来た時は、ちょうど公害が問題になっていたころで「先生、僕は京大の工学部に入って、公害を退治する学者になってやる」と言っていました。
その時は黙って聞いていましたけど、本当に勉強を頑張っていました。

7月末に病院に行ったときに、本人からこう言われました。「先生、本当のことを言うてくれ。純子とまったく同じだ。もうあかんと思う」と。
しかし「本当のことは(病院の)先生に聞いてくれ。先生も知らん」と責任逃れをしました。
その後、彼は家まで自転車で帰って、自分の本を持ってきて、「死んだら棺桶にいれてくれ」と言ったそうです。

健一が亡くなった日は、学校行事で大阪を離れていて、その場には居合わせませんでした。母親にきくと、健一はやつれていながら、下腹部がはれていました。
リハビリのための自転車が病室にあり、その日も汗だくになって一生懸命に動かしていたそうですが、倒れて、抱きかかえられて病室に戻って、そのまま息が絶えたそうです。
あのとき、「よう頑張った」と言うてやれば良かったのに「先生に聞け」だなんて嘘を言ってしまって、未だにこの子の写真を見るたびに辛いです。

もうひとつ話があります。11月11日に学校の創立記念日がありました。その日が健一の100か日の法要でもありました。
長崎からの親せきが来て「いい先生に担任してもらって、健一は幸せでした」と型通りの挨拶をされるのですが、母親は違ったのですね。
「先生にも(病院の)先生にも嘘をつかれた。私には何も知らせてくれなかった」と言われました。・・・そういうことがありました。

*****

峯君の死後、深い落ち込みから立ち上がった平塚さんは、その後に彼のことを書いた英文パンフレット"DEATH OF A HIGH SCHOOL BOY"を製作され、各地の教員研修会で発表されました。
さらに国際会議に招かれて、世界に峯君のことを伝えられました。この日の講演でもそのことが続けて語られていきましたが、ここでは省略させていただきます。
それでもここまで読んで下さった方には、こうした平塚さんの思いが、ある種の必然をもって、アレン・ネルソンさんとの日々につながっていったことをご理解できると思います。

平塚さんはネスソンさんの死後に「アレン・ネルソン平和プロジェクト」を創設され、ネルソンさんの話を編集したDVD『9条を抱きしめて』を製作し、普及活動を行われています。
ぜひ、以下のサイトにアクセスしてください。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida+Allen_Nelson/

最後に、峯君との日々の痛みを、力強い人類愛へと昇華されて平和のために歩み続けてこられた平塚淳次郎さんに、深い尊敬と感謝を捧げます。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(872)軍隊の肯定は人殺しの肯定!戦争をしないことこそ真の正義!憲法9条を真に実現しよう!

2014年06月16日 23時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140616 23:00)

集団的自衛権行使、そのための解釈改憲に向けて、安倍政権が遮二無二動いています。公明党がどんどん後退し、安倍首相の言う22日までの閣議決定がなされてしまう可能性があります。
この横暴に対して、6月22日に京都の三条大橋の上でピーススタンディングをすることを「ピースウォーク京都」の友人たちと計画しています。

憲法9条に込められた不戦の誓いは、日本が「正義」の名のもとに侵略戦争を行ってしまったことへの反省から出発したものです。
しかしそれだけではない。正義の名の下に軍事力を行使することそのものを否定したのが私たちの国の憲法です。この憲法はまだ100%の力を発揮してはいませんが、私たちの国の軍隊に海外で一人の人殺しもさせずにきました。戦死者も出していません。

これまで人類が行ってきた戦争の大半は「大義」を掲げて行われてきました。どこの国も他国を「侵略」するといって攻め込んだりしません。自衛とか防衛とか自国を守る権利だとかが必ず主張されました。
もちろん世界の国々に自衛や防衛や自国を守る権利はあるでしょう。しかし問題は何が防衛で何が攻撃なのか、常にあいまいになるのが軍事の世界だということです。何せ「攻撃は最大の防御なり」という言葉さえもあります。

このジレンマを解決するにはどうしたら良いのか。単純です。戦争を放棄することです!戦争以外の手段で自国の防衛を果たすこと。各国と信頼を育み、その力でこそ国を守ることです。
憲法9条の精神はそこから出発しています。もちろんそれは日本がかつて正義の名のもとに侵略を行ったことの反省に立つものです。しかしすべての国が正義の名のもとに不正義の戦争を行う可能性があるので、この精神は普遍的な意義を持っています。

例えば今のイラクを見てみましょう。アメリカはイラクが「大量破壊兵器」を持っているからと、核兵器以外のハイテク兵器をふんだんに投入して攻め込み、一般市民をもたくさん殺害したのちに、イラクを占領しました。
その後、アメリカの後ろ盾てで現在のイラク政権が打ち立てられましたが、アメリカの戦争遂行があまりに酷かったので、この一連の過程に対して、イラク国内からも周辺国からもいやアメリカ国内からさえも繰り返し批判が起こりました。

それらの結果、現政権を武装して倒そうとする勢力が台頭し、たった今は「イスラム国」を名乗る人々がイラク北部を軍事的に制圧しています。これに対して政府軍の反撃が始まりましたが、このままイラクが内戦に陥ることが懸念されます。
僕は「イスラム国」の人々がどういう人々なのか知りません。ただはっきりしていることは、この混乱、内戦的事態の責任はアメリカの理不尽なイラク進攻にあったのだということです。

このことを考えたときに言えることは、間違った戦争を防止するためにはアメリカも憲法9条を打ち立て、アメリカ軍を解体した方が良いのだということです。そうすれば誤まった戦争を防圧できます。
これに対してすぐに取りざたされるのは「ヒトラーのような輩がでてきたらどうするのか」ということですが、この問いの立て方には共通のあやまりがあります。

なぜならこの問いを発する人々は、自らがヒトラーになることはありえないという前提に立っているのです。しかしイラクの人々、アフガニスタンの人々の立場から考えてみましょう。
責められるべき何らの咎もないのに、現代の最新兵器をふんだんに使って侵攻したアメリカは、ヒトラーのドイツとどれだけ違うのでしょうか。しかもアメリカはこれらの地域で膨大な劣化ウラン弾を使い、未来永劫続く放射能汚染すらもたらしています。

あるいは現在の私たちの国を見てみましょう。安倍首相は自分の思いを通すためなら平気で嘘をつきとおす人物です。福島原発の深刻な現実を大嘘でごまかして東京オリンピックを招致してしまった。しかもそのことをただしオリンピック開催を白紙に戻せる野党もありません。
さらに麻生副総理にいたっては憲法9条の解体を「ナチスを見習っていつの間にか気がついたら変わっていたという具合にやったらどうか」などと発言しています。そうです。日本こそ、ヒトラーの大嘘政治や暴力礼賛と大して変わらない発想をもった人物が政治の中枢にいるのです。

しかし安倍首相は例えヒトラーの力にあこがれてもヒトラーにはなれない。なぜか。憲法9条があるからです。ヒトラーとてもともと「正義」の戦争が全面的に肯定されているヨーロッパで「強い正義」を語って登場してきたのであって、ドイツに憲法9条があれば登場などできなかったのです。
だから今、安倍首相は憲法9条を解体したがっています。それも麻生副総理が言うようにできるだけ論議にならない形でです。この点はとても重要なポイントです。

さらに憲法9条はもっと奥の深い思想と人類史的な可能性を秘めています。憲法9条は、「正義」の名のもとに、あまやった戦争が行使されるのを防止しているだけではありません。
例えそれが実際に正義であったとしても、軍事に頼ることはやめよう、紛争を戦争で解決するものは止めようと呼びかけているのが憲法9条の発想なのです。正義であろうとも戦争などしたくない。いや戦争などしない。それが憲法9条の精神です。

軍隊の肯定はどこまでいっても人殺しの肯定なのです。いま世界では、自分が殺されそうだったら、相手を殺すのはやむを得ないというのが常識です。正当防衛の権利と言われています。その権利の行使も止めよう。人殺しの権利を放棄しようというのが憲法9条です。
そこにあるのは不殺(ころさず)の心です。紛争が起こった時に軍事で自らを守り、相手を殺すのではなく、紛争が起こらないことをこそ第一義にめざす。そのために英知を尽くす。互恵的な発展の道を探る。それが戦争放棄の道です。

「そんなことは理想だ」と言う人に言いたい。戦後70年のこの国の人々の努力に目を見開いてくださいと。理想どころか、現に私たちの国はそう歩んできたのです。世界の誰とも戦争しないで来たのです。自衛隊はまだ他国の人を一人も殺してないのです。
そのために先人がどれだけ努力を払ってきたでしょうか。その恩恵を私たちは有形無形ですでに享受しているのです。その現実を見据える眼を持たずに、どうしてこれからの未来を展望できるのでしょうか。

私たちの国はさらに一歩進めて自衛隊を全面的に災害救助隊に変えていくとよい。なぜって実際の出動はその大半が災害救助なのですから。そのとき戦車などいるでしょうか。もっとたくさんの災害対策車を持てば良いに決まっている。
ただでさえ世界は気候変動による自然災害にあえいでいるのです。だとすれば自衛隊を救助隊に再編して積極的に世界の災害地に派遣すればどれほど喜ばれるでしょうか。そうすればいったいどこの国が私たちの国を侵略してくるのでしょうか。いったい誰がそれを許すでしょうか。

また私たちの国の内側をみても、それこそ東日本大震災をはじめ、自然災害の猛威に襲われ続けているのです。今後、南海トラフ地震や関東大震災もかなりの確率で起こることを政府自身が予想しています。これに国家の総力をあげて備えることこそが「国防」であるに決まっているではありませんか。
他国との争いは外交によって避けることが可能です。しかし地震の発生は人為的に避けることができないのです。だから徹底して備えることこそが私たちの未来をもっともよく守る道です。

しかもその備えをふんだんに行えば、常に他国の災害への対処もできるようになります。世界を見たわせば、自然災害はほとんどいつもどこかで起きているのです。そこに隊員を派遣しする。当該国に感謝されなおかつ技術的蓄積を積み、員の実地的訓練にもなる。いうことなしです。
まだまだ効能はあります。世界史にとって日本がまったくユニークな国になるということです。歴史上いまだかつて他国をどんどん助けた実績のある国など存在しません。だとしたら日本は新たな歴史を切り開くことにもなります。真に住民が誇れる国が生まれます。

憲法9条にはそうした大きな可能性が秘められている。なのにどうして今、せっかくのお宝を自ら捨て去り、遅れた国々・・・まだまだ人類史の野蛮な段階にどっぷりと使っているアメリカなどの後をついていかなければならないのでしょうか。
みなさん。今、私たちは平和を積極的に創造すべき歴史的地点に立っています。人類史が続くのなら、必ずどこかで経なければならない転換点は、戦争と暴力という野蛮な手法が支配した段階から、相互理解に包まれた人類愛の輝く段階への飛躍です。

未来を見据えて、憲法を守り、真に実現し、積極的に平和を想像し、新たな人類史を切り開くために立ちあがりましょう!
各地で大きな声を上げましょう!

最後に京都での行動をご紹介しておきます。
6月22日午後4時から三条大橋東詰に集まって、ピーススタンディングを行います!5月18日を引き継いだものです。
お近くの方、ぜひご参加下さい。

なお5月18日の様子の写真のページと、6月22日の案内を貼り付けておきます。

*****

5月18日のピーススタンディングの写真。
僕がFACEBOOKにアップした写真がピースウォーク京都のホームページから見れます。
http://blog.pwkyoto.com/?eid=21

*****

6月22日のピーススタンディングの呼びかけです!

戦争する国になりたくない!
解釈で憲法を変えるな!
スタンディングアピール

●6月22日(日)16~17時30分 
★三条大橋東詰集合!
※小雨決行 
※自分のメッセージをプラカードにして訴えましょう。

◆ピースウォーク京都 
連絡先:09037043640

『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること』
これは、日本国憲法をどうして作るのかを説明する憲法前文にある言葉です。
かつて政府の行為によって戦争が起こったのです。
戦争は政府の行為によって起こるのです。
あれよあれよと、いつの間にか抵抗するすべもなく、
殺したり殺されたりしたのです。
だから、憲法で政府が勝手に戦争しないようにしているのです。

戦争って何だと思いますか?戦争ってどうやったらできますか?
戦争は国家間の(武力による)争いです。
国家間で宣戦布告したり、一方的に侵略したりします。
けれど、もっと戦争に必要なことがあります。
『戦争できるようにすること』です。
今、あろうことか、首相が言ってるアレのことです。
憲法の解釈を変えるというのです、武器がなければ戦争ができませんから…

少しずつ少しずつ、この国は武器を持てる国に近づいてきました。
自衛隊が組織され、PKOだ、有事法制だ、集団的自衛権だと言って。
わたしたちの礎であり砦にもなる日本国憲法が、内側から壊されてしまえば、
立派な核兵器をいくらでも作れるような軍隊を持つ国になれるのでしょう。
きっと周りの国から見れば、恐ろしい国になるでしょう。

武器、いや、兵器や軍隊がどれほどのお金を食い尽くすものか知っていますか。
けれど、その武器で守れるものはありません。壊すこと、殺すことはできでも。

そもそもこの国には戦争するほどの余裕はない。
自給率もない、お金もない、兵士もいない。
これからは、より福祉国家にならなければいけないのに、
武器で何を守るというのか?
世界の公正と信義に信頼してしか、今ある原発を守ることなんかできない。
戦争になったら瀕死の福島原発なんてとても守れない。

憲法あってのこの国です。
憲法が守っているのは、この国に住む人と、世界に住む人の幸福です。
首相あってのこの国、ではないのです(それではアベコベです (*`∧´)。
憲法に従わないなら、首相に守れるものはありません。
何故なら、彼は今、この国の「理」自体を破ろうとしているから。

今も世界中で争いが起こって血が流れている。
正視に堪えない出来事が起こっている。
一体、血を流して倒れているのは誰なのか?
友達、こども、おじいちゃん、おばあちゃん、母親かそれとも父親か、
一体、次は誰の?
まだ、止めないのか?まだ必要なのか?

わたしたちに必要なのは、安全な食べもの、安心な街、話し合いや国際協力、
あらゆる災害に対する対応力のはずです。
わたしたちに必要なのは、
福島原発事故を真に収束させるための努力であるはずです。

わたしたちは、この国を
こどもたちが住むにふさわしい場所にしていかなければいけない。
わたしたちは、互いに大事にしあわないといけない。

今こそ必要なのは、かつては言えなかった「戦争はしたくない」という声だ。


わたしたちの暮らしているこの国は、
大災害と原発事故で多くの命が失われました。
人間の命だけではありません。
生き物たちすべての命、今生まれようとする命、
これから生まれる未来の子どもたち。
わたしたちを包んでいる空気、土、山や海。
たいせつな、かけがえのないものたちすべてが、悲鳴を上げています。

原発も、米軍基地も、もうやめよう。お金は命のために使うのです。
傷ついたものとともに、もういちどやりなおしましょう。
生きていくための歩みを、私のことば、私の足で始めましょう。
戦争する国は、奪います。わたしたち、すべての生き物の命を。
未来をもう一度とりもどすために、ひとりの歩みから。
黙ってはいない、手をつなぎましょう。


●日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる
国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

●第9条 
1.    日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

◆★◆
憲法の前文と9条が戦争の放棄、軍隊の放棄を決意しているのは、消極的な決意ではありません。
紛争になったり、問題が起きたりしても、話し合いで解決をするという積極的な決意です。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(871)憲法9条はいかなる国のいかなる軍隊より強い!(アレン・ネルソン談)

2014年06月14日 15時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140614 15:00)

昨年より、僕は「京都被爆二世三世の会」に参加させていただいています。毎月、例会があるのですが、今月は平塚淳次郎さんが参加され、講演してくださいました。このことを報告したいと思います。

平塚さんは、1975年8月6日に白血病で亡くなられた被爆二世・峯健一君の安倍野高校時代の担任の先生をされた方です。
英語科だった関係から、峯君の死後に彼のことを書いた英文パンフレット"DEATH OF A HIGH SCHOOL BOY"を製作され、各地の教員研修会で発表、さらに国際会議に招かれて、世界に峯君のことを伝えられました。
原爆とは何かをあらためて捉え、かつ被曝の次世代への影響を考える上でとても貴重なお話でした。

平塚さんは峯君と過ごした日々の体験を心に刻みつつ、教師として平和運動を担ってこられましたが、さらに1996年に元米軍兵士だったアレン・ネルソンさんが日本を訪れ、戦争体験を話してくださるようになって以降、何度も通訳として同行されました。
アレン・ネルソンさんは1947年ニューヨーク州ブルックリンで生まれ、貧困生活から逃れようと18歳で海兵隊に入隊。ベトナムに派遣されて過酷な戦場を生き延びらた方です。
自らたくさんの殺人を犯してしまったネルソンさんは、除隊後に後遺症に苦しめられ、家族から同居できないと言い渡されてホームレスを経験し、自殺未遂も繰り返しましたが、ある医師との出会いから回復されました。
その後、本当の戦争(real war)とは何かを伝えるのが自分の役目だと考えはじめ、米兵による少女レイプ事件あった直後の1996年に沖縄に30年ぶりに訪問され、語り部としての活動を始められました。

ネルソンさんは1996年から13年間のあいだに日本中をかけめぐり1200回もの講演を重ねられましたが、2009年3月26日に米軍が撒いた枯葉剤の影響によって発症したと思われる多発性骨髄腫で亡くなられてしまいました。
平塚さんは、ネルソンさんの平和への思いをさらに伝えたいと「アレン・ネルソン平和プロジェクト」を結成。昨年、ネルソンさんの語りを中心に編集したDVD『9条を抱きしめて』を製作され、普及活動をされています。
この日も、峯君との日々のお話に続いて、ネルソンさんと行動を共にした日々について語られ、『9条を抱きしめて』のダイジェストを見せてくださいました。

非常に感動し、共感しました。

二つのお話共に重要なのですが、今回は先にネルソンさんのことについて触れたいと思います。なぜかと言えば、前回の「明日に向けて(870)」でも書いた憲法9条の意義、精神を、ネルソンさんが力強く語ってくれていたからです。
アメリカの正義を信じ、ベトナムに派遣されて実際にたくさんの殺人を経験してきた元アメリカ軍兵士のネルソンさんが、自己回復の長く苦しい時を経てから語られていることだけに、深い実感がこもっており、胸を打ちます。
『9条を抱きしめて』の最後の方に出てくる、ネルソンさんの集会での講演の発言シーンから少し言葉を拾わせていただこうと思います。2か所から引用します。ぜひお読み下さい。

***

アレン・ネルソン

1996年に来日した時、ある人が日本国憲法の英文冊子をくれました。ホテルで第9条を読んだとき、立ち上がるほどのショックを受けました。信じられませんでした。
キング牧師の有名な演説「私には夢がある」のように力強い衝撃を与えました。
これこそ人類の未来、これこそ人類が持たなければならないもの、そうしなければ人類は滅亡してしまうだろうと思ったのです。
そして憲法9条を読んで気づいたことはこれは国の法律というだけではなく、私たちの生きるべき道を示しているということです。


日本国憲法第9条はいかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊より強力なのです。
日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔にとても素晴らしく美しくかけがえのないものが私には見えます。子どもたちの表情から戦争を知らないことがわかるのです。それこそ第九条の持つ力です。
日本のみなさんは憲法に9条があることの幸せに気づくべきだと思います。

ほとんどの国の子どもたちが戦争を知っています。アメリカの私の子どもたちは戦争を知っています。イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子どもたち、みんな戦争を知っています。
しかしここ日本では戦争を知りません。憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみからみなさんを救ってきたからです。

ご存知のように多くの政治家が憲法から第九条を消し去ろうと躍起になっています。断じてそれを許してはなりません。
みなさんとみなさんの子どもたちはこれまで憲法第9条に守られてきました。今度はみなさんが第9条を守るために立ち上がり、声をあげなくてはなりません。
第9条は日本人にのみ大切なのではありません。地球に住むすべての人間にとって大切なものなのです。アメリカにも9条があって欲しい。地球上のすべての国に9条があって欲しい。

世界平和はアメリカから始まるのではありません。国連から始まるのでもありません。ヨーロッパから始まるものでもありません。
世界平和はここからこの部屋からわたしたち一人一人から始まるのです。

***

素晴らしい!これが本当の戦争=real warを体験してきた元兵士の実感です。ネルソンさんは殺し合いの苦しみを通り抜けてきたからこそみえたものを、懸命になって私たちに伝えてくれました。何よりそれをみなさんと受け止めたいです。
私たちが「天国にいるものはそこが天国だとは気づかない」という名句を思い出す必要があると思います。ネルソンさんは地獄を体験された。だからこの言葉が出てきた。同時に私たちの国も第二次世界大戦という地獄を経験しました。その経験が9条を紡ぎ出し、今日まで伝えてきたのです。
そうです。まさに私たちの国は、第二次世界大戦以降、未だに兵士が一度も他国の人々を殺したことがない。子どもたちも戦争を知らない。だからこそ平和なのです。
アメリカはどうでしょうか。銃犯罪は日常茶飯事です。その上、前途を悲観した若者による学校での銃乱射による無差別殺人などが繰り返し起こっています。だからネルソンさんは言いました。「アメリカにも9条があって欲しい!」と。

さらに世界の混乱、ウクライナでの対立や、今まさに戦闘が激化しているイラクのことなどを考えるとき、私たちは「正義のための戦争」という野蛮をもう本当に超えるべきときに来ていることを自覚するべきだと思います。
軍隊がなければ信頼関係の醸成にしか安全を守る方法はない。そのためには相互理解が不可欠です。正義と正義を振りかざしあって、互いを罵り合って、衝突するのではなくて、相手の正義を理解する、その上で譲歩しあう、譲歩しあって妥結点を目指す。そのために信頼関係を重ねていく。
軍隊がなければその道しか選ぶことはできないし、事実日本は戦後の長い間、そうした道を辿ってきたわけですが、その道にこそ互いが和解し、互恵的に発展していく展望があるのです。
軍事力で一時的に勝ってもさまざまな歪みが残っていくだけで、必ず自国内部にも歪みをもたらします。力がすべてだという暴力的な発想が支配的になり、社会から相互理解を深めようとする人間的な力が失われていくからです。

そのために私たちが今、放棄しなければならないのは、自衛も含めて、軍事で物事の解決を図ろうとする発想です。自衛と言えども戦争は悪であり歪みをもたらすのです。
なぜか。ひとたび戦争を経験しそれを肯定してしまうと、問題の解決を、説得やものごとの真偽を確かめることによってではなく、武力によって決しようとする発想がはびこってしまうからです。
しかしそんな発想を持ち続けていたら、武器や軍隊の性能が信じられないぐらいに発達し、劣化ウラン弾をはじめ人間にも環境にも絶望的な破壊力を持ったものが増えるばかりの現代では、破局的な被害が広がるばかりです。ネルソンさんの言うようにまさにこのままでは人類は滅んでしまう。
自衛戦争、革命戦争・・・それやこれや「正義の戦争」という発想そのものを私たちは越えられなければならない。それは人類史における思想的な大転換です。だから私たちは今、もう一度、憲法9条を選び直していくことが問われているのです。

何度も言います。私たちは自衛隊が憲法9条違反であることをもう一度はっきりと認識すべきです。私たちの国は、すべての軍事力を否定した国です。人との信頼関係の醸成にすべてをかけると宣言した国なのです。憲法にはそうはっきりと書いてあるのです。そしてそれこそがネルソンさんが伝えてくれたように人類の希望なのです。
正義であろうとも戦争は止めましょう。正義を説得と、信頼と、愛で実現する道を選びましょう。その方途を見つけ、その能力を開発しましょう。
そのことで私たちはいかなる国のいかなる軍隊よりも強い思想、精神、魂を持ちましょう。憲法9条にもっと力を!


***

以下、「アレン・ネルソン平和プロジェクト2013」のブログをご紹介しておきます。
DVD『9条を抱きしめて』のPR版も載っています。
購入先もここから分かります。1000円+送料です。ぜひ全編(50分)をご覧になって欲しいです。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida+Allen_Nelson/

最後に、貴重なお話をお聞かせくださった平塚淳次郎さんにもう一度、感謝を捧げます。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(870)そもそも自衛隊が憲法違反!集団的自衛権など論外!今こそ憲法九条の真の実現を!

2014年06月13日 14時14分44秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140613 14:00)

集団的自衛権行使に向けた憲法解釈が閣議決定で強行されようとしています。公明党が安倍首相の強硬姿勢に押しつぶされようとしています。

そうまでして集団的自衛権なるものを行使して、アメリカ軍と自衛隊が戦場で行動を共にするとどういうことが起こるでしょうか。
「国民を守る」どころか、私たちの国が戦後に営々と築き上げてきた平和国家としての信頼を私たちは自ら捨てさってしまうことになります。理不尽な暴力を振るってきた米軍の味方として世界中で嫌われるようになる。そのことで日本に住まう民衆も危険に晒されるようになります。
集団的自衛権の行使はあまりの愚行です。福島原発の現にある危機から住民を守る気概などまったく持ち合わせず、事故を直視できなばかりか大嘘をついてオリンピックまで招いてしまった安倍首相のもとで進められるのですから、最悪のコースを進むのは明らかです。何としても止める必要があります。

ただしここでぜひとも強調したいのは、集団的自衛権だけでなく、そもそも「自衛権」なるものの軍事力による行使そのものが、明らかなる憲法違反であることです。集団的自衛権など論外なのです。
集団的自衛権の行使への踏み込みがなされようとしている今、むしろ私たちはこの大本に戻らなくてはいけない。憲法はすでに踏みにじられてきているのです。このことに「覚醒」し、今こそ、憲法の真の精神にこの国が立ち戻ることを訴えて行動すべきです。

憲法の重要箇所を読んでみましょう。日本の国の憲法には前文でこう記されています。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

一点だけのぞいて素晴らしい名文だと思います。一点とは主語が「日本国民」になっていること。もともと英文で作られた原案は「日本人民」になっていました。基本的人権条項にも、国籍を問わずに人権が保障されると書かれていたのでした。
僕はここは改正する必要があると思っていますが、それ以降の精神は実に素晴らしい。
「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
そうなのです。私たちの国は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」戦後の歩みを進めてきたのです。

その際、私たちの国の世界に対する接し方を格調高く示したものこそ憲法九条です。これも読みましょう。

「1  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない!国の交戦権は、これを認めない」・・・まったくもって素晴らしい!これが憲法に書かれている文言です。
したがって自衛隊は存在そのものが憲法違反なのです。なぜって当たり前ではないですか。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されているのですから。軍隊を持たないと明言しているのですから。
自民党は長年「いやそんなことはない。憲法は自衛権を否定していない」と言ってきた。確かに人にも国にも自衛する権利はあります。しかし日本はそのために軍隊を持つことを憲法で禁じた国なのです。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「われらの安全と生存を保持しようと決意した」のだからです。
「自衛」を信頼の醸成によってこそ達成させる。そのために「諸国民の公正と信義に信頼」する。どう読んだってここにはそう明確に書いてある。これほど読み変え不可能な文章はありません。

実はこのように、憲法の精神が「いかなる軍隊をも持たないことであること」を、戦後直後に政府自身が明確に宣言しているのです。それも子どもたちにあてた「新しい憲法のはなし」という冊子の中でです。編纂したのは当時の文部省です。これも読んでみましょう。

「こんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。『放棄』とは『すててしまう』ということです。
しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」

素晴らしい!全くその通り。「日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」・・・。
このことが学校で一生懸命に教えられたのです。教えたのは、かつて教え子たちを悲惨な戦争に次々と送り出していった教員たちです。
戦後に結成された日本教員組合は「二度と戦場に教え子をおくらまじ」を合言葉にした。戦前に国のために犠牲になることを教え込み、戦争推進の柱となってしまった学校教育の場が、深い反省の中から、平和を紡ぎ出す場に変えられ、平和の心を育てる教育が連綿と続けられてきたのです。

このもとで育っていった私たちの国の民は、実際にその後に憲法九条の精神を世界各地で実現していきました。軍隊などなくとも、いやないからこそ、世界の人々と積極的に信頼関係を結ぼうとし、その中で貴重なたくさんの資源を世界の国々から売ってもらうことができた。そうして私たちの国は加工貿易立国として復興し、発展したのでした。
この戦後の発展の中で、一度でも自衛隊を必要としたことがあったでしょうか。そもそもかつて自衛隊は海外になどいけなかった。だから人々は軍隊なしで身を守ったのでした。信頼関係を大事にすることを通じてです。相手に嫌われないこと、好かれること、仲良くなること。そのことで互恵的な発展の道を作り出し、自らの安全も確保したのです。
もちろん、憲法の精神に反していることもたくさんありました。朝鮮戦争にもベトナム戦争にもアメリカ軍に基地を貸して加担し経済的にずいぶん儲けたことです。しかしこのとき私たちの国の中でも若者を中心にたくさんデモが起こりました。アメリカの戦争に多くの人々が反対し続けました。

だから自衛隊は成立しても、軍隊としての自由な活動ができなかったのです。明らかな憲法違反として存在しているこの軍隊を、私たちの国の民は解体することはできなかったけれども、しかし一度も自分たちを「敵」から守るために使ったことなどなかった。自衛隊を使う必要などない名誉ある地位を確立してきたのです。
私たちは今、この大本に変えるべきなのです。最も大事なのは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することです。まずはこちらから信頼を投げることです。そのために相手について学ぶ、理解する、心情をくみ取る。そうした思いやり、洞察力、人間的な愛の力こそが、軍隊を持たない民に必要になるものなのです。
僕はそれこそが21世紀に人類が全体として歩んでいくべき方向性だと確信しています。たとえ相手が悪でこちらが正義であろうと軍事を使った解決を拒否する。軍事を使わずに解決する道をこそ模索し続ける。そうでなければ人類はいつまでたっても互いに正義を掲げて殺しあうばかりです。

こう書くと「そんな考えは甘い。世界には悪い奴らがいるのだ」と言われる方がいるかもしれません。何をおっしゃるやら。僕は「まずあなたがその世界への一方的な不信を解くべきではないですか」と言いたいです。
同時にこうした論理を使う時、発話者は自分を前提的に正義の側におきがちです。でも待ってください。確かに世界に「悪い奴」はいると思います。どんな輩でしょうか。まず自分の主張を通すためには平気で人を殺す。しかも女性も子どもも見境なく殺す。間違えて殺したって謝らない。その上、殺すための兵器をたくさん作って、試してばかりいる。
この定義に一番ぴったり当てはまる国は実はアメリカです。だって実際に戦後世界で一番たくさんの人々を殺してきたのだからです。しかしアメリカ国民が悪人ばかりなのかといえばそれはまったく違う。むしろ大半は誠実で心優しい人々だと僕は確信しています。
そしてそれは世界のどこでも言えることではないでしょうか。どこの国、どこの民族、地域にもごく少数の本当に悪い人々と、大多数の誠実で心優しいけれども、時に戦闘に巻き込まれ、あるいは担ってもしまう人々がいる。そうして戦闘では、本当の悪漢たちは表に出てこずに、主要には貧しい若者たちが戦場に駆り出されてくるのです。

そんな構造の中で、これ以上、正義を掲げあって軍事的に対立して何が生まれるのでしょうか。何も生まれはしない。正義と正義の衝突による戦闘が繰り返され、人々の悲しみは続き、ただ武器商人だけが繁盛し続けるのです。
まったくもって愚かなスパイラルです。そろそろ私たち人類は、こんな野蛮な状態を脱しても良いのではないでしょうか。そろそろ私たちは、対立と殺戮を繰り返してきた人類の前史を閉じ、全世界で歴史的な和解を進め、恒久平和、軍隊のいらない世の中を目指しても良いのではないでしょうか。
そのためにも大事なのは、軍事に変えて、信頼、そして友愛を、最も強い「武器」とする新しい国を登場させることです。その意味で私たちは今こそ、憲法九条を本当に実現すべき時なのです。

軍隊を持たなければこそ、私たちは世界に大きな声で「争いを止めましょう。殺し合いを止めましょう。相互理解を深めましょう」と言うことができる。争いの中に入って仲介をすることもできる。
まだ自衛隊が1人の海外の人をも殺してないからこそ、ぎりぎりそれを行う可能性が私たちの国は持っています。
そうすると私たちは世界中から「甘いやつらだ。世界は悪者でみちているのだ」と言われるかの知れない。でも私たちは「正しいことを、ほかの国の人々よりさきに行うのだ。世の中に、正しいことぐらい強く、素晴らしいものはないのだ」と自問自答しながら歩めば良いのではないのではないでしょうか。
そしてまた、人類から争いを無くすことができると信じ、実際に軍隊を捨てて歩む国々が増えていくことが、人類の明日への希望たりえるのではないでしょうか。

みなさん。今こそ憲法九条の精神を本当に発揮する「九条革命」に向かって歩んでいきましょう!

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(869)「集団的自衛権」で私たちの安全性はどんどん壊される!安倍政権の暴走を止めよう!

2014年06月12日 23時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140612 23:00)

「集団的自衛権」をめぐって、自民党が強権的な姿勢を強める中で、公明党が妥協的姿勢に傾きだしています。
与党決議によって、国会での討論すら経ずに事実上の憲法改悪、9条の解体が行われようとしています。まったくもって許しがたいことです。
安倍首相は繰り返しありもしない抽象的な論議を並べ立てては「国民を守る」と連呼していますが、現実の福島原発事故に対しては嘘ばかりついて、実際の危機を見ようともしないこの首相に、「国民」を守る意志などまったくないことは明らかです。
むしろ集団自衛権の行使は、世界中で嫌われ者になっているアメリカ軍を擁護し、軍事行動をともにすることですから、私たちの国の民が、世界の中でこれまで保ってきた安全な地位を失うことに直結します。

とくにアメリカは、イギリスと共に、イラクになんの大義もなく攻め込んだ国です。イラクが大量破壊兵器を持っているというのが口実でしたが、攻め込んで、ものすごくたくさんの人々を殺して、イラクをめちゃくちゃにしたあとになってから大量破壊兵器などなかったことがはっきりしました。
このとき日本政府も、このひどい侵攻を支持しました。小泉首相が全面的に支持したのです。安倍首相はそのとき内閣官房副長官をしていました。小泉氏とともにイラク戦争を賛美し、アメリカによる理由なき人殺しを肯定したのでした。
今回、国会でこのことを正された安倍首相は「イラクが大量破壊兵器がないことを証明できなかったのが悪いのだ」と居直りました。まさに「盗人猛々しい」とはこのことです。
実際にはイラクは何度も国連の査察などを受け、そのたびに嫌がらせも受けながらもじっと我慢して大量破壊兵器などないことを訴え続けました。アメリカの軍事力で攻撃などされたらたまらないから命がけで弁明していたのです。しかしアメリカはイラクの声を無視して攻撃に踏み切ってしまったのでした。

安倍首相はこのあまりの理不尽さを突きつけられて「逆切れ」したわけですが、しかし大切なのは、安倍首相が屁理屈にもならないような屁理屈と大嘘で真実を否定しても、実際に起こってしまったことそのものを消し去ることはできないのだとうことです。「原発はコントロールされている」と嘘をついても、放射能の脅威がまったく去らないのと同じです。
何よりもこの歴史的事実は、ものすごい被害を受けたイラクの人々、その周りの人々の胸の中に深く刻み込まれている。多くの人々があまりに理不尽なアメリカの姿に今も深い怒りを感じているのです。
イラク戦争に先んじたアフガニスタン戦争でも同じです。あのときアメリカはタリバン政権に対して「オサマ・ビンラディン」を差し出せと迫った。タリバン政権はそれに対して「ならば証拠を見せてくれ」と返答した。
するとアメリカは問答無用でアフガニスタンに攻め込んだのでした。ここにもまったく大義などなかった。このためアメリカはイスラム圏を中心に多くの国々で痛く信用を失い、怒りを買い続けているのです。

それだけではありません。理不尽な戦争の遂行は、ただでさえ殺し合いの中に投入されて心が崩れていく兵士に、破滅的な影響をもたらします。心の奥深くに沁み渡っていく罪の意識からものすごいトラウマが作られ、それが破局的な形で爆発してしまうのです。
どうなるのか。とにかく暴力的になってしまう。平和な通常の生活に戻れなくなってしまう。家族や友人に暴力を振るってしまい、やがて孤立し、自殺したり、アルコールやドラックにはまったりし、果ては暴力事件を起こしてしまったことがたくさん報告されています。
こうした兵士たちの姿は、社会全体に深刻な影を作り出してきました。安易な暴力賛美がはびこるとともに、人への恨み、つらみ、疎外感などを銃を使った暴力ではらそうとする事件が後を絶たない。それが若者による学校での銃乱射などに繰り返し結びついている。
肝心なことは繰り返し戦争をする中で、アメリカは今、町を歩いている人殺しの数が、一番、多い国になっているのだということです。それがアメリカの社会生活上の安全性をも著しく壊してしまっている。

これに対して私たちの国は、アジア諸国との間では、侵略戦争を中途半端にしか謝罪せず、必要な補償も行ってこなかったために、摩擦も起こしてきていますが、その一歩外に出ると、平和的な国として高い信用を得てきました。
これは日本が東南アジアの外まで攻め込まなかったこととも関連しています。戦後も一貫して軍事的暴力を振るうことがなかった。だからこそ、多くの国で日本は評判が良かったのです。
アメリカに怒りを抱いている国からも、日本はアメリカに原爆を投下され、すべての都市を焼け野原にされながら、平和産業を中心に懸命に復興してきた国としての共感を集めてきたのでした。
このため、かのオサマ・ビンラディンでさえ、アメリカの非道性を説くときに、「いいか。みんな。アメリカがどんなにひどい国か知っているか。アメリカは女性と子どもばかりの日本の二つの都市に原爆を落としたんだぞ」と語っていたと言われています。

こうしたエピソードは他にもたくさんあります。例えば革命後にイラクとの長い戦いに突入したイランで、NHKの朝ドラの『おしん』がメガヒット。視聴率は最高で90%を記録し、尊敬する人物としてかのホメイニ師すら抜き、おしんが1位を獲得するなどということさえありました。
おしんは中国でもメガヒットを記録し、アジアの多くの国々で大変なブームを作り出しました。戦前から戦後へと日本女性が貧しさの中から懸命に生きて抜いていった話が、日本の象徴として深い共感を誘ったのです。
あるいは「イランの子どもたちと仲良くする会」の方に聞いた話では、1990年代に入ったころのイランで、子どもに最も人気があるアニメは『一休さん』だったそうです。子どもたちは日本人が来ると「一休さんは元気にしてますか」と聞いてくるのだとか。
「一休さんは昔の人だから、もう今は生きてないのよ」と答えると「えー、一休さん、子どもなのにもう死んじゃったんですか」という答えが返ってきたとか。

ここには大切なことがたくさんあります。私たちの国の戦後の歩みが、中国を含めて多くの国々の民衆レベルで深い共感を得てきたのだということです。そしてまさにそれこそが、海外での私たちの国の民の安全性を圧倒的に保障してきたのです。
そのことは戦後もさまざまな紛争を繰り返してきた世界の中にあって、日本が武力介入をしたことが一度もないために、反感や恨みを買うことがなかったことともセットになっていることです。
同時に国内でも私たちの国は、世界の中で「人殺し」が歩いている確率が極めて低い国です。OECDのデータでも、町を歩いていて殺される確率がダントツに低いのです。自衛隊が一度も他国人を殺していないというのはそういうことを意味するのです。
自衛隊の存在そのものは憲法9条への明らかな違反で矛盾ですが、私たちの国の民はこの軍隊に一度も他国の人を殺させなかった。ものすごい努力で軍隊を軍隊をたらしめてこなかったのです。それが私たちの国の中の幸せをも作り出してきたのです。

この溢れるほどの平和を、「平和ボケ」という人がいます。何をおっしゃいますやら。ボケていられるほどに平和なことがどんなに幸せなのか。紛争の中の人々の視座に寄り添って世界を観れば理解できるはずです。ボケていても襲われることなどない国こそがもっとも平和な国なのです。
これに対してアメリカは常に他者に怯え、身構えていなければならない国です。だからハローウィーンの仮装パーティーがあることが分かっているときにも、何者かが変な格好で家に近づいてくると、不安になって銃を向けざるを得ない。それで「フリーズ(とまれ!)」と叫ぶ。
ところがある青年がその叫びを「プリーズ(どうぞ)」と聞き違えて接近してしまった。そうして撃たれて亡くなってしまった。撃たれたのは日本の若者でした。人が人を殺すことなど想像もできなかった若者でした。
ここにある矛盾は何でしょうか。日本の若者が平和ボケだったからいけないのでしょうか。そうではありません。常に銃を持って他者に怯えなければならないアメリカ社会が歪んでいるのです。平和が壊れているのです。

ところがこれほどに世界の多くの国、地域の人々、中国などからも共感を得てきた平和国家としてに日本の位置が、この10年間、大きく揺らいできています。理由はアメリカのあまりに理不尽な戦争への加担を一歩ずつ強めてきてしまったからです。
このことで私たちが得ていた世界の中での信用は日増しに低下しています。そしてその分、私たちの安全性は日増しに悪化してしまっているのです。
安倍首相はアジアの中でも周辺国との無意味な軋轢を拡大することでさらに私たちの安全性を壊している。靖国参拝の強行では、アジアのみならず欧米の国々からも、安倍首相はファシズムに寛容なのではないかという懸念を呼び起こしている。
その総体が私たち日本に住まう人々への共感をどんどん後退させているのです。アメリカの理不尽な暴力に加担すればするだけ私たちの平和は崩れていく。その意味で安倍首相は日本人を守るどころか、安全地帯から危険地帯に駆り立てているのです。

そうして自衛隊が戦闘に参加したら、自衛隊員の心も壊れていく。そうして私たちの国には人殺しが増えていき、必ず社会に悪弊をもたらすようになります。
暴力は外側から振るわれるだけが怖いのではない。暴力は人を内側からも壊すのです。いやより激しく精神を壊すのは理不尽な暴力に加担したことでの心の葛藤です。平和な心を持てなくなる。優しい心を持てなくなる。だから人を愛せなくなってしまう。
私たちの国の自衛隊はどう屁理屈を言おうが明確に軍隊です。しかしまだ人殺しという重大経験を経ていない。鬼のように人を殺す「殺人機械」としての体験がない。だから自衛隊は世界の中で一番弱い軍隊です。
それでいいし、その段階で早く解体した方がいい。解体して兵士に人殺しは間違ったことだという再教育をしたのちに、災害救助隊に抜本的に改変をすると良い。そうして積極的に世界に派遣すればいい。その方が私たちの国の安全保障は圧倒的に強まるでしょう。

安倍首相はこうした平和の根本原理をまったく理解していない。暴力への浅はかなあこがれで突き進んでしまっている。
そんな安倍首相は軍事アナリストの間で「タカ派の平和ボケ」と言われているのだそうです。実は国防を真剣に考えたときも、避けるべき戦闘は避けた方が良いに決まっている。
とくに国土が狭く、海岸線が長い日本は、軍事的には防衛するのに非常に困難な国なのです。だから戦前においても軍部は植民地を広げ、防衛圏を拡大しようとしたと言われています。列島を守ることは困難というのは軍事的常識なのです。
しかも今は私たちの国の海岸線には、攻撃されたら最も弱い原発がたくさん並んでいる。過疎地にあって防衛などとてもできない位置にです。

これらを見たときに明確に分かるのは、実は歴代の自民党政権は北朝鮮をはじめ、諸外国のことを深く信頼していたということです。絶対に原発を襲われることなどないと思っていた。だから無防備なところに次々建てた。事実、北朝鮮はそのような兆候すら示したことがありません。
いわんや中国は、日本軍に攻め込まれて大変な被害を受けたにも関わらず、これまで日本のどこにも攻撃的な野心を示したことなどありません。
にもかかわらず安倍首相は、もともとは石原慎太郎氏による東京都への領有宣言から端を発した尖閣諸島などをめぐる問題などでの軋轢をどんどん広げ、韓国とも喧嘩ばかりをしている。
平和ボケしているので、軍事的緊張がもたらす危険性にあまりにも鈍感だと軍事アナリストたちが批判しているとおりです。こうしたタカ派の「平和ボケ」は大変な迷惑です。相手は本気に攻撃してこないだろうと甘えていながら、軍事的挑発だけは繰り返しているからです。

こんな甘い意識のもとに、理不尽な戦争ばかり繰り返しているアメリカに軍事的についていけば、日本は世界の人々の共感をますます失い、危険性がますだけです。
さらにアメリカは実は自国兵士の疲弊、心身の破壊に疲れている。だから代替できる軍隊を求めているのであって、そうなれば、理不尽な人殺しをさせられてボロボロになっていくことが自衛隊にまわってきます。
もちろん彼ら、彼女らの命も危険にさらされる。それと相即的に、日本が戦後に築きあげてきた尊いものが壊れていくのです。
安倍首相はその意味で外からも内からも、日本を危険に晒そうとしている。こんなこととてもではいけれども許せません。戦争に突き進む「タカ派の平和ボケ」の安倍政権を食い止めましょう!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする