明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(718)福島3号機は未だ不安定。この現実にいかに向き合うのか・・・。

2013年07月31日 17時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130731 17:30)

29日に深夜に京都に戻りました。この一週間ぐらい、福島3号機の状態に危機感を覚え、状況の分析と配信に力を入れてきましたが、それを通じて見えてきたことをまとめたいと思います。
まず3号機の現状ですが、その後の情報がほとんど出てきていません。僕が唯一見つけたのは福島民報の7月30日付の記事です。短いので全文を引用します。

*****

3号機建屋で湯気 第一原発放射線量変化なし
福島民報 2013年7月30日 09:50
http://www.minpo.jp/news/detail/201307309960

東京電力は29日、福島第一原発3号機の原子炉建屋5階部分で出ていた湯気のようなものが確認されたと発表した。23日以降、断続的に出続けているとみられ、詳しい原因を調べている。
午前7時ごろと午後4時ごろに確認された。東電は原因について、5階床の隙間から入り込んだ雨水が原子炉格納容器のふたで温められたことや、水素爆発を防ぐために格納容器内に封入している窒素ガスが漏れ出し外気との温度差で湯気となった可能性があるとみている。
周辺のモニタリングポストで計測される放射線量に目立った変化はないという。

*****

ちなみにこの福島民報の記事の出所を僕はつかめませんでした。東電による発表をくまなく点検してもこの29日の発表が見あたりません。そのため福島民報の記事を信頼して先に話を進めることをお断りしておきます。
ご覧のように29日も再び湯気が確認されたそうです。さらに「23日に以降、断続的に出続けているとみられ、詳しい原因を調べている」とあります。湯気が相変わらず続いていることと、東電自身が未だ原因をはっきりとつかめていないことがここから分かります。
それ以上は、推論はできても確からしいことは分かりません。あまりに情報がない。ましてや避難すべきか否か、何ら判断根拠になるものはありません。もちろん安全だと断定することもできません。

僕自身、7月25日から29日まで関東にいたわけですが、つくづくこの福島原発の現状に向かい合いながら、原発に近い関東・東北の町で暮らしていくことのしんどさを感じざるを得ませんした。
そこにお住まいの方に、こう書くのは申し訳ないのですが、しかしこんなこと・・・「原発が極めて危険なのでは、すぐにも崩壊するのでは」という状態がもう2年数ヶ月も続いているのです。こんなときに大きな地震が来たら、まずはお住まいのみなさんの胸が潰れてしまうのではないか。
いや実際に、これまでも何度も、揺れの強い地震があるたびに、「原発は大丈夫か!?」と、心臓がドキドキした経験を持つ方がたくさんおられるはずです。
こうした恐怖の連続に対して、人は一般的に、危機感を麻痺させ、危険を感じなくなることによって己を守ろうとする傾向を持っています。それが正常性バイアスですが、ある意味ではそれは生活の知恵であるとも言えます。しかしその重なりが、危機の察知能力を低下させ、危機そのものを深めてしまいます。

しかも同時に今回、考えざるを得なかったことは、福島原発の現状は、時間が経つに連れて安全度が増しているとはとても言えず、むしろ危機が少しずつ堆積していると言えるのではないかというとです。
何よりもあらためて実感したのは、放射能を閉じ込めることを任務とする格納容器が壊れてしまっていることの恐ろしさです。しかも壊れている度合いもはっきり分からない。だから湯気が出てきても、にわかになんであるか判断もできない。
そもそも福島原発は老朽化した原発でした。その炉がそれぞれ水素爆発や、核爆発をも含むと思われる爆発にさらされました。その後、非常に強い余震が何度もプラントを襲いました。
しかも内部のどこかに溶け落ちた燃料から、今も非常に高い放射線が出ています。放射線は生命体だけでなく、あらゆる構造物をも分子切断し、弱くしていくのであり、それがいかに構造物を弱めたかなど、計量などとてもできない形で格納容器や周辺の構造物に当たり続けています。燃料の発する熱も壊れた格納容器にとってのマイナス因子です。

こんな格納容器が、この先、どれほど持つのでしょうか。はっきりしていることは誰にも分からないという現実ではないでしょうか。明日、崩壊してしまうのかもしれない。少なくとも「そんなことはない。安全だ」というだけの科学的保障が全くないのです。放射能を閉じ込める最後の砦の「格納容器」が壊れているのはそれほどに深刻なのです。
ある原発に近い地域の方から、自分の周りで「3号機が崩壊する可能性は小さいらしいよ」という声が聞こえていると伝えてくださいました。しかし問題は崩壊の可能性があることそのものにあります。小さいか、大きいかではない。いや小さくとも危険性があることそのものが大問題なのです。しかも危険性の大小の問題も、判断する根拠がありません。
それが「福島原発の今」だと言わざるを得ません。だからこそ、ぜひともいざというときに備えて、避難の準備を怠らないで欲しいというのが、今、言えることですが、これを個人の努力だけで続けていくことも非常に苦しいものがあります。
例えば、今回、都心を走る電車の中で、マスクを着用しているのはほとんど僕だけでした。暑い最中です。マスクをし続けるのはしんどい。こうした中で一人、格闘することはなかなかに辛いことだと思います。

ではどうしたらいいのか。やはり可能であれば、原発の近くからできるだけ遠くに移住することをお勧めしたいと思います。現在の線量の問題だけでなく、今後の事故の拡大の可能性を考えてのことです。何せ格納容器の内部のものが漏れ出ているのです。
それが把握のできないうちに広がり、吸引してしまう可能性は十分にあります。いや格納容器からの漏れがなくとも、すでにそうしたことはたびたび起こっています。なぜなら各地で除染したあとに線量がもとに戻ってしまっているからです。
このことでしばしば「除染の無意味さ」が指摘されています。確かに「無意味」ですが、しかしそれ以上に、線量が再び上がるということは、放射性物質が対流していることの証左です。そこにいれば吸引してしまう。吸引による内部被曝が起こっているのです。
それに加えて、格納容器の密閉性が失われている。当然にもそこからの漏れ出しが続いており、いつ急激に拡大しないとも限りません。もちろん破滅的な事態の進行の可能性もあり続ける。そうした状況下で暮らしていることが極めてリスキーであることを説かざるを得ません。

しかしそうは言っても多くの方が、移転するのには大変な困難があること、これまで営々と築いてきた人間関係が失われるなど、手放してしまうことがあまりに多いこともよく分かります。移転後の生活の保障も大問題です。
ではどうするか。避難の代わりに、地域で、友人間で、あるいは可能であれば行政を巻き込んで、できるだけ多くの人と一緒に避難訓練を行うように努力してください。まずは図上訓練でいい。それを進めて欲しいのです。なぜか。直接には避難訓練を絶対に行わなければいけない危機が目の前に有り続けているからです。
そして第二に、避難訓練を行うことで、放射能との向き合い方が、個人の努力に依拠するものから、集団で行うものへと少しずつ移行することが可能になるからです。その方が個人の放射線防護のモチベーションも強め、高いレベルで維持することができます。
この点については、原子力規制庁ですら、国民・住民に、避難の準備を行うことを求めているのです。僕はその内容の不十分さを批判するものですが、しかしどんなものであれ、原発災害を想定した訓練を行うことには積極的な位置があります。原発事故と放射線被害を意識することになるからです。

またこのようにリアリティをもって取り組むと、原発の近くに子どもたちがいることの危険性が鮮明に見えてきます。近ければ近いだけ、どう想定しても全体をすんなり逃がすことなどできないことが見えてくるはずです。そこから町全体が移転できなくても、可能な転出を進める必要性も多くの人に見えてくると思います。
具体的には学校の疎開です。小学校、中学校など、放射線に弱い子どもたちを組織的に先んじて逃がしておく。もちろんこれは今ある放射能からの防護としてもとても有効です。
こうした意識をみんなで育むためにも、原発災害をリアルに想定した避難訓練を地域で進めることが重要です。ぜひ全国で、とくに金曜行動などを担っているみなさんが、避難訓練を始めることの重要性に刮目して欲しいと思います。
僕を呼んでいただければ、もちろんどこにでも趣いて、「原発災害についての心得」などをお話しし、まずは第一歩である図上での原発災害避難訓練を手ほどきさせていただきます。是非ともこうした活動を広めて欲しいです。

私たちの前には、今なお、もの凄く大きな危機があり続けています。しかし打つ手はあります。次善の策もあります。大事なことは、危機を忘れることによって、仮想の「安全」の中に逃げ込むのではなく、できるだけ多くの人と一緒に、「原発の今」としっかりと向かい合い、災害対策を進めることです。
私たち自身の手で、安全をたぐり寄せていきましょう!

*****

これまでも紹介してきていますが、原発災害対策の講演内容を7分ほどにまとめたビデオをご紹介しておきます。

原発災害に備えよう
守田敏也
http://www.youtube.com/watch?v=2RxGAXsgWlQ

なお最近、ツイッターでも情報発信しています。@toshikyotoをご覧下さい。

 


 

 


 

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明日に向けて(717)福島3号機の「湯気」は格納容器内部から・・・避難準備と警戒を!

2013年07月28日 17時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130729 17:00)

昨日(27日)、茨城県の笠間市でお話し、今日は東京で再び不穏当な状態が続いている福島3号機関連の情報を分析していますが、情報の少なさに驚いています。今のところつかめているもので続報をお送りします。

まず最も重要な情報から載せます。26日に東京電力が、「湯気」の正体について、雨水が格納容疑上にたまり、加熱されて湯気となったという「推測」に依拠していた従来の立場を変更し、新たに格納容器内部からの漏れもある可能性に言及し始めました。この内容は報道関係向けにあてた以下のメールで発表されました。

福島第一原子力発電所3号機原子炉建屋5階中央部近傍(機器貯蔵プール側)で湯気の確認について(続報14)

http://www.tepco.co.jp/cc/press/2013/1229242_5117.html

この中で〈湯気の発生メカニズム〉が以下のように解説されています。そのまま引用します。

***

  シールドプラグの隙間から流れ落ちた雨水が原子炉格納容器ヘッドに加温されたことによるもののほか、原子炉圧力容器、原子炉格納容器への窒素封入量(16m3/h)と抽出量(約13m3/h)に差が確認されていることから、この差分(約3m3/h)の水蒸気を十分含んだ気体が原子炉格納容器ヘッド等から漏れている可能性が考えられ、これらの蒸気がシールドプラグの隙間を通して原子炉建屋5階上に放出した際、周りの空気が相対的に冷たかったため蒸気が冷やされ、湯気として可視化されたものと推定されます。

***

東電はまだ雨水が格納容器ヘッドに加温されたという見解を捨てていませんが、しかしこの部分の温度は30数度と伝えられており、とても湯気を発生させる温度ではありません。とすれば湯気の正体は、もっぱら格納容器内部からのものであると推測されます。

これは非常に重要な問題です。考えられるのは格納容器のおそらくは底部にある核燃料の塊=デブリの温度が上がり、冷却水がこれまで以上に蒸気を発生させて格納容器内の圧力を高め、それが格納容器のヘッドと容器の接合部分の劣化箇所から漏れ出してきているということです。

福島原発事故発生時も、炉内の冷却ができずに加熱が進んで水素と蒸気が大量に発生し、ヘッドと容器の接合部分のシール剤が熱によって劣化することで漏れを作り出し、やがて水素爆発を引き起こしたわけですが、今回もおそらくは同じ経路から内部の気体が漏れ出し、急激に冷やされて湯気となったのだと思われます。なお東電はこの気体の中身が窒素であると推測しています。窒素は格納容器内で繰り返し発生する水素が、一定濃度になると再び爆発を起こしかねないために、封入され続けているものです。

ここから推論できることは、明らかに格納容器内部ないし下部にある燃料体でこれまでになかった異変が生じ、温度上昇が起こっているということです。ただしそれがどれほどに深刻な事態であるのかは予想がつきません。おそらくは東電も十分には把握できていおらず、また事実を正確に伝えているとは思えません。そもそも「湯気」の発生が確認されたのは18日です。もう10日近くが経っている。東電はそれほど経ってようやく格納容器内部からの漏れの可能性を認めたのであり、その間、10日間近くも現実を的確に発表できずにきているわけです。

また湯気が窒素であるとするならば、水素爆発を防ぐために封入を続けているものが漏れ出してきてしまっているのですから、当然にも水素爆発の危険性も高まってしまうことになるのであって、この点で、格納容器内部のものが漏れ出してきているのは大変な問題です。もちろん、格納容器内部には大変な量の放射能があるわけですから、大気汚染を再び三度、汚染している問題もあります。

非常に悩ましいのは、こうした東電の発表から、現状がどれほど危険なのか。またどのような状態になったときに避難を決断すべきなのかを判断するのは難しいということです。これまで東電は繰り返し、事故を小さく見せる発表を繰り返してきました。虚偽のものも多くありましたが、東電自身が、事故が小さいものであって欲しいと願うあまりに過小評価に至っているものも多くありました。要するに虚偽体質の上に、正常性バイアス=事態の深刻化を認めず、「正常」に戻っていくバイアス(偏見)を事態に被せてしまうことが重なっているのです。

こうした東電の発表に事故当初、著しい追随を行ったマスコミもまた、こうした東電の体質に影響され、事態を厳しく見る観点を失っています。今回も、格納容器の漏れの可能性を指摘した東電のリリースを、多くの新聞社がそのまま流しているだけで、格納容器内の何らかの変化を示すこの重大事態への考察はほどんとありません。

それゆえにこそ、私たちは「危機を強く感じたら」、即刻、危険地帯を離脱できる準備を固めておく必要があります。この場合の何をもって「危機を強く」感じるのか。目安の提示ができないのが本当にもどかしいです。急激に周囲の放射線値があがることなどがひとつの目安になるとは思いますが何度も言いますが、今の段階では、まずはいつでも実行できるように、避難準備を進めてください。

繰り返しますが今すぐ避難しなければならないという情報を僕が持っているわけではないです。僕が理解しているのは、今、格納容器内で何らかの異常事態が発生しているという事実と、にもかかわらず東電はその把握、ないし発表までに10日間近くもかかってしまっているという事実、マスコミもまったくあてにならないという事実です。だからこそ、先々のことも踏まえて、すぐに逃げられるようにしておくことが大事なのです。

前回も掲載しましたが、さしあたって以下の記事をご覧になり、正常性バイアスにかからないようにすることの重要性をつかんでください。その上で具体的に避難のシミュレーションを行ってください。

明日に向けて(703)原発事故に備えて避難の準備を進めよう!http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/afc8cc8dbdd1b15aa9071bb5273771d1

またこれを機に、ぜひ遠く離れた友人・知人と個人間で防災協定を結んでください。どちらかが災害に襲われた場合に、他方が避難を受け入れる協定です。これを結んでおけばいざというときに目指すところが鮮明なのですぐに行動に移れます。家族がバラバラになり、連絡が取れなくなった際の集合場所にもなります。反対に相手側に災害が発生した場合は、すぐに避難の受け入れ準備を開始できます。可能なら個人間防災協定は複数結ぶと良いです。

また物資の備蓄も進めてください。私たちの国の政府は、東南海トラフ地震にそなえて1週間分の水と食料の備蓄を訴えています。最低限、この準備をしておきましょう。災害時にコンビニの食料は半日で売り切れて供給が途絶えます。ぜひそれぞれで備蓄を行ってください。これはさまざまな事情で避難に踏み切れず、やむを得ず自宅避難を選ぶことになったときにも非常に重要な助けになります。

あと、前号にヨウ素剤のことを書きましたが、その後に昆布をそのまま食べても良いのかという質問が寄せられましたので回答します。昆布をそのまま食べてもヨウ素を摂取できますが、緊急時に必要な量のヨウ素を摂取するためにはかなりの量を食べる必要があります。その場合、昆布は消化がよくないので、胃腸にかなりの負担がかかってしまいます。緊急時にストレスがかかっている状態での胃腸への負担はリスキーです。

なお、ヨウ素剤はこれまで40歳以上は服用の必要がないとされてきましたが、僕は従来からそんなことはないと考えてきました。これに対して原子力規制庁がつい最近、発表したヨウ素剤服用の指針でも、従来の見解に変えて、40歳以上も服用するように指示しています。このため年齢に関係なく服用してください。その場合、昆布でとる場合は、とくに高齢者の場合、胃腸の働きが弱く、昆布が腸に詰まって深刻な状態に陥ることもありうるので、だし汁で採るようにしてください。

「原発災害に対する心得」を3回にわたって特集した記事も紹介しておきます。必要に応じてご参照ください。

明日に向けて(556)原発災害に対する心得(上)http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a276d3555af84468c1db19966b59cf16

明日に向けて(569)原発災害に対する心得(中)http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0fd8fbc4681c2a073c73e4a0f95896bf

明日に向けて(571)原発災害に対する心得(下)http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ed69f6466c0d72c16f70a371e599df31

 

続いて7月12日に北茨城で7マイクロシーベルトの放射線が観測されたことについての追加情報です。まずは以下の記事をご覧ください。

北茨城市でホットスポット? 工業団地で高放射線量 工場の非破壊検査が原因かhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130725/dst13072522050008-n1.htm

記事内容が真実であるとすれば、この北茨城の高線量は3号機とは無関係であることになります。この点では少しホッとさせてくれる情報です。しかしここには他の重大な問題があります。ひとつにはそんな高線量を道路を通行中の車に浴びせたことは大変なことであり、一体誰が、なぜそのようなことをしてしまったのかを明らかにし、再発防止の手段をとらねばならないということです。この点がどうなっているのかまったくわからない。

二つには、これほど重大な事態がありながら、発表が二週間以上も遅れたことです。記事では北茨城市が計測し、24日に原子力機構に分析が依頼され、25日に規制庁が発表したとなっていますが、なんとも怪しい。北茨城市がこれほどの重大なことを同時に2週間も留め置くことなどあるのでしょうか。その辺の事実関係も徹底的に明らかにされなければなりません。そうでなければ、危機がただちに伝えられないあやまったあり方が広がるばかりです。それこそが危機をより深刻なものにします。

北茨城の事態に関しては以上ですが、3号機の問題の情報の少なさと言い、北茨城の件といい、この国が、ないし私たちが「危機慣れ」してしまっていることを象徴しているようにも思えます。もし3号機が最悪の状態に立ち入るならば、他の原子炉も手当てができなくなりますから、東日本壊滅の恐れもあるし、事態がどこまで広がるかもわかりません。だからこそ、それらを想定して対策を立てるべきなのです。東日本では広域の避難訓練が絶対に必要です。

にもかかわらず、危機が注視されなくなっている。繰り返しますが、そのこと自身が危機を深めてしまいます。このことをしっかりと見据え、それぞれの場所、地域等々で原発災害対策を進めてください。可能な限り行政を巻き込んだ原子力防災体制を作り出してください。私たちの命を、未来の命を、私たちの手で守りましょう。 

 

 

 

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明日に向けて(716)福島3号機が不穏当です。避難準備をはじめ最大級の警戒を!

2013年07月26日 12時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130726 12:30)

引き続き東京で情報分析をしています。福島3号機では間違いなく何か異常な事態が起きています。しかしそれがとれほど決定的なものかは分かりません。というか東電自身が事態を把握できていないのではとも思われます。

以下、情報を整理します。まず7月23日の朝日新聞の情報です。3号機から湯気が出ている箇所で562mSvの高線量が記録されています。建屋5階における最高値は2170mSvです。
http://www.asahi.com/national/update/0723/TKY201307230466.html

なおこの湯気が確認されたのは、7月18日です。このとき東電は、報道関係向け一斉メールで、ホウ酸水を準備したことを明らかにしています。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/2013/1229044_5117.html

一方で、昨日25日なって原子力規制庁が驚くべきニュースを発表しました。12日に北茨城で7マイクロシーベルトというきわめて高い放射線量が記録されていたというのです。規制庁はこの放射線は福島第一原発由来ではないと断言していますが、だとすれば一体なんなのか。近くには東海村もあります。ともあれ何らかの異常がこの付近で発生していることは間違いないようです。
http://www.47news.jp/CN/201307/CN2013072501002222.html

さらに過去にさかのぼると、7月4日と10日に現場で爆発ないし火災があったのではという情報があります。それぞれの映像をアップします。何らかの火災のようなものが見えます。なおこれらは当初流れたもののすぐに削除されたものをある方がキャッチしていてネットに出したものです。BBCもこれを使ってニュースを流しています。
http://www.youtube.com/watch?v=DLAqZE7xXL0
http://www.youtube.com/watch?v=BY019hV2dWQ
http://www.youtube.com/watch?v=EmBcCVbFJEY

以上、まだこれだけしかつかめていませんが、非常に不穏当な感じ、何らかの危機が迫っているのではという感じがします。東電は雨水が原子炉上部にあたって蒸発しているとの推測を出していますが、雨はこれまでも繰り返し降っていました。そのとき湯気は上がっていません。ということは、原子炉上部がこれまでとは違って高熱になっている現実があるはずです。

また福島原発事故当時を振り返ってみると、この格納容器上部は、シールドが破損して水素が漏れ出した箇所にあたっています。そのため、水蒸気が原子炉内部から出てきている可能性も否定できません。つまり冷却がうまくいかずに内部の温度が上がっている可能性があるのです。

もっと深刻に感じるのは北茨城市で7マイクロシーベルトもの放射線量が12日に測定されていることです。ちなみに北茨城市は、福島県南部と隣接するところです。ここでこんなに高い線量が出たとなると、何か新たな事態があったことは十分に考えられます。

しかも原子力規制庁はこれを2週間も公表しませんでした。選挙の前に出したくなかったのではないか。つまり自民党が選挙で勝つために、地域の安全がまた踏みにじられたのではと疑念も感じざるをえません。いずれにせよ、規制庁が異常があってもすぐには伝えてくれないことがはっきりとしました。

これらから推論せざるを得ないのは、3号機がコントロールを逸脱しつつあるのではないか。すでに高線量の放射線が出る何かがあったのではないかということです。だとしたら、本気になって緊急に災害対策を進めねばなりません。

まず新たな核分裂に備える必要があります。東電がホウ酸水を準備しているのです。だとしたら市民の側が手をこまねいていてはいけない。何よりも重要なのは避難の準備を進めることです。さしあたっては以下の記事を参照してください。原子力災害対策のついての心得を添付しています。動画もあります。

明日に向けて(703)原発事故に備えて避難の準備を進めよう!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/afc8cc8dbdd1b15aa9071bb5273771d1

さらにここに書けていなかったことですが、放射性ヨウ素の飛来にも警戒を強める必要があります。その場合、大事なのは安定ヨウ素剤の服用です。すぐにみなさんのおられる自治体にヨウ素剤の備蓄はあるのか、どこにいけばもらえるのかなど、問い合わせてください。

自治体から得られない場合、ネットでサプリメント製品なども手に入れられますが、僕が責任をもってお勧めできるものはまだありません。代わりにヨウ素剤の問題を真摯においかけている友人の以下のサイトに米国FDAサイト掲載の緊急時のヨウ化カリウムの作り方が掲載されているのでぜひ参考にしてください。
MICKEYのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ueda_beck

もっと簡単な手としては昆布のだし汁を作って飲むことです。これでもヨウ素が採れます。たくさん煮出して5杯以上飲めばかなり足りるのではと思えます。
ただし昆布がどれぐらいの大きさで何枚とか、僕も量を正確には把握していません。多く飲んでもほとんど問題はないので、たくさん煮出しておくと良いと思いので最初にたくさん飲んで、毎日、飲み足すといいです。

副作用についてですが、安定ヨウ素剤で副作用が起こる確率は、インフルエンザ予防注射のアナフラキーショックの確率0.01%の20分の1です。非常に少ない。私たちが病院などからもらってくるあらゆる薬の方がリスクが高いです。

それでも安定ヨウ素剤の副作用が過度に強調されているため、服用したときにプラセボ効果でショックを起こしてしまうことがあります。何か起こるのではないかという心理的な心配が症状を引き起こしてしまうのです。その場合、心臓がドキドキしたりして不安に襲われます。というか不安が倍増します。

これへの対策としては一人で飲まず、誰かと一緒に飲むことです。ショックが出るのは30分以内ですので、その間、大丈夫だったら問題なしです。周りに人がいると安心度が高まるので、プラセボ効果にはまる可能性もぐんと下がります。なので一人で飲んで問題はありませんが、心配なら誰かと一緒に飲んでください。昆布の出し汁でも心配な方は同様にすると良いですが、昆布だしの味噌汁を飲んで変な状態になった経験がなければまったく問題はありません。
このことを付け加えておきます。

なお避難に踏み切るかどうかはそれぞれの判断にお任せせざるをえないのですが、どこかで急激に放射線値があがったときは要警戒です。あらかじめどれぐらいのことがあったら自分が避難に踏み切るのかを考えてください。その場合も想定外のことがいろいろと起こりえるので、すべてをシミュレーションすることは不可能ですが、このように考えをめぐらしておくだけで、心の構えを作り出すことができます。そうでないと正常性バイアスにつかまり、事態をより軽くみようとする心理が働くので、ぜひ構えを作り出してください。

またしばらくは必要のない外出はお控えください。必要なときは、マスク、帽子を必ず着用し、しつこいぐらいうがいと手洗いを行ってください。家に入るときは最低でも服をはたいてから入ってください。こうしたことも実質的な効果とともに心の構えを作り出すことにつながります。

起こるかどうかわからない災害に備えることは心理的に辛いものがあります。しかし多くの災害が「忘れたころにやってくる」教訓を訴えています。防備を絶やすなという教訓です。ぜひ3号機のこの現状への構えを作り出し下さい。

みなさんの安全を心からお祈りしています。

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明日に向けて(715)福島3号機が不穏な中、笠間市で原発防災についてお話します!

2013年07月25日 21時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

 守田です。(20130725 21:30)

現在、東京に来ています。今日と明日はある方のインタビューです。

 その後、土曜日に茨城県の笠間市を訪問して午後1時半からお話します。 笠間市は東海原発から30キロ圏内に入る地域。ぜひ原発災害対策について話して欲しいということで、災害の際、いかに命を守るのかなどをお話しますが、実は今、福島3号機が極めて不穏な状態にあります。東電が周辺でのがれき撤去作業を中止し、ホウ酸を用意し始めたことが、数日前から伝えられています。

ホウ酸は中性子を吸収して、核分裂反応を抑えるために投入するもの。東電が原発が何やら危険な状態にあると判断していることは間違いありません。 にもかかわらず、毎回そうなのですが、東電は危機の可能性をきちんと伝えようとしていません。政府も同じです。そもそも現状では危機の兆候がたくさんあり、そのつど、伝えてられないという状態にもあるのでしょう。

しかしだからこそ、危機が本当に深刻した場合に、そのことが広く伝えられることがなく、またしても福島原発事故のときのように、避けられる被曝が大量に起こってしまう可能性があります。しかも次に起こる事故が福島原発事故の規模内に収まるという保障など何もありません。何せ、あのときと比べようもないほどに原発は壊れてしまっているのです。しかも一つの原発が深刻化すれば、他の原発への対処も放棄せざるをえなくなります。

だからこそ、私たちは、常に災害に備えておく必要があります。 とくに関東・東北では繰り返し避難訓練を行う必要があります。自治体レベルで行うのが望ましいですが、できないのならそれぞれの地域で、職場で、学校で、友人グループで、家庭で行ってください。

核心は事故をシミュレーションして、そのときどうするのかを決めておくことです。ヨウ素剤の服用も考えてください。行政が配ってくれたら必ず飲んでください。配られない場合、入手できない場合は、昆布で濃い目の出汁を煮出し、それを5杯以上飲んでください。それでもかなりのヨウ素を摂取できます。 ただし昆布を焦ってたくさん食べてしまうとお腹の中で膨れて危険です。出し汁で十分なのでそれを飲むことをシミュレーションしてください。

続いてどこにどう逃げるか。家族がどこで集まるかを考えてください。持ち出すものも準備してください。持ち出す際は、二度と帰れない場合を想定してください。その方が真に必要なものをセレクトすることができます。 その他、これまで「原発災害についての心得」を繰り返し書いてきましたので、そのページを参照して、事故対策を固めてください。

3号機がどうなるか、いつも十分な情報が与えられていない私たちに確からしい見通しを立てることができません。しかしできることはあります。最悪の場合への備えを固めることです。このように危機の可能性が語られているときこそ、準備を進めましょう。

笠間ではそうしたリアリティをお話します。これに免疫力をあげる食事の問題を付け加えます。お近くの方、ぜひご参加ください。 以下、案内を貼り付けます!

*****

守田敏也さんの勉強会のお知らせです。

3回目の勉強会になります。 以前に参加くださった方ももちろん!

最新情報も交えて、防災のお話も聞けますよ。

何事も知ることから始まります。 一緒に学びましょう。

平成25年7月27日

 『福島事故から学ぶ”原子力防災”について』 ~東海村から30キロ圏内。もう他人事ではない~

講師 守田敏也(フリーライター)

日時 平成25年7月27日(土)午後1時半より

場所 笠間公民館第三会議室(笠間市石井2068-1)

福島原発事故直後から情報を集め、発信し続けている守田敏也さんから最新情報を交えながら原子力防災についてお話いただきます。 日本最古の東海原発、311大震災でも大変危険な状態でした。今度また大きな地震・津波がきたら・・・・?? イザ事故が起きたとき・・・自衛する方法は??? 今こそ、明日の日本のため、子ども達のために、我々が知ることが大事です。 ご参加をお待ちしています。

明日の子どもを守る会 笠間

連絡先 asu_kasa@yahoo.co.jp

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明日に向けて(714)書評『ヒロシマを生きのびて』肥田舜太郎著・・・3

2013年07月24日 08時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130724 08:30)

昨日の続きです。肥田さんが繰り返し訴えておられるのは、現代社会に支配的になっている「はたらきバチ」的な生き方・・・生活の仕方からの離脱です。仕事優先でご飯をきちんとかまずにさっと飲み込むように食べてしまう。深夜まで労働し、休息に入ってもテレビを見ていて夜ふかししてしまう。食べるのもにも気を使わない。
医師の側からみて、それでは病気になって当然だという生活の仕方が横行している。「そんなことをしていたらガンに一直線です」と肥田さんは言われます。「そんな生活を送っていてはいけない。朝起きたら、今日一日、どうすればより命を長らえることができるかを考えなくてはいけない」とも。
とくに被爆者に対して、肥田さんは繰り返し、免疫力をあげて長生きしようと説かれてきました。平成に入ってから20年近く毎年ナンバーを重ねていった『被爆者ハンドブック』の中で、肥田さんは「被爆者はガンで死んではいけない。ガンで死ぬのは原爆に負けることだ」とまで言い切っています。
そのためには何が必要なのか。徹底した健康生活を守ることと、がん検診をきちんと受け続けて、ガンが出てきたら早期治療で退治してしまうことだと肥田さんは何度も被爆者の方たちに述べています。さらには生きがいを持つこと。では被爆者にとって生きがいとは何か。「生きていることそのもの。被爆の生きた証人として少しでも長くこの世に居続けること」と肥田さんは語られます。

こうした肥田さんの胸を熱くうつ観点は、肥田さんが戦後医療の領明期に、戦争で十分な医療的トレーニングを受けたとはいえない軍医あがりの医師でありながら、貧しい人々の中にわけ入り、あるいは被爆者の中にわけ入って、奮闘する中でつかまれてきたものです。
前回の書評1ではそんなエピソードの一つを紹介しました。気胸を治すために十分に空気を入れてあげることができなかった娘さんの父親に、看護婦さんにいざなわれて謝りにいくお話ですが、肥田さんはそうした実践を一つ一つ経ながら、目線を、社会的には医師よりも低く見られている看護師のもとへ、さらには患者自身のもとへとどんどん接近させていくのです。
そうして患者の側から病を見るようになっていく。そして患者の視点にまで合一した上で、専門家として医療行為を施し、アドバイスや励ましを与えていく。そうして患者の自己回復力、免疫力を引き出し、病の治癒を目指すようになっていくのです。
これをあえてヘーゲルの弁証法になぞらえるなら、当初は医師の視点(正の立場)にあった肥田さんが、その反対物である患者の視点(反の立場)に移行するわけです。その際、そこには医師としての己の自己否定というシビアな階梯があります。そして患者の目線から、患者とともに、医療的視点に止揚(アウフヘーベン)していく。患者の自己回復力の引き出しのもとでの医療の達成という合の立場に至るのです。

僕が『ヒロシマを生きのびて』に深く感銘したのは、この本の中には、従って肥田さんの歩みの中には、こうした己の捉え返し(自己否定)による飛躍の場面がたくさん出てくるからです。そうして肥田さんは医療に支配的だった「患者を治してやる」という立場を越え出ていく。
患者が自らを治す。それを助ける・・・そういう視点に立ったとき、現代では患者が自らを治す側面が社会的に阻害されていることに肥田さんは気づいていきます。最大の要因は、身を滅ぼしても働いてしまう価値観ですが、しかし医師の立場から言えば、現代医療が患者の主体性を引き出せず、しばしば受動的になるように「しつけてしまった」ことに原因があると肥田さんは見ていくのです。
今宵、紹介したいのは、そんなことに肥田さんが開眼していった場面のお話です。あるとき患者(17歳の女の子)に赤痢の疑いがあり、保健所で細菌検査をしていたところ、翌日になって腹痛を発症。ところが親は、赤痢で隔離されることを嫌い、違う医師のもとに駆け込み、その場で急性盲腸炎が発覚、すぐに病院に搬送されて手術を受けるのですが、赤痢を隠してしまったために、あやうく病院が感染しかかるという事態が発生しました。
このとき、この病院の医師と肥田さんが会話を交わすのですが、まさにその会話の中で、肥田さんは自らのうちに芽生えてきつつあった新たな医療観に気づいていくのです。その場面を引用します。なお本文にはありませんが、わかりやすいように対話をしたF医師の部分だけ「F医師」と名を入れます。


F医師「患者はどうして医者に正直にものを言わないのか、先生はどう考えます」
「あなたは院長と違ってざっくばらんだから、患者はものを言い易いんだろうと思っていましたが」
F医師「ため、だめ、なかなか本当のことを言わない。本気で心配しているのに、腹が立つことがある」
「患者をそうしたのは医者だは思いませんか」
F医師「医者が?医者がどうして」
「医者だけじゃなくて、医者を含めた古い封建社会の仕組みでしょう。素寒貧(すかんぴん)の庶民から見れば、身分のある者、金のある者は雲の上の存在で、うっかり本心を言えば必ず不幸な目にあうことを、徳川と言わず明治から今日までいやというほど味わってきています。
医師はうっかり口など利けない偉い人で、何か聞かれたら『はい』と『いいえ』だけ答えるようにしつけられてしまったのです」
F医師「それじゃ病気はなおせない」
「患者は、黙ってからだをみせれば医者は病気を治してくれると思いこまされてきました。そうしつけたのは医者です。以前、なんでも正直に言ってくれなきゃ困ると言うと、正直に話したら『患者のくせに生意気だ』『黙って医者にまかせればいいんだ』と叱られたと言われました」
F医師「しかし、ほかのことは別にして、自分の命にかかわることなんだから」
「じゃ、先生が高名な教授に診てもらい、『あの薬をのんで、かえって悪くなった』と言えますか。素人の患者にはおそれ多くて言えないのが普通だと思いませんか」
F医師「あなたは不思議な人だ。いつからそんな風に考えるようになったんです」
「原爆からかもしれません。何百、何千という放射能患者を診て医学医療の無力さを体験して、命を守るのは病人自身の心とからだ、医師は医学と医術で手伝うだけ。その医学、医術も不完全で分からないことばかりです。
謙虚に学ぶことが一番と思うようになりました」
思わぬ長居を詫びてF宅を辞したが、話し合っているうちに自分の医療観、患者観のようなものがいつの間にか形を整えていることに気がついて驚いた。
・・・同書p105,106

続く

 

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明日に向けて(713)書評『ヒロシマを生きのびて』肥田舜太郎著・・・2

2013年07月23日 22時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130723 22:00)

参院選が終わりました。自民党の「圧勝」と報道されています。てやんでい!と僕は思います。この国の選挙制度は相当に歪んでいる。その上、事前からマスコミで自公圧勝の大合唱(東京新聞は別ですが)。そんなことで民衆の側の「負け」を感じる必要などありません。
それにこれで「ねじれ」の解消だとか言われていますが、国会ではともあれ、自公政府と民衆の間のねじれは何ら解消されていません。なんたって自民党が背を向ける脱原発と改憲反対が多数派なのですから。「ねじれ」はむしろより強烈になりました。
このことは比例区の得票を見るとはっきりと分かります。原発推進を掲げたのは自民党と幸福実現党のみ。その得票は幸福実現党の191,643票を加えて18,652,047票です。これに対して他の党はすべて脱原発の道を掲げましたが、得票の合計は28,156,561票です。割合にして35対65。議席数は18対30です。
にもかかわらず、選挙区は1人区が多く、大政党に圧倒的に有利なため、民主党が崩れて自民党が一人勝ち。そのことで議席総数としては自民党の「圧勝」になってしまいました。一票の重みが5倍近くも違っている地域があることを含めて、どう考えたってこんな選挙の仕組みはおかしいです。

この矛盾故に強まるばかりの「ねじれ」にはエネルギーがあります。だからそれを解き放つために努力すればよい。実際、このねじ曲がった選挙制度の中でも、山本太郎さんの勝利や、原発即時ゼロを鮮明にした共産党の比例区での伸びと東京、京都、大阪選挙区での勝利など、「ねじれ」のエネルギーが解放に向かった現実もありました。東京は脱原発派が議員数も多数派です!
若者の多い緑の党は、「組織票」で彩られたこの選挙の世界に、市民スタイルのままに登場して頑張っただけでも大きな意義があったのでないでしょうか。得票は457,862票。よく見てください。自民党とは40対1です。あのたくさんの巨大資本をバックにつけた自民党に対し、自力では選挙区ではポスターも十分にはりきれないような「組織力」しかない党が40対1の奮闘です。
よく考えましょう。実際はそんなにものすごい差があるわけではないのです。資金力の差だったら40対1どころじゃないですよ!!4万対1でもおいつかないのでは?にもかかわらず票はこれだけ取れているのです。
その緑の党をも応援しながら一人で立った山本太郎さんは、頭に大きな円形脱毛症を作りながら頑張ってくれました。もちろんサポーターの奮闘があっての勝利です。素晴らしいですね。こうした奮闘にみんなで続きましょう。諦めず、へこたれず、前に向かって歩みましょう!なあに、人の心をつかんでいない政権なんてそのうち倒れます!いや倒しましょう!


このように、政治の面では僕はまだまだ楽観的です。しかし一方で、放射能汚染の面ではとてもシビアなものを感じ続けています。人々の政治的意識は変わる時には変わる。がらりとすら変わりうるのですが、放射能が急激にガクッと減るということはありえません。
しかもすでに「終えてしまった」被曝がたくさんあります。放射性ヨウ素をはじめ、セシウムなどと比べて半減期が短いものがたくさん原発から飛び出しました。これらの方が単位時間あたりの放射線量が圧倒的に多い。ヨウ素131の単位時間当たりの放射線量はセシウム137のおよそ1400倍です。
それが人々をすでに貫いてしまったのです。しかもその上にセシウムなどからまだまだ放射線が出続けています。当然にもその影響がすでに深刻に表れ出しています。私たちはそれと立ち向かわなくてはいけない。もはや「放射線防護」だけでは足りません。免疫力を最大限にあげて、被曝の影響による健康被害を押さえ込んでいかなくてはならないのです。
同時に健康被害の増大は、確実に現行の医療体制へのダメージを蓄積しています。日本の医療は人手不足、公的資金不足でもともとアップアップの状態でした。そこに放射能の被害が襲っています。だから医療を支え、守らなくてはなりません。このことを本当に真剣に考えなくてはならないと僕は思うのです。

そのために取り上げたのが、肥田舜太郎さんの名著『ヒロシマを生きのびて』です。今回は書評の2回目になりますが、ここで僕が、この書物をみなさんに紹介する中からお伝えしたいことをあらかじめまとめておこうと思います。
肥田さんが被爆者医療のみならず、戦後医療界の再生を担いながら学んでこられたことは、私たちが病や怪我と格闘するとき、身体を治していくのに一番重要なものは、私たち(医療サイドから言えば患者)自身の回復力だということです。
にもかかわらず医師の側からすれば、医師の技量や医薬の側に重点が置かれがちになってきた面がある点を肥田さんは早くから問題にされてきました。医療を受ける側から見ると、自らの身体を治すのは己だということを忘れて、医療に依存がちになってしまっている面があるということです。私たちはこうしたあり方の克服を目指す必要があります。
実際に肥田さんは講演の中でもよく次のように言われます。「みなさんは普段、自分の健康のことをきちんと考えていない。病気になったら医者にいけば良いと思っている。それではいけない。かけがえのない自分の命を自分で守らなくてはいけない」・・・。

このことにさらに一歩踏み込んでみると、「働かざるものは食うべからず」という勤労に非常に大きな価値をおいた現代において、私たちはふだんに己が身を振り返らずに猛烈に働いていく「はたらきバチ」になっていく傾向を有しており、ややもすれば自らの健康を顧みずに働いてしまう面が強いことと密接に関連していることが見えてきます。
何かを成し遂げるために、「寝食を忘れて」打ち込むことが私たちの社会では美徳と捉えられやすい。休むことは無駄なことであり、できるだけ休みを削り、仕事に打ち込むことが尊く美しい・・・全体として私たちの社会、ないし日本の社会にはそうした傾向が強くあるのではないでしょうか。
マルクス主義的に言えばこれを「資本のもとへの労働の包摂」と言うこともできるでしょう。労働者が搾取されながらいやいや働いているのではなく「寝食を忘れて」仕事に打ち込んで、資本を大きくしていくことに貢献していっている状態をさす言葉です。(廣松渉『今こそマルクスを読み返す』などを参照)
別に搾取労働でなくても、同じことがたくさんあります。実は僕自身もそうした面を持っている。放射線防護の活動を担っていて、寝食を忘れ、走って走って、それで2012年の初頭には身体を悪くしてしまいました。その頃、看護師の友人から「あなたの活動の仕方はワーカホリック(workaholic)そのものだ」だと指摘されました。仕事(work)とアルコール中毒(alcoholic)の合成語で仕事中毒の意です。

その場合、私たちは私たちの身体のことを忘れています。「寝食」、まさに寝ることと食べることが、身体にとって最も大事なものであることを完全に欠落させてしまっています。むしろ身体をどこまで追い込めるのかを「頑張り」の目安にしてしまうようなところすらある。身に覚えはないでしょうか。
私たちの受けてきた教育も、社会的価値観を反映して、身体のことを大きく欠落させています。私たちはご飯の正しい食べ方を習ってこなかったし、眠り方を習ってこなかったし、休息の大切さを習ってきませんでした。いや小学校では習ったようなかすかな思い出がありますが、中等、高等教育で消えていってしまいました。
大学になるとどこでも構内にコンビニエンストアがあり、砂糖たっぷりの飲料が並んだ自動販売機が置かれていますが、これらは、日本よりもずっと先に食が悪化し、国民・住民が激太りになったアメリカで、最近になって学内からの撤去が進められているものです。
どうしてそうなってしまうのでしょう。指摘できることは、資本の価値増殖に最大の価値をおいている現代社会においては、人間の自然状態は必然的に邪魔になるということです。日の出とともに起き出し、日没とともに仕事を終え、休息をとり、遅くとも夜の10時には就寝していく。そんなサイクルに合わせていては資本は儲けを進められないのです。

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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明日に向けて(712)この夏子どもたちとともに放射線防護を進めよう!(夏期保養キャンプにむけて)・・・2

2013年07月21日 16時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130721 16:30)

すでに(692)でもお伝えしましたが、この夏も福島や東北・関東の子どもたちを迎えた保養キャンプが各地で行われます。
放射線値が高いところから子どもたちを安全な地域に招き、デトックス=放射性物質や身体に悪いものの排出を促し、子どもたちの免疫力を高めて元気にしていく試みです。
僕も今夏は4箇所のキャンプに関わり、子どもたちと一緒に、食べ物の話、放射線からの身の守り方などを学ぶ対話形式のお話会をさせていただくことになっています。一部では子ども達と憲法と人権についても学びます。

参加の予定をお伝えしておきます。

8月2日には大阪府枚方市で行われる「やんちゃっこin枚方」に参加してお話します。

8月10日には滋賀県大津市で行われる「元気いっぱいびわこキャンプ」に参加してお話します。

8月12、13日、17、18日には、滋賀県と京都府で行われる「びわこ1、2、3キャンプ」に参加し、13日と17日にお話します。

8月15日には京都府で行われる「ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ 2013「夏の家」」に参加してお話します。

都合、4つのキャンプに7日間参加し、5回お話させていただきます。子ども達といろいろなことをお話し、学び、子どもも大人も一緒に元気になっていけるように頑張ります!

さてそれぞれのキャンプともに、本来、政府と東電が払うべきお金を自分たちが負担して、キャンプを運営しています。
長丁場の「びわこ1、2、3キャンプ」「ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ」をはじめ、どのキャンプもまだまだ人員もお金も足りていないようです。
それぞれのキャンプのカンパ要請、ボランティア要請の案内を貼り付けておきますので、余裕のある方はご協力をお願いします。
なおボランティアについての詳しいことは、それぞれのキャンプに直接、ご連絡してお聞きください。どうかよろしくお願いします。

*****

東日本大震災支援プロジェクト 
びわこ☆123キャンプ!
ご支援とご協力のお願い

「東日本大震災による原発事故から2年余り経ちますが、福島県はもとより、東北から関東にかけて未だ放射線量の高い区域があり、そこに住む人たちは、今もなお不安を抱えながら生活されています。
この事態を許してしまった大人として私たちは何をおいても子どもたちを被ばくから守りたいと思いました。
チェルノブイリの経験から 汚染地域にいる子どもたちが汚染されていない地域に長期の保養をしに行くことが、体内にたまった放射性物質を排出したり、免疫力を高めたりする上で、たいへん有効な取り組みであることが知られています。
いつの日にか、国が子どもたちの命を一番に考えてくれる日まで私たちは保養キャンプを続けてゆきたいと思います。
どうか力のない私たちに、皆さまのお力を貸していただけますよう心よりお願いいたします。

期間:2013年7月22日(月)~8月22日(木)
宿泊先:
7/22(月)~7/28(日)… 白藤学園マキノ研修センター
            (滋賀県高島市マキノ町新保1132)
7/28(日)~8/5(月)… NPO法人 京都でてこいランド
            (京都府南丹市京丹波町下山土淵61-7)
8/5 (月)~8/14(水)… のらねこ軒
            (滋賀県大津市北比良964-29)
8/14 (水)~8/22(木)… 白藤学園マキノ研修センター

後援:滋賀県・滋賀県教育委員会
   滋賀県社会福祉協議会
   高島市・高島市教育委員会
   大津市・大津市社会福祉協議会
   南丹市
協力:よつ葉ホームデリバリー京滋、近江産直

お申込み・お問い合わせ
事務局 暮らしを考える会
Tel:077-586-0623
Fax:077-586-1403
Mail:kurashi2005@mail.goo.ne.jp

赤い羽根「災害ボランティア・NPO活動サポート基金」助成事業
「京都新聞社会福祉事業団」助成事業

被災者の方々の負担にならないよう、宿泊費や交通費・食材費などを
できるだけ一人ひとりの支援でまかなえるよう、ご協力をお願いします。

カンパ振込先
ゆうちょ銀行
振替口座記号番号 00910-1-256985
加入者名 びわこ☆1・2・3キャンプ実行委員会
一口 1000円 (何口でもOKです!)
よろしくお願いします☆

ボランティアも募集中で~す!
くわしくは事務局まで!!

びわこ123キャンプ Facebook
https://www.facebook.com/Biwako123camp

*****

放射能から子どもたちを守りたい!
ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ 2013「夏の家」

■2013年夏キャンプ概要
期間:2013年7月24日(水)~8月31日(土)

場所:NANTAN 交流の家 (NPO法人 使い捨て時代を考える会 所有)
〒622-0056 京都府南丹市園部町埴生垣内14

参加定員:30名前後
http://55wakuwaku.jugem.jp/

ご支援のお願い

今年も7月24日~8月31日に「夏の家」を開催します。
放射能汚染された地域に住むこどもたちを少しでも被ばくから遠ざけ、からだとこころを休める環境をつくるゴー!ゴー!ワクワクキャンプの活動は、多くのみなさんのお力添えによって成り立っています。
保養キャンプは長期的に継続していくことが必要とされます。どうぞ末永くご協力お願いします。

≪カンパの振込先≫
郵便振替口座 00930-9-217334
加入者名 「ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ」

いただいたカンパは、今後の活動費として大切に活用させていただきます。

“手伝ってくれる人” 募集要項
申し込みをする前に、必ずお読みください。

■ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ 2013「夏の家」概要
期間:2013年7月24日(水)~ 8月31日(土)(予定)
場所:南丹・交流の家(NPO法人 使い捨て時代を考える会が所有する古民家)
所在地:〒622-0056 京都府南丹市園部町埴生垣内14
参加対象者:放射能に不安をかかえながら生活をしているお子さんのいるご家族(これまでのキャンプでは主に東北・関東にお住まいの方が参加)

■“手伝ってくれる人”とは?
40日間に及ぶキャンプの開催期間中、こどもたちと生活を共にし、放射能のストレスにさらされているこどもたち(時に大人も)が精神的、肉体的にリラックスできるようサポートをするボランティアスタッフのことです。仕事内容は大きく「こども見守り班」と「調理班」にわかれます。
交通アクセスのよくない場所での長期間にわたるキャンプですので、出来るだけ大勢のスタッフが、「平日だけ」「週末のみ」、「お盆休みだけ」といった形でローテーションを組む必要があります。また、「こども見守り班」を希望される方は、こどもたちとの信頼関係を作るためにも、最低3日以上滞在できる方を募集しています。「調理班」を希望される方は、宿泊場所の関係上、基本的に日帰りで参加できる方を募集しています。宿泊可能な場合もありますので、ご相談ください。

■費用負担
ゴーワクはカンパと参加者の食費だけが収入源です。昨年までは手伝ってくれる人の交通費と食費(500円/日)は各自ご負担いただきました。今年は、「手伝いたい」と思ってくださる方ができるだけ参加しやすいように、交通費と食費をゴーワクで負担いたします。ですが、この活動は今後も長期にわたり継続していく必要があります。交通費と食費に関して、カンパとしてご協力いただける方はお申し出くださいますよう、よろしくお願いいたします。

■ボランティア保険加入について
手伝ってくださる方にはボランティア保険にご加入いただきます。ゴーワクで一括加入する保険に関しては保険料をゴーワクが負担します。すでにボランティア保険やそれに相当するものに加入されている場合はお知らせください。

■申し込み方法
参加いただける方は、申し込み用紙にご記入の上、以下のメールアドレスまたは事務局までお送りください。必要書類を確認した後、参加の可否を事務局より連絡いたします。

郵送先:〒606-0025 京都府京都市左京区岩倉中町568 丸静荘
ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ事務局宛
Mail:5wakumembers@gmail.com

※常駐の職員はおりませんので、ご不明な点がありましたら上記アドレスまでメールでご連絡ください。

申し込み用紙は下記をクリックして、申請書をご記入ください。
『2013夏の家 手伝ってくれるひと申し込み用紙』(wordファイル)
http://firestorage.jp/download/a51d3c0b8f78275acf5ff48501d848f48b6bb4d1

『2013夏の家 手伝ってくれるひと申し込み用紙』(PDFファイル)
http://firestorage.jp/download/7b4419e164b5003e8afd2cf075e4e70b1d24d082

おーちゃん

詳しくは以下より
http://55wakuwaku.jugem.jp/?day=20130709

*****

やんちゃっ子in枚方

日時  2013年7月31日(水)~8月5日(月)
場所  誓願寺(枚方公園駅から徒歩5分、大阪府枚方市伊加賀本町5-8)
対象  子ども10人程度(原則、福島在住の小学4年から6年)
※保護者同伴の場合は、年齢を問いません(近隣の県の方はご遠慮下さい)
参加費 子ども交通費無料(参加費5000円)
※大人は交通費半額負担

希望者には甲状腺を含む医療検査(健康相談会ではありません)を受診できるように準備します。
希望する保護者には、関西の避難者ネットワークとのお話会をすることを考えています。
講師をお呼びして、内部被曝についての学習会を考えています。

主催:やんちゃっ子 ひらかた
後援:枚方市、枚方市教育委員会、枚方市社会福祉協議会(申請中)
協力団体:『放射能から子どもたちを守る枚方の会』『放射能おことわりの会』『ひらかたAKAYの会』

協力のお願い

福島や東北の子どもたちの保養のために・・・
今年の夏も「やんちゃっ子ひらかた」保養キャンプを行います

この取り組みを成功させるには皆様のご支援が必要になります。
力をお貸しくださるよう、よろしくお願い致します。

協力金のご協力をしてくださる方は、下記へお振込みをお願いします。

郵便口座 00940-9-257050
口座名 やんちゃっ子ひらかた

お問い合わせ
やんちゃっ子ひらかた事務局 TEL&FAX 072-807-7995
Email info@akari-nono.com

詳しくは以下より
http://yancyakkohirakata.blog.fc2.com/blog-category-1.html
http://yancyakkohirakata.blog.fc2.com/img/event_chirashi.jpg/

*****

元気いっぱいびわこキャンプ

私たち関西きんじょすくいの会では、これまで3回の保養キャンプを実施することができました。いつもいつも、皆様からの気持ちのこもった温かいご支援のおかげです。改めて御礼申し上げます。
東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から2年がすぎました。日々の報道からは震災と事故の話題は減り、被害や惨禍より、明るい復興の様子を伝えるものが多くなっているように感じます。けれども、それだけが果たして現地に暮らす人々の実情といえるのでしょうか。
福島在住のスタッフから届けられた日常を伝える写真のなかの光景には、危険なものは一切入り込んでいません。武器もない、血も流れていない。そこに放射能があることは、一見わかりません。そんな状況の中、忌避するか、無視するか、妥協するか、工夫を重ねるか・・・どの選択もとても重いものだと思います。
その土地で暮らす次代を担う子どもたちが、放射能を気にすることなく安心して過ごし遊ぶことのできるように・・・と始めたキャンプです。末永く私たちの活動を見守り続けていただければと思います。
今夏のキャンプも、どうぞよろしくご支援を賜りますようお願い申し上げます。

振替口座番号 00930-3-201373  
加入者名 「関西きんじょすくいの会」

日時: 2013年8月7日(水)から8月12日(月)まで
(出発は7日朝、帰宅は12日朝→往復ともにバスで移動。復路、車中で一泊。)
宿泊場所:白雲山荘(滋賀県大津市南小松1838-5)

対象: 宮城県、福島県、その周辺在住の子ども(国籍、民族を問わず)
プログラム:琵琶湖での湖水浴を中心に現在検討中

主催:関西きんじょすくいの会 (代表者:神代大輔)
協力:白雲山荘、およびペシャワール会元現地職員
大阪でひとやすみ!プロジェクト(関西への一時避難・移住・保養支援)
問い合わせ:関西きんじょすくいの会 神代大輔
E-mail  kobekinsuku@yahoo.co.jp

詳しくは以下より
http://blogs.yahoo.co.jp/kobekinsuku/11177355.html
 

 

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明日に向けて(711)祝島を訪れて・・・3

2013年07月20日 16時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130720 16:00)

祝島訪問記の3回目です。今回は原発建設を食い止めるためにこの海域で行われてきた祝島と上関の人々の奮闘をご紹介します。当時の様子を記録した映像もネットからひろって貼り付けました・・・。

長島の四代沖で入会をめぐる攻防についての説明を高島美登里さんから受けた後、船はまた進みだしました。遠くに祝島が見え始めました。祝島はちょうど長島の田ノ浦と向かい合う関係にあり、室津からは目にすることができません。ようやく目にした祝島に心が踊りました。
船はまずは田ノ浦沖へと向かいました。走る船の中で、美登里さんが予定されている上関原発についての解説をしてくださいました。この原発は原子炉建屋と放水口、取水口が遠く離れていることに特徴があります。なぜそうなっているのかというと、反対派の土地が各地に点在して建設を阻んでいるからです。
このため仮に原発が完成した場合、放水と取水を結ぶ巨大な長いパイプが必要になります。これらのパイプは中に海水が取り込まれますからフジツボなどが付着し、除去するための不断のメンテナンスが必要になりますが、これほど長いと費用は甚大なものになってしまいます。危険なだけではなくあまりにも効率の悪いプラントなのです。
しかも塩素処理水が大量に使われ、これらが取り払われたフジツボとともに排水口から流れ出てくるため、海の汚染が、他の原発よりもさらに激しくなります。中電はそんなことはお構いなしにただひたすら建設を強行しようとしてきたのでした。

田ノ浦に近づくと遠目から黄色いブイが見えてきました。中電が工事地域を示すために2009年に投じたものだそうです。しかし9基あったものの過半が今は流されて消えてしまっている状態だとか。
この今は数基のブイしか見えないこの海域を中心に、これまで工事を強行しようと大きな台船をしたてて攻めてきた中電に対し、美しい海を守ろうとする祝島や上関の人々、全国からかけつけた支援者の懸命な抵抗が繰り返されてきました。
海上の攻防が始まったのは2005年のボーリング調査から。2009年9月には中電が先ほど書いたブイを投じようとしたことに対し、ブイが持ち込まれた平生町の田名埠頭の海と陸に人々が結集。陸上での座り込みとともに祝島から来た何艘もの漁船がピケットをはり、ブイの搬出を食い止め続けました。
海の上には若者たちの乗るカヤックも登場。やがて「虹のカヤック隊」と名乗るようになり、祝島からの漁船とともに、工事用の大きな台船と対峙しました。

このカヤック隊に対し、中電の船が非常に危険な前進後退を繰り返して迫ってきている映像があります。こうした圧力にも負けず奮闘している若者たちのこと思いながらご覧下さい。

カヤックの目前で前進と後退を激しく繰り返す中電の船 (35秒)
2009年9月22日
http://www.youtube.com/watch?v=OfLSbXpHNUg&feature=related

また必死で海を守りぬく人びと、とくに祝島の女性たちの思いをとてもよくとらえている映像がありました。
2010年に経産省の役人たちを乗せた船が視察にすることをキャッチした祝島の女性たちが、この船の横に祝島の船を横付けし、若い官僚を説得しているものです。ぜひご覧いただきたいです。グッときます。
なお、祝島のおかあさんたちが乗っている船が、救急患者の搬送にも使われている通称「ヤンマー船」です。今回の旅の最後に、祝島から上関に帰るときに僕らも乗せていただきました!

「原発はいりません」 祝島の女性たちの28年間の想い(9分52秒)
Masayuki TOJO
http://www.youtube.com/watch?v=55LJ1lWxC-Y

さてこうした攻防の中でもひときわ激しかったのが2011年2月に行われた埋め立ての強行でした。たくさんのガードマンをも動員しての激しい攻撃でした。これについては2つの映像があります。

中国電力 約600人動員し作業強行① 2011.2.21~ (9分9秒)
スナメリチャンネル Masayuki TOJO
http://www.youtube.com/watch?v=pCkelxvk90Q

中国電力 約600人動員し作業強行② 2011.2.22(3分41秒)
スナメリチャンネル Masayuki TOJO
http://www.youtube.com/watch?v=LSsByMcXDXo

実は当時、僕はこれらをたびたびネットの実況中継などでみていました。祝島に駆けつけることはできませんでしたが、三里塚の反対運動と違って、こうした攻防がライブで流されていることに大きな進歩を感じました。
というのは三里塚でもどこでも、権力者たちは報道が少ない時、いないときに一番ひどい暴力を振るってきます。しかし今は、抵抗する側自身がネットを通じて現場の状況を配信できる。
そこに多くの人々の目があれば、その分、暴力は弱まります。そう考えてせめてもウォッチを続けようと思ったのでした。

今回、実際にそうした攻防が繰り広げられた海の上に行って、とても感慨深いものがありました。今はただ静かな波の上に顔をだしたブイがプカプカしているだけですが、ここは本当にたくさんの人の思いがこもっているのです。
美登里さんが攻防のときの話をしてくださいました。「ちょうどあのブイが今あるあたりに台船が10台もやってきたんです。地上何メートルもあるようなものすごい大きな船が怪物のように迫ってきたのですよ」
「工事は埋め立てが目的でした。祝島からも何隻も船が来てくれたのですが、中電の船の方が多くて全部を守りきれず、多少ですけれども土砂を入れられてしまいました。ここには砂一粒入れさせたくなかったのでとても悔しかったです」

田ノ浦の海岸を遠目からみながら、こんなことも教えてくれました。「あの辺に中電が杭打ちをやろうとして、私たち、みんなでその杭にしがみついて抵抗したのですね。私も海の中に打たれた杭に必死で飛びついて、大ハンマーで打ってくる杭の上を手で封じました」
「そのとき杭を打っている人はトビの職人さんでした。少し前に攻防があったときに、誰かが「あなたもプロの工事人としてのプライドをもって。こんな酷いことはしないで」と言ったら、その人が「俺は工事人じゃねえ。トビだ」と怒鳴ったのが耳に入ったのです。
それで『あなたも誇りあるトビならこんなことはしないで』と叫びました。そうしたらその人、涙目になって「俺だって、本当はこんなことはしたくねえよお」と叫ぶのです。あとになってこういう方たちはどこに連れて行くとも知らされずに現場に連れてこられていたことを知りました。
ガードマンの人たちもそうでした。話をしてみたら、「ここにきて、こんなことをするなんて知らされてなかった。もう二度と来ない」というのです。まるで騙して連れてきているようなもので、本当に中電はひどいことをするなと思いました」。

少し前後しますが、美登里さんはこの長島での買収を行った中電が、「こんな地域はまったく意味も価値もない。ここにいたって何もいいことはない。原発を建てて、仕事ができて、補助金をもらったほうがずっといい」と繰り返し人々に語り、つつましやかな暮らしを送っていた人々の心を蝕んでいったことも教えてくださいました。
人々のつつましやな生活に悪罵を投げつけ、危険な原発を「絶対安全」とうそぶき、確実にある海の汚染を「絶対にない」とけろりと言いのけ、しかも工事の強行にあたっては、ガードマンやトビの人々を騙して連れてきて抵抗する人々にぶつける中国電力。それを傍目で見ていて、たびたび中電の味方をする海上保安庁や警察。なんとひどいことでしょう。
こうした土地買収や建設の進め方、入会地を壊していくありかたそのものに原子力発電所と、これに依拠するこの国の為政者たちの非人間性がはっきりとあらわれていることを、この、今は静かな海は教えてくれています。
悪辣な仕打ちに怒りを感じるとともに、この海の美しさだけではなく、人の心の美しさをも守りぬくために、祝島と上関の人たちが汗水を流してきたことを感じ、深く胸を打たれました。

「さあ、そろそろ祝島に向かいましょう」・・・美登里さんのその一言で、「きぼう号」は田ノ浦沖を離れ、祝島へと進み始めました。船が速度をあげて島影がどんどん大きくなるにしたがい心がワクワクするのを止められませんでした。

続く

 

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明日に向けて(710)祝島を訪れて・・・2

2013年07月19日 08時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130719 08:00)

祝島訪問記の2回目です。

昨日述べたように、上関の海は長い歴史の中で受け継がれてきた人々の共有財産としてあります。まさに素晴らしい社会的共通資本としての海です。その海を守ろうと、長島の人々が努力を傾けてきたのですが、その中でまさに「社会的共通資本」の理念そのままに行われた闘いの話を美登里さんがしてくれました。それは四代(しだい)の入会=共有地を守る闘いです。
というのはまさに放水路をはじめ原発の主要施設が作られようとしている地域に四代の共有地があり、中電が取得しようとし、入会の役員たちの合意だけで売却契約を結んでしまいました。四代の戸数は約100戸でしたが、これに対し4軒の家が原発反対を掲げて売却に反対。売却は不当だと主張して裁判を起こしました。
裁判で主な論点になったのは日本の多くの入会=共有地に古くからある「総有」という考え方です。共有地はまさにそこの人々全体によって所有され、維持されている。だから全員の総意がなければ、売買したり、勝手な土地利用をすることはできないという考え方です。原発に反対する人々は古くから受け継がれてきたこの考えをもとに入会を守ろうとしました。

一方で放水路と原子炉建家の予定地には神社が管理する入会地(八幡山)もありました。この入会に関しては、神社の宮司である林春彦さんが売却手続きを拒否しました。このとき林さんは『現代農業』に寄稿して、次のように述べたそうです。
「自然環境が著しく破壊され、人類の生存すら危ぶまれる状況のなかにあって、神社界もまた鎮守の森や神社地を護り、公害から地域住民を守ることが、喫緊の課題とされている」(岩波新書『原発をつくらせない人びと』より孫引き)
これに対して政府と中国電力は、入会権を壊そうと裁判で反証を行い、さらに林宮司の人々の命のための抵抗に対して、宮司からの解任という形での「攻撃」をしかけてきました。押し寄せる巨大な圧力に翻弄されつつ、しかし上関内外の人々は、固く協力し合って、抵抗を続けていきました。

入会権=共有権は古くからの生活慣習の中に埋め込まれてきたものであり、強い位置を持っています。このことを強く主張した一審において、裁判所はすでに行われた役員たちだけの合意による土地の売却そのものは認めてしまったものの、土地の現状変更を認めませんでした。総意がなければ立木一本、切ってはならないとしたのです。中電はなすすべがなく、工事が食い止められました。
ところがこの中電の危機をなんと広島高裁が救ってしまいました。高裁は、入会権は30年行使されなければ効力を失う。すでにこの地の入会権は執行しているとして、中電に工事の自由を認めてしまったのです。
不当な高裁判決に対して、人々は上告審を継続して闘いましたが、最近になって最高裁判所は、3対2の差で住民側敗訴の決定を下してしまったそうです。しかし最高裁は入会権を事実上無視した高裁判決には触れず、「先祖代々の権利は侵害できない」という2名の裁判官の格調高い意見書を判決に付帯させました。

他方で、まったくの言いがかり的な理由で、神社本庁による林宮司の解任にこぎつけた中電は、新任の宮司が着任するや否や、さっそく神社の入会地の売買契約を結びました。このとき四代の区長で、林さん解任の音頭を取った御仁が、この売買契約ののちにすぐに「やま家」という民宿を建てたそうです。見えやすい利権構造です。もっともこの民宿、今は「閑古鳥が鳴いている」そうですが・・・。
これに対して林宮司は異議申し立ての裁判を起こしました。2007年3月31日が判決予定日でした。しかし当時、原発賛成派と反対派が激しく県議選を闘っており、投票日が4月7日に迫っていました。弁護団はこの状況で、ほとんど確実に選挙にとっても不利な判決が出ることを予想。このため不当判決を回避する作戦を考え、裁判長の忌避を行いました。とりあえず判決を先延ばしにさせたのです。
その決定が降りるやいなや、林さんは「ああ良かった」と安堵されましたが、その直後に心疾患で倒れられ、なんと2日後に息を引き取られてしまったのだそうです。まさに林さんは神社の入会と人々の幸せを守ることに命をかけた晩年を駆け抜けていかれました。

美登里さんは語りました。「この四代の人々や林さんの抵抗があって、中電は大きく工事予定を遅らせざるを得ませんでした。そうしてようやく本格的な工事が始まったのが2011年2月でした。この時は私たちもここを守りきれないかもしれないとも思いましたが、しかしその過程で3月に311が起きて、ここ上関での原発建設は首の皮一枚のところでとまりました。
もちろん311では福島の方たちをはじめ多くの方が大変な被曝をされているので、ここで工事が止まったから良かったと言えるものではけしてありません。それでも知って欲しいのは、今、ギリギリの状態でこの海が守られているのは、すでに亡くなった人たちも含めた多くの方たちの努力のおかげだと言うことです。
そうした方たちの思いがこの海には詰まっています。だからここをなんとしても守っていきたい。私はそう思うのです。」・・・深い感動が胸のうちに広がっていきました。

ちなみに日本の中で、入会権を守ろうとした農民たちの奮闘に、「小繋事件」という有名な農民の闘いがありました。岩手県北部の小繋村で、明治から昭和まで3代にわたって入会地を守る攻防が繰り広げられました。岩波新書『小繋事件』(戒能通孝著)に詳しい記録が残されています。日本の民衆運動のたくましい源流の一つを知るために、ぜひ読んで欲しい書物です。
この小繋で積み上げられてきた経験が「飛び火」したのが、北富士の米軍演習場反対の運動でした。このときも「忍草母の会」の女性たち300人を中心とした北富士の農民たちは、「入会権」を掲げ、米軍に演習場地として奪われた地域の共有地を取り戻すために、着弾地点に身体をはって座り込むなどの奮闘を行いました。この運動の発展に貢献し、農民に知恵を与えたのは小繋を経験した人々でした。こうして小繋の火は北富士へとつながったのでした。
さらにその経験が、成田空港の反対運動=三里塚闘争に飛び火します。運動の初期、成田の空港予定地を訪れた「忍草母の会」の女性たちが、三里塚の女性たちに「私たちは入会権を掲げて闘ってきた。あなたたちには農地そのものがあるではないか。農地を武器として頑張れ」とエールを送ったのです。
当時はアメリカ軍がベトナムに戦争をしかけ、沖縄の嘉手納基地からベトナムの空襲にむかうB52戦略爆撃機が次々と飛び立っている状況でした。空港建設は戦争拡大にもつながる・・・そんな思いもあって三里塚の農民たちは空港建設への懸命な抵抗を続けていきました。

この三里塚の歴史を描いた書物もたくさんありますが、僕が一番に読んで欲しいのは、恩師、宇沢弘文先生が書かれた、岩波新書『成田とは何か』です。コミックスでは尾瀬明さんの『ぼくの村の話』が圧巻でお勧めです。
僕も若い時に成田に通いましたが、上関や祝島での奮闘は、あのときの成田での人々の熱い息吹を彷彿とさせるものがあります。そんなことを思い出しながら、僕は高島美登里さんの話にさらに引き込まれていきました・・・。

続く

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明日に向けて(709)祝島を訪れて・・・1

2013年07月18日 17時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20130718 17:00)

すでにお知らせしたように、7月14、15日の二日間で、山口県上関町の祝島を訪問してきました。ここで見てきたことをご報告したいと思いますが、いつものように?たくさんのことを頭に詰め込んで来てしまったので、数回に分けて論述したいと思います。
前日が山陰の三次市での講演だったため、朝6時41分三次駅発のJR鈍行に乗ってまずは広島市を目指し、新幹線に乗り換えて山口県の徳山へ。さらに山陽本線鈍行で柳井駅へと向かいました。ここまでの所要時間3時間20分。
続いて上関町の先にある室津港に向かうバスに乗る予定だったのですが、時刻表がネットで検索したものとは大きく変わっていてバスがなかなか来ないことを知り、やむを得ずタクシーに乗って港に向かいました。
ここで京都から先に来ていた友人たち5人と合流。友人たちが前夜からお世話になっていた「上関の自然を守る会」の高島美登里さんの案内で、渡し舟の「きぼう号」に乗船。美登里さんの解説を受けながら、上関原発予定地の四代、田ノ浦などを回って、祝島に向かいました。

ぜひ地図をご覧になりながら読んで欲しいのですが、原発予定地は瀬戸内に突き出した半島の突端にある室津港の対岸にある長島にあります。長島は今は室津と橋一本でつながっていますが、そこから海に南西に向かって伸びた長島の一番先にあるのが原発予定地の四代や田ノ浦です。10キロぐらいの距離でしょうか。いずれにせよ先の先まで回り込まないと分からない場所です。
ここに向かう船の上での高島美登里さんの解説はとても豊富でした。まずは位置の問題ですが、この付近の海域は伊方原発のすぐそばにもあたっています。南東には島民37人が暮らす八島がありますが、ここは伊方から30キロ圏内にあたります。緊急時防護措置準備区域(UPZ) です。そのため避難計画が策定されたそうですが、まずは自宅に退避し、そののちに1日3便の定期船で脱出せよとなっているそうです。
当たり前の話ですが、海が時化(しけ)れば船は欠航になります。島の生活を考えると緊急時の脱出は大変困難です。「人の命をなんと考えているのでしょう。本当に酷い避難計画です」と美登里さん。
しかし同じことは長島全域にも言える。なぜなら長島は室津と橋一本でしか繋がっていないからです。事故時には避難民も現場にかけつける緊急車両もこの橋を通ることになる。橋の大混雑は必死でとても安全な避難などできようはずがありません。調査に訪れた日弁連の方たちは、事故時には長島の人たちは放射能の中に封じられるのと同じだという批判を行ったそうです。

さて船は長島を右手に見ながらぐんぐん速度を上げました。長島の全貌を横に見ながら進んでいきますが、ここは春になると山桜が咲き誇るのだそうです。海上からお花見ができる。秋の光景も大変、美しいのだそうです。
また特徴的なこととして、いたるところに海岸が自然のままの姿を残しています。多くが開発されてしまった瀬戸内の海の光景と対象的です。そうしたことも一因として生物種が極めて豊富で、絶滅危惧種の貴重な貝などがたくさん生息を確認されています。
海にはスナメリがよくやってきて、泳いでいる姿がしばしば船から見えるそうです。スナメリが来ると、餌とされるカタクチイワシやイカがパニックって海面近くに浮上してくる。するとそれを狙ってウミネコが集まるのだそうです。「私たちはまずウミネコに注目して、スナメリを探すんですよ」と美登里さん。「今日は来るかなあ」と呟いていましたが、残念ながらこの日はお目にかかれませんでした。

遠くに目をやるとどの方角にもかすかに山陰が見られます。遠く東には大分県の国東半島、南には愛媛県の佐多岬半島が見え、北側には広島県から山口県にかけての山陽道が広がっています。
水俣の海みたいだなあ・・・と僕には思えました。水俣の面する八代海も遠くに天草諸島が見えて、穏やかに凪いだ静かな海が広がっています。そこは魚たちが湧いて出るような宝の海と言われていたそうです。同じように上関の海も四方を島々や半島に囲まれ、とても穏やかな風貌をしている。内海特有の静けさ、穏やかさがあります。
同時にこの地域は、九州と四国の間を流れてくる豊後水道と、下関を経て日本海から流れてくる周防灘からの流れが交わるところにもあたり、そのために生物種がより豊富な地域でもあります。自然の恵みがたっぷりとある地域、それが上関の海です。

・・・こんなところに限って、政府と電力会社は原発を建てようとする。そこに、自然の恵みのありがたさを忘れ、目先の利害ばかりを追い求めてきた現代社会の縮図があるように思えて、海が美しければ美しいだけ、胸の奥がチクチクと痛むような気がしました。
ちなみに僕の恩師、宇沢弘文先生はほかならぬ水俣の海を訪れて、「社会的共通資本」というアイデアに目覚められました。社会的共通資本とは、人々の生活を根底から支えるもので、市場的原理にも、官僚の恣意的差配にも委ねてはならず、地域の人々のよって運営されるべきものです。海はその典型です。
ところが自由主義経済学では、海は誰のものでもないので、何をしようと好き勝手な「自由材」とみなされました。そこから何をとっても自由、そこに何を投げ入れても自由。宇沢先生の同僚てもあった経済学者のサミュエルソンなどが理論化したものですが、まさにその自由主義経済の名のもとに、世界の海は激しく汚染されてしまったのでした。

「この上関の海もまた社会的共通資本だ」と強く思いました。人々に営々と恵みを与えてきた海、そして島々。そこには人々のつつましい歴史の連なりがあります。豊かさをけして独占することなく、みんなで分かち合ってきた暮らし。しかも分かち合ってきたのはその場の人たちだけではありません。未来世代も常に分かち合いの対象に入ってきたのです。
しかし今、それが犯されつつあります。しかも原子力発電所の建設によってです。美登里さんは長島の突端の南側にある四代地区の近くに原発からの放水路が作られようとしていることを示してくれました。そうすると平均して海水より7度も高い温水が膨大にこの海域に流れ込むことになる。しかも排水管につまるさまざまな付着物と一緒にです。
これまで各地の原発で実証されているように、7度もの温水が大量に流れ込んで、生態系が維持されることなどありえません。原発は、仮にまったく放射能漏れを起こさなかったとしても、海を温水によって甚大に破壊する「地球温暖化装置」なのです。

続く

 

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