明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(340)吉田所長英雄化戦略による東電の事故隠しと責任隠し

2011年11月30日 14時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111130 14:30)

前回の記事で、僕は福島第1原発吉田所長の病気辞任劇の裏を読む考察を
行いました。

明日に向けて(339)福島第1原発吉田所長の病気辞任の背後にあるものを読む!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/80aaffca4bb199e864b5435459dcdf21

すると今度は、吉田所長を英雄のように扱う記事が出てきました。記事
内容は、東電本店が1号機への海水注入停止を指示したときに、吉田所長
がそれを無視して、注入を続けたというものです。政府の事故調査委員会
が、「原発で過酷事故が発生した際、現場がどのように判断し意思決定
すべきかを考える具体例として注目している」というのです。まるで英雄
化です。

この記事で僕は前回の推論により確信を持ちました。この一連の流れが、
東電の独自判断ではなく、政府と明確に連動したものであることがよく
見えるからです。同時にこれは、この時期に「もんじゅ廃炉」をちらつか
せ出したこととも明らかにリンクしています。絵を描いているのは、細野
大臣かその背後にいるアメリカの誰かではないかと思えます。

もともと僕がこの流れに、どうも変だ、何かがおかしいと思ったのは、11
月13日に行われた福島第1原発内での吉田所長の会見のときでした。この
時に吉田所長は「死ぬだろうと思ったこと数度」と述べています。311から
の1週間、原発がコントロールできなかったからだと言います。

しかしそれなら「死ぬだろうと思った」のではなく、「大量に人を殺して
しまうと思った」と語るべきだし、僕が記者なら、「吉田さん。そうは思わ
なかったのですか?なぜそのときに、多くの人々に逃げろといわなかったの
ですか」と間違いなく突っ込みを入れています。それがなしに、何か、命を
かけて人々を救ったかのように記事が書かれており、非常におかしいと思い
ました。

さらに遡ると、この会見は細野大臣の取り仕切りもとに入念な準備を重ねて
行われたものでした。何せ事故後初の報道陣の招待でした。これが用意周到
に準備された一大イベントでないはずがない。しかもその少し前に「臨界騒
動」が持ち上がったのでした。キセノンが発見され、大慌てでホウ酸水が
投入された。毎日新聞などは、臨界確実と1面に大きく書いてしまいましたが、
後になって、キュリウムの自発核分裂が原因だったと訂正されて、いわば
大きな肩透かしが食らわされた。共同通信も同じだったと思います。

僕はこれまでが演出だったとは見ていません。8月に実際に臨界濃厚と思わ
れる事態があったために、このとき東電が「誤認した」と思われるからです。
しかしそのとき印象的だったのは、これでキャンセルされるかと思えた11月
13日の記者会見が予定通り行われたこと、細野大臣が非常に強い意志で、会
見を強行したことでした。そこまでなぜ会見をやりたいのか、よほど政府に
とって重要な位置があるのではないかと思えました。

そしてその推測も当たっていたと思います。あそこで原発内を見せるだけで
なく、吉田所長に会見させ、東電側の人間を人々を救った英雄にしてしまう
という絵が書かれていたのだと思います。マスコミは見事にそれに乗って
しまった。しかもすでにこのときに、今回の病気辞任劇の伏線がはられてい
ます。次のようなやりとりがあったからです。

--所長自身の積算放射線量は。
◆個人情報なので差し控えるが、それなりにはなっている。

この一言があるので、辞任となれば、誰もが被曝だと信じ込んでしまう。人々
を救いながら、自分は被曝したのか・・・という絵ができてしまいます。
そして今回の「注水を勇気をもって強行した英雄」へのまつりあげです。こ
れでますます吉田所長が、かつて津波対策の進言を握りつぶしたことが追及
されにくくなるし、そればかりか、マスコミを通じて、東電の一部に、人々の
シンパシイ、あるいは同情を得ることができる。

抽象としての「東電本店」の位置を自らわざと落としつつ、東電内の個人を
ハイライトすることで、実は東電の「好感度」を上げる作戦であることが明
白です。おそらく11月13日の会見から、今日までのことが一連の作戦として
セットされていたのだと思われます。それをしながら、もんじゅ廃炉の旗を
ひらひらさせつつ、停止中の軽水炉の運転再開の道も開こうとしているので
はないか。そう見えます。

すでに僕は、もんじゅ廃炉検討宣言の背後にあるものの分析の中で、細野大
臣がアメリカと密接な関係にあることを指摘すると同時に、アメリカ軍が、
湾岸戦争から、戦争戦略としてメディアを規制し、さらに記者たちに自軍の
背後からのみ取材させることで、メディアを利用しはじめたことを指摘しま
した。カメラの位置を自分たちの都合の良いようにセッティングすることに
核心がありますが、実は11月13日の報道公開がまさにその戦略で行われてい
たのだと思われます。

何せ、記者たちは、放射能がとても恐ろしいから、東電の指示するままの報
道しかできなかった。バスから降りることもできず、東電の案内するままに
原発サイトを撮影しました。そのまま慣れない建物の中を連れて行かれ用意
周到にしつらえられた吉田会見に群がっていきました。すべてできレース。
しかし残念ながら、今の日本の記者の中に、それを現場で見抜ける人がいな
い。(いたのかもしれませんが、報道されていません)

はっきりさせておかねばならないのは、吉田所長は、ものすごい濃度の放
射能をばら撒いたプラントの所長だということです。大変な法的かつ同義
的責任を負っている。しかも所長であるということは、構造的な被曝労働
の頂点に立ってきたということです。これまでもたくさんの下請け労働者
を被曝させながらのうのうとその頂点で過ごしてきた。東電の差別的労働
体系のトップにいたのです。

しかも先にも述べたように、死ぬかと数回思ったのだという。破局的事故
の可能性を全身で感じていたし、コントロール不能な状態を知っていた。
しかしその危険告知の義務を果たさなかった。津波の可能性を握りつぶし
たのと同じです。そしてそのことで、現実にたくさんの人々が被曝したの
です。その意味で吉田所長は、ものすごい規模の傷害を引き起こした張本
人たちの一人です。逃げられた人を逃がさなかったのです。

その吉田所長を、180度転じて英雄にしてしまうことで、東電全体の免責に
向かう。さらには政府の免責に向かう。しかも地震による原発の崩壊という
本質的な問題に完全にマスクしてしまう。それを自軍の背後にしつらえた
報道陣に触れ回らせる。それが政府・東電・アメリカの書いている戦略に
違いないと思います。

もう本当に、そんなことに騙されるのはやめましょう。加害者東電、うそ
つき東電、そして細野大臣に騙されず、しっかりと責任を追求していき
ましょう。今、私たちの知恵が問われています。

(なおまだの方は以下の記事もご参照ください)
明日に向けて(338)「もんじゅ:廃炉含め検討」の裏を読む!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/dfa40c6993fa68e0a00b98d740b83248

***********************

福島第1原発:吉田所長、形だけの注水停止命令
毎日新聞 2011年11月30日 10時1分 更新:11月30日 12時45分

東京電力福島第1原発事故後、1号機の原子炉で始めた海水注入を東電本店
が中断するよう求めたが、吉田昌郎所長が現場の作業員に「今から言うこと
を聞くな」と前置きして「注水停止」を命令、注水を継続していたことが分
かった。政府が設置した「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)も、
原発で過酷事故が発生した際、現場がどのように判断し意思決定すべきかを
考える具体例として注目している。

1号機は地震と津波で冷却機能を喪失、原子炉を冷やす真水がなくなりそう
だったため海水注入を準備、12日午後7時すぎから注入を始めた。だが首
相官邸に派遣した東電関係者から「首相の判断がないと海水注入は実施でき
ない雰囲気だ」との報告を受け、東電本店は吉田所長に中断を指示した。

関係者によると、指示を受けた吉田所長は「これから首相の命令で注水停止
を命令するが、言うことを聞くな」という内容の前置きをし、注水停止を命
令、作業員は命令に従わずに海水注入を続けたという。
http://mainichi.jp/select/today/news/20111130k0000e040016000c.html

*******

福島第1原発:吉田所長 「死ぬだろう」と思ったこと数度
毎日新聞 2011年11月12日 21時33分(最終更新 11月13日 10時53分)

東京電力福島第1原発の吉田昌郎所長と記者団の主なやりとりは次の通り。

--報道陣の前で初めて話すことになるが、国民にまず何を伝えたいか。

◆私が責任者の発電所で事故を起こしてご迷惑、ご不便をおかけしたことを
心よりおわびしたい。日本全国、世界から支援の手紙や寄せ書きをいただき、
特に被災された福島県からの支援の言葉は大変励みになっている。

--これまで一番厳しかった状況は。

◆やはり3月11日からの1週間。次がどうなるか私にも想像できない中、
できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと「もう死ぬだろう」
と思ったことが数度あった。

--1号機が水素爆発した時の状況とその時、感じたことは。

◆まず「ボン」という音を聞き、「何なんだ」と。現場から帰った人間から
「1号機が爆発しているみたいだ」という情報が入ってきた。3号機は音と、
(テレビの)画像で見た。4号機は本部にいて音は聞いたが、2号なのか
4号なのか分からず、その時は(どちらか)判断できなかった。

--「死ぬかと思った」時とは。

◆1号機の爆発があった時、どういう状況かが本部では分からなかった。
現場からけがをした人が帰ってくる中、格納容器が爆発していれば、大量の
放射能が出てコントロール不能になる(と思った)。3号機も爆発し、2号
機の原子炉にもなかなか注水できず、先が見えない。最悪の場合、メルト
ダウンもどんどん進んでコントロール不能になるという状態で「これで終わ
りかな」と感じた。

--危機を脱したのはいつごろか。

◆(爆発の)次は4月初めに高濃度の汚染水が漏れ、水処理(設備)を一生
懸命造った。6月いっぱいぐらいまではかなり大変な思いをした。全体の
システムとして本当に安定したのは7、8月だと思う。

--原子炉の現在の状態は。

◆私がデータを見て確認している限り、原子炉は安定していることは間違いな
い。ただ「超安全」ということではない。線量は非常に高く、日々の作業と
いう意味ではまだまだ危険もある。周辺住民に安心いただける程度に安定し
ているが、(事故収束の)作業はまだ厳しい状況だ。

--1、3号機は燃料が溶融しているが、安定させられるのか。

◆原子炉の各部の温度変化などを見る限り、燃料が外に出ていたとしても、
圧力容器だけでなく格納容器も含めて、原子炉全体が冷却されており、安定
だと判断している。

--今困っていることは。

◆今日明日の問題というわけではないが、近い先を見ると、作業員の被ばくや、
どういう形で人を回していくのかが頭の痛い課題だ。

--所長自身の積算放射線量は。

◆個人情報なので差し控えるが、それなりにはなっている。

--今後の取り組みは。

◆(事故収束工程表の)ステップ2の確実な終了が一つの目標。現場の状況を
踏まえ、(中長期の)次のステップ(に必要なこと)を考えて提言し、作業を
こなすことが福島県民のニーズに応えることになると思う。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111113k0000m040052000c.html
コメント (3)
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明日に向けて(339)福島第1原発吉田所長の病気辞任の背後にあるものを読む!

2011年11月28日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111128 23:30)

28日に東電は、福島第1原発の吉田昌郎(まさお)所長が、入院治療の
ために辞任することを発表しました。東電は「最終確定はしていないが、
担当医からは(被ばくと病気との)因果関係はないと聞いている」と発表
していますが、誰もが「被曝の影響」ではと思うのではないかと思います。
この点については、僕は確たる意見を持っていません。そうだろうとも
思うのですが、実は所長は現場の中では最も安全なところにいたようにも
思えます。ともあれこれらについて、確からしい情報はありません。

むしろ非常にひっかかったのは、この報道が出る少し前に、「福島第1原発
:08年に津波可能性 本店は対策指示せず」という毎日新聞の記事が出た
ことです。これは28日の午前2時に配信されていますが、これも東電の発表
によるものです。どうしても、最近の東電を見ていると、東電はなぜいま
この記事を出してきたのかと考えざるを得ない。

記事内容は、東電が2008年に想定を大きく超える津波が来る可能性がある
という「評価結果」を社内で得ながら、本店の「原子力設備管理部」が
それをありえないこととしてとらえ、対処をしなかったというものです。
ここからはそこで対処をきちんとしていれば、今回のような被害はなかっ
たのではないか・・・という可能性を読み取ることができる内容なのです
が、要するに東電は、そういう方向に世論を持っていきたいのではないか
と感じられました。

なぜでしょうか。田中三彦さんや、後藤政志さんが繰り返し主張している
ように、福島第1原発は、津波で電源を失う前に、地震で大きな配管破断を
起こし、メルトダウンに向かった可能性が極めて高いからです。とくに
1号機は、水位や温度等々のデータからも、その可能性が極めて強いことが
お二人によって解析されています。

原因は地震だったのか、津波だったのか。そこにはものすごく大きな裂け
目がある。なぜなら地震が原因だとすれば、既存の原発のほとんどが、耐
震設計を見直さざるを得ないことになり、ただちに運転を中止しなければ
ならないことになるからです。津波が原因である場合でも、本来は、全部
の原発中止にすべきだと僕は思いますが、しかし東電や保安院は、防波堤
を作るとか、予備電源を津波の来ない高さに設置するとかで、安全条件を
得られたとすることができると考え、しゃにむにその「立証」に向かって
います。

つまり、地震の可能性を絶対に認めず、事故原因を津波に一元化すること
こそ、原発を生き延びさせることに最も問われることと認識し、そのため
にあえて、津波の可能性を知りながら、それを黙殺してしまった。そのため
被害を受けたというシナリオを出してきたように思えるのです。

実際、このニュースの少し前の25日にも、保安院から、原発の事故時の運
転員が「保安院の聴取に「大津波警報の連絡は受けたが、影響が出るよう
な津波が来る認識はなかった」と答えた」という情報を公開しています。
ここでも津波への警戒があまりにゆるかったとクローズアップしているわ
けですが、そのように、一見、津波への対処の不備を認めるような顔をし
ながら、地震による配管破断の可能性を覆い隠し、逃げ切りを図ることを
策している意図が見え隠れします。

しかしそこでは、津波問題の責任者が必要になってくる。誰が東電本店で
情報を握りつぶし、津波対策をとらなかった責任者なのか、それを明らか
にする必要があるわけです。津波が主要な原因であろうとなかろうと、そ
の対策を怠ったこと自身ははやはり大きな過失で、本来なら、法的責任も
追及される事態だからです。

では誰が責任者だったのか。・・・なんと吉田現所長なのです。記事を読む
と、想定を超える津波の可能性を握りつぶし、対策をとらなかった責任部署
は「原発設備を統括する本店の原子力設備管理部だった」とある。そして
その部長は、2007年の発足から、昨年6月まで、吉田現所長が務めたとあり
ます。・・・「なんだ、そういうことか」と思うのは不自然でしょうか。
津波対策を本店が握りつぶしたことを明らかにし、その翌日に、当時の
統括責任者だった吉田現所長の病気辞任を発表する。

東電がどう言おうが、多くの人は、被曝ではないかと感じますから、追求
がしにくくなる。このため東電は、まずは地震による原発の崩壊という重
大事態を津波のせいに転嫁しつつ、さらにその津波対策を怠った責任も、
当の責任者の病気辞任、しかも被曝の可能性がある中での辞任劇によって
うやむやにできる。そんなストーリーを描いているのではないか。

この推論があたっているにせよ、あたっていないにせよ、二つのことを
確認しておくべきだと思います。一つは東電は必死になって津波によって
原発の危機が訪れたことを主張していますが、事故の解析から見えるのは
地震による崩壊の可能性です。そこから引き出されるのは、すべての原発
の設計基準が見直さなければならず、作り直さねばならないこと。現実に
はそれはできないので、原発を廃炉にする以外ないという結論です。なの
でこの点の追求を緩めず、津波のせいにしての東電の逃げ切りを許さない
ようにしなくてはいけない。

二つに、吉田現所長が、被曝によって発症したのであれば、それ自身は
お気の毒ですけれども、それでも津波の危険性を呼びかける情報を握り
つぶし、津波対策を怠った責任は厳然として残るということです。また吉
田現所長も、地震の可能性を熟知しつつ、津波の話で逃げ切ろうとする東
電の意思を実行している一人であり、その面での責任も背負っています。
それらから、吉田現所長の病気での逃げ切りもまた許されてはならないの
です。

ともあれ、ウソ八百を平然と繰り返す東電に騙されないように、警戒心を
緩めず、ウォッチを続けたいと思います!

**********************

福島第1原発:08年に津波可能性 本店は対策指示せず
毎日新聞 2011年11月28日 2時00分

2008年に東京電力社内で、福島第1原発に想定を大きく超える津波が
来る可能性を示す評価結果が得られた際、原発設備を統括する本店の原子
力設備管理部が、現実には「あり得ない」と判断して動かず、建屋や重要
機器への浸水を防ぐ対策が講じられなかったことが27日、分かった。
東電関係者が明らかにした。

12月に中間報告を出す政府の事故調査・検証委員会も経緯を調べており、
研究の進展で得た津波リスク評価の扱いや対応が適切だったかが焦点と
なる。

東電関係者によると、社内研究の成果である新たな津波評価を受け、原子
力・立地本部の幹部らが対応策を検討した。その際、設備を主管する原子
力設備管理部は「そのような津波が来るはずはない」と主張。評価結果は
学術的な性格が強く、深刻に受け取る必要はないとの判断だったという。
同本部の上層部もこれを了承した。

原子力設備管理部は、06年に発覚したデータ改ざんの再発防止のため実
施した07年4月の機構改革で「設備の中長期的な課題への計画的な対応
や設備管理の統括をする」として新設された。部長は発足時から昨年6月
まで吉田昌郎現福島第1原発所長が務めた。

東電は08年春、明治三陸地震が福島沖で起きたと仮定、想定水位5.7
メートルを大幅に超え、最大で水位10.2メートル、浸水高15.7
メートルの津波の可能性があるとの結果を得た。東電関係者は「評価結果
をきちんと受け止めていれば、建屋や重要機器の水密性強化、津波に対応
できる手順書作りや訓練もできたはずだ」と指摘している。

東電広報部は「自主的に試算した内容については、土木学会に審議しても
らい、設備に反映させていくつもりだった。学会に審議を要請したのは
08年10月で、軽視や放置をしていたわけではない」としている。
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20111128k0000m040140000c.html
コメント (2)
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明日に向けて(338)「もんじゅ:廃炉含め検討」の裏を読む!

2011年11月28日 08時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111128 08:00)

一昨日、細野原発事故相により、「もんじゅについて廃炉を含めて検討を
行う」という発表がなされました。記事中に「もんじゅを巡っては、行政
刷新会議(議長・野田佳彦首相)が提言型政策仕分けで「存続の是非を含
め抜本的に見直すべきだ」と提言している」とあるように、すでに仕分け
の対象に上げられており、細野談話はこの提言を受け入れたものです。

大変、危険なもんじゅが廃炉になること事態はきわめて好ましいことです。
何よりも、もんじゅの危険性を訴えて長年にわたって行動してきた人々の
活動のおかげで、ようやく廃炉の道が見えてきたと言えます。ここで手を
緩めずに、廃炉を確実なものとしていくこと。核燃料サイクルそのものを
廃止に追い込んでいくことが大切です。

そのことを踏まえた上で、しかしこの裏には何があるのだろうと瞬時に何
かの意図を疑ってしまうのは僕だけでしょうか。そうではないと思います。
何より僕がそう思う根拠は、11月17日に行われた冷温停止がもうすぐ達成
できるとした細野大臣の発言です。端的に、どうしてそんなウソを平気で
言えるのだろうとため息がでました。そのウソとこれはどうつながるので
しょうか。あるいはつながってはいないのでしょうか。


まず「冷温停止」についてみておくならば、そもそもこれは、原子炉と格
納容器の健全性が保たれているときの安定的な停止状態をさす言葉であり、
メルトダウンどころかメルトスルーすら起きている状態ではまったく意味
をなさない言葉です。言うならばまったくのウソを繰り返しているわけで
すが、その「効果」として、東電の言うことも政府の言うことも、ばかば
かしくて聞いていられなくなってしまう面があります。

・・・そうなってはいけないと僕自身思いなおしていますが、しかしそれ
でも平然と「冷温停止はもうすぐだ」などと言われると、まともに考えた
くなくなります。しかしそこで考えるのは、これもまた戦略なのではない
かということです。いや、確実にそうなのだと思います。だとしたらどう
いう戦略なのでしょうか。

核心問題は、事故の実相から人々を遠ざけること、「危機管理」を一元的
に掌握し、何が起こっているかの真相を見えないようにして、人々に危機
意識を持たせないようにすること。その上で、政府や東電にとって、うま
くいくときもうまくいかないときもある、事故処理の過程そのものをそっ
くり隠してしまい、その下で時間を稼いで、事態をどう収めていくのかを
探っていくことだと思います。

日本のマスコミは、政府に協力しているだけでなく、隠されたものを探求
し、暴いていく力をとおの昔に失っているので、情報の出所さえきちんと
管理し、時々、実態の一側面を小出しにして、あとは煙に巻いておけば、
真相に切り込まれることはない。そのためには、「冷温停止」を呼号し続
けることが重要用件になるのだと思います。


ではこうした手法は誰が伝授しているのでしょうか。僕はアメリカではな
いかと思えます。具体的な根拠もあります。今、十分に当時、メディアに
流れた情報を列挙できませんが、3月23日ごろから、首相官邸の事故対策
チームのもとにアメリカから派遣された高官が接近し、合同のプロジェク
トチームが作られたからです。

細野大臣はそのときからのメンバーであり、それだけに当初、他の誰もが
言わない情報をたびたび、メディアの前で公言していた。実は原発がかな
り危機的な状況をたどっていたことを、メディアの前で最初に話したのは
彼なのですが、そのとき、「正常性バイアス」一色に染まり、メルトダウ
ンの可能性など口にしようものなら、一斉にバッシングが起こる状態だっ
たのに、与野党議員の誰も、この発言だけはバッシングしませんでした。

さらに4月に入って、きわめて特徴的なことが起こっていきました。という
のはそれまで原発情報は、東電と保安院、原子力委員会の三者から出ていま
したが、そのうち原子力委員会がどんどん遠ざけられだし、さらに東電と
保安院の情報発表も一元化の方向に向かっていった。僕はこのときも、強烈
な情報統制が始まったと感じました。

なぜなら僕にとって、この3者のそれぞれ独自の発表は大きな情報源でした。
とくに重要だったことは、それぞれの報告が大きくずれることでした。その
ハザマにあるものを類推することで、何が起こっているのかかなりみえてく
るものがあった。そうしたところから、情報解析が可能だったのです。何よ
りイノセント集団ともいえる原子力安全委員会の面々からは、ポロポロと
重要情報が漏れ出ていた。なんと分かりやすい人たちだろうと思いました。

それがマスクされだしたのが4月です。そのとき僕は繰り返し、福島原発に
もやがかかったようだという表現を使い、事態が隠されつつあることへの
懸念を表明したのですが、そんなとき、対策室の一員だった細野現大臣が
アメリカに渡航した。そしてしばらくして帰ってくると、彼は原発担当相に
収まった。そののち内閣が倒れ、野田新政権が誕生するわけですが、そのと
きも細野大臣だけはそのまま横滑り的に、原発相を続けてきました。

細野大臣のバックにはアメリカがいる・・・どうみてもそう感じざるを得な
い流れが続いてきました。そしてかつては、おそらく対策チーム内ではやや
フライング気味に、事故の深刻さを語った細野大臣は、一貫して「冷温停止」
に「自信」をみせ、それを繰り返すようになった。この彼の「自信」の根拠
とは何か。僕はバックに「これでいけ」という指示があるように思えるの
です。

アメリカ自身は、こうした手法をベトナム戦争の「反省」から学びました。
正しい方向での反省ではもちろんありません。ベトナム戦争で、従軍記者に
自由に報道させたところ、戦争の非人道性と、兵士の惨状が本国に伝わって
しまい、戦争反対の世論が形成されたことを「反省」し、戦争において徹底
した情報管理を行い、記者に常に軍の側から報道させることで、報道をコン
トロールすること、そればかりか広告会社を使い、自らに有利の報道をどん
どん流すことを、軍事戦略そのものとして採用したのです。

これがアメリカ流「危機管理」ですが、今回はそれが完全に適用されている
ように思えます。なぜか。原発のかかえる本質的な危険性が明らかになり、
とくに内部被曝の危険性に顕著な、低線量被曝の恐ろしさに世界の世論が
目覚めてしまうと、アメリカの核戦略体系や、劣化ウラン弾を多用した軍事
展開そのものへの批判が高まってしまうからです。

しかも実は福島原発から出た放射能は、太平洋を横断して、アメリカ西海岸
をも大きく被曝させてしまったわけですが、アメリカはこれに自国民が気が
つくことをきわめて慎重に回避しようとしている。そのためには、日本で
イノセント集団である「原子力安全委員会」などに、ポロポロと情報を出さ
れたら困るという分析が働いたのだと思います。日本での情報漏れに、自国
の危機を感じ、それもあって当初から行っていた、日本政府の事故処理への
アプローチ、コントロールを強めていった。とくに情報統制の側面を強化し
たのだと思えます。


さてそれでは今回の、もんじゅ廃炉とこのことはどうつながるのでしょうか。
実はアメリカ自身はもう高速増殖炉計画からは撤退しているので、日本でそ
の計画が頓挫しても損失はないし、むしろアメリカの方向性と合致するので
好ましいとすらいえるわけです。しかもプルトニウムの管理者として国際的
な威厳を保つためにも、もんじゅはストップしてもらう方がアメリカの利益
にかなってくると思えます。

さらに大事なのは、これをもって脱原発世論をなだめつつ、他方で軽水炉の
運転を継続させ、日本が本当に脱原発に移っていかないようにしていく。そ
のためのカードとして、実際にはもう何の展望もなくなっているもんじゅの
廃炉を日本政府に進言したのではないでしょうか。

そう考えていたら、さっそく29日に「定期検査中の原発、再稼働了承は1月
下旬以降」というニュースが流れて「やはりな」と思いました。
「細野原発相は27日、NHKの番組で、定期検査で停止中の原子力発電所
の再稼働を政府が了承するのは年明け以降になるとの見通しを示した」とい
うのですが、実はこれの方が言いたいことであり、この再稼動問題をにおい
隠しするために、「もんじゅ廃炉」がこの直前に打ち出されたのだと思えます。


まとめます。

「もんじゅ廃炉」を検討するという宣言そのものは、長きにわたって行われ
てきたもんじゅ批判の市民的努力が生み出したものです。しかし政府および
その後ろにいると思われるアメリカは、もんじゅの廃炉を隠れみのに、軽水
炉の再稼動にこぎつけようとしています。だからこれに警戒を怠らずに、す
べての原発を止めるための活動を継続することが大事です。

同時に、今、行われているのは、低線量放射線の危険性隠しであり、放射能
は怖くないキャンペーンです。たとえ先々、脱原発の方向性を強めることが
できたとしても、今の深刻な被曝がそれまで野放しにされてしまうなら、私
たちの未来は、本当に悲惨なことになってしまいます。

その意味で、脱原発だけでは足りない。汚染ゼロの要求を掲げ、すでにある
放射能汚染への厳しい対処を政府に求めていくこと、身近な行政を動かして、
放射能汚染に徹底的な対処をしていくことが必要です。これを脱原発ムーブ
メントの中に大きく組み込んでていかないと、目の前で繰り返されている被
曝の野放し状態が収まりません。

とくに福島の人々、近隣の人々を救うこと、そのために政府を動かして、もっ
と徹底した対応をさせていくことが大切です。その意味で、私たちは「もん
じゅ廃炉」検討宣言でけして安心せずに、現にある放射能汚染への対応、徹底
した放射線防護政策の実現を求めて歩んでいく必要があります。子どもたちの
ため、私たちの未来のために、努力を重ねましょう。

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もんじゅ:廃炉含め検討…細野原発事故相「来年判断」
毎日新聞 2011年11月26日 21時08分(最終更新 11月27日 1時10分)

細野豪志原発事故担当相は26日、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦
賀市)について「一つの曲がり角に来ている。何らかの判断を来年はしなけ
ればならない」と述べ、内閣府の原子力委員会が来夏をめどに進めている
原子力政策大綱の改定作業で、廃炉を含めた抜本的な見直しが必要との考え
を示した。視察先の福井県で記者団に語った。

細野氏は視察で、95年のナトリウム漏れ火災や昨年の原子炉内への燃料交
換装置落下などの事故現場の復旧状況を確認した。

その後、記者団に「(もんじゅは)1960年代に計画され、かなりの年月
がたっている。設備も若干古いところがあり、さまざまなトラブルがあって
(実用化の目標時期が)延びてきた」と指摘。「廃炉も含めて考えるのか」
との問いに「そういうことも含めて検討していくべきだ」と明言した。

さらに「前回(05年)の改定の時は、従来の路線を継続したが、今度は問題
の先延ばしは許されない」と述べ、大綱見直しに合わせ、もんじゅの存廃を
判断する意向を明らかにした。

もんじゅを巡っては、行政刷新会議(議長・野田佳彦首相)が提言型政策仕分
けで「存続の是非を含め抜本的に見直すべきだ」と提言している。原子力委員
会を所管する細野氏が、提言受け入れの姿勢を明確にしたことで、もんじゅを
中心とした核燃料サイクル政策が大きく見直される可能性が高まった。
【笈田直樹】

◇もんじゅとは
商業用原発の使用済み核燃料から取り出したプルトニウムとウランを燃料にす
る国内唯一の高速増殖原型炉。発電の過程で消費した以上の燃料を取り出して
使うため「夢の原子炉」とも呼ばれる。放射性廃棄物が低減されるとして、国
の核燃料サイクル政策の中核に位置付けられてきた。冷却に使うナトリウムは
空気や水に触れると激しく反応するため扱いが難しく、1995年に火災事故
を起こした。国は2025年ごろに実証炉、50年までに実用炉を開発する
計画を掲げている。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111127k0000m010073000c.html

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定期検査中の原発、再稼働了承は1月下旬以降
読売新聞 2011年11月27日19時14分

細野原発相は27日、NHKの番組で、定期検査で停止中の原子力発電所の
再稼働を政府が了承するのは年明け以降になるとの見通しを示した。

細野氏は、再稼働の条件となっている「ストレステスト」(耐性検査)の
評価結果について、経済産業省原子力安全・保安院や内閣府原子力安全委
員会が確認するとした上で、「(国内の)原子力行政そのものに様々な疑念
の声が出ており、IAEA(国際原子力機関)にも関与してもらう方向で
年明けにやっていきたい」と述べた。IAEA調査団の来日は来年1月中
旬以降のため、政府が再稼働を了承するのは同月下旬以降になるとみられる。

東京電力福島第一原子力発電所事故で避難している住民の帰宅に関しては、
「警戒区域を縮小する際は、安心して生活してもらえるような様々な政策
もパッケージとして示さないといけない」と述べ、上下水道整備や医療面
の支援なども同時に進める考えを表明した。長期間帰宅が困難となる地域
については、土地の買い上げを検討する考えも示した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111127-OYT1T00511.htm

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明日に向けて(337)子どもたちを放射能から守るために・・・矢ケ崎さん講演録(4)

2011年11月27日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111127 23:30)

矢ケ崎さん講演録連載最終回をお届けします。僕自身、あらためてこう
して文字起こししながら矢ケ崎さんの見解をじっくり堪能して、感慨深
いものがありました。今回掲載分についてもコメントしたいことがたく
さんあるのですが、あえて1点だけ触れます。

何よりも僕が感じるのは矢ケ崎さんの英知と勇気、そして優しさです。
今回は最後に、私たちが今度どうしていくべきか、非汚染地での食料増
産の提言などがなされていますが、矢ケ崎さんは、脱原発を唱える多く
の方たちの中でも、最も内部被曝に対して厳しい評価を与え、その危険
性を訴えながら、けしてそれで恐怖の確認で終わってしまうのでなく、
そこからどうするのかを、常に、絞り出すように発信してくださってい
ます。僕は何よりその姿勢、科学者としての誠実さと、人間的な温かさ
に共感します。

そんな矢ケ崎さんと二人でお話したときに出たのは、ICRPの考え方
は「ようするに冷たいですね!」ということでした。人間を血の通った
ものとしてみていない、そのどうしようもない冷たさがそこにある。
そしてそこに内部被曝の危険性を平気で隠してしまう根拠があるように
思えます。

・・・こうした感想は、情緒的で、論理的ではないかもしれません。し
かし連載を結ぶにあたって、あえてこのことを書いておきたいと思いまし
た。あらためて矢ケ崎さんに感謝しつつ、今回の連載を締めくくります。
みなさん、どうか、明日に向けての矢ケ崎さんの提言をお読みください!

**************

矢ケ崎克馬講演録(4)

子どもたちを放射能から守るために
-知られなかった内部被曝の実相-
2011年11月19日 

【1ミリシーベルトの脅威】

時間がそろそろ迫っていて、あまり具体的な話ができませんが、ここで
ICRPが決めている、平常自体の、市民の許容地である1ミリシーベルトに
ついてみていきたいのですが、国が20ミリシーベルトまで許容するなど
といったので、1ミリシーベルトだとうんと少ないように思えますが、
1ミリシーベルトという量は、毎秒1万本の放射線が体に突き刺さる。こ
れが1年間ずっと続いて、やっと1ミリシーベルトになる。

やっとというのは実に恐ろしい被曝量が、1ミリシーベルトだということ
です。外部被曝しか語らない人たちは、内部被曝の恐ろしさを知らない
というか、切り捨ててばかりきたものですから、それを国民をごまかす
上での数字にしてしまっています。これが非常に深刻な問題です。

それからよくタバコによるがんと、放射線によるがんを単純比較すること
などが行われていますが、これは基本的に間違いです。さきほどアメリカ
の例で出したようにストレスがある人が放射線を浴びると、完璧に寿命が
縮められてしまう。それが実態で、放射能の害というのは、相乗効果を
持ってあらわれてくるので、単純比較をして、どちらが軽いかという問題
ではけしてありません。

もう一つ、今、説明したように、放射能の埃には相当たくさんの原子が含
まれています。自然界にある放射性物質の場合は、だいたい放射性原子が
1種類だけ孤立してあって、それが放射線を出しても、他のものと一緒に
たくさん出していくということはないのです。それで単純に線量だけ測って、
たいしたことはないという見方がされていますが、やはりそうした見方は
すべきではないと思います。


【枕崎台風と内部被曝隠し】

こうした内部被曝が隠された理由は、先ほどもお話しましたが、核兵器は
残虐兵器ではないという虚像を作るためです。さらに1950年代から、核の
平和利用ということを理由にして、ウランの濃縮工場を経常的に運転させ
ることが試みられましたが、そのために原発から常時漏れる放射能の埃の
危険性を隠すことが大きな戦略的な目的でした。

どうやって放射能の埃はなかったという作り話を作ったのかというと、
原爆を受けてからの広島の放射線量を現したグラフがあります。それを見
るとちょうど6週間目に枕崎台風が来ています。この台風は広島のデルタ
地帯の一番上で堤防を決壊させて、床上1メートルの濁流が被爆地を洗い流
しました。大田川の橋が20本も流されています。そのあとアメリカが大挙し
て科学者に測定をさせました。それでかろうじて土壌の中に残っていたもの
を、はじめからこれしかなかったことにしたのが、最初の内部被曝のごまか
しのための科学的操作の第一歩でした。


【ICRPの内部被曝隠しのメカニズム】

さらにICRP(国際放射線防護委員会)のメカニズムをお話して、私の
お話を一段落したいと思いますが、ICRPの基準というのは、実は大き
くは二つの大欠陥、欠陥というよりごまかし手段を持っています。一つは
内部被曝が見えないようにしていることです。これは1990年のICRP勧告
に出てくる「吸収線量の定義」に現れています。要するに実際の被曝をみ
るためには、それぞれの臓器について細かく見ていくことが必要なのです
けれども、ICRPは一つの組織の臓器内の平均線量をとっています。

これは、被曝による分子切断がどんなに密度が高く起こっていようとも、
全部、臓器という大きな容器で平均化させてしまうため、被曝の実態が分
からなくされているのですね。この定義で、具体性が単純化、平均化され
てしまっている。これが今、全世界でまかり通っている基準になってしまっ
ているのです。

二つ目は原子力発電との関係ですけれども、やはり同じ勧告の第4章に、
「経済的・社会的要因を考慮して合理的に達成できる限り、放射能を防護
する」というくだりがあります。これは具体的に言うと、原子力発電の都
合を優先して、あまり厳しくすると商売がやっていけなくなる。だからあ
まり厳しくしないで、商売がやれる範囲でできるだけ「厳しく」していく
という意味です。それが先ほど述べた年間1ミリシーベルトという巨大な
被曝量の容認になっているわけです。


【汚染ゼロの食べ物の要求と食料大増産こそが安全のかなめ】

現実の問題で、今、われわれの周囲で何が起こっているかというと、例えば
福島などの汚染の激しいところから、どこに移り住んだらいいだろうかとい
う発想が必ず出てきます。ところが今、放射能の埃という、空中に舞ってい
るものは、当初に比べればけして多くはないです。しかし食べ物を通じて、
日本中が内部汚染されてしまっているという状況です。

それで例えば主食のおコメに、1キログラムあたり500ベクレルなどという
巨大な値が許容されてしまっている。これは健康を守る値ではまるっきり
ありません。原発会社の責任をいかに軽くするかの数字です。今、われわれ
の社会として、汚染ゼロの食べ物をきちっと供給しなさいということを、
東電や政府にきちっと言うということが、国民的な被曝を免れる一番の基本
になります。

これをある程度までいいということを、消費者や生産者がはじめから言って
しまうと、では500ベクレルではどうかという数字遊びになってしまいます。
汚染ゼロの食品をきちんと調達する。生産者の補償を、消費者も一緒になっ
て、同じ被害者ですから、政府に要請する。

もう一つ大事なのは、汚染は今年で終わるわけではありません。われわれの
国には休耕地がたくさんあります。それを利用して食料の大増産をしていか
ないと、国民的な被曝を脱することはできません。


【避難と移住を進め、可能なところの除染を】

それでもう一つ判断の基準で大事なのは、汚染の程度が、どの程度であるのか
という判断基準の定義がまるっきりなされていません。具体的には年間1ミリ
シーベルトを超える土地が凄いスペースを占めているにもかかわらず、今は
除染すれば人が住めるかのようなキャンペーンが大々的に行われています。

やはり落ち着いて、今の汚染が、除染をすれば住める程度か、それを行っても
安全基準に達しない、移住をしなければいけないところなのかということを、
あらためて判断しなければならない。それで除染などに取り組んでいかなけれ
ばならないと思います。

郡山市で、子どもたちの疎開を求める裁判が行われていますけれども、その
中身そのものも、除染することで子どもたちの命を守ることができないという
ことを出発点としています。

もちろん、除染ということも大事なことなのですけれども、やはり100年の規模
を見込んで、長期的に判断する。あるいはとにかく今どうするかという二段構え
で考えなければいけないと思います。その意味で、汚染の激しいところは、除染
をしたら人を呼び寄せて、そこに住んでもいいという状況ではないことをしっか
り念頭において、われわれが土地の上で健康に生きていけるかということと、
食べ物を、きちっと汚染がないものを確保していくという体制を取らないと、国
民みんなが被曝してしまいます。


【先々の脱原発ではなく、放射線防護の促進を!】

今、政府だけでなく、政党レベルでも、今の今、ここにいる国民の被曝を回避す
るという政策がなかなか出てきてない状況です。これはやはり市民の力で変えな
ければいけないことです。命を守るためには、将来、原子力発電をやめたらいい
よという、そういう問題ではありませんので、きちっと要求していくことが貴重
になっていると思います。ひとまずこれで私の話を終えます。

以上




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明日に向けて(336)放射線影響研究所が、内部被曝調査を1989年に打ち切っていた!

2011年11月26日 22時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111126 22:00)

矢ケ崎さん講演録を掲載中に、次々と、これに関連する事実が浮かび上がっ
てきていますが、今回は、内部被曝隠しの一端が明るみに出ました。広島・
長崎の、放射線影響研究所(放影研)が、長崎・西山地区住民に対する内部
被曝調査を、1989年に打ち切ってしまい、以降、20年以上、研究が途絶えて
いるという報道です。

放影研は、311以降にしばしばマスコミに登場し、放射線の人体への影響を
非常に軽んじた「解説」を繰り返していますが、もともとこれはアメリカの
原爆傷害調査委員会(ABCC)の末裔の組織です。アメリカが、原爆の性能を
調べるとともに、被爆者の現実、とくに内部被曝による健康被害の実態を
隠すために組織したものであり、多くの被爆者の怒りと恨みを買っています。

ベトナム戦争にアメリカが戦費を使いすぎたことによって、日本側の経営
への参加が求められ、日米合同組織に変わりましたが、もともとアメリカ
核戦略の一端を担ってきた組織であり、その性格を現在も色濃く受け継いで
います。そのことが内部被曝調査を密かに打ち切って、データを蓄積しない
ようにしていたことに端的に現れています。

またこの放影研の長滝元理事長は、今回の事故に際しても、4月に「チェルノ
ブイリ事故との比較」と銘打った、事故の影響、死者数などをきわめて低く
見積もった提言を、他の人士と連名で首相官邸ホームページに載せるなど
しています。まったくの虚言としかいえないもので、こうした点には、放影研
が、今回の事故でも、被害を極端に小さく見せる側に与していることが分かり
ます。

こうした虚言が、平然と首相官邸ホームページに載せられ続けているのが私
たちの国の現状です。本当に繰り返しウソばかりつく政府に、騙されないよう
にしましょう!内部被曝の恐ろしさを隠すことを認めず、しっかりとした放射
線防護態勢を築いていきましょう!

************

放影研、89年に調査中止 内部被ばく実態、20年不明
共同通信 2011/11/26 14:02

日米両政府が運営し、原爆被爆者の健康を調査する「放射線影響研究所」
(放影研、広島市・長崎市)が、原爆投下後に高い残留放射線が見つかっ
た長崎市・西山地区の住民から、セシウム検出など内部被ばくの影響を確
認し、研究者らが調査継続を主張してきたにもかかわらず、1989年で
健康調査を打ち切っていたことが26日、関係者への取材で分かった。

45年から続く貴重な内部被ばくの継続調査だったが、打ち切りによって
健康への影響や実態の解明は20年以上、進んでいない状態。放影研は調
査終了の理由について「健康被害が確認されず、当初の研究目的を達成
したため」と説明。
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011112601003088.html
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明日に向けて(335)子どもたちを放射能から守るために・・・矢ケ崎さん講演録(3)

2011年11月26日 18時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111126 18:30)

矢ケ崎さん講演録の3回目をお届けします。今回は内部被曝のメカニズムやその
実相についてです。この中で難しい言葉ですが、放射平衡という言葉がでてき
ます。「放射性物質は放射線を出して崩壊していく。半分になるまでの時間を
半減期という」・・・よくこのような説明を耳にしますが、これだと、放射線を
出す力が半分になると読めてしまいます。

実際には違います。ある核種の放射線を出す力が半分になる、あるいはある核種
の量が半分になることを意味していて、実際には放射線を出した物質は、違う物
質に変わります。これを「崩壊」と呼びます。通常に使われている意味の「崩壊」
ではないのです。問題は違う物質になるとそこからも放射線が出ることで、ある
時期にはもとの核種からの放射線と、「崩壊」してできた放射線が重なって出て
きます。これが「放射平衡」の意味です。

今回の講演では触れていませんが、矢ケ崎さんはこの「放射平衡」を非常に重要
視して、しばしば語られる次のような見解、「放射性物質は原爆投下直後や、原
発事故当初がもっとも多く出てきていて、その後に放射線の量は急速に減ってい
く」という考え方を批判されています。放射並行により、むしろ一時的に放射線
の量は増加し、その後に下がっていくからです。

このことは、広島や長崎で、あとから汚染地帯に入って被曝した「入市被曝」を
考えるときにも非常に重要なポイントになります。この点もまた隠されることで
原爆投下後に何日も経ったにもかかわらず、まだたくさんの放射能が舞っている
市内に入って被曝してしまった人が、「被爆者」から除かれてきたからです。

・・・説明が長くなってしまいました。以下、ぜひお読みください。

****************

矢ケ崎克馬講演録(3)

子どもたちを放射能から守るために
-知られなかった内部被曝の実相-
2011年11月19日 


【内部被曝の脅威】

私も随分、内部被曝と外部被曝について発言させていただいていますが、次に内部
被曝の具体例を示します。一つは肺の中に吸い込んでしまうこと、一つは水
や食べ物の中に含まれている放射性物質を食べ物と一緒に体の中に入れてしまうと
いうメカニズムです。体の中に入った放射性物質から出てきた放射線で体の中が被
曝してしまうので、内部被曝と呼ばれています。

この埃が実は非常に細かいもので、一番大きいものが、1000分の1ミリメートル以
下、単位をマイクロメートルといいますが、1マイクロメートル以下の放射能の埃
であると言われています。私も3月25日から福島に入りましたが、まったく放射能
の埃は見えませんでした。周りの放射線の量は計測してみると、だいたい10マイク
ロシーベルト毎時と凄い量があるのですが、まるっきり見えません。

しかしこの見えない埃の中に、1000分の1ミリメートルの直径なら、だいたい1兆個
ほどの原子が含まれています。体の中に1兆個ほどの原子が入ってきますけれども、
この中からバンバンと放射線が出るわけですね。そういうわけで内部被曝の場合は、
外部被曝の場合よりも、浴びる放射線量が随分、多くなってしまいます。

外部被曝で放射能を帯びた物質の埃は、原子の種類によって3種類の放射線を出す
わけですけれども、その中でγ線だけは随分遠くまで飛んでいきます。空気中で
70mも飛んでいく測定結果が紹介されていますが、これはなぜかというと、物質と、
つまり例えば人間の体との相互作用が非常に少なくて、ところどころしか分子切断
をしない。そのためにところどころであたっても、エネルギーを残したまま、体か
ら突き抜けてしまうのです。分子を1回切断するごとにエネルギーを失っていくの
ですが、失う機会が少ないので、随分、遠くまで飛んでいってしまいます。それ
が遠くまでいく物理的な理由なのです。

それに対してα線の場合は、約45ミリ程度、β線の方は約1mしか飛びません。外部
被曝の場合だったら、体が埃から1m以上離れていれば、γ線しか届かないわけです。
しかし具体的にはこの1mをβ線が飛ぶ中で、分子の切断は2万回から3万回行われま
す。α線の場合には、体の中では100分の4ミリメートルしか進むことができません
けれどもその中で10万個の分子切断が行われてしまいます。

そういうわけで、α線やβ線が遠くまで飛ばないというのは、ギシギシと分子の切
断を行うからなのです。それで埃が体の外にあるときは、ほとんどγ線だけを考慮
すればいいのですが、埃が体の中に入ってしまうと、出てくるすべての放射線が、
体の中で分子切断をするという被曝を与えてしまうわけです。そういう意味で、内
部被曝の被曝の仕方の方が、随分激しいものがあります。

外部被曝しか見ていない人は、内部被曝の見方が非常に中途半端で、「内部被曝は
外部被曝の3%程度だ」などという人もいますが、とんでもないことですね。内部
被曝は、外部被曝より凄く深刻です。内部被曝ではα線やβ線が関与して、非常に
高密度な分子切断が行われます。それが体の中に放置されることで、いろいろな効
果が重なって出てきます。


【内部被曝の実相・・・放射平衡による放射線の重なり】

例えば食べ物と一緒に放射性の埃が入った。それが直径0.1マイクロメートルだと
しましょう。10000分の1ミリです。そこにはだいたい10億個の原子が入っています。
β崩壊、β線を出すセシウムやヨウ素を念頭におきますと、β線は体の中では1㎝し
か飛びません。それでセシウムがこの埃を形成しているとすると、1時間にだいたい
2600本の放射線が出ます。セシウムの半減期は30年と言われています。

それに対してヨウ素は8日間の半減期ですから、単位あたりの放射線量が凄く多くて、
1秒間に1000本もの放射線を出します。それで内部被曝が起こります。さらに崩壊
系列というものがあります。外部被曝しか問題にしない方は、セシウムの被曝はγ
線だなどと言いますが、物理的には、セシウムはβ線しか出さないのですが、β線
を出すとバリウムという物質に変わって、これがγ線を出します。β線を出すのと
バリウムになってγ線を出すことが同期してしまう。これを放射平衡というのです
が、β線と一緒に同じ数のγ線が出てくる。だからセシウム137の放射線はγ線だ
などと言っていますが、これははしょった言い方で、内部被曝の場合にはβ線を勘
定に入れないと、被曝量をまるっきりとらえられません。

そういったことはが他にもいっぱいあるのですが、この埃が食べ物と一緒に小腸の
管を移動していくとなると、だいたい1㎝の球を描いて、その中にいっぱいに放射線
がでてきます。この腸管の中にできる食べ物と埃の球の直径は、小腸の腸管のサイ
ズよりも少し大きい状態が具体的なものですから、小腸の管で分子切断が集中して
しまいます。それでわずかな量で下痢が起こってしまいます。

これと同じだけの症状を外部被曝で出すならば、非常に大量のγ線を外から放射し
てやらなければいけません。こういう意味でヨーロッパ放射線リスク委員会など、
内部被曝をまじめに考えている科学者集団は、内部被曝は外部被曝の700倍の実行
線量があると考えています。700倍という数字そのものはともかくとして、非常に
大きな被曝効果があるのが内部被曝です。

ちなみにヨウ素を1000万分の1ミリグラム、もう埃とも感じない量なのですが、たっ
たこれだけを、1週間からだの中に保持していると、1シーベルトという巨大な被曝
量になってしまいます。これが内部被曝で体内に放置された放射性物質からの被曝
量ですね。

続く

*********

なお以下から、当日の集会の様子が見れます。後半のディスカッションの部です。

いまこそ原発を問う連続講座
http://d.hatena.ne.jp/genpatsu-iyayo/20111124/1322145132
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明日に向けて(334)マイコプラズマ肺炎など感染症が増加・・・被曝の影響では?

2011年11月25日 23時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111125 23:00)

ここ数日、矢ケ崎さんの講演録を、分割して掲載していますが、そこで語ら
れたことをさらに証明するような社会的事象が続いています。深刻な被曝の
兆候と思われる事態で、一つ一つに胸が痛みますが、今、私たちの前にある
危機をきちんとつかむために、お知らせせねばと思います。

今回、お知らせしたいのは、読売新聞に載った、「今秋マイコプラズマ肺炎
やRSウイルス感染症などの患者が増えている」という記事です。ただし、
この見出しはやや不正確で、例年、冬に流行していたそれぞれの感染症が
今年は6月ごろからはやりだし、感染症の流行しにくい夏にもどんどん感染
が増えて、秋になってさらに増えていることに特徴があります。参考に東京
都の感染情報や、ここ数年の年間を通した感染との差異を示すグラフのアド
レスも示しておきます。これらをみると、例年とまったく違った感染グラフ
ができていることがわかります。とにかくこの10年間の中で圧倒的な増加
です。

放射線被曝が起こった場合、免疫力の低下が起こり、あらゆる感染症にか
かりやすくなります。とりわけもともと免疫が低下している人々は、ダメー
ジを受けやすく、チェルノブイリの事故の後には、エイズ患者の死亡が急増
しました。無論、そうはいっても、今回のマイコプラズマやRSウイルス感
染症と被曝との因果関係がはっきりと証明されているわけではありません。
とくにマイコプラズマの場合は、西日本で全般的に発生が高くなっており、
とくに沖縄が高い点など、福島の事故だけでは説明がつきにくい事象もあり
ます。

しかしこうした例年と違う症例に着目し、放射線の影響の可能性を考えて、
れぞれで免疫力を高める努力を重ねていくこと、食品からの被曝を避ける、
ないしは極力減らす努力を続けていくこと、がれきの焼却によるさらなる被
曝を生まないようにしていくことなど、被曝対策を強化していくことが重要
です。

この点で重要な情報としてお伝えしておきたいのが、矢ケ崎さんが講演の
中で触れていた、チェルノブイリ事故後にアメリカで得られた感染症拡大の
データです。これは肥田医師が翻訳された、アメリカの、ジェイ・M・グール
ドが書いた『死にいたる虚構-国家による低線量放射線の隠蔽』の第二章
「チェルノブイルのフォールアウト」に書かれています。

そこでこの章から重要なポイントをいくつか引用しておきます。

「政府のデータでは1986年5月の合衆国死亡率も統計的に有意の増加である
ことを示している。統計では1986年5月の合衆国死亡率は前年同月よりもな
んと5.3%も増加している。これは1000分の1以下の危険率で統計的に有意性
があり、そればかりでなく5月度死亡で見る年度増加率は実際に、合衆国の
過去50年間のうちで最高であった。それに続く3ヶ月間の死亡率増加も高率
であった」(同書p11)

「1986年の夏にきわだって増加したのは、乳幼児、感染症疾患をもつ若年成
人、高齢者の死亡であった。これらの人たちには免疫系が相対的に脆弱であ
るという共通点がある。そこに免疫障害を起こす原因が加われば病気やスト
レスに対しての抵抗を妨害することになる。免疫機能が低下している高齢者
はそれまでに既に病気の状態といえるので、チェルノブイルの放射能は免疫
系の抵抗力を一層、弱体化されたであろう。

酔いをさませるほど驚かせる統計は、これまでになく死亡率を増加させた若
年成人の場合であろう。肺炎、感染症疾患、特にエイズ関連疾患による著し
い死亡率増加は1986年5月にピークとなり、ついで夏期に続くが、この背景に
は免疫障害があると思われる。普通ならば、夏は感染症疾患による死亡率は
もっと少なくなるものである。というのはインフルエンザなどの流行などは
大抵、冬に起きるのだから」(同書p13)

これらからも、被曝の影響で感染症の増加が起きた可能性や、もともと免疫
力が弱っていた人の死亡が増えたことが明らかで、日本でも同様の統計が欲
しいところですが、何せ3月の大災害で、多くの医療機関が被害を被り、地震
と津波によって亡くなられた方、またその後のストレスの中で亡くなられた
方も大変多く、なかなか有意な統計は出てこないのが実情かと思われます。

いずれにせよ、昨日、掲載した町田市の症例などと合わせ見るとき、被曝に
よりさまざまな疾患が増えているのは確かだと思います。こうした事態を前に
私たちがなすべきことは、まずは「腹をくくること、開き直ること、覚悟を
固めること」です。その上で「免疫力を上げる」ことが重要です。

同時に、もう実現不可能だとしてあきらめてしまわずに、汚染ゼロの要求を
政府に出していくことが必要です。とくに汚染のない地域、ないし東日本と
比べるならばかなり少ない地域で、食料の大増産を行うことが重要です。そ
れを被災地に供給したいし、しなければならない。政府や各地の行政に、
国民・住民の安全を守る義務をつきつけていくこと、あきらめずにこれを
続けることが大事です。

知恵を絞って、病の拡大に立ち向かっていきましょう!

***********

今秋、マイコプラズマ肺炎やRSウイルス感染症などの患者が増えている
読売新聞 2011年11月24日16時10分

国立感染症研究所によると、11月第2週(7~13日)のマイコプラズマ
肺炎の平均患者数は2001年以降の最高値を記録。

九州、山口、沖縄では全国平均を上回る県もある。西日本では寒暖の差が
激しい不順な天候が続いており、感染研は「予防のため体調管理などに気を
つけてほしい」と呼びかけている。

◆マイコプラズマ肺炎 患者数が最多◆

感染研が全国約500の医療機関(定点機関)の報告をまとめたところ、第
2週の平均患者数は1医療機関当たり1・25人で、01年以降の10年間
で最も高かった0・72人を上回った。九州、山口、沖縄では沖縄県5・14、
長崎県1・73、山口県1・44。福岡県も第1週の0・4から0・73に
増加。北九州市では小学校の学級閉鎖も報告されている。

マイコプラズマという細菌による呼吸器系感染症。感染研の安井良則・感染症
情報センター主任研究官は「症状が風邪に似ていて外来ですぐ診断するのは難
しく、重篤化してしまうケースもある」と指摘する。

ワクチンはなく治療は抗生物質が中心だが、薬が効かない耐性菌の増加が拡大
の要因になっている可能性もある。「今年はこれまで使われてきたマクロライ
ド系の抗生物質が効かないケースが多い。03年以降、耐性菌が増え、今では
8割を超えるという報告もある」と安井研究官。別に効果がある抗生物質は
あるものの、幼児の歯形成への副作用が懸念されるため、医療現場では難しい
対応が続く。

◆RSウイルス 乳幼児に多く◆

RSウイルス感染症は乳幼児が感染しやすい呼吸器系感染症。今年は全国的に
例年を上回る患者数が報告され増加傾向が続く。福岡県の1医療機関当たりの
平均患者数は、11月第1週の0・51から第2週は0・76になった。

本来は冬に流行しやすいが、今年は6月頃から都市部を中心に感染が広がり
始めた。新規患者数は10月中旬にいったん減少したものの、再び増加傾向に
転じた。感染研は「感染の勢いは落ち着き始めているが、もともと冬にピーク
を迎える感染症。12月の動向が気になる」とする。

◆インフルエンザ 年明けに流行か◆

山口県では9月に周南市の幼稚園で集団感染が発生し、クラスが閉鎖された。
新型インフルエンザ(H1N1)が発生した09年を除くと、同県で最も早い
時期の集団感染発生となった。その後は落ち着いた状態が続いてきたが今月
21日、山口市の小学校が学級閉鎖された。

同県以外の発生ペースは遅く、今のところ確認されているウイルスのほとんど
はA香港型。しかし昨季と同様の傾向をたどれば年明け以降にH1N1型が
流行する可能性もある。感染研は「いずれの感染症もうがいや手洗いで、ある
程度予防できる。患者との濃厚な接触を避けるなど注意してほしい」として
いる。

◆マイコプラズマ肺炎=天皇陛下や皇太子ご夫妻の長女、愛子さまも一時、
感染の可能性があるとされた。感染者の大半は14歳以下。乾いたせきや発熱、
頭痛などの症状のほか、重篤になると脳炎などを引き起こす場合もある。せき
や接触で広がり、潜伏期間は2~3週間。

◆RSウイルス感染症=多くは鼻水やせき、のどの炎症などで治まるが、乳幼
児では重篤な肺炎や細気管支炎を引き起こす場合もある。免疫ができにくいた
め、流行期に何度も感染する可能性もある。ワクチンや抗ウイルス薬はなく、
酸素吸入や点滴などの対症療法が中心。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111124-OYT1T00764.htm

*****

東京都におけるマイコプラズマ肺炎の発生状況
http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/diseases/mycoplasma/mycoplasma.html

*****

マイコプラズマ肺炎、急増=過去最多で高止まり-被災地も要注意(9月29日)
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_soc_health20110929j-01-w370haien

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明日に向けて(333)子どもたちを放射能から守るために・・・矢ケ崎さん講演録(2)

2011年11月25日 00時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111125 00:00)

矢ケ崎さん講演録の2回目をお届けします。今回はお話のコアである被曝のメカ
ニズムについてです。この説明の中で、チェルノブイリ後のアメリカでの例を
ひきながら、「年寄りには放射線の影響は少ない」という一部にある思い込み
が誤りであることの指摘もなされていて必見です。

以下、ぜひお読みください。

********************

矢ケ崎克馬講演録(2)

子どもたちを放射能から守るために
-知られなかった内部被曝の実相-
2011年11月19日 


【被曝の物理的メカニズム】

より具体的な話に入ります。被曝といいますが、より具体的には放射線が飛んで
きて体に突き刺さります。あるいは体の内部から発射されて、内部に突き刺さり
ます。この放射線というのは、原子の一番ど真ん中から出てくるのですが、放射
線を出す能力という意味で、放射能という言葉が使われています。放射能からは
放射線が出てくるわけです。

それで放射線の一番の大きな作用についてですが、私はまず肉体的な変化、医学
的な変化を見る前に、物理的にどういう変化があるかということを捉えることが
大事だと思って、その目線でみなさんにお話しています。その場合、重要なのは
放射線が電離という作用を持っていることです。電離とは、原子の中の小さい電
子という粒々を、吹き飛ばすことです。それで結果的には分子を切ってしまいま
す。原子だ、分子だ、電子だと、大変難しい言葉が出てきて申し訳ないのですが、
スライドをみながら説明します。

原子がつながってできた分子の絵が書いてあります。私たちの体の中で生理的な
機能を果たすものは、すべて分子から構成されています。この中の原子がどうして
お互いに結びつくことができるのかというと、電子が軌道を重ねて、ペアを作る
ことで、非常に強い結合力が生じます。そういう状態が、原子と原子がつながる
原理です。

ここに放射線がやってくると、せっかくペアになってつながっている電子が、飛
ばされてしまうわけです。とくに電子として、一番外側の軌道を回っているもの
が吹き飛ばされてしまうものですから、電離、電子が原子から離されてしまうと
いう言葉を使っています。ここで分子が切断されてしまいます。これが放射線が
物質に対して果たす一番の影響です。


【分子切断の2相の危険性】

この分子が切られることで、どんな被害が出るかですが、一つはたくさんの分子
が切られてしまうわけですから、生命機能が破壊されてしまう危険がまず出てき
ます。それに対して二番目は、破壊されることを免れて、生き延びることができ
た細胞の中で、実は大変な危険が起こってしまう可能性があります。このように
考えているのは、今のところ、私一人なのですが、物理的に被害を見ていく場合
に、一番、しっかりとした見方なのではないかと自画自賛しています。

分子が切られるものだから、生理機能がうまくいかずに機能が停止してしまう。
それがまず最初の危険で、急性症状などが現れてきます。脱毛や紫斑、下痢、出
血などが、実際の被爆者のみなさんの記憶からたくさん記録されています。これ
は実際に分子切断からダイレクトに機能破壊をした効果です。もっと分子切断が
多くなると亡くなってしまいます。

二番目には、免疫力の低下、体調不全が出てきます。この免疫力の低下はあまり
重要視されていません。しかし大変、大きな危険を孕んでいます。それをチェル
ノブイリのときにアメリカにどんな現象があったかということでご説明します。


【チェルノブイリ事故後に、アメリカで起こったこと】

グラフをお見せしますが、チェルノブイリは4月26日に爆発が起こったのですが、
アメリカには約2週間してチェルノブイリの放射能の埃が届いています。新鮮なミ
ルクの中に入ったヨウ素131が調べられていますが、実際にはもっといろいろな
放射能が降っています。

その5月にどのようなことが起こったのか。エイズをはじめさまざまな感染症の人
がどれぐらい当年と前後の年の5月に亡くなったのかを比較したグラフがありま
す。エイズ関係だと事故の前の1984年5月と1985年5月を比較すると死亡者はマイ
ナス15%ぐらいになっていた。ところが1985年5月と放射性物質が降った1986年5月
を比較すると、なんと100%近く増えている。2倍の人が命を落としているのです。

全感染症の平均をみてみても、その前の年が前年比プラス10%以下だったのに、
1986年では前年にプラス30%ぐらいになっています。ストレスを持っていて、かろ
うじて命を保っている人に放射性物質が浴びせられると、たちまち命を失ってしま
います。


【年寄りには放射線の影響は少ないという思い込みは間違っている】

このグラフを見ていると、一部で「放射性物質は年の若い赤ちゃんほど敏感であっ
て、年を取ると感受性がにぶくなるから、年を取った人は放射能の埃をたくさん含
んだ食べ物を食べてもいいよ」という風潮がありますが、それが間違いであること
が分かります。全ての比較される人が、理想的に健康で、ストレスがない。免疫力
もいっぱい持っている。そういう人たちの状況で比較しますと、確かに細胞分裂を
一番している赤ちゃんほど、放射能の影響をたくさん受けるわけです。

ところがストレスや病気などのファクターは、年を取った人ほどいっぱい持ってい
ます。ですから年を取ると、免疫力の低下に関して凄く影響を受けるファクターが
生じるのです。赤ちゃんに被曝をさせまいとするのは大切ですが、市民のみなさん
には、全員が被曝を避けるということをしていただかないといけないと思います。


【DNAの異常再結合】

先ほどのグラフに戻って、第二番目のご説明をしますが、細胞が生き延びる時に、
つまり分子切断がDNAの切断として行われたときに、生物の生きている作用とし
て再びつなごうとする、再結合をしようとする作用が働きます。そのときにちゃん
と元通りに戻らなくて、異常再結合してしまう場合が起こる。この影響が、晩発性
としてがんになったり、遺伝的影響が出たりする放射能の被害に直結しています。

次の絵は、DNAが放射線を浴びて切断されることをモデル化したものです。γ線
がやってきたときには、DNAはところどころまばらに分子切断される。そうする
と周りの組織までやられていないので、元のように正常に再結合する確率が高くな
ります。これが外部被曝で主になるγ線で被曝したときのことを絵に書いたものです。

これに対してα線やβ線の被曝の場合、外部被曝の場合はあまり問題になりません
が、内部被曝の場合、とくにα線の場合は、あたる分子の全てを切ってしまう。そ
うすると再結合をしようとしたときに、結びつきが可能になるものが、周囲にたく
さんあるものですから、異常再結合してしまいやすい。異常に結びついてしまい、
DNAで言えば変成されてしまう、あるいは組み替えられてしまうという表現があ
りますけれども、こうした細胞が生き延びてしまうと、体の中で、何十回も細胞分
裂が繰り返されてコピーされるなかでがんになってしまいます。がんになるにはこ
のように何十回もの遺伝子の変成が必要になり、時間がかかって出てきます。

被害をごまかそうとする側にとっては、都合のいい出方になります。被害者にとっ
ては因果関係が特定しかねる出方になってしまいます。これが晩発性と呼ばれてい
る被害の現れ方です。こういう遺伝子の変成が、精子や卵子の中で起きると、子孫
に対する影響も出ると言われています。

具体的にではどのように遺伝子が変成されていくか。いっぱいいろいろな経路やメ
カニズムがあります。今日はこの点は具体的にお話せずに進ませていただきます。
医学的には、どう進んでいくか、周辺にどのような影響があるか、重要になってき
ますが、今日は割愛させていただきます。

続く
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明日に向けて(332)必見!町田からのこどもたちの健康被害?報告。・・・大人の症例もあり。

2011年11月24日 15時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)

守田です。(20111124 15:30)

明日に向けて(331)より、矢ケ崎さん講演録の連載を始めましたが、1回目の最後に、健康被害?報告として、町田のお子さんの例をあげました。矢ケ崎さんから、情報源が「こどもと未来をつなく会・町田」の方々であるとお聞きし、104件の報告があるとのことだったので、ブログを見させていただいたら、そこにも多くのお子さんや大人たちの「気になる症状」が報告されていました。

低線量による被曝の影響が、政府によって否定されている中ですから、こうした情報収集と公表は、とても重要、勇気あることだと思います。「こどもと未来をつなぐ会・町田」のみなさんに感謝を述べたいと思います。

同時に、できるだけ多くのみなさん、全国のみなさんと情報をシェアしたいと感じて、「明日に向けて」に転載させていただくことにしました。この旨、会の方にメールを送って承認していただこうと思いましたが、なぜか送信ができませんでした。そのため事後承諾での掲載になってしまうことをお詫びします。

ともあれみなさん。この報告と、ご自分自身や周りの方の身に起こっていることと照らしあわせてください。そして似た症状や、気になる症状がある場合は、守田までご連絡ください。情報発信している細かい地名が分かるとありがたいです。こうして市民調査を重ねて、今、私たちの身に起こっていることを市民の手で明らかにし、こどもたち、私たち自身を放射能から守っていきましょう!

*********************

低線量被ばくの可能性が考えられる気になる症状調査★
(2011.10.20~11.16子どもと未来をつなぐ会調査資料)

こどもと未来をつなく会・町田
http://ameblo.jp/kodomotomirai/entry-11069157525.html

■3歳 男 町田市在住
鼻血を頻繁に出す。7月、9月と原因不明(血液検査異常なし)の熱が1週間続く。10月、手の爪が二本根元から剥がれる。その後も数本剥がれる。痛みなし。
311より、飲料水はハワイウォーター。野菜や米もミネラルウォーターで洗っています。野菜は西日本産オンリー。魚、肉、卵、乳製品は一度も摂取していません。外食もこだわっているお店のみです。

■4歳 女 多摩市在住
微熱が数ヶ月続いています。下痢もかなり長く5ヶ月続いています、病院から整腸剤を処方され服用していますが、治りません。口内炎と足の腫れ。発疹、病院からステロイドを処方されていますが治りません。倦怠感というか、すぐ寝転んでぐったり。

■6歳(事故時5歳) 男 町田市在住在園
3/11~3/18 町田市の自宅から一度も外出せず、窓開けず、エアコン入れず、洗濯物も家の中。
3/19~5/3 和歌山県へ避難  5/4~7/25 町田市在住在園
7/26~8/27 和歌山県へ避難  8/28~現在 町田市在住在園
産まれてからこれまでほとんど鼻血を出さなかったのに、3・11後、10回以上鼻血を出しており、そのうちの3回は(5月6月7月)25分から30分間鮮血の鼻血が水道の蛇口を全開にしたように大量に出るのです。仰向けには寝ていられず、トイレに垂れ流しの状態で止まるのを待ちました。今現在、鼻の奥に茶色の膿が溜まり、中耳炎が2ヶ月半続いています。耳鼻科に通い抗生物質など処方され服用し続けています。
8月中旬くらいから10月中旬まで右の耳がほとんど聞こえていなかったみたいなんです。「最近、名前呼んでも、返事しないな~!そういう年頃なのかな~!」と思っていたら、鼻血と鼻水が鼻の奥に固まって中耳炎になり右の耳がほとんど聞こえなくなっていたのでした。やっと、今、治りかけて来ましたが、まだ、薬服用し通院中です。下痢もよくしています。治ってはなりの繰り返しです。

■9歳 男 町田市在住
鼻血3.11以降4ヶ月内に7回立て続けに出た。産まれて初めて。量はタオル一枚濡れるくらい、鮮血

■6歳 男 町田市在住
口内炎が3回できた。3.11後、産まれて初めて。

■9歳 女 多摩市在住
震災後、約2ヶ月間、抜け毛が凄かったです。毎日、朝、洗面所の前は以前と比べ、落ちている毛が半端ではなく、毎日、ブラシには、びっしり毛がついていました。本人も、はげてしまうのではないか?と心配していたそう
です。後日談。当時は季節の変わり目だから抜け毛が多いのかな?くらいにしか思っていませんでした。

■7歳 男 町田市在住
夏休みから、二回 口内炎 一週間程 食事出来ず ゼリーなどで 栄養とる、病院では風邪だと診断、こういう風邪は産まれてはじめて、、、以前から喘息はありましたが、治まっていました、311後から少しつづ酷くなり、11月からとても酷く産まれて初めてステロイドを処方されました。

■4歳 女 町田市在住
三回口内炎 今現在進行中 産まれてはじめての事、、、

■8歳 男 町田市在住
3.11以来、夜中によく鼻血を出し、布団が真っ赤に。ある時は3日間ほど連続で出したことあり。一度は夜中にずっと血が止まらず、ティッシュが何枚も真っ赤になる。そんな症状がなんどかあった。血は鮮明。塊のようなもの
が出た時もある。鼻血がでた時は、東京都の放射線量あがった時やその翌日でした。あの連続して止まらなかったときがそうでした!その前にも2回ほど同じ状況がありました。

■13歳 女 横浜市在住
生理が月に2回ペース5月より

■7歳 男 横浜市在住 町田市通学
熱が1週間下がらず処方された抗生剤効かず。目の下にクマ、充血、9月に入って頻繁に

■12歳 男 相模原市在住 町田市通学
311以降 4月5月、鼻血を頻繁に出すようなる。三日間連続夜になると出た時もありました。 とにかくいつもより、体が疲れるらしく良く寝ていた。寝ている。

■11歳 男 川崎市 町田市通学
前々から気管支は弱く何かあると必ず咳がひどくなります。今回は前回の台風後から喉の調子が悪く咳がとまらない状態に、、、熱はなく元気だが粘膜に異変あり。

■6歳 女 町田市在住
夏頃、生まれて初めて口内炎ができる。鼻血もほとんど出た事がないのに、6月頃連続で出していた。(311より、飲料水はハワイウォーター。野菜や米もミネラルウォーターで洗っています。野菜は西日本産オンリー。外食もこだわっているお店のみです。)

■11歳 男 町田市在住
311後、急に鼻血が増えた。もともと鼻血体質の子どもだが、夏の暑いとき、興奮したときなどに見られたくらいで小学校低学年を境に減ってきていた。現在の鼻血は量も出かたも明らかに異なる。週に1、2度。静かに座っている
とき、就寝中などに突然、血をこぼしたように出る。ティッシュ20枚以上は使う。下痢。おさまったりまた出たりと、波がありながら繰り返している。

■9歳 男 町田市在住
4月の半ばに鼻血。もともとまったく鼻血を出さない子だったので驚いた。鼻血は今、ひと月に数回。回数と量は少ないが、原発事故前とはまったく違う様子なので、何か起きているのは明らか。4月後半にやたらにまぶたが重く
閉じてしまう感じ。昼間の活発な時間帯なのに、目が重く感じるため、何回も目をぎゅっとまばたきし、重さを振り払っていた。同じ様子は6月、8月にも見られた。倦怠感。

■10歳 男 川崎市在住 町田市通学
夏休みに下痢が3週間以上続く。今まで、お腹の風邪なら治りがけに、又は同時に鼻水や咳がでていた。心配になり食事を減らしたり、お粥にしたりしたが下痢だけ続く。1日に20回以上トイレへ。元気ではあったのでホメオパ
シーを与えていた。今も治ったと思うと下痢を3日間ぐらい続けておこす。風邪の症状はない。前回の台風のあとも1週間くらいつづいた。

■6歳 男 多摩市在住
昨年までは鼻血を殆ど出したことなく、一年に一回あるかないか。今年は5月ころから既に5~6回鼻血。ちなみに、3月と8月は東京を離れました。

■4歳 男 横浜市 町田市通園
四月に生まれて初めて鼻血を出す。それからずっと、量は多くないが、月に何度か鼻血が出る。八月中はずっと広島に滞在。その間はすこぶる健康。横浜に戻ってきてしばらくしてから、ずっと今日まで咳や鼻水など風邪や喘息っぽい症状が続いている。薬をもらうがあまり効いている感じがしない。3月16日から4月1日までは都心を離れていました。

■5歳 女 多摩市在住
大量の鼻血がでました。止まらなくて深夜救急に電話したくらいです。花粉症と重なっていたので その時はなんとも思わなかったのですが よく考えたら低線量被ばくの症状だったのかもしれない。アトピーがいつもより酷い。

■9歳 男 町田市在住
アレルギー体質で、もともと季節の変わり目などには寝起きの時間に咳、鼻水が多かったが、4月頃から毎朝、鼻水が出て、咳の頻度も増えた。

■6歳 男 町田市在住
まるきり治っていた、喘息の症状が、ちょっぴり痰が出たりして咳している。生まれてから鼻血という症状を出したことのなかった子が、3.11後に鼻血初体験がありましたね。

■2歳 女 横浜市
頻繁に鼻血を出しています。耳鼻科に行っても鼻の中に傷がなく医者も首を傾げるばかりで、9月位からず~と咳をしていて今、血液検査の結果待ちです。

■5歳 女 横浜市
咳が続き顔にむくみがでる。

■7歳 女 川崎市
9月位から咳が長く続いています。元々気管が弱く喘息とアレルギーがあります。

■6歳 女 町田市在住
もともと鼻血はよく出す子ですが、今年は明らかに多いです。夜中に鼻血で起きることが多く、最近はそれにも慣れ、一人で起きてすぐにティッシュでさっと押さえることができるようになりました。8月5日夏祭りの日に鼻血
をたくさんだし、あとからその日、放射線量が高かったことを知りました。

■2歳 女 荒川区在住
2ヶ月間下痢が続いています。病院から整腸剤を処方され服用していますが、治らず。

■3歳 男 町田市在住
喉の痛みを訴えたのですぐに病院で受診したら、肺炎と診断、入院しました。こんなことは産まれてからはじめてです。

■8歳 女 多摩市在住
もともとよく鼻血を出しますが、4月・7月の2回の鼻血はいつもより多く出てマクラ・シーツが血の海でした。

■7歳 女 町田市在住
3週間ほど微熱がつづいている。朝下がって、夕方になると上がるを繰り返しています。

■14歳 男 町田市在住 東京都新宿区大久保通学
震災後、学校は春休みが終わるまで、休ませていました、3月13-17日、22-26日までヨウ化カリウムを服用。
外出はしなかったです。震災長後から食材は関西以南のものを購入、水はペットボトル購入後、3月末から逆浸透膜浄水器、3月末からアップルペクチンを飲ませていました。弁当(産地を選んだもの)。
9月26日から、校庭で体育祭の練習が始まる。9月31日、体育祭前日、発熱とめまい、気分が悪くなり、早退。学校の養護教員に確認をしたところ、この日に保健室を訪れて早退した生徒は7名。それぞれ、症状が違うため、感染症の可能性は低いと思うと言われる。翌日の体育祭は参加させなかった。
その後は1-2日で回復し、現在は目立った症状は出ていない。但し、4月から身長が1cmも伸びてなく、5kg痩せている。

■12歳 男 町田市在住通学
震災後、学校は春休みが終わるまで、休ませていました、3月13-17日、22-26日までヨウ化カリウムを服用。
外出はしなかったです。震災長後から食材は関西以南のものを購入、水はペットボトル購入後、3月末から逆浸透膜浄水器、3月末からアップルペクチンを飲ませていました。給食(4月から、牛乳と魚介類は除去)
9月27日 鼻血
10月 2日 鼻血
10月12日 鼻血
10月17日 鼻血
目の下にクマ、倦怠感、顔色が悪い。
アレルギー性結膜炎とアレルギー性鼻炎は9月ごろから頻繁に起こる。(アレルギー性結膜炎と鼻炎症状は昨年も同様にありました)
目立った症状は2学期に入ってから出てきています。
毎年アレルギー性鼻炎はもっているものの、鼻血に関しては幼稚園以来久しぶりに連発しています。身長は著しく伸びています。

■8歳 男 町田市在住 町田市の小学校に在学中
7月頃から、鼻血を出すようになった。最近は、落ち着いているが、鼻はただれている。鼻血は7月から10月の間に、10回くらい出ていて、7月が一番多く、3日連続出たり、間を置いて、時々鼻血を出す。という状態。
現在は、鼻の粘膜が炎症しているのか、粘着性のある鼻水が鼻の中に溜まっていることが多く、全体的にただれている感じ。

■8歳 男 町田市在住 町田市在学
気になる症状は、風邪の治りが遅い(鼻水がなかなかとまらない)

■2歳 女児 墨田区墨田在住 墨田区東向島通園
夏あたりに3日くらい連続して夜中に鼻血を出しました。あまり鼻血など出したことがなかったので、ちょっと気になりました。4月には肺炎を煩いました。当時私はまだ放射線の影響について疎く、後になって放射線量が高いとわかった錦糸町の公園で、のんきにお花見して遊ばせていた1週間後くらいの発症でした。

■9歳 男 町田市在住・在学
6月頃から現在(11月)まで青あざが頻繁に出来る。6月~7月倦怠感。
9月鼻血数回、口内炎を繰り返す。
青あざの件で小児科を受診しましたが心配ないと言われました。

■6歳 男 町田市在住・在学
4月:鼻血が1週間続けて出る 5月:微熱が続く、嘔吐下痢、その後食欲不振が1ヶ月半続き、その間は白米と果物しか受け付けなかった。

■7歳 男 町田市在住通学
3月帯状疱疹
8末から咳(もともと喘息でしたが)鼻水10月半ばまで続く9月とびひ
10月末から寒くなってきたからかおねしょがひどいです。

■4歳 女子 町田市在住
6月桑の実を食べひどい下痢(昨年までそんなことはなかった)
9月とびひ・鼻水など風邪症状
10月最近おねしょがつづく
目の下のくま
簡単な尿検査で血が少し混じっているので再検査となってます

■7歳 男 町田市在住通学
原発事故以前は鼻血を出したことがなかったのに、5月以降十数回。出るときは3日連続とか、1日2回とか出る時もある。よく「口内炎がしみる~」と言っている。「子供のくせに 口内炎になるの~?」と笑い飛ばしていたけれど、

■7歳 男 所沢市在住
口内炎がかなり出ています。食生活を見直していますが、未だ減りません。
痛がりませんが、現在は4つ。口内炎はまったくなかっただけに、放射能と関係があるのかと感じます。

■6歳 女 所沢市在住
口内炎がかなり出ています。食生活を見直していますが、未だ減りません。
痛がりませんが、口内炎はまったくなかっただけに、放射能と関係があるのかと感じます。

■6歳 女 神奈川県川崎市
数週間鼻血が止まらず

■8歳 女 神奈川県川崎市
数週間鼻血が止まらず

■12歳 女 神奈川県川崎市 
数週間鼻血が止まらず

■15歳 男 町田在住在校
湿疹をかきむしっているうちにとびひになってしまいました。小さい頃にはよくとびひになりましたが、ここ10年くらいはなっていませんでした。

■5歳 女 町田市在住
7月末から2ヶ月以上咳が続いている。10月になって治まってきたと思ったらまたでるように。8月の夜中は吐きそうになるほど激しく咳込み、何度も起きる。病院で抗生剤、咳どめを処方されるがあまり効かず、原因よくわからず。
食材はなるべく西日本のもの、放射能検査をしているもので気を付けている。

■1歳 女 町田市在住
8月から今まで2ヶ月以上咳がとまらない。寝ている時も咳込み、起きてしまう。8月は呼吸も辛く、吐くことも。同じく食事には気を使っている。母乳も与えている。二人とも今までこんなに咳が続くことはなく、明らかにおかしい。

■8歳 男 町田市在住
7月の半ば頃から末にかけて多い時週に3日鼻血を出していた。
8月に入って以降はほとんど無い。現在(10月末)咳が出ているが、毎年恒例のことなので低線量被曝由来のものか判断が難しい。

■ 4歳 男性 多摩市在住通園
ウンチをして、お尻を拭くと血液がついていることが、事故後五回くらい。
便に混じっていることもある。それまではなかった。お尻が切れているわけではない。病院に行き検査をしたが、ばい菌が出てこない。因果関係がはっきりしているわけではありませんが、事故前には見られなかった症状を書きました。

■6歳 女 多摩市在住
震災後3月21日、市川市から多摩市へ転入。ちなみに3月13日は卒園式でほとんど外出していました。栃木の鹿沼市と言うところで一日過ごして鼻血を出しました。11月始めに尿道炎発症。
症状は311以前には経験したことはありませんでした。
震災時に市川市にいたので、長袖もマスクも強制されず、しかもフクシマからの風をまともに受けただろうという位置ですからダメージは軽くないと思います。

■8歳(事故時7歳) 女 流山市→岡山県総社市(5月~)在住通学
自宅はホットスポットでしたが、5月に母子疎開をしたため、流山にいたのは1ヵ月ちょっとです。
その間にあった娘の体調の変化を書きます。
・事故後すぐ(3日後くらい)避難先の福岡で発熱。39度近い熱。症状は熱のみ。3日ほどで下がる。
・4月末頃から、顔の色が黒くなる。両目のまわり~鼻筋~口のまわり、とTゾーンにクマというか、黒くなりました。
・4月末頃から、遊んでいるとすぐ疲れて、横になるようになった。
*いずれも疎開後、治っています。疲れやすさは7月頃まで続き、疎開先の学校で遅刻・早退・欠席・保健室が多かったです。

■8歳 女 流山市→福岡市
・流山にて(3~7月):
3月下旬より口内炎多発、手のささくれの増加、咳。
5月より(8月末まで)長引く微熱・目の痒み。
6月より、膝の中の痛み数回、鼻の痒み・鼻水、目の痒み・充血・瞼の裏側に膿3回。
血液検査(微熱)・アレルギー検査(痒み)を受けるも異常なし。
7月末、夜中に大量の鼻血(どろ~んとした血の塊を含む)
その他、頭痛、軟便、すねに紫斑、つま先にほくろ状のもの発生、左胸の痛み数回、蚊にさされた跡数か所が直径4cm位に腫れる。
・福岡移住後(8月~):
微熱の回数が減って行き、9月初旬には平熱に戻る。
目と鼻の痒み・頭痛は移住後すぐになくなり、その他の症状も8月中に収まる。
8月初旬に鼻血1回、11月初旬に大量の鼻血(血の塊含む)3回左胸の痛み数回。

■5歳 女 町田市図師町在住 町田市上小山田町通学
夏頃から、口内炎が月に一度から二度できるまた、口のまわりにもポツポツがときどきできる
3.11の日は、実家の静岡県三島市にいました その二週間後からは、ほとんど町田市図師町です

■9歳 女 町田市在住 都立町田の丘学園通学
元々クレチン症という甲状腺ホルモンの病気を持っているので影響が出やすいのかもしれませんが、ここ5年くらい症状が安定していたのに、震災以降値が悪く薬の量が増えました。

■2歳 男 川崎市在住
目やにがひどくなった

■2歳 男 町田市
肌がカサカサになった

■4歳 女 横浜市
鼻血が酷く出るようになった

■胎児 (町田市の助産師の話)
311以降9月10月あたりに出産予定していた方が3人流産・死産しました。
最近、4月5月出産予定の方が3人流産しました。
助産院は数が少ないのでなんともいえませんが。
今まではこんなに続きませんでした。
クリニックの医師も最近多いなあとつぶやかれておりました。
逆子に関しては、311直後2人続き、しばらくして戻りましたが、回りの友達にも「逆子になったんです~」って会話が多くなったようです。

■胎児 40歳代 女 川崎市
出産予定日10月だったのが早期出産でした!三ヶ月も早い出産でした。未熟児でしたが、今は母子ともに順調です。一子二子は予定通りの臨月出産でした。

■40歳代 女 多摩市在住
震災後2ヶ月間原因不明の咳、喉の痛み腫れているような違和感がありました。
頭痛もありました。それまでは頭痛で悩まされることはなかったのですが。
動悸も激しかったんです。それまでは、動悸はたまにありましたが、あのときは異常なほどでした。私は5才のときに心臓の手術をしたので、多少、人よりも弱いです。バズビー教授がセシウムは心臓にたまり、不整脈を引き起こすと最近言っていたのをきいたので。

■40歳代 女 横浜市
倦怠感、めまい、頭痛が続く

■30歳代 女 町田市在住
元々甲状腺に異常があって、ホルモン薬を飲んでいるが、放射線量が高かった時、野外ではくらくらとめまいがしました。

■46歳 女 川崎市
もともと喉、はなが弱い。しばらく喘息から遠のいていたが3.11から喉がよくなく、舌に常に何か薬物のような味があった。5月連休新潟ほとんど石川県の海岸沿いに帰省その際は舌の異変なくなる。夏沖縄に行った際にはまっ
たくなくなった!また台風後、町田市にある学校グランドを掃除した後から喉に異変あり、鼻から大量の鼻水くしゃみ止まらず、その後日夜中息ができなくなり夜間救急に行く。そのあと、土壌検査の際に土をいじり、葉をさわっている、、、その夜からくしゃみ、喉に異変、その後声がでない、、、
いつもの喘息とは違う感じ医者には咽頭炎といわれる。

■43歳 女 川崎市
目が重くなる感じ。昼間の、眠くもない時間帯に、無性に目が重くなる感じがある。以前はまったくなかったことなので、何か異変が起きていると感じる。

■45歳 女 町田市在住
13年位前に甲状腺の炎症をおこした事がある。前回の台風の後、体がだるくて、どうしたらいいかわからないほどの症状。熱は38度くらいでた。風邪かと思っていたが、何かが私の体のなかで起きているのかと思うほど、肩から
首、背中までいたくてだるい日が1週間ぐらいつづいた。娘がある日私の首を触って耳の下あたりに手がきたときに、とても違和感を感じ、自分で触ってみたら、腫れていた。以前、甲状腺が腫れたことがあるので、これが肩や首などの凝り、痛み、だるさを起こしていると納得。
昨日から腫れがひき、体のだるさもなくなった。甲状腺の治療薬はムーンフェイスという副作用があり、経験しているので絶対服用したくないと思っていたので安心したけど、放射能の影響なのかと心配になった。

■30歳代 女 横浜市
数日間声がかすれ出なくなる症状ありました。

■39歳 女 町田市在住
311後、喉の異常、痛み、イガイガが続く、痰がからみ、咳がよくでる。
産まれてから40年近く頭痛を経験した事がなかったのに、酷い頭痛が続く、311前より体温が高く微熱が続く。体がだるい。下痢が起こったり治ったりの繰り返し。

■45歳 男 川崎市
自治会の美化清掃で草むしりなどした、そのあと、家の周りに溜まった落ち葉など二時間以上掃除したあとから咳がとまらない日が一週間以上続いた。

■40歳代 男 多摩市在住
手術で1年半前に胃切除、術後快方へ向かっていたところ原発事故後下痢が増えてしまいました。

■30歳代 女 多摩市在住
白血球数の低下、これは幅があるからたまたまかもしれないけど、今回初めて血液検査で経過観察に引っかかりました。昨年12月4000/μl・今年2月6100/μl→今年10月3100/μl)と下痢の頻度も増えています。

■45歳 女 町田市在住
4月から左側の喉に痛みと違和感。耳鼻咽喉科で診察受けましたがノドに炎症等はないとの所見

■39歳 男 町田市在住
同じく咳が2ヶ月続いている。痰がなかなか治まらない。ひどく咳込むと吐きそうになる。

■38歳 女 町田市在住
震災直後、皮膚に激しいかゆみのあるブツブツが腕、足にできた。
3月4月は外に出ると頭痛がした。今まではほとんど頭痛はなし。

■27歳 男 多摩市在住
血尿 血の塊がでる

■27歳 女 新宿区在住
手足口病が治らず1ヶ月経過

■30歳代 男 多摩市在住
心筋梗塞で死亡

■56歳 男 多摩市在住
検査結果異常なしだったのに数週間後、心筋梗塞で死亡

■40歳代 女 埼玉県赤羽在住
急性白血病 1週間後死亡

■40歳代 女 神奈川県川崎市
肺炎で入院 その後 逆流性消化器炎。通院中

■47歳 女 町田在住
6月くらいに庭の木の剪定をした後、小鼻におできのようなものができました。
普通のおできと違って膿ができず、さわるととても痛かったです。こんなおできは初めてでした。まず、左にでき、それが治るころ右にできました。それらは1週間くらいで治りました。同じ頃、右の耳が時々痛かったです。それも、数日で治りました。マスクもせずに剪定した枝などを抱え込んでいたので、これらは放射能のせいかと自分では思いました。また、9月にひどい唇の荒れと口内炎がありました。

■43才 女 杉並区在住
8月頃から爪が脆くなる短くきっても2枚爪になり、割れたり欠けたりする。

■37歳 女性 多摩市在住
3月に、白目が出血、5月にひどい血尿と膀胱炎→尿がひどく汚れていると言われ検査をしたが、ばい菌が出てこない。10月にひどい口唇ヘルペス。
因果関係がはっきりしているわけではありませんが、事故前には見られなかった症状を書きました。

■65歳 男性 多摩市在住在勤
4月に咳がなかなか治らず、気管支炎。9月に蕁麻疹。
因果関係がはっきりしているわけではありませんが、事故前には見られなかった症状を書きました。

■33歳 男 多摩市在住
ゴールデンウイークあたりからしばらく声枯れが続きました。また10月下旬からのどの痛みがあるみたいです。症状は311以前には経験したことはありませんでした。

■33歳 女 多摩市在住
8月に断乳をして9月10月と順調に生理が来ていたんですが、11月に入ってから不正出血が断続的にあります。
ちなみに、3/20~5月中旬、6月末~9/14まではこども二人は大阪の実家に行っていました。
症状は311以前には経験したことはありませんでした。

■43歳 女 多摩市在住
震災後3月21日、市川市から多摩市へ転入。毎月半分位の期間、口内炎があります。
症状は311以前には経験したことはありませんでした。
震災時に市川市にいたので、長袖もマスクも強制されず、しかもフクシマからの風をまともに受けただろうという位置ですからダメージは軽くないと思います。

■31歳 女 流山市→岡山県総社市(5月~)在住通勤
・事故後、1ヵ月近く続いた下痢
・ほくろが増えた(気がする)
*下痢は、事故後、まわりの大人で多かったです。

■40歳代 男 流山市在住
・事故後、下痢が続く
*下痢は、事故後、まわりの大人で多い

■20歳代 女 多摩市在住 福島でボランティア活動
福島県浪江と飯舘村を1日ボランティアで巡回し南相馬に戻った後、爪が痛みもなく根元からはがれました。

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明日に向けて(331)子どもたちを放射能から守るために・・・矢ケ崎さん講演録(1)

2011年11月24日 00時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111124 00:00)

11月19日に、京都に矢ケ崎さんをお招きして講演会を行いました。あいにく
朝から強い雨が降ってしまいましたが、会場に約200名の方が詰め掛けてくだ
さいました。特徴的だったのは、お子さんを連れたお母さんたちの参加がと
ても多かったこと。親子で一緒に聞ける「子どもスペース」を作ったことも
良かったのだと思います。参加されたみなさま、ご協力をいただいたみなさま、
どうもありがとうございました!

さっそく矢ケ崎さんの講演内容を文字起こしした講演録を作りました。1時間
の内容ですが、中身が非常に濃いので、何回かに分けて掲載しますので、どう
かじっくりとお読みください。私たちが今後、いかなる道を歩むべきかについ
ての示唆となる重要な内容が、説得力豊かに語られたと思っています。

なお読みやすくするために、文中に小見出しを入れていますが、これは矢ケ崎
さんではなく、守田が独自に判断して作ったものです。同じくこの文字起こし
はあくまでも守田が聞き取った内容であること、文責は守田にあることに
ご注意ください。

************************

矢ケ崎克馬講演録(1)

子どもたちを放射能から守るために
-知られなかった内部被曝の実相-
2011年11月19日 

【核戦略の下に隠された内部被曝】

今日は内部被曝について概略的なお話をします。

結論めいたことから先にお話します。内部被曝は、アメリカによって原爆が落と
された直後から、原爆は残虐兵器ではないというために隠されてしまいました。
もう一つ、原爆推進のためにも隠されました。

内部被曝が隠されたと私は表現していますが、科学的に探求して辿りつけなかっ
たということはまったくありません。政治的に、そうしたほうが核戦略にとって
都合がよいから隠されてしまったのですね。

放射線科学を行うものとして、科学という立場でお話しますと、内部被曝という
大きな分野に対して、外部被曝という分野がありますが、この面しか語られず、
内部被曝が隠されています。これでなんで科学が成り立つことができようかと私
は思います。国をサポートする方たちは、これが真実だと語っていますけれども。

原爆を落としたことは誰でも知っていますけれども、それに伴って、内部被曝を
隠してしまったこと、巨大な犠牲者を隠してしまったのだということが、あまり
知られていない事実です。そのことを私はもう一つの核戦争と表現しています。

これを客観的、歴史的に見ていきますと、一つは原爆症認定集団訴訟がなぜ勝訴
したか。国が内部被曝を隠していて犠牲者が埋もれてしまっている。これをちゃ
んと勘定しなければいけないというのが、裁判上の判決であって、事実をきちんと
認めなさいというのが勝訴の原因でした。

第二番目は、隠したのは、アメリカの核戦略のせいであって、科学力不足では
まったくないということです。もう一つに、内部被曝が隠され続けている、この
ことが日本社会の大きな足かせになっています。隠され続けたことをそのまま維
持するということは、世界が、IAEAやICRP(国際放射線防護委員会)、
WHOなど権威主義のもろもろの機関が、ICRPの、内部被曝を隠したままの
体制を維持しようとする、そうした政治体制があるわけです。

これをどのように見るのかですが、こういう体制を自覚的に維持しようとしてい
る人々がいることは間違いありません。もう一つは大学の基礎教育にICRPは
入り込んでいますから、その矛盾に気がつかずに来てしまう人もいる。その場合、
良心的な思考をして、一生懸命に人々のために働こうという意志があっても、結
局ICRPを支えてしまう。そうしたことが身の回りでいっぱい起こっています。
それが今の科学をめぐる悲劇とでもいっていい問題であると思います。


【内部被曝はどう隠されてきたのか】

今までどのようなことをやってきたかというと、たとえば100ミリシーベルト以下
の被曝についてはデータはありませんと言い続けているのですが、100ミリシーベ
ルト以下でも、内部被曝による晩発性障害が起こっているのに、この低線量被曝
を公式記録に残さないことを、あらゆる点でやってきました。原爆被爆者の記述
で。それから常時原発から流される放射性物質で大変な人が被害にあっています。
これもすべて隠されてきました。

チェルノブイリの被害隠しということは、たとえばIAEAという国際組織が、
重松逸造さんという人、「内部被曝などない、放射能のほこりの影響などない」
という科学的粉飾を陣頭指揮された方に、国際調査団の委員長を任せて、「放射
線の病気は皆無である、これからもないであろう、最も悪いのは精神的ストレス
である」というような報告書を出させました。

また実際の被害の切り捨て手段としては、いろいろな国際的な機関が、病気の人
たちを見つけても、放射線の影響は認められないということで、一切、切り捨て
てきた、こういうことに現れています。

放射線影響研究所という機関があります。アメリカのABCC、原爆傷害調査委
員会を受け継いで、日米で運営しているものですが、そこが福島の事故の後に、
長期にわたって健康被害をすると言っていますが、ここは、放射線の被害者は皆
無であるという結論を出しかねないところです。

私が懸念しているのは、例えば福島市でホールボディカウンターをたくさん買っ
て、市民の健康調査をすると言っていますが、これの検出限度値が、非常に高く
設定されていることです。この検出限度値の10分の1ぐらいの限度で測れば、ほと
んど全員が被曝していることが分かるのに、10倍程度の値で検出限界としている
ものですから調べる人ごとに、全部ND=不検出という判定がでますね。このよ
うに測定をめぐって現実が無視される体制が作られる可能性が非常に大きくあり
ます。私たちは市民の目線で、被害の実態を確認していく必要があります。

もう一つは、国の姿勢が原発会社の都合を優先して、徹底した棄民の政策を行っ
ていることです。非常時体制ということで、すぐに被曝限度量を1ミリシーベルト
から20ミリシーベルトに引き上げてしまいました。安定ヨウ素剤は、いっぱい蓄
えていたにもかかわらず、とうとう国の施策としては投与しませんでした。

またいわゆる規制についても、全部、市民の健康を考える基準で国はやっていな
い。国と原発会社の都合を最優先し、責任が一番小さくなる数値や形を出してい
ると思います。

今は結論を先に言ってしまったので、みなさん、唐突に思われたかもしれないと
思います。これからその内容をお話したいと思います。


【内部被曝研究会の立ち上げに向けて】

今、内部被曝を本当の科学として確立していこうという有志のものが若干おりま
す。今までの放射線学を、被害者切り捨ての道具から、科学として確立しようと
努力しています。大事なことは、一部の科学者がこういう運動をしても、市民の
方々から本当に科学としてきちんと見ろという声がないと、私たちの健康を守る
ことすらできないというのが日本の現状ですので、ぜひ一緒に、市民の方たちに、
主権在民ということで、ちゃんと知識を持って、訴えを行っていただきたいし、
私たちとともにやっていただきたいと思っています。

内容は、今までの歴史から振り返って、被曝を見る目を政治支配から確立する、
科学らしい科学、被曝のまっとうな科学を確立することです。その場合、命を守
るということを学問の基礎にしたい。これが私たちが、早いうちに市民のみな
さんと確立していこうとしている内部被曝の研究会の構想です。市民と科学者に
よる内部被曝研究会で、来年の1月ぐらいに旗揚げができたらと思っています。
どうぞ一緒に力を合わせて頂きたいと思います。お願いします。


【広がる深刻な健康被害】

具体的な被曝の話に入る前に、あちこちで明らかにされている現状をご紹介しま
す。町田市の現状をスライドに書いていますが、3月11日以前に、鼻血など出した
ことのない6歳のお子さんが、3月11日以降、水道の蛇口を全開したように大量
に鼻血を出す、これを何回も繰り返すということが報告されています。下痢もよ
くしているそうです。

さらに、「町田市の子どもと未来をつなぐ会」の調査では、鼻血、口内炎、抜け
毛、充血、生理異常、気管支炎、下痢、咳、皮膚斑点、微熱、食欲不振などの症
状のある子どもの話が、3週間あまりの調査の間に、104件、寄せられたそうです。

東京の子どもさんで、親が気になって検査を希望した方のうち、70~80%のお子
さんからセシウムが検出され、内部被曝が確認されたことが報告されています。
福島ではホールボディカウンターで、ほとんど被曝はないという結果が出ていま
すが、こちらの方は尿の検査で非常に丁寧に行っています。

そういうきちっとした値が検出できる丁寧な検査を行えば、検査した人の80%ぐ
らいまで内部被曝が見つかるのが東京の状況です。ですから私たちが被曝を考え
るときに、東日本全域で考えて、内部被曝をプロテクトすることが考える必要が
あります。とくに食事を通じての被曝をしないように、態勢をとっていくことが
とても大事になっています。

続く
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