前回の記事で、僕は福島第1原発吉田所長の病気辞任劇の裏を読む考察を
行いました。
明日に向けて(339)福島第1原発吉田所長の病気辞任の背後にあるものを読む!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/80aaffca4bb199e864b5435459dcdf21
すると今度は、吉田所長を英雄のように扱う記事が出てきました。記事
内容は、東電本店が1号機への海水注入停止を指示したときに、吉田所長
がそれを無視して、注入を続けたというものです。政府の事故調査委員会
が、「原発で過酷事故が発生した際、現場がどのように判断し意思決定
すべきかを考える具体例として注目している」というのです。まるで英雄
化です。
この記事で僕は前回の推論により確信を持ちました。この一連の流れが、
東電の独自判断ではなく、政府と明確に連動したものであることがよく
見えるからです。同時にこれは、この時期に「もんじゅ廃炉」をちらつか
せ出したこととも明らかにリンクしています。絵を描いているのは、細野
大臣かその背後にいるアメリカの誰かではないかと思えます。
もともと僕がこの流れに、どうも変だ、何かがおかしいと思ったのは、11
月13日に行われた福島第1原発内での吉田所長の会見のときでした。この
時に吉田所長は「死ぬだろうと思ったこと数度」と述べています。311から
の1週間、原発がコントロールできなかったからだと言います。
しかしそれなら「死ぬだろうと思った」のではなく、「大量に人を殺して
しまうと思った」と語るべきだし、僕が記者なら、「吉田さん。そうは思わ
なかったのですか?なぜそのときに、多くの人々に逃げろといわなかったの
ですか」と間違いなく突っ込みを入れています。それがなしに、何か、命を
かけて人々を救ったかのように記事が書かれており、非常におかしいと思い
ました。
さらに遡ると、この会見は細野大臣の取り仕切りもとに入念な準備を重ねて
行われたものでした。何せ事故後初の報道陣の招待でした。これが用意周到
に準備された一大イベントでないはずがない。しかもその少し前に「臨界騒
動」が持ち上がったのでした。キセノンが発見され、大慌てでホウ酸水が
投入された。毎日新聞などは、臨界確実と1面に大きく書いてしまいましたが、
後になって、キュリウムの自発核分裂が原因だったと訂正されて、いわば
大きな肩透かしが食らわされた。共同通信も同じだったと思います。
僕はこれまでが演出だったとは見ていません。8月に実際に臨界濃厚と思わ
れる事態があったために、このとき東電が「誤認した」と思われるからです。
しかしそのとき印象的だったのは、これでキャンセルされるかと思えた11月
13日の記者会見が予定通り行われたこと、細野大臣が非常に強い意志で、会
見を強行したことでした。そこまでなぜ会見をやりたいのか、よほど政府に
とって重要な位置があるのではないかと思えました。
そしてその推測も当たっていたと思います。あそこで原発内を見せるだけで
なく、吉田所長に会見させ、東電側の人間を人々を救った英雄にしてしまう
という絵が書かれていたのだと思います。マスコミは見事にそれに乗って
しまった。しかもすでにこのときに、今回の病気辞任劇の伏線がはられてい
ます。次のようなやりとりがあったからです。
--所長自身の積算放射線量は。
◆個人情報なので差し控えるが、それなりにはなっている。
この一言があるので、辞任となれば、誰もが被曝だと信じ込んでしまう。人々
を救いながら、自分は被曝したのか・・・という絵ができてしまいます。
そして今回の「注水を勇気をもって強行した英雄」へのまつりあげです。こ
れでますます吉田所長が、かつて津波対策の進言を握りつぶしたことが追及
されにくくなるし、そればかりか、マスコミを通じて、東電の一部に、人々の
シンパシイ、あるいは同情を得ることができる。
抽象としての「東電本店」の位置を自らわざと落としつつ、東電内の個人を
ハイライトすることで、実は東電の「好感度」を上げる作戦であることが明
白です。おそらく11月13日の会見から、今日までのことが一連の作戦として
セットされていたのだと思われます。それをしながら、もんじゅ廃炉の旗を
ひらひらさせつつ、停止中の軽水炉の運転再開の道も開こうとしているので
はないか。そう見えます。
すでに僕は、もんじゅ廃炉検討宣言の背後にあるものの分析の中で、細野大
臣がアメリカと密接な関係にあることを指摘すると同時に、アメリカ軍が、
湾岸戦争から、戦争戦略としてメディアを規制し、さらに記者たちに自軍の
背後からのみ取材させることで、メディアを利用しはじめたことを指摘しま
した。カメラの位置を自分たちの都合の良いようにセッティングすることに
核心がありますが、実は11月13日の報道公開がまさにその戦略で行われてい
たのだと思われます。
何せ、記者たちは、放射能がとても恐ろしいから、東電の指示するままの報
道しかできなかった。バスから降りることもできず、東電の案内するままに
原発サイトを撮影しました。そのまま慣れない建物の中を連れて行かれ用意
周到にしつらえられた吉田会見に群がっていきました。すべてできレース。
しかし残念ながら、今の日本の記者の中に、それを現場で見抜ける人がいな
い。(いたのかもしれませんが、報道されていません)
はっきりさせておかねばならないのは、吉田所長は、ものすごい濃度の放
射能をばら撒いたプラントの所長だということです。大変な法的かつ同義
的責任を負っている。しかも所長であるということは、構造的な被曝労働
の頂点に立ってきたということです。これまでもたくさんの下請け労働者
を被曝させながらのうのうとその頂点で過ごしてきた。東電の差別的労働
体系のトップにいたのです。
しかも先にも述べたように、死ぬかと数回思ったのだという。破局的事故
の可能性を全身で感じていたし、コントロール不能な状態を知っていた。
しかしその危険告知の義務を果たさなかった。津波の可能性を握りつぶし
たのと同じです。そしてそのことで、現実にたくさんの人々が被曝したの
です。その意味で吉田所長は、ものすごい規模の傷害を引き起こした張本
人たちの一人です。逃げられた人を逃がさなかったのです。
その吉田所長を、180度転じて英雄にしてしまうことで、東電全体の免責に
向かう。さらには政府の免責に向かう。しかも地震による原発の崩壊という
本質的な問題に完全にマスクしてしまう。それを自軍の背後にしつらえた
報道陣に触れ回らせる。それが政府・東電・アメリカの書いている戦略に
違いないと思います。
もう本当に、そんなことに騙されるのはやめましょう。加害者東電、うそ
つき東電、そして細野大臣に騙されず、しっかりと責任を追求していき
ましょう。今、私たちの知恵が問われています。
(なおまだの方は以下の記事もご参照ください)
明日に向けて(338)「もんじゅ:廃炉含め検討」の裏を読む!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/dfa40c6993fa68e0a00b98d740b83248
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福島第1原発:吉田所長、形だけの注水停止命令
毎日新聞 2011年11月30日 10時1分 更新:11月30日 12時45分
東京電力福島第1原発事故後、1号機の原子炉で始めた海水注入を東電本店
が中断するよう求めたが、吉田昌郎所長が現場の作業員に「今から言うこと
を聞くな」と前置きして「注水停止」を命令、注水を継続していたことが分
かった。政府が設置した「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)も、
原発で過酷事故が発生した際、現場がどのように判断し意思決定すべきかを
考える具体例として注目している。
1号機は地震と津波で冷却機能を喪失、原子炉を冷やす真水がなくなりそう
だったため海水注入を準備、12日午後7時すぎから注入を始めた。だが首
相官邸に派遣した東電関係者から「首相の判断がないと海水注入は実施でき
ない雰囲気だ」との報告を受け、東電本店は吉田所長に中断を指示した。
関係者によると、指示を受けた吉田所長は「これから首相の命令で注水停止
を命令するが、言うことを聞くな」という内容の前置きをし、注水停止を命
令、作業員は命令に従わずに海水注入を続けたという。
http://mainichi.jp/select/today/news/20111130k0000e040016000c.html
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福島第1原発:吉田所長 「死ぬだろう」と思ったこと数度
毎日新聞 2011年11月12日 21時33分(最終更新 11月13日 10時53分)
東京電力福島第1原発の吉田昌郎所長と記者団の主なやりとりは次の通り。
--報道陣の前で初めて話すことになるが、国民にまず何を伝えたいか。
◆私が責任者の発電所で事故を起こしてご迷惑、ご不便をおかけしたことを
心よりおわびしたい。日本全国、世界から支援の手紙や寄せ書きをいただき、
特に被災された福島県からの支援の言葉は大変励みになっている。
--これまで一番厳しかった状況は。
◆やはり3月11日からの1週間。次がどうなるか私にも想像できない中、
できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと「もう死ぬだろう」
と思ったことが数度あった。
--1号機が水素爆発した時の状況とその時、感じたことは。
◆まず「ボン」という音を聞き、「何なんだ」と。現場から帰った人間から
「1号機が爆発しているみたいだ」という情報が入ってきた。3号機は音と、
(テレビの)画像で見た。4号機は本部にいて音は聞いたが、2号なのか
4号なのか分からず、その時は(どちらか)判断できなかった。
--「死ぬかと思った」時とは。
◆1号機の爆発があった時、どういう状況かが本部では分からなかった。
現場からけがをした人が帰ってくる中、格納容器が爆発していれば、大量の
放射能が出てコントロール不能になる(と思った)。3号機も爆発し、2号
機の原子炉にもなかなか注水できず、先が見えない。最悪の場合、メルト
ダウンもどんどん進んでコントロール不能になるという状態で「これで終わ
りかな」と感じた。
--危機を脱したのはいつごろか。
◆(爆発の)次は4月初めに高濃度の汚染水が漏れ、水処理(設備)を一生
懸命造った。6月いっぱいぐらいまではかなり大変な思いをした。全体の
システムとして本当に安定したのは7、8月だと思う。
--原子炉の現在の状態は。
◆私がデータを見て確認している限り、原子炉は安定していることは間違いな
い。ただ「超安全」ということではない。線量は非常に高く、日々の作業と
いう意味ではまだまだ危険もある。周辺住民に安心いただける程度に安定し
ているが、(事故収束の)作業はまだ厳しい状況だ。
--1、3号機は燃料が溶融しているが、安定させられるのか。
◆原子炉の各部の温度変化などを見る限り、燃料が外に出ていたとしても、
圧力容器だけでなく格納容器も含めて、原子炉全体が冷却されており、安定
だと判断している。
--今困っていることは。
◆今日明日の問題というわけではないが、近い先を見ると、作業員の被ばくや、
どういう形で人を回していくのかが頭の痛い課題だ。
--所長自身の積算放射線量は。
◆個人情報なので差し控えるが、それなりにはなっている。
--今後の取り組みは。
◆(事故収束工程表の)ステップ2の確実な終了が一つの目標。現場の状況を
踏まえ、(中長期の)次のステップ(に必要なこと)を考えて提言し、作業を
こなすことが福島県民のニーズに応えることになると思う。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111113k0000m040052000c.html