明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(651)無責任体質に覆われた福島原発の現場(収束作業員ハッピーさんのつぶやきから)

2013年03月31日 17時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130331 17:30)

3月18日に、福島原発で、ねずみの感電死によって停電が引き起こされ、原子炉1号機、3号機、4号機の燃料プールと、共用燃料プールの冷却装置が一斉にダウンしてしまうという深刻な事故が発生しました。
このとき僕は、福島原発事故いまだ収束などしておらず、未だ私たちの前に大変な危険が存在していることと主体的に向き合うべきだと書きました。その上で指摘したのは次の点です。

「ではどうしたらいいのか。現場労働の実態にもっと社会的な監視を強め、働く人々に、現場の実態をよりよく教えてもらうこと、現場からの発話が可能になるような工夫をさまざまな面から凝らし、大変な被曝労働下で、完全に崩壊したプラントの保持のために働いている現実をリアルに私たちがつかんで世界に発信していくことです。このことが何よりも必要だと思います。」

こうした観点から、ネットへの投稿などを探していて、前からツイッターでフォローしていた現場作業員のハッピーさんの投稿を調べてみました。すると未明になんとかクーリングシステムが回復した3月20日に、興味ある連続投稿が行われていました。
これまで僕なりにこの方の投稿を見てきて学ぶことが多かったので、今回は、まさに停電現場からの生の声として、この連続投稿をご紹介したいと思いたちました。ちなみにツイッターでハッピーさんご本人に確認したところ、快諾してくださいました。ハッピーさん、ありがとうございます!

全文は末尾に貼り付けるとして、あらかじめポイントとなる点をまとめておこうと思います。
ハッピーさんがまず述べているのは、現場が応急措置ばかりで、恒久措置はまだ少ないという点です。例えばこのようなつぶやきがなされています。

***

ハッピーさん
「この二年は事前計画も出来ないまま、慌ただしく突貫工事で造った応急措置の設備が様々なトラブル起こし、そのトラブル対策に明け暮れた二年。特に電源システム、冷却系システムは特急突貫工事だったからね。未だにトラブル対策に時間と作業員被曝を費やしていて、恒久対策には程遠いんだ。」

***

この点は、ある意味で想像していたとおりなのですが、その理由は何かと問うハッピーさんの考察は鋭いとともに意味深です。以下、再び引用します。

***

ハッピーさん
「オイラが考える理由は、まず本設だと国の許認可が必要で時間がかかる。本設だと国の検査が沢山絡み時間がかかる。トラブル対応、対策も国が絡み簡単には対処出来なくなり、非常に時間がかかる。」
「国が絡む事は法律が絡む。時間がかかるという事は予算がかかる。アルプスの工事や乾式容器貯蔵施設工事を見てもわかるんだけど、本設工認だと国の検査は現場が切羽詰まった状況でいくら工程が遅れようとも関係ない。確かに安全第一だけど、対応があまりにも遅すぎる。」
「オイラいつも思うんだけど、東北の復興地域も然りだけど1日も早く復興したいのに、なぜ現行法で対処しようとするのか?なぜ縦割り行政が未だに行われてるのか?復興庁や規制委員会は本当に1日でも早く復興や収束させる気があるのか?なぜ?なぜ?ばかりなんでし(>_<)」

***

これはかなり的をついた指摘なのではないでしょうか。なぜ僕がそう感じるのかというと、ここでハッピーさんが慨嘆していることとまったく同じことを、僕は岩手県大槌町での取材でも聞いてきたからです。
「東北の復興地域も然りだけど1日も早く復興したいのに、なぜ現行法で対処しようとするのか?」ハッピーさんはそう語っていますが、大槌町でも同じことが言われていた。そのことを僕は以下のように記事にまとめました。

***

「しかし問題は、人員が足りないことだけにあるのではありません。津波被害など想定のうちには入っていない現行法が障壁になっているのです。というのは多くの建物が流され、土地区分すらはっきりしなくなっている大槌では、土地の権利者からも多くの犠牲者が出ています。しかもその親族にも犠牲者が出ているなどの場合があり、土地の権利関係が曖昧になっていたりするのです。
相続先がわからなかったりする例や、相続者との連絡がなかなか取れないなどの例もあるといいます。しかも役場が壊滅的な打撃を受けたため、資料も失っています。そのため地権者に連絡をつけて合意をとることが非常に難しくなっているのです。
 
あるいは建物を立てる場合の補助金なども、津波の被害で家並みがなくなってしまうことなど想定せずに作られたもので、壊滅的になった町の再建を進める上ではあまりに不合理といわざるをえないものも多い。つまり津波以前に通用していた法律をそのまま適用するにはあまりに無理があるのです。
その点で国がなすべきことは、津波被害という特殊事情にあわせて、法の柔軟な運用を指示し、復興が速やかに行われるような法整備をすることです。にもかかわらずこれが遅々として進まない。そのために土地区画整理が暗礁に乗り上げているのです。」

出典は以下

明日に向けて(606)哀しい!派遣職員が自死。復興進まぬ大槌を、三陸を、支えよう!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/84e36b66d34900d3ac259b6b8ad48622

***

ハッピーさんの分析を読んで、僕は恐ろしいことだと思いました。津波被災地で起こっていることと同じ構造的なあやまりが原発サイトをも支配しているからです。同じ硬直した考え方がそこにまかり通っているのです。
なぜなのでしょうか。僕は津波被災地について言えば、本当に被災者の立場から復興を推し進めようとしている政治家も官僚もいないか、あるいはあまりに限られているからだと思います。むしろ復興予算の奪い合いが起こっているほど腐敗が進行している。
原発事故の収束過程もそうです。事故の実態を正面から見据え、それと向かい合っている政治家も官僚もいないか、あるいはあまりに限られているのでしょう。だからなんとも浅はかとしか言い様のない仕事の仕方がまかり通ってしまっている。

ハッピーさんは次のようにも述べています。

***

ハッピーさん
「1F収束作業だって、東電から切り離して国営化するべきだよ。東電が民間企業である限り利益は追求するはず。税金が投入されるとは云え、東電の借金。民間企業なら借金は作りたくないし、コストをギリギリまで抑える。1Fの工事案件のほとんどが競争入札なんておかしな話だよ。」

***

まさにその通り。そもそも国家が危機に瀕している事業を、一私企業に任せていることそのものがおかしい。しかもその企業は事故を起こした張本人であり、事故の前も後も、事故隠しを繰り返している企業です。事故初期にはすぐさま撤退を願い出たこともありました。なぜその東電に全てを任せ続けるのか。・・・実は誰も責任をとりたくないからでしょう。
しかもその上に、ウソの収束宣言が加えられている。ウソを言うことで、実は政治家たちや官僚たちが、真っ先に自分を騙し、許し、事故と向き合う人間的苦しさから逃げ出してしまっているに違いないのです。
「そんなバカな。自滅することがわかっている道を国や官僚が進むだろうか」と多くの方は思うかもしれません。しかし私たちの国にはその大きな先例があります。太平洋戦争への突入から敗戦にいたるすべての過程です。

NHKのドキュメントなどでも放映されいますが、あの戦争を前にして、天皇のもとの「御前会議」に臨席した当時の私たちの国の大臣たちは、実は誰ひとり、アメリカと開戦して勝てるわけがないと考えていたことが今日、明らかになっています。
しかしすでに1930年代より中国に侵略し、20万人の兵士の命を落としていた政府や軍部は、アメリカの中国から撤退という要求を飲んだら国民に弾劾されると考えて、それを言い出せなかったのでした。正確には海軍は陸軍に言わせようとし、陸軍も海軍に言わせようとしたのですが失敗してしまいました。
そうこうしているうちに、私たちの国はアメリカとの戦端を開いてしまい、やがて猛反撃を受け、日本全土を蹂躙されて敗戦に至ってしまいました。まさに自滅の道をそれと知りつつひた走ったのです。

しかもそうした体質は現場にもたくさんあらわれました。各地で行われた戦闘において、どう考えても勝ち目のない、勝つための合理性に著しく欠けた作戦が強行されました。例えばフィリピンをはじめとする南洋の戦いにおいては、米軍の潜水艦がうようよといる海域に、わずかな護衛艦だけで次々と兵員輸送船を送り、容易に沈められてしまいました。
この作戦を見ていると、船を送り出す責任者は、この船がほぼ確実に沈められるとは思わなかったのだろうか。一体、どう思って船を出したのだろうか。率直に疑問が湧いてくるのですが、答えは誰もが無責任状態に陥いり、思考停止になって、職務的なモラルを喪失し、このような事態に陥っていたということなのです。
ただし無責任状態といっても、自分だけが私腹を肥やしていたとか、一人、安全地帯に逃げていたということともちょっと違います。もちろんそういう人士もいたでしょうが、多くの場合、無責任状態に陥って、自らもまた絶滅の道を歩いていたのです。それがあの戦争の間に日本の一般的な姿だったのではと思えます。

もう少し例を挙げますが、こうした軍の実情を見事に描いた小説に、芥川賞作家、古川高麗雄さんの『龍陵会戦』があります。戦争にいくのは嫌でたまらなかったけれども、戦争反対を唱えることもできないまな、いやいやながら駆り出されてしまったやる気のまったくない兵士、古川高麗雄の従軍記でもあります。
龍陵とは、ビルマから中国にいたるルートにある町で、連合軍による中国軍(蒋介石軍)への支援ルートが作られたところです。このルートを断つために派遣され、町を占領した日本軍部隊の中に古川さんはいました。やがて連合軍は空輸によって中国軍の補強ルートを確保。火力において圧倒的に上回る中国軍が日本軍を襲います。
このとき日本軍は町を見下ろせる管制高地に陣地を構えていました。そこに猛烈な砲撃が加えられ、撤退を余儀なくされます。すると火力に劣る日本軍は、夜間に抜刀した切り込み隊を組織し、犠牲を出しながら陣地の奪還を果たします。
そうするとどうなるか。朝からまた猛烈な砲撃が加えられ、部隊からさらに犠牲が出て、撤退を余儀なくされます。すると日本軍は再度、夜間に抜刀した切り込み隊を組織し、より犠牲を出しながら陣地の奪還を果たします。しかし翌朝から再び猛烈な砲撃が加えられ、再々度、撤退を余儀なくされます。すると日本軍は再々度、切り込み隊を組織し・・・。
この繰り返しを描写した後、古川さんはなんとも素朴な疑問を書き留めています。この作戦を命令した指揮官は、これを繰り返していると、最後に部隊が無くなるということに気がつかなかったのだろうかと・・・

同じことが今、私たちの眼前で起こっている。そこに戦略的な展望などないのです。むしろ戦略的な無責任が大きく現場を覆っている。だからリアルな作業が行われない。それが「冷温停止宣言」の下での私たちの国の本当に恐ろしい現状です。

ではどうしたらいいのか。繰り返しますが、この現状を暴き、現実を明るみに出すとともに、今こそ私たちが「覚醒」し、私たちの社会をおおう無責任体質を一掃することです。そのことで現場の作業にリアリティを持たせなくてはいけない。
そのためには、実は法的強制も必要です。無責任な責任者、人をして死に至らしめた責任者を厳しく罰しなくてはいけない。どうしてか。そもそもそういうことをしてこなかった結果が、今、私たちを襲っているからです。あの戦争の責任者もきちんと処罰できなかった。だから無責任が繰り返しはびこる。この悪循環をこそ断ち切らなくてはいけません。
そのことは同時に、現場からの声がもっと出やすい環境を創りだすことにもつながります。隠蔽体質の東電幹部に対して正しくメスが入ってこそ、現場をもっとよくすることができる。もちろん現場で働く方たちの待遇改善も絶対必要です。こうしたことにより知恵を傾け、現場への、本当の意味での熱い支援を行っていきましょう。
何度も繰り返していることですが、これを分析の結論としたいと思います。

最後にハッピーさん。
本当に大変な現場で、被曝の影響も受けながら、私たちを守るために日夜努力してくださってありがとうございます。またその傍ら、現場情報をこうしてツイートしてきてくださったことにも深い感謝を捧げたいと思います。
情報発信をするものの立場としてわかりますが、リアリティのある話をしようとすればするだけ、情報源は突き止めやすくなります。その点でおそらくかなり苦労をし、いろいろと知恵を巡らせながら、つぶやきをつづけてきてくださったのでしょう。その努力にも感謝したいです。
どうかくれぐれも心身を労わってお過ごし下さい。なかなか伝えにくいでしょうが、周りの方にも、可能であれば私たちの感謝をお伝えください。ハッピーさんたちとともに、この国の人々の幸せを守るための努力を重ねていきたいです。ありがとうございます!

以下、3月20日のつぶやきの全体をご紹介します。アカウントも記しておきます。

*****

福島原発作業員 ハッピーさんのつぶやき
@Happy11311 (3月20日)

現場はとりあえず冷却系は電源復旧したけど、あくまで仮設の仮設。本設は今年の1月から作業してて3月には終わる予定だったんだけど、少し工程遅れて4月中旬になりそう。1Fの設備はいまでも殆どが仮設なんだ。以前にも沢山つぶやいたけど、応急措置ばかりで恒久措置は未だに少ない。
この二年は事前計画も出来ないまま、慌ただしく突貫工事で造った応急措置の設備が様々なトラブル起こし、そのトラブル対策に明け暮れた二年。特に電源システム、冷却系システムは特急突貫工事だったからね。未だにトラブル対策に時間と作業員被曝を費やしていて、恒久対策には程遠いんだ。
冷却系ホースは漏れたり、凍ったりしたから今はPE管に取り替えてる。でもこれも恒久的じゃないんだ。東電は信頼性向上というけど、PE管だって鋼管に比べたら信頼性は断然に劣る。そもそもPE管は埋設水道管に使われてる一般仕様品でメーカー耐用年数は約10年位のはずなんだ。
そのPE管に高線量の汚染水が流れてる。耐放射性なんか考慮してないから劣化も早いはずで10年は無理だよ。電源ケーブルだって同じように、現在使用してるのは一般仕様品で原子力仕様品じゃない。まして突貫工事で敷いたケーブルは未だにエフレックスにも入ってないものも使われてるんだ。

今回の事故原因はまだ調査中だけど、どうやら配電盤の中のケーブルをネズミが、かじってしまいショートした可能性が高いみたい。世間の人には嘘みたいな、信じられないような、バカみたいな話だけど、今の1F構内なら十分あり得る事なんだ。1Fの作業員なら大半は知ってる事だけど…。
以前にもつぶやいたけど、1Fにはオイラが今まで見たことないようなデッカイネズミがいる。オイラ達も倉庫の吊り具(ナイロンスリング)や現場の車やクレーン車の中のエンジンルームに入ったネズミに油圧ホースやケーブルかじられたりして被害は結構あるんだ。
ネズミだけじゃくてカラスからも被害は受けてる。だからオイラ達はネズミ駆除用の薬を撒いたりカラス対策したりしてるんだ。東電もわかってたはずなんだけど…。たぶん今回の最初の対策は配電盤を密閉化したり、ネズミ駆除薬や捕獲器なんだろうなぁ…。
電源ケーブルだって、ネズミがかじっても大丈夫な仕様品もあるはずなんだけど…。全部交換するには莫大な予算と時間がかかるからやらないんだろうな。今までだって色んなトラブル出ても、そんな感じのぶっつけ対策だったからね。

そもそも、なんで恒久対策や本設化にしないのか?って、みんな不思議だよね。オイラが考える理由は、まず本設だと国の許認可が必要で時間がかかる。本設だと国の検査が沢山絡み時間がかかる。トラブル対応、対策も国が絡み簡単には対処出来なくなり、非常に時間がかかる。
国が絡む事は法律が絡む。時間がかかるという事は予算がかかる。アルプスの工事や乾式容器貯蔵施設工事を見てもわかるんだけど、本設工認だと国の検査は現場が切羽詰まった状況でいくら工程が遅れようとも関係ない。確かに安全第一だけど、対応があまりにも遅すぎる。
もっと早く収束作業が進むような出来ないんだろうか?今の1Fの収束作業も事故前と変わらず、国の検査側からみれば東電は単なる一民間事業者であり特別なものじゃないんだろうな。そもそもオイラはこれがおかしな事だと思ってる。こんな事やってたら100年経っても収束なんかしないよ。

オイラいつも思うんだけど、東北の復興地域も然りだけど1日も早く復興したいのに、なぜ現行法で対処しようとするのか?なぜ縦割り行政が未だに行われてるのか?復興庁や規制委員会は本当に1日でも早く復興や収束させる気があるのか?なぜ?なぜ?ばかりなんでし(>_<)
復興庁も規制庁も警戒区域や1F構内に本部を置けば、早く動いてくれるのかな?政治だって現場に見合った、時限立法や超法規的措置をなぜ積極的に取り組まないのか?問題は確かにいっぱいあるかもしれないけど、あまりにも遅いよね。特に農地法の特別改正なんかすぐ出来ると思うんだけど。
1F収束作業だって、東電から切り離して国営化するべきだよ。東電が民間企業である限り利益は追求するはず。税金が投入されるとは云え、東電の借金。民間企業なら借金は作りたくないし、コストをギリギリまで抑える。1Fの工事案件のほとんどが競争入札なんておかしな話だよ。
競争入札じゃ元請企業もコストの叩き合いだし、作業員単価にも跳ね返ってくる。新しく1F正門前に出来る入退域管理棟やアルプスの保守・運転管理も競争入札。落札企業は単価の安い作業員を使わざるをえない。それは熟練熟知のベテランや高い単価の人間は雇用出来なくなるという事なんだ。

このままの管理体制や契約社会ルール適用じゃ1Fのトラブルは減らないし、収束作業完遂もいつになる事やら…。今の所、この日本で現行法や今の悪状況を変える事が出来る人達は政治家の方々。政治家の方々には、復興地域や現場の生の意見をしっかり聞いて対処して頂きたい。
オイラが現場で初めて見たネズミは、企業棟の事務所の台所で未開封のカップラーメンを両手でカップを押さえつけ、ガブガブとカジリついてた。因みに、お湯は入ってなかった…(-.-;)見た時は、ウォンバットの子供かと思ったでし。
今の復興地域に政治家の綺麗事や、出来やしない絵に描いた餅はいらないんだ。日本の政治が本気で1日でも早く復興をするつもりなら絶対出来るはずだよね。オイラはそう信じたいでし。でわでわ。

 

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明日に向けて(650)原発事故避難者に死亡リスクの高い人がかなり多くいる!(復興庁調査より)

2013年03月30日 16時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130330 16:30)

3月29日に復興庁より、「福島県における震災関連死防止のための検討報告」という文書が提出されました。この間、お伝えしている「震災関連死」のうち、震災から1年経った後の統計をとったところ、全国で40人のうち35人を福島県民が占めていたことを踏まえ、その原因を探った調査です。
30日付の東京新聞の記事によれば、この35人のすべてが「原発関連死」であり、実質的にこの調査は、原発事故によって、1年以上経ってから亡くなった方についての調査であると言えます。

注目すべきことは、医療関係者、公衆衛生関係者からのヒアリングの中で、次のような指摘がなされていることです。

*****

「2011年12月~2012年2月の施設での死亡率の結果を見ると、前年同期の約1.2倍であった。死亡率が依然として高い状況が続いている。これは、全体の死亡リスクが上がったと考えるべきであり、死亡は氷山の一角である。死亡リスクの高い人はかなり多くいると考えられる。
避難は、身体、心理、社会・環境という健康に影響を与える3つの要因すべての面で大きな悪影響を与えている。」

出典 「福島県における震災関連死防止のための検討報告」
http://www.reconstruction.go.jp/topics/20130329kanrenshi.pdf

*****

死亡リスクの高い人はかなり多くいる・・・。今なお、多くの方たちの命が危機に瀕しているということです。私たちはこのことを受け止め、原発事故で最も過酷な仕打ちを受けた方たちの命を守っていく必要があります。そのために何が問われているのかを、導き出していきたいと思います。

まず35名の方の死亡時年齢は80歳代が約5割、70歳以上で約8割。やはりお年寄りが多いです。男女別では概ね半々。既往症については約8割。病をもたれていた方が亡くなりやすかったことが現れています。
原因については、「発災直後からの避難(移動)や避難生活による疲労、ストレス、運動不足、医療事情がもとで、徐々に衰弱した事例がほとんどである。平均移動回数は、7回であった」とされています。原発災害時の避難訓練がほとんどなされておらず、なおかつ避難指示が段階的に拡大したため、平均7回もの移動が強いられたことが大きなダメージになったことが分かります。NHKによれば、最も多い移動は16回だったそうです。

この報告の中で重要なのは、先にも一部を引用した「原因や対応策についての医療関係者、公衆衛生関係者の意見」です。この部分の全文を引用します。

*****

① 精神科の患者(新規入院と外来)を2011年と2012年で比較すると、2012年の方がより強く影響を受けていると考えられる人が多い。これは、時間の経過によるストレスの積み上げが影響している。この結果を踏まえると、身体疾患にも影響が出ていると考えられると思う。
② 自ら調査した2011年12月~2012年2月の施設での死亡率の結果を見ると、前年同期の約1.2倍であった。死亡率が依然として高い状況が続いている。これは、全体の死亡リスクが上がったと考えるべきであり、死亡は氷山の一角である。死亡リスクの高い人はかなり多くいると考えられる。避難は、身体、心理、社会・環境という健康に影響を与える3つの要因すべての面で大きな悪影響を与えている。
③ 今回の原発事故が人災であるか否かはさまざまな見方があると思うが、天災と人災では、影響の尾の引き方、ストレスの解消の仕方が違う。天災はあきらめざるを得ないが、人災の方はどこかに持って行きようがあるだけに、すっきりしない状態がいつまでも続く。
④ 浜通りの人は、避難生活が長引いており、展望が見えない。このことが高齢者の元気が出ないもとになっている。

*****

今回の記事のタイトルにも使わせていただいた「死亡リスクの高い人がかなり多くいる」とはこのことであり、そのため先に②の内容を紹介しましたが、③の「天災はあきらめざるを得ないが、人災の方はどこかに持って行きようがあるだけに、すっきりしない状態がいつまでも続く」という指摘も大変重要です。
「すっきりしない状態がいつまでも続く」のは、何も自然現象であるわけではありません。人災であれば責任者が特定され、処罰されるのが当然でありながら、それがまったくなされていない。だからこそ「すっきりしない状態がいつまでも」続いているのであり、それ自身が、避難者の心を蝕み、ストレスを与えているのだということです。当然です。自らは事故の被害者として大変苦しんでいるのに、加害者が制裁を受けないのですから。
原発関連死に触れた「明日に向けて」の前号で、僕はこれらの人々の心身を守るためにも、東電をきちんと追求し、責任者への社会的制裁を実現しようと書きましたが、その必要性、重要性が、医療関係者、公衆衛生関係者の意見によって裏付けられたと言えると思います。

しかし同報告の中の復興庁の「今後の対応」に、このことはまったく書かれていません。社会的正義の視点を大きく欠落させています。
同時に、問題が多いのは次の点です。

*****

福島県における被災者について、震災関連死を防止するには、原子力災害からの福島の復興・再生、被災者の生活再建が大きな課題である。国、福島県及び関係市町村、民間団体等が連携して、福島の復興・再生の加速化、被災者の生活再建等の復興関連施策を引き続き実施していく。

*****

何が問題なのか。復興庁の方針には、福島の「復興・再生、被災者の生活再建」を大きく阻んでいるのが、原発から膨大に漏れ出し、福島を汚染している放射能であることにまったく触れられていません。その上で、「早期帰還・定住プランを実行」などとうたわれています。
しかし多くの人々が、現実には除染も進まず、むしろ除染などとてもできないことが見えてもきていて、まさにそのために帰れないことを実感しているのです。にもかかわらず、この事実を見て見ぬかのような対応を続け、まったく虚しい「早期帰還」がうたわれている。このことこそが人々の心をより傷つけているのです。
政府、復興庁は、一刻も早く、多くの地域が除染ができないことをきちんと認め、帰還できない人々のためのあらたな町づくりの展望をこそ出すべきです。「蛇の生殺し」のような状態をやめ、新しい生活にむけた踏ん切りがつけられるようにすべきです。
ところが、にせの「事故終息宣言」を維持するためにも、原発の周辺地域において、なお除染が可能かのように振る舞い、人々に町と生活の新たな方向性での展望を切り開くことをさせない。その仕打ちが、ますます人々をして「元気がでないもと」を作っていることこそが見据えられるべきです。その意味で、原発関連死を生み出しているのは、復興庁のこうした姿勢そのものでもあることを指摘せざるをえません。

それでは、これらの人々の命を守るために、私たちは何をしたらいいのでしょうか。
第一に先にも述べた如く、「すっきりしない状態がいつまでも続いている」状態に終止符を打つこと。責任者をはっきりさせ、処罰を行うことで、被害者の心の苦しみを少しでも救うことです。
僕は長年、旧日本軍による性奴隷問題に関わってきましたが、被害者のおばあさんたちの心と、強制避難を強いられた人々の心に、似た痛みがあることを感じます。ひどい加害を受けながら、その加害者が裁かれない。大手をふってのし歩いている。そのこと自身が、被害者を苦しめ続けるのです。
たくさんのおばあさんたちの苦しみを見過ごしてきた日本社会の大きな限界が、今、被災地の人々にも押し寄せているとも言えます。これらの方たちには人的加害=暴力が加えられたのに、社会がそれを黙って見ている。黙って見ていることで暴力を容認され続けている。それが被害者をより深く傷つけ、苦しめるのです。

だからこそ、加害者の追求、被害者に謝罪をさせるとともに、社会的制裁を受けさせることが大事なのです。そのために社会が懸命になって動かないなら、被害者は、二重に暴力を受け、本当に悲しく辛い状態におかれてしまいます。いや、現に今、置かれているのです。そうして事故から1年以上経ってから、35人も亡くなっていったのです。
この状態をもうこれ以上続けていてはなりません。最低でも1000人以上の人々を死に至らしめた東京電力の深い罪を、大きな声を出して追求することでこそ、被害者の方たちの心の負担を少しでもとっていきましょう。

第二に、「復興」のまやかしを暴き、無駄などころか、二重三重に罪作りな高線量地帯での除染活動をやめさせていくことです。なぜ二重三重に罪作りであるのかと言えば、一つに被害者救済に使うべき貴重な社会的資源が失われていくこと。ゼネコンの儲けにばけてしまうことです。
二つにこれらの地域での除染は無駄なばかりではなく、大変、危険な被曝労働であることです。除染活動が被害を広げてもいるのです。三つに人々が町に帰る以外の展望を切り開くことを許さないこと。実施的な生活再建を阻んでいることです。
これらからも、無理な除染の強行は、それ自身が、避難者への新たな暴力であると言っても良いと思います。

さらにもう一つ大事な点は、復興庁の調査には、はじめから放射線被曝による被害を除外するという、調査の土台を揺るがす大きな欠落があるということです。
すでに1000人以上の方が亡くなり、今また多くの方の死亡リスクが高まっているこれらの人々は、すでに深刻な被曝をしてきています。まさに二重、三重にダメージを受けているのです。だからこれらの方たちこそ、可能な限り、放射線の低いところに避難・移転できるように社会的に保障すべきであり、同時に、日本国内でもっとも安全な食材を優先的に食べられるようにすべきです。
にもかかわらず、放射線の被害を、可能な限り小さく見積もろうとする政府の政策の中で、これらの人々に最も深刻な被曝の継続が強いられている構造があります。まさに理不尽の極みです。

福島を助けるのに私たちに必要なのは、このような政府や復興庁、東京電力による社会的暴力の継続的な行使を止めていくことであることを強調したいと思います。
繰り返しますが、これを黙って見過ごせば暴力に加担してしまうことになります。だから私たちは、自らの尊厳をも賭けて、これらの人々を守らなければなりません。奮闘を続けましょう!

 


 

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明日に向けて(649)福島原発事故で、最低でも1000人以上がすでに亡くなった!

2013年03月29日 22時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130329 22:00)

最近、福島県や、原爆事故被災地に住む方の、心筋梗塞による突然死の報をよく耳にします。そのたびにご冥福をお祈りしつつ、私たちの心身をより一層の努力で相互に守っていかねばという思いをあらたにしています。
もちろん一つ一つの死の要因は特定しにくいものです。また人が亡くなった時にあれやこれやと推論することに憚られるものもあります。それでも僕はこうして続いている突然死の多くに、原発事故が影響していると思っています。

福島原発事故は、人の命に、いったいどれだけの影響を与えたのでしょうか。被害の全体像は、おそらくこれから数十年をかけて明らかになるのでしょうが、さしあたって出されている数字で僕が着目しているのは、復興庁がとなえている「震災関連死」という概念です。震災で直接亡くなったのではなく、その後の避難生活での体調悪化や過労など、間接的な要因で亡くなったものと定義づけられているものです。
復興庁は2012年9月の時点で、震災関連死数は2303人、うち半数近い1121人を福島県が占めていると発表しています。この数字自身がかなり過小に操作されているという見解もあるようですが、それはともあれ、僕がこの中でも注目したのは、復興庁が、とくに福島では、原子力事故に伴う避難等による影響が大きいと考えられると指摘していることです。
具体的には以下のごとしです。

*****

「福島県は他県に比べ、震災関連死の死者数が多く、またその内訳は、「避難所等への移動中の肉体・精神的疲労」が380人と、岩手県、宮城県に比べ多い。これは原子力発電所事故に伴う避難等による影響が大きいと考えられる。

出典「東日本大震災における震災関連死に関する報告」
http://www.reconstruction.go.jp/topics/20120821_shinsaikanrenshihoukoku.pdf

*****

この報告の詳しい分析は、すでにアップした以下の記事をご覧下さい。

明日に向けて(631)福島で「震災関連死」が増えている・・・心臓を守ろう!(上)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/7c9f201e69779cb487b63c6113b1ae52
http://toshikyoto.com/press/649

上述の僕の記事の中で、僕はこの「震災関連死」として数え上げられた統計の中に、「原発事故関連死」が含まれていることを指摘したのですが、同様の観点から、東京新聞がこの震災関連死を調査し、その中の「原発関連死」の数を特定する記事を掲載してくれました。
大震災から2年目の3月11日の1面に、「原発関連死789人 避難長期化、ストレス 福島県内本紙集計」というタイトルで載ったものですが、震災関連死のあった関係自治体に取材し、「震災関連死」の中の「原発関連死」の数をきちんと把握しています。社会的な意義の高いいい記事だと思います。
ただし注意が必要なのは、「原発関連死」と考えられる数は記事のタイトルにある789人よりも多いということです。というのはこの数には南相馬市の原発関連死が入っていません。市役所がまだ断定できないでいるからですが、しかし南相馬市の担当者は、同市の震災関連死数は396人で、その大半が原発関連死であると考えられると述べているそうです。したがって「原発関連死」は1000人を大きく超えていることになります。

これは非常に大きな数です。津波被害による「震災関連死」の多くは、自然災害によって引き起こされたものですが、原発関連死の全ては、人災による原発事故が生み出したもの。東京電力によって最低でも1000人以上の人々が亡くなったということです。東電は1000人以上を誤って死に至らしめた罪を徹底的に問われるべきです。
「原発関連死」があった可能性は、復興庁によっても報告書に記載されているわけですから、政府および司法当局は、復興庁の調査に基づく東京新聞のこの指摘を受け止め、即刻、責任者の逮捕・処罰に踏み込むべきです。

原発事故によって、最低で1000人以上の方々が、死を強制されてしまったというこの事実。私たちはこれを重く受け止める必要があります。1000人以上の人々を誤って死に至らしめた企業が、その刑事責任をまったく問われておらず、それどころか当時の社長が何億円もの退職金を手にするなどの法的異常事態が私たちの国を覆っています。
他にも、「飲み食い禁止、睡眠禁止、18歳未満の立ち入り禁止」とされている放射線管理区域に相当する地域に多くの人々が普通に暮らしているなど、現在、私たちの国の法的正義は、ぐちゃぐちゃに壊れてしまっていますが、こうしたことを正すためにも、東京電力のこの大きな罪を追求し続けなければなりません。必ず責任者を処罰しなければいけません。

もちろん、被害はもっと巨大であると僕は考えています。そもそも「原発関連死」は、事故後に強制的避難地区から避難中に亡くなった方からのみ割り出された数で、それ以外の方が対象になっていません。またこれは放射能の被害を推計したものでもありません。その点では、被害のごく一部しかを網羅されてはいないでしょう。
しかも残念ながら、被害はこの先、何年にもわたって続いていきます。その意味で被害は1000人以上にはとどまらないでしょう。もちろん互の心身を守り合って、可能な限りこうした「原発関連死」を減らしたいですが、そのためにも、こうした死が東電によって生み出されていることをはっきりとさせ、責任者の処罰と被害者救済を社会的に進めていくべきです。

亡くなった人を弔い、今を生きる人々を少しでも守るためにも、「福島原発事故で、最低でも1000人以上がすでに亡くなった!」ことをきちんと広めていきましょう。

以下、東京新聞の記事を紹介します。

************

原発関連死789人 避難長期化、ストレス 福島県内本紙集計
東京新聞 2013年3月11日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013031102000140.html

東京電力福島第一原発事故に伴う避難やストレスによる体調悪化などで死亡したケースを、本紙が独自に「原発関連死」と定義して、福島県内の市町村に該当者数を取材したところ、少なくとも七百八十九人に上ることが分かった。死者・行方不明者一万八千五百四十九人を出した東日本大震災から十一日で二年。被災三県のうち福島では、宮城、岩手よりも多くの人が今も亡くなり続けている。原発事故は、収束していない。(飯田孝幸、宮畑譲) 
 
地震や津波の直接の犠牲者だけでなく、震災や事故後の避難中などに亡くなった人に対し、市町村は「震災関連死」として災害弔慰金(最高五百万円)を給付している。福島では二十二市町村が計千三百三十七人(十日現在)を関連死と認定。二十市町村はこのうちの原発事故に伴う避難者数を把握しており、本紙で「原発関連死」として集計したところ七百八十九人に上った。南相馬市といわき市は把握していない。
南相馬市の担当者は「事故後、市全域に避難指示を出した。震災関連死と認定した三百九十六人の大半は原発避難者とみられる」と話しており、これを合わせると原発関連の死者は千人を超えるとみられる。
二百五十四人が原発関連死だった浪江町では、申請用紙の「死亡の状況」欄に「原子力災害による避難中の死亡」という項目がある。町の担当者は「全員がこの項目にチェックしている。自殺した人もいる」と話す。
 
震災関連死の認定数は、福島より人口が多い宮城で八百五十六人(八日現在)、岩手が三百六十一人(一月末現在)で、福島が突出している。復興庁は「福島は原発事故に伴う避難による影響が大きい」と分析している。
認定数の多さだけではなく、影響が長期に及んでいるのも福島の特徴だ。震災後一年間の震災関連死の認定数は福島が七百六十一、宮城六百三十六、岩手百九十三。その後の一年の認定数は福島が五百七十六、宮城が二百二十、岩手が百六十八。今も申請は続き「収束が見えない」(浪江町)という状況だ。

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明日に向けて(648)逃げる手段ない・・・避難計画の現実

2013年03月26日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130326 23:30)

原子力規制委員会による、原子力災害対策指針の確定を受けて、原発から30キロ圏内の自治体が、原発災害に対する避難計画の策定を義務付けられ、今、それぞれで策定中です。
正確には3月18日が、提出期限とされていたのですが、計画づくりを求められている21道府県と136市町村の合計157の自治体のうち、期限までにまとめられたのは、わずかに70自治体のみ。半数以上の87自治体が間に合いませんでした。
しかも計画をまとめられた自治体も多くがコンサルタント会社に丸投げするなどしており、ほとんどの自治体が、能動的な計画を策定できているとは言えません。

ちなみに、21の道府県のうち、3月18日までに計画づくりが終わったのは、北海道、青森、宮城、新潟、静岡、岐阜、滋賀、京都、鳥取、島根、愛媛、福岡、長崎の各道府県。これに対して3月中に仕上げるとしているのが、福島、茨城、石川、山口、佐賀、鹿児島の6県。
4月中としているのが、富山1県、5月以降または未定となっているのが福井1県です。原発銀座のある福井県が、計画が策定できないでいることは極めて象徴的です。
ただおさえて置かなくてはならないのは、この原発災害対策が必要だとする「30キロ圏」という想定は、福島原発事故を考えても、あまりに甘い想定でしかないということです。なぜなら原発から45キロ離れた飯舘村が全村避難になっているのであり、これ一つとってみても30キロという範囲設定はあまりに狭すぎるからです。
なおかつ福島原発事故においては、ある意味では不幸中の幸いとして、4号機燃料プールの破局的崩壊が止まったのであり、それから考えるならば、福島事故の現実から想定を行っても、45キロでも、あるいは60キロでも「甘い」想定でしかないからです。しかしその甘い想定においても、なかなか避難計画が作れないのが現実です。

その理由は大きくは、そもそも想定される事故があまりにも大きすぎて、とてもそれぞれの自治体での対応ではまかないきれないことにあります。ここには原発が根源的に抱える危機の大きさがあらわれています。
その上に、計画の策定期間があまりにも短すぎです。まるで、計画をたてることそのものの矛盾に気がつかないうちに、やっつけ仕事でいいから、計画を立てた建前にしろ・・・といわんばかりの短時間でしかありません。
このため、多くの自治体が、強いられた無理難題を前に、困窮しているのが実情です。

まともな避難計画を立てることができない。ここに原発建設のあまりの歪みと、私たちの直面している危機の大きさがあらわれています。この点からも最低限でも大飯原発を即刻停止し、他の原発の再稼働をけして許してはならないことは明白です。
しかし原発がすべて止まれば、避難計画は立てなくていいのかと言えば、残念ながらそうではありません。第一に、福島原発の今が相当に危険であり、ここでの事故の悪化を想定した避難計画を早急にたてて、避難訓練を実施する必要があります。
同時に、各原発にある燃料プールもまた、極めて脆弱であり、ここが大地震等々に襲われたり、何らかのトラブルで電源を喪失した場合に備えて、避難計画を立てておく必要があります。その意味で、再稼働を前提しなくても、避難の準備は絶対に必要なのです。

しかし実際に逃げる手段を考えると、先にも述べたように、相当に難しい。そのひとつとしてここで紹介したいのは、東京新聞が「逃げる手段がない」というタイトルのもとに紹介している京都府の例です。
京都府には原発はありません。しかし目と鼻の先の福井県にたくさんの原発がある。その中でも最も府に近い高浜原発の事故を想定すると、僕も原発災害対策でお話をしにいったことがある宮津市など、7市町が入ります。避難しなければならない人々の数は13万人です。
日本の多くの山里がそうですが、この地域には公共交通機関が少なく、逃げるとなると多くの人はマイカーに頼らざるを得ません。しかしそうなると幹線道路が渋滞してしまう可能性があります。実際に福島原発事故の場合にも、浜通りの人々が福島市方面に逃れようとして、国道113号線などで大渋滞がおきました。しかもそこはすでに放射能によって濃厚に汚染された地帯でした。

高濃度汚染地帯で渋滞が発生してしまったことには、スピーディーの情報が隠されたことも大きく寄与していますが、ともあれその教訓を考えると、マイカーによる避難を控え、大型バスによる避難ができるように計画を立てる必要があります。そこで府がバス会社にシミュレーションを頼んだところ、バス600台で10時間半で避難ができるという回答が返ってきたといいます。
ところがそのためには、避難を決める前にあらかじめ600台のバスが、集合場所の小学校などに到着していなければならないなど、避難可能なシミュレーションは、現実離れしたものでしかありませんでした。
またそもそも緊急時に600台のバスが確保すること事態もあまりに現実離れしたものでしかありません。修学旅行シーズンや、行楽シーズンでは、どのバス会社もバスが出払っている状態であり、緊急時にすぐに集められるバスの余裕などないからです。

こうした事態を前に、すでに宮津市などは、緊急の輸送手段からバスを降ろす検討を始めているといいます。緊急時には最も原発に近い自治体にバスが優先的に回されることが予想されるため、宮津市にまでバスがまわってこないだろうという現実的な判断のもとにです。
しかしそうなると渋滞回避が必須の課題になります。宮津市は自治会などに、緊急時の車の乗り合わせを申し入れているそうですが、自治会側は事前の調整は極めて困難と回答しているそうです。
さらにバス会社から重要な点が指摘されました。避難の必要な放射能漏れが起こっている状態で、運転士に高線量地帯に人々を迎えにいけなどと、会社としてはとても言えないという点です。運転士さんたちからも、懸念の声が高まっているそうです。これもまったく最もな話です。高線量地帯に人々を救いにいく600名のドライバーをいかに確保できるのでしょうか。

これらから導き出せる現実的な答えはなんなのか。僕は冷酷かもしれませんが、原発で深刻な事故が起こった場合は、被曝を避けるために真っ先に逃がすべき人と、これらの人が逃げてから次に逃がすべき人、さらに人を逃がすために被爆覚悟で働く人を、あらかじめ分けておかざるおえないと思います。それが災害対策の実情だということを見据える以外ないのです。
そして、自らは逃げることをせず、先に人々を逃がしたり、むしろ高線量地帯に人々を助けに赴いたりする人々のための現場での被曝対策と、その後の医療等々の補償の体制や社会的合意を、あらかじめ作り出しておく必要があるということです。
これは一見、冷酷なことですが、実は福島原発事故の現場でも実際に起こったことだったのです。しかもこの事故の場合は想定が何もなされていませんでしたから、これらの人々は、ほとんどまともな放射線防護体制もないままに、被曝労働をせざるを得ませんでした。相当に深刻な健康被害が生じていることは間違いありません。

その中でもとくに危険な状態にさらされ、被曝をしてしまったのが、警察官たちや消防署の隊員、自衛隊の隊員の方々でした。あの3月11日直後の日々、例えば現場にさっそうとあらわれた東京消防局のハイパーレスキュー隊による放水が、私たち全体を、絶望的な危機から救ってくれたわけですが、あの高度な放水のテクニックを見せてくれた隊員の方たちの多くが、被曝への備えもないままに現場に投入されました。
警察官たちもそうです。高線量地帯を封鎖するとき、その現場に立って、人々の立ち入りを静止しているのはおまわりさんたちでした。あるいは自衛隊は、放射能の降ったあやゆる地域を、津波犠牲者の捜索のために歩きまわりました。それら本当に様々な形で、多くの人々が、放射能の中で働かざるを得なかったのです。
しかしこれらの人々に、それまで放射線防護に関する教育が行われたことがあったでしょうか。全く否。これらの部隊のうち、放射線防護の装備を持っていたものがあったでしょうか。自衛隊のごく一部を除いて全く否。これらの人々はまったく無防備な状態で動員されてしまいました。

おそらく過酷な現場に足を踏み込んだ自衛隊、消防隊、警察官の多くの方が今、自らの健康に関する大きな不安を抱えていると思われます。しかしどれも軍隊的な要素をもつこれらの部隊の中で、このことを口にすること自身が困難なのではないでしょうか。
これに対して、アメリカ軍の兵士の中からは、日本政府と東京電力の事故隠しのせいで、自らが被曝してしまったことへの法的訴えが起こっていますが、自国民に80キロ圏内からの退避を勧告したアメリカの兵士たちですらそうなのですから、日本の諸部隊の人々の懸念はもっとずっと高いはずです。
もちろん、逃げられずに被曝してしまったのは、これらの部隊員だけではありません。津波被害と向き合った多くの自治体職員の方たちがそうでしょうし、中にはまだしも原発情報が届いていた自衛隊員や警察官よりも、本当になんの防備もない状態で、高線量地帯の中、住民を探して歩き回ってしまった自治体の職員の方たちもおられます。

これら現実的に起こったことをリアルに見据えるならば、一度事故が起こってしまえば、すべての人を完璧に被曝させないなどということはまったく不可能であり、どうしたって犠牲覚悟、被曝覚悟のもとに、少しでも犠牲を減らしていくことを考えざるを得ないのです。
もちろんその場合でも、これらを職務命令として行ってはならないと強く思います。誰もが等しく、真っ先に逃げ出す権利があり、それを選択する権限が個人にあることを繰り返し明らかにした上で、例えば子どもたちや、妊婦さん、妊娠の可能性のある女性、身体の衰弱した人々、ハンディキャップがあって自らは動きににくい人々などを、優先的に逃がすことを決めておくしかないのだと思うのです。
その場合、誰がこうした真っ先に逃げる人々を先導していくのか。つまり逃げる係りに誰を置いておくのかも決めておく必要があります。

反対に、逃げずに残って行う仕事の中には、原発直近から命からがら逃れてきた人々を受け入れる仕事も含まれます。現状の30キロ圏内の想定では、30キロを越えた自治体は受け入れ側に回らざるを得ない。福島原発事故の経験では、逃げる範囲を狭く設定してしまったために、かえって避難が何度も繰り返されることになり、その過酷な移動中に何百人という方が命を落とされてもいます。
だからこそ僕はこの範囲をもっと大きく広げる必要があると思いますが、いずれにせよ、どこかの自治体が逃げてくる人々を受け止める必要があるわけです。しかしそこにも放射能の雲が迫ってくるかもしれない。このとき受け入れ担当の人々は、受け入れ業務に忙殺されていて、逃げ出せない可能性があります。
それやこれや、どうしたって被曝してしまう人々が出る可能性が濃厚にある。だからこそ全ての人々に、放射能の恐ろしさを徹底して教育し、防護対策を普及し、なおかつ被曝への心構えを作っていく必要があるのです。自らの被曝状況の記録化などもあらかじめ徹底して指導しておく必要があります。

非常に重要なポイントは、政府や原子力規制委員会は、ここでも、このように実際に起こることをリアルに想定すると、大変な困難が見える化してしまい、しかも誰かに被曝を事実上強制せざるを得ないという、非人道的な現実が見えてしまうために、このようなリアルな想定を避けようとしている点です。
まさにそれゆえにこそ、どう考えても現実的で有効な対策の検討などする余裕のない時間のうちに、計画の策定と提出を求めているのだと考えざるを得ません。しかしそれではまたしても、実際の事故を想定しない、再稼働のための「避難計画」、空洞化した建前としての「安全性」がうたわれるだけに終わってしまいます。それでは全くダメです。

ではどうしたらいいのでしょうか。可能な限り、それぞれの自治体の避難計画の策定に市民が参加していくことです。まずはこの計画に対して、情報公開を求め、説明をしてもらうことから始めましょう。そうして市民の側の意見を反映させましょう。さらに市民の側から主導的に、原発災害訓練の流れを作り出していきましょう。
ぜひこれを原発から30キロ以遠の自治体でも行ってください。福島原発の悪化を考えれば、日本中どこでも被災地域になりえます。また広域避難が発生したときには、放射能のとどかない地域は、ただちに避難の受け入れに動く必要があります。この点でも、全ての自治体が原発災害対策を進める必要性があるのです。

できるだけ多くの人々が関わる中で、僕が共有したいと思うのは、原発問題とは、エネルギー問題などではまったくなく、命の問題、安全の問題なのだという点です。原発がある限り、つまり完全廃炉が実現するまで、私たちは大変な危機と向かい合い続けるしかないのです。一度事故が起これば犠牲が避けられない危機とです。
そのことを見据えてこそ、万が一のときに、可能な限り犠牲を少なくすることが可能になります。原子力災害と現実的に向き合いましょう。そのことで私たちや未来世代の安全性を少しでも広げていきましょう。

以下、東京新聞の記事を紹介します。

******

逃げる手段ない 避難計画 バス600台手配 現実離れ
東京新聞 2013年3月22日 07時09分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013032290070957.html
 
東京電力福島第一原発で、同時多発的な停電による使用済み核燃料プールの冷却停止事故が起きた。苦い記憶を忘れ、再び原発依存に迷い込むことへの警告のようだ。私たちは原発に頼ってしまっていいのだろうか。第十部では、重大事故から二年を経た原発の周辺事情を探る。
十八日夜、テレビで福島第一の停電事故を知った京都府防災・原子力安全課長の前川二郎(52)は「事故収束を急ぐ現場で、いまだにこんなことが起きるのか。とんでもないな」と声を上げた。
そして、二月の府の防災会議で自らが報告したシミュレーション結果を読み返し、「こう、うまくはいかないな」とつぶやいた。

国の新指針で原発事故に備えた防災対策を進める区域がぐんと広がった。府内に原発はないが、関西電力高浜原発(福井県高浜町)の三十キロ圏に宮津市など七市町が入る。避難対象の住民は、従来の一万二千人から十倍以上の十三万人にまで急増した。
どうすれば、これだけの人数を早く逃がすことができるのか。前川は頭が痛い。
公共交通機関が少ない地域。住民の足は主に自家用車だが、各自が車で逃げれば大渋滞となるのは、福島事故で証明されている。

そこで、前川は府内外からバスをかき集めて避難に使おうと考え、業者にシミュレーションしてもらった。
バス六百台を集め、ピストン輸送すれば、十時間半で十三万人全員の避難が完了する-と答えが出た。
ただし、バスは避難を決める前に集合場所の小学校に到着しているなど現実離れした条件だった。「そもそもバスを本当に確保できるのか?」。前川は、昨夏に部下二人から報告を受けた、バス会社幹部との協議内容を思い出した。

ヤサカ観光バスは、京都指折りのバス会社で、府と災害時の協力協定も結んでいる。府側から原発事故時のバス活用を打診され、専務の中野茂(69)は「協力させていただく」と快く応じた。
ただ、一つ条件を付けられた。「出せる台数は、府の防災計画に入れてほしくない」
修学旅行シーズンの四~六月は、保有するバス七十四台のうち七十台までが出払っている。協力したくても、実際には何台出せるか分からないとのことだった。
別のバス会社では、「協力したいが、運転手に『放射線量の高い所に行け』とは言えない」とも言われた。会社と組合の協議でも、誰が放射線量を測って健康管理をするのか。被害があった場合の補償はどうなるのか。運転手側からさまざまな疑問をぶつけられたという。結局、この会社では「個人の意見を尊重する」ことを申し合わせた。

こうした事情を見通すかのように、市町の中には、避難手段の主役からバスを降ろす動きも出てきた。
宮津市は「バスは原発に近いほかの自治体に、まず投入されるだろう」と判断。自家用車による避難を基本にした。舞鶴市もバスは無理との意見が市民から多く寄せられ、自家用車も入れた。
ただし、渋滞回避が大問題。宮津市企画総務室長の森和宏(59)は「隣近所で乗り合わせる調整をしてほしい」と自治会に求めたが、自治会代表の細見節夫(70)は「事前の調整は不可能。空きがあれば乗せるという、住民の助け合いの意識を高めるしかない」と難しさを口にした。

舞鶴市は、地区ごとに時間差で避難を始める方式を模索するが、綿密すぎると、いざという時、もろさが出る欠点もはらむ。
京都の防災計画づくりは、他の自治体より進んではいるが、実際に機能するかどうかは未知数の段階だ。(敬称略)

<地域防災計画> 原発事故に備え、原発から30キロ圏内の自治体が、住民の避難先や避難手段の確保を検討してまとめる。福島事故の反省を受け、国の指針が改定され、防災対策を重点的に進める区域(UPZ)が原発8~10キロ圏から30キロ圏に拡大。計画をつくる自治体は15道府県45市町村から、3倍の21道府県136市町村に増えた。原子力規制委員会事務局のまとめでは、計画づくりを終えた自治体は半分以下の70にとどまっている。

 

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明日に向けて(647)反核遊行 核電歸零・・・脱原発に燃える台湾とともに!

2013年03月23日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130323 23:30)

明日に向けて(644)で台湾の脱原発行動を紹介しました。その段階では、デモ参加者の数が10万人から20万人とまでしか把握できなかったのですが、その後、台湾のニュースを調べていて、台北12万人、高雄7万人、台中3万人、台東2千人、合計22万2千人であったことが分かりました。
またこのリサーチの過程で、たくさんのビデオクリップを発見しました。これらを観ていると、台湾の人々の熱気とともに、何とも陽気で、ユーモアに溢れ、何をやってもお遊びが出てきて楽しんでしまう台湾人気質を感じました。
この台湾の明るさは、僕が旧日本軍性奴隷問題(いわゆる軍隊慰安婦問題)に関わる中でもいつも感じてきたことです。何はともあれ紹介する幾つかのビデオをご覧下さい。とにかく観ているとニヤニヤしてきてしまうのです。

台湾は少し前まで戒厳令下にあった国です。そこから本当に苦労を重ねて民主化を実現してきました。道路を埋め尽くすデモも、少し前まではありえない行為でした。性奴隷問題の被害にあったおばあさんたちも、そんな中で声を上げてきました。それでも彼女たちも、台湾の人たちもいつも底抜けに明るい。
そんな台湾の人々が今、私たちと共に脱原発を道を歩みだしていることに、心強さと暖かさを感じます。大事な味方であり仲間です。私たちもこのおおらかさを真似ましょう!そんな気持ちを込めて、今日は拾い集めたビデオクリップを幾つか紹介します。


まずは脱原発に向けた、台湾媽媽監督核電廠聯盟(母親監督原発連盟)のアピールです!短いですが凄くわかり易いです。
http://www.youtube.com/watch?v=DGdt7PVI-vo
同連盟のFACEBOOKのページもご紹介しておきます。ちなみに僕はこのページに、Dion Tanの撮ったKakuseiを紹介しておきました・・・。
http://www.facebook.com/toshiya.morita.90#!/momlovestaiwan

続いて、3月9日の行動の様子をとてもうまくまとめたビデオをご紹介します。最初に出てくる道路を埋め尽くす人々の姿が圧巻です。
309 反核遊行 核電歸零 Taiwan Nuclear Go Zero
http://www.youtube.com/watch?v=pmmooBfkhqg&feature=endscreen&NR=1

This is Taiwan!というべきビデオです!最高に面白い!必見です!とにかく、何をやっても、面白おかしく楽しんでしまう台湾人気質がよく現れています!
2013.3.9 台灣 反核遊行 哈林搖 Taiwan No Nukes Harlem Shake
http://www.youtube.com/watch?v=X5V65Xdthz4

台北のデモの様子を写したものです。日本のデモに似ていますが、台湾人は人真似もものすごくうまいので、実際に真似たのかもです。
3月9日の台北脱原発行動
http://www.youtube.com/watch?v=G2rTnEbugbE&feature=player_embedded#!

次は脱原発行動を伝えるテレビニュースです。台北12万人、高雄7万人、台中3万人、台東2千人と伝えています。合計で22万2千人です!ダイインなどさまざまなアピールの様子が見れます。
全台廢核大遊行 22萬人上街-民視新聞
http://www.youtube.com/watch?v=MQLlWW3H1To&feature=endscreen&NR=1

高雄市での脱原発行動の様子です。とにかく歌ってます!!ちなみに高雄は南の町。大陸文化の漂う台北よりも、よりディープな台湾です!
309「No Nuke for Our Children」全台廢核大遊行,上街! @高雄凹仔底森林公園
http://www.youtube.com/watch?v=uNVDjeszE0s&NR=1&feature=endscreen


以上、探せばまだまだどんどん出てきます。こうやってとにかく映像をとってはじゃかじゃか出しているのも台湾らしいです。
こうして台湾の人たちが叫んでいるのは、とくに台湾原発4号機建設の阻止です。この原発の原子炉は日本製。「日の丸原発」と言われています。台湾・日本の民衆連携で、日の丸原発の稼働開始を食い止めましょう!

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明日に向けて(646)ネズミが犠牲になって教えてくれたこと(福島原発冷却システムのダウンに即して)

2013年03月22日 10時04分34秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130322 10:00)

3月18日に福島第一原発で停電が発生し、1号機、3号機、4号機、共用プールの冷却システムが一斉にダウンしてしまいました。まったく幸いにも20日未明までにシステムが復旧し、とりあえずの危機は去りましたが、今回の事故は大きな教訓を私たちに与えました。この点に関しての分析を行いたいと思います。

まず事故の要因ですが、東電による解析がまだ継続中であるものの、今のところ、直接的な原因ではないかと考えられているのは、ねずみよる配電盤のショートです。東京新聞より当該部分を引用します。

***

東京電力福島第一原発の使用済み核燃料プールの冷却などが同時多発の停電でストップした事故で二十日、問題の仮設配電盤の内部の壁に、焦げた跡が見つかった。その近くには、感電死したネズミらしき小動物もいた。東電は、小動物が配電盤に入り込んで端子に触れ、異常な電流が流れて事故につながった可能性があるとみて、さらに詳しく調べている。
冷却装置など九つの装置が、二十日午前零時すぎまでにすべて運転再開した。約二十九時間も複数の重要装置が停止し続け、福島事故の発生後、最悪のトラブルとなった。

***

ポイントは、ただ一匹のネズミによる一箇所のショートが起こっただけで九つの装置がダウンしてしまい、もっとも重要な冷却システムが一斉に止まってしまったことにあります。地震が起こったわけでもない。他の自然災害があったわけでもない。起因はネズミ一匹なのです。
この事態を前に、僕自身、「認識が甘かった」と思わざるをえませんでした。というのは僕は、起こりうる危機は、地震が引き金になるのではないかと考えてきたからです。大地震ではなくても、脆弱になっている建物の構造を考えれば、危機が訪れうるのではないかと思ってきたし、その認識自身は今も変わりません。しかしまさかねずみ一匹による配線のショートでこんな危機が訪れるとは思っていませんでした。
おそらく福島原発事故に厳しい目を向け、原発サイトの状態の悪化を懸念している多くの人々もそうなのではないでしょうか。その認識は甘かったのです。臍を噛むような思いです。

どうして福島原発はこんなに脆弱な状態に陥っているのでしょうか。分析を進めると見えてくるのは次の点です。この点も東京新聞の報道から引用します。

***

東電は重要な装置が仮設の配電盤につながっている危険性を認識していながら、後手に回った。停電の原因は仮設の配電盤で起きた異常が各設備に波及したと、東電の調査でほぼ判明。同時多発事故の恐ろしさは、東電自身が二年前に痛感したはずなのに、その教訓が十分に生かされなかった。 

この配電盤は、二〇一一年三月の事故直後の同十八日ごろに設置され、そのままトラックの荷台に置かれた状態で、ずっと使われてきた。簡易的な仕様で、文字通り仮設だった。
そんな配電盤であるにもかかわらず、つながれた装置は、3、4号機と共用プールの冷却装置など重要なものが多かった。早く専用の配電盤に交換していたら、停電事故は防げた可能性が高い。

***

ようするに、冷却システムという、私たちの国の生死に直結する最重要システムが、仮設の配電盤につながれたままになっていたこと、その状態が2年間も放置されていたことが、今回の事故の要因だったということです。その意味で、この事故を起こしたのは東電の怠慢であり、感電死したねずみは、自らの命と引き換えに、この構造的危機を私たちに教えてくれたということができます。死亡したねずみに感謝です。

大事なのはこの先です。この問題を論ずるネットなどの論調を見ていると、東電のあまりの杜撰なあり方に対する批判を多く目にします。確かにそれはそうで、「まだそんなことをやっているのか」とうんざりもしますが、しかしこの点にだけとどまっていしまうのはあまりに問題の見方が弱く、浅い。東電だけの問題にしていてはいけないのです。
問題の根本にあるのは、福島第一原発が、今なお、大変危険な状態にあることが隠し続けられていること、従ってまた、国民・住民の多くが、これを自らの危機として主体的に捉えるに至ってないこと、自分の問題として主体的に把握していないことにこそあります。東電を批判するだけで、自らが何をすべきかを問うていない、そのことにこそ危機があります。

実際、この事故の後に、ある電気関係の技術者の方とお会いした時にも、「僕らにとって今回の事故は信じられない事態です。なんで二系統の電源をつないでないのだろう。なんで一箇所の不具合でシステム全体がダウンしてしまうような愚かなことを続けているのだろう。まだそんなことをやっているのかとびっくりしました」ということが聞かれたのですが、僕は「その声を大きく出してください。危機をもっと具体的に指摘してください」とお願いしました。
僕は東電を擁護する気などまったくありませんが、東電と言うよりも、現場の方たちは、おそらく本当にいっぱいいっぱいなのです。大変な高線量にさらされ、次から次へとさまざまな不具合が発生し、対処に追われてばかりで、とてもシステム全体を見直す余裕がないのでしょう。だから同じような、技術者の常識に反するようなことが他にもたくさんあるはずです。
当たり前の話ですが、東電にだって技術者はいるだろうし、一定の技術的常識を持ってもいるでしょう。しかしそれが発揮されないほどに、現場の危機は深刻なのです。しかしそのことにまったく光が当たっていない。何度も繰り返しますが、そこにこそ私たちの危機の真相があるのです。

僕がもっとも懸念するのは、おそらく現場で大変な被曝が起こっていることです。被曝では細胞分裂の活発な箇所こそダメージを受ける。どこの箇所の被曝がより深刻だとは一概に言えませんが、例えば記憶をつかさどる脳の海馬も、新しい知識を書き込むために細胞分裂が激しく行われていて、その分、ダメージを受けやすい。こうした事態が現場の技術者を襲っているのではないでしょうか。
脳へのダメージではなく、臓器へのダメージによる体調の悪化によっても、私たちの思考力は低下します。腹痛や歯痛などで、思考が働かないことなど、日常でもよく経験することですが、高線量下での、被曝の蓄積の中での労働は、私たちの通常の感覚では捉えられないものがあるのではないでしょうか。

ところが日本政府も、東電も、事故をできるだけ小さくみせたいがために、福島原発の今が、ねずみ一匹でも危機に陥ってしまう状態にあることをひた隠しにしてしまっている。だからこそ現場の苦労が外には見えない。現場の人々は、危機が表に出るたびに「またか!」とバッシングされるばかりで、それが現場への助けにつながっていきません。
さらに政府も東電も、被曝の影響をひた隠しにしています。そのため大変な高線量の下で働かざるを得ず、心身に深刻な不具合が発生し、極度のストレスにさらされている現実までもが隠されてしまっている。そのような労働環境で、「常識的な判断ができない」ことは、ある意味で、当たり前に起こりうるのではないでしょうか。

なかなか難しいことですが、東京電力という悪辣な会社、その幹部たちと、現場で働く人々を、私たちはもっと分けて考えて、現場にとって何が必要なのかから発想していかねばならないと強く思うのです。そうしないとあの東電のことですから、社会から会社がバッシングされるや、全てを現場の誰彼のせいにするだけではないでしょうか。今回も幹部ではない技術者が、責められてはいないでしょうか。
ではどうすればいいのか。現場労働の実態にもっと社会的な監視を強め、働く人々に、現場の実態をよりよく教えてもらうこと、現場からの発話が可能になるような工夫をさまざまな面から凝らし、大変な被曝労働下で、完全に崩壊したプラントの保持のために働いている現実をリアルに私たちがつかんで世界に発信していくことです。このことが何よりも必要だと思います。
そのためぜひ訴えたいのですが、東電や現場に関わりのあるみなさんに情報提供をお願いしたいと思います。僕のブログにぜひ情報をください。労働組合のみなさんなどとも連携しながら、この作業を進めたいと思っています。そのことで現場の苦労の社会的共有化を図りたいと思うのです。

同時に、今回のことを教訓に、福島第一原発事故の深刻化、冷却システムの完全ダウンを想定した避難計画を、ぜひとも各地で立てて欲しいと思います。これ抜きに、東電の杜撰さや、「常識のなさ」をなじっているばかりではダメだと僕は思います。こんなに大きな危機が目の前にあるのです。それに対して避難の準備をしないのならば、そのこともまた「杜撰」であり、「常識のなさ」を象徴するようなものです。
東京電力はこの国の悪さのすべてを象徴するような会社ですが、しかし私たち自身は、どこまでそれから自由なのでしょうか。私たちは東電や政府に比べて、どれだけましな危機管理意識を持っているのでしょうか。ここに至ってもなお、危機管理の多くを国家や官僚、そしてあの東電の手に委ねてはいないでしょうか。
自分たちで自分たちの命を守るために立ち上がらなくてはなりません。危機への準備を進めなくてはなりません。そのために原子力災害対策・避難計画を、あらゆるレベルで構築していきましょう。そのことこそが、ねずみが教えてくれた今回の教訓から真に学び、実践すべきことだと僕には思えるのです。

以下、東京新聞の記事をご紹介しておきます。

********

福島第一停電 仮設配電盤 交換せず
東京新聞 2013年3月20日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2013032002100003.html

東京電力福島第一原発の使用済み核燃料プールなどで同時多発した停電事故で、東電は重要な装置が仮設の配電盤につながっている危険性を認識していながら、後手に回った。停電の原因は仮設の配電盤で起きた異常が各設備に波及したと、東電の調査でほぼ判明。同時多発事故の恐ろしさは、東電自身が二年前に痛感したはずなのに、その教訓が十分に生かされなかった。 (桐山純平)
東電は、問題がありそうな部分を一つ一つ点検していき、最後に可能性が残ったのが3、4号機の仮設配電盤だった。この配電盤は、二〇一一年三月の事故直後の同十八日ごろに設置され、そのままトラックの荷台に置かれた状態で、ずっと使われてきた。簡易的な仕様で、文字通り仮設だった。
そんな配電盤であるにもかかわらず、つながれた装置は、3、4号機と共用プールの冷却装置など重要なものが多かった。早く専用の配電盤に交換していたら、停電事故は防げた可能性が高い。
配電盤を製造する企業で構成する日本配電制御システム工業会によると、仮設の配電盤は取り付けるのは簡単だが、ほぼ電気を流すだけの機能しか備わっていない。
 
これに対して、どんな機器と接続するかを十分考慮して取り付けられた専用の配電盤であれば、「他の機器に不具合を波及させないよう制御も働くので、今回のような事故は起きにくい」(担当者)という。
「3、4号機は今月中に、共用プールはもう少し後に、専用の配電盤につなぎ替える準備を進めていた。結果論として、もっと早く対応しておけばということになったが…」。東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は十九日の会見で後悔の念を述べた。
事故当初は電源復旧を最優先するために仮で対応することは仕方なかったとしても、早期に配電盤を専用のものにしなかった東電の危機管理の甘さがまた露呈した。
 
◆原因不明のまま仮復旧
停電事故で止まっていた使用済み核燃料プールの冷却装置など全九装置が、二十日午前零時すぎまでに運転を再開した。停電の影響を受けた全装置の運転再開は約二十九時間ぶり。ただ、停電の原因になったとみられる3、4号機の仮設配電盤の不具合の原因は分からず、装置の電源を別の配電盤につないだだけの仮復旧となった。
東電によると止まっていた1、3、4号機の使用済み核燃料プールが十九日午後に、共用プールが二十日午前零時すぎに、それぞれ運転を再開した。今のところ、仮設配電盤の内部に目立った損傷はなく、電気関係を詳しく調べて原因を探る。
東電は、早く運転再開させることを最優先し、つなぎ直した電源ケーブルは必ずしも整然となっていない状況だという。近く配電盤を、仮設のものから専用のものに交換するのに合わせ、ケーブルも引き直すという。

福島第一原発 停電、ネズミ原因か
東京新聞 2013年3月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2013032102100003.html

東京電力福島第一原発の使用済み核燃料プールの冷却などが同時多発の停電でストップした事故で二十日、問題の仮設配電盤の内部の壁に、焦げた跡が見つかった。その近くには、感電死したネズミらしき小動物もいた。東電は、小動物が配電盤に入り込んで端子に触れ、異常な電流が流れて事故につながった可能性があるとみて、さらに詳しく調べている。
冷却装置など九つの装置が、二十日午前零時すぎまでにすべて運転再開した。約二十九時間も複数の重要装置が停止し続け、福島事故の発生後、最悪のトラブルとなった。

東電は復旧を受け、社員ら約二十五人で本格的な調査を始めた。
同日午後零時半ごろ、トラック荷台上の大きな金属箱に入った配電盤の扉を開け、内部に設置された端子などを確認したところ、箱中央付近の上部の内壁に焦げ跡があり、その下には、毛がちりちりに焦げた小動物の死骸が横たわっていた。
小動物が配電盤内に入り込み、端子に触れて感電、異常が起きた可能性が高まった。
 
仮設の配電盤は、二〇一一年三月の事故発生間もないころに設置された。応急的に用意した仮設だけに、箱の下部から3、4号機などに延びる電源ケーブルがじゃまをし、扉は密閉できない。薄いゴム状の幕をケーブルと扉の隙間に張り、雨風を防いではいるが、隙間は残る。ここから小動物が入り込んだとみられる。
一方、1号機のプール冷却装置は、3、4号機とは別の送電網、別の配電盤から電気を受ける仕組みで、本来なら影響を受けないはずだった。
しかし、仮設配電盤がつながっている送電網は、別の工事で使えない状態だったため、1号機側の送電網に一時的につながれていた。このことが事故の影響を広げた。
東電は今後、プールの冷却装置など重要な装置は独立した二つの送電網に接続し、片方でトラブルが起きても停電しないように備えるとしている。
 
◆「事故でなく事象」東電、重大事の認識欠く
東京電力は、福島第一原発で起きた停電事故のことを、発生当初から「事象」と呼び続けている。使用済み核燃料プールの冷却が二十九時間も止まるという重大事は、単なる出来事や自然現象なのだろうか。
二十日の記者会見で東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理に問うと、「『事象』か『事故』かは神学論争的な話」とした上で、「原子力の世界では、外部に放射性物質が出て、影響を与えるようなら事故だが、そうでなければ事故とは呼ばない」と言い切った。
ただ、二年前、1、3号機の原子炉建屋で水素爆発が起き、土煙とともに放射性物質をまき散らした際にも、東電も政府も「爆発的事象」と言い続けていたのも事実。
「事象」は深刻な事態を小さく見せようとする原子力関係者特有の言葉と受け止められることが多い。にもかかわらず東電がこの言葉を安易に使い続けていては、信頼を回復する日は遠い。 (加賀大介)
 

 

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明日に向けて(645)福島第一原発冷却システムダウンが意味するもの

2013年03月19日 23時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130319 23:00)

昨夜(18日)、福島第一原発で停電があり、1号機と3号機、4号機の燃料プールと、共用燃料プール(燃料棒6300本)の冷却システムがダウンしました。その後の復旧作業により、19日に1号機と4号機の一部の電源が回復し、本日20時までに3号機と4号機の残りの部分が。明日(20日)午前8時までに共用プールの電源が回復の見込みとされています。
全体の復旧の見込みが立ったことはとても良いことですが、これを書いている午後10時現在、まだ3号機と4号機の復旧は伝えられておらず、共用プールのシステムは依然ダウンしたままです。
冷却ができなくなると、やがてプールの水が高温化し、蒸発しはじめ、燃料棒が顔を出すため、再び膨大な放射能漏れが発生してしまいます。最も恐ろしいのは、そのことにより現場の労働が極めて困難になり、福島原発サイトのすべての原子炉、および共用プールへの手当ができなくなり、現場を放棄しなければならなくなる事態です。そうなったときの被害は「壊滅的」と言わざるを得ません。
現状ではまだ危機に向けた事態が進行中ですから、私たちはさしあたってのこの危機が完全に去るまで、原発への注視を継続する必要があります。そして事態が収まらずに悪化に向かう時は、広域からの避難が必要ですので、準備を進める必要があります。

また明日の朝までに運良く復旧ができたとしても、今回の事態は私たちが今、どのような危機に直面しているのかを突きつけるものとなったことをしっかりと受け止める必要があります。というのは多くの意識ある人々がこれまで、再度の大地震などによる福島原発の再度の危機化を懸念してきたと思うのですが、今回、危機はもっと容易に起こりうることが示されました。
これはそもそも福島第一原発が、人間で言えばまだまだ「瀕死」の状態で、人工心肺などをつないで、ようやく命脈を保っているようなものであることに規定されている問題です。今回報道されたテレビ映像でも、それぞれの炉の冷却システムの配電盤が、トラックに乗せられた応急のもののままで、プラントとしての安定的な体系のうちにあるものなどではまったくないことなどが映し出されています。
要するにもともとの設計の上に成り立ち、検査などを経てきたものではないわけですから、システムは極めて脆弱で、それだけに些細なことで深刻な危機に陥ってしまう構造の中にあることが、今回、突き出されたのです。

ここから学ぶべきことはなんでしょうか。第一には、今の福島原発の危機的状況への認識を再度作り出し、ここに私たちの国の持てる力を総結集することが最も問われていることを再度確認すること、それを周知徹底されることが必要だということです。
とくに現場で日夜、日本と世界の破滅を回避すべく必死で働いている人々を支える社会的ムーブメントを強める必要があります。そのためには危機を隠すことなど言語道断なのです。現場の方たちが少しでもよりよく働けるようにするためにも、危機を明らかにし、現場にもっとたくさんの光を当てなければいけない。
同時に現場の労働環境に対する市民的監視を強める必要があります。私たちには、現場を襲う地震の可能性を減らすことはできません。しかし少しでも現場を良くして、結果として一つでも補強が可能になり、災害への強さを増すことをサポートすることはできるはずです。そのためにはこれまでたくさんの労働者に、被曝労働を強制してきた「嘘つき」東電に労働管理を任せていてはいけません。

第二に、今後起こりうる原子力災害の中で、最も可能性の高いものが、福島原発事故の悪化=破局化であることを見据え、これをリアルに想定した原子力災害対策や避難計画を、作り出していくことが問われているということです。
今回の事態を考えても、たった数日のうちに、広域の、しかも膨大な数の人々がからむ避難の準備などできるものではありません。だからこそ事前に起こりうる災害を想定し、避難計画を立てておくことが大切です。
ですから、明日の朝8時に、幸運にも共用プールの冷却システムの復旧がなされたでも、私たちはそれで安堵してしまうのではなく、まずは個人のレベルで、家族のレベルで、職場や地域のレベルで、福島原発の悪化を想定した災害対策・避難計画を作っておく必要があります。
ちなみに僕はこれまで、こうしたときのために「原発災害に対する心得」をまとめてきました。昨夜から多くの方がツイッターを通じた拡散に協力してくださいました。他によるべきものがない方はこの記事を参考にされ、自らの原発災害対策を作り出してください。アドレスは以下の通りです。

明日に向けて(556)(569)(571)原発災害に対する心得 (上、中、下)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a276d3555af84468c1db19966b59cf16
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0fd8fbc4681c2a073c73e4a0f95896bf
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ed69f6466c0d72c16f70a371e599df31

さらに重ねて考えるべきこと、担うべきことは、それぞれの行政単位で福島原発サイトの悪化を想定した災害対策を検討し避難訓練を行うように、市民の側から行政への働きかけを強めることです。とくにこの点で重要なのは、原子力規制委員会から打ち出されている「原子力災害対策指針」が、福島原発サイトの悪化という最もリアルな危機を、意図的に除外したものになっている点です。
福島原発事故のときにあらわになったのは、私たちの国が、実際の原発事故に即した避難計画を持っていないことでした。なぜそうなったのか。リアルな想定をすると、原発の危険性が浮き彫りになるため、政府がリアルな避難計画の策定や訓練の実施をサボタージュしてきたからです。
同じ過ちが今も繰り返されようとしている。それが福島原発サイトの状態の悪化の意図的除外なのです。しかしこの厳然たる事実から目をそらし、リアルな事故の想定をしないことこそ、私たちの危険性=危機を何倍にもしてしまうのです。この点は以下の記事を参照して下さい。

明日に向けて(629)原子力災害をリアルに想定した備えを!備えることが危機の可能性をも減らす!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/abc19bcca35e8327c84cde569b4839a8

ともあれみなさん。まずは福島第一原発のすべての燃料プール冷却システムが完全回復するまでは緊張感を保持し、原発のウォッチを続けましょう。そして危機の拡大の停止を見届けたら、続いてあらゆるレベルでの原子力災害対策の強化に踏み込みましょう。
事故の破局化の回避のためにも、また私たちの社会の人権総体を守るためにも、福島原発サイトで働く労働者の労働条件を守りましょう。東電に現場の公開をもっと迫り、現場の見える化を図って、現場とつながっていきましょう。それを要求しましょう。
同時に、現場の苦労と連携しながら、不幸にして福島原発サイトの危機が拡大した場合の対策を幾重にも積み重ねていきましょう。それらによってこそ、私たちは危機に能動的に立ち向かい、少なくとも最も危機を低減させる人為的努力を重ねることができるのです。

以上のことを、6300本もの燃料が沈んでいるプールが、冷やすことのできない状態にあるこの夜に、共に考えていきましょう!

以下、FNNニュースを紹介しておきます。

******

停電で冷却システムダウン 福島第一原発・・・完全復旧まだ FNNニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130319-00000481-fnn-soci

福島原発冷却システム停止 1・4号機の一部電源復旧
フジテレビ系(FNN) 3月19日(火)18時52分配信

福島第1原発の停電について、1号機と4号機の冷却システムは復旧した。残りについては、20日朝までの復旧を目指すとしている。
東京電力は午後4時半すぎの会見で、「今般、こういう状況で、心配をおかけしていることは、大変申し訳なく思っております。状況を確認するために、(電源盤の)内部を見て、内部の目視点検のかぎりでは、目立った損傷は、現状見当たらない。電気的な確認など、並行して進めるべきことがあるので、ケーブルの敷設による復旧の方が早いと判断して、そちらで進めている」と語った。
福島第1原発の突然の停電から一夜。
東電は、トラックの荷台に載せた3・4号機の仮設の電源盤に、何らかの不具合がある可能性が高いことを明らかにした。
当時、事故対応にあたっている免震重要棟も一時停電したが、すぐに復旧した。
しかし、1・3・4号機の使用済み燃料プールと、6,300本余りの使用済み燃料が保管されている、共用プールの代替冷却システムが停止した。
菅官房長官は「冷却のための代替手段も対応する予定であります。全く心配のないような対策を、今講じている」と語った。
使用済み燃料プールの中で最も水温が高くなっているのは、4号機の燃料プール。
18日、午後5時の水温は25度。
しかし、19日午前10時の東電の推測値では30.5度に上昇した。
およそ90時間後、4日ほどで保安規定の上限温度である65度に達する見込みとなった。
燃料プールの冷却システムについて、東京工業大学の澤田哲生助教は「プールの水があふれた分がタンクに入ります。ここに冷却ループがありまして、ぐるぐる回している。その過程で冷やしている」と語った。
今回の停電により、燃料プールの内部では、冷却水の循環が止まり、1時間ごとに水温が0.3度ほど上昇する状態になっているという。
澤田助教は「冷やすループのポンプが止まっていて、水が動いていない。水が冷えない状況です。少しずつ温度が上がっていって、やがて蒸発し始める」と語った。
東電では、復旧に時間がかかる場合、プールの冷却システムを、問題となっているものとは別の電源盤に直接つないで、復旧させることも検討していた。
そして、午後4時半すぎ、東電は会見で「取り急ぎ、つけているというところです。そういう意味では、応急処置ですが、原因については、原因を詳細に見ていくというより、まずは復旧の方を優先して、機能復旧を優先して進めておりますので、原因調査については、これからより詳細に進めていく」と語った。
19日午後になり、1号機と4号機の一部の電源が復旧し、冷却システムが運転を再開した。
残る3号機と4号機の一部も、午後8時をめどに復旧を目指していて、共用プールの電源も、20日午前8時の復旧を予定しているという。

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明日に向けて(644)台湾でも10万人~20万人が脱原発の声を上げた!(「備忘録下」)

2013年03月18日 22時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130318 22:30)

明日に向けて(642)で、脱原発デモ備忘録上をお届けし、毎日新聞の地方紙報道をもとに、各地で行われたデモ・企画の記事を紹介しましたが、今回は台湾で行われた10万~20万人の脱原発デモの意義と、毎日新聞以外の日本各地のデモ報道についてお伝えします。
まず台湾の行動については、以下のビデオクリップをごらんください。

台湾で脱原発集会に"8万人"震災から2年を前に(13/03/09)
http://www.youtube.com/watch?v=ch1o1R-OWAU

ここでは8万人と報道されていますが、毎日新聞は10万人と、他の幾つかの報道では20万人と伝えられています。台湾はいま、第1から第3原発が稼働中で、第4原発が建設中です。今回の脱原発デモでは、とくにこの第4原発建設反対が大きな課題となりましたが、これは日本も大きく関わっていることです。
なぜならこの台北市から30キロ近郊の新北市に建設中の原発は、日立製作所と東芝が原子炉圧力容器を、三菱重工業がタービン発電機を請け負って作られており、「日の丸原発」と呼ばれているからです。原発はほぼ完成に近づいていて、現在の計画では来年、燃料棒を装てん。2015年から商業運転開始とされています。
その意味でこの日のデモは、日本の原発政策そのものへの批判のデモであったと言えます。私たち日本に住む民衆と利害を一つにした行動です。このことをきちんと認識しておきましょう。

さらに詳しく調べてみると、この第4原発、2つの炉があるのですが、1号炉の圧力容器を製造したのは、日立製作所の子会社、バブコック日立呉事業所(呉市)だということがわかりました。なんと戦艦大和の砲塔を造ったこともある旧呉海軍工廠(こうしょう)のピットを利用した工場で製作したのだそうです。ここから船で一週間かけて台湾に運ばれたのだとか。
この事業所はこれまで、中国電力島根原発1号機など15基の圧力容器を製造。これが初めての輸出だということです。台湾第4原発の2号機の圧力容器も東芝製。これは横浜から出荷されました。
僕はこれが作られたのが呉の旧海軍工廠だと聞いて、何とも言えない思いがしました。というのは、昨年、広島に講演で呼んでいただいたときに、呉市を取材してきたからです。主に、広島に原爆が投下されたときに、父が呉市まで陸軍部隊の一員として救援に赴いたことからこの場に行きたかったのですが、そこで僕はヤマトミュージアムにも訪問してきました。

戦艦大和を記念するこのミュージアム、僕の価値観とは真逆の展示がなされているだろうことは覚悟の上でしたが、実際に行ってみて、深い嘆きを感じざるを得ませんでした。というのは大和は、空母を使った航空戦が主力になりつつある情勢下にあって、「遅れて登場した巨艦重砲主義」を象徴するとされる戦艦で、「無用の長物」の象徴などとも揶揄されてきた船です。
でも僕は、戦略上「無用」だったということよりも、最後に「沖縄特攻」に使われた悲劇の船、いや、兵士の命をあまりに軽んじた旧日本軍を象徴する「無残な船」としての位置の方がはるかに大きいと思ってきました。なぜなら日本海軍は1944年秋のレイテ海戦で壊滅的な打撃を受け、ほとんど戦闘力を失っていました。不沈艦と言われた大和の同型艦(姉妹船)武蔵もこのとき轟沈してしまいました。
日本は、この軍隊と軍隊の戦争の事実上の終結を意味するレイテ海戦の敗北の後に、ただちに連合国に降伏するべきでした。そうすれば1945年3月10日の東京大空襲(死者10万人超)をはじめとする国内80都市にも及ぶ空襲も、沖縄戦も、広島・長崎原爆もなかった。降伏を引き伸ばした日本政府と、むしろそれを好都合に、戦闘というよりも、ただただ一方的な殺戮に等しい空襲を続けたアメリカ政府により、何百万という命が失われました。

その1945年過程において、大和は沖縄に迫り来る米軍に対する「特攻作戦」を強いられたのでした。なんとアメリカの航空機や艦船、潜水艦がうようよいる水域を、航空機の援護もなしに航行していって、沖縄の海岸に乗り上げ、巨砲を撃ちまくることが想定されたのでした。そのために約3000人の乗組員が特攻隊として送り出されました。
しかし、そんなこと現実的にはできようはずもない。沖縄になどたどり着けるはずもなかったのです。事実、瀬戸内から外海に出るや、すぐさまアメリカ軍に発見され、航空機による撃沈ショーのターゲットにされてしまいました。大和は、たくさんの爆弾、魚雷を受けてあっけなく沈んでしまいました。9割近い兵士の命を共にしてでした。
特攻作戦自身の非人道性も、繰り返し指摘されてきたことですが、この作戦は、その特攻にもなってはいなかったのです。ただ沈められにいくためだけの出航でした。もちろん軍部はそれを分かっていた。ではなぜそのような無謀な作戦を命じたのか。あれだけの巨艦を持ったまま敗戦を迎えた時の、国民からの批判を恐れたのが真相でした。

あまりにも理不尽な死の強制。その意味で、命を軽んじた旧日本軍の価値観の象徴なのですが、その戦艦大和を顕揚するヤマトミュージアムに、せめても僕が期待したのは、大和とともに犠牲になった兵士たちへの鎮魂の場があることでした。あまりにも気の毒な兵士たちが、丁寧に弔われていて欲しいと思ったのです。
しかしヤマトミュージアムにそのような場所はありませんでした。ごくごくわずかな情報として、隊員の名簿が掲げられたところがあり、僕はその全てに目を走らせてきましたが、そんなところはほとんどの人が見はしません。
ミュージアムがうたっているのは、大和が当時としてはいかに画期的な性能を誇る船であったのかということでした。そして「その性能は、確かに戦争ではいかされなかったのかもしれないけれども、大和を作った技術こそが、その後に受け継がれ、日本の繁栄をもたらしたのだ、だから大和を作って本当に良かったのだ」と、そうした観点が展示を貫いていたのです。

戦艦大和を作ったことのあらゆる観点からの反省も、大和が「沖縄への特攻ならぬ特攻」に使われたことへの捉え返しも、あたら無駄に死地に連れて行かれた兵士たちへの鎮魂もそこにはなかった。そこには人の命の問題がまったく介在しておらず、命を無視した巨大技術の「誇り」だけが開陳されていました。
「これは間違っている、大きく間違っている、これは何か今の大きなあやまりにつながっているに違いない。命の軽視が未だに続いている」と、そのとき直感的に思ったのですが、今回、台湾原発のことを調べていて、その大和の砲塔を作った旧海軍工廠で、原子炉圧力容器が15基も作られたと聞いて、ああ、ここにこうやってつながっていたのかと、悲しさと憤りが混ざり合ったような気持ちに襲われました。
しかもそこから作られた原子炉が、かつて日本が植民地として領有した台湾に運ばれて、今まさに稼働しようとしているのです。1945年当時、台湾からも沖縄の空に向けて、たくさんの特攻機が飛び立ったのでした。その多くが旧式の飛行機でした。そのためほとんどの特攻機は、沖縄まで到達できず、途中で待ち受けていたアメリカ軍の最新鋭戦闘機に落とされてしまいました。その特攻隊の基地にも慰安所があり、例えば韓国からさらわれたイヨンスさんがレイプをされていました・・・。

アメリカ軍が原爆を落とした広島市からわずか18キロの呉市。呉にも放射能が届き、市民が被曝しました。救援隊の父も被曝したと思われます。その呉市の旧海軍工廠で、アメリカが核戦略の維持のために推し進めてきた原発の炉が次々に作られてきた。なんということでしょうか。
あの1945年はまだ終わっていない。あのときから今日まで、戦争と巨大技術を讃え、命を軽視し、人を軽々と死地においやってきた価値観が連綿とつながっています。そのことが「日の丸原発」と言われる台湾第4原発に象徴されているのではないでしょうか。

しかしそうだとすればこうも言えます。3月9日から11日の日本国内300ヶ所以上の行動や、台湾での10万~20万人の大デモは、この戦前からつながる大きな流れを断ち切ろうとするもの、平和と命を尊重する新たな大きなうねりだということです。
そのように捉え、促進することが必要なのではないかと僕には思えます。戦争と殺戮と搾取の歴史を断ち切るために。

以下、台湾に関する記事と、日本各地の記事を列挙します!

**********

反原発:リン・チーリンさん呼びかけ台湾で10万人デモ(毎日新聞3月09日)
【台北支局】台湾北東部・新北市に建設中の原発の建設中止を求める大規模デモと集会が9日、台北市の総統府前や南部・高雄などで一斉に行われた。東京電力福島第1原発の事故で、反原発運動とは無縁だった台湾の母親や若者、芸能人も関心を高めており、デモには主催者発表で計10万人超(警察発表計約6万6400人)が参加し、過去最大規模となった。
福島の事故をきっかけに、財界有力者の夫人が「ママさん原発監督連盟」を設立。日本のドラマに出演した女優のリン・チーリンさんも発起人の一人に名を連ねた。来年に予定される新北市の原発の試運転開始を前に、運動は盛り上がりを見せており、社会的影響力の大きい女性たちが反原発を表明している。
台湾では原発は現在計6基が稼働。馬英九(ばえいきゅう)政権も運動の広がりを無視できない状況だ。馬総統は、規定に沿って40年で廃炉にし「徐々に脱原発へと移行する」としたエネルギー政策を打ち出している。

台湾で原発の建設反対のデモ(NHKNEWSWEB3月9日)
東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、原発の安全性に対する不安が高まっている台湾で、建設中の原発の工事の中止を求める大規模なデモが行われました。
台湾では、台北近郊の新北市で2基の原子炉を備えた第4原発の建設が進められていますが、工事のトラブルが相次いでいるうえ、福島での事故を受けて、安全性に対する不安が住民の間で高まっています。
デモは、東日本大震災から2年となるのを前に9日、台北や高雄など4か所で行われ、このうち、台北では警察の発表でおよそ5万人が総統府の前からデモ行進をしました。
参加者たちは「危険な原発は拒絶しよう」などとシュプレヒコールを上げて、第4原発の建設の中止などを訴えました。
参加者の一人は「日本でも福島のような原発事故が起きてしまうのに台湾では突発的な事故に対処できない」と話していました。
第4原発は1999年に建設が始まり、日本のメーカーが原子炉などの主要部分を受注したことから「日の丸原発」とも呼ばれていますが、台湾の与野党の政治的な対立なども影響し、当初の予定より10年以上完成が遅れています。
こうしたなか、建設を継続する立場の台湾当局は、住民投票によって建設の是非を問う方針を打ち出していて、今後の展開が注目されています。

台北で主婦ら5万人「日の丸原発」反対デモ(nikkansports.com3月9日)
台湾の主婦ら約200人が結成した「原発監視ママ連盟」の呼び掛けで、台北近郊の「第4原発」の建設中止などを訴える脱原発デモが9日、台北市中心部で行われ、約5万人(警察発表)が参加した。デモは台湾中南部や東部でも行われた。
同連盟は「子どもたちの未来を守ろう」と、4人の子どもを持つ大手金融機関トップの夫人、陳藹玲さん(51)が中心となって結成。人気女優リン・チーリンさんが加入したほか、著名な作家や歌手らも支持を表明し、脱原発の訴えが社会に広がりを見せている。
総統府の周囲を約6キロ行進したデモ隊には、赤ん坊を抱いた母親など女性の姿が多く見られたほか、大学生などの若者も目立ち、「原発に反対し、子どもたちを守ろう」などとシュプレヒコールを上げた。
第4原発は台北市から約30キロの近郊に建設中で、日立製作所と東芝が原子炉圧力容器を、三菱重工業がタービン発電機を供給し、「日の丸原発」とも呼ばれる。現在の計画では来年、燃料棒を装填(そうてん)し、2015年から商業運転に入る。
だが、ずさんな工事のため、通電テストで電気回路がショートして制御室の照明が落ちるなど2000件以上の問題が起きており、安全性への懸念が出ている。有力テレビTVBSの3月上旬の世論調査によると、68%の住民が同原発の建設中止を求めている。(共同)

原子力を問う 台湾「日の丸原発」第1号
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/nuclearpower/asia_africa/040111_01.html


**********

山形でデモ行進 脱原発を訴える(朝日新聞3月11日)
脱原発を訴える「幸せの脱原発ウオーキング」が10日、山形市中心街であった。東日本大震災から2年に合わせ、毎月第3日曜日の日曜ウオーキングを1週繰り上げておこなった。
約30人が参加し、十日町~七日町の大通りを「原発反対」「子どもを守れ」と訴えながら練り歩いた。大震災当時、娘と長男の嫁が妊娠中だったという市内の会社役員、長沢英子さん(59)は「怖くて娘たちを外に出せず、日本は安心して子どもも産めない国になったのかと情けなくなった」。市内の団体職員、山野和子さん(65)は「国のエネルギー政策を変えさせるのは簡単なことではないかもしれない。それでもあきらめず、声をあげていく」と話した。

脱原発パレードに300人 市川(東京新聞3月11日)
市川市であった脱原発を訴えるデモ「3・11さよなら原発市川パレード」には約三百人が参加し、仮装したり、プラカードを手に商店街を行進した。
脱原発や被災地の復興支援に取り組む市民団体が主催。参加者は同市大洲の「大洲防災公園」からJR本八幡駅までの約三キロを「原発反対」と声を出しながら練り歩いた=写真。
福島県出身という保育士水野聖子さん(31)=同市=は「地元には原発で苦しんでいる友だちがいる。忘れないようにできるだけ声を上げていきたい」と話した。 (佐々木香理)

東日本大震災から2年 さよなら原発 県内各地パレード(東京新聞3月11日)
東京電力福島第一原発事故から二年を迎えるのを前に、十日、県内各地で脱原発を主張するデモ行進があった。
横浜市鶴見区では、地元有志でつくる実行委員会主催の「考えよう原発鶴見区パレード」があり、二百人が参加。「原発反対」「今すぐ廃炉」と声を上げながら区役所、JR鶴見駅などを巡った。
参加団体の一つ、原発をなくす鶴見の会・準備会の加藤光義事務局長(57)は、「原発に賛成の人もよく分からない人も、一緒に考えないと未来が見えてこない」と、立場を超えた国民的議論の必要性を訴える。
大和市の小田急・相鉄大和駅周辺では「さよなら原発 大和パレード~未来のためにパパママ歩こうよ~」があり、地元の住民や同市に避難している被災者ら約二百七十人が脱原発を訴えた。
参加者たちは「大事なのは子どもたちの未来」などと歌いながら約一時間半歩いた。子どもたちも「バイバイ原発」など書かれた横断幕を手に歩いた。
座間市では「原発ゼロをめざす座間市民の会」が主催する行進があり、子ども連れの女性を含む約百三十人が小田急座間駅周辺を歩いた。同会の中沢邦雄さん(70)は「使用済み核燃料の処理法が定まらない中で、原発再稼働を議論するのは無責任」と指摘した。(志村彰太、佐久間光紀、加藤木信夫)

「脱原発」県内各地で行進 長野500人松本1000人参加(信濃毎日新聞3月11日)
東日本大震災による東京電力福島第1原発事故が発生して11日で2年となるのを前に、県内各地で10日、市民団体などが原発のない社会の実現を訴えて、街頭でデモ行進をしたり、講演会を開いたりした。参加者らは脱原発などを訴えるプラカードなどを掲げ、通行人らにアピールしていた。
長野市の中心市街地では、脱原発を考える県内の市民団体などでつくる実行委員会が、原発のない社会の実現などを訴えてデモ行進した。約500人が集まり、「原発いらない」「今すぐ止めよう」と通行人にアピールした。
参加者は「原発なしの未来へ」などと書かれたプラカードや横断幕を手にしながら、JR長野駅善光寺口周辺を約40分かけて行進。1歳7カ月の次男と参加した同市上ケ屋の主婦、バグショウ恭子さん(42)は「原発による汚染の心配がない未来を子どもに残すため、できる限り行動したい」と話した。
同市では、市民団体「原発に頼らない未来を創(つく)ろうプロジェクト」などが毎週金曜日、長野駅周辺で原発反対行動を開催。同団体代表で、デモ行進実行委の共同代表でもある田沢洋子さん(57)=長野市鶴賀=は「食べ物の安全性への関心も薄れているが、放射能の影響が消えたわけではない。これからも行動は続けたい」と話した。
松本市中心部では、脱原発を目指す中信地方の住民グループや労働団体などでつくる「脱原発信州ネットワーク・松本」が呼び掛けたデモ行進があり、約千人が参加。行進前には、松本城公園で集会を開き、「いのちを大切に ふるさとの空を・大地を・水を大切にと声をあげ続けていきましょう」と集会宣言。その後、「原発なくてもええじゃないか」と声を上げたり、「経済より未来の日本のために原発を棄(す)てよう」と書いたプラカードを掲げたりしながら松本駅前まで歩いた。
福島市出身で松本市の自営業遠藤真哉さん(37)は「原発事故で故郷に帰るに帰れないという友人もいる。いま脱原発の声を上げないといけない」。大町市の農業吉岡博子さん(62)は「原発事故はまだ解決していない。問題への関心が薄れないよう、声を上げ続けたい」と話していた。
このほか、諏訪郡下諏訪町では、諏訪地方の有志でつくる「脱原発すわ連絡会」が脱原発を訴える街頭活動や講演会を開催。同郡富士見町でも住民有志でつくる「原発問題富士見町連絡会」の会員10人が脱原発を街頭で訴えた。
伊那市の中心市街地では、上伊那地方の有志でつくる「さよなら原発上伊那の会」が呼び掛けたデモ行進があった。飯田下伊那地方では、有志による「脱原発・自然エネルギーへの転換を求める飯伊地域連絡会」が、飯田市内で脱原発を訴えて行進し、約150人が参加。大町市でも「震災復興 原発ゼロ3・10行動in大北」(実行委員会主催)が開かれ、約120人がJR信濃大町駅前の集会や市中心街約2キロのデモ行進に参加した。

脱原発訴え、市民らが小田原駅周辺などパレード/神奈川(カナロコ3月11日)
小田原駅周辺で10日、脱原発を訴えるパレードが行われた。市民による実行委員会が企画、約250人が参加した。
参加者は「原発いらない」「子どもたちを守れ」など思いを書いた手作りのプラカードを掲げながら約1時間、駅前の商店街などを歩いた。
家族連れの参加も多く、市内の女性(72)は「意思表明することが大切と思う」、湯河原の女性(42)は「自分のできることをしたい」とそれぞれ感想を語った。
市内のパレードは1年前に続いて2度目。福島など被災地の現状を追ったドキュメンタリーの無料上映会も開催された。
県内では横浜や大和などでもパレードが行われた。

「脱原発」訴え集会 熊本市 キャンドルウォークも(西日本新聞3月11日)
東日本大震災と福島第1原発事故から2年を前に10日、脱原発を訴える「3・11さよなら原発くまもと集会」が熊本市中央区の辛島公園であり、多くの市民が参加した。
県内で活動するミュージシャンらが脱原発を題材にした歌などを披露。参加者たちは、手拍子でリズムを取りながら聞き入ったり、一緒に歌うなどして楽しんだ。
日没前、参加者たちは「脱原発」「福島を忘れない」などと書いた紙コップの中にろうそくをともし、同公園から中心繁華街までデモ行進。「上を向いて歩こう」などを歌いながら商店街を練り歩き、脱原発を訴えた。

震災から2年控え集会 参加者が脱原発訴える(日本海新聞3月11日)
東日本大震災から丸2年を前に、原発再稼働反対やエネルギー政策の転換を求める集会が10日、鳥取県の米子市文化ホール前広場であった。中国電力島根原発(島根県松江市鹿島町)の廃炉を目指そうと、参加者が脱原発への思いをリレー形式で語った。
「山陰放射能汚染を考える会」「さよなら島根原発ネットワーク」など約10団体のメンバー有志でつくる実行委員会が企画した。
リレートークは10人が参加。福島第1原発事故をめぐる政府や東京電力の対応が後手に回ったことを批判し、島根原発について「共存できない」などと気勢を上げた。
このうち山本喜一さん(68)=米子市橋本=は太陽光や風力、バイオマスといった自然エネルギーの推進を呼び掛け、小椋あけみさん(39)=境港市幸神町=は「子どもたちに命を守る大切さを伝えるのが私たちの使命だ」と訴えた。
会場では、放射能汚染や震災がれきの実態を伝える新聞記事や資料の展示があり、訪れた親子連れらが足を止めてじっくりと見入っていた。

「原発いらねえ!」 高知市で800人デモ(高知新聞3月11日)
東日本大震災から2年を前にした10日、高知市で脱原発を訴える集会「3・11を忘れない!原発ゼロ大行進」が行われた。約800人(主催者発表)が参加し、脱原発の思いを歌に乗せ、市中心部を行進した。

作家ら「経済より命」脱原発訴え 都内で講演会、会場は満席(東京新聞3月11日)
東電福島第1原発事故を受け、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発1000万人署名」運動に取り組む団体が11日、都内で「つながろうフクシマ!さようなら原発講演会」を開いた。
ルポライターの鎌田慧さんは「安倍政権は経済だけを言っているが、経済より命だと世界に向かって示したい」と訴えた。
署名活動の呼び掛け人の音楽家坂本龍一さんや作家の沢地久枝さんも参加。
経済評論家の内橋克人さんは「多くの人が脱原発を叫んだのに、なかったことにされようとしている」と話し、原発事故に遭った人々を忘れてはならないと呼び掛けた。
約千人を収容する会場は満席となった。

 

コメント
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明日に向けて(643)【再掲】愛しい君へ("Kakusei"・・・A Film by Dionより)

2013年03月15日 07時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130315 07:30)

今日はこれから姫路に向かいます。「避難者がつくる公聴会in姫路」に参加し、避難者の方たちのお話を聞くためです。これまであちこちで、避難されてきた方たちのお話を聞いてきましたが、僕はその一つ一つが、脱原発の原点だと思います。今日もあらためてそれをつかみ、自分の中に刻んできます!その後、高砂市に移動して、市の職員組合の方たちに講演させていただきます。

少し前に、この私たちの大事な原点である避難をめぐる葛藤について、ニューヨークからやってきた若者が、素晴らしいfilmを作ってくれたことを紹介しました。シンガポール人で映像を学んでいるDion Tan君の作品、"Kakusei"です。
もちろん、日本語の「覚醒」からとったタイトルです。原発事故による日本人、ないし日本に住む私たちの覚醒を撮りたいというのが彼の思いだったのですが、海外からやってきて、よくぞこの問題にここまで肉薄したと、本当に驚かされる作品でした。鋭く柔軟な彼の感性に脱帽し、感謝するばかりです。

このfilmの中に、ICHIYO IKEZAKIという、流暢な英語を話される方がでてきます。僕には十分に聞き取れない部分があったので、英語の堪能な友人に翻訳を頼んでいたところ、ネットでこの映像を拾い、感動してくださったアメリカ東海岸に住む「まうみ」さんという方が、この英語部分の和訳を含め、全文の書き起こしをしてくださいました!
もの凄くありがたい。まうみさん、本当に感謝感激です。これを作品中に出てくるABEさん、HIKARU君、MURAKAMIさん、そしてDION君にも贈ろうとおもいます。とくにDION君には重要なデータになると思います。
実はこの作品、Pre-Screenerとあるように、まだ未完成なのだそうです。6月までに60分ものの完全版の作成を目指しているのだとか。その作業にもこれが役に立つのではと思います。

ぜひみなさんにも、このスプリクトも参照しながら、このfilmを観ていただきたくて、またできるだけ多くの方に広めていただきたくて、全文を掲載させていただくことにしました。なお作品中の僕の日本語は少し変なので、修正を加えさせていただいてあります。
ABEさん、HIKARU君、IKEZAKIさんの思いを、シェアしてください。とくに以下のHIKARU君のラストのメッセージを、心に刻んでください。

「どうか私たちを、この福島県の子どもたちを助けてほしい。今の日本は、どう見ても明らかに異常。このままでは、私たち県民は、見殺しにされてしまう。どうか、福島県に力を貸してください。」

*******

"KAKUSEI: The Fukushima End " Pre-Screener
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=AQydg6d05kU

ウインザー通信掲載の全文書き起こし
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/7b88c414a2c48c4ed01ad4d77a87bc47


相馬、福島
 
愛しい君へ
さすがに、電話でのやりとりは、厳しさが募る毎日。
あたしは、朝目が覚めると同時に、夜眠りにつくその瞬間まで、君を想う。
まるで、体が千切られそうになるほど辛い。
君がここに居ないことが、痛いほど辛い。
何ヵ月も毎日毎日、顔を合わせるたびに、相馬を出る出ないで、口論していた君。
どうしてわからないのかがわからなかったあたし。
「俺の命だ、俺の自由だ」と、頑なに拒んでいた君。
それが、15才という若さの、今が何よりも一番楽しい時間で、
きっと君は外を歩くたびに、自殺している気分なんだって。
あたしが君の弟を連れて相馬を出たのは、
あたしが泣きながら君を説得する姿を見た君の弟が、夜布団の中で、
「あきらめてもいいよ」、と言ったから。
「僕、兄ちゃんのためなら、ガンになって死んでもいいよ、あきらめたよ」
9才の君の弟は、そう言ってあたしに笑った。
もう時間が無いと判断したあたし。
君の弟は、恐い話を散々聞いて逃げていたから、外に怯えてた。
ふたりのうちのどちらかを選ぶなんて、絶対にできないと、何度も何度も泣いたあたし。
何千回ため息をつき、何百回涙を流したことか。
今でもそう、君を想うと、涙が出る。
君を置いてきたこと、一生後悔する。
あたしは一生後悔する。
あたしは君の、世界でたったひとりの母だから。
君はあたしの、世界でたったひとりの君だから。
でも、あたしはそれでも、なにがなんでも君に助かってほしい。
君の命は、君が今、自分が思っているほど軽くはないのだから。
あたしにとって、家族にとって、世界でたったひとりの、君の弟にとってもね。
あたしはあきらめない。
絶対にあきらめない。
君の命をあきらめない。
 

KAKUSEI "The Fukushima End" 覚醒
 
秋田市(福島第一原子力発電所から北260キロメートル)
 
TOMOMI ABE(福島からの避難者):
3.11と、地元で、あの時となにが変わったかというと、なんにも変わってないんですね。
復興復興で、アパートはバンバン建って、建設会社がいっぱい入ってきて、港がきれいになって、
町の景色は変わったけど、放射能はなにも変わってない。
 
これは、アルファ線とベータ線とガンマ線と、三つ測れるよっていうガイガーで、それで、地表面を測って歩きました。
地表面は高い……すごく高い。
うちの駐車場……23.02マイクロシーベルト/時間……恐い……すごい恐い。
見えないから余計に恐い。
どこにあるかわからない。
 
避難して、環境中の放射能は、相馬に居る時よりは低いから、子供にはいいかもしれない。
でも……、
今まで家族で暮らしてたのが、急にふたりで、アパート暮らししたこともないのに、ふたりで生活してるから、
子供も寂しいし、うーん、でもそれよりも、なによりも、息子の体が心配、とにかく心配。
 
あたしが一番好きな写真です。
仲良かったから……兄弟……今はバラバラだけど……こうやって、幸せに過ごしてた……。
ふたりともわたしの宝だから。
 
あたしと同じこと言います。
「別の世界に暮らしてるみたいだ」
ほんとに、子どもらしいところが無くなってしまった。
でも、現実見てますね、すごく。
 
なにひとつ、変わってないんです、あたしの中では。
もっともっと悪くなってる……としか思えない。
 

相馬(福島第一原子力発電所から北40キロメートル)
 
HIKARU ABE(TOMOMIの息子):
事故の後1年半、この相馬市に居て、食品においては、福島県という地元民ですら、買いたくなくなる、食べたくなくなる、というのが現状で、
口に入ろうとしている物は、本当に安全なのか……。
母と弟が北に行って、私たちが相馬市に残っているということは、多分それは間違いではないと思う。
やっぱりどうしても弟は小さくて、放射能の被害を一番受ける身であるし、
今本当に心配しているのは、家族、友だち、恋人が、十年後二十年後、自分たちに例えばガンが発症したり、
自分たちの次の世代、子どもや孫に、どんな影響があるのかっていうのがまだわかってないから、
そういうことを考えると……恐い。
 
2012年、8万人以上の福島の子どもたちが、甲状腺検診を受けた結果、
40%の子どもに、異常な腫瘍が発見された。
今現在も、26万人以上の子どもたちが、福島に留まっている。
 
TOMOMI ABE:
ここの生活に慣れようと、ここの人たちに慣れようとか、いろいろ努力はしてますけど……そういうんじゃないんですよね。
 

秋田『放射能勉強会』の講師:
福島市の東ですよね、こうした値の多くが、チェルノブイリで人の住んでいない地域の値で、
1480キロベクレル/㎡となると、exclusion zone(立ち入り禁止区域)というんでしょうか……。
 
TOMOMI ABE:
秋田も、1500人ぐらい、避難してきてますね。
ほとんどが自主避難。自主避難って呼ばれる、20キロ、30キロの線引きの外側の人たちが多いです。
みんな戻りたい。
 
勉強会に参加した女性:
早めからこう、いろいろ情報をオンラインで調べて、幼稚園でも危険性については、自分でできるだけの範囲では、ママ友というか、おかあさん達とも話をしてきたんですけど、
でも、残ってる人たちが、まだいっぱいいるんですね。
やっぱり、何の肩書きも無いただのおかあさんが言ったことには限界があって、だから、なんというか、簡単じゃないっていうか、簡単に移住なんかできないし、
福島はもう住めない、みたいなことやっぱり、言われると、どうしようもないんですよね。
じゃあどうしたらいいのか、誰か教えてくださいっていう……。
 

秋田大学
 
AKIRA MURAKAMI(メディア・リテラシー科教授/活動家):
昨日、秋田に避難している方々にお会いしましたけれども、あらためて確認してしまったことは、
多くの方が、戻りたい、という気持ちを強くしていることです。
受け入れ体制が、避難した先で十分ではない。
もと居た町は、帰ってこい、帰ってこいと言う。
ですけれども、一度逃げてきた、秋田に逃げてきた方々は、放射能の危険というもの、チェルノブイリで何が起こったかということを、十分知ってらっしゃるんです。
ですから、頭の中、心の中の、葛藤と言いましょうか、ジレンマは、想像を絶するものがあると思います。
 
4月から、頼まれた講演をするようにして、内部被ばくの危険性を話しています。多くの講演依頼は、子どもの健康を心配するおかあさん方からのものでした。
内部被ばくというものを初めて知ったけれども、実際どのような危険があるのかというような情報を求められました。
 
福島県その他、高度汚染地域から、野菜や魚がずらーっと並んでますよ。
テレビを観ると、たしかにそういう番組やコマーシャルがあって、みんな美味しそうに食べていますけれども、
福島県、特に浜通りの汚染は、チェルノブイリ以上、また東京でも、ミンスクやキエフと同じかそれ以上となっていますから、
東日本の野菜というのは、福島だけではなくても、かなり危険ですよね。
宣伝があるから、政府の言うことを聞いて、マスコミの言うことを聞いて、危険なものを真っ先に食べている人もいます。
また、食べ物というのは非常に重要で、放射能の影響を真っ先に受けるのは小ちゃい子どもですから。
人の命が一番大切。
 

[震災と津波の一年後、東日本産の食品は、放射性セシウムの有無を調べている。400種類以上のものが、安全値を超えてしまっている]
 

京都市(福島第一原子力発電所から西500キロメートル)
 
TOSHIYA MORITA・守田敏也(ジャーナリスト):
去年の3月11日の事故の後に、日本政府は人々を逃がしてくれないだろう、原発の危険性を絶対明らかにしないだろうというふうに考えました。
問題は、放射線の人間に対する危険性というものが、どのようなにあるかということでした。
当初私は、そのことは専門家たちが出てきて、次々と発言してくれると思っていました。
ところが呆然としたのは、放射線のことを知っている人たちのほとんどが、口を噤んでしまったことです。
今だとよく分かります。
政府を恐れて言わなかったのです。

内部被ばくと外部被ばくの当たり方の違いを全く無視しているのが、今の国際放射線防護委員会、ICRPなどが唱えていることです。
日本政府もこれを基準にしています。
放射線に対する専門家はほとんど何も言わずに、ごくわずかに、政府の側に非常に強く立ってる放射線の専門家が、
こんな放射線は危なくないと、そのことを言い続けました。
そのために私は、私たち自身が放射線の危険性を解明して、自らその危険性をつかんでいくしかないということを悟りました。
 
これは、物理学者の矢ケ崎克馬さんとの共著です。
こちら側が実際の内部被ばくです。内部被ばくでアルファ線に当たる場合、10万個の分子切断が0.04ミリの中に、集中的に起こります。
現実に起こっている内部被ばくはここです。ここで集中的に行われる。
ところがそれをICRPは、この臓器全体、この中で、まあだいたいこれはもう数センチから10センチぐらいになるわけですけども、ここ(大きな円を指して)で起こることに変えてしまいます。
なので、この場合だったら修復も可能になる。実際の被ばくは集中的に行われるので、修復が可能な被ばくではない。
 
多くの人は、それで安全だと思っているのかというと、様々な健康への不安、様々な動揺を隠しながら生きています。
それが悲しい、私たちの国の現状です。
 

千葉県柏市(福島第一原子力発電所から南に95キロメートル)
 
ICHIYO IKEZAKI(ふたりの子供の母親):
原発の事故はどうだったんだっけ?
そんなことわたしにわかるわけないというか……。
ごめんなさい、その時のことをどう言ったらいいのか、もちろん知ってはいるんですけど、情報は少しずつしか与えてもらえないし……、
聞いた時は、もちろん津波のことはもちろんのことですけど、原子力発電所に問題が起きた、それを聞いてわたしたちは、ああ、それは良く無いなと思いました。
でも、彼らは、情報をチョイ出しするだけで、はっきりとした言葉、例えば、極めて危険、みたいな警告の言葉は言いませんでした。
でもその事故の1週間後の、その日は雨だったんですけど、そしてその、関東地方に降った雨には、多量の放射性物質が混ざっていたのですが、
週末のその日、今でもはっきりと覚えています、わたしは息子と娘を、わたしの両親の家に連れて行ったんです。
いつもなら、自転車に乗って行くんですが、その日は雨が降っていたので歩いて行ったのです。
その雨の中を。
それで、その雨は、大量の放射性物質で汚染されていたのですが、わたしはそのことを全く知りませんでした。
誰ひとり知らなかった。
その雨が止んだ後、政府は、東京をはじめとする私たちの地域の水が、汚染されているので飲んではいけない、と言い出しました。
それで初めてわたしたちは、そうか、あの雨は汚染されていたのだと理解したのです。
そうやってわたしは、わたしたちは、現実に何が起こっているのか、少しずつ理解してきたのです。
放射能汚染の予報なんて、できるわけないでしょう?
それって、天気のようなもので……人災なんですけれども、でもやはり、天気のように、コントロールなどできないものでしょう?
だから、仮にわたしたちが、誰か、政府や東電を訴えたとしても、どうなるものでもない、コントロール不能にはかわりがないと。

現状は、例えば、そんなに悪くないんじゃないんですか?
柏はホットスポットって言われましたけども、多分、この場所は他に比べて多少高めかもしれませんけど、去年とかは、
まあ、たまに数回かは、ニュースとかで、ホットスポットが見つかった、なんて言ってますけれど、
でもそれって、必ずしも今回の事故が原因なのではなくて、何か他の理由であったり、
例えば、もともとからその場所に、事故以前に、何らかの放射能汚染が存在してたかもしれない。
わたしたちは知りませんよ、だって、測ったことなんて無いんですから。
科学者でもないし、そんな趣味だってない。
でも、今だに、テレビのニュースなんかは、ホットスポットを見つけた!って。それがトップニュースになって。
そういうのを聞くと、やっぱり危険なの?って、思い出したりするけれど、今はあまり聞かなくなりました。
なので、地震や原発事故の問題などは、だんだんこう、忘れてきています。
そして普段の生活に戻りました。
普通の生活っていうものは、わたしの普通の生活だと、朝起きて、会社に行って、同じ時間に帰ってくる。
すごくこう、平凡な生活なわけですけど、だから例えば地震があっても、放射能のことがあっても、その基本的なスタンスっていうのは、ある意味崩せないものであって、
わたしにとっては、そのベーシックスタンスっていうのがまずあって、その上に地震が乗っかってきて、
だから多分、ものすごいストレスがかかってくるかもしれません。
いつもの生活がある上に、他の事を心配しなければならない……きっとわたしのエネルギーや時間を費やす事になる。
だから例えばそこで、テレビであんまりニュースを聞かなくなる、もしくはあんまり人との間で話さなくなる、地震があまり起きなくなる、
となると、そういうストレスっていうか、そういう心配事っていうのがだんだん軽減してきて、
そのだから、基本的な生活っていうのはやっぱり、無くならないものなんじゃないんですか?
 
幼稚園児の母親:
うちの兄の嫁の姉、ほんとに気にしちゃって、まず最初に、プチ体験とか言って、北海道に子供と共に引っ越しってかなんか、短期間、
でやっぱそういう人達が集まるみたいで、生活して、で結局、自分たちでできるみたいって思ったみたいで、
で結構その、放射能、やっぱり茨城県も災害地域になってるから、引っ越しするにあたって、家賃とかタダの市区町村って結構あるみたいなのね。
その、使ってないアパートとかを、で、そこ、京都に引っ越しちゃってる今。
  
ICHIYO IKEZAKI:
柏市の基準ていくつなの?

女性:
除染の対象が0.23(μSv/h)で、でも、他の市は、0.4とか0.3とか、流山とか、もうちょっと高い基準の市もあって、市川とかも0.23で。
だけどそれを、別に個人の家を除染するわけじゃないから、だからまあ、それぐらいだったら大丈夫って柏市の人は言ってましたよって。
 
ICHIYO IKEZAKI:
放射能っていうのは恐ろしいっていうイメージ、死につながるものだっていうことのイメージ、原爆とかそういう、チェルノブイリだとか、そういうイメージってのがすごい強いって思うんですよ。
だからその、地震や事故の直後っていうのはその、なんていうか、インパクト、精神的なインパクトとか、その恐怖感ってのはすごい強いと思うんですよ。
で、それからみんな少しずつ、こう、情報が入ってきて、勉強したり、それと同時にこう、放射線量自体も下がっていって、
で、除染も進んで、で両方のラインがこう、みんなの恐怖感とか、あと実際の線量も下がってきて、
でこう、だんだん今のポイントになってくると、まあそんなに心配しなくても大丈夫だよね、みたいなところに落ち着いているんじゃないんですか?
 

[千葉県の放射能汚染値は、0.2~0.4マイクロシーベルト/時
米国エネルギー省の報告によると、放射性物質による健康被害にしきい値はなく、低線量被ばくでも危険が伴うとされている]
 
HIKARU ABE:
ここにある黒い砂に含まれているのは、おそらく大量の放射性物質が……。(ガイガーカウンターでは13.28の数字が表示されている)
で、このような黒い砂がたまっているポイントが、この町中、市内のあちこちにある。
 
TAKASHI ABE(HIKARUの祖父):
今日初めてこの数値見たけれども、ものすごいね、HIKARUは前、見てんだな?
前見たのはどのくらいだった?
 
HIKARU ABE:
前は、もうちょっとあっち側、手前の方測って、7.3前後。
 
本当は、原発災害というものが無ければ、私たちは離れる必要は無かった。
やっぱり、どうしてもここの地域の汚染は、とてもじゃないけど人が住んでていいような数値じゃない。
でも、やっぱり私には、ここに居る大切な人達を、置いていくことができないんです。
 
これは、この公園、市内各地の公園や公共施設にあるんですけど、放射能のモニタリングポストです。
 
TAJASHI ABE:
大きな差は無いようですけどね、モニタリングポストと。
ただ、こう、地上では非常に高い所がある。
家族ですから、家族一緒に暮らしたい、のが、わたしの本音です。
でも、今、やはり、健康でいないと、秋田に行ったね、娘たち、後はここに残っている孫、子や孫が心配無いんだというふうになれば、自分はどうなってもかまわないと思いますけどね。
そういうことを考えると、やっぱり健康でいないと。
 
HIKARU ABE:
今、生まれ育ったこの家、地域を離れるっていうのは、本当に寂しいことだと思うし、簡単に今ある生活を、失うわけにはいかないですね。
 
こちらは自宅の隣の駐車場ですが(2.128)、先ほどの駐車場ほどではありませんが、まあそれでも、この2.2という数値は高いので、
そうですねやはり、このようなスポットが、この相馬市内にいくつか、まあ至る所にホットスポットとして点在してるわけなので、
それでもやはり現状は変わらず、1年と5ヵ月前から、何一つこの放射能の除染というのは変わらず、むしろ逆に、毎日ひどくなっていくばかりで、
で、このような数値の所に、我々相馬市民は、何も知らずに暮らしています。
 
どうしても、人間って弱い生き物なので、誰かに支えてもらわなきゃいけなかったり、誰かと一緒じゃないと居られない。
まあもちろん、わたしもそうなんです。
でも、この地域から出ようとしないので、できるんだったらもう、みんな連れて、秋田でも東京でもどこでもいい、避難したいんですけど、
もうそれができないのが、現実……。
 
まあ、話してもまだわからないっていう人が多いですし、一日でも早く、この問題が解決してくれれば、また元通り家族みんなで一緒に住めるのに。
たくさんの辛い思いをしてきて、それはほんとに、まあここの、この地に住んでいる人達、みな変わらないと思うので。
独りで闘っているようにしか思えないです。
たった独りで……寂しいですねやっぱり。
もっとみんな一緒になって騒げば、なにかしらにはなるのでしょうけども、
早く終らせなければならないと同時に、また、未来に、このあったことを残していかないといけない。
そういうこともあって、今ほんとにみんな、苦労している時期なんだと思う。
辛いのは自分だけじゃなくて、みんな同じで。
 
 
北海道 瀬棚(福島第一原子力発電所から北600キロメートル)
 
AKEMI KOBAYASHI(内科医):
今までの法治国家の日本は、こういう法律に基づいて、放射能を扱う人を限定して、扱う場所も限定して、処理する場所まで限定してやってきたのに、
今はこういう状況だよってことを、お知らせするための勉強に、わたしはあの、招いていただいたんですけれども、
その時の、講演が終った直後のみなさんの表情は、ほんとに、あの、ま、目からウロコが落ちるというか、そういうもの以上に、もうほんとにびっくりして、なにをしゃべってんだろうって感じで、聞いてらっしゃって、
一つ目の質問が、あのー、何を質問していいのかわかりませんと。
私たちの手元にある資料を、私たちはある程度読んで、この勉強会に参加しましたが、ま、わたし(小林氏)の言っていることが、手元にある資料と180度違っていて、なんともコメントができないっていうふうに、質問されました。
 
AKIRA MURAKAMI:
もし、チェルノブイリと同じ規模で、しかも人口密度が高いとすれば、相当数の方がご病気になると、いう事態ですけれども、
こうした、社会全体が直視しなきゃいけない問題というのは、今先生がふれられたような、自分の生、自分の人生が、もはや自分のものじゃないという、ひとつの文明の誤った在り方に対しても、警鐘あるいは、再出発、軌道修正みたいなものを促しているものと。
 
Dr. AKEMI KOBAYASHI:
そうですね、まずですね、生命体として地球上にしっかり二本足で立って欲しい、立ちたいと、そういう願いを持って欲しいなって思うんですね。
その、人から与えられた価値観とか、人から与えられた物で生きるんではなく、自分の足で立って、自分の足で歩き、その中で自分で考えて、自分で選択をしていれば、必ずいい結果が出るんじゃないかなと。
結局、原発事故を起こした日本、その後に、どういうエネルギー政策をとるのかとか、どういう暮らしの規模にするのかとか、
どういう事に重きを置いて、人生の豊かさを求めていくのかとか、いろんな事が、まああの、選択肢が見えてくるんじゃないのかなと思います。
それからまあ、もちろん、いろんな情報をやっぱり周囲にどんどん伝えていかなきゃいけないと思いますから、
いろんな情報を得るための、情報収集の時間というは、やっぱり不可欠になってますし、そういう時はやはりものすごく、落ち込みます。
絶望の中に落ちることもあります。
もう、未来が真っ暗なような気持ちになりますし、わたしたちが今ここで、患者さんのために被ばくをこう、最小限にする努力って、いったいなんなんだろうっていうふうに思うことだってありますし。
 
AKIRA MURAKAMI:
日本人が、みんな目覚めて、社会全体が事態の改善に向かっていくかというと、今の段階では、楽観的にはなれません。
何かしていかなければ、ますます悪くなっていく。
だったら、知ってるわけです。知ってる人間は、他の人に伝える義務がありますよね。
放射能が、日一日と、多くの子どもの体の中にたまっている。
これに対して声を上げないというのは、溺れた子供を放っとくというのとおんなじですね。
 

関西電力前 京都市 2013年7月26日 金曜日
 
抗議集会が行われている。
「命を守ろう」「再稼働反対」「大飯はいらない」「原発いらない」「今すぐ廃炉」
 
TOSHIYA MORITA:
私たちの国では、特にここ10年20年という間、政府に反対する政党がどんどん弱くなって、政府の力が非常に強くなっていってしまいました。
その意味では、多くの人々による政府に対する信頼は、割と強い国だと思います。
そのことは私は、すべてが悪いことだとは思いません。
私たちの国は、争いは、決して多くない国です。
そのために、東北で、津波の被害がたくさんあった時に、多くの人達は、政府や救助隊を信じて、秩序を保って、救助が来るのを待っていました。
ただし、政府や私たちの国の官僚は、私たちの国の民衆が、政府を信頼していることに対して、非常に大きな裏切りをこれまでもくり返してきました。
もう私たちはいい加減、政府にだまされる国民、住民で在り続けてはいけないと思います。
 

関西電力前 大阪市 2013年8月3日 金曜日
 
ここでも抗議集会が行われている。
 
ICHIYO IKEZAKI:
ある部分では、わたし自身を納得させられたし……いや、納得とかじゃないです、大丈夫だって言いますね、
すでにわたしは、他の人以上の罪悪感を感じなければならないわけですから、自分の子どもたちに対して。
だってわたしは、自分の子どもを守らなければならない責任がありますから。
自分のことですか?それは子どもの次に考えればいいことです。
責任ということに関しては。
 
TOMOMI ABE:
日本だけじゃなくて、世界の問題だと思うから。
子どもには未来がある。夢がある。希望もある。
自分の子どもも助けられないから、人の子どもなんて助けられる、なんて思ってないけど、でも当事者だから、何かしなきゃ。
何かはしなきゃ変わらない。
ほんとにちっちゃいから、わたしもちっちゃいし、誰だってひとりひとりはちっちゃいから、
いくら何かを変えようと思ってもなかなか変わらない。
でも、今立ち上がらなきゃ、わたしは一生後悔する。
それじゃいけないんだって気づいた人たちが、東京に集まってデモしたり、たくさんいるんだと思う。
ひとりひとりが集まれば、17万人にもなるんだよっていう、もっともっと集まれば、変わるかも……。
 

国会議事堂前 東京 2013年8月23日 金曜日
 
抗議集会
「広島忘れるな」「長崎忘れるな」「チェルノブイリから学べ」「原発いらない」「再稼働反対」
 
HIKARU ABE:
2011年3月11日、私たちは、未曾有の大災害に見舞われた。
これまでの人生をすべて壊すような、思いもしない出来事である。
あれから1年と5ヵ月、事態は一向に改善に向けて進行しない。
政府の対応不足、情報の隠蔽、国の圧力、数えきれない人災の中、福島県は確実に、復興に向かおうと日々努力する県民、国民の力に支えられながら、復興に向けて前に進んでいると思う。
今生きているこの命は、見放されたようなものだ。
誰でもいいです。
どうか私たちを、この福島県の子どもたちを助けてほしい。
今の日本は、どう見ても明らかに異常。
このままでは、私たち県民は、見殺しにされてしまう。
どうか、福島県に力を貸してください。

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明日に向けて(642)原発事故2周年、各地の行動を振り返る(「備忘録上」)

2013年03月14日 21時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130314 21:00)

一昨日、原発事故2周年行動の一覧をご紹介しましたが、そこに漏れているものとして、信州松本での9日の行動の報告をいただきました。
福島の方たちの保養受け入れのために信州で13団体(ぐらい)が連帯して集会を持ったものだそうです。福島から松本へ避難してきた森永敦子さんが代表になって呼びかけ、松本の合同庁舎の会場が満員になったとのこと。
松本では翌日も集会とデモが行われ、1500人の参加だったそうです。松本も大いに盛り上がったのですね。

この他、オーストラリアで、飯舘村の酪農家、長谷川健一さんの講演会が行われたことを、同国在住の友人が教えてくれました。福島原発事故の悲惨さを世界を駆け巡って訴え続けている長谷川さんの努力に頭が下がります。

今宵は事故から2周年の脱原発運動情報の最後として、3月9日~11日にかけての行動に関する報道記事のまとめておきます。長いので二つにわけ、上では、はじめに長谷川さんのオーストラリアでの活躍を報じるテレビニュースと、現地メルボルンの日本語新聞報道、つづいて毎日新聞の各地の報道をご紹介します。
下では、はじめに台湾での10万人とも20万人とも言われている行動のニュースを動画とともに紹介し、そのほかの新聞記事を貼り付けておきます。なおこのように記事をアップしておくのは、あとからの振り返りも可能とするためです。ウェブ・メール版のスクラップブックです。

なお、明日、明後日の講演の情報も貼り付けておきます。

***

3月15日 兵庫県高砂市

高砂市職 春期学習講座
守田敏也講演会

場所 高砂市役所南庁舎5階大会議室
時間 17時45分から19時30分まで
主催 高砂市職員組合

***

3月16日 京都市中京区
 
守田敏也さんのお話 / 映画「ヒバクシャ」上映

2003年に作られた「HIBAKUSHA 世界の終わりに」 ぜひ今見て欲しい映画です。10年前に既にはっきりと放射能の姿を見せてくれ、核や原発を政策として進める国が何を隠して、何をするかということも語っている映画です。
被曝した人が差別され、声を出せなくなっていく。そんな歴史を 繰り返さないよう。皆がヒバクシャになったことを自覚しつつ、元気に生きて行く道を探したいと思います。
守田さんには放射能汚染されてしまった中でどう生きて行くか、放射線量の高い地域に今も住み続けざるえない人たちとどう繋がっていくのか、考える ヒントになるお話をしてもらいたいと思っています。

3月16日(土)
14:30〜 今も続く私たちの被曝(守田さんのお話)
17:00〜 映画「ヒバクシャ」上映
http://sakaimachi-garow.com/blog/?p=678
 
主催・場所 堺町画廊(京都市中京区堺町通御池下ル)
電話 :075-213-3636 

*****

シドニーで飯舘村の酪農家らが被災地の現状訴え(TBS Newsi3月11日))
http://news.tbs.co.jp/20130311/newseye/tbs_newseye5277821.html

飯舘村の酪農家が語る「原発事故、そして私たちの今」(GO豪メルボルン3月11日)
http://www.gogomelbourne.com.au/events/report/4515.html

大震災2年:「つながろうフクシマ集会」 市民ら「脱原発」訴え??鳥取 /鳥取(毎日新聞3月11日地方版)
鳥取市尚徳町のとりぎん文化会館で10日、原発に頼らない社会を訴える「つながろうフクシマ! さよなら原発鳥取集会」(実行委主催)が開かれ、市民約100人が「脱原発10+件」を訴えた。
集会では、市民団体「エネルギーの未来を考える会」の手塚智子共同代表が、脱原発10+件に踏み切ったドイツのエネルギー政策について講演。「ドイツはフクシマが警告したことをしっかりと受け止めた」と話し、原発に代わる再生可能エネルギーへの転換を訴えた。また、中国電力島根原発3号機が稼働準備を進めていることに触れ、「中国地方は12年1月から原発ゼロ。(電力が足りているのに)電力不足というのは稼働理由にならない」と話した。
その後、参加者らは「原発は即時ゼロ」と書かれたのぼりなどを掲げ、同会館から鳥取駅までの約1キロをパレード。参加した同市布勢の無職、朝野保さん(80)は「安全が100%確保されない限り稼働は許されない。これからは自然エネルギーに転換しないといけない」と話していた。この日は米子市や境港市でも同様の集会が開かれた。【川瀬慎一朗】

東日本大震災:震災から2年 九州各地、防災訓練や脱原発集会(毎日新聞3月11日西部夕刊
~一方、大分市金池町の九州電力大分支社前では午前10時から「原発いらない!」グループ・大分のメンバーらが原発反対を訴えるプラカードを持って抗議した。呼びかけ人の島田雅美さん(66)は「原発事故は全く収束しておらず、再稼働はやめてほしい」。また、佐賀市では、脱原発を訴える集会「忘れないで3・11」が、佐賀県庁前であった。九電玄海原発(同県玄海町)の運転差し止めなどを訴える「玄海原発プルサーマル裁判の会」が開催し、座り込みやリレートークなどを続けた。【高橋克哉、浅川大樹、春田周平】

脱原発:訴え、国会前4万人 福岡では2000人(毎日新聞3月11日西部朝刊)
◇福岡では2000人
九州・山口の各県でも反原発の集会が開かれた。
福岡市では博多区上川端町の冷泉公園で「さよなら原発! 3・10福岡集会」があり、約2000人(主催者発表)が集まった。
震災後に福岡市中央区の九州電力本店前で原発廃止を訴え続けている青柳行信さん(66)=福岡市博多区=があいさつに立ち、「原発事故の被害は終わっていない。原発なしで暮らせる社会を実現するべきだ」。震災3カ月後に福島市から佐賀県鳥栖市に自主避難し、現在は長崎市に住む木村雄一さん(52)も「福島では今も農業などに打撃が続き、苦しい状況は何も変わっていない。原発の再稼働はやめてほしい」と訴えた。
その後、参加者は二つのグループに分かれ、九電本店と警固公園(福岡市中央区)に向かって行進。「原発いらない」「再稼働反対」などと声を張り上げた。

東日本大震災:福島第1原発事故 フクシマから考える 各地で脱原発集会 被爆地・立地地元以外でも(毎日新聞3月11日大阪朝刊)
東京電力福島第1原発事故から2年を前に、10日も、各地で脱原発集会やデモ行進が行われた。【まとめ・岩崎日出雄】
被爆地では、被爆者団体や反核団体のメンバーらが呼びかけた「つながろうフクシマ!さようなら原発ヒロシマ大集会」が広島市内の公園で開かれ、約1500人が参加した。広島県被団協理事長の坪井直さん(87)は「(放射線被害など)いろいろな問題で(広島と)共通する福島のために、原発はさよならであります」と呼びかけた。その後、一人一人が「さようなら原発」のカードを掲げて繁華街を行進した。
原発が密集する福井県でも、福井市で約1000人が「原発のない新しい福井へ」を掲げて集まり、国内で唯一稼働する大飯原発(同県おおい町)の運転停止を求めた。同市の主婦(67)は「原発が集中立地する福井から運動を日本中に広げなければ」と話した。
次の再稼働が取りざたされる伊方原発(愛媛県伊方町)の廃炉などを訴える市民ら約400人は松山市内の公園で集会。同県庁前では「伊方原発再稼働反対」とシュプレヒコールを上げた。四国電力本店がある高松市では、被災地から四国各県に避難した約30人と地元住民らが交流した。
このほか、大阪市役所前に約2万人(主催者発表)が集まり、「子々孫々まで核のゴミを押しつけることを拒否する」と決議。同市内の関西電力本店周辺や御堂筋を歩き、脱原発を訴えた。大学2年の亀井大幹さん(20)=同市=は「原発がなくても生活はできる。政府は原発なしで『強い日本』を実現してほしい」と話した。
岡山、鳥取、高知、奈良、和歌山、金沢市と三重県名張市でも、100?800人規模の集会が開かれた。

東日本大震災:市民ら脱原発訴え 鹿児島で集会やパレード /鹿児島(毎日新聞3月11日地方版)
「3・10さよなら原発!かごしまパレード」(実行委主催)が10日、鹿児島市内で開かれ約2500人が参加、JR鹿児島中央駅や天文館周辺でパレードが繰り広げられた。
同駅東口駅前広場で開かれた集会では、県内で脱原発運動などに取り組む人らがリレートーク。うち、川内原発建設反対連絡協議会の鳥原良子会長は「脱原発への意思表示をこれからも続けてほしい」などと呼びかけた。また、集会では「福島の悲劇を二度と繰り返さない」「川内原発1、2号機の再稼働と、3号機の増設をしない」などと訴えた。
パレードは同駅から天文館周辺に向け出発。トラック上での演奏やトラクターデモも登場。参加者は思い思いのスタイルで、アピールしていた。【宝満志郎】

東日本大震災:きょう2年 「なくせ原発」 大分市で集会とデモ行進 /大分(毎日新聞3月11日地方版)
大分市の若草公園で10日、さよなら原発集会と脱原発大行進(実行委主催)などが行われた。
約600人が参加。集会では事務局長の松本文六天心堂理事長が「放射性物質は目に見えず、音もせず、触れることもできない。気をつけなければ大変な事態になる。脱原発、反原発に歩んでいきたい」とあいさつ。村山富市元首相も「原発再稼働にどんな意味があるのか。原発反対の声をまん延させていけば(国も)無視できない」と呼びかけた。
集会後「いますぐ原発ゼロへ」などと書かれた横断幕やプラカードを手に、市中心部約2キロを1時間かけてデモ行進。「原発いらない」「子どもを守ろう」とシュプレヒコールを上げた。【佐野優】

東日本大震災2年:忘れない、共に歩もう 県内各地で催し /長崎(毎日新聞3月11日地方版)
県内の市民団体などでつくる「さようなら原発1000万人アクション・ナガサキ」は長崎市平野町の市平和会館で「つながろうフクシマ!」と題し、原発事故に遭った福島を考える集会を開き、発生時刻の午後2時46分に合わせ、全員で黙とうした。参加者約600人はJR長崎駅までパレードし、脱原発を訴えた。
第1原発がある双葉町から愛知県へ避難している大沼勇治さん(37)が講演。町の標語「原子力明るい未来のエネルギー」は大沼さんの小学時代の作品で「原発と共に歩んだ結果は、明るい未来じゃなかった」と振り返った。そして「町は明るい未来じゃなかったが、家族は明るい未来を築いていけるよう頑張りたい」と話した。

東日本大震災:ボランティアセンターの設置体験会/市民ら脱原発訴えるリレートーク??松江 /島根(毎日新聞3月11日地方版)
東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故から2年を迎えるのを前に、脱原発を訴える市民らが10日、松江市朝日町のJR松江駅前で次々とマイクを持ってリレートークで「原発反対」と呼び掛け、地元の中国電力島根原発(松江市)3号機の建設反対も訴えた。
原発に反対する市民有志で作る「金曜日実行委員会」が企画した。20人の参加者らは「原発はいらない」「本当の復興を」などと書かれたプラカードなどを手に駅前に集合。「島根原発から10キロのこの地から再稼働は駄目だという行動をする」と語り、「原発再稼働反対」と声を張り上げた。

東日本大震災:「原発ゼロ」に 市民ら、再稼働反対訴え集会 /福岡(毎日新聞3月11日地方版)
東日本大震災から2年を前に、脱原発を訴える集会(実行委主催)が10日、小倉北区城内の勝山公園で開かれた。「原発ゼロ」を訴えるのぼりを持った市民らが原発再稼働に反対の声を上げた。
集会では、全国で脱原発運動に携わる俳優、山本太郎さんや作家の広瀬隆さんらによる対談が行われた。山本さんらは「九州電力は値上げ申請の一方で、玄海原発の維持費などに巨額の費用を見込んでいる。これに、皆さんのお金が充てられる」と電力会社の姿勢を批判。北九州市が宮城県石巻市の震災がれきを受け入れ、焼却処分していることにも反発の声を上げた。
また、原発事故後に福島県いわき市から北九州市に避難してきたという塚本神子(みこ)さん(48)も「国は、福島の汚染の真実と住み続けるリスクを伝えるべきだ」と述べた。【曽田拓】

東日本大震災:避難住民スピーチ、「原発ストップ」訴え 140人参加、久留米で集会 /福岡(毎日新聞3月11日地方版)
東日本大震災から2年になるのを前に、久留米市の両替町公園で10日、脱原発を求める集会が開かれた。参加者は震災の記憶が風化しないよう、原発事故の恐ろしさを改めて訴えていた。
「さよなら原発!くるめ実行委員会」主催。原発事故の影響で久留米市に避難した市民のスピーチもあり、集まった約140人が耳を傾けた。福島県いわき市から避難し、九州への移住を決めている同会共同代表の一人、牧師の金本友孝さん(51)は「あれだけの原発事故が起きたのに何もなかったという雰囲気を感じる。原発ストップへ一緒に声を上げよう」と訴えた。
千葉県我孫子市の主婦(45)は、周辺より放射線量が高い『ホットスポット』であることをネットで知り、母の実家のある久留米市に11年8月、子供2人(10歳、6歳)と避難した。「我孫子は福島の原発から200キロ離れている。佐賀県には玄海原発があり、大好きな久留米だけど、何か事が起きたらと思うと落ち着くことはなかった」と語りかけた。
参加者はその後、西鉄久留米駅まで約2キロをパレード。初めて参加したという久留米市北野町の山本悟さん(62)さんは「震災の風化を感じたので、自分の気持ちを行動で示そうと思った」と話した。【土田暁彦】

脱原発:市民ら1000人参加 福井で集会、デモ行進 /福井(毎日新聞3月11日地方版)
脱原発を目指す市民集会「3・11メモリアルアクション 原発のない新しい福井へ」が10日、福井市田原1のフェニックス・プラザであり、集まった市民ら約1000人が「大飯原発を止めよう」などと声を上げた。
市民団体などでつくる実行委主催。福島県の住職、早川篤雄さん(73)が駆けつけ、除染が進まない現状や、東京電力による損害賠償の課題などについて報告。「このような地に人々が戻るとは考えられない。福島のような苦しみを繰り返さないで」と訴えた。
その後、参加者は同市内をデモ行進。実行委員長の山本富士夫・福井大名誉教授は「女性や若者の参加が多い。原発事故に対する静かな怒りが広がっているように感じる」と話した。【佐藤慶】

東日本大震災:2年 「脱原発」求め、各地で行動 /広島(毎日新聞3月11日地方版)
中区の中央公園で開かれた「つながろうフクシマ!さようなら原発ヒロシマ大集会」には、約1500人が参加した。参加者たちは集会後、「さようなら原発」の黄色いカードを手に、「原発も核もない未来を」などと訴えながら市中心部をパレードした。
集会で「上関原発を建てさせない祝島島民の会」事務局次長の山戸孝さん(35)は「島民は懸命に声を上げていく。皆様も一緒に声を合わせ、原発のない未来を作りましょう」と呼びかけた。娘2人を連れて福島県本宮市から広島市に避難している岡本久美子さん(38)は「広島が一つになって、福島を助けるのが願い」と訴えた。
夫婦で参加した安佐南区の石川俊義さん(72)は「風化させないためにも、生きている間に何か行動を示そうと思い参加した」と語った。【加藤小夜】

東日本大震災:きょう2年 播州でも催し次々 /兵庫(毎日新聞3月11日地方版)
「あの日」を忘れない??。東日本大震災から2年となるのを前に、9日、10日にかけて、播磨地方でも震災や福島第1原発の事故を考える催しが相次いで開かれた。
◇原発停止が「復興の始まり」 原発告訴団長・武藤さんが講演
姫路市本町のイーグレひめじでは9日、「原発ゼロ・復興と希望の集会」が開かれ、東京電力福島第1原発事故で被ばくさせられたとして刑事責任を問う「福島原発告訴団」団長の武藤類子さん(59)=福島県三春町=が講演した。
武藤さんは1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに、原発について学び、山を切り開き、薪(まき)ストーブや太陽光発電を利用した生活を送ってきた。講演では、森でドングリを拾い、雑木林で薪を集めて燃料にしていた事故前の暮らしを写真で紹介。「原発で、この恵みが奪われてしまった」と話した。
また、「今も危険な状態が続く福島第1原発では、原発事故で仕事を失った福島県の農林業や観光業の人たちが作業員として働いている。被ばくしながら除染作業を行っているのも、原発事故で仕事を失った人だ」と指摘。「原発を止めること。それが復興の始まりだと思う」と語りかけた。【幸長由子】
◇「母と子」で脱原発訴え??語り絵師・渡辺さん
東京電力福島第1原発事故後、「母と子」をテーマに制作した絵画を使い脱原発活動をしている福島出身の語り絵師、渡辺智教さん(38)=避難先、明石市=が10日、高砂市文化会館で講演した。
講演では、俗に言う“原子力ムラ”の官僚や学者らに触れ「人を部品として扱う態度の人が多い」と、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで指摘した。
また、会場では優しいタッチで、命の輝きを表現した絵が並べられた一方、防護マスクを外させようとする構図の風刺画も。「こんなものを着けてたら福島(ここ)が放射能汚染地帯(あぶないところ)だと思われるじゃねえか!」との寸評で、復興の陰をあぶり出していた。11日午後5時から三宮の神戸マルイ前で避難者からのアピールなどに参加するという。【高橋一隆】

さよなら原発パレード:脱原発を訴え500人??岐阜の中心市街地 /岐阜(毎日新聞3月11日地方版)
市民グループによる「さよなら原発パレード・ぎふ」が10日、岐阜市内であった。約500人が横断幕やプラカードなどを掲げて中心市街地を練り歩き、脱原発を訴えた。
午後1時に金公園をスタート。金華橋通から岐阜駅前を進み、徹明通を経て金公園に戻る約2キロを原発音頭を歌いながら歩いた。かかし姿の人が「死の灰はいらない!」とカードに書いて呼びかけ、「放射能被害は今も多くの人々を苦しめています」と書いたプラカードを掲げる人もいた。
「さよなら原発・ぎふ」世話人の農業、石井伸弘さん(40)=北方町加茂=は妻と幼児3人で参加。「2年たって原発事故の風化が進んでいるが、安全性は何も変わっていない。県の被害予想では最悪50万?100万人が避難しなければならず、とても容認できない」と訴えた。【立松勝】

東日本大震災:福島第1原発事故 脱原発パレード、宇都宮で250人 /栃木(毎日新聞3月11日地方版)
東日本大震災から2年を迎えるのを前に、宇都宮市内で10日、脱原発を訴える市民らによる「原発ゼロ大行動inとちぎ まちなかパレード」があり、約250人が参加した。
参加者は県庁前に集合し、市中心部の約1・3キロを「原発いらない」「再稼働反対」「子どもを守れ」などと声を上げながら行進した。東京電力栃木支店前を通ると、「東電は責任を取れ」と叫ぶ人もいた。
パレードには子ども連れの姿も。4歳の長女、1歳の長男と参加した宇都宮市のパート従業員、永藤絵美さん(29)は「未来のことを考えれば、原発はなくしてほしい」。山形県内の大学に進学する同市の武藤黎(れい)さん(18)は若者の参加者が少ないことに対し、「将来への危機感を持つべきでは」と話していた。【岩壁峻

脱原発:県内各地でイベント 市民団体がパレード/酪農家の写真展 /三重(毎日新聞3月11日地方版)
◇市民団体がパレード??伊勢と津で
東日本大震災による東京電力福島第1原発事故から丸2年となるのを前に、県内各地で10日、脱原発を訴えるパレードや現地の様子を写した写真展などが開かれた。
伊勢市では、原発に反対する市民団体「3・11 命ありがとうフェスタ実行委員会」と「原発卒業えじゃないか実行委員会」が、脱原発パレードとライブなどを行い、原発反対を訴えた。
市民ら約50人が参加。「原発卒業えじゃないか」「原発ゼロ」などと書いたプラカードを持ち、太鼓や鈴、タンバリンを鳴らして「すべての原発 止めようじゃないか。ありがとう原発 さようなら。原発卒業えじゃないか」などと歌いながら、同市岩渕のいせ市民活動センター前からJR伊勢市駅前の往復約1キロをパレードした。
この後、同センターで、ライブや写真展、ドキュメンタリー映画の上映も行われた。
一方、津市でも、市民グループなど計30団体が「さようなら原発 三重パレード」と、同原発事故で全村避難を余儀なくされている福島県飯舘村を写した写真展を開いた。
◇殺処分乳牛など酪農家の写真展
津市大門の津センターパレスで開かれた写真展は、同村の酪農家、長谷川健一さんが撮影した写真を展示。殺処分する乳牛を連れ出す酪農家や、原発事故の影響を苦に自殺した酪農家が黒板に残した遺書の写真など計50点が並んでいる。
会場を訪れた津市久居明神町の川合史朗さん(70)は「この人たちの苦しみを思うと言葉がない。この現実をみんなが知り、忘れないことが大切だ」と話した。同展は11日まで。【木村文彦、谷口拓未】

さよなら原発アクション:高崎で脱原発求め1000人集会 /群馬(毎日新聞3月11日地方版)
市民や労組の呼びかけで脱原発を求める集会「さよなら原発アクション」が10日、高崎市高松町の高崎城址公園で開かれ、同実行委員会によると1000人以上が参加した。集会では「48基の原発が止まっていても、電気を有効に使えば乗り越えられる」とする宣言を採択。「フクシマを忘れるな」などと訴え、JR高崎駅前までデモ行進した。
参加した同市の男性(30)は「2年たっても原発事故の被害は収まらない。同じ過ちを繰り返してはいけない」と話した。【奥山はるな】

脱原発:呼び掛け、青森で1300人集会 /青森(毎日新聞3月11日地方版)
東京電力福島第1原発事故の発生から2年を前に、脱原発を呼びかける「さようなら原発・核燃3・11青森集会」が10日、青森市のJR青森駅前公園であった。県内の反核燃団体などの約1300人が集まり、原発のない社会を求めた。
昨年に続き2回目。県内の原子力施設の再稼働や工事再開の中止を求めた。吹雪が吹きつける中で行われた集会には「六ケ所村の記録」などの著書で知られる弘前市出身のルポライター、鎌田慧さんも駆けつけ、「原発は地域を汚して人間の命を奪う許せない問題。青森を原発に依存しない平和な地域になるよう要求していきたい」と声を張り上げた。
集会後、プラカードや横断幕を持った参加者らは、新町通りなど中心街を「原発いらない」などとシュプレヒコールを上げながら約2キロ行進。参加者同士で手をつないで県庁を取り囲んだ。【宮城裕也】

東日本大震災2年:道内各地で反原発 大雪の中、デモや集会 /北海道(毎日新聞3月11日地方版)
東日本大震災から11日で2年。津波と並んで被害を拡大させたのが福島第1原発事故。道内でも10日、各団体が反原発行動を展開した。予定の一部は暴風雪で中止されたが、悪天候の中でも集会やデモ行進を行い、原発の再稼働や建設への反対を訴えた。被災者支援のイベントも各地で開かれた。
◇「大間止めよう」 市民450人が訴え??函館
函館市では、Jパワー(電源開発)大間原発(青森県大間町)の建設中止を訴える集会「つながろうフクシマ 大間原発を止めよう市民大集会」が開かれた。大間原発に反対する市民団体が企画し、大雪の中、約450人が参加した。
集会では、東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげた後、主催者を代表して「大間原発訴訟の会」の竹田とし子代表が「多くの国民が原発ゼロを望んでいる。力を結集して大間を止めよう」と訴えた。
その後、参加者は横断幕やプラカードを手に「ストップ大間」「バイバイ原発」などと声を上げ、市内をデモ行進。函館市本通の主婦、中野けい子さん(64)は「この冬、泊原発なしでも道内の電力はまかなえた。原発のない社会にしたい」と語った。【近藤卓資】
◇労組などの400人、泊再稼働に反対??旭川
旭川市では平和運動フォーラム道北ブロック協議会が脱原発集会を開き、労組や市民団体から約400人が参加。北海道電力泊原発(泊村)は周辺に活断層が指摘され、地震や津波の影響が懸念されるとして再稼働反対などを訴えた。
また、福島第1原発事故収束の見通しが立たない中で原発再稼働を容認する論調が増えてきたことや、原発ゼロの方針転換を示している安倍政権に警戒感を示し、「(原発は安いと)電気料金を人質に取りながら新しい安全神話を作ろうとしている」などの批判が相次いだ。
日本原子力研究開発機構・幌延深地層研究センター(深地層研)で先月、大量の地下水流出やメタンガス発生を公表しなかった問題は、「隠ぺい体質が明らかになった」と厳しく批判。深地層研で研究している核廃棄物の地層処分も「10万年も監視が必要で、見直すべきだ」と訴えた。【横田信行】
◇福島と六ケ所が題材の映画上映??室蘭
室蘭市では核燃料サイクル施設がある青森県六ケ所村と、原発事故後の福島をテーマにしたドキュメンタリー映画「福島六ケ所未来への伝言」の上映会とトークショーがあった。監督でフォトジャーナリストの島田恵さん(54)が「3・11を経験し、価値観の転換期に来ている。次世代を考えて行動しなければならない」と提言した。
島田さんは核燃問題で揺れる村に衝撃を受け、90?02年に在住して写真を撮影。11年から動画に取り組み、今年2月に同作品を完成させた。「核燃の歴史は漁師や農家の抵抗の歴史。風化しないように記録した」と述べた。【横尾誠治】

脱原発:市民団体、訴え行進 四電本店へ30人 /香川(毎日新聞3月10日地方版)
東日本大震災から2年となる11日を前に、高松市の市民団体「脱原発アクションin香川」(塚田正昭実行委員長)は9日、脱原発を訴えるデモ行進を実施した。「原発いらない」などとシュプレヒコールを上げながら、メンバーら約30人が市中心部の商店街を練り歩いた。
同団体は東京電力福島第1原発の事故をきっかけに牧師や会社員、主婦らが集まって11年5月に発足。定期的にデモ行進や原発・放射能問題に関する講演会などを開催している。
この日、参加者らは高松市の高松琴平電鉄・瓦町駅前に集まり、「福島を忘れない」などと書かれたプラカードを手に行進を開始。「原発いらない」「原発止めろ」などとシュプレヒコールを上げながら商店街を練り歩き、四国電力本店前までの約1・7キロを行進した。
そして四電前で、同社の担当者に伊方原発(愛媛県伊方町)の廃炉▽再稼働をしない▽廃炉処理、放射性廃棄物保管に必要な研究者の人材育成??などを求めた要請書を手渡した。
参加したさぬき市志度の無職、景山典子さん(64)は健康被害を恐れて1年ほど前に東京から引っ越してきたという。「福島第1原発事故で土壌、食品汚染の不安があった。これ以上事故を起こさないために、原発の再稼働は反対だ」と話した。【広沢まゆみ】

脱原発:福島の現実、踏まえよう 甲府で市民300人集会 /山梨(毎日新聞3月10日地方版)
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から2年を控えた9日、甲府市北口の「よっちゃばれ広場」で、大規模な脱原発集会「さよなら原発まつり」が開かれた。市民有志による実行委の主催。市民約300人が集まり、「福島の現実を踏まえて原発問題を考えよう」と訴えた。
集会では、原発事故を受けて茨城県から甲府市に避難した女性が演説。涙ながらに「子どもこそ日本の将来。私の5歳の娘が大人になったとき、安心して子育てをしてほしい。福島を自分の問題として考えましょう」と力説した。唱歌や童謡の合唱のほか、原発を推進してきた国やマスメディアを皮肉る寸劇が披露された。
参加者らは、その後、「原発反対」などと声を上げながら市街地を行進。昨年7月から毎週、甲府市中心部で開かれている脱原発デモにも参加している南アルプス市百々の主婦、工藤泰子さん(64)は「悲惨な事故も、2年たつとつい忘れがちになってしまう。再び推進されようとしている原発政策に『嫌だ』とはっきり示すことが大事」と話していた。【春増翔太】

脱原発:訴え、集会とデモ 桑名で300人参加、アピール採択 /三重(毎日新聞3月10日地方版)
県内の労働組合と市民団体などでつくる「フォーラム平和・三重」は9日、脱原発を訴える集会「WORLD PEACE NOW in みえ さようなら原発1000万人アクション三重県大会?つながろうフクシマ!さようなら原発大行動?」を、桑名市の吉之丸コミュニティパークで開いた。
集会には市内外から約300人が参加。「原発の再稼働・新設を絶対に認めない。原発がある限り全国どこでも事故は起こり得る」などと訴える福島平和フォーラムからの連帯メッセージが読み上げられ、原発を速やかに廃炉にすることや、原発の新増設に反対する集会アピールを採択した。
その後、参加者は「子どもたちに核のない未来を」などど書かれたのぼり旗を手に「原発はいらないぞ」「福島の子どもたちを守れ」とシュプレヒコールしながら桑名駅まで約1・5キロを行進した。【佐野裕】

原発ゼロ集会:福島を忘れない 県内各地で催し /和歌山(毎日新聞3月11日)
東日本大震災の発生から2年を前にした10日、県内各地でも「原発ゼロ」を訴える催しが開かれた。和歌山市の和歌山城西の丸広場では「福島を忘れない!原発ゼロ和歌山3・10フェスティバル」(実行委員会主催)があり、集会後には約300人が市街地をパレードして被災地への連帯と「原発ゼロ」をアピールした。
全体集会で福島県郡山市から家族で和歌山市に避難している主婦、渡辺陽子さん(35)が「原発事故の直後はとどまればいいのか逃げればいいのか右往左往した。インターネットで和歌山の旅行会社が家賃無料の住宅支援をしているのを知り避難して来た。支え合う人の温かさを感じている」と話した。
また、ステージでは大声コンテストがあり、参加者がマイクに向かって「原発はいらないぞ」「福島を忘れない」などと叫んだ。1位になった小学校教諭、寺井隆文さん(34)は「ボランティアなどで支援を続けていきたい」と話していた。
一方、同市勤労者総合センターでは、小出裕章・京都大原子炉実験所助教が講演。小出助教は「都会の人たちの方が電気を使っているのに、原発や核燃料施設は過疎地に押しつけられている。原発がなくても電力は足りているのですぐにでも廃絶できる」と訴えた。【山中尚登】


 

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