守田です。(20110923 23:30)
山水人2011の報告の第2弾です。9月20日、祭りの企画の一つとして、
トークセッション「311以降の生き方とは?」が行われ、スピーカー
の一人として参加させていただきました。他の参加者は映画監督の
鎌仲ひとみさん、ジャーナリストの冨田貴史さん、古谷桂信さん、
そして若狭原発などの映像を撮られてきた山下信子さんです。
企画はほぼ夜の7時に始まり、まず鎌仲さんが撮った映画、「ヒバク
シャ~世界の終わりに~」を上映。これを踏まえて、富田さんの司会
のもと、映画の感想から、この被曝時代をいかに生き抜くのかまで
さまざまなことを語り合いました。一番、マイクを持ったのは鎌仲
さん、次に僕・・・の順だったかな?
今日、ご紹介したいのは、何と言っても鎌仲ひとみさんのこと、映画
『ヒバクシャ』のことです。実は本当に恥ずかしいことに、僕はこの
映画をこれまで観たことがありませんでした。事前の打ち合わせでも、
鎌仲さんに、「えー観てないの?それで肥田さんのインタビューをし
たの?えー?」としかられてしまいました・・・。
それでこの日、初めてこの映画を観ましたが、大変、深く感動し、同
時に自分が恥ずかしくなってしまいました。なぜかというと、この映画
では、内部被曝の恐ろしさが本当にきちんと、丹念に、分かりやすく、
描かれていたからです。つまこんなにも前からきちんとした説明がなさ
れていた。なのに僕は311以降までこれに気が付いていなかったからです。
ここで、つい数日前の僕のように。この映画を観たことのない人のため
に、映画のコンセプトを紹介したいと思います。以下、この映画のホーム
ページの文章をコピーして貼り付けさせていただきます。ホームページ
には「制作日記」や、「取材中に出会った人々」などの項目もあります。
ぜひご覧下さい。
http://www.g-gendai.co.jp/hibakusha/
***
映画のコンセプト
世界で初めて原爆が投下されてからすでに57年、経った。ヒバクシャは
この57年をどう生きてきたのだろうか。原爆の体験はこの間、日本や
世界の人々と共有されてきただろうか?ヒバクシャとはどのような存在
なのだろうか?
この疑問は98年、イラクを訪れ、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により
白血病を病んだ多くの子供達に出会ったことから始まった。彼等は世界
から隔絶し、自分に何が起きたのか語る言葉を持たず、十分な医療もなく、
そして私の目の前で亡くなって行った。その中の一人、14才の少女、
ラシャは「私を忘れないで」とメモを手渡した。ここから私のヒバクシャ
の声を聞く旅が始まった。
広島で被爆した医師、肥田舜太郎は85才の今もヒバクシャの医療と人権の
回復に情熱を傾けている。被曝体験から肥田医師は微量の放射能がもたら
す危険を訴えてきた。肥田医師の活動を通して、人類史上稀に見る悲惨な
体験から日本のヒバクシャが獲得した、アイデンティティ、そしてその魂
のメッセージを探る。
また一方で肥田医師の警告する微量放射能の被害は核開発、核実験、原発
によって世界に拡散している。長崎に投下された原爆のプルトニウムを
生産したアメリカのハンフォードでは50年以上も大量のプルトニウムを
製造する過程で世界でも最大量、高濃度の核廃棄物の汚染にさらされてきた。
そこに住む住民もまたこれらの放射能によってヒバクシャとなっている。
この映画では核の被害者を等しくヒバクシャと呼びたい。放射能は目に
見えないが確実にこの世界を汚染し続けている。だからこそ、今、
ヒバクシャの声に未来へのメッセージに耳を傾ける。
***
映画では、「3つのヒバクシャ」が描かれています。劣化ウラン弾で被曝
したイラクの人々、プルトニウム製造工場の放射能漏れで被曝したアメリ
カ・ハンフォードの人々、そして広島原爆で被ばくした肥田舜太郎さん
です。鎌仲さんはイラクにおもむき、自ら米軍の劣化ウラン弾を使った
爆撃にも遭遇しながら、イラクの人々を撮り続けました。
また肥田舜太郎さんと出会い、一緒にアメリカに赴き、ハンフォードの風下
で被曝し、集団訴訟に踏み切った人々とともに、被曝の現実を撮り続けます。
とくにハンフォードの人々が近くの家々を車で回り、その一軒一軒で発生し
た健康被害について語るシーンは僕にとって圧巻でした。その人々の中に
入りこんだ肥田さんとの会話にもとてもひきつけられた・・・。
原発問題を語る時、というか311以前に僕が語ってきた時、主に原発の抱えて
いる壊滅的な事故発生の可能性と危険性に話題を集中させてきたように思い
ます。高速増殖炉計画の破たん性や、天文学的なコストが隠されている点な
ども語ってきましたが、僕に一番欠けていたのは、低線量被曝の危険性の
認識でした。そのため原発の通常運転も危険なことを強調できなかった。
これに対して、鎌仲さんの視点の鋭いところは、ヒバクシャから出発している
ことだと僕には思えました。理論上、どういうことが起こりうるかよりも、
ヒバクシャに現に起こってきたこと、起こっていることから鎌仲さんは出発
してきた。放射線で被曝した人々に寄り添い、その痛みをシェアしながら
フィルムを回し、その痛みのもとをなくすために映画を編集してきた。
まさにそのために鎌仲さんが必然的に訪ねたのが、肥田舜太郎さんだったの
だと思います。なぜなら肥田さんは、現存する人物の中で、誰よりもたくさん
のヒバクシャを診てこられたのだからです。ヒバクシャに起こったことは一
体何だったのか。誰よりも肥田さんはそのことを見続け、必死になって自分の
眼でみたことをを解明しようとしてきた。事実が先にあり、理論が後にあった。
映画『ヒバクシャ』には、そうして鎌仲さんが捉えていった事実が見事に
盛り込まれています。「そうか、10年以上も前からこれを訴えてきたのか」
と思うと、横に座っている鎌仲さんが本当に偉く見えたし、その取材活動に
頭が下がりました。同時に、これを今まで観たことが無かったこと、この
訴えを活用してこれなかったことが本当に恥ずかしく思いました。
それでもその後のトークセッションでは、僕も鎌仲さんに負けずに?ずいぶん
と意見を言わせてもらいました。思い起こせば311以降の僕はたくさんのヒバ
クシャとの出会いに恵まれ、ヒバクシャの声に導かれてきました。直接的に
僕にアドバイスをくれ続けているのは、広島出身の被ばく3世の友人です。
彼から被爆者訴訟のことなど、丹念に教えてもらいながら僕は歩んできました。
事故当初、放射線の専門家が全面的に沈黙し、政府寄りの「科学者」が100ミリ
シーベルトまで安全だなどという大ウソを公言しはじめたときも、僕は今、
必要なのは、ヒバクシャが歩んだ道に学び、苦難の中で積み上げてきた知恵に
学ぶことだと考えることができたし、その延長上で、肥田舜太郎さんや矢ヶ崎
克馬さんに学び、出会うこともできました。
矢ヶ崎さんも2003年より、被爆者訴訟に関わる中で、あらためて低線量被曝の
ことを研究し始め、肥田さんが必死に訴えられてきたことを理論的に掘り下げ
てこられた方です。つまり矢ヶ崎さんもヒバクシャの現実から出発している。
だからこそ、これまでのアメリカによって作られた放射線の教科書のドグマに
とらわれることなく、事実をつかめたのだと僕は思う。
わずか半年だけども、僕も311以降にこうした観点を急速に深めてくることが
できました。その間、不思議なほどにヒバクシャや、2世、3世の方と連続的に
出会ってきました。今回の鎌仲さんとの出会いもまたその流れの中にあったこ
とのように思います。あるいはヒバクシャの方たちが、「もっと私たちの苦し
みを、的確に知りなさい」と鎌仲さんと会わせてくれたのかもしれません。
さて鎌仲ひとみさん自身のことも少し書きまししょう。トークセッションで、
鎌仲さんが強調していたことの中で印象的だったのは、被曝に対して免疫力を
高めて対抗していくことであり、そのために気功を使うことでした。実は僕も
友人で気功の達人に気功治療を受け続けているので、ここはずいぶん話があっ
てしまった。彼女も自ら病を気功で乗り越えてもきているそうです。
また「給食が心配だがどうしたらいいか」というあるお母さんの問いに対して、
「それはあなた自身が動かなければいけない。あなたが解決するために頑張っ
てください」と、スパッと返したことも印象的でした。そうです。私たち誰も
が自ら立ち向かわなくてはいけない。そのことを鎌仲さんはよどみなく語って
いた。はっきりしていて実にさわやかでした。
彼女の人となりも少し描写しておきましょう。彼女は大変、気さくな方です。
話をしている最中に、「やったーー」などとかわいらしい声を上げたりする。
でもこちらが不明瞭な話し方をしていると、「それはどうして?」「こう
なんじゃないの?」とズバズバと突っ込んできたりもする。とにかく思ったこと
をすぐに端的にまとめて語る。歯に衣を着せる・・・なんてことは全くしない。
竹を割ったような性格・・・というのでしょうか。何でも含みなく、ストレート
に語りかけてくる方です。その姿勢に、ちょっとたじろぐ人もいるかもしれな
いけれど、鎌仲さんの姿勢は、誰に対しても対等です。また一見、きついいい方
をする時にも凄く深い愛情を込めていることを感じます。たぶん、実は結構
シャイで、溢れる思いをちょいと隠して話している面もあるかもしれない・・・。
そんな鎌仲さんとは、翌日の朝にお別れする予定でした。彼女の出発が7時、僕
と古谷さんの出発が8時の予定だった。ところが朝になって、彼女を送るはずの
車がなんと2台も続けてバッテリーがあがってしまい、急きょ、僕の運転する
車で山を下る事に。降りしきる雨の中、JR堅田の駅に急ぎました。その間の
1時間、3人でいろんなことをたっぷり話すことができました。
それで僕らは結構、仲良しになってしまったのでした。何を話したのか。それは
今は3人の秘密ということにしておきましょう。そのうち紹介することになる
古谷さんにまつわる素敵なお話です。(もったいぶってごめんなさい)そのあと
「東京で3つの予定がある」と鎌仲さんは改札に消えて行きましたが、この日の
豪雨で新幹線も止まったとのこと。鎌仲さん、大変だったろうなあ・・・。
以上、鎌仲ひとみさんのこと、映画『ヒバクシャ』のことについてのご報告を
終えます。鎌仲さんとの出会いの場を提供して下さった山水人2011のスタッフ
のみなさんにお礼を申し上げます。素敵な場に呼んでいただき、どうも
ありがとうございました!