明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2241)『「黒い雨」訴訟』出版記念会を行い、著者の小山美砂さんに講演していただきます(9月4日日曜日午後2時から)

2022年08月31日 13時00分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20220831 13:00)

京都ウイングス京都にて。zoomも併設です。

9月4日(日)午後2時~4時半、『「黒い雨」訴訟』著者、小山美砂さんをお招きし出版記念会を行います。小山さんに講演していただきます。
https://www.wings-kyoto.jp/about-wings/access/

主催:京都「被爆二世・三世の会」
協賛:神奈川県原爆被災者の会 二世・三世支部

イベントページをご紹介します。
「黒い雨」訴訟 出版記念会 小山美砂さん講演
https://www.facebook.com/events/409150354449382

参加料1000円。
zoomの場合は以下からお申し込みください。
https://forms.gle/1DQ49K482Z7fa8v66


『「黒い雨」訴訟』をお読み下さい!

この本はこの夏、2022年7月20日に出版されました。昨年7月に広島高裁で画期的な判決を引き出した「黒い雨」訴訟を徹底して追いかけたドキュメントです。
小山美砂さんは当時、毎日新聞広島支局記者として、「黒い雨」訴訟事務局長の高東征二さんをはじめ、たくさんの原告=黒い雨被爆者を取材し、訴訟を追いかけました。
時には原告を支えて伴奏もし、共に素晴らしい判決を勝ち取られました。その小山さんのご本の出版を記念して、小山さんに講演していただき、みんなでこの素晴らしい本の出版をお祝いします。

ぜひお買い求め下さい。版元の集英社のページをご紹介しておきます。
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721222-8


集英社のページより

小山さんに1時間講演していただきます。その後、小山さんと守田でお話して内容を掘り下げます。
続いて私たち、京都の会から石角敏明さん、吉田妙子さん、平信行さん、神奈川の会から森川聖詩さんに本の感想と祝辞を述べていただきます。
「黒い雨」被爆に関する見識を深めつつ、みんなで核なき未来の可能性を考えましょう


原告の一人、本毛稔さんの手製地図による説明に聞き入る小山美砂さんと高東征二さん。本毛さんの手には真新しい「被爆者健康管理手帳」が握られている 守田撮影 2021年8月7日


大阪でも出版記念会が開催されました!

なお小山さんの本は大変な評判で、すでに7月30日に大阪でも出版記念会が行われました。
僕もコメンテーターの一人として参加しました。
その時の録画をもりもりチャンネルにアップしてあるので、こちらもご覧下さい。

小山美砂さん講演会 『「黒い雨」訴訟』出版記念 20220730
 

また昨年、12月8日にも、私たち、京都「被爆二世・三世の会」と「核兵器廃絶ネットワーク京都」の共催で、いち早く小山さんからお話を伺う会を行っています。
実は小山さん、この時が初めての講演だったそうです。いやあ、とてもそうは見えなかった!この動画もご紹介しておきます。

広島「黒い雨」訴訟のお話を聞く会 20211208

それではみなさま。
9月4日、一緒に良い時を過ごしましょう。
ご参加、ご視聴をお待ちしています。

#黒い雨訴訟 #小山美砂 #高東征二 #黒い雨被爆者 #内部被曝 #京都被爆二世三世の会 #神奈川県原爆被災者の会二世三世支部 #核兵器廃絶ネットワーク京都

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明日に向けて(2240)広島・長崎を訪れてー原爆と戦争こそが資本主義の根本矛盾なのでは?

2022年08月25日 21時00分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20220825 21:00)

この夏、広島、長崎と駆け抜けてきました。広島には4日から7日まで。長崎には8日から11日まで滞在しました。とても実りの多い旅でした。
ただし帰ってきてから疲れが出て、「明日に向けて」を、そこそこ休ませていただきましたが、ようやく心身の力が戻ってきたので配信を再開します。


 平和記念公園と宇品港で思いを馳せてきました・・・

今回の旅、僕にとって被爆地を訪れ、痛みをシェアし、今一度、戦争とは何か平和とは何かを問うてくる旅でした。
8月6日には、式典には参列できなかったものの、平和記念公園内をくまなく歩きまわりました。もう何度目かですが、感慨深くそれぞれの碑と向き合って来ました。


元安川対岸から見た原爆ドーム 2022年8月6日 守田撮影

7日に旧陸軍桟橋のある宇品港も訪れてきました。日本陸軍兵士の大半が海外へ出兵し、そのまま還らなかった地です。
そこからの輸送船の運航や上陸を担い、宇品に司令部があったのが陸軍船舶隊、それはまた僕の父が所属した部隊でもありました。中国侵略戦争の際、「大発」「小発」という上陸用舟艇を世界で初めて開発、戦争末期には特攻ボートを作って若者を米艦に突入させた隊でもありました。 


父、守田文也 陸軍船舶幹部候補生隊附陸軍少尉に任官して香川県豊浜に着任 23歳 19440707 父のアルバムより

父はその教官もしたようです。その教え子たちの一部は、出兵を待って広島の島々にいる間に原爆に遭遇。直爆は免れましたが、被爆直後の爆心地に救援に入って奮闘しつつ、深刻な被爆を受けました。その名残りの場も取材してきました。


日本陸軍が開発した上陸用舟艇「大発」 父のアルバムより


日本陸軍が開発した上陸用舟艇「小発」 貨車から海に降ろそうとしている 父のアルバムより


長崎の痛みをもっとシェアしなければ・・・
    
長崎は二度目の訪問で初めて式典に参加させていただきました。拍手が圧巻で、参列している方たちの思いが心に飛び込んでくるようでした。
その後、平和公園内の碑を一つ一つ撮影し、原爆落下中心地、原爆資料館、追悼平和祈念館、そして長崎平和資料館などを訪ねました。
被爆したことは確実なのに、国に被爆者として認められず「被爆体験者」と呼ばれている方の講演も聴くことができ、その後、個人的にもお話を聞けました。


8月9日、式典に参加させていただきました

都合、4日間の旅で長崎の痛みを可能な限り、心にシェアしてきました。
それでも長崎についてはまだまだ僕の中ではほんの少しを学べただけ。
ああ、もっと長崎の痛みを深くシェアし、平和の心へと結びつけねばと思った旅でした。


資本主義の矛盾の根っこに戦争と原水爆がある!

総じて2つの被爆地の訪問を通じて思ったのは、現代社会、とくに資本主義の問題の一番の根っこは戦争であり、その頂点に原水爆があるのでは? ということでした。


第二次世界大戦終盤にアメリカが開発したB29戦略爆撃機 日本と朝鮮に壊滅的な空襲を繰り返した
ニューメキシコ州ニュークリアサイエンスミュージアムにて守田撮影

現代資本主義の中軸産業は軍事産業であり、それもまた核兵器を軸に形成されています。
これまでの資本主義批判の中にこの点の捉え返しが今一、弱かったとは言えないだろうか。
だから社会主義を志した人々が、核兵器や原発に手を染めてしまい、実はそのことで資本主義に呑み込まれてしまったのでは?


広島・長崎で
使われた核爆弾のレプリカ ロスアラモス・ブラッドバリーミュージアムにて 守田撮影

またこの点を解き明かすためには、日本は唯一の戦争被爆国であるという捉え方の誤りと向き合うことが、とても大切なのではないか。
国は被爆などしない。被爆したのは広島、長崎とそこにいた人々であり、さらには核実験の行われた場にいた人々なのです。
被爆国という言い方は、多くの人々を被爆させてしまった国の責任をあいまいにさせています。


原爆と戦争を新たな視角から観ていきたい

今後、これらの点をさらに深めていこうと思います。ぜひご注目下さい。
さしあたり8月28日(日)午後6時半から8時半まで、京都市内で報告会を行います。
ひとまち交流館第4会議室にてです。詳細は以下をご覧下さい。

広島・長崎を訪れて ー 原爆と戦争を新たな視角から観る
https://www.facebook.com/events/1289615168512688

参加費1000円。zoomからも参加できます。お申し込みはこちらから
https://forms.gle/wukSiNfaj2Ua9zXJ8

被爆77年、もう一度、原爆とは何か、戦争とは何か、一緒に考えていきましょう!

#広島原爆 #長崎原爆 #宇品港 #陸軍桟橋 #陸軍船舶隊 #原爆落下中心地 #長崎原爆資料館 #追悼平和祈念館 #長崎平和資料館 #原爆と戦争を新たな視角から観る

*****

原爆と戦争に関する取材をカンパでお支え下さい。

振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
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明日に向けて(2239)長崎の平和式典に参加してきました

2022年08月10日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20220810 23:30)

背中に拍手が迫ってきた・・

長崎市のホテルからです。昨日9日はナガサキの日。すべての犠牲になられた方に哀悼の意を捧げます。今も苦しむみなさまにお見舞い申し上げます。
昨日、「被爆77年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参加してきました。

長崎市から送られてきた「整理券」を手に、式典会場に9時40分過ぎに着きました。
平和公園は長い階段(エスカレーター)を上がったところにあります。そこでしばし待って、検温と荷物チェックを受けました。

会場には非常に大きなテントが設営されていました。水と凍らせたハンドタオルが配られていました。
席は思ったよりもかなり前。最前列から28番目のイスで、式次第が置かれていました。
式典は10時40分開始。被爆者の合唱、開式、原爆死没者名奉安、式辞、献水、献花、黙とう、長崎平和宣言、平和への誓い、児童合唱、来賓挨拶、合唱、閉式と進みました。

やはり式典現場にいると感じ方が大きく違う。長崎で被爆された方、亡くなられた方への思いが心の底から溢れ、体中に行き渡ることを感じました。
また、広島とともに、こうやって暑い最中に、会場に駆けつけ続けてきた被爆者をはじめ、多くのみなさんの思いにも直に触れることができたように思いました。
合唱から始まり、一つ一つの発言や、行いのたびに割れるような拍手が起こり、僕の位置からは背中にすごい力で迫ってくる。それも感動的でした。


長崎にもっともっと応えたい

今回、式典に参加しながら一番、思ったことは、長崎の苦悩、そして奮闘にもっともっと応えていきたいということです。
僕は広島にはもう何度も通っており、たくさんのことを学び続けています。それでも足りないことが多いですが、長崎はやっと2度目の訪問。多くを知らなさすぎ申し訳ない。


爆心地 長崎では「原爆落下中心地」と呼称されている

日米両政府は広島とともにこの長崎でもまた、原爆の被害をものすごく軽く扱い、被爆者を二重、三重に圧迫してきました。
そもそもたくさんの方たちが、政府によって「被爆者」と認められず、援護を受けていません。昨年、広島高裁で勝ち取られた黒い雨訴訟の成果も長崎では無視されている。
これらについて京都に戻ってからきちんと発信しますが、とにかく理不尽な切り捨てが今も横行しています。


平和公園には各国から送られたさまざまな像が

この現状に対し、自分自身の原爆と被爆の問題への認識を、大きく更新し、成長させることの中で関わっていきたい。
そんな新たな決意を自分自身の中に作り出すことができた式典参加でした・・・。


「ソヴィエト社会主義共和国連邦」から寄贈された像も

*****

広島・長崎の取材、ぜひカンパでお支えてください。
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明日に向けて(2238)宇品港ー旧陸軍桟橋を訪れて

2022年08月08日 14時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20220808 14:30)

かつて宇品港からたくさんの兵士が海外に送られた

ヒロシマの日の翌日7日、広島市の南、海に面した広島港ー旧宇品港に行き、宇品中央公園を訪ねてきました。
ここに行ったのは、旧日本陸軍運輸部船舶隊司令部(通称、暁部隊)があったからです。
元々、大まかにその存在を把握していましたが、より詳細なことを知ったのは『暁の宇品』(堀川恵子著 講談社)によってでした。




陸軍船舶隊の碑と宇品中央公園 守田撮影

そのうち書評を書きますが、宇品はもともと平安時代末期ごろから港として活用されてきたところ。明治時代に大改修が行われました。
指揮したのは1880年(明治13年)、新たな広島県令となった元薩摩藩士千田貞暁。暁部隊という通称の由来とされていて、1889年(明治22年)に工事終了、翌年竣工しました。
その後、1894年の日清戦争時に山陽本線が広島駅まで開通。これに合わせて広島駅から宇品港にいたる宇品線がわずか17日間の突貫工事で作られました。


宇品波止場公園にある宇品線のモニュメント

これ以降、広島は海外出兵を繰り返す旧日本軍の一大兵站基地となりました。ここに兵士たちが続々と連れてこられ、武器が運び込まれ、海外へ送り出されました。


陸軍船舶隊のこと

この兵士と武器の集積と送り出しを専門的に担当したのが陸軍船舶隊でした。部隊は兵士と武器を効率的に船に積み下ろしすることを目指しました。
もともと昔の港はどこも底が浅く、大きな船が近づけない。そのため小舟に兵や武器を乗せ換える必要があったわけですが、これがものすごく時間がかかる。
とくに研究が重ねられたのが中国侵略戦争において、中国軍の攻撃をかわしながらいかに迅速に上陸を行うかでした。そこで船舶隊から大きな技術革新が生まれました。

開発されたのは「上陸用舟艇」でした。それも木製の小舟が使われていた時代に、攻撃に耐えられる鉄製の箱のような船を作り出し、「大発」「小発」と呼びました。
さらに船舶隊は最新鋭輸送船も建造。船の後部ハッチを開いて、戦車を載せた「特大発」をはじめ、「大発」「小発」を吐き出すように発進させることができました。
これが可能になったことで、日本軍は上陸作戦が進化し、どんどん兵員を中国戦線に送り込み、奥地まで進攻していきました。


大発の図面と写真 ネットより

『暁の宇品』では技術開発の煌びやかさが描かれていますが、しかし反対に言えば船舶隊がそこまで頑張らなければ、日本は中国侵略戦争をあそこまで進められなかった。
そしてそれが日米戦争にもつながったわけですが、「大発」に刺激を受けたアメリカは後に上陸用舟艇を大規模開発し、沖縄上陸作戦などで多用しました。
つまり技術革新の成果が、日本を中国侵略にのめり込ませ、さらにアメリカによって日本攻撃に活用されたのです。軍事技術開発がかえって国を滅ぼすことに結果しました。



映画『史上最大の作戦』(1962)で描かれたアメリカ軍によるノルマンディ上陸の風景
陸軍船舶隊が開発した「上陸用舟艇」が多用されている


旧陸軍桟橋に立って

宇品中央公園で陸軍運輸部の名残りの碑などを撮影した後、近くの宇品波止場公園に移動しました。ここはかつて「陸軍桟橋」と呼ばれたところ。
今よりも海に向けて突堤が伸びていて、ものすごくたくさんの兵士がこの桟橋から小舟に乗り、沖に待つ輸送船へと向かい、そこから中国や南方へと送られたのです。
ここには歌人近藤芳美の詠んだ歌が記されていました。「陸軍桟橋と ここを呼ばれて 還らぬ死に 兵ら発ちにき 記憶をば継げ 芳美」


近藤芳美の歌碑 守田撮影

またここは正式には「六管桟橋」と呼ばれたそうで、その説明版にも「多くの兵士たちを送り出した一方、多数の遺骨の無言の帰国を迎え」と書かれていました。
ここから海に向かった兵たちの多くが10代末から20代だったでしょう。大戦末期にはもっと高齢の方もいたでしょうが、どんな思いでここを後にしたことでしょう。
当時、日本軍は兵士への配慮が極端に低い軍でした。ひどい目にあったでしょう。さらに中国に送られて民衆虐殺に加担させられたものもたくさんいたでしょう。


いまも護岸に名残りがる六管桟橋 ここから若者が戦地に送り出された 守田撮影

この陸軍桟橋で、その辛さ、悲しさ、そして虐殺などに加担させられたことの重みを僕なりに目いっぱい、受け止めたいと思いました。
そう。僕も近藤芳美さんが言われたように「記憶をば継げ」と思います。平和への思いを精一杯込めて。


宇品の海 現在の広島港フェリーターミナル付近から 守田撮影

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明日に向けて(2237)広島平和記念公園の中に溢れる平和への思いに触れて

2022年08月06日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220806 23:30)

広島平和宣言ーリアルな被爆被害について触れられなかった

広島のホテルからです。4日から連泊しています。今日は平和式典が行われましたが、なんとこれまでまったくなかったような厳重警備が施されていました。
公園にも申請をしなければ入れない。正確には170パーセントの申し込みがあって抽選になったので、申請をしても入れない方もいたらしい。
僕は森川聖詩さんと一緒に行動していましたが、やむを得ず僕のホテルの部屋でテレビで式典を見ました。

松井市長の平和宣言、僕にはなんとも中身が薄く感じられました。
あの日の広島のことに少し触れたのち、ロシアのウクライナ侵攻の話になり、核兵器の問題に移り、平和首長会議や核兵器禁止条約の話へと移っていきました。
それはそれで間違いでもないけれど、現に起きてしまい、かつ今も続いている被爆被害への言及があまりに少ない。

もちろん被爆二世、三世のことも何も出てこないし、核実験で被爆したグルーバルヒバクシャのことも出てこない。
黒い雨被爆者のことも出てこないし、まだまだたくさんいるはずで、見つけ出す必要があるのに。そもそも放射線被爆の影響そのものが、まだちっとも解明されてないのにそれも出てこない。
つまりリアルな被爆被害のことに何ら触ふれられていないのです。それがとても残念でした。

子どもたちの発言は、核の被害、戦争の被害を失くしていこうというピュアな気持ちに溢れていて胸を打たれましたが、だからこそ大人が、もっと被爆被害に切り込んでいかなくてはならない。
そうでないと、子どもたちに、さまざまな角度からの被爆を強いることになるからです!被爆と向き合うのは大人の責務です。
~なおいろいろ考えて、僕は今回の旅では、被爆、被曝、被ばく、などとかき分けられる言葉をすべて「被爆」で貫くことにしました。理由はおいおい書きます。


8月6日の広島 原爆ドームを元安川の対岸に見て 守田撮影

平和公園の中を歩いて

その後、森川さんとNHK広島支局前での慰霊祭に参加しました。あの日、NHKは34人の方が殉職されています。
そんな中で「電波を出せ」を合言葉に生き残られた方たちが奮闘され、北方にあった電波の発信所に向かわれた。その一人が森川聖詩さんのお父様、定實さんでした。
集まられたNHKの職員のみなさんは、そんな思いを受け継がれようとしておられるのだと思います。この日、あちこちでこうした慰霊祭が行なわれていました。

なお、このNHK前での追悼の場に、森川さんに挨拶したいと、共同通信の太田昌克さんが駆けつけて下さいました。
素敵な場でした。この点についてもまた後日詳しくご報告します。


太田昌克さん、森川聖詩さんと NHK広島支局前にて 守田撮影

さてその後、家路についた森川さんと別れ、警備の解かれた平和公園内に戻ってLIVE配信しながら歩きました。
たくさんの方たちが、原爆慰霊碑に、そしてまたいろいろな慰霊碑に祈りをささげていました。ボランティアガイドの方たちがたくさんおられて、そこここで説明もされていました。
思い思いのグループで集った人たちが、討論会をしていたり、合唱を行っていたり、さまざまな活動をされていました。




式典のあと2時間過ぎても慰霊碑に祈りを捧げる方たちが方たちが列をなしていた 守田撮影

僕には平和式典よりもこちらの方がよほど、充実しているように思え、このシーンを伝えたいと思いました。
ただある友人から「この点のこの撮り方はよくない!」などとありがたい助言をいただいたので、いったんアーカイブを取り下げ、京都に戻ってから編集してお届けすることにしました。
ともあれ8月6日の広島平和公園は、平和宣言は大したことなかったけれども、子どもたち、また公園を訪れたたくさん人々の平和への思いが幾重にも重なって、とても大事な場になっていました。
なお京都でも京都「被爆二世・三世の会」の仲間を中心にキャンドルビジルが行われたので写真で紹介しておきます。9日も行われます。


京都三条大橋でのビジルの様子

ともあれ、私たちが手にしている「平和力」の源がここにあります!
取材を続けます。

****

今回の広島・長崎の取材、けっこう資金を使っています。ぜひカンパでお支えてください。
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明日に向けて(2236)ヒロシマ、ナガサキの日にキャンドルビジルが(京都三条大橋午後7時より)

2022年08月05日 10時30分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220805 10:30)   

今年もキャンドルビジルを行います。

京都で毎年恒例となってきているヒロシマ、ナガサキの日のキャンドルビジルを今年も行います。
京都「被爆二世・三世の会」主催です。

僕自身は当日を広島市、長崎市で迎えるのでその場には参加できませんが、みなさんと心を一つにして静かな時を過ごそうと思います。



場所は京都三条大橋。東の端あたりに集合です。午後7時から8時までです。


思い思いのキャンドルをお持ちください

すでに京都「被爆二世・三世の会」の仲間たちがキャンドルを準備してありますが、ぜひ思い思いのものをお持ちください。
もちろんキャンドルなしでもご参加いただけます。

プラカード、メッセージボードも好き好きでお持ち下さい。
今年は久々に多くの方が広島、長崎に出向いているので京都におられない方も多いかと思いますが、ともあれ一緒に平和の祈りの場を作りましょう。

京都におられるみなさま。ぜひご参加を!


写真はすべて2021年のナガサキの日のビジルから 守田撮影

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明日に向けて(2235)広島・長崎を訪ねてきます!

2022年08月04日 15時00分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20220804 15:00)

広島・長崎を4日間ずつ訪問します

本日8月4日から広島に向かいます。色々な人と会い、色々な会合に参加します。滞在日は7日までです。
6日の慰霊の日を平和公園内外で過ごすのはもちろん、可能であれば宇品港と比治山にある陸軍墓地を取材してこようと思っています。陸軍船舶隊について調べているからです。
ただあまりの酷暑続き。天候と体調をみながら決めたいと思います。


広島平和記念資料館にて 守田撮影

その後、8日から11日まで長崎に向かいます。
長崎の「黒い雨」に詳しい方を始め、長崎県被災協で奮闘してきた方々とお会いします。
9日の式典も、とてもありがたいことに正式参加の整理券を手配していただけたので参列してきます。


長崎原爆資料館にて 守田撮影

総じて、広島、長崎のことをさらに一歩、二歩と深くつかんで帰ってきます。両地域の黒い雨のことも、可能な限りさらに深めてきたい。

 

資本主義の矛盾の根源を広島・長崎に見る

今回の旅を通じ、僕は「資本主義の矛盾の根源」を捕まえにいきたいと思っています。
というのは僕自身、17歳の春に社会運動に飛び込んでから、長い間、資本主義の矛盾を越えたいと思って来ました。
しかし最近になって思うのは、その資本主義の根源的矛盾を十分にとらえきれてなかったのではという点です。

端的に言って、資本主義の基軸産業は軍需産業なのだと思うのです。
それは資本主義が、大航海時代による軍事的掃討と制圧の繰り返しによる世界の市場への暴力的統合化に始まり、常に戦争を軸に動いてきたと言えるからです。
このため常にものすごく多くの産業が、軍事に絡んできました。その中核にいまのあるのが言うまでもなく核兵器体系であり、核産業の総体です。

もう一度、広島、長崎から原爆とは何か。被爆とは何かを問い直すことから、それを見つめ直すことで、もっと資本主義の暴力性に向かい合うことが大事なのではないか?


日本中にばらまかれた焼夷弾=ナパーム弾はスタンダード石油が開発。その顧問弁護士だったのがジョン・フォスター・ダレス!


資本主義の暴力性を越えるために

もちろんこの課題は合計8日間の訪問だけで達成できるものではありません。
できるだけ色々な方に会い、お話を聞き、いろいろなものを見聞きしてたくさんのヒントを集めてこようと思います。
このため帰ってきてから早急に報告会を行いたい。今のところ8月28日(日)夜を考えています。

いずれせよ、僕は原爆の問題を資本主義の暴力性を越える問題、ないしは資本主義そのものを越える問題として捉え返したい。
そう。その暴力性を越えるのに暴力にたよってはダメなのです。それでは資本主義の価値観に飲み込まれてしまうからです。
これまで多くの資本主義を越えようとする革命運動が、十分には越えたと言えなかった大きな壁がここにあったのではと思うのです。

そんな内容を広島、長崎でしっかりとおさえ、深めてきます。


昨年の夏はこうした催しなどにたくさんのものを学びました。それぞれ守田撮影


ぜひカンパでお支え下さい。

このため広島、長崎を走りまわらせていただきますが、ぜひみなさま、この活動をカンパでお支え下さい。
今回も可能な限り、LIVE配信を行います。「iPhoneの高熱化にはアイスノンを」というありがたい教えもいただいたので、アイスノン持参で行ってきます。
どうかよろしくお願いします。

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