明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1450)12月10日「ヨウ素剤を配ってよ@京都」キックオフします。また12日より四国全県をまわります。その後、京都市内、枚方市でもお話しします。

2017年11月24日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20171124 22:30)

前回に続いて12月の参加企画についてご案内します。

12月10日に「ウチら困ってんねん@京都」の企画、はじめよう!「ヨウ素剤を配ってよ@京都」を行います。
各地でヨウ素剤配布や原子力災害対策を進めるために奮闘している方たちを招きます。僕も講演しコーディネーターも務めます。
篠山市だけでなく、京都市からもみなさんと一緒に原子力災害対策を進め、その中で原発を問う声を、保守層を含めて一層あつくしていきたいと思います。ぜひご参加下さい!

続いて12月11日に伊方原発に行き、八幡浜の方たちと交流します。
翌12日より四国全県をまわります。コープ自然派しこくさんのお招きで、放射線被ばくのことをがっちりと学ぶ講演をします。
12日松山、13日高知、14日徳島、15日香川でそれぞれ午前10時から12時の開催です。

12月16日午後に京都市内の個人宅で、フランス・ドイツ訪問報告会の第二弾を行ないます。参加ご希望の方は僕にご連絡ください。
12月17日に枚方で原子力防災についてお話しします。脱原発政策実現全国ネットワーク関西ブロックのお招きです。

以下、詳細をお伝えします。

***

12月10日 京都市 左京区

京都の今とこれからを考えるvol.12
*はじめよう!『ヨウ素剤を配ってよ@京都』*
https://www.facebook.com/events/185516485330789/

再稼働した高浜原発から京都市役所まで約60キロ。
再稼働に反対しつつ、原子力災害への備えも大切です。
万が一の時に、子どもたちを守りきる備え。
その一つがヨウ素剤を準備すること。
災害をリアルに想定して、脱原発へと前進したい。

事前配布を実現した篠山市
備蓄を拡大した舞鶴市
市民発で動き出した米原市
議員発で動き出した八幡市
各地でヨウ素剤配布に取り組む人たちから
お話を伺うイベントを企画しました。
子どもスペースを設置しますので、
子どもさんもご一緒にご参加ください。
みなさまのご参加をお待ちしています。

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■ 日時:12月10日(日)13:30-16:30
■ 場所:京都大学吉田南キャンパス 総合人間学部棟 地下1B05教室
  吉田南キャンパスの正門入ってすぐ左手の建物です。
■ 参加費:500円(資料代として)

■ ゲストスピーカー
玉山ともよさん
添田光子さん
西村静恵さん
山田みすずさん
守田敏也さん

■ 申込み&問合せ:Tel 090-3704-3640(まきた)
■ 主催:ウチら困ってんねん@京都

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高浜原発が動いている

いつ事故が起こるかすごく心配
京都にも放射能が来る!

兵庫県篠山市では
去年1月から住民に
ヨウ素剤を配り出した
高浜から50~70㎞圏内、京都と同じ

滋賀の米原市が
配布の検討を始め
舞鶴市では
備蓄場所が4から32箇所になった

でも京都市は・・・・、ひどすぎる
せめてヨウ素剤を配ってよ!

だから
「ヨウ素剤を配ってよ@京都」を結成します

みなさん、一緒にやりませんか

***

12月12日~15日 四国四県

守田敏也:放射線被ばく学習講演会
内部被ばくから私たちと子どもの健康を守るために
しこく4県連続講演会 12月12日(火)~15日(金)
参加費 組合員300円 組合員外450円
託児費 お子様一人につき組合員300円 組合員外450円

お問い合わせ・お申し込み:生活協同組合 コープ自然派しこく
組合員サービスセンター 0120-408-300

各地のスケジュール。
いずれも9時半会場、10時から12時まで。

12月12日(火) えひめセンター

コープ自然派しこくえひめセンターにて
愛媛県松山市水泥85番地
http://www.shizenha.ne.jp/shikoku/detail/5/index.html?articleId=21932

なお別枠で13時から15時までのワークショップもあります。
コープ自然派 Lifeカフェ?
原子力災害~防災シートを作っておこう~
http://www.shizenha.ne.jp/shikoku/detail/5/index.html?articleId=21933

12月13日(水) こうちセンター

のいちふれ あいセンター2F第1研修室
高知県香南市野市町西野534-1

12月14日(木) 徳島センター

ふれあい健康館第1会議室
徳島県徳島市沖浜東2丁目16番地
http://www.shizenha.ne.jp/shikoku/detail/5/index.html?articleId=21917

12月15日(金) オリーブセンター(香川)

コープ自然派しこくオリーブセンター
香川県高松市前田東町440-1
https://www.shizenha.ne.jp/shikoku/detail/5/index.html?articleId=21931

***

12月17日 大阪府枚方市

原子力災害を考える
~原発事故から”少しでも”身を守るために~
http://www.page.sannet.ne.jp/stopthemonju/PDFbank/20171217chirashi.pdf

フクシマ原発事故は終わっていません。
10万人もの人々が故郷を離れ、190人もの子どもたちに甲状腺異常が出ても、電力は十分足りていても、国は原発を続けようとしています。
たとえ止まっていても、日本には59基の原発が作られ、使用済み核燃料を1万7千トンも貯めたまま。プールで冷やしているだけで、大変キケンな状態です。この他に六ケ所村の再処理工場もあります。
地震の活動期に入り、南海トラフの巨大地震・大津波も近づいている中、いつ、どこで次なる大参事が起こるかわかりません。更にテロや、ミサイル・ヘリ・軍用機の落下もありえます。
一番の防災は、まず脱原発ですが、不測の事態も考える必要があり、とりわけ、幼い子どもたちを守るには、ヨウ素剤の常備が必要です。
全市をあげて、被害を最小限にくいとめる努力をしている丹波の篠山市の実例を学習しませんか?多数のご参加をお待ちしています。

12月17日(日) 13:00開場、13:30開演
枚方市民会館 第3会議室 京阪枚方市駅より南へ4分
おはなし 守田敏也さん

主催 脱原発政策実現全国ネットワーク関西ブロック
連絡先 ストップ・ザ・もんじゅ 〒573-0028 大阪府枚方市川原町1-5
tel 072-843-1904 fax 072-843-6807
賛同団体多数(詳しくはPDF版チラシをご覧ください)

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明日に向けて(1449)京都市、加古川市で原子力防災についてお話します。mumokutekiでの異色対談にも参加します!

2017年11月24日 21時30分00秒 | 講演予定一覧

守田です(20171124 21:30)

明日より横浜市、世田谷区、富士宮市、京都市と連続講演します。
詳細は「明日に向けて(1448)」に載せていますのでそちらをご覧下さい。

さらにその後にもさまざまな場で講演させていただき、対談等にも参加します。クローズドな企画もあります。
今宵はそれらを列挙してお伝えしておきます。お近くの方、ぜひご参加ください。なお長くなるので2回のメールに分けます。

12月1日の午後と夜に新日本婦人の会京都のみなさんを対象にお話会をします。午後と夜(キンカン行動を挟んで)の開催です。

12月3日に京都市西京セロネットでお話しします。西京区役所で午後1時半からです。
12月4日に異色対談に参加します。「311以降の日本と、これからの日本」ダイアローグというタイトルです。
登壇者は・谷崎テトラ(放送作家)・沖野修也(音楽家/DJ)・座間宮ガレイ(日本選挙新聞代表)・丹下紘希(人間/映像作家)・守田敏也(ジャーナリスト)・栗乃まろん(クラシカルホメオパシー)・樋口摩彌(社会学者)・出路雅明(ヒューマンフォーラム代表)です。

12月5日に午後3時から奈良県法隆寺駅そばで養護教員の組合にてお話しします。クローズドな会ですが、奈良県の方でご参加希望の方は直接僕にご連絡ください。
12月9日に加古川市でお話しします。「原子力防災と福島避難者の声を聞く会」というタイトルです。午後2時からです。

なお12月9日から京都市のひとまち交流館にて、写真展「スマホでほっと」が開催されます。
僕も「世界は日本(福島)からの発信を渇望している!」と題して幾つかの作品を出展しますが、僕が撮ったものよりも僕が海外を訪れた際に受けた報道内容(新聞記事)などを出展します。
紙面にデカデカと僕の写真が載ったトルコ紙など、実物のカラーコピーも展示してくださるそうです。
僕は16日夕方6時ごろに現場にお邪魔します。

以下、詳細をお知らせします。なおクローズドな会、それに準じる会のご案内は割愛します。

***

12月3日 京都市 西京区

西京原発ゼロネット第12回つどい
https://www.facebook.com/events/1921205278197715/?active_tab=discussion

12月3日(日曜日)
13:30~16:00
西京区役所(千代原口)
 参加無料(会場でのカンパお願いします)

「安定ヨウ素剤」配布はなぜ必要か?
 ~原発事故から身をまもるために~

①お話 木船郁子さん(子ども未来を考える舞鶴ママの会)
②お話 守田敏也さん(ジャーナリスト)

主催 原発ゼロをめざす西京ネットワーク
連絡先 事務局 TEL075-394-5996 FAX075-394-1050

***

12月4日 京都市 mumokutekiホール

「311以降の日本と、これからの日本」ダイアローグ @mumokuteki ホール
http://mumokuteki.com/hall/hnews/1905

311以降の日本をどのように感じ、どのように生きて来たのか?
そして、これからどのように未来を手繰り寄せていくのか?
全く異なるジャンルの登壇者からの言葉を融合し、明日の生き方を探るダイアローグ!

 日時:12月4日(月)17:00~20:00
場所:mumkuteki ホール
参加費:2000円

ダイアローグ予約サイト
http://ur0.biz/H4LO
(予約された方から優先的に入場出来ます。定員に達したら受付終了となります。)

◎登壇者
・谷崎テトラ(放送作家)
・沖野修也(音楽家/DJ)
・座間宮ガレイ(日本選挙新聞代表)
・丹下紘希(人間/映像作家)
・守田敏也(ジャーナリスト)
・栗乃まろん(クラシカルホメオパシー)
・樋口摩彌(社会学者)
・出路雅明(ヒューマンフォーラム代表)

◎司会
廣海緑朗(mumokuteki/NPO法人みんなの地球のくらしかた)

※このイベントは信頼資本財団の理念に共感し、11月11日からの「HOSP月 間」の提携イベントとして開催致します。(HOSP月間:http://hosp.strikingly.com/

懇親会 20:15〜21:30
終了後に懇親会を同会場で開催します。
オーガニックや無添加に配慮したお弁当とお飲物をご用意致します。
お食事をしながら親交を深め、歓談の場として下さい。
参加費:3000円(お弁当付き/ドリンク別途)
※懇親会のみの御参加も可能です。「Naturalist」の特製弁当を御用意致します。
 
懇親会予約サイト
http://ur0.biz/H4Me

主催:(株)ヒューマンフォーラム mumokuteki
協力:信頼資本財団

お問合せ:hall@mumokuteki.com

***

12月9日 兵庫県 加古川市

「原子力防災と福島避難者の声を聞く会」~守田敏也さん講演会~

と き:12月9日(土)14時開会~16時半
ところ:県加古川総合庁舎1F かこむ講座研修室
テーマ:「原子力防災と福島避難者の声を聞く会」

内 容:講演と報告
①  「原子力防災(篠山市の教訓)と世界の流れ」 90分
フリージャーナリスト  守田敏也さん 
②  福島原発事故避難者の声           30分
福島県からの避難者  菅野みずえさん
③  フリー討論                 25分

参加費:前売り500円 当日700円

主 催:脱原発はりまアクション
共 催:コープ自然派兵庫

***

12月9日~17日 ひとまち交流館・京都

写真展「スマホでほっと」
https://www.facebook.com/events/353122115111369/

スマホでバシバシ写真を撮って人に見せては自慢しているT・Tが仲間25人と共に開く壮大な写真展。
400枚を超える写真には、暮らしと人生、風景と生きもの、たたかいと休息、実にさまざま。ひょっとすると、「あら、わたしが撮った写真みたい」「映ってるのは、わたしかしら」と、あなたが想われるものがあるかもしれない。

12月9日~17日
ひとまち交流館・京都

平日  13時から20時
土曜日 10時から20時
日曜日 10時から17時
最終日 10時から15時

京都民報の記事です。
https://www.facebook.com/allrightSmartphonespictures/photos/gm.363336940756553/329252904144893/?type=3&theater

主催:京都市民のいい顔を見る会・写真展実行委員会
連絡先:09096276366(とう) atomical@dream.com(吉田)

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明日に向けて(1448)原子力防災について、ヨーロッパの反核事情について、横浜、世田谷、富士宮、京都でお話します!

2017年11月21日 17時00分00秒 | 講演予定一覧

守田です(20171121 17:00)

11月15日に帰国しました。素晴らしい旅でした。支えていただいたみなさんにあらためて感謝を申し上げます。

すぐ翌日16日に「ウチら困ってんねん@京都」のミーティングに出席し、18日には日本共産党京都府後援会総会に招かれて20分ほどスピーチさせていただきました。
19日にも京都市伏見区の醍醐母親大会で講演させていただき、今週末にさまざまなところでお話させていただきます。
今回はさしあたってのスケジュールをお伝えしておきます。

11月22日は京都市中京区での京都被爆2世3世の会例会で、この間の旅の報告を行います。
11月25日は横浜市鶴見区でのAPAST主催企画で、後藤政志さんとジョイントでお話します。僕の演題は「ヨーロッパの原発事情と核のない未来の展望」です。
11月26日は東京都世田谷区で原子力防災についてお話します。保坂展人世田谷区長と対談もさせていただきます。
11月27日は静岡県富士宮市で原子力防災についてお話します。世田谷でも富士宮でもとくにヨウ素剤配布に焦点をあてて話します。
11月29日は京都市左京区で「フランス・ドイツの原発事情と核のない未来の展望」というタイトルでお話します。この間のフランス・ドイツ訪問の報告会第二弾です。

以下、詳細をお伝えします。

***

11月22日 京都市
京都「被爆2世・3世の会」例会にてフランス・ドイツ訪問報告
午後6時30分よりラボール京都4階にて。例会も含めて一般参加可能。
京都市中京区壬生仙念町30-2 阪急電車西院駅から徒歩5分
「2世・3世の会」ホームページ http://aogiri2-3.jp

***

11月25日横浜市鶴見区

APAST主催講演会【ヨーロッパの原発事情の現地報告と再稼働問題】を考える

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10212254210648758&set=pcb.10212254214368851&type=3&theater

「ヨーロッパの原発事情と核のない未来の展望」
~ドイツ、ベラルーシ、トルコ、ポーランド、フランスを訪れて~
フリージャーナリスト 守田敏也

「福島原発と同型の沸騰水型原発の再稼動」
~柏崎刈羽原発・東海第二原発・女川原発の技術的問題~
APAST理事長 後藤 政志

2017年11月25日(土)14時~17時15分
鶴見駅前ホール(4階 第一会議室)
横浜市鶴見区豊岡町3番28号第二竹内ビル(1階ツタヤ)4階
JR京浜東北線 鶴見駅 西口徒歩1分
一般:800円、会員500円
終了後、懇親会を予定しています。

***

11月26日 東京都世田谷区

その日その時、子どもの命を守るために
https://www.facebook.com/events/1466295220122921/

6年半前のあの時、あなたは何をしていたか覚えていますか?
そしてもし明日、その時がきたら?と、想像してみましょう。
あなたは何をするでしょうか?
 
「M7クラスの直下型地震が30年以内に70%の確率でおこる」とされている、首都圏に住む私たち。
次の原発事故が起こった時、私たちはあの時のように立ち尽くさず、 子どもの命を守る行動がとれるでしょうか?
水に食料、懐中電灯にラジオ・・・・さまざまな災害への備えの中に 「原子力災害」への備えをプラスしませんか?  
講師は市民防災の第一人者として、全国を飛び回っている守田敏也さんです。 守田さんの「目からウロコの防災考」を聞いて、 今日からできる「その時」への備え方を学びましょう。
後半の守田さんと保坂区長の対談も必見ですよ!
 
タイムテーブル
11月26日(日)13:30~16:00
・13:30~ 守田敏也さんのお話「講演タイトル」
・14:45~ 守田敏也さんと保坂区長の対談
 
会場:生活クラブ館地下1階スペース
〒156-0051 東京都世田谷区宮坂3丁目13
https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E9%A4%A8/@35.6529837,139.6376165,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xbe8f6261cb47548!8m2!3d35.6529837!4d139.6376165
 
参加費:500円
託児:ありませんが、会場内にキッズスペースを設けます。 お子様連れでのご参加、大歓迎です!
お申込み:「こくちーず」にてお申し込みください。
http://kokucheese.com/event/index/490465/ 
※イベント終了後に守田敏也さんを囲んだ懇親会を企画中です。 会場・参加費等の詳細は追ってお知らせ致しますので、今しばらくお待ち下さい。
 
共催
福島の子どもたちとともに・世田谷の会
羽根木割烹着ーず

主催:せたがや防災 i 131

***

11月27日 静岡県富士宮市

原発災害からの命の守り方
https://www.facebook.com/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E7%81%BD%E5%AE%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%AE%88%E3%82%8A%E6%96%B9-126334834730117/

東日本大震災、福島原発事故から6年8か月が経ちました。しかしいまだに、ふるさとである福島に帰られない方々が多くいらっしゃいます。
地震後の原発事故による放射能汚染にたいし「安定ヨウ素剤が手元にあれば、子どもに飲ませたかった」と後悔している保護者の方がいます。
3.11以降富士山のきのこが放射能で汚染されました。
富士宮市は浜岡原発から80㎞離れていますが、安全とは言い切れません。今後私たちは原発災害からどのようにいのちを守ったらいいのでしょうか。
守田さんのお話を聞いて皆さんと一緒に考えましょう。

11月27日(月) 午後7時~9時
駅前交流センターきらら 第一会議室
(富士宮市中央町5番7号 JR富士宮駅北口 電話番号0544-22-8111)
講師 守田敏也氏

主催:防災を考えるみんなの会(連絡先:090-2133-9030山田)

***

11月29日 京都市左京区

守田敏也報告会 フランス・ドイツの原発事情と核のない未来の展望~パリ、アルザス・ロレーヌ、オーバハウゼン、ドルトムントを周って~

https://www.facebook.com/events/1624126624312703/

11月29日(水)午後7時~9時
キッチンハリーナにて
606-8267 京都市左京区北白川西町85-4
参加費1000円

守田です。10月末よりパリに渡り、11月2~4日に反核世界社会フォーラムに参加。その後、アルザス・ローレーヌ地方のエピナル、コルマールで講演。さらにドイツに渡ってオーバハウゼンで講演し、ドルトムントでNGOのIBBの会議に参加して、福島の今、日本民衆の今を発信するとともに、各国からパリに集った人々と交流を深めるとともに各地の脱原発運動との交流も実現してきました。
ハリーナさんの場をお借りしてまずは報告会の第一弾を行います。ぜひご参加下さい。参加費1000円です。

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Vers demain (1447) Articles français à Epinal, Colmar! (明日に向けて(1447)エピナル、コルマールでのフランス語記事です!)

2017年11月12日 08時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)
Toshiya Morita  20171112  08:00
 
Il y a des articles sur moi à Epinal et à Colmar.
Ils sont écrits en français.
S'il vous plaît les voir.
 
There are some articles about me at Epinal and Colmar.
They are written in French.
Please see them.
 
エピナルとコルマールで僕に関する記事が幾つかでました。
フランス語で書かれたものですが掲載します。
リンクなどもぜひご覧下さい。
 
***
 
Fukushima 6 ans après – Toshiya Morita journaliste témoigne …
B.BOULAY 8 NOVEMBRE 2017

http://www.actu88.fr/fukushima-6-ans-apres-toshiya-morita-journaliste-temoigne/

A la demande de l’association, Vosges Alternatives au nucléaire, le journaliste Toshiya Morita est venu hier parler de l’après catastrophe nucléaire de Fuskushima-Daiichi. 6 ans après, les habitants sont toujours pris au piège de la contamination, mais il n’y a presque plus d’aide et le monde oublie l’onde de choc.

6 ans après la catastrophe, le désastre industriel, économique, humain et sanitaire est loin d’être sous contrôle ! « Le gouvernement ment, affirme Toshiya Morita, un journaliste militant, mais les gens qui lui faisaient confiance jusqu’à la catastrophe ou même juste après, l’ont bien compris. » 

Rien n’est sous contrôle

Il lui faut dire que tout est maîtrisé pour éviter la panique au Japon et le rejet des autres pays, d’autant plus que les Jeux Olympiques vont avoir lieu à Tokyo dans 2 ans et certaines des installations ne pourraient être située qu’à 60km de la zone irradiée d’après le journaliste … mais les gens se rendent compte que rien n’est sous contrôle …

7000 personnes travaillent toujours à la décontamination

Les Japonais se battent toujours contre la contamination radioactive. La radioactivité bloque le démantèlement et la reconstruction économique du secteur Nord Est. Les coûts pour décontaminer sont évalués à plus de 170 milliards d’€. 7000 personnes travaillent toujours à la décontamination. Il n’y a souvent pas d’autres solutions que de gratter la couche de terre supérieure des zones contaminées sur 5 cm pour les mettre dans des sacs plastiques sur des zones aérées, sans qu’on sache vraiment quoi faire de ces dépôts.

Les robots ne résistent pas à la concentration radioactive

Sur les réacteurs 1,2,3, les coeurs ont fondu pour former du corium, un magma extrêmement radioactif et il n’est toujours pas possible de les approcher. Les robots enregistrent des taux de radioactivité de 530 siverts/h. Une personne exposée à ces taux mourrait presque instantanément. Ne pouvant pas approcher, puisque même les robots sont hors circuit au bout de quelques heures (câbles électriques détruits), il n’y a pas moyens de savoir où ces magmas de combustibles fondus se sont répandus. Ils ont été pour l’instant confinés.

Au moins 40 ans pour le démantèlement, sûrement beaucoup plus

« Le recours à la robotique est  toutefois indispensable pour tenter de déterminer la méthode d’extraction du combustible fondu, qui devrait démarrer au mieux en 2021, dix ans après la catastrophe« , d’après , Naohiro Masuda, responsable du démantèlement de Fukushima chez Tepco.

Des pestiférés …

Les allocations aux populations déplacées sont arrêtées depuis mars 2017, parce qu’on estime que 6 ans est suffisant pour se réorganiser ailleurs. Plus de 160 000 personnes avaient été déplacées et celles qui n’ont pas de moyens suffisants, sont contraintes de retourner dans la zone où elles ont tout laissé. Des camps ont été établis. Ces personnes sont devenus des réfugiés. 10% sont revenus sur leurs terres, ce sont surtout des personnes âgées, qui n’ont souvent pas d’autres solutions. Il faut savoir que la famille et les amis ne veulent souvent plus les héberger, les aider ou même les cotoyer. Elles sont devenues des parias du fait du risque de leur contamination.

Retour sur les zones contaminées

Pour éviter cette exclusion, les gens ne parlent plus. Ils ne disent plus qu’ils peuvent être malades, qu’ils ont tout perdu. Ils cachent le plus longtemps possible les répercussions que la catastrophe pourraient avoir sur eux, juste pour avoir droit à un avenir, pouvoir travailler et avoir une vie familiale et sociale. 70% des territoires contaminés et interdits sont déclarés « habitables ». Les collectifs s’organisent. Plus de 100 associations citoyennes aident les habitants à mesurer la radioactivité, traiter les plus vulnérables par la prise de pectine de pomme et organiser des opérations de décontamination.

Toujours pas habitable d’après Greenpeace

Greenpeace, dans son rapport « No return to normal » (« Pas de retour à la normale »), s’appuyant sur des mesures réalisées sur le terrain, affirme que la zone évacuée n’est toujours pas habitable du point de vue sanitaire. Mais quand on n’a plus les moyens de se payer quoi que ce soit, on va chercher dans la forêt des champignons contaminés ou on fait pousser des légumes dans une terre gorgée de matière radioactive ! Ce fut aussi le cas à Tchernobyl, quand les aides se sont arrêtées, l’année des 30 ans de la catastrophe, le taux de cesium 137 dans les organismes a fait un bond, parce que les gens n’ont plus d’autre choix que de manger de la nourriture contaminée.

« Évacuez tout de suite ! »

La dose limite d’exposition est normalement d’un millisievert par an. Au delà de 10mSv par an, il fait mettre les populations à l’abri, au delà de 50mSv par an, il faut évacuer. Mais pour les travailleurs du nucléaire, le taux est de 20mSv/an. Toshiya Morita insiste : « Si une catastrophe nucléaire se produit, il n’y a qu’une solution, évacuer et ne surtout pas écouter le gouvernement quand il vous dit que tout est sous contrôle !« . Les Japonais ont fait confiance aux autorités et beaucoup sont restés exposés trop longtemps avant de partir.

168 fois plus de Césium 137

Le traumatisme reste indélébile. C’est ce dont veut aussi témoigner le journaliste qui est un ressortissant de 2e génération des survivants des bombardements atomiques de Hiroshima et Nagasaki. Son père était un survivant mais il ne l’a appris qu’adolescent. Mais il faisait partie de ces « hibakusha » et il est mort à 59 ans d’une maladie neurologique, 35 ans après le bombardement. Selon le quotidien Tokyo Shimbun, il y aurait après Fukushima, 168 fois plus césium-137 dans l’atmosphère que lors de l’explosion de la 1ère bombe atomique à Hiroshima en 1945.

Impact sanitaire considérable

Il est trop tôt pour évaluer de manière chiffrée les conséquences sanitaires de l’irradiation. Une étude fait état de plus de 135 jeunes de moins de 18 ans ayant développé un cancer de la thyroïde (août 2014). 2 ONG « Physicians for social responsability » (PSR) et « International Physicians for the Prevention of Nuclear War » (IPPN) estiment que la catastrophe pourrait être responsable de 9 600 à 66 000 cas de cancers supplémentaires au Japon (mars 2016).

Tellement fatigués …

Les habitants, eux, observent une augmentation des maladies respiratoires, des insuffisances cardiaques, des maladies neurologiques et des problèmes de peau. Les malaises sont tellement nombreux qu’on a vu fleurir affichettes pour dire que si vous vous sentez mal, il faut descendre à l’arrêt suivant. Les habitants se disent tellement fatigués, qu’ils ne veulent plus se soigner. Ils n’en ont souvent plus les moyens et ne pensent plus non plus que ce soit efficace.

Des mutations héréditaires

Après l’explosion, les équipes ont dû arroser les cœurs des réacteurs et les piscines de combustible, mais l’eau se retrouve chargée d’éléments radioactifs. Elle a été stockée dans des réservoirs sur place mais ils ont été endommagés dans l’explosion et y a eu les nombreuses fuites radioactives. L’océan a été pollué et le césium s’est répandu dans le monde par l’intermédiaire du pacifique. Des études scientifiques ont montré des mutations sur les papillons bleus et les oiseaux. Les expositions à la radioactivité peuvent altérer directement l’ADN des gènes et entraîner la mort ou provoquer des anomalies héréditaires qui ne s’exprimeront souvent qu’après plusieurs générations.

Plus grande pollution radioactive marine

La contamination de l’environnement marin suite à la catastrophe est considérée comme étant la plus grande pollution radioactive marine de l’histoire ! La concentration en cesium des thons auraient été multipliée par 10 par rapport aux relevés d’avant Fukushima. Même si les autorités tentent de relancer l’économie, dont la force était liée à l’agriculture et à la pêche, les produits sont boycottés. Les consommateurs se méfient. Le ministère japonais des sciences estime ainsi que ce sont plus 30 000 km² qui doivent être considérées comme contaminés soit plus de 8% de l’archipel.

Le peuple ne veut plus du nucléaire

Malgré tout, la catastrophe ne semble pas avoir servi de leçon. Avec le temps, le choc s’estompe et la population se retrouve seule confrontée à ce désastre. Par contre, le peuple se lève massivement contre la réouverture des réacteurs. 3 sont de nouveau en activité (2 de Sendai et un d’Ikata) mais le peuple japonais, dont la culture n’est pas à la rébellion ouverte, a manifesté en juillet 2012 (170 000 personnes le 16 juillet et une chaîne de 10000 personnes le 29 juillet).

***

ÉPINAL  RADIOACTIVITÉToshiya Morita, un Japonais en colère

 
Le journaliste japonais Toshiya Morita était à Epinal ce mardi à l’invitation de l’association Vosges alternatives au nucléaire. C’est un homme en colère qui parle six ans après la catastrophe de Fukushima. « Ne faites surtout pas confiance au gouvernement japonais ». Toshiya Morita, journaliste japonais était à Epinal ce mardi soir à la faculté de droit dans le cadre d’une conférence donnée sur le 6e anniversaire de la catastrophe de Fukushima au Japon. C’est un homme révolté qui a parlé à l’invitation de l’association « Vosges alternatives au nucléaire ». Le fait que le Japon ait décroché l’organisation des JO d’été en 2020, ça le « dégoûte » tout simplement. 
Toshiya Morita a décrit un pays où la fracture est devenue profonde entre l’opinion publique et le pouvoir. Il dénonce un système électoral pas assez démocratique. « Dans le métro à Tokyo, de plus en plus de gens ont des malaises. Il y a même des panneaux qui mettent les voyageurs en garde et qui leur demandent de sortir dès la prochaine station en cas de malaise ». Le journaliste, dont le père est mort à 59 ans des suites de la bombe d’Hiroshima décrit une population fatiguée et dénonce le mensonge d’État soutenu en plus par une partie des scientifiques et du corps médical. « Ils disent que le Japon est sûr, regrette-t-il. « Mais n’allez pas à Tokyo ». Alors que le césium 137 met plusieurs centaines d’années à disparaître, Toshiya Morita dénonce la fin des aides aux populations déplacées. « De plus en plus de personnes retournent vivre dans les environs de Fukushima, car les allocations ont été coupées », souligne-t-il. Le journaliste décrit un pays où les normes de sécurité ont été augmentées. En France, la dose maximale de radiation admissible a été fixée à 1 millisievert par an. Au Japon elle est de vingt. Des chiffres qui laissent songeurs.
 
***
 
Fukushima et le nucléaire en question ce soir à Epinal
Publié le Mardi 7 Novembre 2017
 
Il est lui-même le fils d'une victime de la bombe d'Hiroshima qui, selon le musée du mémorial pour la paix, aurait fait 140 000 victimes le 6 août 1945, le journaliste Toshiya Morita est l'invité, ce soir, à la fac de droit à Epinal, de l'associationVosges Alternatives au Nucléaire . Le temps d'une conférence, il fera le point sur le Japon, 6 ans après la catastrophe nucléaire de Fukushima. Toshiya Morita exposera également l’état sanitaire de la population, la reprise progressive de la production électrique nucléaire, l’insuffisance des mesures de radioprotection et l’actualité du mouvement anti-nucléaire japonais.

L’association Vosges Alternatives au Nucléaire souhaite ainsi "attirer l’attention des Vosgiens sur le danger permanent que représente cette industrie et l’impréparation totale de la population française à la radioprotection" nous dit-on dans un communiqué avant d'ajouter : "la centrale de Fessenheim étant encore en activité, ce qui est arrivé au Japon en 2011 peut arriver demain à la porte des Vosges et toucher directement notre département".

Début de la conférence à 20h.

***

QUESTIONS À TOSHIYA MORITA, ANTINUCLÉAIRE

RECUEILLI PAR FRANCK BUCHY 10/11/2017 à 05:00

http://www.dna.fr/edition-de-colmar/2017/11/10/ne-croyez-pas-les-gouvernements

« Ne croyez pas les gouvernements »

Stop Fessenheim a invité Toshiya Morita, journaliste et militant antinucléaire japonais, à témoigner à Colmar de son combat et de la situation six ans après la catastrophe de Fukushima.

■ En quoi votre histoire person- nelle explique-t-elle votre com- bat ?

Mon père était un hibakusha, un survivant de l’explosion atomique de Hiroshima, et ma mère a survé- cu au grand bombardement de Tokyo. Mon père était alors mili- taire et on lui a demandé de se rendre en ville pour sauver les blessés. On lui a dit qu’il ne ris- quait rien. C’est dégoûtant. C’est pourquoi je hais les guerres, les armes nucléaires en particulier, et les centrales nucléaires. J’ai commencé à militer à 17 ans. C’est pour cette raison aussi que j’ai travaillé pour protéger la popula- tion des expositions à la radioacti- vité depuis l’accident de Fukushi- ma. Il est de ma responsabilité de dire la vérité sur cette industrie très dangereuse.

■ Pourquoi la relation particuliè- re du Japon à l’atome n’a-t-elle pas abouti au rejet de cette filiè- re?

On a fait croire aux victimes des bombes nucléaires que l’atome était bon pour la paix. C’est le discours que tenaient les États- Unis. Or nous sommes une colo- nie américaine. Il y a aussi un problème de représentativité des citoyens. Alors que 70 % des Japonais sont opposés aux centra- les nucléaires, le parti majoritaire, pro-nucléaire, occupe 70 % des sièges du parlement. Nous devons changer ce mode de scrutin. Concernant l’accident de Fukushi- ma, le gouvernement ment, mais les gens, qui lui faisaient confian- ce jusqu’à la catastrophe ou même juste après, l’ont bien compris.

■ Qu’est-ce qui a changé après l’accident ?

Les 55 réacteurs ont été fermés les uns après les autres. Après des inspections, il en reste 42 opéra- tionnels dont cinq ont été remis en route pour permettre au Japon et à son industrie de rester posi- tionnés sur le marché mondial de la technologie nucléaire. L’acci- dent a permis une prise de cons- cience de la population. Des manifestations se sont dévelop- pées tous les vendredis soirs. Elles ont rassemblé plus de

200 000 personnes. Le mouve- ment s’est développé dans le pays pour atteindre aujourd’hui une centaine de manifestations par semaine. Tokyo est aussi touchée par les incinérateurs qui brûlent des déchets radioactifs ; la popu- lation trinque alors que les autori- tés nient les maladies et les pro- blèmes de santé qui y sont liés.

■ Quel message portez-vous ?
Il faut se méfier des informations des gouvernements. Les informa- tions sur le danger du nucléaire sont insuffisantes. Les citoyens ne s’imaginent pas des conséquences quand ça se passe loin de chez eux ; chez les autres, ça ne comp- te pas. J’élabore des plans d’éva- cuation avec les communes pour sensibiliser la population.

RECUEILLI PAR FRANCK BUCHY

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明日に向けて(1446)アルザス・ローレーヌの人たちとともに未来を切り開きたい!

2017年11月11日 07時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20171111 07:30 ドイツ・ミュールハイム時間)

フランス東部の都市、エピナルとコルマールへの訪問を終えて、ドイツのミュールハイムに来ています。
桂木忍さんのお宅に滞在中です。いつもお世話になっている方です。
昨夜はその桂木さんと夕方に出かけて隣町のオーバーハウゼンで講演してきたのですが、今回はその報告の前にエピナルとコルマールでの日々について報告しておきたいと思います。
 
先にちょっと訂正を書いておく必要があります。エピナルについて僕は前の記事で「アルザス地方の」と書いてしまいましたがそうではありませんでした。正しくはローレーヌ地方でした。そこから車で2時間の旅で山を越えて辿り着いたのがアルザスのコルマールでした。パリで知り合った日本人の飛幡祐規(たかはたゆうき)さんから丁寧なご指摘をいただきました。引用させていただきます。
 
「エピナルですが、ここはアルザス地方ではなく、現在の地域圏はGrand Est(大東部地域圏)、歴史的にはローレーヌ地方(ドイツとフランスでとりあい、何度もドイツ側になった「アルザス・ローレーヌ地方」のローレーヌのほうです。
県はヴォージュ県で、アルザスの二つの県とは別で、地域圏改正の前はアルザスとは別の地域圏に属していました。」
 
引用はここまでです。
実はこの旅に同行してくださったローレーヌ地方出身のジャンルークさんと、アルザス地方出身のマリーミッシェルさん夫妻がこのことを僕に話してくれたのですが、僕はジャンルークさんの語るフランスの地名がよく聴き取れず、この点を掴み損ねていたのです。あとから気がつきました。フランス語は日本語圏で育った僕には発音が難しくて地名や名前も聴き取りにくいし覚えにくいです。
 
さてこのアルザス・ローレーヌ地方、ドイツでもあったところでとくにアルザスのコルマールの町並みはとてもドイツっぽい。7月末に訪れたブラウンシュヴァイクにもとてもよく似ているなという感じを受けました。ここはフランス・ドイツ両国が戦争で取り合いを繰り返した地なのだそうです。このためこの地域の方はドイツ語っぽい発音もするのだとか。土地の名前もドイツ語由来のものが多い。
この地域はまたたくさんのワインを作っているところです。ヴォージュワイン、アルザスワインなどがたくさん作られている。とくにアルザスは低い山地が広がっていて斜面にどこまでもワインのためのブドウ木が植わっていました。
山並みの中や町の中を案内してくれた方に「これがアルザスなのですね!」と言ったら嬉しそうに「Yes!」と返してくれました。
いまはブドウは刈り取られた後でしたが、なんだかとても愉快になりました。もちろんワインも何度も飲ませていただきました。夜だけではなくて、お昼でも、そして講演の直前でも!だって出て来てしまうのだもの。。。
 
講演会には両会場とも60人の人が集まりました。どちらも主催者の予想を超えたそうです。これまた嬉しかった。
講演は英語で行ない、フランス語に通訳してもらいました。エピナルの方たちが事前に僕の文章をきちんとしたフランス語に訳したテキストを作ってくださり、コルマールでもそれを使えました。そのまま訳文をいただいてきました。僕の初めての仏文翻訳文章です。ありがたいことです。
 
講演後の質疑応答では、エピナルでは僕が日本のさまざまなデモの写真を見せたことに対して「感動した。こんなにデモがあるとは知らなかった。ちっとも報道されていない。真実を知れて嬉しい」という反響が返ってきました。僕は「それが僕がここに来た理由です。日本で起きている真実をもっとたくさん伝えなければ。それが僕の責務だと思っています」と答えました。
一方で僕の日本での活動に対してもさまざまな質問がなされました。「警察による弾圧はないのか」「恐ろしいと思ったことはないか」と聴かれたので、「長い活動歴の中でこれまで5回逮捕されたことがあるけれども、大した問題ではないです」「私たちには人権があるので拷問などできません。だから警察の弾圧なんて恐れなければそれでいいのです」と語ったら共感してくれました。
 
コルマールでは様子がちょっと違っていました。ここはフェッセンアイムという原発がすぐそばにあります。講演会を主催してくださったのも「ストップ フェッセンアイム」という団体で活動家の方たちもたくさん来て下さっていたのです。それで僕の話のうち、篠山市での安定ヨウ素剤の事前配布のことに質問や感想が集中しました。
多くの方が、篠山の「普通の」人々や保守サイドの方たちを含めて、これまでの反原発運動では手が届きにくかったより広範な方たちと僕が協力関係を作り出して原子力災害対策を進めていることに共感してくれたのですが、積極的な活動家で、なかなか人々が立ち上がらないことにいらついている若者からこんな意見も出てきました。
 
「ヨウ素剤を配って人々の意識が変わるなんてそんな夢みたいなことを言うなよ。マンガの冊子だって子どもだましじゃないか」。。。すると会場から次々と違う意見が。「こうやって人々を説得するのは素晴しいじゃないか。僕らももっとこういう視点を持とうよ」「これは日本の素晴しい文化だよ。フランスじゃいつも反対運動がいがみあっているばかりじゃないか。お互いを尊重し合う文化に学ぼうよ」
 
それで僕はこう答えました。「いや、これは日本の文化とは言えません。日本でも同じようないがみあいが多く続いてきました。自分の人生を振り返ると半分は国に対して怒りのコブシを上げる時間でしたが、半分はいがみ合いを調停し一致点をみつけようと必死になっていた時間でした。いまその経験が生きてきています」「大事なのは相手をリスペクトすること、相手の素晴しい点を見つけ出して、合流していくことだと思います。使い古された言葉かも知れませんが愛が大事だと思います」。
多くの方が賛同してくれました。残念ながら若者は「けっ」と言った感じで出て行ってしまったけれど。。。
 
さらに「みんな原発反対なのにこんな小さな集まりでもこうやって激しく言い合っている。もうまったく。。。」という意見が出て来たのでこうも語りました。「いや、みなさん、「原発をなんとかしなくちゃならない。人々に危険性を伝えなくちゃならない」と真剣に考えているから激しくもなるのではないでしょうか。お互いにその気持ちをくみ合うことが大事だと思うのです。激しくなる人だって私たちにとって大切な人です」。これにもたくさんの方がうなずいてくださいました。
 
なおこのときの質疑応答には、福島県からアルザスに避難移住した日本語教師の遠藤順子さんが同時通訳をしてくださいました。素晴しかった。海外にいて目の前で現地の人々がわあわあとやりとりを開始すると分からなくなってしまうことが多いのですが、今回は遠藤さんがずっと耳元で通訳してくれていたのですべてキャッチできました。それで僕もすぐに意見が言えました。僕にはなんとも楽しくやりがいのあるやりとりでした。
またやはり日本語で語れたのが大きかった!僕の英語力ではまだまだこうしたことをスラスラとは語れないからです。とてもありがたい日本語―フランス語通訳でした。
 
さて、こんな感じで2日にわたったアルザス・ローレーヌの旅が終わりました。
エピナルで泊めていただき、集会も主催してくださったピエールさん、コルマールで泊めていただき、同じく集会も主催してくださったスザンヌさん、そしてこうしたきっかけを僕にくださった中尾和美さんに大感謝です!
 
そうそう。スザンヌさんは時間を縫ってコルマールの町をガイドしてくださいました。これまたとても素晴しかった!ここには「アルザスのベニス」と言われる素敵なところがあるのです。夏はものすごい観光客が来るそうです。とても良いところです。また連れていっていただいた図書館も美術館も充実していました。美術館にはなんとなんと、ピカソのゲルニカの本物があった!3枚作られたものの1つなのだそうです。まさか本物のゲルニカの前に立てるとは思わなかった。。。
 
さて旅はまだ少し続きます。今日はこれからドルトムントにおもむき、ドイツのNGOのIBBのミーティングに参加します。
2014年初春に初めて僕がドイツ、ベラルーシ、トルコへの訪問の旅に赴いた時、「ヨーロッパ・アクションウィーク、チェルノブイリと福島のあとの未来のために」という企画を催し、僕を証言者として招いてくれて渡航費も負担してくれた上に、トルコに僕を派遣してくれた団体です。
さらにその年の秋に行なわれたポーランドでの大きな国際会議にも僕を招いてくれました。このポーランドの会合のときに僕に声をかけて来たのがドイツ人のファルクさんで、彼が今年の年頭に7月にデーベルンで行なわれた反核サマーキャンプへの招待を送って来てくれたのでした。
 
IBBのサポートで始まったといえるこの3年間の活動の篤い成果を報告してきます!
なおこの旅への協力を訴え続けています。可能な方は下記へのカンパをお願いします!
 
*****
 
振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金 口座番号 2266615
 
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明日に向けて(1445)日本の劣悪な小選挙区制をどう変えるのか。議論と考察を深めよう!

2017年11月08日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)
守田です(20171108 09:00 アルザス時間)
 
パリの反核世界社会フォーラムが終り、アルザス地方のエピナルと言う都市に移ってきて、昨夜、記者会見に出た後に講演をおこないました。今回のアルザスへの訪問には日本語通訳がおらず、英語―フランス語の通訳の方がついてくださいました。記者会見も同じ。質問のフランス語が英訳され、僕が英語で答えてフランス語に訳される。記者会見はたっぷり1時間半。講演は僕の話が1時間、質疑応答と討論が1時間半でした。僕にとってはまるでサーカスでした!
 
でも手元に英文の講演用原稿がある。またこれまで発言のために考えた英文が頭の中に残っている。これがとても大きい。それらを駆使してなんとかかんとかやりきることができました!とく地元の方たちがとても喜んでくださったのでうまくいったのだと思ってます。
いまは朝食をいただいたところ。これから今夜の講演地であるコルマールに移動します。
 
さてその前にわずかな時間をぬって、小選挙区制の変革についての考察を続けたいと思います。
先日、終ったばかりの総選挙でまたしても私たちは、民意とはかけ離れた議席配分の結果に直面してしまいました。
これをいかに変革していくのかが問われていますが、そのためには制度のこと自身をもっと知らなくてはいけないと考えて、小選挙区制について、京都精華大学の細川弘明さんが教えてくださったことを転載させていただきました。以下の記事です。とても参考になるのでまだの方はご覧下さい。
 
明日に向けて(1441)ひどいのは小選挙区制ではなく世界で最悪最低の日本の小選挙区制だった!!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/753496109c01ca7ff53086ec082b3ae7
 
細川さんからのこのメールは、もともと僕がフランスに旅立つ前にいただいたもので、フランスやドイツの人々に「小選挙区制のせいでこんなにひどいことになっていると言っても、制度そのものが違うから、それでは意味が伝わらないですよ」とアドバイスして下さったものでした。これが昨日の記者会見でとても役に立った!それほど詳しい説明はできませんでしたが、「とうして選挙があんな結果になるのか」という問いへの答えになんとか満足いただけたようでした。
 
ところでこの細川さんの見解を掲載して以降、2人の方から返信をいただきました。とても興味深い内容だったので、ご本人の了解を得て転載させていただくことにしました。ぜひみんなで小選挙区制についての考察を深めていきたいと思います。
 
まずはフランスのことにとても詳しい方からの感想を転載します。
最近、ネットを通じて知り合った中尾和美さんです。フランス語がとても堪能な方です。
実はいま僕が泊めていただいているピエールさんは、中尾和美さんが紹介して下さった方なのです。というか初めに彼女が僕の静岡で行なった講演のパワポをピエールさんにフランス語訳して送って下さったのですね。その後に、僕から今回の旅でできればフランスのどこかで講演できる可能性はないかと頼んだところ、中尾さんがピエールさんに頼んでくださり、エピナルとコルマールでの講演が決まったのでした。
今朝もピエールさんとお連れ合いのフェビアンヌさんと和美さんの話になり、「彼女はとてもジェントルな人だ」と嬉しそうに話されていました!
 
さてその中尾さんが指摘されているのは、「ヨーロッパと言ってもひとくくりにはできないのでは。各国の違いに注目しなくてはいけないのでは」というしごくもっともな点です。また僕が紹介したのはヨーロッパではなくてオーストラリアのことでしたから、僕の紹介の仕方そのものに配慮が欠けていた面もありました。なんかオーストラリアの方にもヨーロッパの方にもみなさんにもごめんなさいです。
 
確かに今回の訪問を通じて「反核」ということについても、ドイツとフランスにはとても大きな違いがあることが見えてきました。フランスにとって「核」の問題は国家の威厳とくっついていて、それに反対することは国家の威厳にたてつくことになり、難しい面があるのだそうなのです。これはまた第二次世界大戦の戦勝国としてのメンタリティでもあるようです。しかもフランスは一旦ドイツに占領された屈辱の中から戦況をひっくり返したので、なおさら「威厳」に重みがあるのでしょう。
ただしそのフランスでもいま僕がいるアルザス地方は、占領していたドイツ軍にアメリカ軍が空襲などの猛攻撃をかけ、周辺の民家もろとも吹き飛ばしたところで、「この辺はアメリカにやられてしまった家の方が多いんだ」とも聴きました。
「フランス」の中でさえ、ひとくくりにはできないことがいっぱいあるのですね。もちろん日本を考えればそれもまたよく分かることです。ともあれもっと各国それぞれの状況と努力に着目し、学びを深めなくてはならないと痛感しています。
 
以上から中尾さんのメールを転載します。ぜひお読みください。
 
*****
 
守田敏也さま

こんにちは
今頃パリに到着されたでしょうころでしょうか。パリの天気はいかがでしょうか。実りある滞在になることをお祈りしています。
お忙しい中、「明日に向けて」をたくさん配信してくださり、ありがとうございます。とても勉強になります。

今回、小選挙制度について、気がついたことを一つ書きます。
確かに、日本の小選挙区制度は、死に票が多く、問題があります。しかし、守田さんが書かれている優先順位の選挙というのが果たしてヨーロッパでどこまで一般的なのか、ヨーロッパではないオーストラリアの例を挙げられているので、やや腑に落ちない気がしました。ちなみに、フランスの下院選挙は、候補者に優先順位をつけるような形では投票はせず、小選挙区で一人の候補を選びます(一応、フランス大使館のリンクを貼っておきます)。ただ、通常2回投票を行い、1回目の投票で票数の多かったものが決戦投票に残り、2回目では候補が絞られますので、この間の大統領選のように、第一回でトップで勝った極右候補が2回目では負けるということにもなります。選ぶ機会が二回与えられるので、確かに死に票は少なくなると思います。ちなみに上院は一般の国民は投票せず、市民の代表者のような方々による選挙です。
https://jp.ambafrance.org/article11517 

ヨーロッパで色々な方と原発、選挙など、お話されることと思います。ドイツとフランス、隣国ですが、かなり違う点もあるのではないかという気もします。ヨーロッパというのは多様で、なかなかひとくくりで語りにくいところがあるのではないかと思っています。おそらくオーストラリアともかなり違うのではないかという気がしています。

ピエールと奥様のファビエンヌにもよろしくお伝えください。とてもいい方達です。彼らの家も素晴らしいところにあります。絶景です。
どうぞ良い滞在を、帰国後の報告を期待しています。

中尾和美
コメント (1)
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明日に向けて(1444)パリで作り出せた素晴しい連帯をさらに広げたい!

2017年11月06日 12時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20171106 12:30 パリ時間)

11月2日〜4日の反核世界社会フォーラムが終りました。
その後、一日はゆっくり休ませていただいて、今日はこれからパリ市内にでかけて、フォーラム参加のために来られている崎山比早子さんの講演会に参加してきます。パリ在住の日本人の方も多く集まるそうで楽しみです。
その後、夕方にパリを発ってエピナルに向かいます。フランス人夫妻が同行してくださいます。
 
さて今回のフォーラム、とても素晴しかったです。とくに僕が感動したのは2日目の夕方のセッションでした。
各国で起こっている問題の当事者からの発言で、フランスの原発労働者と、チェルノブイリと福島の収束作業にあたったウクライナ人と日本人。また原発を押し付けられてきたインドから、これから押し付けられようとしているトルコから。そしてウラン鉱山の問題でアメリカとニジェールからそれぞれ発言がありました。
 
実は僕はこのセッションの前にちょっとフラストレーションも感じていました。全体会のあとに3つの会場に分かれてたくさんのワークショップが行なわれたのですが、僕が参加したところはいずれも「核兵器」「核戦争」「核廃棄物」などなどの言葉、さらに詳しいテクニカルタームが多くて、まあそれは当然でもあるのだけれどなかなか「人」が出て来ないように感じていたのです。
 
それで僕はこう語りました。
「私の父は広島原爆のサバイバーの一人です。核の問題を語る時、確かに核兵器はとても危険だし、核戦争は恐ろしすぎます。それらについて話すことはとても大事なことです。でも核の問題にはもう1つ大事な問題が有ります。ヒバクシャが日々、増えていることです。なぜなら世界にたくさんのウラン鉱山があるからであり、核兵器工場があるからであり、原発があるからです。もちろんチェルノブイリや福島の事故もありました。
だから核の問題を考える時にどうかヒバクシャの側に立ち、ヒバクシャの視点から考えていただきたいのです。広島や長崎のヒバクシャのことだけではありません。世界中のヒバクシャの視点に立ってです。
さらにこれは僕の観点ですが、核実験なども考えたときに、私たちはいまやすべてヒバクシャです。そのことを忘れずに、もっとも犠牲になっている人から考えていただきたいです。ありがとうございました。」
 
ところが2日目の夕方のセッションはまさにそうした立場の人からの発言が相次いだのでとても感動したのです。
トルコから発言してくれたのは、いつも素晴しいチームワークで一緒に動いているプナールさんです。またアメリカから発言したのは、ニューメキシコのディネランド(アメリカ政府にはナバホと呼ばれている)から来たレオナ・モーガンさんでした。彼女とはこの夏のドイツ・デーベルンでの反核サマーキャンプで一緒になり、以来、スカイプ会議などを共にしてきた中までもあります。
インドからの発言も同じ仲間であるクマール・スンダラスさんとともに来た若い学生さんからのものでとても良かったです。
 
フランスの元原発労働者のフィリップさんの発言も素晴しかった。フランスは実は労働組合の多くが、仕事の確保のために原発に賛成しています。またそもそも核政策に逆らうことは国家的威厳に逆らうことだとも長い間言われて来ており、だから反原発を貫くのは容易ではないのです。でもフィリップさんは「もうこれ以上、労働者を被曝させてはならないのだ。だから原発はもうやめなければならないのだ」と叫ばれました。孤立を恐れず、彼はこの声を上げ続けているのだそうです。
 
同じことを日本から参加した池田実さんも語られました。池田さんは元郵政労働者。福島原発事故のときは多くの仲間とともに放射能が降る中の配達をさせられたそうです。その後、福島のために何かをしたいと、自ら除染作業員になり、さらに福島原発の中の労働者となって働かれました。
その中で労働者達の置かれている酷い実態をつぶさに体験して来られて、告発されました。
フィリップさんからの発言とともにとても胸を打ちました。
 
ニジェールからの方もウラン鉱山の問題を語られました。人々は何も知らされずに働かされた。そのためウラン鉱を手で直接持つようなこともあったそうです。
こうしたことについては、レオナともこの夏にドイツ・デーベルンのキャンプで話し合いました。そのとき彼女は、ニューメキシコの彼女達の聖地に掘られたウラン鉱山の問題のことを「ニュークリア・コロナイゼーション」と語ったのすが、今回も「同じだ」と痛感しました。
ちなみにアメリカ各地のウラン鉱山から掘られたウランが広島、長崎に投下された原爆に使われたわけですが、その前に採掘や核実験が行なわれ、ヒバクシャは生まれていたのです。核実験は7月16日にニューメキシコのアラモゴード砂漠で行なわれました。
 
これらの事柄を見た時に、核の問題はレイシズム、ディスクリミネーション、コロニアリズム、人種差別や植民地主義と密接にくっついていることが分かります。だからこそもっとも犠牲になってきた人々の視座に立ち、今でも毎日、被害者が増えている現実をしっかりみすえて、一刻も早くヒバクシャが増えることをとめるために奮闘することが最も大事なのです。
このセッションではこの僕が最も大事だと思う点が非常に鮮明に打ち出されていてとても感動しました。
 
もちろん他の地域でも様々な奮闘があります。その1つで感動したのはイベリア半島から来た人たち。ボルトガルとスペインからの人々のチームでした。そこにペルーから参加した女性も加わっていました。
ポルトガルはすべての原発計画をとめてきたのだそうです。でもスペインは幾つかを建ててしまった。その多くが両国の国境を流れる川のほとりにあります。だからこそ両国の人々はかたく連帯して今日まで歩んで来たのです。
 
この方たちと一緒にカフェに入ったときに僕のこれまで積み上げて来た体験がとても役にたちました。
僕の周りにはスペイン語が達者な友人が多い。「日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(レコム)」というグループを作り、グァテマラの女性たちの運動を支援するなどさまざまな活動を繰り広げて来ているからです。僕もメンバーに加えていただいています。レコムについては以下をご覧下さい。
 
日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(レコム)
だからほんのちょっと僕もスペイン語を知っている。「ベンセレーモス」とか「ノーパサラン」とか。
勝利しよう!奴らを通すな!などです。
 
いやそれだけではありません。僕は第二次世界大戦前にフランコ独裁と戦ったスペイン市民運動にも深い関心を持って来ていました。しかもそれはけして過去のことになっていない。抵抗の拠点になったのはカタルーニャ地方。だから戦後、スペインでは徹底したこの地域への抑圧が行なわれて来たのでした。いまやそれが崩れようとしていて独立の機運が高まっています。
もちろんそれは新自由主義のもとで拡大している矛盾のせいでもあってより複雑な歴史があるのですが、ともあれ僕がそうしたことを語ったことに、このチームの方たちがとても喜んでくれたのです。
 
そして僕が日本から持参した福島から大阪への避難者、森松明希子さんの英文の体験記を見せると即座に「スペイン語に翻訳しようか?その方が世界中に広がるよ!」と言ってくださいました。なんとありがたいこと!
 
さらに僕は京都のお母さん達がつくったピースフラッグも持って来ていたのですでにたくさんの方にプレゼントしました。たくさんの方と一緒に写真を撮ってFacebookにアップしたのでぜひご覧下さい。
 
大げさすぎることを100%自覚した上で語りますが、なんだかここまでの今回の旅で泣きたくなるぐらいたくさんの新たな深いつながりが持てました。まるで昔からの友だちのような関係が作れました。
なぜなのか。すごくよく分かります。世界が同じ問題で苦しんでいるからです!核の問題だけでない。人種差別や植民地主義、そして新自由主義の矛盾に人々が世界中で喘いでいるのです。
でもただ喘いでいるだけではない。それぞれの場で人々が立ち上がり、未来を切り開こうと賢明な努力を続けている。だから仲間が必要なのです。みんなが精一杯に手を伸ばしているのです。だから手を握り合うことは実はとても簡単なことです!
 
今回のつながりをさらに広げるために僕はこれから旅の後半に入ります。
今夜、エピナルという都市にうつり、明日はエピナルで、明後日はコルマールでお話しし、さらに9日にドイツに移動して10日にオーバーハウゼンでお話しします。11日にドイツのIBBというNGOのミーティングに出て、それからもう一度パリに戻り帰国します。なお頑張ります!ぜひご支援をお願いします。
 
*****
 
振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金 口座番号 2266615
 
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明日に向けて(1443)世界の反核運動を後押しするために!来年も反核サマーキャンプをやります(パリミーティングから)

2017年11月02日 07時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20171102 07:30パリ時間)

パリからです。今回の訪問のためにホストしてくれているイサさんのお宅で書いています。
いまパリは今日2日から始まる反核世界社会フォーラムのために世界中からまたフランス各地から沢山の人が押し寄せて来ています。しかしパリのホテルはどこも高い!それで社会運動に思いを寄せているたくさんの方が家を提供してくれているのです。
僕は初日はマリエさん宅にお世話になり、2日目以降はマリエさんの友だちの友だちのイサさん宅にお世話になっています。ここで6日朝まで過ごしますが、なんとイサさん、快く鍵まで貸してくれて出入り自由にしてくれている。もともとは見ず知らずの外国人にです。なんとありがたいこと。

しかも初めて訪れた10月31日の夜は、ハローウィンの上にイサさんのお連れ合い、お父さんの誕生日で特別な家族パーティの日でした。
スペシャルな料理が作られ、極上のワインとフレンチチーズが出てきた!なんてラッキーな。
結婚した娘さんやその下の娘さんがそれぞれ夫とボーイフレンドを伴ってやってきて、孫たち、さらにイサさんとお父さんのお母さんたちも参加し、素敵な場に。そこに一人、異邦人の僕が混じり込み、なんとも愉快にフレンチと会話を堪能してしまったのでした。

さてそんな楽しい出会いに恵まれるなど、パリにとても温かく迎えられていますが、31日と1日の2日間、7月にドイツ・デーベルンの反核サマーキャンプに参加して知り合った人々と計画していた国際会議に参加し、来年2018年のキャンプの取り組みについてガッツリと話し合いました。2日とも朝10時に集合して夕方6時までミーティング。すべて英語での対話なので終る頃には頭がガンガンしました。
みなさん、僕はそれほど英語力は高くないですよ〜〜。でもこうして世界の人々の中に飛び込んでます。それこそが日本の未来も明るくすると考えるからです。「語学力が高まってから行く‥なんて考えていたらダメ」との判断で3年半前から積極的に走り出しました。ぜひ後に続いて下さい。若い方なんか僕よりすぐに語学力は上達するはずです。
でも年齢がいった方も、長い人生の中で若い人よりは対話力がアップしているはず。会話にはここもとても大事な要素。ともあれ世界は日本の情報に飢えているのでより多くの方にこうした行動にチャレンジしていただきたいです。

僕が今年の7月に招かれて参加したニュークリア・ヘリテージ・ネットワークとは一言で表せば世界が核の脅威から解き放たれることを目指して、世界中の核の問題や運動について情報交換し、この大きな問題の解決の道や展望を一緒に見つけ、作り出そうという試みです。
以下にリンクを貼り付けます。
 
Nuclear Heritage Network
http://www.nuclear-heritage.net/index.php/Nuclear_Heritage_Network

残念ながら英語版しかないので少し訳をつけますね。
「ニュークリア・ヘリテージ・ネットワークのウェブサイトにようこそ。私たちは世界中の反核行動を担っているアクティヴィストと結びつきたいと願っています。各国の核の問題や反対運動について、とくに進行中のプロジェクトやキャンペーンについて情報を交換したいです。このサイトはあなたに問題の背景の情報や、イメージ、プレスリリース、素材などいろいろなものを提供します。ぜひちょっと時間をとってこのサイトを探索してみてください」
 
英語が読める方はぜひさらにいろいろと読んでみてください。たくさんの情報がつまっているサイトだということが分かると思います。
 
今回の2日間にわたる会議の主要目的は、来年のキャンプをいかに行なうのかということ。いつ、どこで行なうのか。どんな準備が必要なのか。お金は幾らかかるのかなどなど、今年の経験を生かしながらとてもたくさんの討論をしました。
参加者はフランスからアンドレとジャン、ドイツからファルク、オリバー、オリ、エク、トルコからプナール、インドからクマール、アメリカからリオナ、日本から僕、トシヤで合計10人。
アメリカから参加しているリオナはインディアンのディネ(アメリカ政府には一方的にナバホと呼ばれている)の女性で、今回のファシリテーターを務めてくれました。進行役、議論の作り役、進め役というところで大仕事だったけど見事にこなしてくれました。「私、国際会議のファシリテーションなんて初めてだったのよ〜〜」と終ってから嬉しそうにため息をついていました。英語のネイティブスピーカーの彼女だって、こうして新しいことに挑戦して四苦八苦して頑張っているわけです。
 
ミーティングでは本当にたくさんのことを次々と話し合ったのですが、大きな問題はなんといってもどこで開催するのかということとお金をいかに集めるのかでした。できるだけ多くの人を世界中から招きたい。でもなんといっても交通費がかかります。実は今回の会議だってそれぞれにバックに大きな組織があるわけでもない人たちが集まって来ているので、とりあえずは以下のようなクラウドファンディングも立ち上げていますがまだほとんど集められていない。これもまだ日本語訳ができてないのですが紹介しておきます。ぜひ英語の出来る方、英語圏の方に伝えて欲しいです。
 
International Collaboration for a Nuclear Free World!
 
お金について名案はなかなかでてきませんが、ともあれあらゆる可能性を探ろうということになっています。
上記のクラウドファンディングはとりあえず今回のミーティングのための費用をなんとか少しでも各人に援助したいというものですが、これが終ってから再度、来年のキャンプに向けてのものを立ち上げることになりました。概算で45000ユーロが必要と出ました。日本円にすると約600万円です!ゴールは遠い。でももっとコンテンツを鮮明化、豊富化し、多くの方の賛同をとりつけてのキャンペーンに育てれば不可能ではないと思っています。そのための仕掛けもたくさん考えました。
 
あと開催日時については2018年8月6日から9日にしようと決めました。もちろん広島、長崎を考えてのことです。
この案は僕が出したもので、みんなが「それはとてもいい」と了解してくれました。僕が2日間の会議で積極的に通せたのはこれだけだったけれど、まあ1つでも大事な提案ができて良かったです。
それで逆算すると準備期間は9か月です。そうしたらフランス人のアンドレが「女性の妊娠期間と同じだね。みんなでお腹の中の子どもを育てようよ」と一言。うまいことを言うなあ。
 
難航したのは場所の選定。来年は100人かそれ以上、集めようとのことなのですが、地域の方達の支えがないととてもやれない。もちろん宿泊のためのさまざま施設も必要です。地元警察への届けが必要になる場合もあるし、ボランティア保険なども必要。
そのため本当に話がグルグルしましたが、いまのところフランスで、それも南の地域がいいかなとなっています。ともあれリサーチしないと決めきれないことなのでまだまだこれからです。
 
さてそれやこれやで会議を終え、もう一度、反核世界社会フォーラム終了後の11月4日の夕方に会うことを決めて散会しましたが、僕としては来年のサマーキャンプには、ぜひ日本人の参加者を増やしたいと思っています。すでに声かけしている方もいますが、何より福島原発事故での避難者の方に加わって欲しいと思っています。この発信がとても大事だからです。
このミーティングに集って来ている方達はそれぞれに自国内にも、海外にも多様なつながりを持っている方達なのでかなり大きな波及力が期待できます。というかそうした波及力をもっともっと育てることがこのネットワークの狙いそのものでもあるのです。そのために僕自身はひたすら英語力のアップのために精進するつもりですが、同時にファンドを作らなくてはならない。大きな額ですので、公的団体からの支援なども得ることが大事だと思っています。ですのでぜひいろいろな知恵をお貸しください!
 
なお繰り返しになって恐縮ですが、今回のパリ行動、エピナル、コルマール、ドイツのオーバーハウゼンでの講演、ドイツのNGOのIBBのミーティングに参加などのための資金カンパをお願いしています。とりあえずは僕個人に対してのサポートをお願いしたいです。振込先を下記に記しますのでよろしくお願いします。
 
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振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金 口座番号 2266615
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