明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2000)DON'T FORGET FUKUSHIMA 311メモリアルキャンドル in むかいじま に参加します。20日にお話します。

2021年03月08日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210308 23:00)

あの日から10年~メモリアルキャンドルに参加します

みなさま。いよいよあと3日で3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故から10年を迎えます。
ちょうどこの時に、あの日から書き始めた「明日に向けて」が2000回を越えることになりました。感慨深いです。この10年のたくさんのことを胸に刻んで次の10年、20年に向かいたいと思います。
そんな思いも込めながら、この3月11日、僕は京都市伏見区向島で行われるメモリアルキャンドルに参加します。18時半に点灯です。以下詳細をご紹介します。

3.11 メモリアルキャンドル in むかいじま 2021 
場所:むかちゅうセンター(元向島中学校)1階交流ルーム(京都市伏見区向島二ノ丸町151-55) 向島駅より徒歩約7分
「慰霊と復興・平和への願いを込めて」 3月11日(木) 18:30~点灯 入場無料 (雨天は3月20日(土)に変更)

主催:笑顔つながろう会、3.11メモリアルキャンドルin向島実行委員会
連絡先 実行委員会事務局(担当:佐藤)
愛隣館 075-604-6159
https://ameblo.jp/kirakiramokeke311/


メモリアルキャンドルinむかいじま お話会にて講演します (20日土 午後2時から)

このメモリアルキャンドルでのお話会が20日(土)、同じ場所で行われます。14:00~16:00(13:00開場)
この場でお話します。主催者からの案内を貼り付けます。

東日本大震災福島第一原発事故から10年。-失ったもの得たもの・・・未来に語り継ぎたい言葉-
未曽有の大震災から丸10年。昨日のことのように蘇ります。これまでも震災を風化させてはいけないとの想いで走り続けました。
一緒に歩んでくださった皆様方と共に語り合える場を企画しました。ぜひご参加いただけますようにお願いします。 代表 高木久美子

20日(土) 14:00~16:00)
むかちゅうセンター(元向島中学校)1階交流ルーム
「原発と晩ごはん~災害と原発からの命の守り方~」 守田敏也さん

入場無料 定員50名(定員になった時点で締め切り)
同日、展示コーナーで写真家・飛田晋秀(ひだしんしゅう)さんの写真展 「福島の記憶 3.11で止まった町」も開催。13:00~16:00


失ったものと得たものと~未来に語り継ぐ言葉

高木さんが書いておられるこの言葉と、「原発と晩ごはん」のタイトルから講演内容を練り上げてお話します。
しかしなんとも難しい連立方程式。どう話を晩ごはんに落とすのか。うーん。頭をひねります。
なんというか原発のことをそれとして語るだけではなく、暮らしの中の問題として、私たちの生き方のこととして語ることが大事なのだと思います。

そうこの10年、私たちの暮らしには大きな変化があった。でも変わらないものもあった。
失ったものと得たもの、そして明日も続いていく暮らし。明日も訪れる晩ごはんのとき。
それらを語り合いながら、この10年の節目をみなさんと一緒に越えて未来に向かいたいです。

3月11日(木)のメモリアルキャンドル、20日(土)のお話会にご参加下さい。

#東日本大震災 #福島第一原発事故 #あの日から10年 #メモリアルキャンドル #むかいじま #笑顔つながろう会

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明日に向けて(1999)映画『サマショール~遺言 第六章~』をご覧下さい!京都・大阪・神戸・東京・名古屋で上映中、福岡も予定あり。本日6日大阪・神戸で豊田監督のトークもあります!

2021年03月06日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210306 09:00) 

● 映画『サマーショール~遺言 第六章~』

この映画は福島原発事故で被曝し全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村のその後を描いたものです。
当初より現地に入り込んで撮影してきた豊田直己さんと野田雅也さんが、飯舘村で酪農を営んでいた長谷川健一さんを中心に前作『遺言ー原発さえなければ』を引き継いでこの作品を編まれました。
昨日、京都市での上映会に参加して視聴してきました。舞台あいさつに来られた豊田直己さんとその後に懇談もしました。

映画は・・・色々な意味で感慨深かったです。
豊田さんたちは震災から6年経ち、避難指示が解除された飯舘に、これまでのように深く入っていきます。
仮設住宅から故郷に帰るのか否かの選択を問われる村民たち。結局戻ったのは2割、それも実際にはその半分ぐらいではないかと思われるそうです。

長谷川健一さんは最終的に飯舘に戻る選択をされましたが、その前にチェルノブイリに出かけられました。
そこで立ち入り禁止区域に暮らすサマショール(自主帰還者)に出会われました。このシーンが長谷川さんの撮影を元に映画に織り込まれています。
飯舘村で何度も集って討論する村民たち。豊田さんと野田さん、そして当初からずっと放射線計測で関わり続けている今中哲二さんがその場に寄りそっています。

以下から予告編が観れます。
https://www.youtube.com/watch?v=vVLNzpfL5Ms

ホームページです
https://www.yuigon-fukushima.com/?fbclid=IwAR1xAOa9IMAOwZzBeJFWBsDNa-M-MdT8w6-2s_7_sYy5-epK6HXxNq0DuaU


飯舘に戻って暮らす

もちろん豊田さんも長谷川健一さんも、危険地帯への帰還を奨励しているわけではありません。
故郷に戻って畑を耕してもそれを人に食べさせることができないことは百も承知。子どもたち、孫たちも戻らせることはできない。でもこのまま飯舘を、我が家を朽ち果てさせたくない・・・。
この複雑に交錯する思いの中に、原発事故のむごさ、故郷を失った悲しみ、飯舘の嘆きがあります。

ああ、原発事故とはこういうことなのだ、故郷を失うとはこういうことなのだ・・・そうあらためて強く感じました。
このことをきちんと記憶にとどめたい。原発反対!と声を上げる一方で、この悲しみをけして埋もれさせず、多くの人とシェアし続けたい。
そう思ったときに、原発事故に翻弄され続ける自らの赤裸々な姿を私たちに見せてくれた長谷川健一さんや飯舘のみなさん、貴重な映像を撮ってくれた豊田さんと野田さんに深い感謝の念を感じました。

みなさんにも福島原発事故から10年を迎えるこの時にぜひ観ていただきたいです。


上映後に豊田さんと

上映スケジュールをご紹介します

京都市では5日から11日まで京都シネマで連日11時25分から上映中
大阪市では第七芸術劇場で本日6日から12日まで連日10時から上映中、初回の今日は上映後に豊田さんの挨拶があります。
神戸市では5日から9日まで神戸映画資料館で連日13時30分から上映中。本日6日にの上映後にここでも豊田さんの挨拶があります。

この他、東京、名古屋でも上映中。福岡でも上映予定があります。期間中のトークショーの案内もあります。以下からご覧下さい。
https://www.yuigon-fukushima.com/blank-1

なおそれぞれの会館で視聴者の数が多い場合は上映延長もあるのだとか。
その点も含めて、ぜひお誘いあわせの上、映画館に足をお運びください。

#サマショール #飯舘村 #長谷川健一 #豊田直己 #遺言 #福島原発事故10年

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明日に向けて(1998)福島原発事故から10年、各地の脱原発集会にご参加を! 本日3月6日は「バイバイ原発きょうと集会」が開かれます!

2021年03月06日 07時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210306 07:00)

本日6日13時から京都市円山公園にて

本日は3月6日、あと5日で東日本大震災と福島原発事故から10年の日を迎えます。
この週末から来週にかけて、各地で原発ゼロを求めた集会・企画が行われます。ぜひそれぞれの場にご参加ください。
僕は今日は「バイバイ原発きょうと集会」に呼びかけ人の一人として参加します。

以下、集会案内を掲載します。
http://nonukeskyoto.com/index.html

京都市の円山公園音楽堂で13時30分から (開場13時) 15時にデモ出発。円山公園~四条河原町~京都市役所のコースです。
講演 「福島原発事故の責任を誰がとるのか」 武藤類子さん(福島原発告訴団団長)
報告 「原発事故から10年ー日本の全原発再稼働を中止し、避難の権利を獲得!避難者の生活と健康を守る保障を!」 原発賠償京都訴訟原告団
「老朽原発動かすな!」 橋田秀美さん(若狭の原発を考える会)
「原発事故から住民を守る対策の相次ぐ後退」 市川章人さん(日本科学者会議京都支部)
「脱炭素社会に向けたエネルギー政策」 延藤裕之さん(気候ネットワーク)

主催 バイバイ原発きょうと実行委員会


7日は「さよなら原発・舞鶴集会」に 守田が記念講演をさせていただきます!

明日、3月7日(日)は舞鶴市で行われる「さよなら原発・舞鶴集会」に参加します。14時から舞鶴市西公民館4階ホールにて
記念講演で話させていただきます。タイトルは「原発ゼロの日本をめざして、今できること」です。若狭の原発群、とくに高浜原発についてのお話から始めます。



また少し前に関西電力から高浜1,2号機の「安全性」をアピールするチラシが出たので、それの批判的読み解きも行います!

この講演の後、意見交流が行われ、アピール採択の提案が行われます。

新型コロナ感染症対策として会場参加者を50名に限定するとともに、ZOOMによるオンライン開催併設とされたとのこと。
全国全世界から参加可能です。すでにイギリス在住の方たちからご参加の連絡を受けています。
zoomのお申し込みは kssbkeep-shikeep@yahoo.co.jp にメールするか、チラシにあるQRコードから。


関西電力が配布している折込紙の一部 全体として突っ込みどころ満載

集会後は明倫緑地集合でスタンディングアピールが行わます。もちろん僕も参加します。(午後3時35分~4時まで)

主催 「原発ゼロ・舞鶴の会」 連絡先 舞鶴地方労働組合協議会内(電話76-8304)

#バイバイ原発きょうと集会 #さよなら原発舞鶴集会 #福島原発事故10年 #若狭の原発 #老朽原発動かすな

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明日に向けて(1997)ビキニ核実験による民衆の覚醒まで被爆者には光が当たらなかった。国は救済の義務をいつも果たしてこなかった-被爆国論の再考5

2021年03月04日 17時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210304 17:00)

【ご注目】 3月7日午後2時から舞鶴市でお話しますがzoomからもご参加できます。お申し込みはこのアドレスまで  kssbkeep-shikeep@yahoo.co.jp 詳しくは「明日に向けて(1995)」をご参照ください

政府は被爆者をまったく救おうとしなかった

前回、ビキニ環礁における水爆実験と第五福竜丸などの被爆を契機に、日本の中で女性たちを中心とした大きな運動が巻き起こり、1955年の第一回原水爆禁止国際大会が開かれたことなどを紹介しました。
誇るべき歴史ですが、しかし僕は強い胸の痛みも感じました。1954年を境にした運動の高揚は、それまで広島・長崎の惨劇、被爆影響のもとでの苦しみが国内にほとんど知られず、被爆者に光が当たっていなかったことをも突き出しているからです。
強い憤りとあまりの悲しさを感じます。あれほどの惨劇にあわされ、その後も悲劇の連鎖が続いてた人々が、9年間も放置されていたのです。その間にどれだけの方が悶絶死していったことでしょう。


NHK「その時歴史は動いた」から 右は長崎で被爆し東京に移り住んだ田中熙巳(てるみ)さん

このひどい仕打ちが続いた理由は、1952年まで日本占領を続けた核攻撃の加害者であるアメリカーGHQが、原爆に関する一切の報道を、「占領目的阻害行為処罰令」という法律の下に禁止したためでした。
同時に戦後に全面的にアメリカに追従し、様々なアメリカの戦争政策に協力することの中で自己保身を図った日本の支配層もまた、何らの救済も試みませんでした。被爆者は長く見捨てられ続けていたのです。
それだけではありません。前回、ご紹介したNHKの番組では、原水爆禁止署名運動の盛り上がりに対して、「日米両政府が沈静化を画策した」ことが指摘されています。

具体的には1955年1月4日に第五福竜丸の被爆に対する補償問題での日米両政府の合意がなされたことでした。法的責任を問わない見舞金として200万ドル(約7億円)をアメリカが支払い、日本が一切の請求権を放棄するというものでした。
実はアメリカ政府にとってこんなに都合の良い条件が出されたのは、日本が水面下で戦犯に対する免責を要求したからでした。詳しくは高橋博子さんの報告をお読み下さい。 http://hikaku-kyoto.la.coocan.jp/takahasi0915.pdf
日本政府は、ようやく始まった原水爆に対する民衆の怒りをすら、自分たちの免責のために利用したのでした。


国と民衆を分けて考えなければ真実が見えない

ただただ深い憤りと悲しみを感じますが、この史実を前にしたとき、よりいっそう「被爆国」という限界の多い言い方をいまこそ越えていこうと提案したいです。
戦中の日本政府は、無謀な戦争に国民・住民を弾きこんだ挙句、アメリカ軍から空襲などの大量虐殺攻撃を受けたのにいたずらに戦争を長引かせ、沖縄上陸や原爆攻撃など、さらなる惨劇に民衆をさらし続けました。その責任を問わねば。
さらに戦後の日本政府もまた、自らの責任のもとに被爆し、大変な苦しみを背負った被爆者をなんら助けようとせずにきました。そこにもとても重い責任があります。

ところが「被爆国」などというと、あたかも被爆者が十分な援助や補償・保障・保証が受けられているかのような誤解を招いてしまいます。
事実僕は幼少期の頃から、この国の中で被爆者がとても大切にされ、充分な手当てなどを受けているのだとばかり思って来ました。そういう誤解は多いのではないでしょうか?事実は逆です。政府は被爆者を打ち捨ててきたのです。
状況を少しずつ変えてきたのは、被爆者自らとこれに共感した民衆の努力によってでした。かくして1957年、戦後12年経ってようやく「原爆医療法」ができ、被爆者手帳が作られるようになりましたが、それとて余りに不十分なものでしかなかった。

そもそも未だに日本政府は被爆者に対しての謝罪と補償を行っていません。いや都市空襲にしてもそうです。沖縄戦にしてもそうです。それどころか政府はいまだに米軍に基地の提供を続けている。沖縄をはじめ多くの人に大きな負担を強いてです。
それほどにひどい政府がアメリカを後ろ盾にしてまだ存在していることを明らかにするためにも、「被爆国」という正しくない言い方を越えていきましょう。
繰り返し言います。日本政府はあの戦争の被害者ではなくて加害者なのです。さらに戦後も加害者アメリカと共に、被爆者を苦しめ続けてきたのが日本政府なのです。

その日本政府に真っ当な怒りをもって向き合わなくてはいけない。
民衆への加害責任に対する謝罪と補償を求めましょう。その中で核兵器禁止条約に参加すべき義務をつきつけましょう!


高橋さんの論稿から 全文はPDFでご覧下さい。

続く

#被爆国 #占領目的違反 #戦犯免責 #原爆医療法 #核兵器禁止条約

*****

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明日に向けて(1996)ビキニデーに思う 核実験被害にまったをかけたのは女性たちだった -被爆国論の再考4

2021年03月03日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210303 23:30)

【ご注目】 3月7日午後2時から舞鶴市でお話しますがzoomからもご参加できます。お申し込みはこのアドレスまで  kssbkeep-shikeep@yahoo.co.jp 詳しくは「明日に向けて(1995)」をご参照ください。


ビキニデーとは・・・・原水爆に対して女性たちが起ちあがり、世界に波及していった

一昨日3月1日はビキニデ―でした。1954年3月1日、アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験(ブラボー)を行ったことにちなむ日です。
ブラボー水爆は広島原爆の1000倍の破壊力を持っていました。莫大な量の放射線物質も飛散させ、マーシャル諸島の多くの人々や日本のマグロ漁漁船、第五福竜丸などを被爆させ、同船の乗組員23人全員が急性放射能症にかかりました。
この事件をきっかけに日本の中で原水爆に反対する大きな運動が巻き起こりました。とくに東京都杉並区の鮮魚商菅原トミ子さんなどの呼びかけて始まった女性たちによる原水爆禁止を求める署名が、瞬く間に広がっていきました。

この過程のことを描いたNHKの番組を見つけたのでご紹介します。貴重な映像が使われています。ぜひご覧下さい。
「その時、歴史が動いた 3000万の署名 大国を揺るがす」 (世界の原水爆禁止運動のきっかけ-母親たちの反核運動のタイトルでYouTubeにアップされています)
https://www.youtube.com/watch?v=zZkNX9GvXao

動きだしたのは子育て世代を中心とする女性たちでした。食卓に魚を乗せられない。そればかりか日本に降る雨からも放射性物質が検出され、パニックすら起こる中、女性たちが新聞への投稿を始め、声をかけあい、起ちあがっていきました。
とくに杉並で始まった署名は世界にも波及し、やがて1955年8月6日の第一回原水爆禁止国際大会の実現に結びつきました。この場で署名が国内で3000万人を超え、世界で6億人を超えたことが報告されました。
番組では紹介されませんでしたが、女性たちの起ちあがりは、平塚らいちょうさんなどを中心とした母親運動をも作りだし、1955年6月に全国母親大会、7月スイス・ローザンヌでの世界母親大会も開かれました。


女性たちの奮闘で核実験がとまった!

この運動は核保有国に大きなプレッシャーを与え、やがて1963年にアメリカ・旧ソ連・イギリスによる「大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約」の締結を生み出すことに結果しました。
世界中の女性たちの運動が、大気中核実験を禁止に追い込んだのでした。それが日本の女性たちの動きを発火点としていたことをしっかりと記憶にとどめたいです。
ビキニデーはこのようにして世界に波及した原水爆禁止運動を記憶にとどめ、継承していくべく日として、毎年、さまざまな企画が行われています。

これらを考えるときに、あらためて女性たちへの感謝の念を強く感じます。1959年に僕を産んでくれた母もその一人でした。母は積極的に運動を担ったわけではありませんが、僕が幼少のころ、雨に当たってはいけないと度々さとしてくれました。
母が第一子である兄を出産したのは1952年6月のこと。第五福竜丸が話題になったとき、彼女は1歳9か月の幼児を抱えていました。その後、僕が生まれるまでに母は妊娠中絶を経験しました。兄と僕の間に生まれなかった子がいたのでした。
その間、米ソは核実験を続け、放射性物質をばら撒き続けていました。母の妊娠中絶との関係は分かりませんが、それでも母が再度妊娠し、ようやく出産に漕ぎ着けた息子の僕を、放射能から守ろうとさまざまに心を砕いただろうことは想像できます。


昨年他界した兄、和也と。兄と僕の間に一人の生まれなかった兄弟姉妹がいた・・・

もちろん僕の母だけではありません。僕と同年代のほとんどの方が、母親から「雨にあたってはいけない」と言われた経験をお持ちです。母の世代の女性たちが、私たちの世代を守るために奮闘してくれたのです。
その意味でビキニデーは、命を守ろうとしてくれた多くの女性たち、それを支えた諸先輩方への感謝をささげる日でもあると思います。
大事なことは日本政府は加害者アメリカにひれ伏して、そんなことは一言も発しなかったということ。女性たち、庶民の声が核の被害を部分的に押しとどめたのです。だから国と民衆を分けて考えなくてはいけない。被爆国論の見直しを訴る由縁です。

続く

#ビキニデ― #ビキニ環礁 #核実験 #第五福竜丸 #原水爆禁止運動 #原水爆禁止署名 #菅原トミ子

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明日に向けて(1995)東日本大震災・福島原発事故から10年-さよなら原発舞鶴集会(3月7日)でお話します。zoom併設!ぜひ全国からご参加下さい!

2021年02月28日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210228 23:30)

「さよなら原発・舞鶴集会」に全国からご参加を

昨日27日に城陽市で「原発ゼロ。核兵器のない社会の実現を」のタイトルでお話しました。
10年前のあの原発事故とはどのようなものだったのか。この10年間で実現できたものは何か、不十分なものは何か。これからの10年、その先をいかに歩むのかについてお伝えできました。
これを踏まえて続いて3月7日(日)に舞鶴市でお話します。今回はzoom併設なので全国から参加可能。みなさん。ぜひ舞鶴の集会に全国、全世界からご参加ください。

集会は午後2時より舞鶴市西公民館4階ホールで行われます。僕の講演タイトルは「原発ゼロの日本をめざして、今できること」。50分お話し10分間質問にお応えします。
主催は「原発ゼロ・舞鶴の会」 連絡先 舞鶴地方労働組合協議会内(電話76-8304)

新型コロナ感染症対策として、会場参加者を50名に限定するとともに、ZOOMによるオンライン開催を併設!zoomのお申し込みは kssbkeep-shikeep@yahoo.co.jp にメールするか、チラシにあるQRコードから。
集会後は明倫緑地集合でスタンディングアピールが行われるとのこと。僕もこれにも参加します。(午後3時35分~4時まで)



福井原発銀座について、電源を原発に依存することについて

お話する内容のアウトラインを示しておきます。
今回は舞鶴の方だけでなく、全国のどこからでも参加可能になりましたので、まず舞鶴に隣接する福井原発銀座がどんなところなのか。舞鶴市と原発の位置関係はどうなっているのかについてお話します。
全国のみなさんに舞鶴について、福井の原発銀座についてぜひ知っていただきたいです。世界の中でも他にないような原発密集地帯で世界が抱えている巨大な危機です。舞鶴市に一番近い高浜原発についての特有の問題もお話します。

続いて幾つか課題をいただいていますので、それにお答えします。
「本当に、原発に電源を依存する必要があるのか」「再生エネルギーの可能性」「老朽原発は安全なのか」「事故時に避難はできるのか」「福島原電の原発立地地は今どうなっていいるのか」の五つです。

原発に電源を依存する必要などもちろんないし、それどころかしてはなりません!一番大きい問題は、使用済み核燃料の処理に何万年も要してしまうこと。そんなの未来世代に対するものすごい暴力です。
二つ目に原発は発電設備として性能も効率もとても悪く、出力調整が苦手で、しかも排熱処理で海をせっせと温めながら夜間に大量に電気を作ってしまっています。それが消費させるための深夜労働を作りだしているのす。
さらに三つ目にそもそもエネルギーの必要性を語るときに、それが誰にとっての必要性かを考えなければならないことをお話します。再生エネルギーについてもその観点に立ち戻って考え直す必要があります。


ネットより


老朽原発について、避難について、福島と日本のいまについてお話します

四つ目にお話するのは老朽原発の危険性についてです。どこがどう危ないのか、幾つかのポイントを話すとともに、実はより新しい原発とて負けず劣らず危ないこともお話します。
五つ目に避難について「事故時に避難はできるのか」という問いの立て方をひっくり返して考えることを提案します。事故と避難の関係についてできるだけリアルに語り、いざという時の心得を具体的に提示します。
六つ目に目に福島のいまと日本のいまをお話します。

この六つ目では城陽市でもお話した10年前の事故のこと、その後の10年間に民衆が実現したことと不十分だったこと、これからの10年間の課題についてお話します。
とくに原発ゼロを実現していくために、何をしていけばいいのか、具体的な提案をさせていただくととに、原発ゼロのために、核兵器禁止条約をみんなで育てていくことが不可欠であることもお話しします。

以上、舞鶴の地から、福島原発事故後10年に際してのふさわしいお話を必ずします。
ぜひ舞鶴集会に全国全世界からご参加ください!


老朽原発うごかすな!キャンペーンニュース 第17号 より

#さよなら原発 #舞鶴集会 #福井原発銀座 #原発事故避難 #老朽原発 #再生エネルギー #福島のいま #日本のいま

*****

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明日に向けて(1994)そもそも「国」とは幻想的な共同体だ!支配階級の利害が往々にして「国の利害」と言い換えられている 被爆国論の再考ー3

2021年02月26日 22時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210226 22:00)

被爆国論再考の3回目です。起承転結の「転」をなす今回、国の幻想共同性について考察します。

そもそも国とは幻想的な共同体だ

これまで日本のことを「被爆国」というのはおかしいのでは?と論じてきました。とくに大日本帝国政府は被害者とはとても言えません。日本国民と住民がアメリカに虐殺され続けたことへの責任を負っています。
今回はさらにもう一歩、深めましょう。そもそも国とは幻想的な共同体で、全成員の共通利害などほとんどありません。むしろ戦争はいつも支配的階級の人々の利害のために起こされ、被支配階級・下層の民衆が戦場に立たされてきたのです。
その際、支配層は自分たちの利害を「国」のものと大義づける。そして本当はそんな利害など、共にしていない民衆が動員されるのです。

原爆のことから少し離れますが例えば「徴用工」問題もそうです。あれはもともと国家間の問題ではない。あのとき徴用された韓国の方たちは日本臣民とされていて、日本の法律で徴用されたのです。
しかも未払いに責任があるのは、当時商工業大臣として徴用の指揮を執った岸信介氏らでした。賃金を払わなかったのは麻生炭鉱などの財閥でした。なんのことはない。岸-安倍家や麻生家の問題が「国家」の問題にすり替えられている。
そうして日本民衆が「お前たちの権利が侵害されている」と騙されてきたのです。そうではない。むしろ元徴用工への賃金未払いは今の日本社会の非正規雇用にもつながっている。元徴用工と私たちの利害こそが重なっているのです。

こうしたことを見事に描いた小説にレマルク著『西部戦線異状なし』があります。映画化もされていますが、第一次世界大戦において国の命令のもと、戦いたくもない他国民との殺し合いに動員された兵士たちの苦悩が描かれています。少しセリフを拾ってみましょう。
ジャーデン「どうして戦争が起こる?」クロップ「それは、ある国が別の国を攻撃するからさ」ジャーデン「国がどうやって別の国を攻撃するんだ?ドイツの山がフランスの野原に怒るのか?」
クロップ「熱病みたいなものさ。特に誰も戦争なんて望んでないのに、突然起こる。俺たちも望んでない。イギリス人も望んでない。でも、俺たちはここで戦ってる」 (二つは別々のシーンです)


階級的なものの見方が必要だ

ここで問いたいのは私たちには「階級的なものの見方」が必要だと言うことです。幻想的共同性から自由になり、支配階級に騙されないようにしなくてはいけない。
階級的なものの見方とは、資本主義の中で大きく人々が資本家階級、労働者階級、地主階級に分かれていることに基づき、被支配階級の立場から国家を捉え返す見方のこと。
区分けにはボーダレスなところがつきまとうので、現代では1%の国の富を独占するものと99%の私たちと捉えた方が良い。橋本健二氏は『新・日本の階級社会』の中で4.3%の資本家階級が日本を牛耳っていると指摘しています。

ただし支配階級に騙され、ないしは強制されたのだとしても、それで被支配階級が他国に侵略し、他国の人々を殺め傷つけてしまった場合、私たち民衆もまた道義的責任を背負わざるをえません。
その点で私たち日本民衆はアジアの人々へのかつての侵略を、自分事として捉え返していかなければならないし、とくに朝鮮半島についていえば、独立後の南北に分かれた戦争の勃発にもいろいろと責任があることを考えなくてはいけない。
日本の平和運動の諸先輩たちは、この点について前進を重ねてくれました。懸命になって日本の侵略のあやまちを捉え返そうとしてきた流れがあります。なお継続が必要ですが、僕は諸先輩方に感謝を述べたいです。

ただその先をもっと進めなければと思うのです。日本民衆もあまりの苦しみを背負わされたのです。とくに戦争で本当にひどい目にった。兵士となった庶民も虐待されつつ人殺しに駆り出された。多くの兵士がショックで拒食症で死んでいきました。
しかしながら諸先輩たちは、日本の侵略責任の捉え返しに一生懸命でそこまで目がまわらなかった。しかしいま私たちはそこにも大きく目を向ける必要があります。それができてこそ、過去の過ちの捉え返しは私たちの幸せの拡大につながるのです。
ちなみに日本と国交を正常化したときの中国共産党政府はこうした観点に立っていました。「日本民衆もまた日本軍国主義の犠牲者だった」という観点から戦時賠償の権利を返上してくれたのです。

私たちも階級的なものの見方にたって原爆の被災を捉え返さなくてはいけません。日本政府の責任をきちんと追及しなくては。だからこそ「被爆国」などという政府に都合の良い言い方を克服しましょう。
そして日本政府に戦争を起こし、アジアと日本の民衆を苦しみにおいやり、被爆すらさせた責任に基づいて核兵器禁止条約に参加せよと迫らなければ。
国の共同幻想性から自分たちを解き放ち、核なき未来に向けた新たなステージを切り開きましょう。

続く

#被爆国の再考を #幻想的共同体 #階級的なものの見方 #西部戦線異状なし #支配階級に騙されるな

*****

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明日に向けて(1993)コロナ禍の社会をどう生きるのか、アフターコロナで何を目指すのか(藤原辰史さんにお聞きする企画の録画をアップします)

2021年02月25日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210225 23:00)

藤原辰史さんをお呼びした企画、大盛況でした。多数のご要望にお応えして録画をアップします!

2月15日にウチら困ってんねん@京都主催で、「コロナ禍の社会をどう生きるか -藤原辰史 さんに聞いてみよう-」という企画を行い、おかげさまで100名を大きく上回る方にご参加いただけました。
ただ申し込みへの返信が迷惑フォルダに入って当日、アクセスできなかったり、急な事情で視聴できなかった方もおられました。部分的にしか見れなかったと言う方も。
それでぜひアーカイブを見たい。録画をアップして欲しいという声が多数寄せられましたので、藤原さんのご快諾を得て、YouTubeの「もりもりチャンネル」からアップさせていただきました。以下からご覧下さい。(なお一部、電波が不安定になり藤原さんのお話がところどころ聴きにくくなってしまっいるところがあります。ごめんなさいです)

コロナ禍の社会をどう生きるか -藤原辰史 さんに聞いてみよう-
https://youtu.be/o9F4HprwTUM

なお多くの方にご覧いただくために無料公開としましたが、投げ銭で活動を支えていただけるとありがたいです。
可能な方、以下の口座にお願いします。

ゆうちょ銀行 448支店 口座番号 14440-50025191 
ウチラコマッテンネンアットマークキョウト


藤原さんのお話から

藤原さんのお話の概要とまとめ部分だけご紹介します。お話は三部で組み立てられていました。

第一部 歴史分析:スパニッシュ・インフルエンザ
第二部 現状分析:新自由主義の限界
第三部 思考実験:ラディカルな食と農の思想を目指して

これらのトータルな結論は以下の通りです。(藤原さんのスライドから)

1、歴史が過去を発見するのではなく、現在が過去を発見する
2、百年前の疫病の知識が、それほど古びない。
3、すでに社会的にあり隠されてきた問題点が顕在化する。
4、構造的暴力と感染症
5、戦争の兵士と産業の「兵士」の類似的構造
6、雇用者と被雇用者の搾取の関係と、人間と自然の搾取の関係。思想問題として本来同根ではないか。
7、労働に関心をもつ人と、エコロジーに関心をもつ人は、結びつきが弱い。蝶番として切実なのは衣食住、特に食べもの(見せかけのエコロジーではない思想を求めて)
8、鶏は摂取したエネルギーを肉に持って行きやすいように品種改良され、ゲージに詰め込まれ、免疫力が落ちているので、その結果インフルエンザにかかりやすくなり、抗生物質が与えられ、抗生物質に耐性をもつもっと強烈なウイルスに突然変異する可能性が出てきている 。鳥インフルの変異にどれほど危機感を抱けているか?

どうでしょうか。なんかワクワクしてきませんか?そう思われた方はぜひご視聴を!
https://youtu.be/o9F4HprwTUM


すでに終わった案内です・・・QRコードは使えないのであしからず・・・。


資本主義と戦争と暴力と

藤原さんのお話を受けて僕も少しコメントさせていだきました。第二部新自由主義の限界に即してですが、藤原さんの話にとても共感して触発されたので、この間、考え続けている資本主義と暴力と戦争の問題について語りました。
まず新自由主義は、「自由」とか言いながらクーデターや労働組合潰しなど、もっぱ国家権力の暴力に依拠して登場してきています。ちっとも「自由主義」ではないし、経済的でもないんです。
さらにそもそも資本主義そのものが極めて暴力的で、大航海時代の暴力的な海の制覇による世界の商業圏への暴力的統合から始まりました。その後も生産力の拡大が兵器の破壊力の拡大に結びき、原爆まで作られました。

しかしこのように資本主義に暴力がビルトインされていることを、マルクス派や左派は十分に捉えられてこなかったのではないか?この点の考察を僕はこの間、ずっと深めているのです。
これらの歴史の捉え返しから、資本主義の害悪そのものとして暴力を捉え、巨大化された暴力を越えることを資本主義の克服そのものとして、きちんと位置付け直すべきではないか?
そんなことのポイントを語りました。この点にワクワクしていただけたならぜひ当該部分もお聴きください。1時間20分ぐらいからです。


資本主義の勃興期は海戦の連続ーアルマダの海戦(1588年) イングランド対スペインの戦い 火力が勝敗のカギを握っていた

ともあれ藤原さんの話、とても良かったです。何はともあれご視聴いただければ幸いです。
今後もこうした会を重ねながら、コロナ禍をいかに生き、アフターコロナをみんなでどんな風にデザインしていくのか、一緒に考えていきたいです。

#コロナ禍の社会をどう生きるか #パンデミックを生きる指針 #藤原辰史 #ウチら困ってんねん京都 #蒔田直子 #守田敏也 #新自由主義 #資本主義と暴力

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明日に向けて(1992)原爆のためにアメリカの人々も殺された!「唯一の被爆国」という言い方はより恥ずかしい 被爆国論の再考―2

2021年02月24日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210224 23:30)

アメリカは無差別攻撃を激化させ原爆攻撃のために多くの人々を被爆させた。アメリカ青年もあたら殺された

ここで戦争犯罪を繰り返したアメリカ政府の責任も指摘しておきましょう。第二次世界大戦中に航空戦力を一気に拡大したアメリカは、原爆の前に新型爆弾を開発しました。先にも述べた焼夷弾(ナパーム弾)でした。
開発したのはフィーザ―という有機化学者とスタンダード石油でした。石油王ジョン・ロックフェラーが立ち上げ、後に独占禁止法によってエッソ、モービル、ゼネラルなどに分社化された全米ダントツの石油会社が製造を担ったのでした。
アメリカ軍はこの焼夷弾(ナパーム弾)をB29にたくさん搭載して日本の主要都市のほとんどを焼き尽くしました。戦争に勝つにはもはやそんなことまで必要なかったのに。スタンダード石油をはじめ兵器産業の大儲けのためでもありました。

B29戦略爆撃機とそこに搭載されたナパームを詰めた焼夷弾 左下はユタ州に作られ燃焼実験が行われた「日本ムラ」 明らかに民間人をターゲットにしていたことが分かる B29 は守田撮影 他はネットより

さらにアメリカは莫大な資金を投入して開発中だった原爆による攻撃をなんとしても行いたかった。そのためにウラン鉱の採掘で各地の先住民族を被爆させ、プルトニウム製造でも周辺地域に手ひどい汚染をもたらしました。
ところがそもそもの開発の動機ともなったナチス・ドイツが1945年6月に壊滅し降伏してしまった。アメリカはそれで攻撃先を日本の都市に定め、7月16日にトリニティサイトで核実験を行って周辺の人々を被爆させました。
ただしアメリカは日本政府も戦争をやめたがっていること、しかし天皇制の存続は望んでいたことをつかんでいました。実はアメリカはそのためにこそポツダム宣言=無条件降伏を突きつけたのでした。もちろんそれでは降伏できないだろうとふんででした。

この宣言が作られた会談がなされたのは7月17日から。アメリカは直前に核実験を成功させていて強気で会議をリードし、7月26日に宣言に漕ぎ着きましたが、実は前日25日に広島への原爆投下命令を極秘に発していました。
案の上日本は宣言を受け入れず8月6日・9日を迎えたわけですが、詩人のアーサー・ビナードさんは、こうした過程でアメリカの青年もあたら殺されたのだと指摘しています。米兵がたくさん戦死した硫黄島や沖縄の戦いも本当は避けられたからです。
このように国民・住民が次々殺されようとも保身のために戦争を長引かせた日本政府と、日本全土を焼き払い、沖縄を蹂躙しつつも原爆攻撃まで日本を降伏させず、アメリカ人にすら犠牲を強いたアメリカ政府の思惑で戦争が続いたのでした。


ポツダム会談に臨んだチャーチル・トルーマン・スタ―リン 1945年7月26日 ネットより
トルーマンはこの前日に広島への原爆攻撃の秘密命令をだしていた


「唯一の被爆国」という言い方はより恥ずかしい

このように見たときに日本の支配地で続いた大量虐殺、被爆、アメリカ兵の戦死、また原爆製造での各地の被爆の責任が米日両政府に大きくあることは明らかです。米日両政府はこれらへの謝罪と共に核兵器禁止条約に参加すべきです。
とくに日本政府は被害者のフリをするのを止めるべきです。アジア侵略と同時に自国民や自国住民、また支配下の住民を戦乱に巻き込んだ加害責任を償いつつ参加せねばなりません。
にもかかわらずきちんとした反省を行っていない日本政府を抱くこの国を「唯一の被爆国」だとか「唯一の戦争被爆国」などと言ってしまってきたことは恥ずかしさの極みではないでしょうか。このことを反省的に捉え返すことが大事だと僕は思います。

広島・長崎の原爆に限っても被爆したのは日本人ばかりではなく、多くの植民地出身者がおられました。とくに広島には韓国の陜川(ハプチョン)出身の方などがたくさんいて、朝鮮人は被爆者の1割以上を占めていたと推定されています。
この方たちは当時は日本臣民とされていたので「外国人」とは言えませんが、その後、新憲法のもとで日本国籍を奪われてしまいました。それでも日本に残った方たちがサンフランシスコ講和条約以降に「在日」と呼ばれるようになったのでした。
「唯一の被爆国」という言い方では、その「在日」の方たちや半島に帰られた方たちが除かれてしまっています。それだけではありません。台湾の方たちや中国、東南アジアから連れてこられた方たちなど、多様な人々が被爆したのです。


推定された朝鮮人の被害  被爆者数と朝鮮人の被害状況 (no-more-hiroshima.com)

さらに戦争終結後は、かつて日本が領有していたがゆえに太平洋戦争の戦場とされた南太平洋の島々で、大規模な核実験が繰り返されました。そこで被爆したのも日本にゆかりが深かったがゆえに巻き込まれた人たちでした。
しかし日本社会は第五福竜丸などマグロ漁船の被爆のことしか焦点化できませんでした。かつて米軍が死闘を通じて日本からもぎとった島々と海域が、核実験場にされ、好き勝手な蛮行に晒されていることへの批判が残念なことに弱かった。
「唯一の被爆国」という言葉からは多様なヒバクシャが排除されてしまいます。「戦時」がついても同じ。戦前戦中からヒバクシャはいたのです。その苦しみ・悲しみを自分事としてシェアして歩みたい。だから「唯一の被爆国」も「被爆国」も止めましょう。


ビキニ環礁で行われた4,5回目の核爆発  写真はクロスロード作戦の中のベイカー実験
1946年7月25日 ちょうど一年前の同じ日に広島への原爆攻撃の極秘命令が出された ネットより

続く

#核兵器禁止条約 #被爆国論の再考を #空襲は戦争犯罪 #被爆したのは日本人だけではない #唯一の被爆国なんて恥ずかしい

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明日に向けて(1991)福島原発事故から10年-原発ゼロ・核兵器のない社会の実現を(2月27日城陽市でお話します)

2021年02月24日 16時30分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210224 16:30)

あらためて事故を問い直し核なき未来の展望を探る

いよいよ東日本大震災と福島原発事故から10年の日が近づいてきました。
各地でさまざまな企画が計画されています。僕も幾つかの地で講演させていただきます。2月27日(土)には京都府城陽市でお話することになりました。
午後1時半から文化パルク城陽にてです。講演のタイトルは「あらためて事故を問い直し核なき未来の展望を探る」です。

アウトラインはこんな感じ。まずは10年前のあの事故はどのようなものだったのかを捉え返します。
二つ目にあれからの10年の中で何が実現できて何ができていないのかをお話します。
それを踏まえて、これからの10年、さらには核なき未来に向けた展望をお話します。

もう少し詳しく述べてみましょう。やはり一つにはあの事故は「東日本壊滅」寸前の事故であった点を確認したいです。ちなみにこれは当時福島第一原発所長だった故吉田氏が遺された言葉です。
二つに逞しい反原発運動が生み出され原発が次々と廃炉になってきたこと。裁判の流れも変わるなど画期的な成果が生まれ続けていることを確認しましょう。しかし被曝の危険性の把握まもっと進めなければ。ここが課題です。
三つに今後の展望は、核兵器反対運動と原発反対運動のより豊かな一体化の中にあると僕は思います。そのジョイントは遺伝を含んだ被曝影響のしっかりとしたつかみ取りにある。この点を述べます。

さらに時間が許せば、現代社会=資本主義社会そのものとして、核兵器を頂点とする暴力の極限的肥大化への批判をすすめ、戦争と暴力の超克を目指すべきことを語りたい。
すごくシンプルなことですが、実は資本主義批判として十分に語られて来なかったと思うのです。僕はここにこそ私たちが歩むべき大きな道があるとの確信を日々深めています。
実は最後の点は講演会では初公開。ぜひここまでお話したいです。頑張ってコンパクトにまとめて発信します!ぜひお見逃しなく!


2月27日(土)文化パルク城陽にお越し下さい!

以下、集会案内をはりつけます。

~福島原発事故から 10 年~原発ゼロ・核兵器のない社会の実現を
福島原発事故から10年。大飯原発1,2号機が廃炉になるなど、日本も世界も原子力をめぐる情勢は大きく動いてきています。
原発ゼロをめざす城陽の会では原発事故避難者の福島さん、フリーライターの守田さんをお招きして原発事故の今を考える集会を行います。ぜひご参加ください。

日時:2 月 27 日(土)午後 1:30 ~
場所:文化パルク城陽(西館)「ふれあいホール」

お話:竹本修三さん(原発ゼロをめざす城陽の会代表。大飯原発差し止め訴訟原告団長)
福島敦子さん(福島原発事故避難者として)
守田敏也さん(フリーライターとして世界各地で取材。京都「被爆二世三世の会」世話人)
「あらためて事故を問い直し、核なき未来の展望を探る」

主催:原発ゼロをめざす城陽の会
※コロナ感染防止対策のお願い:連絡先記入・マスク着用・手の消毒と検温(1Fエントランスと会場に設置) 37.5 ℃以上の熱のある方や体調が思わしくない方は参加をご遠慮ください。感染拡大の影響により変更等ありますのご了解下さい。
※参加費は無料です。カンパをよろしくお願いします。

原発ゼロをめざす城陽の会 代表 竹本修三
連絡先 津留康守 53-4618 亀井成美 53-3178

#福島原発事故10年 #原発ゼロ #核兵器のない社会を #原発ゼロをめざす城陽の会 #竹本修三 #福島敦子 #守田敏也 #被曝遺伝的影響

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