モンテとレッドウィングスの日々

モンテディオ山形、そしてパイオニアレッドウィングスをこよなく愛し続けています。

石崎監督就任!

2013-11-27 20:16:32 | モンテディオ山形
噂通りでしたね~。

この名前を聞いて反応する人は古参です(笑)

記憶に間違いがなければ、
NEC山形が、べにばな国体を経て、
県リーグ、東北リーグをそれこそ飛ぶ鳥を落とす、生き馬の目を抜く速さで駆け抜けJFLに昇格。

しかし、JFLでは踊り場状態でなかなか順位が上がらず苦労していた1995年に、監督に就任。
確か、その時はわざわざチームを拾ってくれたよと感謝した記憶がある。

その後、徐々に順位を上げ、
なんといっても1998年シーズン。

開幕からロケットダッシュで、首位を快走。
確か前半は1敗くらいで駆け抜けたんじゃなかったか。
後半は、最近のうちのように(笑)失速して、結局3位。
実は、あの時も、このまま2位以上でJリーグに昇格しちゃったらどうしよう、
なんて心配もした。実際は、条件をクリアしていなかったと思うけど。

メンバーも良かったんだよね。
中盤は、
健二、シジクレイ、佐藤由紀彦(現V長崎)、マルキーニョという、
当時のJFLでも豪華なメンバーで、他チームサポからは特にシジクレイはJFLでは反則と騒がれたものだ(笑)

しかし、
事件はシーズン後に起こる。
J2加入を翌年に控えたシーズンオフ。
監督は、現役選手数人を連れて大分に移籍。
当時の大分は、ウチよりも後発のチームで、
お互いライバル視していたので、大騒ぎに。

その時は、感情論でいろいろ思ったりしたこともあったけど、
たぶん、監督は将来性を語れない山形に見切りをつけて、
将来性のある選手の事を考えて連れて行ったんだと思う。というか思いたい(笑)

そして、1999年。
最終戦、大分のホームゲーム。
これで大分が勝てばJ1昇格という大一番。
山形は、終盤同点に追いつきドローに。
大分の昇格を防いだ。

そしてそのしっぺ返しは2001年。
シーズン途中、大分を解任された監督は、川崎の監督に就任(その時、大分の監督に就任したのはコバさん(笑))。
そして、最終戦。
ウチが勝てばJ1昇格という試合。
結果は、延長負けでウチが昇格ならず。


ドラマありすぎ(笑)


でも、
もうそんなことは忘れました。
彼は、コバさんに匹敵する昇格請負人です。
もう過去のことは忘れましょう。

とにかく、前に進め!です。
コメント
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