処分されるペット
少年時代にペットの犬が保険所で殺されたことを恨みに、元厚生労働省の事務方トップとその妻を殺傷する事件がありました。ペットを愛する気持ちは大切ですが、だからといって人を殺していいわけがありません。
この逮捕された被告を弁護するなんて毛頭ありませんが、逆に、ペットを平気で始末するために動物管理センターへ来る人があとを絶たないそうです。この間もテレビで、飼うのに飽きてなのか面倒だからか(?)、主人に捨てられた犬や猫が、年に何十万匹も殺処分されるという特集がありました。動物管理センターに、最初から捨てる(殺してもらう)つもりで、ペットを持ち込んで来るようです。センターでは、こうした動物(ほとんどが犬)で溢れ、収容できるスペースも資金的余裕もなく「泣く泣く」(本当に職員さんは泣いているようでした)、殺処分に出すそうです。
「殺されるんですけど、それでもいいんですか・・・」と職員さんが聞くと、ペットを持ち込んだ主は「いいんです」と、粗大ゴミを持ち込むようにあっけらかんと答えていました。逆に職員さんが考え直すように促すと「なぜ、だめなんですか」と平然として反論するようでした。「ほんとにいいんですか」と、職員のほうが哀願しているようで、どちらがペットの主かわからないくらいです。
ペットはライフプランそのもの
ペットのいる暮らしは、ライフプランそのものです。ペットが買い取られ、死ぬまでの一生にかかるお金は、犬なら10年生きたとして生涯で100万も200万円もかかることがあります。買い取り費用、えさ代、ペットグッズにペット美容、ペット保険にペットホテル代、いまやペット産業は人間並み以上です。
病気したら動物病院へ連れて行き、治療してもらったり、そして、死ねば埋葬もします。動物のお墓(動物霊園)に行くと、お盆でもないのに人間のお墓がある寺よりも人や家族が来ており、供養があり、花が盛られ、拝んでいます。
動物を飼うには、ペットと暮らすには、すべてにお金がかかります。しかし、買い入れる時こそ多少予算を考えたりしますが、飼ってしまえばお金のことを考えてえさを買ったり、病院へ連れて行ったりしません。それは、人間の子どもを育てるのと同じです。生きていればお金はどこかでかかります。でも、ここでペットのいる生活がライフプランであるという意味は、お金のことだけではありません。
家族同様に暮らす、癒してくれる家族としてのペットがいるという意味でのライフプランです。飼う時は誰だってかわいいと思って買うのでしょう。なぜ、処分してもいいほど邪魔になってしまうのでしょうか。病気にかかっていたら、病人のように治療してやる、主(あるじ)になつかなくても、親が決して子を見捨てたりしないようにペットを見捨てたりはしないでしょう・・・(と書きつつ、親が子を殺したり、子が親を殺したりという、いやな世間が見えてきてしまいました)。
ペットを喪う時の病
我が家でも、つい3ヵ月ほど前に5年生きていたウサギが亡くなりました。賃貸住まいなので、なかなか犬や猫が飼えなくて、ウサギをペットとして3代も飼っていました。犬や猫ほどおリコウではありませんが、とにかくおとなしくて動くぬいぐるみというより、いるだけで「癒し係」の役をしてくれていました。馬は自分ひとり(1頭)で小屋にいると落ち着かないそうです。そこで、ウサギを一緒に入れておくと、癒されて安心するのだそうです。我が家のペットも、最大の「癒し係」でした。時には、家族の遊びおもちゃになりましたが(うちは馬小屋?・・・)。
「ペットロス」症というのは、欧米ではよく知られていますが、愛するペットが死んだとき、心に大きな穴が開き、一時期は通常の精神状態で生活できないことを言います。重症の人は、まともに社会生活ができなくなります。うつ状態になり会社に行く気がしなくなったり、実際に会社を休んだり。たいていは時期がくれば直りますが、深刻なものです。
これが人間の死であれば、周囲に十分理解されます。身内の人間が亡くなったと言えば、誰もがお悔やみを言ってくれ、香典まで包んで葬儀にも出てくれます。急ぎの仕事も代わってくれるでしょう。しかし、「うちのウサギが死んだから、葬儀をやるのでしばらく会社を休ませてください」と言ったら、頭がおかしくなったかと思われるのが現状です。私はそこまで重症ではなかったのですが、やはり、昨日までそこにいた存在が「そこに、もういない」ということを、なかなか受け入れられませんでした。
ペットというのは、家族として受け入れるものです。それは死ぬまで看取るということです。多くのペットの主にとっては、それが当たり前でしょう。動物がいる生活もライフプランと考えるべきです。それはかかる費用も含めて、それ以上にライフスタイルの重要な要素なのだと思います。
動物管理センターは、本来何らかの事情で飼い主から離れてしまい、病気やけがをした動物を引き取る所です。今は、飼い主自らがペットを捨てたり、処分してくれとそこに持ち込んできたりする。ここで処分を待つペットは、飼い主から見捨てられたとたんに名前の消えたただの動物、そして処分される死体は、焼却するためのただの「物」になってしまうのです。
少年時代にペットの犬が保険所で殺されたことを恨みに、元厚生労働省の事務方トップとその妻を殺傷する事件がありました。ペットを愛する気持ちは大切ですが、だからといって人を殺していいわけがありません。
この逮捕された被告を弁護するなんて毛頭ありませんが、逆に、ペットを平気で始末するために動物管理センターへ来る人があとを絶たないそうです。この間もテレビで、飼うのに飽きてなのか面倒だからか(?)、主人に捨てられた犬や猫が、年に何十万匹も殺処分されるという特集がありました。動物管理センターに、最初から捨てる(殺してもらう)つもりで、ペットを持ち込んで来るようです。センターでは、こうした動物(ほとんどが犬)で溢れ、収容できるスペースも資金的余裕もなく「泣く泣く」(本当に職員さんは泣いているようでした)、殺処分に出すそうです。
「殺されるんですけど、それでもいいんですか・・・」と職員さんが聞くと、ペットを持ち込んだ主は「いいんです」と、粗大ゴミを持ち込むようにあっけらかんと答えていました。逆に職員さんが考え直すように促すと「なぜ、だめなんですか」と平然として反論するようでした。「ほんとにいいんですか」と、職員のほうが哀願しているようで、どちらがペットの主かわからないくらいです。
ペットはライフプランそのもの
ペットのいる暮らしは、ライフプランそのものです。ペットが買い取られ、死ぬまでの一生にかかるお金は、犬なら10年生きたとして生涯で100万も200万円もかかることがあります。買い取り費用、えさ代、ペットグッズにペット美容、ペット保険にペットホテル代、いまやペット産業は人間並み以上です。
病気したら動物病院へ連れて行き、治療してもらったり、そして、死ねば埋葬もします。動物のお墓(動物霊園)に行くと、お盆でもないのに人間のお墓がある寺よりも人や家族が来ており、供養があり、花が盛られ、拝んでいます。
動物を飼うには、ペットと暮らすには、すべてにお金がかかります。しかし、買い入れる時こそ多少予算を考えたりしますが、飼ってしまえばお金のことを考えてえさを買ったり、病院へ連れて行ったりしません。それは、人間の子どもを育てるのと同じです。生きていればお金はどこかでかかります。でも、ここでペットのいる生活がライフプランであるという意味は、お金のことだけではありません。
家族同様に暮らす、癒してくれる家族としてのペットがいるという意味でのライフプランです。飼う時は誰だってかわいいと思って買うのでしょう。なぜ、処分してもいいほど邪魔になってしまうのでしょうか。病気にかかっていたら、病人のように治療してやる、主(あるじ)になつかなくても、親が決して子を見捨てたりしないようにペットを見捨てたりはしないでしょう・・・(と書きつつ、親が子を殺したり、子が親を殺したりという、いやな世間が見えてきてしまいました)。
ペットを喪う時の病
我が家でも、つい3ヵ月ほど前に5年生きていたウサギが亡くなりました。賃貸住まいなので、なかなか犬や猫が飼えなくて、ウサギをペットとして3代も飼っていました。犬や猫ほどおリコウではありませんが、とにかくおとなしくて動くぬいぐるみというより、いるだけで「癒し係」の役をしてくれていました。馬は自分ひとり(1頭)で小屋にいると落ち着かないそうです。そこで、ウサギを一緒に入れておくと、癒されて安心するのだそうです。我が家のペットも、最大の「癒し係」でした。時には、家族の遊びおもちゃになりましたが(うちは馬小屋?・・・)。
「ペットロス」症というのは、欧米ではよく知られていますが、愛するペットが死んだとき、心に大きな穴が開き、一時期は通常の精神状態で生活できないことを言います。重症の人は、まともに社会生活ができなくなります。うつ状態になり会社に行く気がしなくなったり、実際に会社を休んだり。たいていは時期がくれば直りますが、深刻なものです。
これが人間の死であれば、周囲に十分理解されます。身内の人間が亡くなったと言えば、誰もがお悔やみを言ってくれ、香典まで包んで葬儀にも出てくれます。急ぎの仕事も代わってくれるでしょう。しかし、「うちのウサギが死んだから、葬儀をやるのでしばらく会社を休ませてください」と言ったら、頭がおかしくなったかと思われるのが現状です。私はそこまで重症ではなかったのですが、やはり、昨日までそこにいた存在が「そこに、もういない」ということを、なかなか受け入れられませんでした。
ペットというのは、家族として受け入れるものです。それは死ぬまで看取るということです。多くのペットの主にとっては、それが当たり前でしょう。動物がいる生活もライフプランと考えるべきです。それはかかる費用も含めて、それ以上にライフスタイルの重要な要素なのだと思います。
動物管理センターは、本来何らかの事情で飼い主から離れてしまい、病気やけがをした動物を引き取る所です。今は、飼い主自らがペットを捨てたり、処分してくれとそこに持ち込んできたりする。ここで処分を待つペットは、飼い主から見捨てられたとたんに名前の消えたただの動物、そして処分される死体は、焼却するためのただの「物」になってしまうのです。
こらから、いろいろ書いていきますので、よろしく。
すてきなブログですね。
私もミニチュアダックスのブログをやってます。
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