一時期、ユング派の臨床心理学者、河合隼雄氏の本をよく読んだことがあります。フロイトからの精神分析学のつながりと、日本学としての著作に興味があったからでした。そのエッセイ風の著作の中に、『中年クライシス』があります。
青年から中年、中年から高年へと移っていく中で、男にはさまざまな試練が襲ってきます。仕事での壁、トラブルや責任にともなうストレス。親の病気や死、介護の問題。子どもの自立と反抗。妻との感情の行き違いなど―。
まじめに生きていても、中年時期にはさまざまな波が押し寄せてきて、このまま大波に呑み込まれてしまうのでは・・・、いや、いっそう呑み込まれてしまったほうが楽かもしれない、と思うことがあるでしょう。これが、中年を襲う「クライシス」(危機)です。(何も、それは男だけの話ではないのですが。)
こうした「クライシス」を、どう乗り越えるか。私は男親として、ある程度年齢がいった我が子に対して、どう接していいかわからなくなったことがあります。何をしてやればいいか、何を話してやればいいのか。親子での会話が途絶えてしまったのです。
今まで、可愛い、可愛いと、育てているということ以上に、自分自身が我が子を通して癒されていたのです。外でつらいことがあっても、子の顔を見ると癒されるという、あれです。幼いうちは、子ども可愛さで、その笑顔を見るだけですべて解決したようなものでした。
しかし、子自身も自我を持ち始めてくると、その存在そのものが主張を持ってきます。それは一種、他人としての大人の存在です。特に、不器用な男親は、そこでうまく対応できなくなって、どう接したらいいかわからなくなる。すっかり自信をなくし、精神的に孤立してしまいます。子はすでに単なる癒しの対象ではなくなっていることに気づかされるのです。こんな関係となって、親と子、一対一の存在同士が一つ屋根の下で同居していくようになります。
うまくいく家庭もあるでしょうが、そうでない家庭もある。もちろん、こういう状況を親も子も望んでいるはずがありません。単にどうしたらいいかわからず、黙々ともがいているのです。そう、親も子も。打開策はないのでしょうか。
そうした状況を変える時機が突然やってきます。「クライシス」が最大限に大きくなって、眼の前に迫ってきた時です。夫自身の失業、妻の病気、子どもの怪我や挫折など―。河合氏によると、こういう「外敵」が襲ってきた時こそ、家族が一致団結して戦わなければ乗り越えられないのです。家族どうしが孤立してる場合ではありません。
本来、家族にはいろいろな「クライシス」があって、それでも一緒になって乗り越えていくべきものでしょう。むしろ、家族が孤立していること自体が「クライシス」なのに、本当は男親だけが気づいていなかったりします。それを知らしめるのが、ある日襲ってくる「外敵」なのです。
この「外敵」をうまく乗り越えられればいいのですが、そうでないと本当に「クライシス」に呑み込まれてしまいます。男親は大変だなと思います。しかし、そう思っているのは自分だけで、実際には、こんな男親がいて、周りの家族がいちばん大変な思いをしているのかもしれません。
青年から中年、中年から高年へと移っていく中で、男にはさまざまな試練が襲ってきます。仕事での壁、トラブルや責任にともなうストレス。親の病気や死、介護の問題。子どもの自立と反抗。妻との感情の行き違いなど―。
まじめに生きていても、中年時期にはさまざまな波が押し寄せてきて、このまま大波に呑み込まれてしまうのでは・・・、いや、いっそう呑み込まれてしまったほうが楽かもしれない、と思うことがあるでしょう。これが、中年を襲う「クライシス」(危機)です。(何も、それは男だけの話ではないのですが。)
こうした「クライシス」を、どう乗り越えるか。私は男親として、ある程度年齢がいった我が子に対して、どう接していいかわからなくなったことがあります。何をしてやればいいか、何を話してやればいいのか。親子での会話が途絶えてしまったのです。
今まで、可愛い、可愛いと、育てているということ以上に、自分自身が我が子を通して癒されていたのです。外でつらいことがあっても、子の顔を見ると癒されるという、あれです。幼いうちは、子ども可愛さで、その笑顔を見るだけですべて解決したようなものでした。
しかし、子自身も自我を持ち始めてくると、その存在そのものが主張を持ってきます。それは一種、他人としての大人の存在です。特に、不器用な男親は、そこでうまく対応できなくなって、どう接したらいいかわからなくなる。すっかり自信をなくし、精神的に孤立してしまいます。子はすでに単なる癒しの対象ではなくなっていることに気づかされるのです。こんな関係となって、親と子、一対一の存在同士が一つ屋根の下で同居していくようになります。
うまくいく家庭もあるでしょうが、そうでない家庭もある。もちろん、こういう状況を親も子も望んでいるはずがありません。単にどうしたらいいかわからず、黙々ともがいているのです。そう、親も子も。打開策はないのでしょうか。
そうした状況を変える時機が突然やってきます。「クライシス」が最大限に大きくなって、眼の前に迫ってきた時です。夫自身の失業、妻の病気、子どもの怪我や挫折など―。河合氏によると、こういう「外敵」が襲ってきた時こそ、家族が一致団結して戦わなければ乗り越えられないのです。家族どうしが孤立してる場合ではありません。
本来、家族にはいろいろな「クライシス」があって、それでも一緒になって乗り越えていくべきものでしょう。むしろ、家族が孤立していること自体が「クライシス」なのに、本当は男親だけが気づいていなかったりします。それを知らしめるのが、ある日襲ってくる「外敵」なのです。
この「外敵」をうまく乗り越えられればいいのですが、そうでないと本当に「クライシス」に呑み込まれてしまいます。男親は大変だなと思います。しかし、そう思っているのは自分だけで、実際には、こんな男親がいて、周りの家族がいちばん大変な思いをしているのかもしれません。
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