★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

アドラー心理学に向いている人、向いてない人とは? ―アドラー心理学の危険性

2017年03月07日 | ★道をひらく
アドラー心理学に向いている人、向いてない人とは?
―アドラー心理学の危険性
<宇樹義子(そらき・よしこ)さん>



アドラー心理学が今、注目を浴びていますね。
私も、アドラー心理学に興味を持ち、岸見一郎著の
「アドラー心理学」「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」など
色々なアドラー心理学の本を読みました。

アドラーは、
原因を追及するのではなく、目的を追求する。
「これからどうするか」ということ。

確かに、過去をいくら悔やんだり、
恨んだりしても過去に戻ってやり直すことはできない。

そういう意味では前向きな考え方をできる心理学ですが
トラウマに関してはちょっと疑問を感じています。

「トラウマは存在しない、
 自分自身が周りの注目を集めるために作り出しているものだ」
と、アドラー心理学では言われているけど
私はずっとそれが引っかかっていました。

何か違う。
そう感じていました。

「トラウマは存在する」
と私は思います。

アドラー心理学は万能ではないと感じています。
魔法の杖でもないとも思います。
やみくもに信じて、この心理学“だけ”に頼るのは
とても危険な気がしました。

私には、アドラー心理学の考え方が合わない部分があります。
この心理学は「冷たい」と感じます。
「見放されている」「仲間だと思えない」とも。

苦しんでもがいて、誰か助けてと言っても
「私の課題ではなく、それはあなたの課題だから
 自分でなんとかしなさい。」
と言われているみたいだなと。

どんなぶざまな姿になっても見捨てずに、
側で見守ってくれているようには感じない。

パピーいしがみさんの理論の
「認める、褒める、包む」の方が
ずっと温かくて、優しくて、筋が通った
万人に対して通用する考え方で
最後の「包む」というのが、とても温かい感じがします。
ボロボロになったとしても
きっと包んでくれそうな気がします。

人は一人きりじゃ立ち上がれない。
誰かがいてくれるから立ち上がる勇気が持てる。

ベイマックスの主題歌になった「STORY」の歌詞にあるように

「ひとりじゃないから、私が君を守るから」

という風に寄り添って、
無条件で味方になってくれる、
支えてくれる人が必要なのだと思う。

上記のリンクのライターの
宇樹義子(そらき・よしこ)さんが書いているように
アドラー心理学は、時と場合、その人の状態によって
危険な考え方になると感じました。

アドラー心理学を元にした「クラス会議」のように
みんなで何かを解決していくためにはとてもいい考え方だけれど、
過去にものすごく辛いことがあって、
それを消化しきれないで苦しんで生きている人にとっては
存在を消されそうなくらい、危険な心理学だなと私も感じました。

そして、アドラー心理学の考え方は
私を改善するには合わないなと最近感じました。

アドラー心理学を読めば読むほど、
「課題の分離」や「目的論」という考え方で
自分を責められているように感じて
一歩を踏み出す勇気が持てなくなるからです。

でも、パピーさんの「認める、褒める、包む」は
けして見捨てることはしない、
ずっとあなたの側で応援しているよ、
あなたが自分の力で進めるようにサポートするよ、
という温かく熱いメッセージに思えます。

パピーさんのテキストを、
もう一度学び直そうと思いました。
コメント
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