★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

中学受験

2021年08月15日 | ★道をひらく
この言葉を見ると、なぜか心がざわつく。

なぜだろう。
何か自分の中に黒いものが渦巻くのがわかる。

受験。

そう。高校受験。
そのせいで友達を失った。大人たちが作り上げた「受験戦争」に巻き込まれ、楽しい小学生時代を奪われた。どんなに憎んでも憎みきれないくらいに憎いできごとだ。

きっと私は「受験」を恨んでいるからだろう。
だから、受験という言葉にざわつく。

そして、自分の子どもたちは、中学受験など縁遠い。発達障害で不登校になっている。

中学受験ができるのは、勉強ができる子だし、学校にちゃんと行けている子だから。

本音で言うと、きっと私の子どもたちもそう言うところに入れたかったのだろう。

しかし、蓋を開けてみたら、全くそういう世界とは真逆で、無縁な世界の子どもたちだった。普通の学校すら、適応するのが大変な発達凸凹の子どもたちだった。

どちらがいいとか一概に言えないが、うらやましいことは間違いない。
うらやましい気持ちは、行きすぎると妬みに変わる。

心の奥で渦巻く黒いものは「妬み」の気持ちだ。

だから、「中学受験」と言う文字をなるべく見ないようにしてるけど、Facebookでも、ネットニュースでも、学校からの県立中高一貫校の案内とかで、押し寄せてくる。

心が黒く染まりそうだ。

学校に普通に行くことすらままならないのに、中学受験など受けられるはずもない。高校受験でさえも難しい。

一生懸命、自分の気持ちをなだめて、納得させようとしている。

羨望が妬みに変わるのがとても怖い。

だけど、どうしてもうらやましいし、そう言う子になって欲しいと本当は願っていたのだろう。それは、紛れもない本当の私の気持ちだ。

でも、残念ながら子どもたちはそうじゃない。
認めざるを得ない現実だ。

こう言う気持ちにさせるのはなぜなんだろう?
やはり社会構造のせいだろうか。

だけど、きっとその価値観は変わる。

息子たちが幸せを感じて暮らせるようにすることが一番大切なこと。いい学校や会社に行かせることではない。

中学受験はひとつの手段でしかないし、社会に出てからどうするかが一番大切。

息子たちは自分にハンデがいっぱいあるから、できない人に優しくできる人になると思う。それでいい。

成績優秀な子どもや中学受験ができることは、うらやましいけれど、でも、息子たちには必要ないことだ。

息子たちができないことではなく、できることに目を向けていこう。
私にこれだけの困難を与えられたのには、何か理由があるのだろう、きっと。

すべての事象は必要にして善だから。

ただ生まれてきただけなのに

2021年08月15日 | ★道をひらく


そう。
日本とは、こう言うところがある国だ。

田舎ほど顕著だ。
「ガイジン」と言って平気でさげすむ。

同質性を良しとして、平然と人を差別し、排除する。そういう汚い心を持つ人が結構たくさんいる。自分は何様のつもりなんだか。

大勢でつるんで安心してる「ふり」をしている。「ふり」なだけで、本当に安心してる訳じゃない。自分を守るために人を攻撃してるだけ。

私も同じ日本人だけれど、今いる地区で同じような扱いを受けた。他県から越してきて、少し言葉が違ったり、考え方が違っただけだけど、受け入れる土壌がない人ばかりだったから、結果的に排除された。

私はその扱いを絶対に許さないし、忘れることはない。だから、この国を変えようと心に決めた。

いつか絶対に叩きのめす!!

そう言う言葉を平気で吐くヤツラこそが、影の本当の犯罪者であり、排除する考え方だと、私は思うけどね。

発達障害の息子たち

2021年08月15日 | ★育児
私の鼻をへし折るように、生まれてきた息子はしょっぱなから勉強も、運動もできない子でした。
どちらも。

できないどころか、発達障害がありました。

どうやったら、自信がつく子育てができるか、テキストを買って学んだりしました。しかし、その前に学習面でつまづきました。毎日、宿題に苦しめられました。想像していた小学校生活とは違っていました。学校では優秀な子どもとして認識されるようなことはありませんでした。

「中学受験」という言葉を聞くのも嫌でした。中学受験をするような人を妬ましく思いました。息子たちは通常の授業も、宿題もできなくて、苦労しているのに、そもそも中学受験なんてできるはずもありませんでしたから。

息子たちは、ことごとく私が誰かに自慢できるようなことがほとんどない子でした。

普通にできている子。
成績が良い子。
いつも学校の新聞に名前が載っている子。

そういう活躍は全く皆無でした。

私は、他の人に自慢できる息子に育てたかったのだと思いました。
自分のために。

息子たちは見事にそれをぶっ壊していきました。
すべて。

今考えると、それでよかったんだなと思います。

学校や世間で優秀とされるようなことがことごとくできなくて、うらやましかったり、妬ましかったりしたけれど、子どもを東大に入れたと、どや顔している親のようになるのを息子たちが止めてくれました。

私は頑張れば、若い時に大学にいけたと思います。大学にいかなかったのは、学歴を鼻にかけるようなイヤな人間になりたくなかったからでした。私は天狗になりやすいから。

息子たちは、その天狗の鼻ができないようにしてくれました。

私に与えられた試練はとても大変なものだけど、私だから神様が与えた試練なのかもしれないと今は思います。もし他の弱いお母さんだったら、こんな試練耐えられないでしょう。
私だから乗り越えられると与えられたんだと思います。
負けず嫌いで、頑固な私だから。

だから、きっと大丈夫。
息子たちはこれからだ。
自慢の息子の姿というのは、世間の人が優秀と判断する人ではない。

本人たちが「幸せ」を感じられる人にすることだから。