★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

秋の別姓相談会 in 仙台

2004年10月06日 | ★夫婦別姓
10月3日(日) 雨

別姓を考える会の「秋の別姓相談会」に参加してきました。

仙台に行ったのは生まれて初めてです。スーパーひたちに乗って行ってきました。
しかし特急は時間かかりますねぇ。約4時間、電車に揺られて行きました。疲れました。
帰りはあまりの揺れに少し電車酔いしちゃうし(苦笑)
茨城も、仙台もあいにくの雨模様で、その上寒かったです。体がまだ冬支度できていないので、この突然の寒さは正直きつかったです。

朝、家を8時20分頃出て、仙台に着いたのは12時半頃でした。仙台駅ビル、エスパル地下1階の「ひっつみ庵」というお店でお昼を食べました。ねぎとろ丼とあたたかいそうめんのようなうどんがセットになっているのを食べました。電車の中でずっとお腹がすいているのを我慢していたので、とてもおいしかったし、凍えていた体があたたかくなりました。女一人で食事させてもらったのですが、とても対応のいい、いいお店でした(^-^)

参加する会は14時半からだったので、お土産屋さんで、仙台銘菓「萩の月」と「くるみゆべし」を買いました。

仙台市営交通地下鉄南北線に乗り、
勾当台(こうとうだい)公園駅下車して、エルパーク仙台へ向かいました。

14時くらいに着いてしまったので、まだ会場は開いていなくて、
誰もいませんでした。その階のロビーで時間を潰しました。

そういえば、ちょっと気になったことが。
エルパークの入り口と5階の事務室のところにあったテレビ案内板に

「性別を考える会 ~秋の性別相談会~」

と書いてあったのにはびっくり。はじめ会場を間違えたのかと思いましたが、これは違うなと思い、心の中でこう突っ込みました。

「おいおい、”性別(せいべつ)”ってなんだよぉ~。
 ”別姓(べっせい)”じゃん!
 しかも、漢字の音が逆さまって、なんやねん!」

夫婦別姓がだんだん知られてきたとはいえ、こんな風に間違えられた表記をされるということは、まだまだ認知度が低いんだなぁと感じました。

14時半になったので、会場に行ってみると、看板が出ており、そこにはきちんと「秋の別姓相談会」と書かれていました。「ああ、よかった。間違ってなかった。」と安心し、中へ入ってみました。

そこには男女一人ずついらっしゃいました。女性の方は樋口さん、男性の方は土屋さんとおっしゃる方でした。どうやら私が訪問、第一号だったようです。次に、若い女性の方が入ってきました。その次は、男性が。この5人が揃った時点で、一旦会が始まりました。それぞれ自己紹介をしました。

お話をしていると家族連れが入ってきました。そして男性が一人、またさらに男性が一人、そしてさらに赤ちゃん連れの男性が、最後に女性が入ってきました。
で、全部で集まったのは、大人11人、子供3人の計14人でした。

通称使用の方が4人、事実婚の方が3人いました。同性婚を考えてらっしゃる方が2人いました。
私はちなみに事実婚or通称使用予備軍です。でも、どちらかというと事実婚がいいかな。戸籍名も変えるの嫌だし。
仙台周辺からだけでなく、私のように遠方から来た方が、横浜や東京など、関東地方の人が私のほかに2人も集まりました。土屋さんのお話によると前回は誰もこなかったので、店じまいしようかと思っていたそうです。土屋さんも開いてよかった~、と言っていました。
私も、よかった~、店じまいしないでくれてと思いました(笑)

土屋さんが主に進行役をしてくださったのですが、一度に人が揃わなかったので、人が来るたびに自己紹介の説明をしてくださいました。お話一人一人に聞いてくださり、うまく進行してくださって、さすが小学校の先生だなぁと尊敬しました。

お話をしていて思ったのは、「いろんな生き方あっていい」ということに賛同して集まってきた方々だから、人の生き方、考え方を変な固定観念で押し付けるようなことをする人はおらず、今までにない居心地の良さを感じました。年齢もバラバラですが、その場所には本当意味での男女平等と個人の尊重という、本来の日本国憲法の目指すものが存在していた気がします。もし、小学校や中学校もこんな感じの雰囲気だったら、子供たちものびのび育つだろうなぁと思いました。私もそんな学校に行きたかったと思いました。

色んな方々に出会えて、お話しすることができて本当によかったです。

すごく同感したのが、

「夫婦別姓って本当の友達かどうかのリトマス紙代わりにもなる。
 結婚したけど、以前のままの名前を名乗るよと言っているのにも関わらず、
 何度訂正しても年賀状を旦那さんの姓で書いてくる人は
 それだけの付き合いしかできない人だよ。友達を整理するにはちょうどいいよ。」

ってこと。そうだなぁって思いました。

私の親友たちはみな私が自分の姓を変えたくないと言うと
「自分は変えてもいいけど、たっちーが変えたくないなら変えなくてもいいと思うよ。」
と理解してくれました。
彼女たちはきっと私が結婚して夫婦別姓をしたら、今までどおりの名前で書いてきてくれると思います。
それが本当の友達というものですよね。

相田みつをの「よき出逢いを」という言葉が思い浮かびます。
人との出逢いって本当に大切だなぁと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫画家

2004年10月01日 | ★夢はでっかく根はふかく
私の長年の一番の夢は、「漫画家」です。

この夢を思い立ったのは、1981年の小学校3年生のときです。
その時から、自作漫画を描くようになりました。

初めて描いた漫画は「まけるなろくろう」というタイトルでした。
主人公のろくろうはロボットで、見かけはパーマンに似ています。ろくろうには弟がいて(2号機とでもいうのかな^^;)、その名は、たいすけ。この、ろくろうとたいすけをを作ったのは、小学生3年生の男の子、里太(さた)くんです。この漫画は、ドラえもんとパーマンとキテレツ大百科をミックスしたような感じでした。
よくスーパーなどの文具コーナーに「がようし」とかかれて売られている大きな画用紙帳に、鉛筆でこの漫画を描いていました。
今読み返してみても、さすが小学生、よくわからん漫画です(笑)

どうして私が将来の夢に漫画家を選んだかというと、やはり漫画が大好きだったからです。

小学生当時は藤子不二雄の漫画やアニメにはまっていて、
毎日のようにドラえもんやパーマン、忍者ハットリくん、怪物くんなどを見ていました。

小学校一年生から、ドラえもんにはまり、図工の時間の絵はいつも大好きなドラえもんとそのドラえもんと一緒に散歩する犬の絵ばかりを描いていました。

私自身が第二次ベビーブーム世代のせいか、小学生の頃は子ども番組やアニメや漫画が全盛期でした。平日の夕方5時から8時までは毎日何かしらのアニメが放送されていました。今じゃ、考えられないですね(^-^;
しかし、まだその頃は漫画に対する偏見がかなりあり、学校に漫画を持ってくるのはご法度の時代でした。

「漫画なんて娯楽だ。くだらない。」

そう大人たちに言われていました。

今のように図書館に漫画があることは当時は信じられない時代だったのです。図書館に当然のように漫画があると思っている世代の方からするとその時代のことの方が信じられないでしょう。私は今の方がその当時からすると信じられません(笑)
それが今や世界に誇るジャパニメーションやmangaになったんですもんね。すごいことです。一つの日本文化として、認めてもらえたということなんでしょう。
本当によかったなぁ、いい時代になったなぁって思います。

私が漫画家になりたいと思ったその時期は、アニメDr.スランプアラレちゃんが大流行していた時でもありました。よく「んちゃ!」とか、「キーン!」とかって真似してましたね(笑)

私は、一人っ子のせいか社会性がうまく育っておらず、人付き合いがうまくできなくて、友達もあまりいませんでした。そして住んでいた家も、集落から離れていて、気軽に友達の家に遊びに行けるような場所ではなく、両親も仕事で忙しかったため、そんな日々の寂しさや合わない学校生活での辛さからいつも救ってくれていたのは、漫画やアニメでした。

その時、こう思ったのです。

「自分がこうして漫画に救われれいるように自分が描く漫画で、
 人の心を救ってあげられるような、人の助けになるような
 そんな漫画を描きたい。」

と。

しかし、そうして幼い頃に夢を描いてから、いまだ漫画家にはなることができていません。

それは20歳くらいの時から才能がないかもしれないというスランプに陥ってしまったためです。漫画が描けなくなりました。
さらに漫画雑誌のような編集者に描かされる漫画を疑問に思い始めたのもあります。
雑誌社に所属する漫画家だと、雑誌の売り上げを優先させられるため、自分の思いどおりの漫画は描けないんじゃないかと思ったのです。人気がない漫画は、当然、連載打ち切りになるからです。だけど、そんな風に描かされた作品は、たぶんいいものはできないんじゃないかと思いました。

だけど、私はたくさんの作品を描ける漫画家にはなれそうもないが、1冊でもいいから、人に「この本は自分にとって大切な本なんだ。」とずっと本棚に残してもらえるような本や漫画なら描けるのではないか、そういう漫画こそ描きたい、と思いました。

漫画を読んでいる人たちもきっと、もっと面白くて、感動できて、考えさせられて、心に残るような漫画を読みたいのではないかと思っています。そして、私もそんな漫画を読みたいし、描きたいと思っています。

最近、人の助けになれるかもしれないストーリーを思いつき、構想を練り始めました。これは私にしか描けない漫画かもしれない!なんだか勝手にそう思いました。漫画には活字の本にはない不思議な力があるような気がしています。それを一冊の本にして、その本で世の中を変えることができたら、困っている人を助けることができたら、そう思い、そう願っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする