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九州の旅 その2 ~吉野ヶ里遺跡と大相撲九州場所観戦~

2010-11-28 14:51:47 | 旅行記

九州旅行2日目の午前中は福岡から1時間程度で行ける「吉野ヶ里遺跡」へ行ってきました。

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北部九州は何処を掘っても遺跡が出るといわれており、あの「平和台球場」の地下からも大陸の大使を迎える施設の鴻臚館(こうろかん)が発見され、市民から親しまれていた球場が閉鎖されています。「吉野ヶ里遺跡」は工業団地建設工事で見つかった大環濠集落で邪馬台国時代の一集落といわれ、邪馬台国の謎を解く鍵とされています。折しも開催されていた企画展は「対論 邪馬台国」でした。古文書によると邪馬台国は今のフィリピン付近に位置してしまい現実論ではありません。方向なら九州、距離なら畿内に意見が分かれるところですが、更に踏み込んで、卑弥呼の呼称が九州でないと成立しない、日本全土に勢力を広げていたなら畿内が有力・・・様々な角度から分析してあってなかなか白熱していました。

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遺跡は公園として整備されていて、竪穴式住居や櫓がいくつも造られていました。屋根の萱は古民家のように丁寧に葺かれていて、ちょっとキレイにでき過ぎている感じでしたが、それでも「当時の雰囲気はこんな感じだったのかなぁ~」と思わせる雰囲気はありました。

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遺跡は元寇防塁を連想させる濠に守られる形になっていました。北条時宗の時代に蒙古を中心とする元が福岡に2度攻めてきたとき、1度目は台風に阻まれて元が退却したものの「必ずもう一度攻めてくるはず」と日本が2度目の攻撃に備えて海岸線沿いに20㎞にわたって築かれた石塁が元寇防塁で今でも市内の数か所に遺っています。

その蒙古出身の白鵬が70連勝の新記録を樹立するはずだったのがこの日でした。まとまった休みが取れる日程と重なったのでこの機会に行こうと思ったいたら、二日目に負けてしまって世紀の一瞬を目の当たりにすることはなくなったけど、チケットもあるし行くことにしました。

昼過ぎに福岡に引き返して、大相撲九州場所観戦のために「福岡国際センター」へ向かいました。地下鉄の駅から歩いていると、着物姿のお相撲さんがすれ違っていきました。地元では大相撲冬場所と呼ばれて福岡の初冬の風物詩になっているそうです。すぐ裏手が海で潮風が肌寒く、まさに冬場所という雰囲気でした。

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入口を入ると“もぎり”をしていたのは元益荒男の阿武松親方、福岡県出身で千代の富士と同じ頃に活躍した人です。隣の入口を見ると元朝潮の高砂親方が穏やかな表情で入場者と言葉を交わしています。

中に入ると相撲グッツを売るお土産屋さんが出ていて人だかりがしています。端のほうには太宰府名物の「梅が枝餅」の屋台も出ています。すると、何やら入口の辺りが騒がしくなったので、振り返ると「横綱白鵬」が入ってきたところでした。こんな風に観客とお相撲さんとの距離が近いです。

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私は両国国技館に去年行きましたが、こちらの館内はややコンパクトで鉄パイプを組んだ桟敷席が2階席まで続いており、2階席からでも土俵が近く見えます。ただ、席が西側の中央あたりなので、西の力士は後ろ姿、その体越しに東の力士の胸から上が見える感じ・・・横綱の土俵入りも真横から見る形だったけど、生の迫力が伝わってきたので良しとしましょう。

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東京と決定的に違うのは地元のお相撲さんを応援する横断幕が多いこと、「嘉風」(大分)、「琴奨菊」(福岡)そして「魁皇」(福岡)といった地元出身のお相撲さんが登場すると館内一斉にコールが巻き起こります。この日の「魁皇」の対戦相手は「豊眞将」・・・私が怪我でお世話になったクリニックに通院しているらしいので注目しているのですが、館内の全てのお客さんが魁皇ファンになったようなコールの嵐、豊眞将も下関出身で横断幕が出ていましたが、応援の声はかき消されています。結局、豊眞将も上手く攻めたものの及ばず魁皇が逆転勝ちしました。

“結び”では「白鵬」が「阿覧」に危なげなく勝って70連勝ならぬ6連勝目を挙げました。

この日の夕食は天神で海鮮ちらしと天麩羅、海が近い福岡は魚介類が豊富です!

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1日で遺跡見学と大相撲観戦という旅先ならではのスケジュールをこなし、美味しい食事で締めくくった満足な1日でした。

コメント (2)
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