長かった緊急事態宣言も明けた2021年10月16日、橿原神宮に行きました。
まだ宣言の緊張が解けていないのか、はたまた早くも密を気にせずにインドアで楽しんでおられる方が増えたのか、広い広い参道には人が数えるほどしかいません。
神社の鳥居は朱塗りが多いのですが、橿原神宮のそれは天然のままでそれがかえって大きさを感じさせてくれます。
門には早くも七五三の看板、お参りする子供連れの家族もいらっしゃり、菊花展の準備も進んでいて、境内は秋の装いでした。
本殿をお参りして北参道へ向かうと、「畝傍山登山口」の標識が目にはいりました。天の香久山、耳成山と並ぶ大和三山のひとつで標高は200メートル弱、気軽に登れる山であるという予備知識があったので、登ってみることに。。案内板には「死火山」とありました。確か、歴史上で噴火した記録がないけど噴火の痕跡があるものをそう呼んでいたけど、地球の歴史は人類の歴史の何万倍にもなるので、有史で噴火の記録がないだけで死火山と決めることはできないと、使わなくなった用語のはず。事実、木曽の御岳山は一時は死火山と分類されながら数年前に大噴火を起こしています。
下界と山道の境を過ぎて緩い勾配を進み、左に水がほとんどなくなった沼をかすめます。すると蚊がおそってきました。沼を見た瞬間に嫌な予感がしたのですが、ここ数日の暑さに蚊の勢いが増したようです。夜には寒冷前線が南下して涼しくなりましたが、もう一日早く涼しくなって欲しかったです。
山頂が近づくと足元の土が薄くなってぎざぎざに重なった岩の側面のような地肌が現れているところもあって火山由来の山の片鱗が窺えましたが、ここで噴火があった、溶岩が流れたということを想像するには難しく、「死火山」と今でも呼ばれていることに妙に納得してしまいました。
道標のない分岐に戸惑いながらも、すれ違う登山者に聞いたりして、木々の茂る山頂に到着しました。
有志の方が置いたのか、ポリ袋を被った時計と温度計がありました。温度計は26度まで上がっています。確かに長袖では暑い。。
木々の間からの景色。写真ではわかりにくいですが、野焼きの煙がたなびいていて景色だけは初冬の雰囲気でした。
山頂近くにあった神社の跡地、「畝火山口神社」とあり、これも火山だった名残りでしょうか?
下山は別のルートを選んだら、こちらはやや急で難儀しました。降りきると、参道にはさっきまでなかった手描きのランタンが並べられていました。
これは、16日から17日に開催される「夢の森フェスティバル」で、夜までゆっくりしていられたらみられたのですが、翌日の予定を考えるとそうもいかないので、断念しました。
境内の脇にある深田池、鴨がのんびり泳ぐ池畔を振り返ると、何と!桜が咲いていました。2分咲きといったところですが、今月に入って一旦涼しくなって、そのあと暑くなったので季節を勘違いしたのか、不思議な光景に出逢いました。
橿原神宮前駅に戻るとポストが黄色!神武天皇ゆかりの宮崎にある「幸せの黄色いポスト」が、神武天皇の御陵があるご縁でここ橿原市にも置かれているとのこと。見ただけでも幸せ気分になれそうなポストでした。
桜を見て、蚊の襲撃を受け、七五三詣でを見かけ、野焼き・・・一日にして春夏秋冬を感じ取ったお得感いっぱいな一日でした。
まだ宣言の緊張が解けていないのか、はたまた早くも密を気にせずにインドアで楽しんでおられる方が増えたのか、広い広い参道には人が数えるほどしかいません。
神社の鳥居は朱塗りが多いのですが、橿原神宮のそれは天然のままでそれがかえって大きさを感じさせてくれます。
門には早くも七五三の看板、お参りする子供連れの家族もいらっしゃり、菊花展の準備も進んでいて、境内は秋の装いでした。
本殿をお参りして北参道へ向かうと、「畝傍山登山口」の標識が目にはいりました。天の香久山、耳成山と並ぶ大和三山のひとつで標高は200メートル弱、気軽に登れる山であるという予備知識があったので、登ってみることに。。案内板には「死火山」とありました。確か、歴史上で噴火した記録がないけど噴火の痕跡があるものをそう呼んでいたけど、地球の歴史は人類の歴史の何万倍にもなるので、有史で噴火の記録がないだけで死火山と決めることはできないと、使わなくなった用語のはず。事実、木曽の御岳山は一時は死火山と分類されながら数年前に大噴火を起こしています。
下界と山道の境を過ぎて緩い勾配を進み、左に水がほとんどなくなった沼をかすめます。すると蚊がおそってきました。沼を見た瞬間に嫌な予感がしたのですが、ここ数日の暑さに蚊の勢いが増したようです。夜には寒冷前線が南下して涼しくなりましたが、もう一日早く涼しくなって欲しかったです。
山頂が近づくと足元の土が薄くなってぎざぎざに重なった岩の側面のような地肌が現れているところもあって火山由来の山の片鱗が窺えましたが、ここで噴火があった、溶岩が流れたということを想像するには難しく、「死火山」と今でも呼ばれていることに妙に納得してしまいました。
道標のない分岐に戸惑いながらも、すれ違う登山者に聞いたりして、木々の茂る山頂に到着しました。
有志の方が置いたのか、ポリ袋を被った時計と温度計がありました。温度計は26度まで上がっています。確かに長袖では暑い。。
木々の間からの景色。写真ではわかりにくいですが、野焼きの煙がたなびいていて景色だけは初冬の雰囲気でした。
山頂近くにあった神社の跡地、「畝火山口神社」とあり、これも火山だった名残りでしょうか?
下山は別のルートを選んだら、こちらはやや急で難儀しました。降りきると、参道にはさっきまでなかった手描きのランタンが並べられていました。
これは、16日から17日に開催される「夢の森フェスティバル」で、夜までゆっくりしていられたらみられたのですが、翌日の予定を考えるとそうもいかないので、断念しました。
境内の脇にある深田池、鴨がのんびり泳ぐ池畔を振り返ると、何と!桜が咲いていました。2分咲きといったところですが、今月に入って一旦涼しくなって、そのあと暑くなったので季節を勘違いしたのか、不思議な光景に出逢いました。
橿原神宮前駅に戻るとポストが黄色!神武天皇ゆかりの宮崎にある「幸せの黄色いポスト」が、神武天皇の御陵があるご縁でここ橿原市にも置かれているとのこと。見ただけでも幸せ気分になれそうなポストでした。
桜を見て、蚊の襲撃を受け、七五三詣でを見かけ、野焼き・・・一日にして春夏秋冬を感じ取ったお得感いっぱいな一日でした。
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